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8.13

ようやく頭が少し回転してきたように感じる。やらなければならないことが山積みなので、お盆が明けたら動き出そうと思う。絵を描いたり、本を読んだり、文章を書いたり。いずれも、励ますだけの役をする。

人間は眠ればなんとかなるものだと思っている。眠れない限り、精神状態も悪化する。それから時間というものは少なくとも、何かを癒してくれる。傷口だったり、傷んだ肺だったり、悩みすぎた脳みそだったり。

夏も夏休みも、幼い頃からずっと苦手だ。不安定に感じる。あたしからいろんなものを奪う。そんなふうに感じて。

親という生き物でもある自分は、とうとう色んな人間の親の気持ちにすら感情を投影してしまうようになってきた。そろそろ手紙でも書いて自分を遺さなければならない。なんのために? あなたを愛しているよを、五月蝿いくらい伝えるために。

若い子に対してジェネレーションを含めたギャップを感じないのはすごい、のようなことを言われた。なぜだろうなと思ったのだけど、今まで仕事をする上でずっと若い方の相手をしてきたからかもしれない。相手がいくら若くても「若いからそれを知らなくても仕方ないよ」とか「大人になったらわかることだから」とは絶対言いたくなかった。子どもと呼ばれる年代の子から、20代までの方々と長く言葉を交わしてきたので、たとえそこにギャップを感じても「まあそういうものだ」と自分の中で思っているところもある。なので「ギャップを感じていない」は語弊はあるかもしれない。ギャップを実は感じているかもしれないが、あたしにとってはどうでもいい、が答えなのだろう。あたしは目の前のあなたの10年後20年後が楽しみだよ。たとえこの目でその姿を見ることができなくても。

なんとも思っていない人にはどんどんアドバイスできてしまう。不躾なことをしているという自覚はあるけれど。でもそのアドバイスを素直に聞き入れて実践して、うまくいきました! の報告をいただけることはとても嬉しいなあ。あたしのおかげじゃなくて、あなたが頑張ったからだよ。そして素直に聞き入れたからだよ。それが間違ったアドバイスだったかもしれないのに、判断を自分でしたのも偉いと思う。

答えをひとつ、自分の中で出したら少し楽になれる気がする。答えを出すまでが一番苦しい。ただ、その答えが合っているかどうかはわからないから、答え合わせができるといいのに。人生の大半は答え合わせができない。いつになったら答えは出るだろう。フラットな感情のまま、ここから歩き出したい。

ここのところピアノを弾いていないことに気がつく。おそらくもう半年近く、まともには弾いていない。最後に弾いたのは、あなたのお誕生日に弾いた曲。あなたにも、誰にも聴かせることのなかった、バースデーソングだったかしら。

あたしが語るあなたは、まだ言葉になりきらないところも多くて、それでもできる限りであなたのことを表現したい。伝えたい。それと同時に、あなたが語るあたしは、どんな像なのだろうって興味がわくのはおかしいことなんだろうか。きみの中にだけあればいいし、きみだけが大事にしていればいいと、わかっているのだけれど。

30歳くらいまで人生が怒涛だった。どうして毎日がこんなふうに、ダムの放流のようなんだろうと感じて、たまに疲れ果て、この場で倒れてしまえばどれだけ楽だろうかと思ったことも多々ある。しかし、実際に倒れて救急車の中で携帯電話を握りしめながら思ったことは「倒れたあとのフォローの方が面倒臭いな」ということ。誰も助けてはくれないから、生き残るくらいなら倒れない方がいい。

プロのSM女王様に長い期間育てられたというマゾと主従関係を結んでいる時に、彼の誠意を確かめようとしたら、とんでもない方法を提示してきて慌てて止めたことがある。彼と円満に関係を解消したその日に、とてもとても長い文章が送られてきて、とにかく幸せだったと、あたしに愛されていたと、彼は言った。そんなに愛してやれただろうか。愛を表現できたか。自分の中では不安でしかなかった日々を、それでも、相手に伝わるほどの何かがあったなら、とても嬉しかった。嬉しかったので、再会した時に笑顔で衆人環視の中、ビンタをしてしまった。

愛ほど乱暴なものはないと思う。乱暴で凶悪だ。愛を押し付けないで欲しい。愛は愛を感じた人だけが、その喜びや尊さを言葉にすればよろしい。

誰かにとっての日常は、誰かにとっての非日常なんだな。変わってますね、面白いですね、ぶっ飛んでますね、と言われても、それはあなたの基準なので。非日常に染まり過ぎたのだろうか。そんなこと言っても、これがあたしの日常。

どこぞのはっぴーすいーとマゾのツイートを引用し、オマージュするとするならば「自分が支配したいとか服従させたいって汚い発想の塊だ。支配してやってるとか与えてやってるとか言いたくない。一方でそれを受け入れてくれるマゾに許されてる気さえある。こんな酷いことをする醜いあたしを、どこまで飲み込んで許してくれるんだろう。そこを自認し、自覚したい。そしてそれはできれば、“あなた” がいいし、“あなた” だけがいい」。

何も知らない子に、色々と教えてあげたり、自分色に染めたりしたいと思っていた時期もあった。それこそ傲慢な考えだったなと思って、考えを改めた。あたしに色なんてないし、染めてやるほどの色彩量を持ち備えていない。だけど、もしも混ざり合える時が来たら、2人の色になれば良いねって思っている。それでいいし、それがいい。

「彼と2人で写真を撮りたいとは思わないんですか?」「考えたこともなかった」

求められることは多い。だけどそれは全部、まがいものだ。あたしの求めているものじゃない。あなたたちはあたしの感情なんて見ていない。あたしの手や、指や、足だけを見ている。あたしは自分から求めたかったのだ。きちんとあたしの目を見ることのできる、あたしが目を逸らさずにいられる無垢な気持ちを。

あたし自身は他者に影響を与えることができるような人間ではないが、それは経験や言葉の浅さだったりするのかもしれない。それと、他者に任せて受身であるから、自分からの発信が弱いのかもしれない。他者に影響を与えたいと思うのは元上司の発想に起因するが、よくよく考えてみると他者に影響を与えるよりも、他者から受け取ったものを自分の中で自分のものにしてしまう方が得意なのだなと思った。だからもう、身の程知らずなことは言うのはよそう。

どれだけ高いスペックのものを持っていても、それを使いこなせるだけのユーザーのアビリティがなければ意味はないと思っている。回転が速く容量の多い頭脳と、それを使いこなせているだけの人はすごいなと、ただ感心する。こういう人は、アップデートというレベルでないほど、一足飛ばしに頭の中を変えてゆくし、ほとんど中身が置き換わることがあってもそれを簡単に許す。何年か前のあなたと、今のあなたではまるで別人だなと思ったので、こう思いました。少しずつの変化なんて待ってられなくて、きっと自分から強く変化し、進化することを望んでいるのだろう。そしてそれを、実行している。

1人でどんどん進んでくれていい。好きなところに行ってくれていい。あたしはそれを見守って、たまにそれは危ないとよ言うだけなので。何をしてもいいけれど、あなたを大事にすることだけは忘れないでほしい。誰かを傷つけないように生きるというのもまた、あなたを大事にすることの一部なので。

Twitterを一時的に削除して数日。何人かの方に心配をいただいた。戻るつもりで消したので告知もしていなかったことに今更気づき、申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、そこにあたしの息吹がないことを気づいてもらえたことがどうしてだか嬉しい。顔も見たことがない人ばかりなのに、お話だってそんなにしてきたわけじゃないのに、時間を費やして言葉を費やせば「身内」の感覚すら通じるようになるのが、本当に不思議だ。

手放しで、疑いなしで、可愛がりたい。そう思うことはものすごく、わがままなことなのかもしれない。あなたはあたしの、どのあたりにいるのだろう。あたしはあなたの、どのあたりにいるのだろうか。測れないことを測ろうとして、1日が終わるのです。今日も。

猜疑なしの、本音が欲しい。内側から湧き出て抑えられない感情に似た。それをぶつけて欲しいだなんて、何もしていないあたしには無理なのかもしれない。だからあたしも、本音を言うよ。混ざることはないにしても。
それがいかに、恥ずかしくっても。

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