地域協力隊インターンシップ 二日目

目が覚めて時計を見ると午前5時だった。手先足先に冷えた感覚はなかったがこすり合わせてみると冷たい。慣れたのかマヒしているのか判断はつかない。
家を出るのは9時ごろなのでもう一度目を閉じた。

目を閉じてしばらくは寝れなかった。
「右に曲がります、右に曲がります」
と、大音響が容赦なく意識を覚醒させる。時刻は8時。
行く支度を始めた。

担当者から遅れる連絡が来た。結局三十分ほど遅れたが、何分ほど遅れるという連絡がなかったので、ずっとスタンバっていた。
ずっと腹には違和感があった。
寝れば治るかとも思ったが治らなかった。
それでも俺は車が来れば、にこやかにあいさつし苦を見せずに車に乗った。
文面でも口頭でも、遅刻に対する謝罪は軽いものですら無かった。

その後はずっと腹に不調を抱えながら車に乗って町のあちこちを回った。

途中ドラストに寄ったタイミングで胃薬を買い、二粒飲んだ。多少ましになった。
でも腸は治らなかった。


以下 設けられた振り返り時間に書いたもの。

ひたすら車に乗り、邑南町の各地を巡りに巡った。
邑南町はとにかく広い。そう感じるほどの走行距離だった。
しかし話を聞く分には、これは電車移動などになれた人間の感覚だそうだ。こっちの人にとっては、足は基本車であり、電車も通っておらず、大人はおろか子供もほとんど自転車には乗らない。一キロ一分感覚で「30キロ? 30分ね」という感じらしい。電車に乗る時は駅で考える故に30キロと言われるととても遠く感じてしまうが、こっちではそうでもない。まさに、都心と地方の交通感覚の違いがここに出るのだろう。
よく、高齢者が都心で交通事故を起こしたときに「免許返納を年齢で義務化するべき」という声を聴くが、それが不可能であることを実体験として感じた。また、ちらほらある新しいカフェなどの飲食店は、私から見れば「ホントに人がここまでくるのか」といった立地をしていたが、広島からは普通に夏場などの営業中は客がよく来るらしい。こちらは、いい意味での都心と地方のギャップであった。
 そういった新しいカフェや新しい施設、建物は実現計画が関わっている物がほとんどと言っていいだろう。まさに新しいチャレンジの成果が芽吹きだし、一人で立ち上がろうとしている最中なのだ。
 細かい点を挙げていくならば、まず公共の施設がどれもデカかった。役所はでかいし、コミュニティセンター等もでかい、デイケアセンターもデカい。
広い校庭に大きな体育館、コンクリートでできた立派な校舎の小学校がある。でもそこにはもう小学生は通っていない。通っていても数十人だけで、たった一クラス分あるかどうか。
なんとも寂しい。同じような校舎がいくつかあった。どれも立派で、立派すぎて、その校舎が生徒でいっぱいであった時のことを想像する。空っぽの校庭が子供であふれかえっていたであろう時代のことを。

とのことだ。

夕食は買った豚肉と人参を焼き肉のたれで適当に焼いたものと、ちぎったレ

米うまい

タスと米。
豚肉は美味しかった。

布団はやはり冷たい。
心は休まらなかった。

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