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8.18 思いつく限りを

自論。恋愛とかSMとかって宗教だと思う。宗教じゃなきゃいけないのかもしれない。盲目的に盲信していい。でなければ受け入れることなんて難しいのかもしれない。だって言ってることもやってることも、わりとぐちゃぐちゃだもの。痛いのに気持ちいいとか、愛してるから壊したいとか。脇の下から産まれたりとか、処女から産まれたりとか。似ている。

悲しさが怒りになるわけがない。ただ、たまに、「ありがとう、これでどこまでもあたしは残酷になれる」と感謝してしまう時はある。あたしはどこまでも冷酷で非道でいたいのだろうか。優しくしたいよね、本当は。

体に医療器具をつけたまま24時間を過ごすという検査を受けていたために、眠っては目が覚めるを繰り返し、目が覚めるたびに冷静さを取り戻す。夜の悩みの質量は重たく、熱を持ち、見えない傷をじくじくとつついてあたしに大粒の涙を溢れさせたのに、朝になると悲しいくらいどこかへ行ってしまって、一気に波がひく。それは無関心にまでなる。寝たら忘れる、という単純な性格のせいかもしれない。だけどまた、昼間のうちに降り積もって蓄積されて夜に悩む。

久しぶりにペペロンチーノのパスタをランチで食べた。あんなに好きだった味なのに、もう何年も食べていなかった。理由はあるようでないが、そうやってすごく好きなものも、流れ出る液体みたいに少しずつ減っていって、最後は存在すら忘れてしまう。今までに抱えた感情は忘れないでいたいな。と思うけれど、やはり流れ出て、そのうち忘れてしまうのだろうな。時間というものは水流と水圧をともなっていて、否応なしに足元をすくって全て持ってゆく。時間が解決してくれる、というのも、そういうことなのだろうか。洗い流してくれたり、時間をかけて浸食して、削り取っていってくれるのだろうか。

昨日の夜からざぶざぶと雨が降り、夏の一部が流されてしまったのかと思うほど朝は涼しい。こうやって、少し涼しくなり、また暑さが戻りを繰り返して季節に追いつけないまま秋を迎える。それにしても、時間も季節も見えないものは全部、流れてゆくようにあたしには見えるんだなと、文章にした時に思う。
「あれから何回目の冬だろう」を迎える。あの街は寒い街だった。南国からやってきたあたしは、アンゴラのロングコートを5年ぶりに引っ張り出したのだったっけ。

主従関係にあるけれどSMプレイはしていません、はあり得るし、SMプレイする関係だけど上や下の位置関係はありません、もあり得る。
サブミッシブだけど加虐することで相手からの要求に応えていると喜べる自称マゾもいると思う。それをマゾヒストと呼ぶかどうかはわかりませんが。

教えたい、染めあげたい、影響を与えたい、あたしでしか興奮できないようにしたい。どれも心のどこかにある欲求だ。よほどの感情と労力と手間暇と、それから受け取る側によほどの感情がないとそんなのは難しいことだと理解している。冷静に判断できる程度には、あたしは歳をとっている。押し付けるのでなくて、静かに影響を与え合えればいいな。あなたの聴く音楽、好きな食べ物、読んだ本、みた景色、経験してきたこと、出会ってきた人々。なんでもいいし、そんなことでいい。

傷つけた側はそのことを忘れてしまうことは多々ある。傷ついた側はずっと覚えていて忘れられない。いじめなどがその典型的な形だけど、学校の場でいじめられていたと感じる人は、絶対に同窓会には出て来ない。いじめた側はそのことすら忘れ、同窓会で久しぶりだねだなんて談笑している。あたしはどちらにも該当しなくてよかったと思うのは、卑怯か。幹事だから、欠席できるわけもない。
あたしもたくさんの人を傷つけたと思うんだけど、罪の意識みたいなものは薄いと思う。これからもずっと、黙っていても誰かを傷ついているかもしれないということ。癒えない傷を簡単につけることなんてたくさんあるし、残念なことにそれが容易だし、相手の大半は「今のは傷ついた」とその場では言ってくれない。気をつけたいし、できることなら傷つける前に相手の気持ちを察したい。

2〜3週間ほど鼻があまり効かず味覚障害も発生していたのがようやく治ってきて、この期間に買ったCHANELのマスカラが凄く良い匂いがすることを知る。まつ毛に塗るマスカラに良い匂いが必要かどうかはさておき、こんな小さなことですら感動する。人間の感覚器は敏感にできているんだなあって。

どうか元気になってね。どうか、そのどうにかなりそうな精神も、かの人に抱きしめられて戻ってきてね。また楽しくお話しできるその日まで。

自分は最低の人間だ、と考える。底辺を歩いている。高潔ぶって、高尚な視点をなどと思っているけれど、そんなものはまやかし。綺麗に見せるのが好きなだけ。あたしの醜いところはあなたが知っていて欲しい。目の前に置いておくから。可愛いあなたに、こんな役割を引き受けさせるのも、かわいそうなのだけれど。

人は、内心何を考えているかなんてわからないものだし、当の本人だってわかっていない時があると思う。愛していますと言われたって、それが言葉通りとは限らない。なのに、言葉のまんまそこに気持ちが入っていて、疑う余地もなく受け取れる時もある。きっと本音なのだと確かにわかる時が。本音に擦り寄るために、あたしたちは距離を近くする。皮膚さえ邪魔だと言わんばかりに。

ぬるりとした夜が来たら、海を見にいきたくなる。コールタールのような海に吸い込まれそうになる恐怖心があって、晴れた日の昼間でも海を怖がる自分のことすら、忘れてしまって。
海は苦手だと言いながら、いつでも記憶の中には海があって、ぬるりとした闇があって、防波堤で弾ける波の音があって、工業地帯があった。だけど、眠らない街に来てからはそれがない。ここには夜を一緒に過ごしたい人はいない。いなくてよかった、とすら思う。

切っても切れない縁、などは存在しないと思うし、始まりと終わりはセット販売だからどうやってもいずれは全てが途切れて終わってしまう。親子も夫婦も親友も。親子関係だけは根深いなと感じる。子どもに先立たれた親も、親のいない子も自分の周りには多い。いわゆる毒親だから縁を切りたいという人も、反対に幼い頃からもうずっと親子で仲がいい、という人もいる。恋人関係や友人関係は精査し、関係性を変えることができ、場合によってその関係を切ってしまうことも容易なのに、親子関係だけは根深くてどうにもならない。きっと、死ぬまで。いや、どちらかが死んだあとですら。
幼い魂には、親のことで悩んだなと、大人になってから思わせないようにしたい。あたしのことは「自分の世話をする個体」だと思って欲しい。行き場のない愛が溢れがちなので、そうもいかないだろうけれど。

noteで日常と本音を書こうと思ったけれど20%も書ききれてない。そんなものですね。もうしばらくゆっくりとこれを書く。猶予はあるので。

定期的にSMをする相手がいない時、主従関係にある相手がいない時、あたしはどうやって生きていたのだろうか。気ままにマゾをしばいていたのだろうか。不確定要素が多く、気持ちが乗らないままだったのだろうか。それとも痛がり苦しみ興奮しているマゾを目の前にしたら、自然とエレクトしていたのだろうか。サディストじゃないけれど、一定のラインを越えれば興奮はするわけで。頰を紅潮させて喘ぐ足元のマゾを見下ろしながら、人間の脳みそは複雑なようで単純な時もあるな、と思う。

見境なしの愛情を、疑うことなく相手に(或いは何かに)そそぎたい、と思う時。それは、痛みや苦しみを伴うことも含めて何かを与えたいと思っている時だし、できればその愛情から何か新しいことを受け取ってほしい。それで、最後は自分の養分にしてしまって欲しい。愛情で肥えて膨らんで、まるまるとした幸せな顔になって欲しい。

誰かを信じるということは難しい。誰かを信じている、ということは、その「誰かを信じている自分のこと」を信じていることになるから。
自分に対して猜疑を拭いきれないまま、何年も生きている。自分の期待に裏切られるのが悲しいから。
だから誰かに心を開くことが難しい。そしてようやく心が開けたなと思った頃に、自分の想像に裏切られる。相手は裏切ったなんて、思ってもない。あたしが勝手に極彩色の期待を描いていただけ。

不確定要素の多い毎日を、どう自分の機嫌をとって生きてゆくか、みたいなところが日々。性格的に、誰かに振り回されたり時間に振り回されるのが苦手だし、予定はできれば早めに知りたい。なのにあたしを振り回す人のことが、あたしは好きだったりする。

あなたはどうしてそんなに優しいのだろうな。優しさを教えたことも、優しくする方法を教えたこともないのに。こちらが悲しいと言えば自分のことのように傷ついた顔をして、とても心配してくれる。いつもは他人に興味なんてないようだのに。素直さや純粋さだけで説明がつかない。「優しさを誰に教えてもらったの?」と聞いたら「自分に教えてもらったの」とあなたは答えた。あなたのおなかの中にいる神さまは、とても優しいのだろう。

字面から感じられる響きとか、ひらがなの見え方とか、口の中で丸くなる感じ。あなたがあたしの名前を「ひらがな」で呼ぶのは、とても心が休まって救済になる気がする。

ずっとずっと、自分に腹がたち続けている。どうすれば自分自身を赦してやれるだろうか。赦さなくてもいいんだろうか。

みんなのところに同じだけある似たような苦痛。あるある、と呟いてしまうことは、たくさん転がっているのだろうな。点在する。やってしまった、と思った時にはもう、取り返しはつかない。そうしたらきっと、傷つけたことに自分もまた傷ついてしまう。わかっているのに、どうやったってそこを回避できない。
愛することは苦しさでもあるのだろう。

“言っても言わなくても、誰かを傷つけています。”  
傷つけているという自覚があるのに、それをやめられないのだから人間はエゴの塊。あなたもあたしも、居心地が良くて離れられなかったんだろうね。黙っていればなんとかなると思っていて、黙っていればなんとかなったけれど、それがいい結果を生み出すことなんてなかった。知らない間に誰かを傷つけているかもしれないのが事実だとして、そう思って生きていることと、そう思わずに生きていることは別物なんだと思う。

あなたがこんなところに縛られている必要はない。早く自由に羽ばたいてほしい。そう思い続けているのに、それでもそばにいてほしいと思ってしまう。羽ばたいていいんだよと撫でるふりをし、羽をむしる。

相手からの「誠意のようなもの」とか「忠誠心のようなもの」などという目に見えず数字でも測れないもの、どう捉えていくかずっと悩んでいた。気持ちを感じ取った時に、それに呼応することが大事なのかなと思ったり。
目に見えないものでも、こちらが同じだけの熱量で応えたら、少しだけでも輪郭が見えてくるんじゃないか。だから極力、どんなことでも向き合いたい。自分なりに真摯な態度で、堂々と。

「これ」が終わったら、あれしてこれしてこうしよう、と夢ばかり広がるが、実際は「これ」が終わらない。終わらせる気もないのかもしれない。

あたしにとって料理はルーチンで、好きだとか得意だとかでなく仕事のような、呼吸のような、そんなものなのだけれど、その料理を食べた相手の血肉になりエネルギーになり、その人を生かしていく、そんなものを日々作っていることに、突然エモーショナルを感じたりなんかして。食べさせるのも本当は好きだ。餌付けと創造みたいで。

だから今日はたくさんのエビフライを揚げ、たくさんの帆立フライを揚げました。
簡単なケーキを作り、ボロネーゼのソースでグラタンを作り、野菜の肉巻きを作りました。桃を切り、人参を細く切ってバルサミコ酢のマリネにレーズンを添えて。ビールをあけて。ガランティーヌも作りました。これが何のためになるだろうなんて考えたことなかった。おいしいね、をうまく言えないほどに、ご飯を頬張る横顔を見たいだけ。

欲望をぶつけるとは。思ったよりも難しい。独占欲や嫉妬心、やりたいことや性的欲求、あたしの場合は加虐的な欲も、欲望なのだろうが。欲望が湧いてこない時もあります。そんな時が一番苦しい。エネルギーを根本から失ったように。

苦手なことのひとつに「他の人もあなたとお話ししたいと思うので、自分は身を引きます」のような遠慮がある。本当にあたしとお話がしたいなら、あたしを独占したいなら、大勢の目がある前でも周り気にせずあたしとお話ししてほしい。がめつくても厚かましくても、いいんじゃないの。周りを押しのけてでも、という、そのくらいの素直さと無遠慮が本当は好き。欲求をぶつけてこられるのが好きなのかもしれない。

一方で「話しかけにくいを理由に話せないのはもっと嫌だから」と、いつも近くにいる存在もある。

旅行に出る前は、なるべく家の中を綺麗にしてから出かけたい。冷蔵庫の中も。一泊二日で、明日帰るとしても。家人が家に残るとしても。旅先で死ぬかも、などと思っているのかもしれない。だから書き置きを残して、いざという時の連絡先を残して、生活空間を整えて。それから旅券を用意する。いい旅になりますように。

珍しく感情的になって、もうあなたとは関係を終わらせたい主従関係を解消させて連絡先を消したい、と伝えたことがあった関係が過去にあって、それも結局「もう一度ぼくのご主人様になってください」と土下座させたのもあたしの要領の悪さだし、技量のなさだし、未熟さだと思う。そして復縁したけれど結局、うまくはいかなかったな。疑念が晴れなかったからとかじゃなくて、ただ自分たちの環境が変わりすぎて相手のことを大切にできてないなと、どちらともなく気づいた頃には終わりを迎えていた。元気にしてるかな、だなんてもう、言いたくない。終わったことも過去も、全て「出会えてよかったね」。糧となって肉となった。過去だから関係ないんじゃない。過去があるから今を大事にしたい。

求められたいだけじゃなく、求め合うことが一番気持ちいいはずなのに、そんなにシンプルなところにも辿り着けない。求められることは何より興奮するのに、自分から求めることははしたないように感じてしまう。なんの話かというと、人生における全てのわがままの話。

毎日の更新はやめますと言いながらも、何をしていても言葉がたくさん内側から出てきて、これはきっと排泄の作業で、老廃物の排出なのだと思う。だからそれを人様にお見せするのはどうなのと思いながらも、綴って留めておくことに快楽を覚えるのでしょう。きっとそういう嗜好だし、表現をやめられない。

これは全部本音で、本当は特定の誰かに伝えたいのかもしれない。

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