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     白の連還(全記事合体)

                    あらすじ

 その年、正月寒波の到来で豪雪にみまわれた北アルプス後立山連峰白馬山系の一角にある避難小屋に、表層雪崩で複数の登山者がとじこめられた。中に彫銀の白蛇を心棒に巻きつけたピッケルを肌身離さず山行する浜坂の医師、現代社会の実相をファインダー越し抉りだしてみせようと意気込む報道カメラマンの卵、大好きな山の生活と実益を両立させようと山岳メディア業界に飛び込んだ女監督、赴任地アルジェリアから一時帰国中の若い商社マンの四人がまじっていた。長逗留を見込んだ医師の提案で、不眠対策として毎夜ひとりづつ語り部になることになり、医師、カメラマン、女監督、若い商社マンが、それぞれの体験を逗留者に話してきかせた。

                   白の連還 


                序章 白い雪


 その年の冬は大荒れに荒れた。

 例年なら、北アルプスの山岳地帯に初雪を見るのは、十月もなかばを過ぎてからのことだが、なぜかその年、九月のおわりにはまだ間があるというのに、槍、穂高などの主峰、後立山の主な頂きには、もううっすらと雪化粧が観察され、直後に山沿い周辺に軽い積雪があった。そして数日後には、平野部の町や村からも降雪の第一報が届くなど、一帯はみるみる白銀の世界に変わっていった。いつになく早い冬の到来だった。

 雪は一時止んだが、数週間後には、微量ながらまた降りはじめた。

 十一月になると降雪は本格的になり、晴れた日は一日もなく、雪おろしの屋根から、手を伸ばせばすぐにでも届きそうな高さまで、暗い分厚い雲がたれこめ、そこから細かく乾いた雪が、断続的に降り続いた。

 十二月に入って数日晴天が続いたが、再び日が陰ると、今度は吹雪と化し、それが三十日未明まで続いた。

 昼近くになって積雪は一時止まったが、それも二日ともたず、年の瀬もぎりぎり晦日の夕刻になってまた大雪となり、そのままたっぷり一週間、ひたすら降り続けた。絵に描いたような正月寒波の到来だった。

 大雪のため大事をとって入山を控えていた多くのパーティーは、いらだち始めていた。

 彼らはみな、長年、雪山を歩いてきた登山家たちだったが、年に一度の雪山のために有志を集め、入念な計画を練り、こつこつ準備を進めてきただけに、いくらベテランとはいえ、本番をまえに足止めをくうのはつらかった。またされることがつらいのではなく、かぎられた時間と全身にみなぎる緊張感が、刻々と削ぎ落とされてゆくのがたえがたかった。いまを逃せばまた一年またねばならない。みな、祈るような気持ちで小屋の窓越しの小さな空を見つめた。

「決行!」

 三一日午前四時、高層天気図から「晴れ」を読み取ったリーダーの一人が決断を下した。夜明けまえの空はあくまでも透明で深く、あまりに魅惑的だった。輝く星は金属音さえ響かせて、見る者たちを魅了する。天候の急変など、だれが予測しえただろうか。目を閉じて下山を決意する以外、それに抗する道はなかった。

 間もなく最初のパーティーが小屋を出発。しばらくして後続が次々とそれに続いた。厳寒の上空で北アルプスの巨峰がそっと手招きする、怪しい夜明けだった。

 稜線に辿り着くまでの急登は深雪を踏み固めながらツボ足を使っての登りで、予想どおり喘ぎの連続だった。いったん稜線に出れば強風で雪も痩せ負担も軽くなるだろうと高を括っていたが、実際は胸元まですっぽりつかる深雪。すぐ輪カンをつけ全身を使っての苦しいラッセルとなった。

 途中、喘ぎ喘ぎ気分転換になんども前方をみる。が、そのつど気の遠くなる幅と奥行きを持った白い世界が広がるばかり。非力を痛感する。日は目が眩むほどに照り輝き、辿る稜線のはるか向こうに紺碧の空が開けていた。それに向かって、足下から急速にせり上がる雪原が、黒々とした岩と先端で複雑に交わりあい、鋭い角度で共に突きささっていく。圧倒的な山の眺めだ。

 深雪に苦しんだ大方のパーティーは予定時間を大幅にオーバーし、消耗しきって小屋に辿り着いた。他ルートも含め、その日入山したパーティーの最後の一人が到着したときは、もう午後の三時半を回っていた。

 その夕刻近く、山は一変して猛吹雪となった。標高一八〇〇メートルのとある分岐点の山小屋に、期せずして大勢のひとたちが、こうして偶然に閉じ込められる結果になってしまったのだった。

               ◇

  翌日もその翌日も吹雪は止まなかった。三日目になってようやく風は弱まったが、降雪量に変化は見られなかった。

 その日に下山を予定していたパーティーは決断を迫られた。吹雪が収まらなければ小屋にいのこりとなるが、そんな暇はない。下山後にやりくりできる時間の余裕がない。焦っていた。

 幸か不幸か、その日は早朝から風が弱まりだした。一行は迷った。この分だと下山を強行して大丈夫かもしれない。尾根筋を登りと反対にただまっすぐ下っていけばよい。樹林の入り口に着けば、そこから南の沢に下り、そのまま一直線で小屋にいける。迷うことはない。ただ一つ、南の沢へは取りつきがだらだら坂で、西の沢への下りに紛れ込んでしまう恐れがある。しかしこれも、磁石と地図を使う初歩的な技術さえあれば、大して難しくはない。ともかく、下山が遅れて遭難扱いにでもなれば、あとあとなにかと面倒なことになりかねない。その煩雑さを考えただけで、楽観論が多勢を占める結果になった。

「管理小屋にはオレたちから連絡しとくよ」

 午前七時、下山を決意した十数名の下山組一行がそそくさと軽い朝食をすませ、いのこり組ににこやかなVサインを残して出発した。風は一行を庇うようにピタリと止んだ。

 にぎやかだった小屋は急に閑散となった。

 時間のやりくりに気をもむ気配のないいのこり組は、全部で四人だった。がらんとした小屋の隙間を埋めるように、だれからともなく自己紹介を始めた。

 うち三人は勤め人ではなかった。

 三十才前後のフリーのカメラマンを自称する青年、東京都内で開業医を営む五十がらみの医者、山岳映画制作に携わる年令不詳の女監督の三人で、みな比較的、時間に拘束されずにすむひとたちだった。 

 もう一人は勤め人だった。数年ぶりに北アフリカの赴任先から一時帰国したばかりの若い商社マンで、大事をとって天候の回復を待つ余裕が彼にはあった。

 下山組みが出発してから一昼夜が過ぎた。未明近くまた風が強まり、午後には吹雪きはじめた。一行の出発から一時間ごとにラジオのニュースを聞いていた四人は、ひとまず最悪の事態は避けられたと胸を撫で下ろした。遭難に関する報道は一切なかったからだった。

「またフブキだしましたよ」

 夕刻近く、窓超しの白い世界を見つめて若い商社マンが呟いた。

「あと四日は続きそうね」

 女監督が退屈そうにゴロリと床板を鳴らして寝ころんだ。手帳になにかを書き込みながら、開業医が相槌を打った。

「そのようですな、先程の予報でもそういってましたから」

 わきにピッケルが一本置いてある。握り部は木製で黒光りしていた。そこから尖った先端にかけ、一匹の白い蛇がのびやかな姿態で絡みついている。

 女監督が身を起こしていった。

「あら、見事な彫り物じゃない」
「ああ、これね」

 ピッケルをかざして医者が答えた。

「白銀で彫ったものを溶接してありましてね。父の形見なんですよ」

 医者は説明した。登山家だった父親は浜坂の出で、登山仲間の友人に酒問屋の跡継ぎがいた。その友人が結婚して実家を継ぎ長男を得て数年たった頃、酒蔵に一匹の白蛇が住み着いた。みな気味悪がったが、友人は、蔵のお守りじゃ、といって放っておいた。

 ところが、六才の誕生日に蔵で白蛇をからかっていた長男が、右手の人差指を噛まれ大ケガをした。怒った友人は白蛇を捕らえ風呂の釜で焼き殺し、灰を庭にばらまいた。半年後、そのときの治療が悪かったのか、長男が急に骨髄炎をおこし、右腕を切断するという不幸にみまわれた。続いて妻が喀血して入院するやら長男が後頭部を打って智恵遅れになるやら、家運は傾く一方、とうとう世間では大っぴらに、あの家にはミーさん(蛇神様)の祟りがついとるぞ、というようになった。

 当然、祟りを恐れて顧客からの注文は激減し、みるみる商いは細り、ついに問屋は破産してしまった。真に神の祟り、お祓いせねばと、ひとり御神岳(大山)に願かけ登山に向かった友人が、こんどは山の手前の小川に自転車ごと突っ込み、眉間を掘ってとうとうあえない最期を遂げてしまったというのだ。

「おはなしがお上手ね。それが実話なら、絵に描いたような神さんの祟りだわ」

 女監督が皮肉まじりにいった。

「父は友人の家族から形見のピッケルをもらったとき、白蛇を友人の手に返してやるのが死者への唯一の供養でお祓いにもなると考えたのでしょう、彫金屋に頼んでこの白蛇をつくってもらったんですよ。以来、山には必ずこれを持って登っておりましてね。重くてもね。友人の供養と、道中安全のお守りを兼ねて」

 話しおわると医者はピッケルをひと撫でし、またノートに向かってなにやら書き始めた。

 そのとき、ゴーッという唸り音が大地の奥底から足下を伝わって聞こえてきた。

「雪崩だッ」

 窓にしがみついて商社マンが叫んだ。四人は各々の姿勢で耳をすました。不気味な地鳴りは次第に近くなり、ますます大きくなろうとしていた。

「まさか」
「間違いない」
「どこだッ」
「分からないわよ」
「やばいぞ、南の沢じゃないのか」
「上だ、もっと上の方だ」

 みな、口々に叫んだ。

「ここも危ないぞッ」

 窓から三人を振り返って商社マンが叫んだ。

「ここは大丈夫」

 医者が確信ありげにたしなめた。

「尾根筋にナダレはないものだ」
「そうとは限らないわよ!」

 女監督が反論した。

「ナダレに弱い尾根だってあるわ。それにここは分岐点よ。上には沢がいくつかもあるわ」

 その間にも地鳴りはだんだん大きくなり、山じゅうの空気と不気味に響きあって、四方八方から渦を巻くように小屋めがけて迫ってきた。

「真上だッ」

 カメラマンが叫んだ。

「クソッ、やられるッ」

 瞬間、ドドーッと轟音がしたかと思うと、急に棟木がバリバリ音をたて裂け始めた。直後に老朽化した屋根板が無数の木片になって飛び散り、真っ黒な雪が巨大な渦となってそこからなだれ込んだ。逃げる間も術もなく茫然と立ちすくむ四人は、そのまま一瞬のうちに闇の底に飲み込まれてしまった。小屋に辿りついてからちょうど四日目の夕刻近くの出来事だった。

                ◇

 どれほど時間が経ったろうか。

「たすかったぞー……」 

 遠くの方でだれかの叫ぶ声がした。睡魔をおしやりながら若い商社マンは、必死でそれに応じようとした。が、強い圧迫を胸に受け声にならなかった。肢体にかかる荷重をどうすることもできず、抜け出そうともがくうちに意識が薄れ、気だるい疲れにあらがうことができないまま、また深い眠りに引きこまれていった。

 またどれほど時間が経ったろうか。多分なにかの間違いだろう、という気持ちで目が覚めた。辺りを見まわすと、薄明かりのなかで大勢のひとたちが、しきりになにか話し合ったり、忙しそうに動きまわっている。不思議な思いで上半身を起こし、灯の明かりに目をやると、見慣れた顔がこちらを見ていた。さっきまで一緒にいた医者の顔だった。おや、と若い商社マンは思った。いまごろなにをしているのだろう?

「いま、なん時ですか?」

 若者が聞いた。

「時計が壊れてしまってね、だれにも分からないのですよ」

 ほほえみながら医者が答えた。

「危なかったですな、お互いに」
「すると、私たち、やっぱり助かったのですか」
「そうなのよ、たすかったのよ、奇蹟よ」

 華やいだ返事だ。さっきまで一緒にいた女監督だった。

「運が強いんだよ、悪運がね」

 今度はカメラマンの弾んだ声が聞こえた。医者の背後で大勢のひとたちが作業をしていた。

「あのひとたちは?」
「下山組のひとたちよ。雪崩で沢を下れなくて、帰ってきたのよ。おかげで、わたしたち、助かったのよ、でも、小屋のあちこち、けっこう雪かぶっちゃったから、みなで破れたところ、補修してるのよ」
「ぼくも手伝います」
「だめだめ!」

 立ち上がろうとする若者を医者が制した。

「君はケガをしているから、安心して、みなにまかせておきなさい」

 いわれて若者は気がついた。右脚に板切れを添え、上から引き裂いた白い布でぐるぐる巻きにしてある。膝を曲げようとしたが曲がらなかった。不思議に痛みはなかった。

「骨折?……」
「そうです、右大腿骨がポキリとね」

 ガクリと肩を落とし若者は、そのまま仰向けに寝ころんでしまった。

 大勢のひとが作業を続けていた。釘を打つ音、抜く音、ノコを引く音や削る音…子供のころによく聞いた普請の音が遠い世界から耳の奥に蘇る。ひとが集まればいろいろなことができるものだ。

 ことの成り行きで長逗留を予測せざるを得なくなった全員は、登山用具、燃料、デポ品の残り、米、パン、味噌からクラッカー、のしズルメ、キャラメル、コーヒーにいたるまで、すべての食料品と用具を共同備品として提供することで合意した。生き延びるための連帯だった。

さしあたり十日間の逗留を見込み、ただちに三人の食燃料班を組織、献立と分配を一任した。

次に五名から成る行動隊を組織した。水の確保と屋根の雪下ろし、その他緊急時の援護活動がその任務だ。さらに三人の整備員を選び、小屋の保全を一任した。医療班はいうまでもなく医者が組織した。

 医療班を除く選出は、すべてクジ引で行った。カメラマンは行動隊員のクジを引いた。医者を援護する看護人が二人、推薦で選ばれた。医療班はただちに全員から薬品を集め、詳細な目録を作成し、カメラマンの提供したアタックザックにそれらを収納した。ザックには緑色のマジックインクで大きく十字を書き、だれからもすぐ見える小屋中央の柱に釘を打って掛けた。

 だれかが冗談まじりに大本営も必要だといった。全員が名案だと拍手喝采した。ただちに各パーティーのリーダーが作戦司令部を組織した。天気の推移を常時追跡し、正確な下山予定をたてることが任務だ。さらに不測の事態が生じた場合には司令部の決定に従うことを、全員一致で了承した。

 こうしていのこり組と下山組に別れたひとたちが、期せずして強い連帯感を絆に団結しあうことになったのだが、医療班長である医者には当初から一つの危惧があった。

 ひとはすべてのことにすぐ慣れてしまう。生死の境で遭遇するひとたちの連帯も、必ず時間と共に風化していくはずだ。逗留が数日でおわるか数十日になるか分からない。これから先、共同体の心理的安定が不可欠だ。どんな些細なことでも感情的な衝突は避けるべきだろう。みな、一度は助かった身だが、同じ事が二度あるとは限らない。肝心なことは安全な下山予測とその実行だ。判断を狂わすようなことがあってはならない。

「そこで一つ提案があるのですが」

 パン数切れにチーズ、それに紅茶と干肉の簡単な夕食を済まし、ほぼ全員の寝支度が整った頃、医者がみなの注意を喚起していった。

「つまり、いまの私たちに一番起こりやすい病的症状は、不眠という現象だと思うわけでして…」

 医者は説明した。

 いま自分たちがおかれている状況は異常で、その分不安も多く、また気晴らしをする手段はほぼ皆無といっていい。その上、身体を動かす空間も非常に限られており、狭い場所に大勢押し込まれている。健康的な精神の営みに必要な最低限の他人との距離も保てない状態だ。そのような場合、無意識に互いの心理を圧迫しあい、その結果自立神経の正常な働きが阻害されバランスが崩れる恐れがある。一般に自律神経失調症といわれるもので、症状としては食欲不振、下痢、不眠症などがその端的な例だ。酒類が潤沢にあれば多少楽観はできるものの、実際にはわずかな量で、飲めないひとも中にはいる。数日後に下山できることが確実なら問題ないが、そうとは限らない。数十日後になる可能性もあり、最も重要な下山計画の検討に悪影響を及ぼしかねない。やるべきことは、したがって、いまのうちから手を打っておくことだ。

「そこでこういう事を考えついたのですが」

 医者は続けた。

夜眠れなくなるといけないので昼寝は絶対しないこと。時間に体を慣れさせるためと燃料の節約のため、消灯時間は厳守。その上で、消灯後に、毎日一人ずつ順番に話をして聞かせることにすればどうか。母親が話を聞かせてやればこどもはすぐに眠ってしまう。ひとの話す声は聞くひとの心を和らげ安心させ、結果的に安眠につながることになる。したがって、この提案は問題の不眠を避けるための最良の方法と考えるが、どうだろうか…。

「内容はなんでもいいんです」

 みなの反応を伺いながら医者がいった。

「自己紹介でも、子供の頃の思い出でも、文明批判でも、イタ・セクス・アリスでも、まったくのつくり話でも、なんでもいいんです。ちょうど、ほら、あの千夜一夜で毎晩話して聞かせるでしょう、あの世界ですよ」

 そしてこう付け加えた。

「もっとも、悶々として眠れなくなるような内容の話では、逆効果になるかもしれませんがね」

 医者の提案に対する反応は、しかし、鈍かった。大のおとなを相手にお話しもないものだ。また気恥ずかしくてできるものでもない。ただひとがやる分には反対する理由はなかった。自分を安全圏において考えれば、医者の提案にもなるほどと頷けるものがある。

 医者はその辺りのことを十分承知していた。

「では、今夜はまず、いいだしっぺのぼくから、話すことにしましょうか」

 医者が食燃料班に消灯を促した。ほのかなランプの明かりが深い闇のなかに吸い込まれて消えたあと、ゆったりとした調子で医者が話しはじめた。

                   第1話 白い犬


 いい気になってつい最初に話さなければならない羽目に陥ってしまったわけですが、はたしてなにを話していいものやら実はよく分からなくて、戸惑っているのが正直なところです。

 私は東京都内のある地区で小さな病院を営んでいる医者です。科目は産婦人科ですが、大なり小なり、治療は全分野に係わらざるをえません。いってみれば、地区住民の小さいときからのかかりつけの医者、といったところでしょうか。

 ところで、毎日おおぜいいらっしゃる患者さんを通していえることは、肉体面での治療を行うまえに精神的な、つまり、心の治療をまず行った方がいいのではないかと思われるような方々が、最近特に多くいらっしゃるということです。

 たとえばここにひとりの妊婦の方が腹痛を感じて来院なさったとします。たいていの場合、食べ過ぎ、飲み過ぎ、食当たり、神経性の胃炎といった類の、直接胎児とはなんの関係もない要素が原因になっていることがほとんどなのですが、必ずといっていいほど、胎児になにか悪いことがおこったものと、固く信じ込んでいらっしゃる。医者の仕事は、まずこの思い込みを崩していくことから始まるのです。

 こんな方がいらっしゃいました。妊娠六カ月くらいのご婦人で最初のお子さんでしたが、ある日自宅の庭で水をまいていて、不注意で足下に寝そべっていた犬の尻尾を踏んづけてしまったのです。その犬は半年まえにご主人が知人からもらってきた一才の芝犬の雄で、まだご婦人にはあまり慣れていなかったのでしょうか、いきなり彼女の足首に噛みついてしまったのです。

 痛みと驚きにそのご婦人、蛇口を締めるのも忘れて大急ぎで私のところへとんでこられました。診ると、犬も相当びっくりしたのでしょう、ちょうどくるぶしの両側を挟むようなかっこうで、かなり強く噛みついていました。とても一才の犬とは思えないほどの、深い傷でした。白い華奢な足首の内側には真っ青な牙の跡がふたつ、まるで太いトゲが突き刺さりでもしたかのように、皮膚の表面を破いて骨の当たりまで届いていました。血は止まっていましたが、内出血がひどく、関節全体が赤黒く腫れあがっていました。その痛々しい様に私はつい、これはひどい、さぞ痛いでしょう、といってしまったのです。

 みなさんにもご経験がおありでしょうが、病気やケガをしたときには、多分に他人の同情を期待してしまうものです。自分の病や傷みを訴え、聞いてくれるひとが欲しいのです。

 しかし医者は、残念ながら安易には同情できません。患者の病や傷み、またその原因を当人以上に分かっていても、それを隠さなければならないのがつらいところなのです。なぜなら、自分の病や傷みを医者が認めたということで、患者さん自身が、実際のなん倍も重くとってしまうことが、よくあるからです。

 この犬にかまれたご婦人も、例外ではありませんでした。医者の本分を忘れ迂闊にも、これはひどい、とつい口に出してしまったものですから、もうすっかり悲観してしまい、おなかの子に取り返しのつかないことをしたと思い込んでしまったのです。

 ご婦人はまず狂犬病だと疑いました。狂犬病の犬はすぐひとに噛みつくからまちがいない、早く血清を打ってくれ、というわけです。問い質せばちゃんと保健所で予防接種を受けているにもかかわらずです。説明して不安を取り除くよう努力しました。すると今度は、傷みがひどいので破傷風ではないか、と心配しはじめました。犬はよく土をなめているので口のなかは破傷風菌だらけだというわけです。これも血清を要求されましたが、色々な事例を上げてなんとか説得することに成功しました。しかし、最後にとうとう、犬のような子がうまれると可愛そうだから堕胎したいと思うがどうかと、真顔で意見を聞かれたときには、さすがの私も唖然として二の句が告げませんでした。思いこんだひとがよく陥る罠とでもいうのでしょうか。

 けれども、このご婦人を無知な方だと嘲笑することは決してできないと思います。無知どころか、実際には大変な勉強家で知識も広く、失礼な言い方かもしれませんが、申し分のない良識と母性愛を備えた方だったのです。そのようなひとでも、いやかえってそのようなひとだからこそ、他人が不注意に洩らした一言が原因で、あっというまにバランスを崩してしまうことがあるのですね。

 さいわいご婦人はすぐバランスを取り戻し、立派な男の子を出産なさって、いまは幸福の絶頂にいらっしゃいます。ただ翌日の朝まで水道の蛇口を締め忘れていたため、目玉が飛び出るくらいの水道料金を払わされたと、ぼやいてらっしゃいましたがね。

 ところでこの提案をしたとき、正直なところ、このピッケルの白蛇のいわれでも話そうかと思っていたのですが、考えてみればとても縁起の悪い話で、いまの私たちには向いていないことに気がつきました。それより、たったいま、偶然犬のことを話しているうちに思い出したことがあります。その話でもしてみましょうか。聞いていてつまらないと思ったらしめたもの。安らかに眠れる前兆というわけです。

 さて、みなさんのご郷里には氏神様が祀られていたでしょうか。

 私の郷里は島根県のある寒村ですが、そこに犬穴神社という神社があり、犬の神様が祀られていました。犬の穴と書いてイノウと読ませるのですが、意味は良く分かりません。

 私の通っていた小学校の運動場の裏手におワンを伏せたような小高い岡があって、こどもの目には深々とした森にも見える松林のなかを参道に沿って麓から登りつめると、急に広々とした、それは立派な境内に出ることができました。それが犬穴神社の境内です。

 入口には巨木を巧みに組んだ鳥居がデンと控えていて、それを潜ってなかに入るのです。突き当たりにはひとがなん十人入ってもまだ余裕があるような大きな社があり、そのまえに鋭い目付きをした小柄な犬が、不動の姿勢で守りを固めていました。首に赤い小さなまえ垂れを掛けていましたが、首から顎にかけて、数え切れないひとが撫でていった跡なのでしょう、粗いはずの石の表面が黒光りするほど滑らかになって、いつもつやつや光っていました。

 社の裏側、つまり小学校の運動場から見て反対側になるところに一ケ所、表の眺めからは想像もできない崖になっているところがあって、参詣人がまちがって落ちることがないよう、頑丈な鉄柵が設けられていました。しかしその場所が、こどもたちには恰好の遊び場だったのです。私たちは鉄柵を乗り越えては、よく崖を滑り下りたりよじ登ったりしたものでした。崖はわんぱく盛りのこどもたちにお誂えむきの、アマゾンやアフリカのジャングルにも似た、険しく冒険に満ちた野性の地を提供してくれたのです。しかも崖の下には級づけして呼べるほどの河川ではなかったけれど、けっこう深くて流れの速い川さえあったのです。川縁には漆や猿滑りの木々がそこここに立ち並び、雑草がジュウタンのように生い茂っていました。その川の名前も、やはり、犬穴川─イノウガワ─といったのです。

  あれはちょうど私が小学校の六年生のときでした。村には年に一度、氏神様に供物を納める祭りがあり、犬穴神社の境内で厳かに奉納の儀式が行われることになっていました。夏の暑いさかり、植えた苗がちょうどこどもの膝下の大きさくらいに成長するころのことでした。

  話の発端はこういうことなのです。

 氏子総代の子だったからか、なにか他に理由があったのか、よく分かりませんが、なぜかその年の氏神祭の稚児長、ちごおさ、に私が選ばれてしまったのです。そのころ、毎年催される祭礼に村の童衆から十数人の稚児が選ばれ、祭礼の式次第で重要な役割を演じることになっていました。なかでも稚児長の存在は非常に重要で、儀式のクライマックスともいうべき供物を神前に奉納する大役を、おおぜいの氏子のまえで演じなければなりませんでした。

 儀式はこんな風にとり行われました。

 まず前準備です。広い境内のほぼ真ん中あたりに穴を掘り、一才半から二才くらいのまだ成長しきっていない犬、それも汚れ一つない真っ白い犬を、首だけ出してまず埋めるのです。身動きできなくなった犬は唯一自由になる首を遮二無二振って穴から出ようともがきます。出られるわけがありません。でも犬は、悲痛な吠え声をあげながらひたすらもがき続けます。そんな犬の鼻先にこんどは、椎の葉を敷き詰め、上に玄米のにぎり飯を置きます。そのとき、あとで分かりますが、食べ物と犬の首との距離を、とりわけ念入りに計らなければなりません。埋められた犬こそとんだ迷惑というものです。いっそ頭までまるごと埋めてくれれば諦めもつくでしょうが、わざわざ首だけ動くようにして、届きそうで、どうあがいても絶対届かないところにエサをちらつかせられるのですから、いくら神事とはいえ、人間なんて実に意地の悪いことを考えつくものですよ。

 さてこの前準備は、ちょうど祭礼が催される日の三日まえの早朝、日の出とともに行われます。いってみれば、儀式を成功させるための重要な導入部で、氏子のなかから選ばれた若い衆数人と神主の、ごくかぎられたひとたちによって入念に行われます。本番を神秘と豊穰への予感のうちにおわらせるための演出、とでもいうのでしょうか。儀式のでき不できはこの段取り次第、といってもいい過ぎではありません。

 こうして埋められた犬は三日後の儀式の当日まで、目のまえのエサにありつこうと全精力をそれに集中させます。この飢えを満たしたい欲望が研ぎ澄まされていくなかで、犬が犬自身の限界を越えようとする精力の塊に変身していくのです。やがて犬の体力が果てる間際、その精力が頂点に達し、犬を越えようとするちょうどそのとき、儀式はクライマックスを迎えなければなりません。一つの生が与え得る精力の極みをわれら人々の手にしようとするのが、この儀式の本来の目的なのですから。

 さて、いよいよ祭礼の当日です。稚児長と稚児たちは三日目の未明に犬穴神社の社務所に詰め、日の出とともに始まる儀式に備えなければなりません。朱と白のコントラストも鮮やかな稚児装束に身を包みます。辺りは絹の匂いと衣擦れの音でいっぱいになります。

 足には舟形の木靴を履きます。本当は裸足のままなのですが、自分の足にあう木靴にはまずお目にかかれないため、たいていは軍足か足袋を履くのが普通でした。頭には烏帽子に似た冠を頂き、顎の下に紐を回して結わえます。

 犬はといいますと、それまで三日三晩、耐えに耐え、ほぼ体力の限界に達したのでしょうか、首を支える余力はすでに無く、頭はどの方向にもだらりと倒れ、目は空をみつめたまま、まさに瀕死の状態です。喉も壊れてしまったのでしょう、ただゼーゼーと、空気が通過する音しか聞こえてきません。いくら神様に捧げる儀式といっても、見ていて哀れそのもの。しかし、ひとから一方的に託された神聖な役を立派に果たしおえるまでは、犬はまだ死ぬに死ねないのです。

 社務所から出ると、社から犬が埋められている穴まで朱色の長い布を敷き詰めた一本の道ができていました。夜明けの境内にはすでに楽士たちがきていました。彼らは、朱色の道を挟んでいく人かずつ集団を作って座し、あるものは立ち、厳かに笛を吹き、几帳面に鐘を鳴らし、大仰に太鼓を叩いていました。その楽に合わせ私たちは太刀人、神主、稚児長、そして稚児の順に社の正面に回り、そこから犬穴まで朱色の道をゆっくりと直進していきます。鳥たちもにぎやかな声で楽にあわせて歌い出し、夜明けの最後のなごりが日の明かりのなかに吸いとられて消えるころ、境内はいつのまにかおおぜいの氏子たちで一杯になっていました。

 犬穴に着くと、勇ましい姿の太刀人だけが穴の向こう側に回り、太刀鞘に手をかけ片膝を突いた姿勢で座ります。一方、神主は犬のまえで恭しく一礼するや、おもむろに御弊を振り祝詞を上げ始めます。いま思い出してもぞっとするほど神がかったものでした。時間にして多分半時間くらいは続いたでしょうか、その間稚児たちは、じっと神主の後ろに立ってそれを聴いていなければなりませんでした。

 神主の祝詞が始まると、がらりと楽の調子が変わりました。すると、飢えと渇きと疲労で息も絶え絶えの犬が、また悲痛な吠え声を上げ、最後の力を振り絞ってエサに噛みつこうともがき始めたのです。まるで亡霊が再びこの世に生を受け、舞い戻ってきたような様でした。祝詞は計算されたような正確さで徐々に調子を上げ、息を吹き返した犬をどんどん追いたてながら、だんだん激しい抑揚に変わってゆきます。大きなうねりが次から次と押し寄せ、世の中全体がゆらゆらと大きく揺れているようでした。それにともなって、楽も徐々に大きく、荘厳になってゆきました。笛はきらびやかな音色のなかに悲痛ささえ漂わせ、鐘の音はますます速く的確な拍子を打ち、太鼓は大きく力強く、地の奥から届く地神の唸り声のようになっていきました。それはまるで瀕死の生に精気を吹き込み、責め立て、ぎりぎりまで追いつめ、生の持つ一切のもの、いやそれ以上のものを生贄として奉じさせずにはおかない神々の強い意志が、祭人に乗り移ったかのような光景でした。

 圧倒的な祝詞と楽のせめぎ合いのなかで私は、体じゅうカッカと熱てらせていながら、実は全身でぶるぶる震え、必死で小便を我慢していたのでした。と同時に、最後の瞬間が刻々と近づいてくるのを感じてもいました。そして責め立てられる犬を必死の思いで見つめていたのです。そのうち、犬と自分の区別がつかなくなってきました。こうして責め立てられているのは犬ではなく、本当は自分ではないのかと思い始めたのです。
 私はもう恐ろしくなって逃げ帰りたい衝動にかられました。でも犬から目を離すことは決してできませんでした。カッと目を見開いた犬は、乾ききった喉を鳴らし、猛烈な勢いで頭を突き出してはエサに食いつこうとしていました。それは苦悩のあまり白一色に変身した老クマゲラそのものでした。そんな犬を祝詞と楽の大波が容赦なく、これでもかこれでもかと追い立ててゆきます。
 と、そのときでした。さっと、犬の首の当たりを鋭い閃光が過ったかと思うと、次の瞬間には犬の首が大地を離れ、浅ましい音を立て玄米飯の塊に食いついたのです。そして首の消えた地面からは真っ赤な血が噴水のように、空に向かってほとばしり出たのでした。太刀人が目にも止まらぬ速さで太刀を抜き、一刀両断に犬の首をはねたのです。すべてはあっと言う間の出来事でした。

 冷え冷えとした静寂のなかで私は金縛りにあったように、切り離された犬の首から目を離すことができないでいました。それは椎の葉の上に無残に転がっていました。死を賭してやっと得たはずのエサが、吐き戻した残飯のように剥き出しの牙の間から外へこぼれ落ちていました。頬はこけ、痩せて小さくなった頭は、裏の崖下に転がっているどんな石ころよりも貧相に見えました。ただカッと見開かれた両目だけはまだらんらんと精気を漂わせ、神主の後ろで動けなくなった私をじっと睨みつけていました。そして黒い瞳の奥からしきりにこう訴えていました、みんなオマエのせいなんだぞ…と。

「速うせいッ!」

 茫然自失の私を追い立てるように神主が広い背中で叫びました。ハッと気がつくと、切り離された白い頭がみるみる朱に染まっていくところでした。そこで私はやっと自分の番がきたことを悟りました。反射的に神主のまえに走り出た私は、しゃがみ込んで犬の脇に用意された純白の杯を取り上げ、両手で一度頭上に拝してから椎の葉の上に置き、これも用意された先端にかすかな凹みのある細長い木べらで真っ赤な血を掬いとり、二度杯に運んで満たしました。
 すべて事前に練習した通りでした。違っているのは水の代わりに本物の血をすくっていること、へらの先から生温かい血の感触が指先まで伝わってくること、この二つでした。犬の目を見ることはできませんでした。見るとすべてがおわりになってしまう気がして恐ろしかったのです。
 
そのときでした。社の裏の方からそれは爽やかな風が吹いてきたのです。急に私は幸せになりました。与えられた大役を無事におえた喜びで一杯でした。体じゅうに力が湧いてきました。そして明日から頑張ろうと決心したのでした。

 ところが次の瞬間、とても暗い気持ちに突き落とされました。杯のなかの赤い血が生々しい臭いを放ったのです。その臭いは風に誘われ鼻を通って胃の奥まで届いてきました。吐きそうになりました。まといつくような、執拗な臭いでした。鼻をつめ息をのみました。するとまた、爽やかな風が吹いていい気持ちになりました。そんな風に私は、爽やかな喜びと不快な吐き気を交互に感じながら、きらきらとまばゆい朝日のなかで自分の運命を、生まれてから死ぬまでの一部始終を、見届けたような気がしていたのでした。
 とても不思議な体験でした。そしてなぜかこうも確信したのです。私とあの犬とは死ぬまで一心同体なのだと…。

 え、変な話ですって?

 無理もありません。おっしゃるとおりです。私だって馬鹿げたことだと思っていたのです。でも、この続きをお聞きになれば、多分、なるほどと思われるに違いないでしょう、きっと。

 その後、中学に進学した私は水泳に夢中になりました。犬穴川で泳いだ日々、楽しかった時間、冷たかった水の感触、身を任せれば世界の果てまでも泳いでいけそうなあの早い水の流れ、それらすべてが忘れられなかったからです。

 スポーツと勉学に夢中になっていた間、犬穴神社での出来事や、犬と一心同体だと思った不思議な体験のことなど、まったく忘れていました。おっしゃるように、よほどの変人でないかぎり、大きくなるにつれ知識や分別は身についていくもの。小説ならいざ知らず、犬でもひとでも一心同体などあり得るはずもありません。だからそれらのことは、虚実を自由に往来できる豊穰多感な幼児期体験の一つとして、脳裏にファイルされ、ノスタルジーという心回路を経てしか記憶の磁場に呼び戻されることはなかったのです。

 ところが、中学三年生の夏のことでした。例年にない勢いで地区予選を勝ち進んできたわが校水泳部は、秋の全国大会出場をめざし、厳しくも意欲的な夏期合宿に入っていました。

 普通三年生になると上級校への進学準備もあり、遅くても三学年の六月には実質的な部活動はおえ、公式戦には出ないことになっていました。しかしその年、勝ちに次ぐ勝ちに期待はふくらむ一方、止めるどころの話ではなかったのです。勝利のたびにいやがおうでも士気は高まっていきました。三年生を送る会など話題の端にものぼりません。勝てよ泳げよの毎日でした。
 ただこれにはそれなりのわけがあって、私の出た二百メートルメドレー・リレーなど、三年生が抜けると競技として成り立たなくなる種目があったのです。わが校水泳部員の数はそれほど少なかったというわけです。止めたくても止められないのがその年の三年生の実情でした。

 合宿は、しかし、素晴らしいものでした。午前と午後に一万ずつ、日に合計二万泳ぎ、それぞれ最後に百のタイムを計ります。合宿に入って二日経ったころから記録が伸び始め、三日目には午前の記録をその日の午後にはもう更新するといった調子でした。当時は現在のように精度の高い計測器はなく、アナログのストップウォッチを使っていたのですが、タイム担当の主任兼監督の先生の言によれば、時計が壊れたので修理に出そうと本気で思ったくらいだったとか。特に私の出た二百メドレーの伸びは抜群で、五日目、六日目の午前午後と、四人のうちのだれかは必ずタイムを上げていました。
 みなで、おまえの背中には氏神様がついとるぞ、と冗談に言い合ったものでした。

 ところが、その冗談が現実となって私の身に起こったのです。

 それは合宿最後の六日目の事ことでした。私には小学校一年から中三までずっと同級で、しかも同じ水泳部に入り、その上種目まで同じという幼ともだちが一人いました。由緒ある酒問屋の息子で名前は達夫といいましたが、みな、彼のことをダボと呼んでいました。ダボハゼのダボです。とにかく小さいときから体が大きく、六年のおわりでもう百七十センチに届く上背で体重もありましたから、無理もありません。中三で私と同じ二百メドレーを泳ぐころには、既に百八十に近い大男になっていました。彼はスタートの背泳で私はアンカーのクロールでした。
 私は中学で彼と水泳部に入ったとき、上級生からコハゼと命名されました。同じ小学校からきたダボハゼより小粒だったのでコハゼとなったのです。それも半年後にはハゼコとひっくり返り、さらにゼコと短縮され、以来ずっとゼコと呼ばれるようになっていました。

「おい、ゼコ」

 合宿明けも明日にひかえた最後の夜、夕食がおわるや待ち構えていたようにダボが私にすり寄っていいました。

「なんや、ダボ?」
「最後の晩や、飲みにいこ」
「飲みに?!」

 ダボが当時、いや小学校のころから、もう酒を飲んでいたという話はよく聞いていました。どうせウソだろうと思っていましたが、いま本人の口から聞いたので、びっくりしたのです。

「おまえ、やっぱり飲んどったんか?」

 私は咎めるように聞き返しました。ダボは、どっちでもええやないか、といわんばかりに首を横に振り、二、三度当たりを窺ってから、こういって私を急がせました。

「おもろい酒持ってきた、早ういってみんなで飲も!」

 月明かりに照らし出されたプールサイドには二百メドレーの他のメンバー、パサリとドマッチョが既にいて、私たちがくるのを待っていました。二人とも中学で知り合ったともだちです。
 パサリは同じ中学に勤める美術の先生の息子で、ヒョロリと背が高く、二番のバタフライ。手足がグローブや足ヒレみたいに大きいのが印象的でした。ドマッチョは自転車屋の息子で三番のブレスト、背は私と同じくらい低い子でしたが胸板が厚く、五十メートルを軽く潜水できる肺活量に恵まれていました。二人のあだ名の由来は、分かりません。しかしなぜか本人たちにピッタリしたものでした。

 四人は飛び込み台近くに円くなって座りました。座るが早いかダボが胸元から一本の透き通ったビンをヌッと、みなのまえに差し出していったのです。

「ほーれ、テキーラちゅう酒だーで!」
「テキーラ?!」
「どこの酒だー?」
「聞いたこともにゃーぞ、日本のかいな?」
「いんや、アメリカだーに」

 みな、それぞれ、疑問を口に出していいました。

「メキシコのだーで!」

 ダボが得意顔でいいました。実家の酒問屋が卸している県内小売業者の一軒が、見聞を広めるため県飲食店組合が組織した見学旅行で東京に行った際、銀座というところで土産に買ってきたものだというのです。

「父さん、こんなもん飲むから日本は堕落した、いうて、もろた後すぐタタミに放りよったもんな。ほんならワシもらうイうて、もろてきた」

 いいおわるが早いかギリギリッと栓を切り、ダボがまずゴックンと音をたてラッパ飲みしました。堰を切ったように他の三人も、先を争ってゴックン、ゴックンやり始めました。もうだれも止めることはできません。奪い取ったビンを口に運ぶたびにツーンと酒気が鼻を突き、のどがカーッと焼け、胃のなかがひっくり返り、体じゅうが火のように熱く燃え上がってゆきます。そのうち見える物みな急に重みをなくして宙に浮き上がりました。上を見れば上に、下を見れば下に、それらはつられて動き、左右を見れば回転木馬に乗ったようにグルグル回り出し、目を移すたびに世の中全体が、回ったり揺れたりするようになっていきました。そしてとうとう、空っぽのビンを逆さに振っていたダポがドタリと大の字で後ろ向けにひっくり返ると、それを見て他の三人も、バタリ、バタリ、つられるように倒れていきました。無理もありません。四人で四五度のテキーラを一本空けてしまったのですから。病気にならなかったのが不思議なくらいです、いま考えてみても。

 さて、どれくらい時間が経ってからでしょうか。

 遠くの方でだれかが呼んでいるような気がして、ふと目が覚めました。沢山の虫がまるで耳もとで鳴いているように賑やかでした。プールサイドにはもうだれもいません。みな寝にいったのでしょう。遠くで犬の吠え声が聞こえていました。

 日中の熱を失った敷石はひやりとするほど冷えていました。丸い月を頂く高い夜空には数知れない星たちが輝いています。真夏の屋外プールなのに、なぜかガランとして寒々していました。陰にこもった犬の遠吠えが妙にしつこく感じられました。
 起き上がろうとしましたが、だめでした。腰が抜けてしまったようです。めまいは軽くなっていましたが、頭痛は一層ひどく、両方のこめかみがズッキン、ズッキン、音を立てていました。

<クソッ、もう酒なんか絶対にのまんぞ!>

 歯ぎしりしながら私は飛び込み台まで這っていき、頭から水中にゆっくりと体を滑り込ませました。深夜のプールの水はひやりと冷たく、ほてってカラカラに乾いた体をなだめ、潤してくれました。

<泳いだろ!>

ランニングシャツをプールサイドに放り投げ、水中でクルリとトンボ返りを打って両足でプールの側壁を軽くけると、真っ直ぐに伸びた体が密度の高い流体中を小気味よいスピードで突き進んでゆきました。吐く息が鼻からゴボゴボ勢いよく音を立てて出てゆきます。とたんに競技で競り合いながらターンするときのあの快感がよみがえってきました。急に嬉しくなり、数回水をかいてやると、ヘソの下で太い水の流れができてきました。後はそれに乗ってスピードをつけていくだけです。両腕を大きく回転させ、さらにバタ足をきかせ、かいた水の流れに積極的に乗ってゆけばよいのです。スピードに乗るにつれ体がグングン軽くなり、水をかくほどに、足を打つほどに、分厚い水流が、まるで真綿のフトンのように、優しくしなやかに下から体を支えてくれるのです。後はもう、息が切れるまで、力が尽きるまで、体を動かすだけでした。身も心も納得し、水の流れにすべてが還元されてしまうまで…。

 余談になりますが、現在ではあたりまえのクィックターン、通称トンボ返りターンは、当時まだ国際競技にも登場していませんでした。ところが私とダボにはとても簡単な技術だったのです。なにしろ犬穴川の急流で泳ぎ回った二人にすれば、水中で回転して岩々をクリヤーすることなど、屁でもない遊びのひとつだったのですから。ただ残念なことに、まだ体育連盟が認めていなかったので公式戦には使えませんでした。しかし練習には思う存分利用していたのです。自慢するわけではありませんが、おそらくその当時、山中やローズさえ手付きターンの時代に、トンボ返りで泳いでいたのは日本でも私たち二人くらいのものではなかったでしょうか。      

 さて、泳ぎ始めて三キロも行ったかなと思った頃、一往復でトンボ返りするごとに水面で足の先に軽く触るものがあることに気がついたのです。だれもいないはずの上に何かいるのです。最初はあまり気にしなかったのですが、さらに三00、四00と泳ぐうち、今度は半往復のターンでもおなじようなものが足に触るようになりだしたのです。

<なんやろ?>

 当時、学校はおろかプールにも垣根などなかった時代ですから、守衛などという気のきいたものはいなかったし、ましてそんな時間にプールサイドを散歩するような物好きもいないでしょう。私はだんだん気味が悪くなってきました。それも、初めは固く乾いたコンと足先に当たるような感触だったのが、だんだん柔らかく粘りのあるものに変わってきたのです。それが五キロ過ぎる頃には生温かくてヌラリとした感触に変わり、さらにしばらくして尖った何かで引っかかれるような痛みさえ感じるようになってきました。

<なんやちゅうんや?>

 私はだんだん怖くなってきました。泳ぎを止めて確かめればいいのですが、反対にスピードが上がってゆきました。逃げ出したい気持ちにかられていたからです。せめて手突きターンに代えればその正体をチラリとでも見ることができたでしょうに、それすら怖くてできませんでした。とてつもなく恐ろしいものを見てしまうような気がして、見たい気持ちとは裏腹に、身を隠すように泳ぎのなかに没頭していったのでした。

 そのうち、プールの両側にもなにかいることに気がつき始めました。顔を右側に上げて息をするのが私の癖ですが、そのたびに白っぽい固体が目の端を過るのです。最初はまばらで数えるくらいのものでしたが、次第に頻繁に目につくようになり、やがていつもの練習量を越す頃には、息を吸うたびに相当数の生き物らしいものがプールの両側を右往左往しているのがはっきり認められるようになってきたのです。

 もう怖がっている場合ではありません。白いのや黒いのや、沢山の動物かなにかがプールサイドに集結しているのです。泳いでいる私をどうにかしようとしているのでしょうか。それとも、このプールが周辺に生息する生き物たちの恰好の水飲み場にでもなっていたのでしょうか。どっちにしてもなんとかしなければなりません。

 <イヌ? キツネ? テン? それともサルか?…>

 私は迷いながらなお数百メートル泳ぎ続けました。

 さて、これでおわりにしようと意を決して最後のトンボ返りを打とうとしたとき、一瞬、空を過る太刀の閃光がサッと脳裏をかすめたのです。同時にほとばしる鮮血と共に純白の犬の首が宙を飛び、朱に染まりながらドタリと音をたて地面に落ちました。その情景は余りに生々しく、音を伴い、匂いさえ漂わせていたので、いま泳いでいるところがプールなのか犬穴川なのか、それさえ区別できなくなるほど、私は強い錯覚に捕らわれていたのです。そして、とうとうあの犬がやってきたのだと直観したのです。

 私はトンボ返りを中途で止め、潜ったまま静かに方向転換し、潜水でプールのなか程まで泳ぎ着くと、そっと水面から顔だけ出し、飛び込み台の方を見やりました。

 真昼のように明るい月の下で私が見たものは、直観どおりのものでした。数しれない犬たちに混じって、しなやかな肢体を純白の艶やかな毛で覆った一頭の犬が、第三コースの飛び込み台に両前足をかけ、雄々しい姿態でじっとこちらを見つめていたのです。あの犬はやはりやってきたのでした。そして、半ば水に漬かりかけた私の耳に、あのときに聞いたあの言葉が、ありありと聞こえてきたのです。

<みんなオマエのせいなんだぞ…>

 途端にプールの方々で水しぶきが上がりました。そこらじゅうで沢山の犬が一度に飛び込んだのです。

<わしのせいやない! 助けて! わしのせいやないちゅうに!>

 私は何度も叫びましたが、言葉になりませんでした。まるでとりもちが舌一杯にからみついているようでした。それでも助けを求め必死で叫び続けました。けれど、そんなことにはお構いなく、水しぶきは四方八方からすごい速さで、もうそこまで迫っていました。追い詰められた私は、しかし、にわかにわれを取り戻すと、胸一杯息を吸い込み、水のなかに潜りました。そしてプールの底から見上げたのです。すると、いましがた自分のいた場所でもう犬たちが激しくぶつかり合い、絡み合っているのが見えました。ぞっとする光景でした。

 私はできるだけ深く潜ったまま、飛び込み台と反対の方へ潜水して行きました。そのまま気がつかれなければ、ひょっとしたら逃げられるかもしれない。上に出ればこちらのものだ。なぜなら、水に入った分だけ犬の数は減っているはずだから。

 反対側にたどりつくと、息が切れそうになるまで上の様子をじっと観察しました。
 息が切れる寸前でした。飛び込んでくる犬の気配がなくなったのです。そのことは、ほんどの犬が水に飛び込んだことを示していました。水面を見上げると、あらまし犬たちで覆い尽くされていました。まだ盛んに水しぶきを上げながら、ぶつかりあい絡み合っています。水際の犬のいない隙を突いて上に行けさえすれば、うまく逃げられるかもしれません。

<いまやッ>

 最後の息に弾みをつけた私は、その勢いを借りて水際の隙を突き、両腕で力一杯懸垂、一挙にプールサイドを奪還したのです。いや、しようと思ったのです。ところが、いつのまにか一頭の犬が私の背後に迫っていたのでした。そして水から出ようとする私の尻めがけ、やにわに食いついてきたのです。

 当然のことながら、私はパンツしか履いていませんでした。そのパンツに犬は易々と牙をひっかけました。上がろうとする私、水中に引きずり込もうとする犬…悲惨な格闘がしばらく続きました。そしてとうとう、ビリビリッと音がして、私は敷石に勢いよく転がってしまいました。犬の鋭い牙がパンツを食いちぎってしまったからでした。

<しめたッ>

 これで助かったと思った私は、丸だしの尻のことなどお構いなく、大急ぎで逃げようと思いました。早くダボや、みなのところへ行って思い切り眠ろう。気が焦りました。

 と、そのときでした。敷石に手をついて立ち上がろうとしたとき、なにかに頭を思い切りぶつけてしまったのです。

<イタッ!>

 思わず叫んで目を上げると、なんとそこに、あの白い犬が立ちはだかっているではありませんか。

<ウッ…>

 あまりの驚きに声も出ませんでした。腰も抜けてしまいました。どうして私がそこにくるのが分かったのでしょうか。なんとか悟られないようにと、あれだけ長い間潜っていたのです。少なくともその間、私の姿は見えなかったはずなのです。なのに、まるで待ち構えていたように私の真ん前に出てくるなんて。犬神様のことなんか心のどこかでは迷信だと思ってたのに、やっぱりこの白い犬には神様が宿っているのかもしれない。もしそれが本当だとしたら、予感や直観は錯覚でも幻想でもなく、まして夢でもなく、正真正銘、本当のできごとだったんだ…。

 私は急いで逃げようと思いました。けれど体がいうことを聞きません。膝を立てようとしましたが重しを置かれたようにピクリとも動きません。そのまま四つんばいでいるのがやっとでした。そんな私を白い犬は、じっと見ていました。逃げも隠れもできないことが分かったからでしょうか、それとも獲物をわが手にした落ち着きからでしょうか、とても満足げで柔和なまなざしでした。

 突然、白い犬が一つ大きく吠えました。その声は高らかに深夜のプールサイドにこだましました。すると水中でぶつかり合いもつれ合っていた犬たちが見る見るうちに陸に上がり、潮が引いていくように遠い闇のなかに音もなく消えていきました。私は魔法にでもかけられたような気持ちで、その光景を眺めていました。これがウソでなくて何だろう。もしこれが本当なら、やはりこの白い犬は神様で、あの犬たちの支配者に違いない。闇のなかを抜けて消えてゆく犬たちの気配を追いながら、神々が戯れに作りたもうたからくりに足を取られてゆく自分の姿を、私は不思議な冷静さで眺めていたのでした。

 こうして私と白い犬は、たったふたりきりで月明かりの敷石の上にとりのこされたのでした。

 やがて、一度大きく首を振り上げた彼は、私の額をそっとなめようとしました。思いもつかない彼の仕種に驚いた私は、顔をそむけ、それを拒否する態度をしました。

<ウーッ>

 怒ったのでしょうか。彼はやにわに私の首を横から口に挟み鋭い牙を立ててきました。そのまま噛まれたらひとたまりもありません。のど仏にグサリと突き刺さりでもしたらおしまいです。私は諦めて、肘を折り、首を伸ばし、なんとか降参の意を相手に伝える以外、しかたありませんでした。

 二度観念した私は彼のなすがままでした。額から口にかけひとしきりなめまわしていた彼は、今度は耳や首筋を通って肩、腕、脇の下や背中そして腹と場所を移し、丹念になめていったのです。
 私のなかの怖さはだんだん影をひそめ、それに代わって恥ずかしさが頭をもたげてきました。なにしろ尻丸だしで四つんばいだったのですから。普段なら一秒だってそんな格好でいられるわけがありません。たちまちみなの笑い者にされてしまいます。
 白い犬はお構いなしになめ続けます。その舌はザラリと粗そうでピタッと皮膚に吸い着く、湿った柔らかい感触でした。それが体じゅうのあちこちをまるで生き物のように這っていくのです。そのたびにゾゾッと震えがきて思わず体をくねらせてしまいます。けれど寒くはありませんでした。反対にだんだん熱くほてっていきました。
 やがて彼の舌が腰部を通り尻の割れ目を這って股間をなめ始めたとき、興奮は一挙に高まっていきました。熱い高まりのなかで私は、徐々に影をひそめてゆく羞恥心を取り戻そうとしながら、実は一つの快感を追いかけていたのでした。

 それは、小学校の校庭の登り竹の上にありました。

<オーイ、早う下りてこんかーッ>

 登り竹の下の方で担任の先生が呼んでいました。私はさきほどからそのてっぺんに食らいついて離れようとしませんでした。股の間に細い竹の棒を挟み、自分の重みを手や足に適当に配分して抱きつくと、いつまでもそのままいられるのです。なぜ抱きついたまま下りようとしないのかといえば、ときたま満身の力を込めて尻を思い切りすぼめてやると、とても気持ちがよくなることをよく知っていたからでした。
 尻の穴の回りからモゾモゾしてくすぐったくなるのですが、それをじっと堪えていると、やがて尻の奥深いところから体の芯に向かって、とてもいい気持ちになってくるのです。その芯は浮ついた快感と秘密めいた後ろめたさにつながっていました。もっといい気持になりたいのと、それをひとに見透かされたくない気持ちの板挟みのなかで、小手をかざして遠くを見る振りなどしながら、やはり浮つくような快感から離れられず、もっと強く抱きついてしまうのです。抱きつけば抱きつくほど、しかし、物足りなさが募っていきました。いつしか股間の一部は石のように硬くなっていました。そのうち手足も疲れ体を支えられなくなってしまうのですが、その分落ちないようにもっと強く股を締め尻をすぼめ、今度は硬く膨れた部分を竹棒に擦りつけてやるのです。するとまた一層快感が強くなり、物足りなさも一層募り、もっともっといい気持ちになりたいと思うのです。
 そんな風に、抱きつけば抱きつくほど、益々いい気持ちになり物足りなくなっていくので切りがなく、一旦上に登ってしまうと、なかなか下りてこられないのでした。

 私はそのとき、中学校のプールサイドの敷石の上にいながら、あの小学校の登り竹のてっぺんに体ごと呼び戻されていたのです。白い犬は私の尻の臭いを嗅いではカチカチに充血した股間の一部を、くわえたりなめまわしたりしていました。それは執拗でいて心地好く、荒々しいようで抗えない優しさに満ちていました。手足の先端から体じゅうの力が抜けていくのが分かりました。それに代わって尻の奥深いところから、体ごと浮き上がっていくような快感が、全身にゆき渡っていったのです。あの竹の棒に抱きついているときよりいい気持ちでした。初めて感じる大きな快感でした。自分がどうにかなってしまうのではと、危ない気もしました。しかし、そこから離れようとは一つも思いもしませんでした。ちょうどあのときのように、もっともっとこの快感が強く長持ちしてくれればいいと、私は願っていたのです。

 とたんに彼が後ろから私の上に登ってきました。びっくりして反射的に逃げ出そうとしましたが、彼はすぐ私の首を口にくわえウーッと唸り、熱い燃えるような息を吹きかけ、威嚇したのです。また観念した私は彼に身を任せる以外どうすることもできませんでした。

 その直後に私を襲ったものは、生涯で最もショッキングなできごとだったといわざるをえないでしょう。

 尻の穴を突き抜かれるような痛みを感じたかと思うと、体の真芯を何かに犯されたような、不安で所在のない、けれどとても強い、大きい、そして支配的な快感が全身を駆け巡ったのです。

<ウーッ…>

 私は思わず唸り声を上げていました。息が詰まりそうになりました。奥深くから止めどなく沸き上がる血が、細胞の一つ一つを充血させ、限りなくふくらませているようでした。体が火のように熱くなっているのに、ゾクゾク寒気がしブルブル震えていました。下痢もしていないのに、急に絞り腹になってきました。手と膝でしっかり支えているのに、体は芯から大きく揺れ動いていました。気が変になるほど気持ちがいいのに、とても不安で怖く、所在のなさでいたたまれない気持ちがどんどん募っていきました。
 自分の腹を私の背中一面に擦りつけ、彼も私の上で盛んに揺れていました。ふさふさした体毛が、私の脇腹を生き物のようにくすぐりました。首筋にかかる息が熱く火傷しそうでした。とても熱くてくすぐったいけれど、がまんしているともっと気持ちよくなるのでした。でもそのたびに体の芯から震え、不安が募り、物足りなさが募り、何かで自分を一杯にしたい欲求にかられるのです。私はいつか、あの小学校の竹の棒に食らいつくように、精一杯、股間に力をこめ、尻をすぼめていたのでした。

 それはまるで地震が起きたようでした。いきなり彼も私も、何もかもがたがた揺れだしたのです。なにが起こったのかまったく分かりませんでした。不安で焦りました。急に襲ってきた感覚は、快感と呼ぶには余りに異質なものでした。腹が絞り便意が襲ってきました。神経の一つ一つが、先端で短絡しあい、火花を散らしているようでした。電気的な衝撃が体の芯から末端へ、末端から芯へとかけめぐり、中枢神経を遡ってある高みにぐんぐん登りつめていったのです。不思議なことにそこはまだ行ったこともなく、見たこともないのに、とうの昔からなんども行ったことのあるように思えました。そこに行けばなにもかも満たされ、充足した時間がいつまでも続いているように思えました。ためらうことなく私は、駆けぬける快感を追ってその高みへと一気に駆け登っていったのです。
 行き着いたとき、それは焦燥と欲望の刹那でした。腰が激しい勢いで前後しました。彼も私の上で息をハーハーさせながら、せわしなく揺れていました。なにもかもが、大きな快楽のみに向かい突き進んでいきました。やがて幾度となく腰部を襲う痙攣の果てに、体の奥深くから沸きあがる熱い体液が激しい勢いでほとばしり出たのでした。辺り一面に栗の花の匂いが立ち込めました。そして匂いが鼻になじむにつれ、深い欲望は満ち足りた充足感に、不安や焦燥感は柔和な睡魔に変わっていったのです。

   昨晩から途方もなく長い旅をしてしまった私は、もう体を支えられないほど疲れきっていました。足の先、手の指先から、体じゅうの力がどんどん抜けていきました。いつしか私は腹ばいになっていました。その背中を、彼は優しく丹念になめまわしていました。そのとき、私はまた小学校の校庭の登り竹の上に戻っていました。そして遠くに走り去っていく白い犬に、いつまでも手を振っていたのでした。疲労と睡魔のため力尽きて登り竹から音もなく滑り落ちてしまうまで…。

「おい、ゼコ、カゼひくぞ」

 強く肩を揺すられ、ハッとして目が覚めました。見るとダボがそこにいました。奇妙な顔つきで私を覗きこんでいます。うっすらと夜が明けかけていました。一瞬なにが起こったのかと思いましたが、すぐ昨夜のことを思い出して辺りを見渡しました。しかし、だれもなにもいませんでした。それだけでなく、プールサイドは整然として、いつもの顔つきでそこにありました。昨夜のできごとの一片すら思い浮かべることはできません。目をこすりながら私は自分を見ました。たしかにパンツは脱げていました。しかしどこにも破かれたあとはありません。敷石の上に無造作に脱ぎ捨ててあるだけでした。

「白い犬、おらんかったか?」

 ダボに確かめてみました。

「なにねぼけとんや、夢でも見たんやろ」

 ダボは相手にしませんでした。そして私をせかしながらこういったのです。

「なにもこんなとこでやらんでもええやろ、アホ、今度からセッチンでせーよ」
「…」

  私は本当に奥手だったのですね。翌年入った高校の合宿で、そのときダボがいったことを初めて理解したくらいですから。いやはや、私たちの世代なんて、体こそ大きかったけれど、そのへんの知識となると、本当に無知で幼稚そのものだったのですね。

 えっ、全国大会はどうなったかって?

 そうそう、それなんですが、さきほども話しましたように、合宿であれほど調子を上げていたにもかかわらず、県大会の決勝でおしくも敗退しましてね。全国大会には出られずじまい。ほんとうに残念でした。世のなか広いなーと思いましたよ。しかし、わが青春の一頁を飾る楽しいできごとであったことにはまちがいありません。いまでもよく思いだしますよ、あの犬穴神社や大きな鳥居、犬神様や広い社、犬穴川の早い流れ、白い犬、裏のジャングル、鮮やかな朱色の道と神主、太刀人、稚児……いや、これはまた、ほんの寝物語のつもりでお話したつもりなのに、ついつい長話になってしまいました。さぞ、お疲れになったことでしょう。ちょうど私も眠くなってきたところです。時間も時間、明日に差し支えるとよくありません。この辺で眠るとしましょうか。また明日も希望を持って頑張りましょう。雪もほんの少し小降りになってきたようですし。それでは皆さん、これで、おやすみなさい……。

                  ◇

 翌日も雪は降り続いた。食料班、医療班、機動班はそれぞれ与えられた任務を忠実に果たした。食後、みな、二日目の夜の話し手に若いカメラマンを選ぶことで一致した。不意を突かれたカメラマンは、頭をかきかき、なんとか辞退しようとしたがしきれず、消灯もまじかになったころ、ようやく意を決して話しはじめた。


                  第2話 白い女


 よわったなぁ、オレ、ハナシがへたなんだよな、生まれつき。だからこうやって写真屋、やってんだよ、しかたなく。ハナシがうまけりゃ、もっとましな仕事やってたよ、いまごろはさぁ。
 いったい、ぜんたい、だれがこんなこと、思いついたんだ。いい迷惑だぜ、はっきりいって。もっとも、反対しなかったオレにも、えらそうにいえた義理はないんだけどね。

 さて、グチってたってはじまらないや。なにを話せばいいのか決めなきゃね。とりあえず、自分のハナシでもしてみるか。

 オレってもともと、内気でまじめな、公平で正義感の強い、オレが女だったら真先に惚れちまうような男、だったんだ。頭もわるくはなかったしさ。すんなり中学に上がって、ラクラク高校に入って、ちょっぴり苦労したけど、一浪-ヒトナミ-で大学に受かったしさ。チョイかじりの芸術や文学にも興味あったし、政治にも無関心じゃなかったね。時期が時期だっただけにさ。

 徹夜でよく議論したもんだ。なんとか世の中よくならないかってさ。若かったんだね、あのころは。情熱もあったし、体力もあった。けれど、とどのつまり、どこかの飛行機をハイジャックするまで思い詰めたわけでもないし、肉を食いたくなるほどひとりのオンナに惚れたわけでもない。なんやかんや中途半端にやってるうちに、平々凡々で生煮えの脳みそのまま、なんとなく世の中に出ちまったってわけさ。人畜無害で退屈きわまりない中年準備群…悲しいねぇ、まったく。なにもかも透けて見えてたのさ、あのころは。

 たぶん、それがどうにもたまらなく、腹立たしかったんだね。写真やろうって思い立ったのは。

 
 そんなある日、ものの見事に、見方が変わったんだ。目のウロコが落ちるって、ああいうことをいうんだね。いまだからイカした人生なんていってるけれど、ほんとうはうんざりしてたんだよ、バイトで明け暮れる生活なんかには。

 あれはなんの予告もなくやってきた。

 妙に蒸し暑い十月の朝だった。その日もサッシ張りのバイトにいく途中だった。乗換の新宿駅のホームで、軌道から舞い上がる金臭い埃の臭いをかぎながら電車を待ってると、突然、飯屋の棚に並んだぶつ切りのタコみたいなオレの人生が、目の前にアリアリと現れて見えたんだ。

 それはまるで、特撮の怪奇映画そのままだった。完璧に分裂した自分自身が、剥き出しのまま目の前にさらけ出されたんだ。

 昨日と今日がつながっていなかった。今日と明日も無関係だった。ひとつしかない自分の人生が、腐ってバラバラになった肉片みたいに、無残に転がっていたんだ。そして、不均一でみすぼらしいそれらの断片が、いままでのオレの生そのものだったことに気づいたんだ。

 ひどいショックだった。
 オレはその日、バイトにいかなかった。

 その日かぎりでバイトはやめた。なんとかしないとオレはだめになる。はやく生活を変えなければ。本能的にそう直観したんだな、わけもなくね。たぶん、自衛本能ってヤツさ。それに、はっきりいって、変わり身が速いんだよ、このオレは。

 さて、とにかくお茶でものもうとマチに出た。みな駅に向かって、元気はつらつと歩いてくる。まるで黒い津波だった。駅から戻ろうなんてふとどきなヤツは、生産に携わらないゴミ同然、有産階級の鼻つまみものだ。みな、敵意で充血した目をオレに向け、これみよがしにサッと忙しい十月の風を吹きかけてスタスタ過ぎさっていく。たった一度、偶然、歩く向きを変えただけで、こうも世の中、違って見えるものなのか。

 苦労して、やっと東口の改札を出ることができた。

 さて、これからどこへ行こうか…。

 迷ってるうち、駅ビルに上るエスカレーター下の壁に、いろんなポスターが貼ってあるのが目に入った。どうということはなかったが、とにかくそれを見てみようと、オレは近づいた。
 張り紙はみな、CMのポスターだった。なかの一枚に、オレは妙にひかれた。それは、黒の地の厚紙にスナップ写真を貼りつけただけの平凡な写真広告、と思ったが、よく見ると、じつはそうじゃなかった。

 たぶん場所はアメリカの西部かどこかだろう。盛りを過ぎた農夫がひとり、ポツンと荒れた農地にたたずんでいる。左手に持った帽子を胸にあて、だらりと下げた右手は力なくクワをにぎっていた。衣服は汚れ、くたびれていた。薄くなった金髪は、土ぼこりでバサバサ。不精ヒゲが覆い尽くした頬はゲッソリ、見るからにみすぼらしい貧乏人だった。

 その男の憂いを含んだ目が見下ろす先に、きっとそいつの妻だろう、女がひとり大地にひざまづき、手の中からこぼれ落ちる乾いた土をじっと眺めていた。女のまなざしには男以上に深い憂いが漂っている。それどころじゃない。もっと強い、もっと救いようのない、そう、絶望みたいなものが、印画紙に写した像の荒い粒子の間から、ひしひしとこちらがわに伝わってきたんだ。

 オレは、一瞬、決定的なものを見たと思った。これでオレの人生は変わる、と確信した。ゴックンとなまつばをのんで、オレはその下に書いてある字に目をやった。 

— 君もカントリー・ヴィレッジで写真をやってみないか、未来は写真とともに広がる、君のシャッターはカシアス・クレイ、フット・ワークはキュートでドライ、蝶のように舞い蜂のように刺す、ノイズは迷いのすべてを凌駕するひょっとしたら、カラシニコフのショット・サウンドより、着実でハイ・スピードかもしれないぞ…

  写真家養成研究所カントリー・ヴィレッジ
 問い合わせ先住所─東京都千代田区…

 オレはこれだと思った。これこそおれの使命だと思った。なぜいままで知らなかったのだ。オレの人生はこれをやるためにこそあったのだ。写真をやろう。写真に決めた。オレは写真ヤだ。オレがならなくてだれがなる?オレこそ適任者だ。そのためにいままでいろんなことをやってきた。そのために他人のやらないこともやってきた。雨の日も、風の日も。柔軟な精神を鍛え、あらゆる角度から世の中の事象を見ることができる目を養うために…ヘヘへ、はっきりいって、変わり身が速いんだよ、このオレは。

 オレはその日のうちにカントリー・ヴィレッジにいった。JR水道橋駅から神保町の交差点にいく大通りを一本、お茶の水寄りに入った通りの四階建てのビルに、それはあった。カネを払い、登録し、晴れてオレは研究生になった。

 その足で小川町に行き、四件目のカメラ屋で中古の一眼レフを一台買った。チョボヒゲでハゲのオヤジがベトナム帰りだと自慢する、マミヤの35ミリKR-30168だった。望遠も欲しかった。だがそのオヤジ、望遠で撮るなんて被写体に失礼だ、と意見しやがった。ベトナム帰りときいて面食らっていたオレは、さすがはいいこといいやがる、とつい感動したものさ。だが実際は、いい出物がなかっただけのはなしだったんだよ。あとで分かったことだけどね。

 いずれにしろいいカメラだった。カラのわりに軽量だった。ところどころ革が剥がれ、カバー・リングと右肩の一部にへこみがあった。いかにも歴戦のカメラマンが持ち歩いた貫祿のブツだった。かまえてファインダーを覗くと、一瞬、背筋がゾクッとした。シャッターの切れもよかった。音は大きかった。さしずめそのノイズは、カラシニコフのショット・サウンドより着実でビッグだったかもしれないな、ハハハハ…。 

 そうだ、アイツの話をしよう!

 こんな山のなかで、よく思い出したものだ、アイツのことを。さっきは文句をいったけど、撤回するよ、心からね。こんなことでもないかぎり、アイツのことなど思い出しもしなかったろうからな。

 そんなこんなで喜び勇んで入った研究所は、正直いって、職にあふれて食うに困った写真ヤ連中の、メシのタネに建てたようなものだった。一コース二年の授業は短大なみ。内容はたしかに豊富で工夫はしてあった。一般教養あり、必須専門過程あり、実習あり、トレーニングありで、各過程で消化しなければならない単位数もちゃんと決めてある。各過程は三から六か月構成、それぞれにそれらしき講師がやってきては、あたりまえで退屈な能書きをたれ、帰っていった。みな、クソよりお粗末な連中だった。

 オレは最初、詐欺にひっかかったと思った。やることなすこと、その辺の本屋で立ち読みすればこと足りる、まるでお粗末な内容だったからだ。

 考えてもみてくれ。なんで大学出のオレが、一般教養で日本史、世界史、あげくの果てに地理社会までやんなくちゃならないんだ? 一一九二年に頼朝が鎌倉幕府を建てたのとカントリー・ヴィレッジと、いったいどういう関係があるっていうんだ?

 しかし、ある日、自分の回りを見て気がついた。おれより年くってるやつは数えるくらい。ほかはみな年下も下、なかには中学もろくに出てないってヤツまで混じってる。そいつらにカリキュラムを合わせるのは、しごくもっともな話じゃないか。それに気がつかなかったオレの方こそ、いまいち鈍感だったのだ。

 そこでオレは、半年の一般教養は遠慮して、もっぱら図書館通いに努めた。報道誌という報道誌は、かたっぱしから読んだ。あらゆるジャンルの写真集に目を通した。オレの目は、写された像に飢えていた。撮影されたものならマッチ棒でも女のケツでも、見逃すことはできなかった。餓えたオレの目は、歴戦のマミヤ35KRのみたいに、見るものかたっぱしから呑みこんでいったんだ。

 ちょうどそんなとき、偶然、アイツに遇ったんだ。

 それは、いつも通っている日比谷の図書館の閲覧室だった。その日オレは、やがてはじまる必須専門過程の準備をやろうと、はりきっていた。カメラ-写真機-の物理的・数学的解析ならびに報道写真の歴史的分析と実戦…たいそうなお題目だが、ひらたくいえば、厚さ五ミリのレンズを使えば百メートル前の被写体はレンズから何センチのところで像を結ぶか、という話だった。焦点キョリの理論解析ってヤツだ。オレはわりと計算することが好きだったので、とても楽しみにしていた。

 もう一つは報道写真の発展経緯で、写真ヤと歴史が正面衝突した生々しい歴史に光を当て、写真を撮る側からそれを実戦的に分析する、というものだった。これも楽しみだった。生々しい話はなんだって、いつだって、きいて楽しいものだからね。

 図書館には閲覧室という部屋がある。借り出したい本を借りるか借りないか決めるトコだとオレは理解している。天井が高く広々していた。オレはその日も、十冊ばかり借り出そうと、世界中の報道誌を読みあさっていた。

 最後の一冊、たしかフランスのエクスプレスだったな。アルジェリアの大統領急死に関する特集号だった。歌できくカスバの女しか知らなかったオレは、スミからスミまで注意深く読んだ。うさんくさいヒゲ面の男どもには興味なかったが、白いベールを被った女たちが、なんともいわくありげで、煽情的だった。

 見おわってホッと一息いれたとき、広いテーブルのオレの席の右斜め前から、妙に緊張した暗い空気が漂ってくるのに気がついた。見ると、痩せた男がひとり、分厚い写真集を自分の回りに防壁のように積み上げ、そのなかの一冊にのめりこむように見入っているのが目に入った。

 年のころはちょうどオレくらいか。カミは丸刈りで、不釣り合いに長いあごひげを生やしている。よっぽどタバコが好きらしく、彼の二メートル四方はニコチンの臭いがプンプン。右手の指は黄色く染まっていた。モヤシみたいに生白く、首筋にカビでも生え出そうな汚れたシャツを着ていた。さぞクサイやつだろうと思ったが、反対に目の辺りにはじつに清涼な空気が漂っていて、無心な眼差しでじっと写真集をながめていた。

 それは、仏像ばかり集めた写真集だった。

 一見してマニアと判断したオレは、ついからかい半分に、その男にいってしまったんだ。

「いいねェ、仏像は。心が、洗われるねェ、仏像は」

 はっきりいって、オレにはだいたいぶしつけなところがある。ヒトをヒトとも思わないところがある。とくに真面目くさったマニア面を見ると、つい、からかいたくなるんだよ。 
 その男は、しかし、涼しげな眼差しでこちらを見ると、思いもよらない太い男らしい声で、こう反応したんだ。

「ああ、いいよ、仏像は。心が、洗われるよ。ホントだよ」

 それからニコッと、まるでガキみたいな顔でオレに笑いかけた。その瞳の涼しげな笑い顔を見て、オレは一発で、その男のことが好きになってしまったんだ。

 オレとアイツはそんな風にして知り合った。その日以来、オレとアイツは閲覧室で会うたびに、親しく言葉を交わすようになった。

 アイツの名はケンタといった。

 知り合って間もなく、いつもの閲覧室で、オレは単刀直入にケンタにきいた。

「どこが、そんなに、おもしろいんだ? よく退屈しないねェ、そんな仏さんばっか見ててよー…」

 するとケンタは、静かに、自信に満ちた太い声で、仏像は素晴らしい、見れば見るほど引きつけられる、といった。

「いったいどこがいいのかね、こんなカビの生えた血の通わない、ドあつかましい仏頂面のどこに、そんな魅力があるのかねェ」
「そういうな。これでけっこう、温かいのさ。かわいいヤツらさ。こっちの思いが通じるし、分かってくれる。よく見てると、生きてる人間より、よっぽど温かいのさ」
「ヘーッ、そんなもんかねェ。おまえ、ちょっとおかしいんじゃないの?たまには風呂にでも入って、そのアカ、落とせよ。そしたら一緒に、仏さんも落ちてくれるんじゃないの?」

 しかしケンタは、怒るどころか、ゆっくりと涼しげな瞳をオレに向けると、またニコッと、ガキみたいに笑った。
 ケンタの仏像熱は、それは大したものだった。
 ケンタもオレとおなじで、西新宿の私設研究所でオレより二年まえに、写真を覚えたヤツだった。彼が選択したのは報道写真と違い、商品写真だった。プロ生活わずか三年でフリーの写真ヤとして、もうけっこう稼いでいた。ひるは図書館で充電し、よるは仕事をする。場所は契約先のアトリエだ。フリーのときはもっぱら写真を撮るための旅行ということだった。

 アイツの仕事に関しては、インテリア雑誌に載った家具、食器類や花瓶など、いくつかの作品例をみせてもらった。たしかに客受けする写真だった。ほのかな叙情性と清涼感が、どの商品にもある種の雰囲気、温かくて爽やかな雰囲気を与えていた。

 オレは、はっきりいって、その雰囲気がきらいだった。少女趣味で情緒的な、客の気を引くだけの鼻持ちならない迎合主義が、オレにはガマンならなかったからだ。

「ケンタよ。先輩としてひとつ、教えてくれないか」

 アイツと知り合って半年ほどたった真夏のある日、有楽町駅のガード下にある牛丼ヤでひるメシをほおばりながら、額の汗を拭きふきオレはきいた。

「おまえ、なんであんな、甘っちろい写真ばっか、撮ってんだよ」
「アマっちろい?」
「そうさ。どれもこれも、おまえが崇拝する仏さんとは、まるで似ても似つかない写真じゃないか」

 まだ研究所通いのオレには、たぶんやっかみもあったんだろう。それに、ラジオからきこえてくるアンコ椿にも、少々、煽られていたのかもしれない。しゃべっているうちにオレは、だんだん口調が挑戦的になっていった。

「それによ、商品て、しょせんはカネもうけの手伝いだろが」
「そりゃそうだ」
「だからそこで、オレ、考えたんだよ。なんでおまえが仏さんにこだわるかって理由をさ」
「どう考えたんだ?」

 うすぎたないグレーのティーシャツを汗でぐっしょり濡らしたケンタは、それでも涼しげな瞳をキラリと光らせてオレを見た。

「つまりさ、おまえだって、おまえ自信の撮りたい写真を撮ろうと思ってると、オレは思うんだ。だが、それじゃ食ってけないだろ。だから手っとり早く商品で稼ぐ。でも自分の夢は捨てたわけじゃない。そこんとこのズレを埋め合わせるのに、ジレンマをなんとかごまかすために、仏さんが必要なんだろ? 仏さん見てたら、なんとなくやましい気持ちが和らいで、気分がすっきりしてくんだろ? え、ケンタ、そうじゃネーのか?」
「フーン、じつに明快でおもしろい観察だ」

 ケンタは平然としてキムチをほうばった。

「商品で稼ぐのはやましいという観察は、いかにも研究生らしくていい」「なんだ、ひとをバカにすんのか」
「それに、罪滅ぼしに仏さんを拝むという発想も、なかなかナミのヒトにはできないな」
「チェッ、先輩ズラしやがって」

 ケンタは水をゴクリと飲むと、べつにからかったわけじゃないと言い訳しようとした。すかさずオレはいった。

「からかおうがからかおうまいが、どっちだっていいさ。だがな、オレはぜったい、あんな甘っちろい画は撮らないぞ。見る人間の度肝を抜くような、根底から揺さぶるような、世界の存在理由を根本から問い直すような、そんな画を撮るんだ、オレは…」

 興奮して負けずにキムチをほおばるオレを、ケンタはあい変わらず涼しげな瞳で見ていった。

「いちどオレんチにこいよ。撮りたい画、見せるから」

 オレは内心、待ってましたと思った。まんまとオレの挑発に乗ったわけだ。ケンタもわざわざ研究所まで通って写真ヤになったんだ。あんな商品写真で満足するわけがない。自分ひとりでひそかに追求しているモノがあるはずだ。でなければおかしい。オレはそれを知りたかったんだ。
 つぎの週の日曜日さっそく、東新宿と早稲田の間の、比較的整備された住宅街の端に、継ぎ足しみたいに建った古い木造モルタル造りのアパートを、炎天下、汗を拭きふき、オレはたずねた。
 オレはそのとき、自分の作品をなん枚か、封筒に入れて持っていった。卒業制作の参考にと、そのころからもう試作をはじめていたなかの、数枚だった。

 どんな写真かって?

 あれは、都内の横断歩道をランダムに選んで、信号を待つ通勤者の群れを真よこから写したものだった。仕事場に行く多くの人間が群れて動く。べつに示し合わせたわけでもない。待ち合わせたわけでもない。おたがい、なんの共有意識も待たない赤の他人の群れだ。それが、目的だけは完全に一致している。不思議な現象だとは思わないか? オレはそこに、なにか、象徴的なテーマがあると思ったんだ。

 とにかくオレは、アイツのアパートにつくなり、それを手渡した。ひとの作品を見にいくんだ。自分のも見せるのが礼儀というものだろう?

 アイツは、信じられないことに、風呂にでも入ったのか、ヒゲもそり頭も洗い、下着もティーシャツもなにもかも着替えて、実にサッパリしたスタイルでオレを迎えてくれた。

 オレはその変身にすごく驚いた。が、もっと驚いたのは、室内が実にシックで、しかも、とてもきれいに掃除してあるという事実だった。

 ケンタの部屋は二階の西の端にあった。

 薄い化粧板を施した入口のドアを開けてなかに入ると、小さなダイニングだった。壁は合成樹脂の塗料で白く塗り上げ、床板は、なんとワックスでピカピカ光っていた。夏の盛りだというのに室内は冷房が効いて寒いくらい。ニコチンとワックスの臭いがさほど気にならなくなるほど冷えていた。

 奥の六畳の間にはあずき色のシックなじゅうたんが敷きつめてあり、白や黒やベージュの小さなレザーのクッションが五つ六つ、無造作に転がしてある。ベランダの手前、引き戸の左の壁には、安価な節目の白木で作ったタタミ一畳分ほどの板を、太めの垂木で組んだ足の上に置いて机にし、右側の壁面には仏像の写真が一面に張りつけてあった。撮影のための旅行というのはコイツらのことだったのか、とオレは呟いた。
 そのとなりにもうひと部屋あったが、たぶん寝室にでも使っているのだろう、黒塗りの引き戸でかたく閉ざしてあった。
 オレは、壁一面に貼りめぐらした写真群のマニアックな様子といい、アイツからは想像もできないシックな部屋構えといい、そこにはどうもワケありな事情があると憶測した。

「おまえ、コレ、いるンじゃネーの?」

 かるく首をたてに振り、意外にあっさり認めたケンタは、ヤニで黄色く染まった歯をニヤリと見せ、クク…と喉の奥で笑い、天井に向かってフーッと煙をはいた。オレは内心、ケンタのことが急に憎らしくなった。仕事への熱の入れ方やぶざまな格好からみて、オンナのかけらもないヤツだと思っていたからだ。ところがどっこい、スミに置けないヤローだったんだ。

「うまくやりやがって」

 ケンタは、しかし、また意外な反応でオレに答えた。

「ソレ、も、おわったんだ」
「おわった?」
「捨てられたのさ」
「なんで?」
「コイツさ」

 ケンタが指差したのは、ほかでもない、壁一面に張りつけた一連の写真群だった。

「ぜんぶコイツのためさ…」
「コイツがどうしたんだ?」
「阿修羅さ、奈良は興福寺の阿修羅像だよ」
「知ってらい、それくらい」

 いいながらオレはピンときた。この仏サンにどうしようもなく取り憑かれ、心底惚れちまったっていいたいんだろう? 

「な、ケンタ、そうだろう?」

 実際、その辺の事情は、アイツの部屋に入ったときからおおよそ察しはついていた。けっこう長く付き合ったオンナがいる。もちろんそのオンナとの馴れ初めなんか、知るよしもない。だが、壁の写真を見ただけでピンときた。そのふたりがいま、破局寸前の仲だってことに。
 だってそうだろう、自分と一緒にいる男が、これだけ自分以外のモノに、特定の仏さんに心を奪われ、気持ちを注ぎこんでいるのを目の当たりにしたら、どんなヌケた女だって、愛想尽かして逃げちまうに決まってるじゃないか。

 オレは、しかし、なにも分からないフリをした。

「コイツに惚れちまったのか?」

 とろけるような目で阿修羅の写真群をながめるケンタは、なにもいわず、意外に骨太の毛深い人指し指をそのなかの一枚の上に置くと、ギューギュー音が出るほど撫で続けた。阿修羅の唇の上にべっとり付いた湿った脂の跡が、ガラス越しの真夏の午後の光を受け、にぶく光った。

「惚れていないといえばウソになるな」
「このヤロー、禅問答やってんじゃないぜ」

 オレは、つい、まだ会ったこともないそのオンナの立場になっていった。

 これだけ部屋が整い、居心地いいのも、オンナがいての話だ。オンナが優しくて可愛らしい心を持っていればこそのハナシだ。そんな温かい生身の生き物をないがしろにして、こともあろうに、こんな三面六臂の化け物にウツツをぬかすとは、どういう了見なんだ!…

「まあ、そういうな」

 オレの憤慨をまじめにとったかとらなかったか、ケンタはもっと近寄ってじっくり写真を見ろといった。

「な、この面、どうだ、この世のどこに、こんなに幻想的でエロティックな、官能的な面があるっていうんだ?」

 大きな喉仏をポンプみたい動かしてゴクリと唾を呑みこんだケンタは、タイヤのホイールカバーを工夫して作った灰皿に吸殻をねじこむと、無言で写真を眺め、深々とため息をついた。ヤニ臭い息と洗いたてのシャンプー、それにワックスが混じり合った奇妙な臭いのなかで、不思議なことにオレはそのとき、阿修羅がコイツの命取りになると、はっきり予感したんだ。

 壁に張りつけた阿修羅像の数は、四つ切りで優に五十枚は越えていた。みなモノクロで、暇さえあれば奈良に足を運び、小型カメラで守衛の目を盗みつつ、苦労して撮りためたものだということだった。
 全身像、半身像、大写し、様々な角度から接近、肉薄した顔面のクローズアップが重なり合い、ところ狭しと並んでいる。そばの柱にはベタ焼きを無造作に束ね、手の形を真鍮で鋳造したクリップに挟み、まとめて吊るしてあった。

「どうだい」

 ヤニ臭い息でケンタがいった。

「これが、この純真無垢な美少年が、むかし天地空中を暴れまわった、手のつけられない悪鬼だと思えるかい?」

 アイツはまた、骨太の毛深い指で、その美少年を愛しそうに撫でた。

「いいか、阿修羅はもともと悪鬼だった…」

 ケンタの独り言はつづく。

 いまから二千五百年もまえ、ちょうど釈迦が悟りを開くころ、阿修羅は仏の住む須弥山下の大海底に住んでいた。もともとインドの善神だったが、太陽や月、日本でいう帝釈天のインドラ神などと争ったため、悪鬼となった。海底には他にも阿修羅のような悪鬼が大勢、住んでいた。連中には大きな悩みがあった。修行中の釈迦が悟りを開き、仏陀になって衆生を救済し平和な世の中を築いたら、まことおもしろくない世の中になる。そうならないことを望んだ。だが釈迦は、六年の苦行でさまざまな邪神を降魔し、ひとり、さっさと悟ってしまった。そこで連中、釈迦の説法をきく衆生のじゃまをして、みなが説法にきき入らないようにしようと企てた。ところが説法をきくうち、阿修羅はすっかり感動し、他の悪鬼が約束どおり騒ぎ立てると、逆に怒って彼らを追っ払ってしまった…。

「ほら、これをみろよ」

 ケンタは机の上の本立てから絵はがきを一枚、抜き取ってオレにみせた。アイツの目からはいつもの涼し気な表情は消え、代わりに熱のこもった、鋭い眼差しがそこにあった。

「これは妙法院三十三間堂にあるもう一つの阿修羅像だ。釈迦を守って他の悪鬼と戦う姿を表したものだ。力強く、たくましく、無敵の武人を彷彿とさせるだろ。でも、この阿修羅は、オレはあまり好きじゃない。いや、きらいだな。どこかウソくさい。この前で説法のありがたみを説かれた日にゃあ、テヤンデー、おおきなお世話だッ、てなもんさ。一分だってきいちゃいられないよ」

 ケンタはポイと絵はがきの阿修羅像を机の上に捨てた。

「逆に、コイツはちがう。ぜんぜんちがう。見ろよ、この抽象的で観念的な面。むだ肉を徹底的に削き落とした体。コイツはまさに、自己に内在する悪鬼を克服する至福の喜びを開示した表情だ。しかし、じっくり見てみると、ほら、カレの中の悪鬼は、まだ完璧には克服されていない。分かるか? その証拠はここだ、この、眉の微妙な歪みを見てみろ。眉をわずかに引きつらせたこの苦悩の表情、これは、邪悪を願うあさましい心と、法悦の境を希求する崇高な心の、両極の間で引き裂かれた、矛盾を矛盾のまま雄々しく認めて生きようとする、生身の苦しみを背負った人間のみが知りうることができる、絶望の表情そのものさ!」

「オマエ、チョイ、哲学書、読みすぎじゃネーの?」

 オレはついにいってしまった。

「なにが生身の人間なんだよ。矛盾をありのまま冷徹に眺めて生きようとする、だって? ヘン、きいてあきれらあ。ペンキがはげて色も落ちて、よくみりゃ、ひび割れだらけの単なる木像じゃネーか。そいつが、なんで、生身の苦しみを背負った人間なんだ、こんな壊れかけた仏像がよ」

「そりゃあそうさ」

 ケンタは素直に認めた。

「なんせコレができたのはいまから千二百年もまえのことだ。ムリもないよ。ま、そこまでは、オレの勝手な思い入れとして、きき流してもいい」

 阿修羅の上の毛深い指にギュッと力が入った。

「だがな、コイツの持つ中性的な、ホモセクシャルな魅力は、だれも否定できないぞ」
「ホモ!?」
「あどけない童子、りりしい少年、闘争心を克服した、というより開放された、法悦の喜びを湛える優しい顔、にもかかわらず、どこか根源的な苦しみに耐えるマゾヒスティックな表情、これが見る人間の欲情さえそそるんだ」「あきれたな、オマエがオカマだったとはいまのいままでオレ、知らなかったぜ」

 ケンタの目が熱っぽくギラリと輝いた。

「オマエも写真やろうって男だろう?」
「オー、そのとおりだ」
「じゃあ、ナミの人間と視点が違うってことくらい、分かってるはずだぞ」

 タバコに火をつけ、ケンタはいった。

「オレたちの目は水晶体じゃない。特殊な光学レンズだ。いわば肉の煩悩から脱却したカメラ・アイだ。レンズを通して対称を見る。欲情するのはオレのアソコじゃない。この目が、カメラ・アイが欲情するんだ」
「欲情しすぎて濡れすぎるなよ。なにも見えなくなるぜ」
「オマエ、どこまでそう形而下的存在をきどるんだ?」
「形而下的存在だって!?」

 オレは飛び上がった。

「やめてくれ、そんなの、オレのガラじゃネーよ」

 からかうつもりはなかったが、クソまじめな顔で能書きをタレるケンタを見て、オレは少々、気恥ずかしくなっていたんだ。

 はっきりいってあのころのオレは、哲学カブレにアレルギーをおこしていた。自分も一時期カブれたことはあったが、とてもオレの知能指数ではついていけないと判断して、早々に撤退した。

 ところが、無知といおうか無謀といおうか、ない頭に哲学用語をつめこんで、善良でささやかな生活者を攻撃してはほくそえんでるヤツらが、腐るほどいたんだ。そういう連中を相手にしたときのオレのアレルギーは、肌が七面鳥よりひどい鳥肌になるほど、最悪だったよ。

 ケンタがその仲間というわけではなかったが、反射的にムカッときたオレは、つい皮肉のひとつでもいってやりたくなった。オレって、やっぱ、気が短いのさ、はっきりいって。

 少々くすぐったかったが、自己反省もかねてオレはいった。

「ま、この画には、形而上もその下もない、独特で生身の、身を切るような厳しい視線が、感じられるな」
「ン、少々、ほめすぎの感はあるが、やっぱりオマエも、カメラ・アイだ」

 ケンタは満足そうだった。

「だが、ソコんとこをアイツは、理解してくれないのさ」
「アイツって、コレのことか?」
「そうだ」
「あったりメーよ」
「なぜだ?」
「オマエ、いちど、あの画を見てるときの自分のツラ、カガミでみてみろ」「どういう意味だ」
「ロリータ趣味にプッツンした変態そのままの目つきだぜ、はっきりいって」
「!?」
「そんな変態と、まいにちいっしょに住んでられるか!」

 いいながらオレは、自分の想像がますます正しかったことを確信していた。

 ケンタはオンナと一緒に住んでいた。そのうち彼は阿修羅とかいう化け物に恋をした。オトコはくる日もくる日もその写真のことしか考えない。それしか眺めない。オンナは我慢する。じっと我慢する。いつかオトコが自分に振り返ってくれることを願いながら。

 しかし、その時はやってこない。長い忍耐の末、ついにオンナは決断する。こんな変態と一緒にはもう住めない、と。だが、そのまま永遠に離れてしまうわけにもいかない。オトコひとりの生活だ。気になる。自分とて淋しい。孤独な東京の生活だ。別れればそれまでの過去が無になってしまう。空白の過去に耐えていく勇気はない。だからオンナは定期的に古巣へやってくる。なにかとオトコの世話をし、掃除をし、料理をつくり、帰っていく。泣けるじゃないか、この話!こんな心根の優しい女が、まだ東京にいたなんてよォ!

「オマエなァ、そんな理不尽なことしてたら、いまにロクなことにはならネーぞ」

 オレはまた、まだ会ったこともないそのオンナの身になって、ケンタにいった。

「たしかにオレたち、カメラ・アイだ。しかしなァ、オンナを見るときくらい、会うときくらい、ライフ・アイになれよ。それはなにも、禁じられたことじゃないぞ。カメラ・アイとライフ・アイの間には一本の回路があるんだ。オレたち、いつだってそこを、行ったりきたりできるんだ。その往来そのものが、人生ってヤツじゃないのか?」
「ヘー、オマエから人生論をきこうとは思わなかったよ」

 こんどはケンタがオレをからかう番だった。しかしオレは、あえて反発しなかった。オレ自身、なんでそんなことをいってしまったのか、見当もつかなかったからだ。

 オレは、熱を帯びてギラリと光るケンタの目を避け、マニアックな一群の阿修羅像を眺めた。

 邪悪と法悦の矛盾に耐えるマゾヒスティックな魅力…とアイツはいった。なんとなく分かるような気がする。細筆で苦渋をトレースしたような眉の下でじっとこちらを見返す凛々しい二つの瞳…たしかにそこには摩訶不思議な魅力があった。

 じっと見ていると、いつのまにかその瞳を通して、自分を見ているような気にさえなった。そこを通して広大な矛盾の世界が広がり、荒涼とした土漠をさまよう自分が見える。

 それは、酒が好きで、女が好きで、元気はつらつ、なにひとつ不自由のないオレのはずだった。だが実際には、やせて青白く、萎びてシワだらけの自分だった。あさましく餓鬼道を這えずり回り、ジュージュー脂を垂らして業火で焼かれるオレが見える。

 ぞっとしてオレは、阿修羅像から目を逸らしてケンタにいった。

「ケンタよ、コイツはマゾじゃない、サドだぞ!」

 とたんにオレの目の前で、一群の阿修羅像が次々とケンタに襲いかかり、衣類を剥ぎ取っては後ろからせっせと犯しはじめた。オレはこの邪悪な幻覚を必死で振り払おうとしたが、だめだった。犯されるケンタのやせた肉体は熱くほてり、青竹のようにしなり、局部が擦れる摩擦音やほとばしる体液の音やニオイまでが、ありありと耳や鼻にきこえてきた。オレの目は、阿修羅の上を這い回るケンタの毛深い指に吸いよせられ、それを支える黒々した体毛の手や上腕に吸いつけられた。そして、ワックスとシャンプーとヤニの混じった奇妙な臭いのなかでオレは、その生身の腕に自分の唇を思い切り押しつけたい衝動を、必死でこらえていたんだ。

 なんとも気味がわるくなったオレは、早々にケンタの家から退散しようと決めた。そのままいると、邪悪な幻覚に呑みこまれ、アイツに抱きついたあと、どうにかなってしまいそうな気がしたからだ。おれはとにかく、じつにそっけない挨拶だけ残して、大いそぎでアイツの家を出た。

 表に出たとたん、そんなことはきれいに忘れ、東新宿へ帰る途中、ずっと考えた。たったいまヌラリと臓腑をひとなめしていった、オレのなかの情欲のことだった。

 なんでオレがアイツの腕にしゃぶりつかなければならないんだ? どうしてこのオレが、アイツの臭くてうす汚れた肉体に、ホモセクシャルな欲情を感じなければならないんだ? ジョーダンじゃないぜ! こんなことがあり得てなるものか! 

 道すがら思った。これはきっとあの阿修羅とかいう仏さんの魔力に違いない。カオが三つに腕が六本、天地空中を駆けめぐった、やせてペンキも剥げてるくせに妙に生々しい、あの奇怪な化け物のせいにほかならないと。

 ところがその化け物は、実際にはオレを陥れるどころか、なぜかオレ自身が初めに直観したとおり、肝心のケンタの方を完璧に狂わしてしてしまったのだ。

 異変はケンタのアパートを訪ねた直後から起こった。

 つぎの週の木曜日、日比谷の図書館で待ち合わせたのに、アイツはこなかった。その土曜日、恵比寿の写真美術館にいっしょに行く約束だったが、やっぱりこなかった。変だと思った。アイツはワリと律儀で、約束通りいかないときは、必ずまえもって連絡してくる。心配なオレは家に電話したが、いなかった。契約先のアトリエにきくと、撮影にはちゃんと出ているという。

 それでオレは早合点した。

 フン、そうか、オレがアパートでいったことによっぽど腹を立てたとみえる。なんでェー、気のちいセーッ! たかだか血の気の多い写真ヤのタマゴが、思い余って舌の先でフライングしただけの話じゃないか! オレだって悪気があったわけじゃない。阿修羅が化け物に見えたから化け物といい、女と引換えにする価値もないからバカなヤロウだといったんだ。それのどこがわるいってンだ、エー、フザけんな、このヤローッ!

 だが実際は、そんな月並みなマニア症候群ではなかったんだ。まったく考えもできない、想像もつかない出来事が、そのときアイツの心の中で起こっていたんだ。

 アイツと会わなくなって四週間目の日曜日、安否を気づかう口実で、じつはオンナみたさに、アイツのアパートを訪ねてみた。
 鍵はかかっていなかった。ドアを開けてなかを覗くと、ヤニの臭いが鼻を突いた。午後三時だというのに、カーテンは締め切ったまま。うすぐらい。室内を見渡したが、残念ながら女の気配はなかった。そうなれば勝手知ったるわが家、オーイ、はいるゾー、とつかつか上がりこんだ。

 部屋はこのまえと違って見事な散らかりようだった。生ゴミの腐った臭いが鼻を突く。あれから掃除のソの字もしてないらしい。とうとう女に見捨てられたか。ムリもない。どうだ、床いちめんクズの山だ。チリ紙、新聞、雑誌、本、タオル、下着、その他もろもろ、一切合切、散らばって足の踏み場もない。ワックスの代わりにカビ臭い臭いが鼻を突く。流しに張った針金には、現像ずみの数しれないネガが乱雑にひっかけたまま放ってある。冷房が効いているせいか、空気は埃っぽくない。それだけがせめてもの救いだった。

 さて、アイツの生活破綻の元凶でもある阿修羅群像をもう一度見てやれと奥に入ったとき、いきなり左壁の黒塗りの引き戸が開いて、真っ青なケンタが冬眠でやせ細った穴熊のようなかっこうで出てきた。
 ギクリとしたが、何気ない風をしてオレはいった。

「ヤー、いたのか? 上がらせてもらったよ」

 いくら連絡してもだめなので、心配できてみたといおうとしたが、ケンタはその暇を与えなかった。

「オイ、ちょっときてくれ!」

 いうなりケンタは、オレの左肩を右手でわしづかみにすると、意外な腕力でオレを隣室に引きずりこんだ。

 隣室は思ったとおり、セミタブルのベッドを入れた寝室になっていた。ベランダの反対側の押入れは、改造暗室になっていた。ケンタはそこへオレをねじこむと、自分もあとからむりやり入ってきた。ほの赤いセイフティー・ランプのなか、わずか一畳の密室でオレとケンタは向き合った。ヤニと体臭と現像液の入り交じった奇妙な臭いで吐きそうになったが、ケンタの只ならぬ様子に、それを口に出すことさえはばかれた。

「よく見ててくれ、まちがいないか、いいな」

 危機迫るケンタは、その表情とは裏腹に、ネガの現像から焼き付けまでのプロセスに間違いないかよく見てくれと、実にばかげた要求をしてきたのだ。

「そんなこと、オレだって、一年もまえからやってるぜ」
「そうじゃないんだ。やり方にまちがいがないか、よく見てくれというんだよ」

 ケンタはザックから35ミリのネガ・フィルム十数本を取り出して作業台に並べると、セイフティー・ランプを消した。真っ暗で蒸し暑く、悪臭でむせかえる空間だけがあとに残った。

「まず、ネガを開ける。現像リールに巻き取る。それをタンクに放りこむ。それからシェイクする。固定液を入れる。待つ。出す。リンスする。現像リールに巻き取る…」

 ケンタは暗闇のなかで自分の行為を逐一報告した。そのつどオレは、アア、アア、となげやりな口調で応じた。ポリタンクを締める音、シェイクする音、開ける音、リンスタンクに放りこむ音…なにも見えず、むせかえる厚さのなかでオレは、執拗に現像作業を繰り返すケンタの姿を思い浮かべた。

 二十分もたったろうか。

 蒸し暑くて、臭くて、気分がわるくて、もうどうにもがまんできなくなったころ、セイフティー・ランプがパッとついた。

「オイ、どうだ、見てくれ!」

 暗室のドアをけとばし、タンクをかかえてケンタは流しまで突っ走った。

「ナニが映ってる?エエ、ナニがウツってる?」

 そこらじゅうに水を撒き散らし、ケンタが流しの針金に引っかけたネガを見ると、どれもみな電車をサイドから撮っただけの、あたりまえの写真だった。

「なんだ、オマエ、狂ってるのは仏さんだけかと思ったら、まだあったのか?」
「よく見ろ、なにが映ってる?」
「JR山の手線じゃネーの?」
「総武線だ」
「それがどうしたんだ?」
「乗ってるひとを見てくれ」
「満員だぜ、こんなラッシュにゴクロウサンなこった」
「オンナはいるか?」
「オンナ?」
「そうだ、オンナだ」
「オンナなんかいっぱい、いるぞ。ヤセたのもいりゃあ、フトっちょもいる。ビケイもいりゃあブスもいる。ウジャウジャいるぞ」
「ちがう、白い女だ、白い」
「白い女?」

 オレはネガから目を離してアイツにきき返した。

「白い? なにが白いんだ? 服か? 髪の毛か? 皮膚の色か?」

 モノクロつかまえて白も黒もないだろう? 写真でバリバリ稼いでるヤツが、習いたてのガキみたいに、いまごろナニいってやがるんだ!

「ドーしたんだ、オマエ!まるでキツネツキみたいな目してるぞ、病気じゃネーのか?」
「白い女だ、白い女だ、ソイツがドアの、右側のドアの、ガラスの向こうに、こっち向いて立ってるだろうが!」
「イネーよ!」

 実際、流しの窓の、真夏の午後の明かりに十数本のネガを透かしていくら探してみても、ケンタのいう白い女はどこにも映っていなかった。
 ケンタは、しかし、なおもしつっこくオレに問いただした。いいかげんアタマにきたオレは、ぶら下がったネガを全部わしずかみにするや、アイツめがけて投げつけた。

「そんなに信用できなけりゃ、テメーで見りゃいいだろッ!」

 ケンタは、腹を立てるどころか、ガックリ膝を折ってその場に座りこみ、バラバラに散らばったネガを拾い集めると、ズルズル鼻をすすって泣き出したんだ。そのさまを見てオレは、これはタダゴトじゃないと思ったね。

 人間て、ながい間生きてると、といってもオレまだそんなトシでもないんだが、なんやかんや精神的にまいるトキってあるんだよ。そんなとき、木が森にみえたり、針が大木にみえたり、水溜まりが大海原にみえたりするものなんだね。勘違いっていうか、錯覚っていうか、また幻覚っていうヤツなのか。いずれにしても、なにかが正常な感覚の働きを、恣意的に阻害するんだ。むかしからオレはそれを、ワナだと思ってる。人間の力の及ばないナニかが、力強い意思力と支配力をもったダレかが、人間をたぶらかすために、ある日突然、きままにワナをしかけるんだ。

 ゴミだらけの床に座りこみ、だらしなくハナをすするアイツを見てオレは、これはまさにワナだと思った。あの三面六臂の化け物がしかけたワナに、アイツは見事に嵌まってしまったんだ。

「どうせ、オマエ、あのアシュラに似たオンナでも見たんだろう?」

 ケンタは、しかし、オレの推理を頭から否定した。

「違う!阿修羅には似てもにつかない、正真正銘の、生身の、白い女なんだ!」
「そんなに美人なのか?」
「いや、そうじゃない。どっちかといえば、色気のない平凡な女なんだ」「そんな女が、なんでそんなに気になるんだよ?」
「分からない。ただ、どういうわけか、惹かれるんだ」
「ただ惹かれるって、オマエ、男が女に惹かれるのは、アレしかネーだろが?」
「オレもそう思う。だが、違うんだ。向こう側にいるあの白い女を見ると、フッと気が抜けて、どうしてもそこへ行って、体ごとのめりこんでしまわなければ、と思ってしまうんだ」
「オマエ、女に捨てられて、飢えてんじゃないのか。白い女なんて、どこにでもいるぜ。真っ黒な女でもファンデーション、コテコテに塗ってコンパクトでパカパカたたきゃあ、白い女、一丁、上がり、だぜ」
「いや、あの女は違う。アイツはたしかに、まいにちオレの前に現れ、オレににこやかに笑いかけ、思わせぶりに手を振るんだ」
「手を振る?」
「そうだ」
「向こうからか?」
「そのとおりだ」
「どこで?」
「お茶の水のてまえだ」
「お茶の水のてまえ?」
「オレは新宿から中央線でお茶の水までいく。アイツは、どこからくるのか知らないが、いつも向かいの総武線に乗ってるんだ」
「総武線?」
「オマエも知ってるだろう、信濃町を過ぎる辺りからお茶の水の駅まで、中央線と総武線が並んで走るんだ」
「ああ、環状線ならドコにでもある風景だ」
「あいつは、まいあさ、かならずオレが乗る車両のオレのいるドアの向こう側にいるんだ」
「偶然だろう? それに、どこに乗ろうと、ひとの勝手じゃないか」
「オレはヘンだと思って、試しに場所を変えてみた。そしたら、やっぱり、オレの行くトコいくトコ、かならずオレの前に現れるんだ、そして、オレを誘うんだ、こうやって、腰の辺りで真っ白な右手を振って、それから、それから、サッと、消えちまうんだ」
「消える?」
「そうだ、消えちまうんだよ!」

 ケンタはハナをグシュグシュいわせ、懸命に訴えた。お茶の水駅に着くまえ、道路橋の下を電車はもぐる。橋の下に入る直前、白い女はケンタに笑いかけ、右手を振ってかるく合図を送る。まるでつぎの駅で下りるからアナタも下りてといわんばかりに。

「単なる、オマエのひとりよがりだろう?」
「断じてちがう!」

 ケンタは強く否定した。

「オレもおかしいと思った。だから、こっちからも合図してやったんだ、ホントにツギで下りるのかい?ってね。そしたら、アイツは、しっかりとうなずくんだ。なにか言いたげな黒い目を、伏せ目がちになんどもまばたかせて、白いカオいっぱいでハニかんで、アイツはうなずくんだ。だからオレは、電車が早くあの短い橋の下を抜けないかと、イライラして待つんだ。ところが、そこを抜けたとたん女は消えてるんだ、アイツはもうそこにはいないんだよ」
「車両がズレてんじゃないのか?」
「いや、確かめた。八両編成で停車位置もおなじだ。ホームに止まったとき、ぜったいズレないようになってるんだ」
「橋の下で席に座ったんだろう?」
「あり得ない。あのラッシュだ。ウデ一本動かせないほどギューギュー詰めなんだ」
「じゃあ、なんなんだ? オマエのアタマがオカシクなったとでもいうのか?」
「だから、オレもオカシイと思って、写真に撮れば分かるだろうと考えた。だろう? これに映りゃあ、幽霊でもお化けでもない。正真正銘、生身の人間ってことになるじゃないか」
「なるほど」
「ところが…」
「ところが、何枚撮っても、映ってない?」
「そうなんだ! そのとおりなんだよ!…」

 ケンタはガックリと肩を落とすと、またハナをズルズルすすって泣き出した。ゴミや雑誌の散乱したダイニングの床の上で、大の男が、まるで姑女にイビリ抜かれた嫁みたいに、めめしく泣いてやがる。オレは腹が立った。が、また、かわいそうにも思った。いったん嵌まったワナからは、そう簡単には出られまい。きままな雲の上のヤツらが、いつかまた、きまままに気持ちを変えるまで、じっとがまんの子で耐えていく以外、手はないんだから。

 それから半年間、オレはアイツに会わなかった。会えなかった。なんども家に連絡したが、つかまらなかった。年の瀬に仕事場に問い合わせてみたが、契約切れで二ヵ月もきていないということだった。気になった。アパートに行こうと思った。が、行かなかった。じつはオレも忙しくて、他人のことなど構っているヒマはなかったんだ。

 時間のたつのは早い。二年と区切られた研究所通いも、いつの間にか終わりに近づいていた。年明けて二月末には、卒業制作の作品を出さなければならない。報道写真を選んでいたオレは、できるだけ方々歩き回る必要があった。足で稼ぐしかない世界だ。少しでも世相を反映した事象に出会うと、かたっぱしからマミヤ35KR-30168に収めた。

 ところで、さっきもちょっと触れたけど、卒業制作の構想はこういうものだった。

 まったくランダムに漢和辞典を開く。開いたページから一つの単語を選ぶ。自覚、労働、停止、楽屋、千秋楽、信号、交差点、なんでもいいんだ。要するに、偶然選んだ言葉に写真の方を合わせていくわけさ。たとえば自覚だったら、オカマが鏡の前で鼻毛を切ってる画とか、労働だったら、自分の半分もあるペットの犬を抱いて歩く毛皮の成り金婦人とか、いつかオレの仕事の見本にケンタにも渡した、信号を待つ無関係な群衆の完璧な一致性とか、なんやかや、いろいろあるのさ。そんなものをワンサと撮って、収録、編集する。

 あれは二月の二日だった。

 どういうわけか、めずらしく早朝に目がさめた。すぐ卒業制作のことが頭に浮かび、ほとんどできあがった写真集を、また初めから見直した。締切までに間がなかったが、いまひとつ、納得がいかなかった。切れ味がわるかった。これが現代だ、と大見栄を切れるものがなかった。象徴性をコンパクトでリアルな画面に圧縮していくプロセスが甘いのだ。観念に走り、現実に則していない。オレは焦っていた。

 なにが足りないのか?

 答えは、しかし、分かっていた。第二次石油ショックの直後だっただけに、現代そのものに肉薄するにはどうしても、砂漠のパイプラインを撮る必要があった。現代社会に血肉を供給する血管そのものが、大ピンチにみまわれている。それを一発で表出できる写真が欲しかった。

 だがオレには、中東に行く金もなければ時間もない。それは、実に、あたりまえのことだった。だが、そのあたりまえのことが、悔しくて腹立たしくて、なんど画を見返しても、あきらめがつかなかった。高望みしてたんだな。ナイものねだりの一文なし。はっきりいって、やっぱ、若かったんだね、あのころは。

 あきらめきれない気持ちを抑えつつオレは、また初めから未練がましく卒業制作作品のページをめくりはじめた。

 そのときだった。

 いきなり電話が鳴った。オレは一瞬、全身から血の気が失せるのを感じた。なぜだ? 心臓がドカッと音をたてて落ちた。どうしてだ? 不思議だった。わけもなくそのとき、アイツになにかが起こったと、オレは直観したんだ。おそるおそる受話器をとると、案の定、万世橋警察署からの電話だった。

 いま思えば、あの日のアイツの行動は、手に取るように分かる。録画ビデオを見るように、なんどでも繰り返し、思い浮かべることができる。

 ケンタはあの幻の白い女に、完全にまいっていた。

 オレと会わなくなって半年間、あの女のことばかり考え、追いかけていた。カキ色の中央線のケンタの向こう側に、黄色い総武線の白い女が現れる。水道橋を抜けお茶の水に着くちょっとまえ、女はアイツをソッと誘う。控え目に、密やかに。アイツはそれに、コロリとまいる。まるで女郎グモの巣に引っかかる間抜けなハエだ。だが、橋の下を抜けると女はもういない。アイツは大あわてで、通勤者で溢れるホームを駆け回って探すが、女が見つかることはけっしてない。

 あの日もケンタは、装填したカメラ片手に新宿から中央線に乗りこんだ。電車が信濃町を通過するころ、向こう側から総武線の黄色い電車が近づいてくる。あわやぶつかると思うとき、二本の電車は並んで走行しはじめる。そんな風に、追いつ追われつ、何本かの総武線を追い越すうち、水道橋を通過して間もなくケンタの乗るかき色の電車は、いましがた駅を出たばかりの黄色い電車に追いついて並んだ。そのときケンタは、いつものように、白い女が自分の前にいるのをはっきりと認めた。

 女は、伏せ目がちな黒い目を瞬かせ、顔いっぱいではにかみながら、白い華奢な右手を腰の辺りでそっと振ってみせた。ケンタは夢中でシャッターを押し続けた。撮れた!バッチリだ!いままでにない手応えだ!なんという存在感だ!まるで、この両手で、生身のアイツを、腰を、生首を、つかんだみたいだ!あの白い肌の湿り気まで、細やかな産毛の感触まで、温かい体温まで、直接こっちに伝わってくるじゃないか!…

 だが、橋の下を抜け、お茶の水駅のホームに入ったとき、いつものように女は、跡形もなく消えていた。ケンタは狂喜の高みから絶望のドン底に、一気に蹴落とされた。

 あの日ケンタは、撮った写真の手応えにとりわけ昂っていた。それだけに、落ちた落差は大きかった。その分の反動が、大きく作用した。うっ積した欲求不満に火がついた。自制がきかなくなった。向こう側の白い女に会いたい欲求が、爆発した。狂ったようにケンタは走った。通勤客で混雑するラッシュ時のホームを、がむしゃらに駆け回った。なんどもひとにぶつかり、跳ね返され、突き飛ばされ、殴られ、蹴飛ばされた。だが、かまわずケンタは、探し回った。あの白い女を。

 だが…だが…そのときだった。次の黄色い電車がホームに入ってきた。そして、運わるくひとに押されたケンタは足をとられ、柱にぶつかり、はずみでバランスを失って、ホームから転落した。不幸な出来事だった。黄色い電車は、そのまま、落ちたケンタの上を通過して…。

 あのあさ、万世橋警察署からかかってきた電話は、ケンタが駅のホームから転落、轢死したので、身元の確認にきてくれという内容だった。

 凍りつくような二月二日の死体置き場に、ケンタはいた。両手両足を切断し、やせて小さくなったダルマみたいに、アイツは死んでいた。伸び放題のあごひげも無残な土色のアイツを見てオレは、たしかに小川ケンタです、と硬直した喉から懸命に声をしぼりだして担当官にこたえた。

 所持品はカメラザック一つだった。中を開けると、撮影ずみのネガフィルムが十本、ケンタ愛用のミノルタF571717、それにオレがいつかケンタに手渡したオレの作品を入れた封筒がひとつ、入っていた。

「封筒の裏にアナタの名前が書いてあったものですから、連絡させていただいた次第です」

 封筒を取り出して裏を見た。たしかにオレの字で住所と電話番号が書いてある。アイツに渡すとき、無意識に書いたのだ。封は切られていなかった。

 オレはきいた。

「女のひとはきませんでしたか?」
「女のひと?」

 怪訝な顔で担当官がオレを見た。

「どなたか身内のかたでも?」
「いえ、べつに…」

 オレは目を逸らした。

「じつは、知らないんです、なにも、知らないんです…」

 オレはそのとき、肝が凍りつくような寒気を覚えた。オレはなにも知らなかったのか?…背筋がなん度もゾクゾクした。本当は知っていたのではなかったのか? ケンタがいつか、取り返しのつかない不幸な目にあうことを、本当は予感していたのではなかったのか?

 初めてケンタのアパートに行ったとき、あの阿修羅を見てオレは、たしか、アイツはコレで命を落とすかもしれないと、直観したんだ。とすれば、オレはやっぱり、無意識にケンタの不幸を予め予期していたことなるじゃないか。

 はっきりいって、オレはいまでも後悔しているよ。あの予感は、たぶん、ケンタをワナにはめるついでに、雲の上のヤツらがオレという存在を利用しようと決めたときの、オレに送ったなんらかの合図ではなかったのか。とすれば、アイツを危機から救うために、なにかオレにできることがあったはずだ。もしオレが、もう少し早く、そのことに気づいていたとしたら…。

  いや、これはまた、すっかり陰気な話になっちまって、まったくもうしわけないね。気分わるくなったひとがいたら、ごめんよ。弁解するワケじゃないけど、なにも、オレ、好きでしゃべったワケじゃないからね、こんなこと。

 えっ、なんで報道写真をやめたのかって? そりゃそうだろう、あんなケンタの死にザマみたら、ひとさま相手に仕事するのが恐ろしくなって、やめちまったのさ。オレって、変わり身が早いんだよ、はっきりいって。

 じゃあ、おやすみ。あしたもまた、無事の下山目指して、がんばろうぜ、なあ、みんな。

               ◇

  翌日も雪は一日じゅう降り続いた。みなよく眠れるせいか、避難者にはまだストレスの兆候は認められず、各班それぞれ所定の仕事を粛々と遂行した。消灯直前、カメラマンがその夜の語り手として、女監督を指名した。監督はいくぶん予期していたようだったが、しかし、あら、と意外なふりをして座り直し、長い指で髪をすいた。

 

                    第3話 白い氷


 まず、どうなんでしょう、ハナシをしなければいけない本人が、いきなり質問することからはじめたりしたら、みなさんにムッとされてしまって、あとが続かなくなってしまうかもしれませんけれど、でも、正直、わたしには、機会さえあれば、いつか、だれかに、話そうと思っていた隠し事が一つあって、それが、いまだにチャンスがなくて、だれにも打ち明けることができなくて、今の今までやり過ごしてきてしまいました。そのせいか、いつも喉のおくに、なにかグリグリしたものが詰まっていて、あの出来事があってからここ十数年、いえ、もっとかな、朝にすっきり眼覚めたこともないし、夜中に悪夢まがいの恐怖で、目が覚めなかったことなんて、一度もなかったんですの。

 ですから、この突然の雪崩って、みなさんには、とてもわるいんですけれど、わたしには、不幸中の幸いとでもいうのでしょうか、そのおかげで、やっと秘密の暴露ができてしまう、ていう、沙汰やみのありがたいオミクジにでも当たったような気分になってしまって、もうホッとして、なんとも、嬉しくてしかたがない、といった気持ちで、いっぱいなんです。

 で、最初にもどりますけれど、まずみなさんに、ぶしつけになにを質問したいのかといいますと、罪とはなにか、ということなんです。別な風な聞き方をすれば、みなさんがなにを罪と考えてらっしゃるか、ということなんです。 

 いきなりなんだ、禅問答でもふっかけるつもりか、なんて、怒ってらっしゃる方、いらっしゃるかもしれません。だって、そんなこと、強盗や殺人や、親殺しや子殺しや、いろんな犯罪や事件が、身のまわりで、日常茶飯事におこっているのに、ふしぎと、普段の生活のなかでは、罪だの倫理だのと、まともに考えたりすることなんて、そうしょっちゅうあるものではありませんでしょう? 

 ましてや、犯罪にまつわる悪や罪について、腕組みしてじっくり考察してみよう、なんていう時間も動機も、どこにもありませんものね。ほんとに、凶悪で、狂気としかいいようない事件が、あまりに多いので、罪や悪のエキスそのものが、極端に薄められてしまって、わたしたちみたいな、平凡な暮らしに慣れきっている生活者の舌には、苦くも甘くも辛くも、なにも感じられなくなってしまっているのかも、しれませんね。

 前置きはともかく、失礼とはおもいますが、みなさんが、罪などについて、日ごろ考えたこともないし、周りのだれと話していても、そんなこと、いままでハナシのハの字にもならなかったし、平和で安全で、ほとんど疑似的だけれど、すこやかで安心のある毎日を送っておられる、という、あくまで、わたしが独断と偏見でみたてた仮説のもとに、今夜は、自分が自ら犯した罪と、その災厄が、いつ何時、みなさんの身にふりかかっても不思議ではないし、またなぜか、気まぐれな神様の気分次第で、突然、悪が善にさまがわりしたり、災厄が褒章と化してしまうようなことだってあるんだよ、ていう、前代未聞のおハナシを、お聞かせしようとおもいます。

 むかしむかし、あるところに…なんて、冗談ですが、いまからずいぶん前のことですけれども、わたしがまだ若くて、シワもシミもこんなに出ていなくて、自分でいうのもナンですけれど、もっとマジに初々しくて綺麗だったころのことでした。わたし、映画が大好きで、とりわけ、新鮮で繊細で、それでいて鋭く大胆な、鋭利な刃物で知性の端部から切り裂いてくるような、そんなヌーベルバーグの映像表現に、大変興味をもっていたものですから、そんな映画でもつくりたいな、ておもって、都内のある映画制作会社に就職しようと、何度か、試みたことがありました。

 ちょうど東京五輪のテレビ世界同時放映があって、それを契機に、映像の国際化が目に見えて推し進められていたころのことです。映像が映画館の枠組から解放されて、というより、特別な暗い空間が不必要になって、街中に、それこそ、お茶の間にまで飛びこんでいった当時、文芸娯楽を支えにうんと稼いできた映画業界なんか、斜陽産業への転落まじか、っていう悲惨な状況になりつつあったんです。

 なのに、学生運動には、あれだけ過敏に反応していたくせに、わたしって、時代の一方では、時流に無頓着かつ無関心だったらしくて、文字通り初々しくも幼稚で、まるっきり情報リテラシー欠如の、さしずめ、ご時世にうといズブの田舎者だった、ということなのかもしれませんわね。将来性のない業界に自分の生涯をかけて飛びこんでいこうなんて、なんの疑問もなく、勝手に意気ごんでいたわけですから、おめでたいもいいとこですよね。 

 けれども、世の中って、よくしたもので、幸か不幸か、制作会社の方から、ことわられました。それもそのはず。先の見えないマイナーな事業に、新規採用枠をもうけるなんて、どう考えても財政的余裕など、あるはずもないでしょう。行く先々で、こう言われたものです。

 いまどき新規採用ですって? なに考えてらっしゃるの? 世の中よくごらんなさい、映画つくってまだ食べていける時代とでもお考え? あまいな、あまいな。そんなに映画がおすきなら、どこかの独立プロにでももぐりこんで、バイトしながら、それこそアナタ自身がしっかり貢いであげて、なんとか観れるモノにしてあげるッキャないわよね、現に、そうやって撮ってるひとたち、わんさといらっしゃるわよ、その辺に…とね。

 それにしても、自分で貢いでなにかをつくるなんて発想、ヘンだとおもいません? 西表山猫の生態にほれ込んだ篤志家が、私財を投げ売って、絶滅危惧種の保護に身を投じる、とでもいうのなら、なるほどと、うなずけないこともありませんけれども、内容はともかく、映画一本完成させるっていったって、だれかの創作欲とか事業欲の発露の結果でしょうし、自分でシナリオ書いて、演出して、独自の美意識を徹頭徹尾すりこんだ映像表現ができる、なんていうのでしたら、貢いで、貢いで、貢ぎこんでも、足りるということはないでしょうけれど。

 そういうふうに振返ったとき、ふと、思ったんです。じゃあ自分が、貢いで、貢いで、貢ぎ込んでも、まだ貢ぎたいものって、なんだろうな、て。そしたら、わたし、すぐに、答えをみつけることができました。ほかでもありません。それは、好きで好きでたまらない、この、山に生きる、ということだったんです。

 山に生きる…わたしなんかにいわれるまでもなく、みなさんは、とっくの昔から、生きてらっしゃいますよね、山に。でも、それぞれが、どんな生き方をしてらっしゃるかなんて、そう簡単にはわかりませんよね。ひとによって、まるっきり違いますもの。

 マッキンリー、あのデナリ山に、単独登頂するプロ冒険家の生き方もあれば、ヒマラヤ山系のエベレスト、チョモランマ、サガルマータや、カラコルム系のK2、チョゴリなど、標高八千六百メートル級の山々はたくさんありますけれど、それらに挑戦しなければ生きた心地もしない登山家の生き方もあるでしょうし、わたしみたいに、若干、自虐的な考察ですけれど、何とかひねり出した年末年始の時間帯を、酷寒といってもせいぜい零下十数度、標高といっても高々二、三千メートルに届けば御の字、といった条件下で、チマチマと山時間を賞味する生き方もあれば、山岳救助隊のように、危機に瀕した遭難者を、命がけで救助する、超ダイナミックでスリリングな、うらやましい限りの山を生きてるひとたちもいらっしゃるでしょう。ホント、わたし、十年若かったら、あの山岳パトロールの世界に、飛びこんでいたかもしれませんわ。

 いえ、実は、わたし、飛びこんだんです、飛びこもうとしたんです、あの山岳救助隊の世界に。

 あれは、ちょうど十年前のことでした。さきほども触れましたけれど、行くところ行くところで断られた大好きな映画製作へのミチがみつからず、挫折して振返ったときに、自分の究極の目標としてとらえなおした、大好きな山を生きるミチ、この二つのミチを融合して、組み合わせたら、どうなるだろう、うまいぐあいに合わせられないだろうか、といろいろ考え、悩みました。そして、思いきり悩んだ末に引き出した結論は、山岳メディアに活路をみいだす、ということだったんです。

 山に生きることが、そのまま、映画製作につながる方策はないだろうか。たとえば、山に生きるところを映像化すればどうなるだろうか。たとえば、山岳救助隊の生活を、記録映画に撮るとしたらどうだろう、救助隊もわたしも、山に生きる日常を、そのまま一挙に、実録で映像化できるっていうことに、なるのではないだろうか…。

 白馬村の青鬼集落で生まれて、朝焼けの五竜や鹿島槍、ピーカンの白馬、杓子、厳しい雪肌の不帰のギレットや、いつも尖がり帽の唐松など、後ろ立山連峰の壮大な山々を眺めながら、安曇野の大地で育ったわたしには、北アルプスの懐で、春夏秋冬、山野中をかけまわるテンやオコジョと似たようなところがあって、ある種、天然の嗅覚が備わっているのでは、とおもうくらい、雪山や萌える山野の空気が、手にとるように、わかるのです。におうのです。ですから、まずは、安曇野で救助隊を目指そうとおもいました。遭難救助活動といえば、緊急事態なので、安曇野のほぼ隅から隅まで頭にはいっているわたしなどには最適な仕事、と考えたわけです。

 でも、たしかに地元の山岳会で遭難救助の実施訓練はやっていましたけれど、実際の活動となると、まず社会の仕組みや枠組があって、山岳救助は消防、山岳警備は警察、とはっきりわかれていて、いくら天然の空気が分かるんだ、嗅ぎ分けられるんだ、っていっても、まずどちらかの組織に属さなければ、救助活動に携わることなんかできない、というきびしい現実に直面させられました。

 つまり、どちらかに与するということは、映像表現とはかけはなれた縁遠い生活が自分をまちうけているということになる、はたして、そんな選択肢って、今の自分にあるのだろうか…悩ましいジレンマがありました。

 いくら悩んでも答えはでてきそうにありませんでした。そこで、わたし、なにも安曇野にこだわることはない、こことはぜんぜん無関係な、自然条件も社会的枠組もちがう、まったく別のところでもいいじゃないか。たとえばシャモニックス・モン・ブランなんて、どうなんだ。どうせやるんなら、あそこの山岳救助隊に、スッピンのままで、いきなり挑戦してみるテもあるんじゃないか、いや、ある、絶対ある、と決心したんです。

 シャモニックス、て、みなさん、もう、よくご存じだと思うのですが、通常、シャモニーといわれているリゾート地の名前なんですよね。でも、昔から住んでるひとたちは、わざわざ標準語読みしないで、自分たちの土地のことを、昔からそう呼んでいるように呼んでるんですよ。しごく、あたりまえのことだとおもうのですけれど。あそこは、モン・ブランの山麓に広がる山岳都市で、標高は、たしか、公称千三十五メートルだったと記憶しています。

 で、実はその年、八十一年のことでしたけれど、この山岳都市に、シャモニックス国立スキー山岳学校傘下で、土地の山岳スキー監視員救助隊連盟が主催する救助隊訓練講座ができる、というので、わたし、わくわくしながら、方々の筋をたよって、情報を集めていたんです。けれども、最終的にはっきりしたことは、なんのことはない、まず土地のひとが優先で、つぎにフランス国籍を所有すひとで国内居住者が対象、ということだったんです。わたしは、ホント、がっかりしてしまいました。

  でも、一度抱いた、シャモニックス・モン・ブラン山岳スキーの夢、なかなか覚めやらず、で、エイッ、とにかく行って、登って、滑って、本場のアルプス一万尺を満喫してみようよ、行くぞーッ、と決めたんす。そう決めたからには、まず、エギーユ・ドュ・ミディ、ミディ針峰ですよね、まず目指すのは。

 あれは明くる年の3月の初めでした。

 なにしろ海外旅行そのものが初めてだったし、大げさないいかたをすれば、未知への不安もありましたけれど、とにかく初心貫徹の意気込みで、わずかな貯金をはたいて買ったドルとフランを握りしめて、パンパンに胸ふくらませて、あこがれの新天地に向かいました。

 ところが、どうでしょう、到着したわたしを迎えてくれたのは、山手線のラッシュアワーそこのけの混雑した山頂駅や展望台でした。せっかく氷河群の収斂するシャモニックス渓谷や、これから下ろうと楽しみにしていたヴァレ=ブランシュ、それにグランド=ジュラスの巨峰群を一望しようと心待ちにしていたのに、どこを見てもひと、ひと、ひと。これじゃあ、待ってる間に日が暮れちゃうよ、よし、ひとなんか、いないとおもえばいい、ラッシュなんか、なかったことにすればいい、とにかく滑ろう!と腹を決めました。眺望は滑降しながらでも十二分にたのしめるのだ、とにかく滑れ! だって、わたしはいま、モン=ブランにいる、モン=ブランにいるのだ! ピーカンの空を仰ぎみると、モン=ブランは、まるい頭の上に、ほんのり真綿で編んだような帽子をかぶって、文字通りの白山でいらっしゃいました。

 昨日まで吹雪いていたなんてウソみたいに晴れわたった空、クーンと透きとおった空気、-15度のミディ針峰を後に、ガイドロープつきの山道をしばらく伝っていくと、バレ=ブランシュ滑降取っつきの台地にでました。眼下にひろがる氷河、たくさんのシュプールが、思いのままに弧を描いて、白色の氷面を削っていました。思いのままといっても、結構、みんな、難度を意識しているらしくて、自薦で大別すれば、超上級、上級、中級程度の3コースくらいに分かれていました。とにかく生まれて初めての氷河滑降なので、わたしは安全パイをえらび、大カーブで削りのうすい、一番クラシックな自薦中級コースをいくことにしました。ケガして山岳パトロール隊に救助される、なんてことになるの、いやですものね。それこそミイラとりがミイラになってしまいますもの。

 ダウンヒルのとき、みなさんはBGM派ですか、それともNSM派ですか?わたしは、どちらかといえば、あとの自然音派で、エッジが雪面を削る音や、遠くできこえる鳥のさえずり、雪庇を撫でる風の息吹や、耳の風を切る音…偶然のさまざまなミックス=サウンドを楽しみながら滑るのがすきなんです。

 でも、まえに一度、上越のゲレンデで滑っているとき、やたらチャラチャラと聞こえてくる増幅音が不愉快でしかたなかったので、同行の友人からヘッドホンを借り、ゴーグルで耳の上からガチガチに締め上げて、完全無音で滑ろうとしたことがあったんです。そしたら、そのヘッドホン、プレーヤー内蔵のハイスペックもので、頭につけた瞬間から、結果的に、友人が日ごろ好んで流しているBGMで滑ることになってしまったんです。これが、意に反して、なんとも、気に入ってしまって、それ以降、BGM派に転向してしまいましたの。

 というのも、雪上を滑るって、はっきりいって、奈落の底におちていくようなものでしょう? 急斜面で直下りすれば、一発でわかりますよね、そのまま突っ込めば、あっという間にバラバラになって、運が良くても悪くても、確実に自壊してしまいますよね。でも、実際は、そうはならない。何故でしょうか? それは、大げさに聞こえるかもしれませんけれど、死にむかう宿命や危険と懸命にたたかっているから、なんじゃないでしょうか。反射神経を極限まで研ぎ澄まして、刻々と変化していく雪面の状態を察知し、巧みにエッジを切り分け、限界速度をマネイジしながら、シビアな生死の境をシャープなスピードで滑りぬけていく、そのスリルを、BGMが何倍にも際立たせてくれるのです。

 その日も、ヴァレ=ブランシュの取っ付き台でヘッドフォンをセットしました。未来的で宇宙的な、そして刹那的なテクノが、お気に入りのBGMでした。

 氷河は超アイスバーンでした。バーンの深いところは知りません。でも、少なくとも表面は、レインクラストでした。常識では、外側はカリカリ、中はフワフワのはずなんですけれど、昨夜の大雨のせいか、中はもうカリカリ、外はカキリ、カキリ、とでもいうのかしら、形容できないくらい堅くて、氷の棘山をヤスリで削っていくような気分でしたわ。

 転倒したらウエアがボロキレになってしまう恐怖のなかで、容赦なく、滑降がはじまります。

 みなさんご存じでしょうけど、ミディからシャモニックス・モン・ブランへの下り経路は、ヴァレ=ブランシュの西側斜面がベースになっていて、滑降中、どうしても、谷足の右足一本で全荷重を支えてしまう斜滑降の頻度が多くるので、とても疲れます。なので、右足の大腿筋がパンパンになって、もうどうにもこうにもならないな、とおもったら、ギュンとピンカーブターンを入れて山足に体重移動し、谷、山、谷、山と高速ターンしてからもとの右足荷重の斜滑降に戻ります。こうすることで、片足にかたよったストレスを両足に均等分散させることができるし、単調な滑りに変化が出て、これぞ滑る醍醐味、と、かえって、気分も昂ってきますのよ。

 あの日も、きままなスピードで、けっこう複雑なスラロームを楽しんでいたのですが、何度目かのピンカーブターンのあと谷、山、谷、山と数回高速回転しようとしたとき、いきなり目前に<クレバス・危険!>の標識が現れたんです。しかもそのとき、絶妙のタイミングで、テクノのギューンと鋭い金属的が内耳に響いたかと思うと、多重の不協和音といっしょに全音が急停止し、もろに慣性反動をくらったわたしは、そのまま音なし空間に完全に放り出されてしまったのです。

 キーンとつまりきった絶対無音のなかで、わたしは、おもわずエッジを立て、カッカッカッと氷面を削って急停止しようとしました。でも、止まってくれません! <クレバス・危険!>の標識が目の前を通り過ぎて、どんどん遠ざかっていきます。ヤダッ!こんなところで死ぬの!…わたしは、反射的に両手でストック二本にぎりしめるや、大上段から氷面に突きたて、エッジとストックのたすけをかりて氷層をガリガリ削りながら、やっとのおもいで滑落を制止することができたのでした。 

 正真正銘の命拾いでしたわ、本当に怖かった。

 見ると、優に十数メートルはある一本の深い亀裂が、人ひとり簡単に転がり込めるほどの巾で、二、三十メートルにわたって氷面を引き裂いていました。その深みからは、凍てついたダークブルーの恐怖心が、開かれた白日のスカイブルーに向かって、徐々に白濁しながら、シャープな亀裂面をジワジワとせり上があがってきます。自分は、いま、生と死の間でぶら下がっているんだ!…心臓がドッキンと音をたて、胸やお腹全体が、一度にドーンと、奈落の底に落ちていくのを感じました。

 あれは、いま思い出しても、とても不思議な体験でしたの。どうしてかっていいますと、ヴァレ=ブランシュにあんな大きなクレバスが出現するなんて、考えてもみませんでしたから。だって、そうでしょう、あんな、一度に何人もの人をゴソッとのみ込んでしまうような大きなクレバスがあるような難所なら、駅や宿泊所や入山管理所や、そこここで、それなりの注意の喚起がなされていたはずなのに、そんなの、どこにもありませんでしたし、事前に調べたどんなガイドブックにも、そんな注意書きや記述は、どこにもありませんでしたからね。

 ただ、その後、わたし、何年にもわたって、実は頻繁に、ヴァレ=ブランシュを滑降する機会にめぐまれたんですが、幸か不幸か、もう一度、同じような危険な事態に、遭遇することがありました。それが、いま、みなさんにお話しようとしている出来事なんです。幸か不幸か、て、いいましたけれど、実際、あのとき知り合った相手の男性にとっては、とても不幸でアンラッキーな出来事だったんでしょうね。でも、当のわたしにとっては、この上もなく好都合でハッピーな、千載一遇のチャンスにめぐり合わせた、といってもいいすぎにはならないくらいの、出来事だったんです。

 あのひと、フランス人の男性、というより、バスクのオトコ、といった方が、ピンとくるかもしれませんわ。

 身の丈はそれほどではなかったけれど、みるからに屈強な体躯で、胸板は厚く、ウェアからのび出た手首や拳は、骨格標本の肢体を連想させるほど立派で逞しく、どちらかといえば、アジアの華奢な体形を見なれたわたしなどには、目を見張るような頑丈なアスリート、って感じがしたのでしたが、ロビーを行き来する現地の行楽客やスタッフの眼には、どちらかといえばずんぐりむっくりの冴えないタイプだったのでしょうか、これといってとりたてて人目を惹きつける特徴ある存在ではなかったのかもしれませんわ。

 粗忽な風体ではなく、むしろ尋常な気配りを身につけた教養人らしい物腰には好感すらもてたけれど、通りすがりにかれのことを振り返ってみるひとはだれもいなかったし、とくに接客担当の女たちはまるっきり無関心で、かわいそうなくらい素っ気ない扱いをうけていました。

 要するに、そこらにいる、ごくごく普通の白人男で、頭髪の後退でオデコは禿げ上がっているのに、襟のファスナーからは茶髪系のフサフサした体毛がのぞいてみえる、そう、一見して、豊かで充実した壮年期を謳歌している陽気でマッチョな楽天家、て感じのオトコでした。

 その日、わたしは、まさに、そのようなひとを探していたのです。べつに、オトコに餓えていたわけではありませんのよ。当時、わたしは、とても野心的でスリリングな企画を担当させてもらっていて、なんとしてもそれを実現させようと、奮闘努力の毎日で、それこそ充実した日々を送っていたんですの。

 ごめんなさいね、ハナシが前後して。実は、さきほどお話した、あのヴァレ=ブランシの恐怖のクレバスを味わって帰国したわたしは、すぐ、青山にある、小さいながら、山岳関係のプロたちが集まって立ち上げたばかりの、<山岳メディアプロダクション>という小さな事務所に就職することができたんです。

 その小さな事務所というのは、みなさんも覚えてらっしゃるとおもうのですが、ほら、もうかなりまえのことになりますけれど、日本の登山隊がアイガー北壁の登頂に成功した、ていうニュースが、一時、岳界を大きく騒がしたことがありましたでしょう。実は、あの登頂グループの一人と懇意な山岳プロスキーヤーがいて、そのひとが、北壁攻略の快挙にとても触発されたのか、はたまた、とてもビッグなビジネスチャンスになると、野心と商才をはたらかせることになったのか、どちらかよくわかりませんけれど、早々と、山岳映像制作配給事務所をつくってしまったんです。

 そのニュースを耳にしたわたしは、安曇野の幼なじみの友人、かれも同じプロのスキーヤーのひとりだったんですが、その事務所のこと、紹介してくれない、て頼んだんです。そしたら、いいよ、ということになって、わたしは運よくタイミングよく、その事務所に就職することになったんです。

 で、そこはなにを仕事にしている事務所なの、てことになりますけれど、やっていることは、仕事というよりはむしろ、自分のやりたいことやアイデアをみんなで出し合って、みんなで議論して検討して、そして、みんなが気に入れば全員参加でやっちまおう、ていう、いと民主的なやり方で決める贅沢な遊びみたいなもので、中身といえば、文字通り山岳映像を制作し配給する、という、趣味と実益、野心と目論みを兼ね備えた、いと採算無視の、冒険的な活動にみちていました。

 実際の業務内容といえば、聞くにせよ見るにせよやるにせよ、ホントに面白くて興味深くて、山に生きると決めたわたしのような人間にはもってこいの、ホクホクと熱くて、気持ちをわくわくさせずにはおかない、アメイジングな仕事でした。

 たとえば、こんな企画もありましたのよ。

 立山の山開きの当日、剣御前で一人の男性山岳スキーヤーが右足首を複雑骨折したらどうなるか、という想定のもとに、実在の山岳人にきてもらって、前日の室堂ホテル到着から宿泊、翌滑降当日の室堂出発、シール山行、ツボ足登頂、御前谷滑降、そして転倒骨折、もちヤラセですよ、そして救出、ポッカの活躍、救急搬送、大町病院診察、タクシーでの東京帰還と入院手術までの顛末と経費の試算、これらをまとめて実録風に再現した一時間ものの映画を製作する。

 これなんか、わたしが就職して初めて取り組ませてもらった企画で、いまと違って、室堂ホテルができて間もない頃のことでしたから、おおかたの板にはバインディングの安全装置なんか着いていない時代でしたし、大半のスキーヤーには、いつ骨折してもオレはかまわない、なんていう覚悟はあったのかもしれませんね。みな、山岳事故にありうる最悪の危険や恐怖と闘いながら、登ったり降りたり滑ったり、雪洞を掘ったりしていたのではないでしょうか。オレの両足にはボルトが何本入っているんだ、なんて、いまからおもえば、歴戦の戦士みたいなセリフを吐いては鼻を膨らませていた、銀の額縁に入れて壁にでも飾っておきたくなるような、セピア色のベルエポックだったのかもしれませんわね。

 あの子供っぽくて、岳人だけじゃなくて、どんなひとにだって、まだ気骨みたいなものが備わっていて、美意識や自尊心みたいなものが、まだまだ失われていなかった時代、そんな時の流れには、ある種の匂いと音がついてまわっていて、わたし、あのバスクのオトコにそれを感じとったんです。かれとロビーですれ違ったとき、プーンと伝わってきたどこかキナ臭い匂い、風も吹いていないのにどこかで空を切るサワサワした音……わたし、背筋にゾクゾクって、悪寒がはしるのを感じました。

 あれは、三度目のアルプスでした。一度目はユングフラウヨッホで、山岳鉄道と欧州最高地点の展望台からアイガーを眺望する観光ツアーの取材、二度目はマッターホルンで、スイスのツエルマットからテオドールパスを抜けてイタリアのブレイユ=チェルヴィニアまでいたる山行の取材、そして、この三度目が、なんと、わたしにとっても懐かしのモンブラン、しかも対象地をシャモニックス=モンブランに限定し、遭難者の救出活動の一部始終を、山岳パトロール隊に貼りついて取材するという、むかし夢にみた山岳人生と映像制作をドッキングさせる絶好のチャンスが、めぐってきてくれたんですのよ。

 日本はちょうどバブル全盛期、国内外の金融市場では円が席巻し、有望企業への投資ラッシュが過熱する一方で、企業買収はもうマネーゲームの域、絵画美術骨董品のオークションやその舞台裏では羽毛よりも軽い円札がヒューヒュー飛び交うなか、とうとうロワール河流域のお城まで買い取ってしまう大金持ちもいたりして、黄色いサルはイヤ、働くアリはキライ、エコノミックアニマルは養鶏場から出てこないで、なんて、沸騰する日本経済が世界中で物議を醸していたころのこと。

 山岳ファーストの岳人好み企画がどれだけ採算無視かにもびっくりするけれど、それにもまして、スポンサーの財布の紐も緩かったんでしょうね、企画選定会議にかけてわずか三日でオーケーのゴーサイン。実際、いくらでも手に入る円をどこに使うか、みんな鵜の目鷹の目で探していたくらいだから、いまからみても、この世の出来事とはおもえないくらいアバウトで野放図なビジネス感覚に、とりつかれていたんですね、世の中全体が。

 そんな風でしたから、だれも手をつけたことのない山岳遭難事故救出活動のナマの記録だよ、なんて聞けば、ファイナンスする側にとっては新鮮そのもの、興味津々で、怖いもの見たさの心理もおもいきりくすぐってくれる、画期的な掘り出し物にみえたのかもしれませんわね。

 きっかけを作ったのは、かれの方でした。

 現地パトロールとの段取りは十分にできていたので、取材期間として最低の二週間をみていました。信じられないでしょう? いまじゃ、一週間だって、贅沢な!って、ネグられちゃいますものね。

 最初の一週間は順調でしたのよ。スキーヤーやクライマーには気の毒でしたけれど、ミディ南璧やコスミック岩稜で骨折、滑落、捻挫、高山病などなど、パトロール隊の大小いろんな救助作戦を密着取材し、フィルムにおさめることができました。かれらの組織力と機動力って、それはそれは見事なもので、日本じゃ、とても助からないな、ておもうような被災状況でも、いとも簡単に救助してしまうのです。

 圧巻だったのは南璧でクライマーが遭難した、というか、ロッククライミングの途中で、登るに登れず降りるに降りられず、体力知力尽きて、進退窮まって、とうとう遭難信号を出した、というときだったんですけれど、救難ヘリが現場上空に飛来したのが信号を受け取ってからわずか十五分後、ただちに隊員二人がロープで降下、岸壁にへばりついた遭難者を命綱で確保し、わずか30分後にはヘリに収容してしまうという手際の良さ。手慣れているというか、実地訓練が行き届いているというか、おかげさまで、そこそこ実のある取材はできましたわ。

 けれど、救難映像としては、いまいち、物足りなくて、もっと衝撃的でグッとくる画像が欲しいな、と、残りの一週間に賭けていたんですの。でも、一日、二日と、平凡で、赤チンでも振りかけておけばいいくらいの、並みの事故しか発生しない日々がつづきます。ああ、期限はこくこくと迫ってくるのに、あの肝心の、憧れれのヴァレ=ブランシでさえ、まだ一つも事故が発生していない、だれも遭難していない、そんなことって、おかしいじゃないか、異常じゃないか、あそこに一歩も踏み込まないで帰るなんて、わたしにはとてもできない、なんとかしなくちゃ……ホントに焦っていたんですね、わたしって。

 とうとう、これといった映像の収録もできず、あと三日しか残っていないという日の夕刻、わたしは、どうしたものかと、いらいらしながら、ロビーのソファーに頬杖をついて、組んだ脚をブラブラさせながら、座っていました。すると目の前に、ひと一人、のそっと現れた気配がしたので、ふと見あげると、あのバスクのオトコが、そこに立っていたんです。

 「ボ、ボ、ボ、ボンソワール」

 かれは、どもり、でした。いかにも容量のおおきそうな肺から、太い声帯をとおって出てくるバリトンには、よくお寺で耳にする読経みたいな響きがあって、体躯からくる威圧感はやわらげてくれましたけれど、抑揚にどこか歪なところがあって、語学にうといわたしの耳にも、とても流暢とはいえない、もちろん、あとでわかったことですけれど、バスク訛りというか、スペインなまりというか、聞きなれないフランス語にきこえました。そんな感じでかれは、野球のグローブみたいな右手をさしだしてわたしに握手を求め、こんなことをいったんですの。

「きょう、みかけました、ミディ南璧で。アナタ、大活躍でしたね」

 わたしは一瞬、ギクリ、としました。なぜかって、みるからに圧倒的な体格、万力でひと一人身動きできなくさせるほどの腕力、そんなひとに片腕締め上げられたら、だれだって恐ろしくなるとおもいません? しかも、いつのまにか本人がしらないときに、見られていたっていうんですよ。わたし、半身で腕を引き戻しながら、座りなおしてこういいましたの。

「南璧クリアしたのに、こんなロビーなんかで、ケガしたくないわ」

 すると、かれは、

「おっと、これは失礼!」

といって、手をはなしぎわにサッと隣にすわり、

「ワッハッハッ!」

てわらうんです。わたし、ムッとしました。本当は、

「だれも隣に座って、なんていってないわよ!」

て、いいたかったんですけれど、どこか、屈託のない笑いでしたので、あまり素っ気ない態度もナンだとおもって、つい気を許してしまったんでしょうね、そのまま相手のさそいに、乗っかってしまったんです。

「なにか、ご用?」
「い、い、いや、べつに用はないんですが、と、とても、イライラしてるな、って感じだったので、つい」
「あら、見られちゃったのかな」
「そ、そう、見えてましたよ。ミディ南璧では、あんなにすごいパフォーマンスだったのに、な、なにをそんなに?」
「頑張りすぎたのかも」
「す、すこし、つ、疲れたね」
「そうかもね。で、アナタは?」
「ぼ、ぼくは、疲れてません」
「じゃなくって、どこからいらしたの?」
「オー、わたし、バ、バスクです、知ってます、よね、バスクって?」
「ええ、バスクって、日本とは、とても縁の深い国ですのよ」
「へー、ど、どんな縁ですか?」
「むかし日本にキリスト教を伝えたお坊さん、フランシスコ・ザビエルというひと、あのひと、バスクの人でしょう?」
「さ、さすが、アルプスのパトロール女子だな。よ、よく知ってますね、欧州のことを。そうです、当時のバスクは、ポ、ポルトガルや周辺諸国と協調関係にあって、ザビエルはイ、イエズス会の僧侶、でもあったんですよ」
「で、アナタは?」
「わ、わたしは、僧侶ではありません」
「じゃなくって、お名前は?」
「あっ、わ、わたし、ヒ、ヒ、ヒロシマです」
「ヒロシマ?」
「そ、そうです」
「ヒロシマって、日本の広島のヒロシマ?」
「ち、ちがいます。バスクの、ヒロシマです」
「バスクのヒロシマ? そんなの、ありましたっけ?」
「そ、そんなの、あります。バスクのゲルニカ、知ってるでしょう?」
「はい、でも、あれって、スペインでしょう?」
「おっと、国境は時間軸でかわってくるので、そう簡単にわけられないんですけど」
「じゃあ、地理的には? ちゃんと分かれているじゃない?」
「時間軸、つまり、歴史に頓着しないという前提でいえば、バスクは、ピ、ピレネー山脈の両麓に広がる領域、とでもいうか」
「つまり、スペインとフランスにまたがる?」
「あ、あなたには、どうしても、国境にこだわる習性がありますね。バスクは、たしかに、フランスとスペインにまたがっていますけど、グーンとローマ時代にさかのぼってみてくださいよ。ピレネー山脈はあったけど、フ、フランスもスペインもなかったでしょう、あ、あのころは」
「あのころはって、わたし、まだ生まれてなかったから、分からないわ」「ぼ、ぼくだって、生まれてないですよ!」
「それで、ローマ時代がどうしたんでしょう?」
「ローマ時代、ピレネー山麓に分布する漁労山岳のひとたちを、ローマ人が、ヴァスコニア、と呼んでいたんです。ヴァスコニアはバスク人のことで、バスク人が分布する領域をバスクといようになった、というわけなんですよ」
「それが、ゲルニカとヒロシマに、どう関係するんでしょうか?」
「こ、ここで、ちょっと、時間軸がはいってくるんだけど、いい?」
「簡単にね」
「オーケー。ときは中世、サラセンがイベリア半島まで勢力をのばしてきたころのこと、アラブ人やその他の民族との戦いで、ピレネー山麓民族ヴァスコニアに統一意識が高揚しました。バスクはヴァスコニアのもの、バスクを守れ、ヤレーッてことで、ついにバスコニアに公が認める領域が誕生した、というわけなんです。そしてそれが、やがて王国へと発展していくんですよ」
「すごいじゃない!」
「す、すごいでしょう! こ、この統一意識を再び高揚させて、真のバスコニアに回帰しようという意識や活動のシンボルが、ナチの爆撃で壊滅的打撃をうけたゲルニカなんです。そして、おなじように史上空前の戦禍にみまわれた広島と連帯して、れ、連帯してですね、世界平和を推進しようと結成されたのが、世界平和推進ゲルニカ・ヒロシマ友の会で、ぼ、ぼくはその広報担当員、コード名がヒロシマ、というわけなんです」
「ホー、それでヒロシマと名のってるわけね」
「そうです。で、あなたは」
「わたしには、コード名、ありません」
「じゃあ、ハンドルネームは?」
「ありません」
「でも、よかったら、せめて、ニックネームだけでも、教えていただけませんか」
「そうね、じゃあ、わたし、ナガサキ、ともうします」
「ナガサキ!?」

 それ以降、わたしとそのバスク人は、コード名で、ヒロシマとナガサキ、と呼びあう仲になりました。

 はっきりいって、このヒロシマって名のるバスクのオトコ、とっても変なヤツでしたわ。なにがヘンて、一言でいうのは、むつかしいですけれど、とにかく、世界平和推進ゲルニカ・ヒロシマ友の会の広報担当員というくらいだから、ボランティア精神にあふれた根っからの平和主義者で、柔和で思慮深くて、控えめで、礼儀やマナーをわきまえた、ちゃんとした市民活動家のひとりかと、ついおもってしまうでしょう? 

 わたしも、最初、そうおもっていましたの。ですから、こちらも意識改革しなくちゃ、とおもって、世界で唯一被爆した国民のひとりとして、広島やゲルニカと、被災体験や反戦意識を共有させていただきますわ、みたいな気持ちで、わざわざ、おなじ被爆地の長崎から、ナガサキってコード名もらって、わたしなりに、誠実に、対応したつもりなんですのよ。

 でも、あのあと、アペリティフにさそわれて、ロビー裏のカフェテリアでシェリー酒をなめながら、被爆をテーマにした邦画や外国映画をいくつかとりあげて、ピントのはずれたコメントまじりの、とりとめもないおしゃべりを始めたんですけれど、シェリーの酸味や温もりが、頬や指先に、ほんのりつたわってきたなって感じたころ、急にヒロシマが、こんなことをいいだしたんです。

「ず、ずいぶんムカシのことになりますが、ア、ア、ア、アナタの国のレ、レッド・アーミーが、パリ発トウキョウ行きのジャルをハイジャックした事件があったの、お、覚えてますか?」
「なんなの、急に、ハイジャックのハナシなんか」
「知ってますか?」
「レッド・アーミーって、アルメ・ルージュ、赤軍のこと?」
「そ、そうです、し、知ってるでしょう?」
「エエ、知ってることは知ってますけど、わたし、まだ子供だったし」
「ぼ、ぼくは、パリで、学生やってました」
「パリって、あの五月の?」
「あ、あれは、その十年前の出来事です。ダッカのハイジャック事件は、ずっとあとの、七十七年です」
「あ、そうでしたね」
「そ、そうです。あのころ、パリ=トウキョウ間には北と南回りがあって、南回りは、アジアの五つか六つの空港を経由してたんですよ。で、あの事件では、インドのムンバイを離陸したところでハイジャックされたんです……」

 みなさんも、多分、よく、ご存じの事件だとおもうんですけれど、わたしの場合は、両親がその話をしてくれたとき、まだ中学に入ったばかりでしたので、一つ間違えば大惨事、なんて意識はまるでなかったし、かえって、ハイジャックっていう言葉の響きがとても気に入っていて、ピストルの弾や手榴弾がピュンピュン飛びかう、超おもしろアニメ、みたいな感覚で、ウキウキ、ワクワクしながら、聞き入っていたものでしたわ。

 でも、このヒロシマの場合、学生やってた、ていうくらいですから、ちょうど犯人たちと同じ世代でしょう、アニメどころか、リアルタイムで進行する、現実の、スリル満点の、場合によっては、自分の生き方を根底から変えてしまうような、生々しくも衝撃的な事件だったのかもしれませんわね。

 実際、バスクのヒロシマは、ダッカのジア国際空港での人質解放交渉の段になると、異様すぎるくらい詳しくて、事件発生から終結するまでの年月日や身代金の金額、ハイジャッカーの名前まで、空でいっちゃうくらい、ちゃんと覚えてたんですよ。

「どうしてそんなにくわしいの?」
「わ、忘れるわけ、な、ないんですよ」

 一瞬、わたし、からかわれているのかも、とおもいましたわ。だって、反戦市民活動家と日本赤軍のハイジャッカーと、どこでどうつながるのか、しかも自分から、忘れられないほどリンクしてる、ていうくらいだから、まったく想像もできないことだったんです、わたしには。多分、わたし、きょとんとしていたんでしょうね、そのとき。ヒロシマは、あわてて座りなおすと、万力みたいな手でわたしの肩をつかんで、こういったんです、

「きいてください、説明しますから」

 そこで、みなさんに、ちょっとお伺いしますけど、このヒロシマとダッカ・ハイジャック事件のハナシのつづき、聞いてみたいとおもわれますでしょうか? もし、聞きたくないって方がいらっしゃらなければ、このまま、つづけたいとおもうんですけれど…… いらっしゃらないみたいですね。よかった、ありがとうございます。これを話しておかないと、わたしの懺悔話も、最後までいきつかない、てことになっちゃうかもしれませんのでね。では、聞いてみてもいいよ、と、みなさん、おもってらっしゃると判断して、かいつまんで、要約してみますね。

 さて、このバスクのヒロシマは、二年まえから、パリに建築の勉強で来ていた学生、だったらしいんですの。そのころ、ちょうどポルトガルに政変がおこって、実権をにぎった国軍の指導のもと、国をあげて近代化への一歩を踏み出そうとしていた、という時期で、ヒロシマは、都市建築の歴史をたどりがてら、変革期のポルトガルの空気をおもいきり吸ってみようとおもって、商業都市で名高いオポルトへの研修旅行を計画し、七十七年十月五日、ポルトガルエアでオポルトに飛ぶため、パリのオルリー空港で出国手続をすませ、イミグレの待合室で待機していた、というのが、こハナシのはじまりなんです。

 しばらくして、館内放送から、搭乗機に技術的問題が発生したのでオポルト行はおくれます、とのアナウンスがながれてきました。当時はよくあることで、とくに南欧や北アフリカ方面に飛ぶ便では、しょっちゅうだったらしいんですの。で、ヒロシマは、べつにイラつくわけでもなく、愛読書のヘンリー・ライフロクトの手記、なんかとりだして、のんびり読書しながらまっていたそうです。

 そうしたところ、しばらくして、あまり聞きなれない案内がくりかえしアナウンスされていることに気づきました。なにかな、とおもって耳をかたむけると、アルジェ空港が閉鎖になった、アルジェ往復全便中止、とのアナウンスだったというんです。

 閉鎖? あまりないことだな、とおもって搭乗口の柱にかかった時刻表をみると、アルジェ関係には全部中止の表示がでていました。ヘェー、と半分、びっくりしながら、肝心のオポルト便はどうだろう、と目をやると、いつのまにか五時間遅れになっていました。ギャハー、とおもって立ち上がったちょうどそのとき、二人のアジア人が、大きな声で、アルジェ、タマンラセット、チュニス、アンナバ、オランなどと口にしながら、足早にオポルト行の待合室に入ってきて、ヒロシマの隣の席に座ったんですって。

 身振りや手振り、喋り方、それに服装なんかから、きっと日本人だとおもったヒロシマは、アルジェ空港閉鎖のことでなにか知ってるんじゃないかとおもい、若い方の男性に声をかけましたの。天然ガスや石油関係の資源が豊富な国でしょう。だから、日本企業がたくさん進出してるって、ヒロシマはよく知ってたんですね。それに、相手が同世代のひとという親近感もあって、バリアーをはる必要がなかったんでしょう。案の定、若い男性は、訛りのない、きれいなフランス語で、とっても気さくに、自分たちがアルジェリアの炭化水素公団と技術援助契約をしている日本企業の技師であることを紹介してから、茶目っ気まじりにこういったんですって。

「アルジェ空港が閉鎖ですよ! どうしてくれるんです! ぼくたち、もう帰れないかもしれませんよ!」

 ヒロシマもそれに対応しました。

「閉鎖! どうして? やっぱり、ヒツジに占拠されたんだ」
「イヤイヤ、いくらなんでも、そこまで天然じゃないですよ。ご存知かとおもいますけど、先月の二十八日にジャルがハイジャックされたんですが、その犯人が、投降したらしいんですよ」
「投降!?」
「そうです、アルジェ空港に、です」
「そうですか。で、人質は?」
「のこり全員、空港で解放されたそうです」
「それはよかった! それで、あなたたちも、解放されたと」
「じゃないです。ぼくたちはちょうど三時間まえに、アルジェ空港を発ったんです。どうもその直後のことだったようですね、アルジェリア政府が投降受け入れに合意したのは。あぶないトコでしたよ。一時間、いや、三十分でも遅かったら、ぼくたち、アルジェを出られなかったかもしれませんからね」
「出る? すると、トランジットで日本へ?」
「いえ、オポルトに出張なんです。工場検収の仕事で」
「オポルトに工場検収?」
「ええ、正確には、オポルト近郊のオリベイラという街です。ドウロ河ぞいにプラスチック成型の金型工場があるんですよ」
「そうですか、ポルトガルには徒弟制度の伝統が、まだ根強くのこっていますからね」
「そうです。日本と似たところがあって、手のひらでミクロン単位の研磨ができるそうですよ」
「すごいですね」
「楽しみにしてます」
「でも、オポルト行き、すごく遅れてるみたいですよ」
「え、どれくらいですか?」
「いま現在で、六時間ほど、ですね」
「ゲーッ!」

 当時のルールでは、遅延時間が六時間をこえると食事をだす、ということになっていたそうなんですが、やはりルールどおり、お昼ちかくになって、乗客全員にランチサービスがでることになりました。係員の案内で、イミグレ手前にあるレストランまでもどり、食券もらって三々五々、食卓を好きに選んで食べることになったんですが、見ると、奥の方で、先ほどの若い方の技師が、こっち、こっち、と手招きしているのが目にはいりました。年配の技師も、どーぞ、どーぞ、と手をさしだして誘ってくれています。ヒロシマは、赤軍のハイジャック事件について、もうすこし知りたいとおもっていたので、よろこんで日本人技師二人との同席を選び、さっそく若もの技師にたずねました。

「さっきのハイジャックの件ですけど」
「知りたいでしょう、めったにない事件ですからね」
「まさに。それにぼくらには、ラジオで聞くくらいのことしか、わかりませんし。みなさんは、どこから情報をえてるんですか?」
「空港の閉鎖は、さっき、エアフラの職員からききました。ハイジャックの件は、もちろん、本社から直接です」
「電話で、ですか?」
「ええ、国際電話と、それに詳細については、テレックスですね」
「犯人はダレなんです? ラジオでは反体制組織とかって、報道してましたけど」
「日本赤軍です。反体制のなかでも、跳ね上がりの武闘派組織です」
「アルメ・ルージュ・ジャポネーズ!やっぱり、あのテルアビブの」
「そうです。よくご存じですね」
「もちろんです。コーゾー・オカモト、有名ですよ、カレは!」

 そのとき年配の技師が、二人の会話に、こう割って入ってきたらしいんです。

「あまり、アリガタクは、ありませんな、赤軍とかいう連中は」

 ヒロシマは、その言葉に、つよい違和感をおぼえたといってましたわ。なんていうか、とても感情的なリアクションだとおもうんですけれど、人の会話に割って入るやり方とか、おおげさにいえば、年配者のもつ頑強で許容しがたい威圧感とか、白髪頭とか、とにかく、気にくわなくて、まだ青二才だったんでしょうね、ヒロシマは、ムッとして、でも、それを年配技師にぶつけるわけにもいかず、若い技師に向かって、こういってしまったそうなんです。

「しかし、パレスチナでは、コーゾー・オカモトは、ヒーローなんですよ!」

 ね、おわかりでしょ、ヒロシマって、ヘンなヤツなんですよ。たしかに、あのころって、わたしの両親みてても、わかるんですけれど、造反有理っていう、わけの分からない言葉が、まだまだ生き延びていたらしくて、日本や、とくに欧州西側の若い世代にも、永久革命とかという、知識人好みのイデオロギーみたいなものと一緒に、個人的なひとの心理や感情に取り入って、とても新しくてよりよい生き方なんだよ、ってアッピールするための、便利で有効な印象ツールとして、精彩を放っていたらしいんですの。いってみれば、ものの見方や考え方、それに生き方さえも、いまとちがって、単純にパターン化されていたんでしょうね。ですから、ヒロシマにしたって、条件反射的に、反応してしまったんでしょう。

 でも、若い技師の方は、そんな空気にはぜんぜん頓着しないで、ハイジャックの経路や犯人の策略、バングラディシュ政府軍の対応やクーデタの顛末、日本政府の思惑や作戦、それに人質の人数と身代金、寄港地ごとに開放された人数などなど、一気に説明してくれたそうなんです。ヒロシマは、まるで世紀の大事件に立ちあってるみたいに、一言一句、書き漏らさないようノートしていったんですが、一段落すると、若い技師がこういったんですって。

「正直いって、憂うべきは、犯人のなかに、ぼくの高校時代の後輩がひとり、いたことです」

 聞いてみると、その後輩のひとって、ヒロシマより十歳わかいので、同じ時期に在学はしていなかったんですって。でも、自分が高校にかよっていた時代、つまり十年前に、となりの府立校にいた剣道部の生徒が、ちょうど五年前の七十二年に赤軍がおこした浅間山荘事件の犯人のひとりだった、というんです。

「自分の身近にいる人間が、十年越しに、二人も、いわゆる武闘に身を投じるということは、時代の流れそのものが、そういう思想的空間に、支配されていたんでしょうね。ぼく自身も、当時、なんの疑問ももたなかったんですよ、そんな環境に。それが憂うべきこだと、おもうんですよ」
「つまり、左翼思想、のことですか?」
「思想のハナシではなくて、いまそこにある事実、です。ぼくは毎日、それを目撃しています。百五十万人もの犠牲を払って獲得したアルジェリアの独立戦争の現状、これが証拠です。食べ物がない、塩も砂糖も野菜もない、家族全員が寝る住宅もない、順番にねるもんだから、起きてる連中は真夜中に外でさわぐ、仕事もなければ遊び場もない、だから犯罪も増える、それも多すぎて警察も手が出ない、なにもない、欲求不満でひとびとは、まるでこれから、果し合いにでもでかけるみたいな目つきで、街中をあるきまわる、こんなみじめで、悲惨な人々の上に、億万長者があぐらをかいている現実、これが革命の結論だとしたら…」

 ヒロシマは、すこし腑に落ちないな、って気がしましたけれど、個人のデリケートな思想体験をいくら詳しく聞いても、第三者が腑に落ちることはないだろうとおもって、たまたまアルジェ空港が閉鎖になったことや、自分のオポルト行が大遅延したこと、そこに日本人技師がやってきたこと、かれらが自分と同じ目的地を持ち、アルジェに在住し、ハイジャックの経緯を詳しく教えてくれたこと、しかも、その日本人のひとりが、ハイジャック犯人と同じ高校の出身者だったこと、などなど、ここまで偶然が重なるのは並大抵のことじゃないな、これは何かの啓示じゃないか、詳細はしっかりとノートした、だから、大切に、脳みそのヒダに織りこんでおこう、きっといつか、役に立ってくれるだろう、と自分にいいきかせて、喉から出そうになっていた聞きたいことをひっこめて、若い技師との対話をおわらせようとおもったそうですの。

 ヒロシマがそのとき、なにを聞きたかったのか、ハナシがおもしろくなってきたので、わたしも知りたかったんですのよ。でもそのとき、いきなりヒロシマが、いっしょにディナーでもいかがですか、って誘ってくれたんです。 

 おもいもつかないことだったので、ついわたし、のっかっちゃおうかな、とおもったんですけれど、いつのまにかシェリー酒を三グラスも空けちゃっていて、体中がほてって、ふんわかといい気持がして、でも実は、思いきり、お腹がへっていることに、気がついたんです。なので、誘ってくれたヒロシマにはわるかったけれど、これからあすの打合せがあるってウソついて、部屋にもどりましたの。打ち合わせはとっくにおわっていたんですよ。

 取材班のメンバーって、みなエゴイストで個人主義者で、仕事のあと、いっしょに食事をするという習慣も、気持ちも、なにももたないひとたちでしたから、逆に、とっても気が楽で、わたしも、ミーティングがおわって一日がはねると、好き勝手なこと、してましたのよ。

 その日も、TV5にかじりついて、バゲットにチーズと納豆をはさんでかぶりついて、デザートにカップラーメンとイタチョコをいただきましたわ。これって、最高のくみあわせなんですのよ、みなさんも、経験、おありでしょ? ひとり、さみしく、モンモンと、自薦のグルメを賞味する……ひとって、それぞれに、マイTVディナーみたいなのがあって、今日の終わりが明日の始まりにつながるように、自虐的に心理調節するための、独自のカウンセリングツールとして開発し、活用しているんですよね。

 おかげさまで翌朝は、すっきりと目が覚めましたわ。そして、新鮮なアタマにいきなり浮かんできたことは、あのヴァレ=ブランシユの白い氷だったんです。わたし、おもわず、いけない!て叫んでしまいました。だって今回、あのミディ針峰下の取っ付きにさえ、まだ一歩も足を踏み入れていなかったんですもの。これではいけない、このままでは帰れない、っておもいましたの。

 さっそく朝のミーティングで、ヴァレ=ブランシユの取材にも即応できるようチームの分散を提案し、山岳パトロール隊との連絡をより緊密・機敏にとりあうことで、機動力ある救難救助と報道活動をよりスムースに実施することに眼目をおいた、全方位的な出動態勢をイメージして、それをみんなでしっかりと共有するや一致団結! オーッと、胸ふくらませて、残り二日のミッションに、出発しました。

 ホテルをとびだす間際、ロビーの方から、ナガサキ!って、わたしを呼ぶ声が聞こえてきましたが、この新鮮で高揚した気分を、あのバスクのヒロシマに乱されたくない、という思いがつよくて、完璧に無視してやりましたのよ。おわかりでしょう? ヒロシマのいうことって、ひとを楽しませるとか、みなを笑わせるとか、気もちを解き放って気分を軽くしてくれるとか、そんな気の利いたモノじゃなくて、逆に、どこか見えないところから、透明の分厚いバリアーみたいなものが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、こちらに迫ってきて、気がついたら、いつのまにか身動きできないところまで囲まれてしまっていた、みたいな、威圧的で、ひとを息苦しくさせないではおかない、どこか重い雰囲気がただよっていた、という風に感じていたからなんですのよ。

 ホテルを出てからロープウェイの駅までは晴天でしたけれど、ゴンドラで登り始めるころからだんだんガスりだして、ミディ針峰の麓に到着したときには、ホワイトアウトまではいかなくても、視界十数メートルの悪条件、事前に現地パトロール隊の高層天気図を検討していなければ、滑降はほぼムリだろうとおもって、あきらめていたかもしれませんわ。

 あらかじめ下れば視界は改善するとわかっていたので、取っ付きからしばらく下方をたしかめてみると、厚薄くりかえすガス層のすきまから、ときおり白氷に覆われた氷河の一部がのぞいてみえるんです。これを下からみると、氷雲の裂け目からミディ針峰の尖がりあたりが、チラッとみえるんだろうな、なんて想像しながら、ザックからとりだしたヘッドホンを両耳にかぶせ、ゴーグルでしっかりと締めつけてから、BGMをオンにしました。

 視界十数メートルの恐怖のなかで、容赦なく、滑降がはじまりました。ここ二週間近く、雪上で、すっかり疎遠になっていただけに、慣れ親しんだ音は体中にしみとおり、いつものようにわたしは、テクノと心地よい重力とともに、とっぷりと音響空間に身を任せていったんです……そして、かすんだガスの間から、だんだん見え始めた白い氷の谷に向かって、とおく、しずかに、フェイドアウトしていこうとしたその瞬間、ギューンと、いきなり鋭い多重の金属的な不協和音が全身を震わせたかとおもうと、いつものように全音が急停止し、わたしは、そのまま、音響空間から音なし空間へ完全に放り出されてしまいました。 

 ちょうどそのときでした。

 不思議なことに、さっきおはなしした、あの<クレバス・危険!>の標識が、目のまえに現れたんです。何年もまえに、シャモニックス国立スキー山岳学校への留学をあきらめ、がっかりして、でも居直って、体当たりでヴァレ=ブランシを滑ったあのときの安全標識が、そのままの姿で、白い氷の上に、凛として立ちはだかっていたんです。おもわずわたしは、あのときと同じように、反射的に両手でストック二本にぎりしめて氷面に突きたて、エッジとストックのたすけをかりて氷層をガリガリ削りながら、やっとのおもいで滑落を制止することができましたのよ。

 みると、やっぱり、あのときのクレバスが、白い氷をするどく引き裂いて、ぱっくりと口を開けているではありませんか。あと数十センチ、もしちょっとでもブレーキがおそかったら、青ずんだ喉の奥深くまで、まるごとのみ込まれていたかもしれません。わたしは、恐ろしさのあまり、無我夢中で斜面を這いあがると、ウェストバッグのトランシーバーをとりだし、山岳パトロール隊長のミッシェルに連絡しました。

「緊急連絡! ユルジャン! こちらエキップ・ジャポン! どうぞ」
「こちらミッシェル、山岳パトロール隊長、どうぞ」
「コマンダン・ミッシェル、確認したいことがあるの!」
「なんだ?」
「たったいま、ヴァレ=ブランシの巨人の氷河からタキュルに入るところで、いきなりクレバスにでくわしたのよ。けっこう大きくて深そうな裂け目よ。ちゃんと回避標識も立ってるわ。これって、みなに認知されてるのかしら? どうぞ」
「回避標識だって? なんの回避だ? どうぞ」
「クレバスよ、クレバス・危険、て標識よ、どうぞ」
「そんな標識、見たことないなぁ、いや、聞いたこともないぞ。ケガ人はいるのか? どうぞ」
「わたし一人で、まわりに、だれもいないから、ケガ人はいなそうよ。どうぞ」
「なら、あとにしてくれないか。こっちは、また南璧の滑落事故者で手が一杯だ、どうぞ」
「忙しいのはわかるけど、パトロールが知らない、見たこともない危険回避標識って、一体なんなの? シャモニックス=モン=ブランで遭難回避活動してる団体って、あなたがた以外にあるの?どうぞ」
「有志団体があるとはきいていないから、われわれだけだよ」
「じゃ、だれがこれを立てたのよ」
「知らないな。だいたい、タキュルの裾にクレバスなんて、聞いたこともないぞ。とにかく、緊急事態でもないと判断するから、あとで調べてみる。それより、そのクレバス、もう一度、のぞいてみたらどうだ、夢でもみてるんじゃないのか、しっかりしてくれよーッ。どうぞ」
「こ、これがユメなら、あなたはナニよ! まるでエンマさまじゃない!」「エンマさま? なんだ、それは? どうぞー!」

 なんて失礼で勝手なヤツだ、とおもったときに、むかし祖母がよく話してくれた、お寺の地獄絵図のことを急におもいだして、ついエンマさまって、口にしてしまったんですけれど、コマンダン・ミッシェルって、デッカい金髪の白人男で、寒い国で育ったひとらしく、頑丈な首のあたりから覗いて見える白い肌は、いつもピンク色に染まっていて、でも頬は、寒冷地のせいでしょうね、ピンクを通りこしていつもまっ赤に火照ったようになっていて、そんな丸顔の真ん中に、ラージヒルのジャンプ台みたいな鼻が反りかえっていましたの。

 目は、とてもかわいらしいアーモンドみたいで、それもブルーのきれいな透きとおった瞳が二つ、いつもパチクリとこちらを見ているわけですから、なんていうのかしら、縮れ毛の金髪の頭にツノでも生やせば、そのまんま異国の冥途のエンマさま、って感じだったんですのよ。そんなこと、本人に、いえませんでしょう。ですから、わたし、応答なしで、トランシーバーのスイッチをきってやりました。そしてすぐ、証拠現場の撮影をしてもらおうと、カメラと交信しようとしたのですが、考えなおしたんです。なぜって、コマンダンが遭難救助で塞がっているときに、カメラが別行動するわけにいかないでしょう。じゃあどうしよう。どうやれば、このクレバスの存在を、みなに証明できるのか? 

 そのとき、ふと、おもいだしたんです、たしかザックのポケットに、スイスアーミーのナイフがしまってあったことを。標識の一部を削ってもってかえって、みなにそれをみせれば、確かな証拠になるんじゃないか。自信をえたわたしは、匍匐前進で斜面をはいあがり、標識にたどりつくや、すぐさま支柱にくらいついて、軍用ナイフで削りはじめました。刃は鋭く、サクサクと気もちよく削れていきます。そして、切りくずがそろそろ手のひら一杯分くらいになったとき、はて、とおもったんです。こんな切りくずが証拠になるのかしら、って。なんだ、麓で拾った丸太の削りかすじゃないか、なんていわれたら、なんの反論もできないでしょう? 

 半分自信を失いかけたんですけれど、<クレバス・危険!>と書いた文字を削ればいいじゃないの、塗料のまじったくずならだれも疑わないにちがいないわ、と自分にいいきかせたんです。で、即決してわたし、せっせと文字を削りはじめました。そして、黒っぽい削りくずが、そろそろ手のひら一杯分くらいになろうとしたころ、ナイフを握る手がひとりでに止まったんです。ひとりでに、です。いや、意に反して、といった方がいいのかもしれませんわ。どうしてかって? 

 そうなんです、そのとき脳裏をかすめた一つのアイデアが、とても突飛で、恐くて、刺激的だったものですから、身がすくんでしまたんですよね。まるで、魔界から伸びてきた薄気味悪い両手で、総身をユラリと、まるごと絡めとられたみたいに。背筋がぞくぞくして、冷や汗がでて、いくら抵抗しても、どこか暗いところに、どんどん引きずり込まれていくのです。

 恐怖心に抗えず、わけの分からないまま、わたしは、いつのまにか危険標識を引っこ抜いていました。そして、クレバスへの傾斜軸にそって、それをひと蹴りしたのです。標識は、ズルズルと、鈍い音をたてながら、氷面を鋭く切り裂さいた魔界の淵へと、落ちていきました。わたしの中で、だれかが叫びました。さあ、これで、だれも、ここにクレバスがあるなんて、おもわない、だれも、ここが、危険なところだなんて、おもわない……。 

 すっかり自信をとりもどしたわたしは、ストック一本を自分のためだけの目印として氷面に突きたて、この、にわか生まれのミッション・インポッシブルの、超ドラマティックな成果に胸ふくらませながら、ヴァレ=ブランシを一気に滑りおりていったんです。 

「残るはあと一日です、明日は勝負の一日になるはずです、最高にアメイジングな現場が撮れるように、頑張りたいとおもいまーす!」

 その日のミーティングで、未熟な経験しかもたない新米のわたしが、なんて生意気な檄を飛ばしてたんでしょうね。いま思い出しても、恥ずかしくて、冷や汗がでてきますわ。けれど、そのときは、自分こそ明日のヒロインだって、信じて疑いませんでしたのよ。ですから、最終日のメインイベントとして、自分で勝手に決めた、ヴァレ=ブランシュ遭難救助活動の顛末を、しっかりと頭にたたき込んでおこうと、ひとりロビー裏のカフェテリアにいきましたの。きのう口にしたチェリー酒の味をおもいだして、あのふんわか気分にひたってイメージすれば、とてもいいシミュレーションになるじゃないか、っておもったんです。

 ところが、期待はものの見事に、裏切られました。ゆったりとした雰囲気のカフェテリアは、楽し気に談笑する宿泊客でほとんど満席、空きはないかなって探してみたら、きのう気づかなかった奥の方に、ちょうど暖炉が一つ、あったかそうな炎をユラユラさせていて、みるからに居心地のいい空間を提供してくれいていました。

 おもわず、ラッキーッ、とおもって、つい前のめりになってしまったのが運の尽き、みると、赤い暖炉を背景に、クマみたいなオトコがひとり立ちはだかっていて、こっちに向かって手招きしているではありあせんか。ヤバイ! ひきかえそ! すぐに目線をはずして、何歩か後ずさりしたんですが、時すでに遅しで、バリトンのよく通る声が、そこら中に響き渡ったのです。

「ナ、ナ、ナガサキー!」

 フーッ、またあの、バスクの、ヘンなヤツだよ! あーぁ、これで、せっかくの予習時間も、おわりってことか。もったいないこと、してしまったな…。

 それにしても、なんでわたし、ここに来ちゃったんだろう。きのうのかれとのやりとりからして、今夜もディナーに誘おうと、わたしのことを待ちかまえているんじゃないかな、って、うすうす感じてはいたんだけれど、そのとおりだったみたいね。なんとなく、なるべくしてなっちゃった、みたいな気もしないではないわ。ということは、わたしの中に、そうなってくれないかな、って、期待していた部分があったのかもしれないわね。多分そうよ、そうに違いないわ。よし、それなら潔く、乗っかっちゃいましょうよ、このなりゆきに…。

「あら、ヒロシマじゃない、お久しぶりね」
「お久しぶり?」
「じゃなかったか。きのうですものね、お会いしたのは。お元気?」
「ゲ、ゲンキですよ、とってもゲンキ。アナタも、ゲンキそうですね、ドーゾ、ドーゾ」

 ヒロシマは、満面の笑みをうかべて、自分のとなりに座るよう促してくれたのですが、わたしは気が付かないふりをして、かれの向かいに置いてあった、ロココ調の肘掛け椅子を選びました。隣り合わせに座るなんて、まだ、そんな親しい間柄に、なっていたわけでもありませんでしたし。

「きょうは、どこへ、いらしてたの?」
「世界平和推進ゲルニカ・ヒロシマ友の会から緊急の連絡がはいるということで、ずっとホテルで待機してましたよ。とてもつまらない一日でした」「せっかくの休暇なのに、ホント、もったいないわね。で、緊急の連絡って?」
「ほら、そろそろ八月六日でしょ」
「!?」
「アナタの国の、原爆の日、ですよ」
「アッ……」
「やだなあ。ナガサキがヒロシマのことをわすれて、どうするんです?」「ごめん、ごめん」
「ど、どーいたしまして」
「わたし、ダメねぇ、すっかり忘れてたわ。日本人のくせして、ホント、バカねぇ」
「そんなものですよ。ボクも、このあいだ、バスク憲章が何年に承認されたか、つい忘れちゃってね。み、みなに笑われてしまいましたよ」
「バスク憲章? へー、そんな憲章、あったんですか。知らなくて、ごめんなさいね。はじめて耳にしましたわ」
「そ、そんな憲章、あったんですよ。せ、せっかくですから、七十九年のスペイン国民投票で承認、と、覚えておいてください」
「七十九年のスペイン国民投票ね、わかりました、ありがとう、ヒロシマのために、覚えておくわ。それで、原爆の日についてなんだけど、どんな連絡があるっていうの?」
「ぼ、ぼくたちの会では、毎年八月六日の原爆の日に、大々的に被災者追悼会を組織することにしてるんです。ところが、今年は準備がおくれていて、おそくとも今週末までに会合を開いておかないと、間に合わなくなってしまうかもしれないんですよ。それで、会員みなに、非常招集がかかった、というわけなんです」
「ヘー、ひとの国の被災者のために、わざわざ追悼会を催したりするんですか」
「それが連体というものではないでしょうか」
「はぁ、すみません。納得しました。でも…」
「でも?」
「日本から、何人くらい、出席するんですか、代表のかたって?」
「ゼロです」
「ゼロ!? 日本から、だれも出席しないの?」
「つ、つまり、ク、ク、クニを代表するひとはだれもいない、ということなんですよ。ぼ、ぼくたちの組織は、草の根の有志をベースにしているものですから。日本には、まだ、コ、コ、志を一つにする草の根がいない、というか、育たない、というか、そもそも育つ土壌がない、っていうか」
「志を一つに? 土壌がない? ココロザシといっても、いろいろ、あるでしょう? ヒロシマのゲルニカの場合は、どういう土壌で、どんなココロザシのひいとたちが集まっているの?」
「ルーツです」
「ルーツ?」
「個々の民族の歴史と文化のルーツです。それを尊重することをココロザシとする有志の集まりです」
「個々の? ということは、ヒロシマはヒロシマの民族の歴史と文化があるわけね」
「も、も、もちろんです」
「それはなに?」
「フランスでないことは確かですよ」
「もちろん、スペインでもないわけね」
「な、な、ないです」
「じゃあ、なんでしょう?」
「そのまえに、なにか、飲みませんか? よろしかったら、アペリティフにチェリー酒でも、一杯、いかがでしょう」

 いうが早いかヒロシマは、カウンターに飛んでいきました。大柄の体躯のわりには、びっくりするくらい敏捷な動きで、あっけにとられてみている間にカレは、両手にチェリー酒二グラスを掲げた格好で戻ってくると、うれしそうにハナシを続けてくれました。

「そうなんですよ。ぼくのルーツは、フランスでもスペインでもなく、バスク、なんです。バスクで生まれ、バスクの血を受けつぎ、バスクの歴史と文化に育まれ、バスク語をはなし、気質も習慣もバスク、バスクの歴史的人格で形成された、生粋のバスクのオトコなんですよ」

 なるほど、バスクとなると、吃音も消えちゃうってわけね。そう、あなたのいうとおりよ。ヒロシマは、赤毛の後退しかけたアタマの先から、小さなお舟みたいな足の先まで、まがいもなく、生粋のバスク人にちがいないし、それを疑うひとは、だれもないわ。でも、そこまで自分のルーツに愛着をもち、誇りにおもい、大切にしていきたいという気持になれるほど、心の拠りどころにしているなんて、どうしてかわからないけれど、わたしには、むしろ羨ましくおもえましたのよ。

「あなたは、しあわせなひとね、自分のルーツを、そんなにまで誇りにおもえるなんて」
「ほら、あなたも、やっぱり、おなじ日本人ですね」
「え!? どういうこと?」
「マドリでも、バルセロナでも、モンペリエでも、マルセイユでも、ずっと登ってパリでも、日本人にあうたびに、このハナシをしました。ひとりでもいいから、日本のだれかに会員になってほしかったからです。でも、不思議なことに、誘ったひとからは、みな、判で押したみたいに、たったいまナガサキがくれたのと、まったくおなじリアクションが返ってきたんです」
「わたしとおなじ?」
「そうです。あなたはいま、こういいました。あなたは、しあわせなひとね、自分のルーツを、そんなにまで誇りにおもえるなんて…と」
「それが?」
「い、い、いいですか、じ、じ、じ、自分のルーツを誇りにおもうのは、自分のルーツを奪われた悲惨な歴史が、あ、あ、あるかるからなんですよ。何世代にもわたって、自分のルーツと切り離されたまま、生きてこざるをえなかったんです。あなたがいうように、決してしあわせなひとたち、ではないんですよ」
「でも、あなたはバスク人で、ちゃんとバスクに住んでるし、バスク人としてのルーツを奪われた経験は、ないんじゃないの?」
「千六百五十九年のピレネー条約で、バスクは南と北に分断されたんです。フランスとスペインが、勝手に国境線を引いたんです」
「それって、十七世紀のハナシじゃない。アナタが生まれたのは、三百年後の二十世紀でしょう? だったら、あなたには、もともとルーツというものが、なかったんじゃないの?」
「な、な、なんて、乱暴な論理なんだろう! まるで時間軸への配慮がない! それこそ、歴史的人格に無関心な、というか、わざとネグレクトするというか、典型的な日本人好みの、認識のあり方じゃないでしょうか」

 あ、バカにされてる、っておもいましたわ。ナチの爆撃で壊滅的打撃をうけたゲルニカとか、史上空前の戦禍にみまわれた広島との連帯とか、世界平和推進友の会の運動とか、ひとの平和への希求を巧みに誘導して、自分のやりたいことに取り込もうとする。それがうまくいかないと、認識が足りないとか、無関心だとか、意識が高いとか低いとか、ひとのプライドに付け込んで、上から目線で迫ってくる。きのう初めて会ったときから、ヘンなヤツだとおもっていたけれど、ここまでくれば有害だわ。毒されないうちに、うまく逃げちゃわなければね。でも、どうやって…。

 気がつくと、シェリー酒のグラスが、空になっていました。

「もうちょっと、お飲みになる?」
「い、い、いいですね。頼んできましょう」

 ヒロシマが、シェリー酒を注文しにカウンターにいく間、そのいかつい後姿を、何気なく目で追っていたのですが、ふと、カウンターの、ボトルが並ぶ壁面いっぱいに、見覚えのある絵を刷り込んだ壁紙が、ビッシリと敷きつめられていることに、気がついたんですの。

 鋭利な刃物をまたいだ二つの巨大な串刺しの耳、黒い油鍋から逃れ出ようともがく裸の群衆、天空の瓦礫から零れ落ちる無数の裸体、奇々怪々な珍獣に蹂躙される煉獄の囚人たち、火を噴く闇の迷宮、業火に慄く烏合の兵士の群れ……ここまでお聞きになれば、もうおわかりでしょう? あの有名なボッスの絵、快楽の園が、壁の端から端まで、はめ込まれていたんです。しかも、そこに暖炉のかまどの火が反射して、メラメラと、煉獄の炎を揺らせているではありませんか。

 ゾッとして、阿鼻地獄でのたうちまわる亡者の叫喚地獄に、悪徳と退廃に澱んだソドムの淵に、まるごと飲み込まれてしまうんじゃないかって、脇の下からタラタラ冷や汗が流れるくらい、おもいきり怖かったんですけれど、でも、もっと覗いていたい怖いもの見たさの気持ちがつよくて、それに逆らえないまま、巨大な深海魚の白骨の残骸にすみついた亡者どもを、じっくりみてやろうと、身を乗り出したんですが、そとき、あのヒロシマが、グラス二つを両手に掲げて、いそいそと、戻ってきたんてす。

 カレにはわるいけれど、行くときは、体躯のわりに敏捷そうで好感がもてたのに、戻ってくるときは、使い道のない粗大ごみみたいに感じられました。なぜって、せっかくのボッスの絵が、カレに遮られて、ほとんど見えなくなってしまったんですもの。おもわず、わたし、呟いていましたわ。やだな、よく見えなくなっちゃったじゃないの! おねがい、はやく、わたしの視界から、消えてくれない、って……。

 それは、とっても小さなものだったけれど、ここ何日かの間に、救助隊員服の懐のなかで、着実に醸成されつづけてきた、ゆるぎない殺意のような、意志的なものでした。またそれは、同時に、だれかがわたしに贈ってよこした、かけがえのない啓示のようにもおもえました。なので、わたし、シェリー酒もって、うれしそうに、目の前にすわったヒロシマに、こう告げたんですのよ。

「あすは最終日、さ、乾杯しましょ」
「エッ、じゃあ、さ、さ、最後の夜?」

 ヒロシマは驚いた様子でした。

「し、し、し、知らなかったな」
「あしたが取材の最終日なのよ。あさって帰国する予定よ」
「じゃあ、ぼ、ぼ、ぼくと、いっしょですね」
「あ、そうでしたわね。非常招集がかかったって、いってらしたわね。ヒロシマの行く集会って、どこで、あるの?」
「マヨルカ島です。首都のパルマ・デ・マヨルカで、みなと会うんですよ」「そうなの。美しいい観光地、って、聞いてますけど」
「美しいだけじゃなくて、歴史的にも、興味深いところです。カルタゴの時代に、領土を守る唯一の防衛手段として、イ、イ、石を投げて、タ、タ、タ、戦ったんですよ。マヨルカって、ギリシャ語で石を投げるひと、という意味だそうですよ」

 このとき、わたし、なぜか、ピンときたんです。このひと、さっきからルーツ、ルーツっていってるけれど、それって、いろんな民族の系譜のことなんじゃないかしら、ご先祖さまのミナモトを指してるんじゃないかしら、って。だから、おうむ返しに、聞いてやりましたわ。

「ギリシャ人が名前をつけた、ということは、マヨルカ人はギリシャ人じゃない、ということでしょう」
「そうです」
「じゃあ、マヨルカ人て、どこのひとなの?」
「マヨルカ人のルーツですか?」
「そうよ」
「フェニキア人です」
「マヨルカ人のルーツはフェニキア人なのね」
「そうです」
「じゃあ、バスク人のルーツは?」
「ぼたちバスク人のルーツはイベリア人です」
「イベリア人?」
「いってみれば、イベリア半島の原住民ですね。その証拠に、バスク語は、欧州のどこの言語とも交雑していないんですよ。イベリア人は、バスクの歴史と文化の礎となる民族です」

 ほら、やっぱりそうだわ。ヒロシマって、はやいはなし、自分のルーツを奪われた苦悩とか、そこから切り離されたまま生きざるをえない悲惨な歴史とか、だからこそ自分のルーツを誇りにおもうとか、いろいろいってたけれど、なんのことはない、要は、自分のご先祖さま探しをやってる、ってことじゃない。そうよ、ダッカ=ハイジャック事件で、アルジェ空港が閉鎖された日に、パリのオルリー空港で若い日本人技師と偶然あった、ってヒロシマはいっていたけれど、そうよ、ちょうどあの年よ、ルーツという、アメリカのテレビドラマが、世界中で有名になって、たしか日本でも、自分のルーツ探しが、とても流行ったって、両親がはなしていたことを、よく覚えてるわ。

「なんだ、ヒロシマがいいたいのは、自分がバスク人で、ご先祖様はイベリア民族だ、ってことでしょう。それって、とってもクリヤーで、説得力ある系譜じゃない。なにが悲惨なの? どこに、自分のルーツと、切り離された苦悩があるのかしら?」
「それは、歴史的人格の問題なんです」
「ちょっと理解できないんですけれど。歴史に、人格が、あるの?」
「もちろん、あります。認識と想像力の問題です」
「認識と想像力?」
「そうです。ナガサキも、生まれてからいままで、生きてきたわけでしょう?」
「ええ、生きてきました」
「おなじように、ニッポンの国だって、生まれてからいままで、生きてきましたよね?」
「ええ、そういうことになりますね」
「あなたの、つまりナガサキの人格は、ナガサキの生きてきた歴史が育んだ心の総体だとおもうのですが、いかがでしょう?」
「人格イコール歴史が育む心の総体、というわけですね」
「そうです」 
「納得しましたわ」
「では、その認識のもとに、想像力を働かせてみましょう」
「はぁ」
「ニッポンの人格って、なんでしょう?」
「ヒロシマ流にいえば、ニッポンの人格は、ニッポンの生きてきた歴史が育んだ心の総体、っていうことに、なりますよね」
「まさに。それが、歴史の人格、というヤツなんです」
「人格イコール歴所が育む心の総体、という方程式に従えば、のハナシですね」
「そうです。人格イコール歴史が育む心の総体、という認識からみると、ひとの場合、人格の形成過程では、0歳から3才までに、心の根底部が形成される、とされています。この最も重要な時期に、周りのひとみなからの愛情をうけて、ゆったりと、安定した環境におかれた心のなかで、自分はこのまま生きていていいんだ、みながそれを必要としているんだ、という、自分のことを自分で認める感覚や、自分を認めてくれる周りの世界のことを、自分に受け入れていいものなんだ、というものの見方が、しっかりと育まれていくわけですね。もしその過程が欠落していると、それ以降の心の成長期において、自分についても、周りの共同体についても、安定した肯定感をバックボーンにした、まともな意志疎通や対応能力を、発揮していくことができなくなって、心の総体がとてもいびつな姿になり、全体として殺伐とした風景のなかで、いつも悩まされ続けなければならなくなってしまうのではないか、とおもうのですが、そうおもわれませんか?」

 不思議なことに、ヒロシマの吃音は、いつのまにか消えていました。

「そういうふうにいわれると、そうおもいますけれど。でも、ひとの人格と歴史の人格を、おなじようには…」
「それが、おなじなんです。ひとは生まれ、そして死にますが、また生まれます。歴史的人格は、その新しい生命にうけつがれ、民族が滅びない限り、ずーっと、形成されつづけるんですよ」
「ホー…、すると、バスクの場合は、どうなるんでしょう?」
「バスク地方は、西北部を海に接していますが、実質、大陸国がたどる戦いの歴史を生きてきました」
「というと?」
「大陸国には、常に敵対者との相克を生きなければならない、という宿命があります」
「敵対者?」
「さっきいいましたよね、ボクたちの祖先はイベリア人なんです。イベリア半島の原住民なんですよ。むかしむかし、イベリア人は、イベリア半島に広く分布していたんですが、ケルト、ゲルマン、カルタゴ、ローマそれぞれの民族との相克をくりかえすなか、半島の大部分から追われ、前方にピレネー、後方に大西洋と、山麓一帯の地域に背水の陣をしく布陣で、現在まで生き延びているんです。つまり、ボクらバスク人の歴史は、敵対する諸民族との衝突、領土争奪、征服と屈服の戦いからはじまるんです」
「すると、バスク人て、心の根底部が形成される、いちばん大切な時期に、征服と屈服の洗礼を受けている、ということになりますけれど」
「そのとおりです」
「じゃあ、ヒロシマの歴史が育む心の総体論、からすると、バスクの歴史的人格とは、相手を征服し屈服させるための闘争心、ということに、ならない?」
「そのとおりです」
「そんなの、つまらないわ」
「いや、つまるつまらないの問題じゃなくて、多かれ少なかれ、大陸国の歴史なんて、そんなものなんですよ。現にいま、世界中で、戦争やテロがおきていますが、大半は、国境を接している大陸国同士の争いでしょ」
「それはそうですけれど…」

 いったいヒロシマは、なにをいいたいんだろう。

「でも、敵対や対立だけしてたわけではないでしょう? 交流や協調や、協力、協同だって、あったはずでしょう?」
「そ、そ、そこがミソ。大陸は陸続き、どこまでも続く陸の連続が、目のまえにひろがっている。そこに、自分と違ったひとの集団があらわれたとき、ナガサキは、どうしますか?」
「いっしょに住めばいいでしょう?」
「ところが、そうはならないんです」
「どうなるの?」
「殺し合いになるんです」
「なぜ?」
「殺さないと、殺されるからです」
「そんなはず、ないわ。もし、そうだとしたら、最後には、最強の、たった一つの集団しか、のこらなくなるじゃない?」
「そのとおりです。欧州連合をごらんなさい」
「ウソ! あれは、連合体で、たくさんの国の集まりです。一つの最強集団ではありませんわ」
「たしかに、複数の国があつまったからといって、すぐに、連合体になるわけではありませんからね」
「ほら、ごらんなさい」
「しかし、最強の一集団が、ある意志と目的をもって、たくさんの国をまとめ、支配し、連合体として組織したとしたら、どうでしょう?」
「すばらしいことじゃない、二度と戦争しないという固い意志と目的で、連合したわけでしょう?」
「第二次世界大戦で、ソ連を含む欧州諸国の戦士者数は、約四千五百万人といわれています。殺し合いの規模と結果からすれば、頭脳ある生き物の生理からして、不戦の決意が生まれるのは、当然のことでしょう。しかし、それは、壊死寸前の細胞が生きようとする生体反応のようなもので、そこには、なんの意思も目的も、ありませんよ」
「じゃあ、欧州連合体の意思と目的って、なんなのかしら?」
「連合体の拡大と世界制覇です」
「そんなバカな。そんなじゃ、また、戦争になっちゃうじゃないですか」「そのとおり。戦争しかないんです、世界がひとつになるには」
「また犠牲者がでる、ってわけですか?」
「いや、戦費と犠牲者の規模からみると、殺し合いは、あまり効率的ではありませんね」
「効率的!?」
「つまり、砲弾の量や戦士者数で勝負をきめる戦争は、多分、はやらなくなりますね」
「はやる!?」
「ナガサキは、パソコン利用してるでしょう?」
「ええ、仕事上、欠かせないものですから」
「OSはマッキントッシュですね」
「そうです。それしかありませんし」
「でも、近々、ウィンドウズ95が、でるそうですよ」
「ええ、知ってます。さかんに宣伝してますものね」
「つまり、マッキントッシュに対抗してウィンドウズがでてくることで、サイバー空間にも対立概念が移植され、いずれサイバー空間を相克の場として利用しようとする集団がでてくるはずです」
「なんですか、その集団て?」
「国と呼んだり、連合と呼んだり、連邦や合衆国と呼ばれる、利益集団です」
「国も利益集団、なの?」
「当然ですよ。国は国民の利益を追求し守る集団組織ですよね。たしか、ニッポンも、そうでしたよね」
「そういわれれば、そうですけれど」
「しっかりしてくださいよ、ナガサキ! あなたの国も、国民の利益を守ろうとして、戦ったんでしょう、ぼくたちバスク人とおなじように」
「それはそうですけれど」
「その代償が、ヒロシマ、ナガサキの原爆と、三百十万人の犠牲者です。悔しくありませんか?」
「ええ、でも、あれは……」
「自業自得、って、いいたいんでしょう。でも、それは、どの国もおなじですよ」
「…」
「殺すことに、正当性はありません。やったらやりかえす。これが鉄則です。そうはおもいませんか、ナガサキ」

 ちょっと待って。なにもわたし、あなたと戦争の仇討論をたたかわせるために、ここでシェリ-酒のんでるわけじゃ、ないのよ。

「それは報復の連鎖です。そんな考えだから、戦争が絶えないんです!」「ブラボー!」

 ヒロシマは、カフェテリア中に響き渡るくらいの大声をあげて、耳がいたくなるほど手をたたいてよろこんだんです。

「さすがナガサキ、あなたは真のニッポン人です! ルーツを誇りにするひとを羨ましいいといい、ヤラれたらヤリかえすといえば報復の連鎖だと批判する。いままであったニッポン人と、一言一句ちがわない言葉が返ってくる。まさにあなたがたは、おなじDNAを継承している、生粋のニッポン人なんですね」

 あ、またひとをバカにした、なんてイヤなヤツなんだろう、ヒロシマって。

「でも、ヒロシマの人格論からすれば、それがニッポンの歴史的人格、つまり、歴史が育む心の総体をさすのではないの?」
「つまり、他人のルーツを羨むが自分のルーツには興味がない、争いをさけるためにヤラれたらヤラれっぱなしになることが、ニッポンの歴史的人格だ、とでも?」
「……」
「ヒロシマとナガサキで、一瞬にして二十万人が殺されたのに、過ちは繰り返しませぬからと、自分を責めるのがニッポンの歴史的人格とでも?」
「やめましょうよ!」

 わたし、おもわず、叫んでいましたわ。

「あなた、ヘンよ! ニッポンに、なにか恨みでもあるの? ゲルニカなんとか推進の会に、ニッポン人がだれも入ってくれないからって、それはダレのせいでもないわ、ひとの気持ちを逆なでばかりする、あなたの方が、オカシイからじゃないの!」
「オ、オ、オ、怒らないで、ください!」

 ヒロシマは、おおきな体を、思いきり小さくして、謝りました。

「ニ、ニッポンに恨み、なんて、と、と、とんでも、ありません。その、正反対ですよ。ボクだけじゃなく、みんな、ニ、ニッポンが、羨ましくて、シ、仕方がないんですよ」
「羨ましい? また、そんなこといって、ひとをからうもんじゃ、ありませんよ!」
「オ、怒らないで、キ、キ、キ、聞いて、ください、お願いです! ボクがいいたいのは、二千六百年前から、いや、もっとまえからだったかもしれないけれど、ニッポンに、たったひとつの国境しかなくて、それが、今まで一度も変わったことがない、という歴史的な事実なんです。そしてそれが、羨ましくてたまらない、もっと正直にいうと、気に食わなくてしかたがない、とにかく難癖つけて、貶めてやろうと、嫉妬している人たちが、セ、世界中に沢山いる、と、と、ということなんですよ」
「きにくわない、オトシメてやろう、ですって!?」
「ボ、ボクがいったわけじゃ、ないんですよ! ゴ、ゴ、誤解しないで、くださいね!」
「誤解も、ヘチマも、ないわ!」
「そ、そうじゃなくて、とにかくニッポン人は、センシティブじゃない、というか…」
「わ、わたしたちが、ド、ドンカン!?」
「イ、イ、イ、いや、そういう意味じゃなくて、気がつかないというか、気にかけないというか」
「気がつかないって、なにに?」
「たとえば、ナガサキは、パスポート、持ってるでしょう?」
「あたりまえよ。でないと、旅行、できないじゃない?」
「その、あたりまえ、がミ、ミソなんですよ」
「ミソ?」
「そ、そうです。あなたがたには、あたりまえのことが多すぎる。生まれたとき、そ、そこにニッポンがあって、あたりまえのように、ニ、ニッポンジンになる。だから、あたりまえのことは、あまり考えない。世の中に、パスポートがもらえないひとがいる、な、な、なんてことが、疑問のギの字にもならないんです、ニッポンでは」
「もらえないひとって、どうして?」
「た、たとえば、む、む、無国籍者ですよ。もともと旅券発行の申請を出す国がない、なければ、なにも出ませんよね。それににたような境遇の難民も、いますね。それから、に、認定中や認定から外れた亡命者とか、そのほかいろいろ、国という枠組みから外れた、外れざるをえなかったひとたちのことですよ。あ、それより、もっと身近で、む、無戸籍者、というのも、あ、ありますよ」
「無戸籍?」
「国の枠組からはずれなくても、なんらかの理由で、お、親が出生届を出さなかったひと、とか」
「捨て子って、こと?」
「それも、ありますね。また、そもそも親が無戸籍者、ということもあるし。いずれにしても、ボ、ボクはニッポン人じゃないので、詳しいことはよくわ、わ、分かりませんが、旅券がもらえないひとは、沢山いるはずですよ。国内事情として、認識しておく必要はあるとおもうのですが」
「ハァ…」
「ところで、ちょっと、ア、ア、アタマの体操でも、してみませんか?」
「アタマの体操?」
「はい、ちょっとした遊び、というか、ナガサキの現状認識度のタ、テスト、みたいなもの」
「現状認識度? なんの現状?」
「政治、経済、文化、国際、国内などの現状、ほ、ほかにもいろいろありますが。なんでもいいですよ」
「また、ひとを、バカにする気ね」
「とんでもない。た、単なるアソビ。あなたご自身の、常識のチェックアップ、ということですね」
「常識の?」
「そうです、コモンセンスです」
「ウーン、だったら、国内関係でしょうね、それだったら、なんとか」
「国内の現状認識度ですね。では、いきますよ」
「はい」
「ニッポンに、さっきの無国籍者は、どれくらい、いますか?」
「無国籍者? 知りません」
「では、難民は?」
「ウーン、多分、いるでしょうけれど、よくは、知りません」
「じゃあ、亡命者は?」
「亡命者? たしか、チリとか、ベトナムから来てたって、聞いたことはありましたけれど…」
「では方向を変えて、ニッポンの独立記念日は?」
「ハァ?…」
「人口は?」
「一億二千万人、かな」
「では、ニッポンの国土の面積は? 離島をのぞいてでいいですが」
「三十五万平方キロ、くらいだったかしら…」
「では、東京の緯度は?」
「緯度?…わかりません」
「ヒロシマの緯度は?」
「知りません」
「ナガサキは?」
「知りません!」
「ニッポンは島国といわれていますけど、本島を入れて、いくつ島がありますか?」
「?…」
「ニッポンの領土の、最北端と、最南端の、それぞれの地名をいってください」
「ちょっとまって! それって、地理の問題じゃない?」
「こ、国内の現状で、いちばん大切で基本的なのは、国境、ではないんですか? 領土の境界をしらなければ、く、国をしることにはならない。国境線は地理ではなく、国内問題そのもの、で、でしょう?」

 そういうとヒロシマは、国境ももてず、大西洋を背に背水の陣しか立ち位置のないバスク人からすれば、わたしも含め、いままで会ったニッポン人のほとんどが、自国の国境について、どれだけドンカンであるかを説明してくれましたわ。そして、その理由として、三万年前から日本列島にたどりついた多種多様の民族が、異民族との接触と初期抗争を乗り越えて、とてもゆるやかにまとまっていったこと、その大きな融合のもとになったのが、極東という逃げ場のない辺境の地にたどりついた挙句に、太平洋という大海原に退路を断たれたひとびとの、吹き溜まりの寄り合い所帯精神だったのではないか、と話してくれましたの。それが、とっても説得力のある仮説だなって、わたし、おもいましたので、感心していいましたのよ。

「なるほどね」

 するとナガサキは、とてもガッカリした様子で、こういったんです。

「…でしょうね。だから、ボクは、ナガサキが、許せないんです」
「え、許せない?」
「だ、だって、そうでしょう。世界中のだれも手をつけることができない、唯一無比の歴史基盤をよりどころとしている国なのに、カ、カ、カルチャーセンターみたいなところでチョイかじりした、ボ、ボクみたいな外国人の日本史観に、やすやすと感心してしまうナガサキ、というよりニッポン人。それって、ヘンだとおもいませんか? む、む、むしろ、ナガサキの口から出てくる言葉でしょう、ボクのいうことなんて。あなたは、ニッポン人、失格ですよ」
「失格!?」

 わたし、堪忍袋の緒が、プッツリ切れた、と感じましたわ。このバスクヤロー、ひとのことを失格者よばわりするなんて、いったい自分を、ナニサマとおもってるんだろう。失礼な! わたし、アタマに血がのぼって、全身から、冷や汗がでました。でも、気もちは、不思議と、とてもクールになっていましたの。

「失格っていわれて、おもいだしたけれど、ヒロシマは、人間失格って、知ってる?」
「人間失格? な、なんですか、それ」
「むかしの日本の作家が書いた小説のタイトルです」
「し、し、知りません」
「でしょうね」
「ナガサキの愛読書ですか?」
「じゃないけれど、とっても日本的で、深い作品なんです。フランス語にも訳されてますから、興味があったらどうぞ。ダザイという作家です」
「ダザイ」
「ええ」
「深いって、ど、どんな内容ですか?」
「ええ、自叙伝風に書かれた作品なんですけれど、主人公は、自分と周囲との気もちのとり合いがとても苦手なひとで、他人への気遣いからなのか、自分に真面目すぎるからなのか、女性に好かれて一緒に暮らしても、最後には心中してしまって、でも悲しいことに、自分だけが助かってしまう。それも一度や二度のことじゃない。そんなことを繰り返すなかで、とうとう自分のことを、人間失格、とおもってしまって、最後には入水自殺してしまうんです。でも、そのまえに、こう振り返る箇所があるんですの」

 ヒロシマは、おもわず、乗り出してきましたわ。

「ごはんを食べていて、粗相して、つい、ご飯粒をひとつぶ、落としてしまったりしたとき、たったいま日本中のひとが、自分とおなじようにご飯粒を落とせば、どれほど多量のコメが失われるか、本気で心配になってしまうけれど、そんなことは、心配しなくていいんだ、って」
「な、な、なるほど」
「つまり、ダザイ風に考えれば、いま自分のいるところが北緯何度で、自分の国の北のはしと南のはしに、どんな村があって、いまどうなってるかなんて、本気で心配することなんかない、ていうことなのよ。ましてや、自分の国に、いくつ島があるか、なんて、取り越し苦労もいいとこじゃない?」「だめです、ナガサキ、それは、ダ、ダ、ダ、ダメです」

 ヒロシマは、むきになって、反論してきました。

「そ、そ、そ、そのひと、ダザイって、ナガサキがいうように、自分と周囲との気もちのとり合いが苦手なひと、ではなくて、優れて感受性の鋭いひと、なんですよ。あ、あ、相手の後ろに広がっているこ、こ、心の世界が、ずーっと、みえてしまうんです、最後まで。だから、見えていないひとが大半の世の中ではうまくいかなくて、失敗ばかりして、つ、ついには、じ、じ、じ、自分が人間失格者だと、お、おもいこんでしまうんです。実は、ダザイこそ、に、に、人間合格のひと、なのに」
「あなた、ダザイ、読んだこと、ないんでしょう?」
「ありませんが、たったいま、ピンときました。わ、わかります。とても、よく、わかります。ナガサキは、分かりませんか?」
「なにが、そんなに、分かるの?」
「たったいま、ナガサキが、い、い、いったじゃないですか、とても日本的な作家だって。ダザイのなかに、れ、れ、歴史が育むニッポンの心が、みえるんです。それが、みえませんか?」
「歴史的人格、ってこと?」
「そ、そうです。ダザイは、自分の粗相で落としたご飯粒を、みんなのご飯粒にまでおし広げてみる想像力を、も、も、もっていたんですよ」
「想像力?」
「キーワードでたどってみましょうか。ま、まず、ナガサキのご先祖、つぎに、逃げ場のない極東の地、それから、寄り合い所帯の精神、そして、みんなでサバイバル。ど、どうです? そこから、なにが想像できますか?」
「まとまること、でしょうね」
「そうです。とにかく生き延びていくために、みんなで考え、いろいろ想像力をはたらかせ、工夫を重ね、大切に育てていったのが、こ、こ、この、ダザイの、サバイバルの心、自分のご飯粒をみんなのご飯粒としてみる心だったんです。こ、こ、こ、これこそ、ニッポンンの歴史が育んだ心の総体じゃないんでしょうか」
「でも、もし心底、そうおもっていたら、ダザイは、自殺、していなかった、はずよ」
「それは、周りが、変わってしまったからですよ。カレは、見切りを、つけたんです」
「自分に? 失格したから?」
「いや、その反対ですよ。周りが、人間失格したんです。だから、周りを、見限ったんです」
「ウソ! そんなヘンなパラドックス、ありえないわ!」
「そ、そ、そ、それがわからない、あ、あ、あ、あなたこそ、し、し、し、失格ですよ、ナガサキ!」

 ついに、わたしのなかの、なにもかもが、音をたてて切れました。と同時に、仕掛けていた罠に、格好の柄物が、喜び勇んで飛びこんできてくれた、と直感したんですの。あすの最終日の、ドラマティックな顛末が、出来上がったばかりの記録映画みたいに、ありありと、脳裏によみがえってきたんです。さわやかな達成感が、するすると、背筋をのぼってきましたわ。

「ところで、あなた、ヴァレ=ブランシュ、滑ったことあるの?」
「もちろんです。素晴らしい雪原です。でも、今回はまだ…」
「じゃあ、あす、わたしといっしょに、滑らない?」
「え! 一緒にですか!? も、も、も、もちろんOKです!」

 これで決まりね、できたわ、すばらしい動画を手に、わたしは、ハナたかだかで、帰国することができる……ヒロシマのうれしそうな、でも高慢な、反り上がった鼻をみつめながら、わたしは、心のなかで、何度もそう叫んでいましたのよ。

 翌日の最終日、ヒロシマは、ちょうどお昼の待ち合わせの時間ピッタリに、ミディ針峰山頂の展望台下にやってきました。早朝、濃厚だったガスも、視界五十メートル程度には晴れていました。予報によれば、明日あたりがピーカンの絶好日というのに、なんで明日かえらなくちゃならないの、と悔やまれましたが、予定は予定、わたしもヒロシマも、今日が最終日。というより、たった今、二人が、二十世紀後半に存在した、唯一無比の、ヴァレ=ブランシュ氷河タンデム滑降の、生き証人になろうとしているんだ、とおもうと、全身に緊張が走りました。

「ヒロシマ、まず、あの取っ付きまで、いかない!」
「ОK、ナガサキ!」

 マリンブルーのツナギ、赤いゼラニウム色のニット帽に真っ白なブーツとグローブ、まるで三色旗のロボコップみたいなヒロシマが、勢いよく滑っていきました。先に行かせたのは、ほかでもなく、カレの滑走レベルとターンのクセを、見極めておきたかったからです。実際、ピレネーの雪山で育ったからなのか、ヒロシマの滑りは山岳スキーそのもので、ボーゲンとか、シュテムとか、クリスチャニアとかといった、システマティックな世界とはかけ離れた、日本流にいえば、マタギの滑りを彷彿とさせるような、臨機応変、変幻自在の滑りの老舗、みたいな感があって、とてもびっくりしましたわ。

  でも、残念なことに、一見して、左足に障害があるってことが、わかっちゃったんです。右旋回には問題はないけれど、左回りでどうしても山足になる左足が、時間差で遅れてしまうのです。高速回転では、かなり致命的な欠陥にみえました。

 取っ付きに到着したところで、たずねてみました。

「ヒロシマ、左足、ケガしたの?」
「は、は、はい、わかりましたか?」
「どこで?」
「ピレネーです。凍傷で、指が全部、な、な、なくなりました」
「そう…」

 とても気の毒そうな顔で、と自分ではおもっていたし、相手もそうおもっていたとおもうんですけれど、残念ね、となぐさめたつもりが、その実、心のなかで、わたし、ほくそえんでいましたのよ。これで百パーセントうまくいくってね。わたしがタキュルの裾まで先導して、きのう掘って埋め込んでおいたポールの五回転ほど手前から高速ウェーデルンに入り、ポールのギリギリで左に急旋回すれば、カレの山足はかならずポールに引っかかるはず。すると、当然、高速なので、カレは、勢い余って、大転倒するはずだわ。そのとき、上から、チョッと、押してやればいいのよ、あの、白い氷にパックリ口を開けた、深い深い淵のなかに…。 

 いつものヘッドホンをセットし、ゴーグルでしっかり固定してから、わたし、叫びました。

「さっ、いこうよ!!」
「ОK!!」

 こうしてヒロシマとナガサキは、ヴァレ=ブランシュ大氷河の最初で最後の滑降に、タンデム組んで、挑みましたのよ。

 氷原は最高でしたわ。カリカリのアイスバンでもなく、かといって、ザラメの粗い接面でもなく、どちらかといえば、かるく湿らせた絹の絨毯をおもわせる、親密なグリップとでもいうのかしら、テールから、とても柔軟で寛容な雪面の包容力が、伝わってきました。なので、わたし、ますます、いけるいけるって、自信を深めていったんです。

 だから、ほとんど直下り、でした。回転するとすれば、もっぱらスピードが臨界点を超えないように、軽くエッジを切り替える、板の操作だけでした。ずっとそんな感じで、でもアッというまに、タキュル岩峰が、天から覆いかぶさるように迫ってくる地点まで、下ってきました。そろそろだわ、と思ったとき、五、六十メートルほど先の雪面に、チラリと、赤い小さい布切れみたいなものが、風になびいているのが見えましたの。

「アレだわ!」

 赤い布切れは、猛スピードで、近づいてきます。

「来る! 来る! 来る!」

 おりしもBGМのサウンドに急ブレーキがかかり、からだごと全無音の空間に放り出される瞬間でした。赤い布を回転競技のポーにみたて、雪面を抉って思いきり前屈するや、深いエッジで左に旋回、アクロバティックにスウィッチしながら、わたしは鋭く叫びました。

「ヒロシマ! ここよ! ここよ!」
「ОK! ナガサキ!」

 ヒロシマは、フェイキーで滑るわたしに、猛烈なハグをカマせてみせようと、ことさら両腕を開いて、弾丸みたいに突進してきました。多分、衝突する直前に左に急旋回、スウィッチして、危機一髪の回避劇を演出してみせようと、思いついたにちがいありません。でも、その思いつきが、ヒロシマの命取りに、なってしまったのかもしれませんわね。

 なぜかって、フェイキーって、けっこう難しいテクニックなんですよ。ちょっとした障害物があるだけで、あっというまに転倒してしまう、しかも後ろ向きに。ですから、あの赤い布のポールをピンカーブで抉ろうとしたときに、案の定、左の山足が僅差で曲がりきれず、板の尖端がポールにひっかかって、まず左の板、それから右の板が勢いよくはずれ、ものの見事にころんでしまったんです、それも後ろむきに、ゴロン、ゴロン、ゴロンと…。

 予定していたひと蹴りも、必要ありませんでしたわ。ヒロシマは、そのまま、白い氷面を鋭く切り裂いた、あの魔界の淵へ、スルスルと、吸い込まれていったんです。

 あとは、いつもの、ルーチンワークでした。まずは板をはずし、無線機でコマンダン・ミシェルに急報して救難作戦の発動を依頼し、次に撮影スタッフに緊急連絡、クレバス落下事故現場の詳細を伝える一方で、臨場感とヒューマニズムあふれる動画コンセプトを共有し、それから現場確認の最終手段として、発煙筒の準備をしました。救難ヘリの対応次第では、急遽、焚く必要がありましたのよ。いざとなれば、無線機なんて、あまり役に立たないものなんですのよ、いつだって。

 案の定、十分たってもニ十分たっても、カメラもヘリもやってきませんでした。事故発生後、かっちり二十五分たって、わたしは、満を持して、発煙筒に着火しました。するとちょうど五分後に、ヘリのプロペラ音がかすかに聞こえはじめ、やがて、集団で雪面を削る滑走音が、氷土の胆をかすめて聞こえてきました。ガスはほとんど消え、彫りの深いタキュルの岩峰が深紅の空に突きささっていました。さあ、みんな! これで、やっと、本番がはじまるのよ! 思いきり、やりましょう! 超おもしろくて、ドキドキする、アメイジングな、前代未聞の作品を、心ゆくまで撮りましょう!…。

  あら、いけない、もうこんな時間なのね! ごめんなさい、みなさん。おはなしするのに、つい夢中になって、時間が経つのを、すっかり忘れていましたわ。このままだと、ゆっくり眠る時間も、なくなってしまいますわね。よく眠るために、浜坂のお医者さまが提案してくださった、せっかくのオハナシの時間を、眼が冴えて、眠れなくさせてしまうために使うなんて、なんてバカなんでしょう、わたしって。でも、ごめんなさい、まだ最後まで、いっていませんのよ、わたしの打ち明け話は。時間にして、あと、わずか数分もあれば、結末に辿りつくところまできているんですけれど。できれば、もうちょっとの辛抱を、わたしに、いただけますでしょうか。 

 ありがとうございます。では、時間を節約するために、結論からおはなししますね。

 この、アルプス山岳パトロール救難ドキュメンタリーは、事故としては、軽い骨折から滑落死亡事故まで収録するという、余すところのない豊富な内容で取材を終えることができましたし、ドラマとしても、とってもよくできていて、山岳パトロール隊の、死をも顧みない自己犠牲と献身性を、実寸大でフォーカスした、逞しくも尊いプロフェッショナリズム礼賛劇、とでもいったらいいのかしら、出来上がりのよさにもうワクワクするくらいで、現にに表彰されてもおかしくないくらい、ジョブとしては最高のできで完了することができましたのよ。

 もちろん、遭難取材のときも、ドラマチックな動画編集においても、一番の功労者は、いうまでもなく、あのバスクのオトコ、ヒロシマ、だったんです。せっかくですから、カレがどうなったか、かいつまんで、おはなししておきますね。

 結局、最終的には、助かりませんでしたわ、とても残念でしたけれど。クレバスは、文字通りの恐ろしい氷の裂け目で、細く、長く、人ひとり転がり込めるほどの巾しかありませんでしたし、一旦そこに転がり込むと、落ちるほどに深く、ますます狭く、一ミリの肢体のもがきさえ許さない、帰らずの底なし淵になっていました。

 最初は、懸命にもがいたんでしょうね、アタマから逆さまにはまり込んだヒロシマは、頑丈な体躯が災いしたのでしょうか、力尽きて、深い真っ青な氷の狭間に、トンガリクサビみたいな格好で、突きささっていました。さすがの救助隊員たちも、二次災害のことを考えると、安易に手が出せず、急遽、解氷装置の使用を決定し、ヘリに搬送指令をだしてくれたんですのよ。そう、だしてくれたんです。わたし、小躍りしながら、ヘリの到着を待ちましたわ。というのも、取材班としては、思いもしなかった豪華な救助作戦が、いま、目の前で、フルコースで展開されることになったんですもの。

 解氷装置が到着したのは、もう夕刻をすぎたころでした。まだ夏時間でしたので、いつのまにか晴れ上がった空はピーカンのブルー。岩峰は、ますます彫り深になっていて、凛とした岩相で、わたしたち救助隊をみおろしていました。そんななかで、解氷機のふといフレキシ管から、深い氷の裂け目に挟まったヒロシマの、白いブーツの靴底に向かって、熱風が吹き込まれていきます。遭難者の体温を保ち、まわりの氷を解かしていくのです。

 やがて、ブーツのまわりに少し空間ができはじめたころを見計らって、命綱をつけた隊員がそろそろと狭間に滑り込み、装置のクレーンにつながったもう一本の命綱を、ヒロシマのブーツに結わえるのです。そして、ロープとブーツが一つになると、ヒロシマは自分を確保してくれる装置と一体となり、その分、隊員は、解氷とクレバス周辺の養生作業に、専念できる、というわけなんです。そんな状況で、かれこれ二、三時間もたちましたでしょうか、コマンダン・ミシェルの、ヤッタぞ!! という叫び声が、発電機と送風機の騒音をついて、氷上に響きわたりました。

 緊張して全員が見守るなか、クレーンとブーツをつないだ命綱がピンと張りつめました。すると、逆さまになったヒロシマのからだが、白い氷の裂け目から、少しづつ、ゆっくりと、上がってきたんです。やがて、胴のあたりまでつり上がったところで、隊員数人が、手分けして氷上にからだを寝かし、すばやく気道を確保して、ただちに心臓マッサージを開始しました。その時点では、まだヒロシマには、脈も息もあったんですのよ。でも、ヘリで救急病院まで搬送する途中、急速に体温と心拍数が下がりだし、懸命の蘇生処置をほどこした後、集中治療のモニター監視室に移されましたが、ちょうど夜の十時半ごろ、そうね、そろそろ夏も終わりのころでしたから、まさに晩夏の日の入りとともに、ヒロシマは息をひきとった…ときいています。

 ええ、カレの最後の様子は、実は、そのように、あとで、ひとからきいたときに、初めて知ったことなんですのよ。なぜかって、わたし、カメラ取材担当のひとりでしたけれど、コマンダン・ミシェル付きの撮影を担当していましたので、ヘリでの被災者搬出が終わり次第、遭難現場をすぐ離れて、パトロール隊が駐屯する山岳災害救助本部に戻ったんです。そして、そこでの指令業務全般を取材しおわったところで、わたしのジョブは完了したんですのよ。ヒロシマの最期をみとれなかったのは、とても残念だったなって、いまでも、おもっていますけれど……。

 え! なにを表彰されたのかって!? 

 そ、そうでしたわね! こんなに時間かけて、みなさんに聞いていただいたのも、そのことをお話したいと、おもったからでしたのよね。肝心なことを、忘れるところでしたわ。

 帰国して、ちょうど半年近くたってからのこと、ですから、年も明けて翌年の二月ごろのことでしたわ。シャモニックス=モンブランの山岳災害対策本部から一通の手紙、というより、丁寧な通知書と招待状が、わたしあてに届いたんです。

 A5大で肉厚の白封筒から、二つ折りの書簡が二枚、でてきました。一枚目を読んでみて、びっくりしてしまいましたわ。前年の山岳救助活動に尽力したひとを表彰するという、表彰式への案内状でしたが、表彰されるひとに自分の、つまり、わたしの名前が載っていたんですのよ。実質、それは、招待状をかねたお知らせみたいなものでしたの。読み終わるなり、え? なんで、わたしごときが? とおどろきましたわ。でも、二枚目の書簡に目をとおして、二度びっくり、おもわず、わたし、目がくらみそうになりましたのよ。

 それは、シャモニックス=モンブラン都市警察からの感謝状でした。要件は二つ、ありました。

 一つは、ヒロシマの逮捕に関する感謝でした。警察の説明によると、カレは、略号でETAというらしいんですけれど、バスクの民族主義者たちが集まって組織した、バスク祖国と自由、とかいうグループのメンバーで、あまり知られた存在ではなかったらしいんですけれど、マヨルカ島でスペイン国王を暗殺するという、おそろしい計画が発覚したときに、要注意人物として、内々に、指名手配されていたんですって。もう、お気づきでしょう? そうなんですよ。たしか、わたしが帰国する日に、カレもマヨルカに出発するって、いってましたよね。ですから、まさにあの日が、ヒロシマにとって、文字通り、最後の一日になってしまったわけなんですね。また、もし、わたしの描いたシナリオ通りに事が運ばなくても、結局は、マヨルカで逮捕されていた、ということになっていたんですよね。

 いったいだれが、ヒロシマとナガサキを、こんな風に、めぐり合わせてしまったんでしょうか。

 二つ目の要件は、これも、びっくり仰天玉手箱、なんですのよ。

 わたしが見つけた、あのタキュル岩峰麓のクレバスのことですけれど、後日、対策本部の組織する調査団が超音波探査したところ、ヒロシマが突き刺さったさらに奥の、つまり下の方に、遺物の陰影が認められたんですって。そこで、急遽、掘削隊を投入して掘りすすんだところ、なんと、五十年前に蒸発したとされていた、当時二十六歳の、ミシェル・タランテーズという男性の遭難遺体が、白い氷のなかで、そっくり冷凍保存されたまま、発見されたとうんです。

 それだけでも、ドングリかえるくらいのビックリなのに、その奥様だったジャンヌ・マリー・タランテーズという方が、たしかに自分の夫だって、認知したんですって。そして、その際に、クレバスの発見者に感謝の意を表したいと申し出られた、というわけなんですのよ。

 とても丁寧な感謝状でしたわ。だけどわたし、読んでいて、うれしい、よかった、というより、とても、とても、せつない気持ちに、なっていきました。だって、そうでしょう、二十六歳のままの若々しい夫と対面する七十六歳の妻、しかも妻は、いつ帰るかもしれない夫を待って、再婚もしないで、ひとりで待って、待ち続けて……。

 ごめんなさいね。自分のハナシに、感動したわけじゃないんですけれど、涙が出て、しかたがないんですの。なんて、わたし、バカみたいですわね。そろそろ、止めにしちゃいましょう、こんな、つまらないおハナシなんか。

 みなさん、ながい打ち明け話に耳を傾けていただいて、ほんとうに、ありがとうございました。これで、胸のつかえが、すっかりとれましたわ。ただ、とれたのはいいんですけれど、どうしてでしょうか、急に、とても悲しくなってきましたの。ヒロシマのことが、とても、かわいそうにおもえてきましたの。なんていえばいいのかしら、胸がキューンとしめつけられるみたいに、痛くって、とっても空しい気持ちになってきましたわ。ヘンですわね、いまのいままで、あのヒロシマに、わるいことをしたなんて、一度だって思ったこがなかったくせに……。

 ごめんなさいね、最期にグチなんかこぼしたりして。どうぞ、気になさらないで、ゆっくりお休みになってくださいね。ほら、雪の降りは、だいぶ、ゆるやかになってきたみたいですよ。いい加減、はやく止んでくれれば、いいのにね。それでは、みなさん、おやすみなさい。また、あした…

               ◇

 前夜の話をおえた助監督が、その夜の語り部として、左脚に添え木をした若い商社マンを指名した。

 かれは、観念でもしていたのか、すぐ両手で上体を起こすと、折れた足の向きを器用に壁側からみなの方にクルリと転換させ、今度は大仰に尻をずらして背中を壁にもたせかけ、フーと一つためいきをついた。

     第4話 白い男


 きのうのハナシをきいていて、おもったんですけど、女監督さんとボクと、なんとなく、どこかでつながってるっていうか、因縁があるっていうか、不思議なんですよね、ハナシの中身が。とくに、ダッカ・ハイジャック事件のあたりから、どこかでリンクしているみたいな気がして、ならないんですよ。

 どんな風に、て、きかれても、あまり、とっかかりがない、というか、みなさんとは、関係ないコトなんで、説明にこまっちゃうんですけれど。でも、どうしますかね、ウン、そうっすね、こうしましょうか。さっき、ヒロシマ、っていいましたっけ、あのバスクのオジサンのことですけど、カレがナガサキ、つまり女監督さんにしたテストね、あの現状認知テストから、はじめてみましょうか。

 ボク、いや、せっかくの休暇中なんで、オレって、いわしてもらいますけど、オレ、あの質問に全部答えられますよ。

 まず、日本の独立記念日でしたよね。あれ、千九百五十七年四月二十八日ですよ。サンフランシスコ講和条約が発効して、日本がいわゆる主権を回復した日です。建国記念日じゃ、ないっすよ。それから、人口ね、これは誰でも知ってるでしょう、一億二千万人ですね、いまのところ。それから、離島を除いた国土面積、これは三十七万七千平方キロメートルです。端数はきりすてましたけど。離島の数は六千八百四十八、面積は、だいたい一万一千八百二十平方キロメートルくらいかな。あと、なんでしたっけ、そうそう、東京の緯度は三十五度、広島は34度、長崎は33度、そして、最北端の地は、北海道稚内市の宗谷岬、最南端は,、意外や意外、東京都にあるんですよね。東京都、小笠原村、沖ノ鳥島です。六十八年に小笠原諸島と一緒に、合衆国から返還されました。あとは、ま、いいですよね、きりがありませんから、このへんでやめましょうか。

 オレ、べつに、地理マニアでもなんでもないんです。実は、あなた、ナガサキが、バスクのヒロシマに問いつめられたみたいに、オレ、アルジェリアという国で、仕事してるんですけど、そこの商務省の役人から、すごくバカにされた経験があるんですよ。

 オレの務める会社、商社やってまして、戦前から、ビジネスモデルさがしながら、アフリカ諸国に進出していたんですけど、その一つに、アルジェリアという国があって、ちょうど日航一ニ三便が御巣鷹山に墜落した翌年の十月、オレ、入社したばかりだったんですけど、そこの連絡事務所に、赴任したんすよ。そしてすぐ、さっきいった、商務省の課長クラスの技官と会った最初のアポで、ガツン、てかまされたんすよね、強烈なジャブを。

 キミ、自国の領土の説明もできないで、わが国で商売しようなんて、ひとをバカにするつもりかね、わが国は、千九百六十二年七月五日にフランスから独立した歴とした主権国家だ、お隣さんとお喋りするような気分で会いにきてもらっては困る、出直したまえ、てね。要は、襟を正して、勉強し直してから来い、ということなんですよ。

 オレ、クソッ、とおもって、一生懸命、おぼえたんす。自国を外国人にプレゼンするときに、常識として知っておかないとカッコわるいことって、あるじゃないですか、最低限のデータとして、ね。

 ところで、みなさん、アルジェリアって、知ってますか? 地球儀の、どのへんにあると、おもいますか? ここに東京がありますね。北緯35度です。この緯度戦をずーとたどって、ちょうど裏側の、地中海までいくと、ほら、フランスのマルセイユの、ちょうど真ん前あたり、ここ、ここに、アルジェ、てあります。首都です、アルジェリアの。北緯は36度ちょっと。東京とほぼ同じですね。大昔のフランス映画ペペルモコの舞台になったカスバのあるところ、です。この映画、年配の方は、よくご存じですよ。カスバのオンナ、という歌でね。  

 この、アルジェリアの西隣にモロッコ、その南にモーリタニア、両国の間にはさまれて、西サハラ、という国があります。東隣にはリビアがあって、二つの国にはさまれて小さい国チュニジアがあります。これら六つの国をマグレブ六か国、とまとめて呼ぶこともあります。マグレブというのは、日没するところ、という意味で、日出るところ、というのはマシュレクといいます。ですから、日本はマシュレクの国、というわけですね。  

 昨夜、アルジェ空港の閉鎖からはじまって、ダッカ・ハイジャック事件や連合赤軍、パレスチナやコーゾー・オカモト、それに赤軍兵士の高校の先輩でアルジェ在住の若い技師などなど、いろんなハナシが出ましたけれど、どういう偶然か、全部、どこかでオレと、リンクしてるんですよ、こわいくらいっす。  

 なかでも、超偶然だ! て叫びたいのは、アルジェ空港閉鎖の日に、あのヒロシマがオルリー空港であった若い技師、のことですよ。ビックリです! オレがアルジェに赴任したときの連絡事務所長が、なんと、その技師さん、だったんです。

 赴任早々、世界に冠たる商社の武勲として、飲み会なんかでは、しょっちゅう、アルジェ空港封鎖の経緯、事件の影響に翻弄された在留邦人や事務所の苦労話、対マスコミ対策に苦慮したことや、大使館の不甲斐ない対応など、いろいろきかされましたけど、そのときに、空港閉鎖の報をパリのオルリー空港でうけた所長が、ポルトガルのオリベイラ金型工場に工場検収で出張するところだったんだ、てことも、聞かされていたんすよ。

 七十七年十月に、ヒロシマがオルリー空港であった若い日本人技師さんが、ちょうど十年後の八十七年十月に、オレが赴任した連絡事務所の所長になっていた、という、ビックリするハナシが超偶然としたら、さて、ハイジャック実行犯の連合赤軍兵士で、アルジェ空港で投降した、オレの所長の高校の後輩が、オレのオヤジと同級生だった、となると、どうなるんすかね、みなさん。超超偶然、ていうより、確率ナノナノ分の一の発生率になっちゃうんじゃないでしょうか、危機管理の事案として考えたら。

 それに、実をいえば、オヤジ、同級生どころか、連合赤軍の兵士だったんじゃないか、って疑ってもおかしくない事態が、発生していたんです。実は、事件のちょうど半年まえ、どっかに、蒸発しちゃったんですよ、オレのオヤジ。

 オレ、ちょうど、七歳になったばかりでした。

 正直、オレ、まだ小さかったし、具体的にオヤジがなにをしたのか、なにも知らないスよ。オフクロも、そのころのことについては、ほとんど話してくれなかったし。

 ただ、オレ、六十七年の十月十日、体育の日に生まれたんスけど、誕生日になると、オレ囲んで、ローソク立てて、誕生日オメデトー、なんてやってくれたんスけど、日ごろみたこともないサラダや肉料理でメシくって、ケーキ食べて、満腹になって、そろそろ眠くなってきそうなころ、寝る時間だ! なんていわれるの、イヤじゃないですか、だから、なんだかんだいって、暴れまわったりしちゃうんですけど、そんなとき、オヤジ、必ず、アリコもってきて、ゲバラ賛歌をはじめるんです。そして、二人でさんざん歌ったあげく、最後にはワーワー泣きだすんですよ、大の大人が。

 ほら、これがアリコです。こうやってオレ、いつもリュックにしまって、持ち歩いているんすよ、どこいくにも。雪上のテントでも、沢渕の野宿でも、真夏のキャンプや、サハラの野営でも、これと一緒に、歌いましたよ。何度も何度も。

 アリコって、フランス語でインゲンマメのことをいうんですけど、オヤジが、どっかから仕入れてきたオークの古材を、切ったり削ったりしながら、時間かけて、正直、汗水ながして、作った竪琴なんすよ。弦は九本あります。最初は七本で、ギター用のコード使ってましたけど、気に入らなくて、ピアノ線で九本に落ち着きました。形は長方形から台形、和琴型と、いろいろ試してましたが、最終的に洋ナシに似た流線形になり、持ち運びに便利なように、中を抜いて軽いボディになりました。出来上がった楽器をみたオフクロがこういったそうです。

「あら、アリコそっくりね」

 単語の響きがたいそう気に入ったらしく、オヤジはことあるごとに、オレのアリコ、オレのアリコ、ていってました。オレには、超旨い物にきこえたので、オフクロに聞いたんです。

「アリコ、って、どんな食べ物?」
「あら、よく分かったわね、食べ物って。アリコって、フランス語で、インゲンマメのことよ」

 そして、こう付け加えたんですよね。

「本当はね、わたし、膿盆のつもりでいったのよ」
「ノウボン?」
「ほら、あなたも使ったこと、あるでしょう、食べ過ぎてゲーゲーやったときに使う、アレよ」

 知ってか知らずか、オヤジは、このアリコを、たいへん愛していたみたいです。あの日も、腕にしっかり抱え込んで、いたわるように九弦をつま弾きながら、オフクロの声と歌詞とリズムに合わせて、楽し気に、自分も歌ってましたね。

 さて、さっきのつづき、なんでオレの誕生日に二人とも泣くんだよ、生まれてきて悪かったのかよ、てハナシ、オレ、本気で悩んだこと、ありましたね。あとでわかったんですけど、それには、ちゃんとした理由があったんです。六十七年十月九日、ボリビアのジャングルで、チェ・ゲバラが銃殺されたんです。あっちの九日は、日付変更線で、日本の十日になるんです。オレの誕生日、ゲバラの命日だったんですよ。これも、超偶然、スよね。

 でも、ゲバラの命日も、オレの六歳の誕生日で、おわりました。翌年の七歳の十月十日は、祝えなかったんです。あの年の2月、いつもの公園の、ポピー畑の近くの、背の高いタイサンボクの木陰の、芝生の上に敷いたゴザの上で、アリコ片手にオフクロと、ゲバラ賛歌に興じていたオヤジは、翌日からいなくなりました。蒸発です。オフクロに何度も聞きました。どして、いなくなったのか、って。でも、なんの説明もなく、ただ、こういっただけでした。カレにも、…いつもならパパというのに、カレっていったんでスよね、あのとき、オヤジのことを…、カレにも、イノチかけて、ヤリたいこと、あるのよね、って。

 カレにも、イノチかけて、ヤリたいこと、あるのよね……。

 この、イノチかけてヤリたいこと、それがなんだったのか、七歳の息子と妻を捨てて蒸発した張本人を探し当てて、面と向かってたしかめてやる、これが、いままで生きてきたオレの目的じゃなかったのかな、なんて、おもったりもするし、ほんとにそうだったのか、といわれると、自信もないし、こうやって、脚も折れちゃったし、とにかく命の保証のないこの山小屋を出るまえに、いろんなことを整理しておかなくちゃ、決めること決めておかなくちゃ、なんてかんがえてたんで、こうやって、みなさん相手にはなしするのも、オレにとっては、いいチャンスかもしれませんね、

 ただ、キューバ革命とか、イラン革命とか、アルジェリア独立戦争とか、イスラム原理主義とか、ソビエト連邦の崩壊とか、パレスチナ解放闘争とか、とにかく、国際社会の成り立ちや歴史、それに情勢にからむ出来事が、オヤジの周りには所狭しとならんでたので、ややこしいんすよね、ハナシするのは、ホントに。

 とにかく、目的達成のためには、まず、オヤジの居場所をつきとめなければならない。そう考えたオレがターゲットにしたのは、ウチのアルジェ事務所の運転手、アブダッラでした。アルジェから五十キロほど東にいった沿岸都市ベジャイアの出身で、高校を卒業してすぐ警察官になり、アルジェ管区で交通整理をしていたところを、ウチの事務所長にスカウトされた若者です。

 なぜかれに目を付けたかというと、いつだったか、こんな会話をしたことがあったんです。

「なあ、アブダッラ、おまえ、十何年かまえ、どこでなにしてた? そのころ、ハイジャックされた日航機が、アルジェ空港に来なかったか?」

 実はオレ、そのころからオヤジがハイジャックの一味ではなかったかと、密かに疑いだしていたんです。

「あ、よく覚えてますよ。おれ、アルジェ警察で警官やり始めたばっかりでしたから。日本人が投降する、ってんで、道路封鎖して待機してましたよ。よく覚えてます」
「当然、ハッジは、まだ、現れていないよね」

 ハッジというのは、メッカに純恋したイスラム教徒の総称で、聖地の地に足を踏みいれた敬虔な教徒として、みなから敬われていたんです。そのハッジとオレのオヤジが、どうも同一人物じゃないか、って、疑ってたんすよね、ずっと。

「もち、っすよ。ハッジは、まだ、ハッジじゃなかったっすから」
「えっ!」
「事務所の所長さんにスカウトされて間もなく、お客さんが来るからって、所長から空港に迎えにいくように、いわれたんすよ。で、迎えにいったら、あのハッジが、背広姿で、イミグレから出てこられたんす」 
「カオはどうだった? アジア人のカオだったか?」
「アジア人かアラビア人かインド人か、おれには、よくわかんなかったっすよ。白くなかったことは、たしかっすけど」
「そうだよな、ムリもないよな、で、所長が、迎えにいけと?」
「ええ、そうだったすよ。大切な客人だ、ってことでした」
「大切な客人?」
「そうっす。大切な客人っす」
「まあ、客人はみな大切だが。で、どっから来たっていってた?」
「ベンガジっすよ」
「ベンガジ?」
「そうっす、リビアっす」
「ベンガジ、トリポリ、アルジェ…で、航空機は?」
「アルジェリア航空でしたね」
「乗り継ぎのこと、なにかいってなかったか?」
「なにも。ていうか、おれみたいな運転手が、ねほりはほり、聞けないっしょ」
「それもそうだ。で、まず、事務所へ?」
「もちろん、まず、事務所っすよ」
「それから」
「一時間ほどっすかね、所長と降りてきて、まず日本大使館にいきました」
「日本大使館?…それから?」
「大使館は十分程度でしたかね。それから、イラン大使館に行ったすよ」
「イラン大使館?」

 ほら、ね、でしょう! おかしいでしょ! どっかから来た背広の紳士が、リビアで乗り継いでアルジェにやってきて、商社の連絡事務所に立ちよったかとおもったら、まず日本大使館に行ったんですよ。そしてそのあと、イラン大使館に行った、というんです。

 乗り継ぎに選んだリビアなんて、いまでも変わんないっスけど、ちょっと南下したら、もう延々、月の砂漠なんスよね。チュニジアとかアルジェリアとか、一応、国境はあるらしいんスけど、パウダーで白線かくようなもんで、境界線なんて、なきに等しいとこなんすよ。

 しかも、そのころ、日本赤軍とドイツ赤軍が、共同で軍事訓練する、戦略的な拠点にもなってたんすよね。世界同時武力革命、とでもいうんすかね、革命は銃口より生まれる、なんてファンタジーを、地で行こうとしてた連中の溜まり場、だったんすよ。

 さて、この背広の紳士がなにものか、みなさんには、もう、おわかりでしょう。日本赤軍の工作員以外の、なにものでもないじゃないっすか。その工作員が、商社とか在外公館とか、あらゆる実益社会のネットワークに食いこんで、弱者救済、世直し改革、パレスチナを救え! みたいな、ヒトのためミナのため世のめによい活動、をビジネスモデルに、ユスリ、タカリの収益拠点を、あちこちに、築いてきたんですよ、オレのオヤジは。

「イラン大使館では、どれくらい待ったんだ?」
「長かったすよ。一時間くらいっすかね」
「ほう…。で、それから」
「そのあと、アルジェを見学したい、てんで、まずは殉教者広場だろ、ておもって、カスバの真下の、あの広場につれていったんすけど」
「けど?」
「や、なつかしいなぁ、なんて、しばらく車の中で外、みてましたけど」
「なつかしい?」
「タバコ買ってくるよ、って、いきなり降りていったんすけど」
「けど?」
「そのまま、消えちゃったんす」
「消えた?」
「そうっす。二度と、戻ってこなかったっす」
「どういうことだよ?」
「わかんないっすよ」
「所長には連絡したのか?」
「もちっすよ」
「所長はなんて?」
「一時間待って、かえってこなければ、もういいよ、てことでした」

 やっぱりそうか。パレスチナで培った商社とのつながり、そのネットワークそのものを、思いきり利用して、日航機人質の解放と、現地在留邦人の安全をたてに、尻についた火が、人の命は地球より重し、の臆病風にあおられて、右往左往するまぬけな日本政府、その出先機関の在外公館を、やすやすと手玉にとって、おどし、すかし、二国間協力に揺さぶりをかけ、日本との交易を優先するアルジェリア当局をも巻き込んで、赤軍ハイジャッカーの投降と日本人人質の解放を勝ち取った、まさにその場所に、新たなタカリと収益拠点を構築するという任務遂行のため、この背広の紳士、つまり、オレのオヤジは、アルジェリアに戻ってきたんすよね。

「それが、後のハッジ、なんだな?」
「そうっす」
「いつ、ハッジだと、分かったんだ?」
「三年ほどたったころだったすよ。殉教者広場のモスクに、これ、持ってってくれ、って、所長が、おおきな封筒、おれにわたしたんすよ」
「封筒?」
「ひとりで用足ししてこい、なんていわれるの、はじめてだったんで、おれ、おもわず、これ、なんすか? て、ききかえしたんすけど」
「けど?」
「喜捨だ、モスクへの喜捨なんだ、門前にハッジが一人、いらっしゃるから、そのヒトにわたしてくれ、受け取りはいらないから、ていわれて」
「で、いったのか?」
「もちっすよ、仕事っすからね」
「で?」
「いわれるように広場にいってみたら、なんのことはない、ハッジは、あのときの紳士、だったんす」
「なんで、分かった、そのハッジが、あの紳士だって?」
「目で分かったすよ、目で」
「目?」
「マグレブ人は、ヒトの目に、敏感なんすよ」
「目に敏感? なぜ?」
「ファトマの手、知ってるでしょ?」
「ああ」
「掌に目があるっすよね」
「ああ」
「あれ、ヒトの目に気をつけろ、ってことなんすよ」
「どうして?」
「フェニキアから出てマグレブに定着した習慣なんすけど、ヒトが見るのはヒトのものを盗むため、ということで、ヒトの目には用心、用心、てことす」
「日本では、ヒトを見れば泥棒とおもえ、という諺があるが、おなじことかね」
「そこは分かりませんけど、とにかく、マグレブ人は、いちど会ったヒトの目は、絶対、忘れないんすよ」

 このアブダッラ、実は、とっても真面目なヤツなんですよ。中学を出て警察官になる、それ自体、この国ではキャリアなんですけど、アブダッラは、向学心にもえた、というか、結構な野心家というか、ウチに引き抜かれたあとも、それに飽き足らず、眠る時間をけずっては、殉教者広場のモスクにかよって、先のキャリア形成のために、雑学というか、いろんな知識を身につけようと、日々、知恵をしぼっていたんですね。

 みなさん、マドラッサって、聞いたことありますか? モスク、つまりイスラム寺院に併設された伝統的な寺小屋なんすけど、そこでアブダッラは、毎日、せっせと雑学をつんでいたんです。いつだったか、かれの運転で街中を移動していたとき、オレ、急にきいてみたくなったんスよ、いったいそこで、なにを勉強してるんだ、ってね。

「で、殉教者広場で、イスラム教義以外に、なにを教わってるんだ?」
「いろいろ、あります」
「たとえば?」
「いまは一党独裁についてです」
「つまり、民族解放戦線の功罪について、とか?」
「功罪どころか、罪しかないすよ! アルジェリアは金持ちなんだ、石油もでる、天然ガスもでる、それを売って金をもうける、金持ちなんだ、豊かなんだ、おれたちの国は。それが、なんだ、なんでおれたち、こんなに貧乏なんだ、家もない、借家もない、寝る場所もなけりゃ、流しに水も溜まらない、まともに食うモノもなければ、コーヒーに入れる砂糖もない、クースクースどころか、パン一切れ買うカネにもこまってるんだ、おれたちは! なぜだ、なぜだ! これが正義か! おかしいじゃないか!」

 スゲー勢いでしたね。いきなりハンドルをバンバンなぐりつけ、怒鳴り散らして、たまりにたまった怒りを爆発させたんです。カッと見開いた両眼は爛々と輝やいていて、理不尽な犠牲を強いる現政権を、まがいもない悪の実体と捉えているらしく、まさにそれ自体を抹殺の標的にしているんだ、という自信と確信に満ち満ちていて、そこから発散する深い怨念や強靭な抵抗心、加えて変革への熱い息吹が、助手席にいるオレにも、ピシピシ伝わってきたんすよね。

 一外国ミニ商社の、ミニミニ連絡事務所で働く、単なる運ちゃんじゃないですか。そんな人間を、社会的にここまで覚醒させてしまうパワーって、いったいどこから来るんだろう? 

「民族解放戦線て、そんなにひどいのか?」
「ひどいどころか、悪の根源です」
「悪? アクにもいろいろあるとおもうんだけど?」
「正しくないことです」
「正しくない、っていうと?」
「公正じゃない、ということです」
「公正じゃない?」
「ひとは互いに公正に接し、公正に裁きあう、これが正義です」
「公正に生きることが正義?」
「そうです。ひとは中庸を尊び、寛容と博愛の精神を礎にして、傲慢にはならず、欲求や欲望を控え、心のおごりを清め、肉体的欲望を制御し、財産へのどん欲を克服するために、公正を実践し、公正を貫くことです」
「公正、て、すごく、むつかしいんだね」
「そうです。神の意向にしたがって、親切と慈善の心、忍耐と他人への思いやりに支えられて、初めて公正を実践し、正義を貫くことができるのです」
「アブダッラ、おまえ、イスラムの高僧みたいなこと、いうね」
「とんでもない。預言者の教えに沿った生き方を、したいだけです」

 沸騰した悪への怒りが、ちょっとおさまりかけたところで、オレ、テープのボリュームを下げて、すぐに聞いたんです。

「で、奥さんは、いるの?」
「まだです。残念です、とても」
「そりゃ、残念だ。ガールフレンドは?」
「モチ、いますよ」
「じゃあ、すぐ結婚すれば、いいじゃないか」
「それが、だめなんです。もう少しなんです」
「もう少し?」
「そうです。結納金が、まだ足りないんですよ」
「結納金?」
「はい。この国では、妻になるひとにカネを納めます。納めたカネは妻のもので、夫に権利はありません」
「どうして?」
「妻がひとりになったときの保証なんです」
「なるほど。じゃあ、稼がなくちゃね」
「そうなんです、そうなんですよ、そうなんだ!」

 アブダッラのこめかみが、急に青筋たてて膨らんだかとおもうと、またひどく怒りだしたんスよ。

「ヤツらは、アブラで、ガスで、大儲けしてるんだ! どんよくな先進国相手に、おれたちの財産を切り売りして、やすやすと、ボロ儲けしてるんだ! おかげさまで、おれたち、一文無し、てわけだ、満足にパンも買えやしない、コーヒーものめない、クースクースなんて、夢のまた夢だ、これが正義か! これが公正か! これが神の信託にこたえた生き方といえるか! だろッ! どうだ、どうおもう!? だろッ!」

 アブダッラは、またハンドルをバンバンなぐりつけ、怒りをぶちまけました。

「正義は、ひとが神から授かった信託なんだ! ひとには、神の信託を完遂する義務があるんだ! だろッ!」
「…そうだ!」
「すべてのひとが正義を貫く責任を負うんだ、すべてのひとに、正義が、生まれながらの権利になるよう、努めるんだ、それが、ひとの美徳として尊ばれ、高められるんだ、そんな世界が、神の招来する世界なんだ、そうじゃないのか! だろッ! だろッ!」
「…美徳として?」
「そうだ、美徳として、だ。神の教える中庸と節度を敬うこころだ! 美徳をとおして、ひとは、神に近づくことができるんだ! だろッ!」
「…」
「どうしたんですか! そうじゃないんですか!」

 アブダッラが、またバンバン、ハンドルを殴りだしたので、オレ、危険を感じて、つい、妥協してしまったんスよね。

「そ、そうだよ!」

 するとアブダッラは、人差し指をオレの目の前につきたてて、こういったんです。

「その点、日本は、すごいです」

 さっきまでの激昂がウソみたいな、意外な冷静さに、オレ、拍子抜け、しました。

「すごい? って、なにが?」
「伝統です。おれの国には伝統がない。砂しかない。湧き出る泉がない。源流がない。あるとしても、そこまで遡っていける記憶と時間の道標が、ない。すぐに干上がって、消えて、なくなってしまうんです」 
 
 オレ、なぜか、気持ちに、ズシンときました。日本の伝統なんて、あって当たり前、そうておもってるじゃないですか、でしょ? でも、ないひとからすると、すごく大事なものにみえるらしいんスよね。そこんとこ、よく分からなかったし、オレ、聞いてみたんです。

「日本の伝統、ていうけど、なにが伝統なのかな?」
「記憶と、時間です」
「記憶と時間?」
「そうです。きのう、おととい、さきおととい、半年前、去年と、自分の記憶をたどっていけば、ずーとつながった自分と周りの時間を、遡っていくことができるんです。あなたは、自分の国の時間を、二千年、三千年、一万年の出来事をたどって、ずーと遡っていくことができるんですよ」
「へ?」
「それができないのが、おれたちの国、このまえ、できたばかりだからです。そのまえは、フランスだったし、そのまえは、トルコで…まったく別の国だったんです」

 たいした歴史観だと、おもいませんか? 歴史を、史実の記憶と縦の時間軸で、しっかりと捉えているじゃないですか。
 
「すごいな、アブダッラ、まるで歴史学者、みたいじゃないか」
「おれ、勉強してるんです」
「モスクで?」
「そうです。歴史や政治にくわしいハッジがいるんです」
「ハッジ?」
「さっきいったハッジっす、メッカ巡礼を成し遂げたひとです。みな、尊敬してます」
「ハッジ、ね」 
「はい。ハッジは、いつも白い巡礼着を、はおっています」
「白い巡礼着!」
「そのハッジ、どこに住んでるんだ?」
「カスバです。たしかじゃないけど、モスクからの帰りには、いつも、石段を上っていきますから」

 背すじに悪寒が走りました。やっぱ、あのカスバに住むモスクのハッジと、蒸発したオレのオヤジと、ひょっとしたら、いや絶対、同一人物じゃないのか。

 おもうに、歴史や政治に詳しいハッジ、そこから得た知識やものの見方を、実社会で実践的に磨いていけば、アブダッラみたいな、中学出の一介の運ちゃんでも、いま起こっている事象の源泉まで、記憶を頼りに、時間をさかのぼっていくことができる。明晰な歴史分析を説く、一種、アカデミックな方法論ですよね。オヤジは見事、工作活動のさなかで、その技術を身につけていたんっですよ。

 ざっと、こんな具合に、オレ、オヤジがカスバに住んでるってこと、確信したんですよ。で、さっそく、探してみようとおもいました。

 赴任早々、オレ、唯一の国際規格ホテル、エルオーラッシの近くに住居を定めました。フランス植民時代に建てられた二階建ての豪勢な館で、家賃も結構なものでしたが、ホテルに歩いて行ける利点もあったし、なによりも、カスバの天辺という、白い古都を真上から一望できる得難い位置にあったからなんです。

 実際、国道1号線とカスバの城門の間に、街路がいくつか走っていて、そこから分岐した隘路が数本、きつい傾斜で下方に伸びていました。そのなかで、一号線に一番近い隘路を選んで入り込むと、いかにも植民地時代の建物て感じのレトロなヴィラが、いくつも連なって並んでいて、その隘路の出口、というより、どんずまりの崖っぷちの天辺に、それはあったんです。

 立つてみると、いきなり眼下に展望が開け、標高百メートルは下らない大斜面が、急勾配の巨大なカール状に広がって、民家やスラム、モスクやモニュメント、玉石混交の建物群をザックリ巻き込んで、波静かな紺碧の地中海へと急降下し、そしてまた、崖っぷちの真上からは、ひと一人、やっと通れるか通れないかの石の階段が、カスバの赤黒い屋根屋根を縦横に縫い縫い、カールの底部の、分厚い油状の海水がヒタヒタ洗う埠頭群のアルジェ港まで、一気に下っていました。

「スゲー眺めだなぁ…」

 オレ、おもわず、ため息、ついてましたね。薄汚れた石壁や、変色したコンクリ、壊れそうなバラックや半分はがれた赤レンガ塀の内側に、いったいどれほどの人間が呼吸し、うごめき、怒鳴ったり笑ったり、喜怒哀楽に身を任せて生き、そして生き延びようとしているのだろうか……。

 はたと気がつくと、眼下のかカスバは、夕日に煙っていました。粗末なモザイクタイルでふいたんでしょうね、小さなスペイン風の中庭やベランダ、市街戦で爆破されたのがもろ分かる南仏様式の石壁や、薄汚れたオスマン時代の漆喰の瓦礫、路地沿いのパン屋、肉屋からつきでた不揃いの煙突などなど、あちこちから夕餉の煙が、旧市街全体を覆っていたんです。

 そんなカスバを、突っ立ったまま、じっと見入っていたんですけど、そのうち、なにか白いものが、ずっと下の方で、チラチラと妙な動きをしていることに、気がついたんスよ。
 
「なんだろ?…」

 それは、粗末な板張りの屋根越しにみえるモザイクタイルの床の上で、わざとこちらを挑発するみたいに、屋根の陰から出たり入ったり、していました。いったいなにが動いてるんだ?…オレ、イラッとして、しばらく凝視してたんスけど、そのうち、なんのことはない、実は、ひとが一人、動いてるんだ、てことに気がついたんです。アラブの白いトーブを着たオトコが、腕をクルクルまわしたり、体を後ろに反らしたり、前かがみになったり、脚を開いたり、曲げたり、規則的なリズムと動作で、中途で飽きる様子もなく、ずーっと動いてるんです。

「なに、やってんだ、あの白い男?…」

 ひとって、この種の動きをするとき、なにをしているとおもいます? オレ、ひらめいたんスよ、そうか、ラジオ体操だ!ってね。でも、変じゃないですか? アルジェって、北アフリカの白いパリ、といわれてるんスよ。その旧市街のカスバの片隅で、日本の一般国民向けの健康体操をしているヒトがいる、なんて、だれが考えます? 思いもつかないことでしょう? そこでオレ、おもったんすよ。あの白い男、かれはきっと蒸発した自分のオヤジにちがいない、とね。だから、いつもそれを念頭に置いて、ずいぶん長い間、探しまわりましたよ、カスバ中を、ヤツを求めて……。

 そうこうするうち、あれは翌年の十月でしたね、首都アルジェで大暴動が勃発しました。オレのちょうど赴任一年目のことでしたね。

 みなさん、覚えてますか? そのころ、かなりまえからグラスノチやペレストロイカで揺れていたソビエト連邦ですけど、とうとう連邦にひび割れが生じて、ちょうどアルジェ大暴動の年ですよ、エストニアに始まって、リトアニア、ラトピアのバルト諸国が、次々と反旗をひるがえして独立するって、宣言しちゃったんですよね。

 この流れが一挙に中央アジア、東欧、コーカサスの国々に伝播して、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウクライナまでも、同じように独立しちゃったんです。いったんひび割れすると、もろいもので、その二年後、ポーランドがソ連無視の自由選挙で、実質、連邦からの自立を実現すると、半年後にはベルリンの壁が崩壊し、二年足らずでソビエト連邦は解体しちゃったんです。

 その間、ベルリンの壁が崩壊する一方で、一党独裁の弊害に苦しむアルジェリアでも、欲求不満の発露として民衆の大暴動が発生し、前代未聞の地殻変動が始まったわけですが、窮乏生活から民生重視への政策転換で、かろうじて民意を誘導するかたわら、新政権下の制憲議会で、自立した民主国家に生まれ変わる施策として、夢の新憲法が採択されたんですよ。

 これが悲劇のはじまりだったんすよね、現実には。

 オレたちが暴動の災禍をくぐりぬけて国外脱出した翌年、アルジェリアでは、暴動鎮圧の不手際の責任をとって内閣総辞職、かわって登場した新政権が、多党制を目玉に民心をたばねて発足、新憲法策定のための制憲議会を設置して、野心的な民主化の試みに挑戦したんです。

 みな、熱狂してましたよ。街でも家でも、朝起きて夜寝るまで、猫も杓子も、多党化、多党化、と口々にとなえ、民主化、民主化、と叫んでは、そこらじゅうを走りまわってましたね。ほんと、うれしかったんでしょうね。とくに、だれでも好きに政党をつくれる、理想の実現のためにだれでも総選挙に立候補できる、というある種のファンタジーに、みな、酔いしれたのかもしれません。

 実際、制憲会議での新憲法採択と前後して、ポーランドのワレサ議長ひきいる労組連帯が、自由選挙を強行して実質的にソビエト連邦からの自立を達成した、なんてニュースが国外から飛び込んでくると、もう大変、自分の国が明日にでも民主国家になるんだ、てみな、思い込んじゃったんでしょうね。

 そんななか、一躍、脚光を浴びたのは、イスラム救国戦線FIS、という政党でしたね。これって、イラン革命の影響もあったんでしょうけど、もともと、一部の大学で、だいぶまえからイスラム原理主義的環境が醸成されつづけていたんですけど、実は、そこに巣くうカルト的原理主義者の集まりで、イランやアフガニスタンの神権政治をモデルに政体を改変しようと、満を持して結党した集団なんです。

 普通なら、みな、カルトのにおいに危険を感じて、ていうか、国法を超越するシャリア法の厳格さをよくしっているから、FISの坊主には目もくれないし、ましてや説教などには耳も貸さない、そんな具合だったんですけど、民主選挙という、この千載一遇のチャンスに、とにかく現政権を倒して多党政治を実現するんだ、という願望にのみこまれて、ただただ政権奪取の可能性大の政党に、みな、自分の夢を、託そうとしたんスよね。歴史は繰り返す、ていいますけど、まさに合法的に、手のつけられないモンスターを、つくりあげてしまったんです。

 そうこうするうち、とにかく、暴動後の情勢は徐々に鎮静化し、やっとオレたちも再入国できる状況になりました。

 ちょうど、オレがアルジェ空港に到着した日でしたね、史上初の自由選挙が行われる記念すべき日だったんです。民主化プロセス最初の選挙、地方議会選挙の投票日だったんスよ。オレ、もちろん、迎えにきたアブダッラに、まず、聞きましたよ。

「投票にいったのか?」
「もちろん、いきましたよ!」
「で、どこに、入れたんだ?」
「もちろん、イスラム救国戦線FISです!」
「それって、大丈夫なのか?」
「もちろんですよ! いま、民意を最も代表している政党ですからね」
「多党制ていうけど、かっての政権党は、どうなったんだ?」
「民族解放戦線ですか?」
「そう」
「候補だしましたよ、幽閉されていた初代大統領をね。でも、あんな政党に、だれが入れるもんですか!」

 実際、選挙結果は、おそろしくドラスティックなもので、自治体の八割でイスラム系政党が躍進、中でもFISが、五十七パーセントの議席を確保しちゃったんです。これって、いままでの世俗リベラル主義が、どんだけ腐敗し、堕落し、嫌われていたか、てことを、まざまざと見せつける結果におわってしまった、てことなんスよね。
 
 そして、FISが大勝した議会選挙から一年半後、民主化プロセスに従って、国会議員選挙が実施されたんです。多党選挙の二ラウンド多数決方式で投票が行われたんですけど、第一ラウンドでFISが四百三十議席中、二百三十一議席もとっちゃったんです。一回で政権党に決まっちゃったんですよね。なので、即、統治体制の準備に入りました。そこまでは、しごく当然のことなんですけど、みな、この成り行に、愕然としてしまったんです。

 だって、当然でしょう。民主、民主、と叫んでゴールを目指していたら、いつの間にか、イスラム原理主義のコースを走っていた、て分けなんですから。

 FISは、自由選挙で第一党に選ばれて政権党になったんだから、民意を得たものと、大手を振って、大改革に着手しはじめました。大改革って、なにか? それは、国の政治と宗教を両面で指導するカリフ体制の復興、だったんです。これ、オスマン帝国時代の支配体制だったんですよね、帝国崩壊の時点でなくなったんスけど。で、国のかじ取りをまかされたいま、ぜひともこれを再興しよう、と考えたんですね。イスラム主義の真骨頂、といえば、説得力ありますけど、世俗主義者にとっては大迷惑で、とんでもない大改悪だったんです。

 旧支配体制の利得層や、世俗リベラルの学識やキャリアを重ねてきた人々にとっては、カリフ体制の復興など、中世暗黒社会への逆行にも等しい蛮行で、一歩たりとも許せない歴史の退行現象に映ったんです。方々で、いたるところで、衝突、暴力沙汰が、日常化しました。シャリア法を振りかざして神権政治への屈伏をせまるものと、民主主義を標榜して個人の権利を主張するもの、との、あくなき対立と相克が、始まってしまったんです。

「こんな状況下、あの白い男は、なにをしているのだろうか?…」

 かれが工作員だとしたら、なにかをたくらんでいるに違いない…オレ、無性に怖くなって、早く、ヤツをみつけださなくては、とおもったんです。

 あれは、八月の、ラマダン明けの日でした。

 オレ、気が付いたら、殉教者広場からカスバを抜ける薄暗い石畳の隘路を、駆けのぼっていました。遠くの方から、いつものライが、小さく、聞こえてきます。右に折れ、左に曲がり、汗だくで、息がきれて、大腿筋がパンパンになって、もうだめだ、あと一段で小休止、とひと蹴りしたとおもったら、ポーンと、体ごと、幅広の通路に飛び出していました。

 とたんに、さっきまで犬の遠吠えみたいに聞こえていたライが、強烈な響きで、鼓膜の奥に、突き刺さってきました。それといっしょに、大勢の人たちの、大声でわめいたり、叫んだり、激しく議論しあう荒々しい声や、バン、バンと、テーブルをたたく音、ガチャガチャ食器を洗う音、いろんな雑音が、一度に聞こえてきたんです。

 午後の、ラマダン明けの、最後のアザーンが鳴り響くまでの一時、となり近所のひとたちが、行きつけのカフェに集まって、ダベったり、遊んだり、思い切り、楽しんでるところだったんスよ。そのときでした。

「ジ・ャ・ポ・ネ!」

 どっからオレをみてるのか、あちこちから、ガキの叫び声が、聞こえてきたんです。

「ジ・ャ・ポ・ネ! ジ・ャ・ポ・ネ!」

 けっこうな人数いるみたいでした。オレ、やばい! と一瞬、逃げ腰になったんスけど、逃げたら、それだけいい気になって、ますます追っかけてくるにきまってる、そんなワルガキの習性に、普段、辟易してたので、オレ、すかさず、ライとパーカッションで破裂しそうなカフェに、一目散で飛び込んだんスよ。でも、それは、結果的に、とてもいい判断だったんです。なぜかっていえば、ちょうどそこに、事務所付き運ちゃんの、アブダッラが、いたんですから。

「やっ、アブダッラじゃないか!」

 思いもしないことだったので、オレ、そのとき、けっこう嬉しそうな態度、しちゃったみたいなんスよね。だからなのか、よく分かんないスけど、当のアブダッラは、白のトーブに白のキャップをかむってたせいか、なんか白けた風、ていうか、見られたくないとこ見られたんで白けたふりした、て感じで、オレのこと、ネグレクトしかけたんスよ。オレ、ちょっと、ムッとしたんスよね。なぜって、かれとは、ずいぶん長い間、あっていなかったし。だから、オレ、皮肉の一つでも、いってやりたくなって、こういったんスよ。

「ほんと、見ちがえちゃったよ、アブダッラ! 白のトーブに白のキャップか。白ずくめのアブダッラ、ラマダン開けたら、いきなりハッジになったみたいだよ!」

 この皮肉、どうも大うけしたらしくて、ドッ、とまわりで大笑いスよ。なかには、ハッジ、ハッジ、と冷やかすものもいたりして、さすがバツのわるさを感じたのか、アブダッラ、頬を赤くして、オレに近づくと、小声でこういったんです。

「ラマダン明けに、わざわざ、こんなトコまで、散歩、ですか。さすがですね。でも…」
「でも?」
「でも、ここは、アナタみたいなひとが、来るとこじゃ、ないっスよ」
「オレみたいなのが来るとこじゃない? どうして?」
「どうしてって、ほら、見てくださいよ。みな、隣の、近所の、知り合いや家族や、親戚や、親しい仲間連中が、ラマダン明けのひと時を、ごくごく内輪の、親密な、水入らずの集いを、思い切り楽しみたくて、子供も入れて、集まってるんスよ。ね、だから」
「だから?」
「おれたちにとって、やっぱり、ラマダンて、特別なこと、なんスよね」
「つまり、オレみたいな、ラマダンしないよそ者は、ジャマってことか?」
「いいえ!そんなこと、いってないっスよ!」
「なあ、アブダッラ、なんとなく、いつもの、おまえらしくないな。ラマダンって、そんなに特別、ていうか、特殊なモノなのか?」
「そりゃ、特別、スよ。なぜって、ジャポネは、やらないでしょう?」
「そりゃ、やらないけど、食を絶つ修行って、どこでもやってるじゃないか。仏教にも、神道にもあるし、それこそユダヤ教徒やキリスト教徒も、やるじゃないか。特段、別世界の出来事だとも、おもえないがね」
「でも、修行って、ジャポネみんなが、やるわけじゃない、でしょ?」
「そりゃそうさ。とりわけ仏門に帰依する修行僧以外はね」
「そこですよ。もともとラマダンて、みんなでやる聖なる行い、なんスよ。食を絶つ、だけの行為じゃなくて、ひとの悪口をいわない、ケンカをしない、争いを避ける工夫をする、タバコも吸わないし、夜の生活だって我慢する、そうすることで、自分の信仰心を見つめなおし、自分を清め…」

 こうなると、もうお手上げ、お決まりの説法が始まっちゃうんですよね。なのでオレ、うんざりするまえに、ミント茶を一つ注文して、つっ立ったまま、ガンガン響いてるライに、聞き入りました。そのうち、奥の方で、さかんに手をあげて、こっちへ来い、こっちへ来い、と手招きしてる白いトーブのオッサンがいることに、気が付いたんです。オレ、急いでいきました。

「ドミノは、やらんのかね」

 近づいたオレに、オッサン、聞いてくれました。

「よかったら、のハナシだが、席、ゆずってあげるよ」
「いえ、どうぞおかまいなく」 

 オレ、丁重にことわりました。なんとなく、むしり取られるみたいな予感がしたので。

「続けて楽しんでください」
「ドミノ、きらいかね」
「きらいというか、よく知らないんです。でも、マージャンなら、やりますけど」
「マジャン?」
「いえ、マージャンです。シナで生まれて、アメリカで洗練されて、日本にきたゲームですよ。おなじようにパイを並べて勝負します」
「なんだ、やっぱり、アメリカかね」
「は?」
「ジャポネは、なんでもかんでも、アメリカだね。ヤマトダマシイは、どこへ行ったのかね」
「ヤマトダマシイ?…」

 これ、意外な発言っスよね。

「よくご存じですね、ジャポネのことを」

 そのとき、パイをバンバンたたきつけていた別のオッサンが、いきなり割って入ってきました。

「ひとつ、教えてくれんか。ジャポネは、今度の選挙を、どう思っとるのかね?」

 これにはオレ、なぜか、まじに答えなくちゃ、ておもいました。

「個人的には、自由化プロセスの一環として、よい、というか、正しい選択だと、おもいます」
「なるほど。民意がイスラム勢力による世直しを望んでいる、ということかね」
「世直しかどうか、よく分かりませんが、少なくとも民意は、イスラム勢力に傾いている、とおもいます」
「ワシは許さんぞ!」

 バッターンと、ドミノのパイが跳ね上がりました。

「ハア?」
「許さん!」
「でも、イスラム系が七割以上、獲得したんですから、どう少なめにみても、選挙民の気持ちは、リベラルからかなり遠ざかってる、っていえますよね」
「民主主義が多数決、くらいのことは、ワシだって、分かっとる。ただ、ワシらには経験がない。フランス植民地時代、アルジェは共和国の行政県だった。しかし、デモクラシーはなかったね。ごく一部の、植民者に通じた利権屋を除いて、大半のアルジェリア人には、選挙権もなかった。独立して、やっと一人前になれたと思ったら、今度は民族解放戦線の一党支配だよ。選挙もクソもあったもんじゃない。文字通りの圧政だった。そのおかげ、といっちゃなんだが、三年まえに大暴動がおきて、大勢の犠牲者と引き換えに、やっと自由選挙ができるようになった。分かるだろ。ワシらが知る自由選挙は、まだ、この、最初の、地方選挙だけなんだよ。たった一回の経験しかしかしとらんのだ。これは、ものすごく危険なことだ、と、ワシなんかは、おもうがね」
「なにが、そんなに、危険なんスか?」

 いつの間にかそばに、アブダッラがいました。

「正当な自由選挙で、イスラム勢力が多数をとった。これで、やっと、民意が、政治に反映される準備が、できたんじゃないんですか」
「ワシはそうは思わん。そんなウマいハナシ、いままで、あったタメシがない」
「ウマいもウマくないも、やってみないと、分からないじゃないスか」
「なあ、アブダッラ」

 白髪の長老が割って入って、たしなめるようにいいました。

「このごろのオマエ、ちと、おかしいぞ。イスラムのハナシになると、急に目の色が変わる。とくに救国戦線が大勝利してから、まるで原理主義の信奉者みたいな口ぶりだ。気をつけなくちゃいかん、いかん。あの方もいっておられたぞ。地方選挙の大分まえから、アブダッラがプッツリ会いに来なくなった、とね。なぜかね? なにを悩んでいるのかね?」
「なにも悩んではいないスよ。ハッジは、伝道師でおられるけど、所詮は外国の方スよ、失礼スけど。おれたちアルジェリアの現状を、よく理解してらっしゃらない。みなが一党独裁にどれだけ苦しめられてきたか、ほんとに分かってらっしゃるとは、おもえないっスよ」
「ワシはそうは思わんな。ハッジは、世界の目をとおして、アルジェリアを見てらっしゃるんだ。オマエたち若いもんは、二言目には独裁、独裁、と批判したがる。だが、どうだろう、ワシらには、一党独裁、といよりは、むしろ、一党による利権の独占支配、といったほうが、より納得いく説明になると思うんだがね、どう思う、アブダッラ」
「いや、独裁は独裁スよ!」
「かもしれん。しかし、いいかね、世に独裁と秘密警察は一心同体、といわれているんだが、オマエたち、言論の自由を、はく奪されていたのかね? 政府の批判をしたがために、捉えられ、投獄され、拷問され、知らぬ間に処刑されたひとが、何人いたっていうのかね? ワシらには、そのような仲間は、ひとりもいなかった、と記憶してるんだがね。それどころか、オマエたち、毎日毎晩、言いたいこと、言って、やりたいこと、やってるじゃないか。言いたい放題、叫んでるじゃないか、え、そうじゃないかね?」
「冗談じゃない! おれたち、三年まえの大暴動で、何百人も、虐殺されたんスよ!」  
「たしかにあのとき、大勢なくなった。これからという若者たちが、尊い命を絶たれた。だがね、アブダッラ、問題のキモを、みきわめなくちゃ、いかんよ。あれは、治安維持のための暴徒鎮圧、だったのだよ。おまえたちは、市民の安全を脅かす暴徒だったんだ。治安をみだす危険分子だったのだよ。あれは、決して、独裁政権による市民人民の弾圧、などではなかった、ということだと、ワシは思うが…」

 アブダッラは、大声で長老に、反論しはじめました。

「ち、ち、治安維持の暴徒鎮圧だって!独裁政権の弾圧ではなかった、だって! おれたちが市民の安全をおかす暴徒だって!冗談じゃないっスよ!  みな、うんざりしてたんだ、独立戦争に勝ったのをいいことに、政権にあぐらをかいて、国の富をひとりじめする、その一方で、いまだに、まともなニンジン一本つくれやしない、パン一個も満足に食えやしない、それほど生産力も消費力も貧弱な、貧乏人どもが、住む家もなく、うじゃうじゃ、ゴロゴロ、生きていかざるをえない、みじめな現状を、ちっとも変えようともしないのが、現政権だったんじゃないですか!そんな政権を維持するための暴徒鎮圧こそ、独裁権力の人民弾圧、そのものじゃ、ないっスか! いったい、あなたがたは、フランス独裁権力と戦って、この国を、取り戻して、創りかえてくれたひとたち、なんでしょ! どうしたんスか? くやしくないっスか? アルジェリア人としてのホコリは、どこへいったんですか!」
「やめないか、アブダッラ! いっていいことと、わるいことが、あるぞ!」

 べつの長老が、顔を真っ赤にして、口を挟んできました。

「落ち着け、アブダッラ! ひとは弱いものなんじゃよ。コーランに耳を傾けるまでもなく、ひとは、弱さゆえに、ひとに優しく、同情を覚え、憐れみを分かち合い、公正に、敬意をもって、お互いに力を合わせて生きる様々な術を、いにしえの記憶の中に刻み続けてきたからこそ、いままで生きのびてこれたんじゃないのかね。だから、ひとは、なを哺乳類の頂点にいて、いまだに滅びないで、生き延びているんじゃないのかね。そう、じゃろう?」
「そんなこと、あたりまえっスよ!」
「それが、あたりまえじゃないのだよ。そこが、ひとの弱さ、なんじゃ。ひとは、富を求める。これも、あたりまえのことじゃ。生き延びるのに、富のたくわえは欠かせない。体にも、十分な栄養と体力のたくわえがいるじゃろう。それと同じことじゃよ。家族ができれば、食い扶持がふえる。みなを、食べさせなくちゃならん。それだけの富は、貯めておかねばならん、じゃろう。これらは、みな、あたりまえのことなんじゃ。だが、そこに落とし穴がある。たくわえた富は、大きくなればなるほど、なくなることが怖くなってくるんじゃ。世によくいう、負の連鎖、というモノじゃよ。なくすことを恐れ、必要以上に貯え、自分の安心安全のために、ひとのモノまで欲しくなる、奪いたくなる」
「なぜだか、わかるかね?」

 また別の長老が、割って入ってきました。

「ものごとには両極があるんじゃ。カネがないから、カネがほしくなり、カネもちになる。両極の巾が広ければ広いほど、結果は重大になる。極貧に生まれたものは、単なる金持ちではなく、超富豪になりたくなるもんじゃ。その分、欲も深くなるし、頭も使う。戦略も練る、ひともだます。そして獲得した富と地位は、絶対に手放したくなくなる。そのために、また頭を絞り、戦略もねり…」
「そして、負の連鎖が続く、というわけっスか?」

 アブダッラが、お説教はもうたくさん、て顔でいいました。

「長老! まさに、その通りですよ。民族解放戦線が、負の連鎖に振り回されて、挙句の果てに、権力の座から蹴落とされた、そうですよね。それが事実ですよね。つまり、その負の連鎖に理があるとすれば、今度は、貧乏人のおれたちが富をたくわえる番だ、ということになるんじゃ、ないスか?」
「そのとおりじゃよ」

 最初の長老がいいました。

「しかしな、アブダッラ、世の中はそうはうまく行かんのじゃよ。イランのことを考えれば、すぐに分かるじゃろうが」
「イランのこと?」
「そうじゃ。今から、丁度、十数年まえに起きた出来事じゃよ。おまえがまだ子供のころのことじゃよ。そのころのイラン王朝は、欧米の石油利権に深く深く嵌めこまれておって、国の富を欲しいままに私物化していたんじゃ。その王朝が、イスラム教の法学者を支柱とした、世直しの革命勢力に駆逐され、イスラム主義を軸とした神権政治が始まった。どうかね、まさに、今のアルジェリア、そのものじゃないか。いいかね、アブダッラ、ここでアタマを使わなくちゃ、いかん。いま、おまえの国がイランそのものだとしたら、十数年後のおまえの国は、いまのイランそのものだろう、と想像するのが、理にかなっていると思わんかね?」
「そりゃ、そうかも…」
「じゃろ、アブダッラ、今のイランは、どうなっとるかね。民主主義の精神を取り入れとるかね? え、アブダッラ、真逆の政治体制を敷いとるんじゃないのかね、神権政治という体制じゃよ。憲法の上にイスラム法が君臨しておる。これこそ独裁ではないか。神の名のもとに民を支配する、生殺与奪の力を得るために、かれらは何をした? 世直しで民主主義を叫んで立ち上がった人民を、テンプラにして殺したんじゃよ。テンプラ、知っとるじゃろが、ジャポネのすきな料理の名前じゃ。この国ではベニェというんじゃ。毎朝おまえも食っとるじゃろが、あのアゲパンじゃよ」
「それって、わるい冗談っスよ」
「いいか、アブダッラ、ここを使え。アタマを使え。ハッジが、いつもいっておられただろうが。弱者の正当な怒りを、うまーくからめとるニンジャがいるのだよ、ジャポネの好きなニンジャが。地方選挙でイスラム勢力が勝利したとき、ハッジがいっておられた。民の大半は変革を望んでいる、変革の種は播かれた、これからが力の尽くしどころだ、変革の種が、独裁の発芽へと、すりかえられないようにしなければ、とな」
「どういう意味ですか?」

 アブダッラは、いつしか、借りてきた猫みたいに、シュンとなってましたよ。

「イランをみれば、分かるじゃろ。革命と称して、結局は、宗教エリートの独裁体制じゃよ。気をつけなくちゃ、いかん、いかん」

 オレ、そのとき、自分につぶやきました。自分は、いま、なんのために、カスバに、いるんだっけ? あの白い男をさがしに来たから、このカフェに、いるんじゃ、なかったのか…。

「アブダッラ、実はオレ…」

 すぐさまオレ、長老たちにすっかり丸め込まれたアブダッラに、聞きました。

「さっきから、ハッジ、ハッジ、て聞こえてきて、気になるんだけど、そのハッジって、いつもオマエがはなしてる、あのカスバの寺小屋のハッジ、のことなのか?」
「ええ、そうスよ」
「なんで、みんな、そうハッジ、ハッジって、いうんだ?」
「みんな、尊敬してるからっスよ、ハッジのことを」
「そんなに偉い人、なのか?」
「偉い人、ていうか、とても親切で、柔和で、優しくて、それに、いろいろなことに、とても明るいヒト、なんスよ」
「明るいヒト? イスラムのことか?」
「それはあたりまえスよ、伝道師ですから」
「じゃあ、他に?」
「いろんな世の中のこと、ていうか」
「道徳とか、倫理とか、政治とか…?」
「ていうより…」
「徳の高いひと、なんじゃよ」
「そのひと、どこに住んでるんですか?」

  オレの質問に、アブダッラが応えた。

「オレ、そのうち、案内、しますよ、そろそろいまレバノンから帰ってらっしゃるはずだから、連絡します」

 やった!…とオレ、小躍りしました。居場所はつかんだ、これで、いずれ近いうちに、オレはアイツにあえる!

 もちろん、すぐに会えとはおもっていなかった。むしろ、事態の緊迫度から、寺小屋とかモスクとか、いずれどっかにカオを出してくるだろう、そう踏んでたので、とにかくFIS指導者たちの動向を探ろうと、テレビとかラジオとか、事務所内のヒソヒソ話とか、街やカフェでの流言とか、いろんなところから聞こえてくる市井の情報に、聞き耳を立てていたんスよ。

 そんなある日、アルジェ駅のキオスクで買ったエル・ムージャヒド紙、ジハードを遂行する聖戦士、ていうメジャーの新聞なんスけど、その一面を見て、びっくりしたんスよね。FISの首領、突然の逮捕、と、デカデカと出てるじゃないですか。

 実は、このひと、アルジェ大学で教鞭をとるイスラム学の第一人者で、FIS結党に深く係わった精神的指導者、といわれてたんスけど、実際には、政治軍事にたけたゴリゴリの戦略家で、シーア派とかスンニ派とか、宗派対立をあおることで分断を先鋭化させる選択肢はとらず、ひたすら革命輸出を国家戦略としていたイランの、豊富な資金の供給を巧みに取り込んで、なし崩し的にアルジェリアをイスラム化しようと、画策していた張本人だったんスよ。

 この重大ニュースが、国中を駆け巡って、市井の民のほとんどが肝を冷やす一方で、馬足を晒した原理主義者の中には、バレバレの底意を隠蔽したいのか、やたらと集団志向が蔓延して、ベールで髪を隠さない婦人を大勢でおそって折檻するとか、やみくもに酒類販売店を略奪するとか、乞食や物貰いをボコボコにして追っ払うとか、街の方々で、ヒステリックな反社暴力沙汰に走る連中が、日増しに増えていったんです。こんな事態を、独立戦争勝利の記憶も新しい軍が、放置しておくわけがない。国の主権を、反社的原理主義集団に明け渡すことなど、許容できるはずがない、じゃないですか。

 そして最後は、やっぱ、クーデタでした。

 クーデタから一週間ばかりたった日の木曜日、殉教者広場のモスクでハッジが説教する、ていう情報が入ったので、ここぞとばかり、オレ、アタマのなかを十分に整理して、ギュッと気を引き締めて、行きました。本当は、しっかり変装して、信徒になりすましたかったんスけど、バレると袋叩きにあうかもしれなかったので、やめにしたんです。

 クーデタといえば軍の反乱、市街は戒厳令なみの緊張感、とおもいきや、実際は、みな結構ゆったりした雰囲気で、カフェや街路のベンチでミント茶をすすったり、タバコふかしたり、してました。

 しかし、裏通りに入っていくと、あちこち、隘路にたむろするヒトたちも、だんだん増えてきて、路地と路地が交差する小さな広場なんかには、鋭い目つきの、腕っぷしの強そうな、顎鬚ぼうぼうの連中が、我が物顔で、大手を振って歩きまわるのが目立ってきて、もう、どことなくキナくさい煮詰まった空気が、ゆっくりと、だけど着実に、密度をせり上げていく、みたいな、皮膚に直接、こう、威圧感がせまってくるって感じが、ひしひし伝わってきたんです。

 オレ、何年かまえに、モーリタニアの市場で買った、ベドウィンが身に着けるサファリのショールをアタマに巻いて、半分、顔を隠してあるいてたんスけど、やっぱ、目立ったんスかね。顎鬚モジャモジャのオトコが、いきなり体ごとぶつかってきて、オレを路地陰に引っ張りむやいなや、押し殺した声で、こういったんスよ。

「こんなとこで、なにしてんですか!」

 聞き覚えのある声でした。

「よう! アブダッラじゃないか! 久しぶりー!」
「なにいってんですか! こんなトコで、なに、やってんですか!」
「どうしたんだ、その、オカシなモジャモジャのアゴヒゲは? まるで別人、だぞ」
「オカシイのは、そっちですよ。そのカーキのショール、アタマに巻くもんじゃないっすよ。サファリでは首に巻くんすよ、クビに」
「そうか、そんなにおかしいか」
「超、目立ってます」
「そうか。うかつだったな。ところで、おまえ、いま、どこで、なに、やってるんだ?」
「モスクで、茶汲み、してます」
「チャクミ?」
「そうすよ。お説教にくる偉い先生がたの、お世話です」
「先生がた?」
「はい、大学の宗教学の先生とか、モスクやマドラッサの導師とか」
「あのカスバのハッジも?」
「もち、っすよ」
「今日も?」
「もち、っすよ」
「なあ、アブダッラ。オレ、頼みたいことが一つあるんだけど」
「なんすか」
「あのハッジにあえるよう、取り計らってくれないかな」
「もち、っすよ」
「そうか! ありがたい!」
「ただ」
「ただ?」
「ただ、ハッジは、あした早朝、お発ちになるんで、時間があるかどうか。今晩のお説教次第っすね」
「あす出発?」
「そうす」
「どこへ?」
「もち、ベイルート、すよ」
「やっぱりそうだよな。レバノン人だもんな」
「長老たちはそういってますけど、それだけじゃ、ないっすよ」
「だけじゃない?」
「メインはレバノン旅券っすけど、ちらっと見たかぎりでは、ほかにも何冊か、持ってらっしゃいますね」
「ほかにも? たとえば」
「クーウェートとか、シリアとか、フランスもありましたよ。それにモロッコ、モーリタニアも…」

 マグレブのハナシになると、やたら饒舌になるヒトが多いなかで、アブダッラは、人一倍、ていうより、むきになってはなしたがる方でした。それだけに、自分でもヤバイ、とおもったんスかね、急におしゃべりやめて、そわそわしだしたんです。

「おれ、そろそろ、いかなくちゃ。説教はじまっちゃいますんで」
「ちょっとまってくれ。ハッジに会う件、どうすりゃ、いいんだ?」
「そうっすね。カスバのカフェ、あのカフェで、まっててください。おれ、連れていきますから」
「カフェでまつ? そうか、たしかだな、わかった」

 そして、オレの納得を待ちかねたみたいに、アブダッラは最後に、こういったんスよ。

「とにかく、この国から、できるだけ早く、出た方がいいっすよ。すぐにでも、帰った方がいいっすよ」
「帰る!? どこへ?」
「母国ですよ、日本ですよ! それじゃあ」

 ずいぶんおかしなこと、いうじゃないか。どこにいようが、いまいが、オレの勝手じゃないっスか。だから、なんでそんなこというんだ、って、問いただしたかったんスけど、路地陰からとびでたあと、アブダッラは、人の群にまぎれこんでしまって、どこを探しても、もう、みつかりませんでした。

 いわれたとおり、カスバのカフェに急ぎました。オレを見るなり、みな、手を差しだして、大歓迎してくれました。けれど、いったん、ハッジやアブダッラのことになると、一切、触れたくない、て感じで、かたくなな態度にかわってしまうんです。それでも店主が、気の毒そうに、いってくれました。

「アブダッラは、どうも、わるい友人ができて、不信心ものになったらしい。もう、ここへはこない、というか、これない、というか、来たら、みなに、追い出されるがね」

 そしてハッジについても、こうはなしてくれました。

「伝道師のハッジは、イランの革命部隊といっしょに、レバノンに帰ったそうだよ」
「レバノンに? どうやって?」
「そんなこと、知るものは、どこにもおらんよ」

 オレ、ほんとにがっかりして、その場に座り込みたかったんすけど、カフェの入り口にガキが二人、でかいのと小っちゃいのがやってきて、二人してオレに向かって親指を立て、コッチにこい、コッチにこいって、合図してるのに気がついたんスよ。

「なんだよ? なんの、用、だよ?」

 するとガキどもは、押し殺した声で、口そろえて、こういったんですよ。

「ハッジ、いるよ、ハッジ、帰ったよ。連れてってやるよ!」 
「ハッジって、あのハッジが、帰ってこられたのか?」
「そうだよ」

 オレ、カフェから飛びだすや、一目散で走ってこうとしたんスけど、いきなりガキどもに、止められたんスよ。

「そっちじゃない、そっちじゃないって!」
「なに!」
「こっち、こっち、アブダッラの家にいるんだよ!」
「アブダッラの?…」

 残念ながら、オレ、知らなかったんスよ。あれだけ付きあっていながら、アブダッラの家について、話したことも、考えたことも、なかったんスよね。

「そうか。なら、連れてってくれ!」

 わるガキどもは、こっち来い、こっち来い、といいながら、走っていきます。スバシっこい野良犬みたいなガキ二人を、夢中でおっかけました。路地角をいくつ曲がったか、どこをどう走ったか、まるで見当つかなくなったころ、二人はやっと走るのをやめて、オレにふりかえっていいました。

「ここだよ」    

 そこは、比較的広い路地で、せり上がった漆喰の壁は白く、わりと開けた星空から月明かりが差しこんで、アーチ形にはめ込んだ緑の扉を、ほんのり照らしていました。カスバの、古くて汚れた路地裏にはそぐわない、こじんまりした、ちょっとした雰囲気の、木の扉だったんスよね。

 オレ、どうしてか、アブダッラらしいな、ておもっちゃったんスよ、そのとき。だから、これもなぜか、なんスけど、ガキ二人がいなくなった後も、ちょっと安心した気になって、というより、放心したみたいになって、しばらく緑の木戸を、ながめていたんスよね。これからオヤジに会おうってのに、直接カオを見ようってのに、劇的で運命的な再会になるはずなのに、なぜか、ぜんぜん気持ちが高ぶってこなかったんスよ。どうしてかな、待ちすぎたからかな、なんて、それまでのことをふりかえりながら、一時、ぼんやりしてたんスけど、ふと、あれ、とおもったんスよ。

「ひょとして、だまされた、か…」

 オレ、緑の木戸にとびつきました。そしてドンドン叩き、アブダッラ、アブダッラ、って、叫んだんです。

「オレだ、オレだよ、事務所のオレだよ!」

 だれも、なにも、こたえませんでした。木戸の向こう側に、なんの気配もありませんでした。迂闊だった、やっぱり、やられたか! ガキどもにやられたか、アブダッラに騙されたか、それともガキとアブダッラの共犯か…オレ、悔しまぎれに木戸をたたき続けました。何度も足で蹴りました。近所の住人に、うるさい! と怒鳴りつけられるまで…。

 それから数日たった、木曜日の午後のことでした。

 カスバをおりてアルジェ大学前の大通りを下り、真っすぐ海側に向かったところに一本、同じように広い道路が通っていて、その海側に警察署の建物、カスバ側に外為銀行の建物が、向き合った格好で建っていました。両方ともフランス植民地時代に建てられた堅牢な石造りの建造物で、警察署は、威風堂々としたコロニアル様式をそのまま継承し、外為の方は、一階の外壁のみ、大理石にふき替えた、シックなモダン様式のビルになっていました。

 その日、新規販売予定のデモ車を一時輸入車として、特別措置あつかいしてもらう交渉で、外為銀行にいったんです。ちょうど9時半ごろでしたかね、輸出入担当主任に声かけしたあと、頭取室にいこうと、総大理石張りのロビーをエレベーターに向かって歩いているときのことでした。

 オレの前に、白装束の男が一人、たちはだかったんスよ。ギョッとしてみると、カーキのショールで頭部をまとったその顔は、いくら顎鬚に覆われていても、すぐに、アブダッラだ、て分かったんスよ。オレ、カスバですっぽかされて、がかりしてたもんで、見境もなく、いきなり、まくしたててしまったんスよね。

「よ! アブダッラじゃないか! この前は、さんざん探したんだぞ! なんで、黙って、いなくなっちまったんだよ!」

 アブダッラは、顔色一つかえず、オレの手に白い封筒をねじ込むや、主任もろとも両の腕にかかえこんで、ダダダーッと、ロビーの奥までタックルですよ。そのはずみで、三人とも、大理石の床に、踏みつぶされたカエルみたいに、たたきつけられてしまったんスよね。

 
「な、なんだ! 気でも狂ったのか!」

 まるっきり虚を突かれ、オレ、反射的に、アブダッラを突飛ばそうとしたんスけど、そのとき、ですよ、そのとき、白装束のトープの内側に、硬い長い、太い金属のようなものを、隠し持ってるのに、気がついたんスよ。それは、まぎれもなく、自動小銃らしきもの、でした。一瞬、恐ろしい予感がして、ゾゾーッ、としましたね。全身の力が抜けちゃって、起き上がることもできなくて、どうにもなんなくなっちゃったんスよ。でも、口だけは動かせたんでしょうね、気がついたら、こう呟いてました。

「おまえ、まさか、あのイスラミ…」

 いいおわるか終わらないうちに、いきなりドドドーッ、ズドズドズド、バリバリバ、ギューン、キューン…火薬の爆発音や破裂音の混じった、耳をつんざく轟音で体中がフリーズ、なにがどうなってるのか、なにがなんだか、わかんなくなっちゃったんスよ。

 手足がわなわな震えて、どうしようもなかったけれど、なんとか床に伏せたまま、おそるおそる、周りをみたんですけど、銀行の目の前の、警察署の石壁が、銃撃を受けて、ピョン、ピョン、ピシッ、ピシッ、と鋭い音をたて、壁面から煙を挙げていました。砕けた石のかけらが、そこら中に飛びちって、ブルーの警察官が何人か、血みどろで、倒れてました。武装集団におそわれたんスよね。

 急襲されて警察も、痛手を負いながら、ようやく、負けじと応戦し始めたらしくて、銀行の側にも、銃弾が、ピュン、ピュン、ピュン、と打ち込まれてくるんスよね。入口の扉、窓、いたるところのガラスが割れ、壁や石がえぐられ、細かい破片が宙を舞い、館内いっぱいに煙が漂ってました。主任とオレは、アブダッラが引き倒してくれたおかげで、流れ弾に当たらず、助かったんスけど、そこここに、血みどろになった行員が、おおぜい、倒れてました。呻いてました。助けを呼んで、這えずってるものもいました。まさに、地獄絵図でしたね。気がついたらオレも、下半身がべとべとになってたんスよ。あぁ、オレも撃たれたか、これで、最後なんだ…なんておもっちゃって、絶望しかけたんスけど、ホントは、もらしちゃってたんスよね、いまだから、笑っていえることですけど。
 
 ふと気がついたら、銃撃戦が収まっていて、爆音も聞こえなくなってたので、急にアブダッラのことが、心配になってきたんです。ひょっとしたら、最悪、撃たれて、ヤバイことになってるんじゃないか、っておもって、床を這えずりまわって、そこら一帯、探したんスけど、瓦礫や、破損物や、ガラスの破片で、体中、ケガするばっかりで、痛くて、辛くて、どうしようもなかったんスけど、それでも、血でぬるぬるになった手で、血みどろになった死体を、一つまた一つと、たしかめていったんスけど、アブダッラはみつかりませんでした。

 うまく逃げられたんだ、とおもったんスけど、そんなワケないだろ、とも、おもいました。だって、イスラム原理主義者のジハードといえば、外国でもカミカゼていうくらい、死を覚悟の聖戦なんスよね。だから、間違っても、逃げるなんてことには、ならないに決まってる。そうおもいながら、やっとのことで、ひん曲がったステンレスの窓枠をくぐって、外に出たんスけど、そこにも一つ、死体が転がっていて、それも真っ赤に染まった白衣を着てて、それに足をとられて、グラッと前につんのめったんスよ。ドターッ、と頭から、その上に倒れこんじゃって、ヤバイッ、ておもったんスけど、とたんに目に入ったもの、何だったと、おもいます? 首のない胴体っスよ。それと、そのそばに、わざとやったんじゃないかとおもうくらい、無造作に、もぎ取ったばかりの頭部が、転がしてあったんスよ! 

 朱に染まった首の部分から、頸椎と頸動脈がはみ出してて、まだジュクジュクと、血と体液をたらしていました。そして、それが、たった数分前に、オレと担当員をタックルして助けてくれた、顎髭ぼうぼうの、あのアブダッラの首だった、てことも、すぐに分かたんです。しばらく、オレ、アブダッラの遺体の上で、息をのんで、身をガチガチに硬直させて、身動き一つ、できないでいましたね。あのときの、オレの感じたモノ、それは、恐怖とか、衝撃とか、宿命とか、悔悟とか、空前絶後のなんとかとか、なにをいっても、なにも当てはまらない、どんな言葉を使っても言い表せない、伝えきることのできないモノもの、でしたね。

 それでも、オレ、気をとりなおして、なんとか立ち上がろうとしたんスけど、そのとき、ふと、さっきアブラッダが、オレの手の中にねじこんだ、白い封筒のことを、思いだしたんスよ。
 
 いきなりタックルされたので、どこにしまったのか、どっかに捨てちゃったのか、覚えてなかったんスけど、ズボンや上着のポケットや、あちこち探してると、まるで、覚えがなかったんスけど、なぜか、左手首の、袖口の中に、差しこんであるのがみつかったんスよ。すぐさま、くちゃくちゃになった封筒を、べとつく指で開けてみました。なかに便箋が一枚、これも、しわしわになって、入ってました。取り出すと、シワの合間から、丁寧に書かれたアラビア語とフランス語が、スーッと、目に入ってきたんです。まるで、どっかの詩人が書いたみたいに、こう綴ってありました。
 
海に生きる魚にも 母川に帰るものがいる
いわんや、キミもヒトならば 母なる国に帰るがよい
息の途切れるそのまえに 記憶の衰えのあるまえに
 
 なんか、いやっスね、こういうの、って。どういえば、いいんスかね、上から目線で、クサイ、っていうんスかね。でもね、アラビア語とかフランス語で読むと、いちいち、グッとくるんスよね。やっぱ、言葉の、感性の、違いってやつスかね。

 それ読んで、オレ、もう、ポロポロっスよ。はなグシュグシュして、目から大粒の涙がボタボタおちて、便箋、濡れて、グシャグシャになるくらいでした。なんでそんなに泣いちゃったのか、いま考えても、よくわかんないスけど、どっか遠くで、ガラスが割れる音がしても、きな臭い煙の臭いが、ふと鼻先をなでていっても、あの地獄絵図ていうか、瓦礫や硝煙や血染めの白衣や転がった首や、いろんなものが一気に目の前によみがえってきて、ほんとに、身の毛がよだつおもいがして、全身に汗かいて、すくんでしまうんですよね、いまのいまでも、スよ。だから、そんな、ど緊張のさなかに、意味深な、オレのことおもってくれてんだ、みたいな、やさしい言葉かけてくれた気がして、ポロポロ、泣いちゃったんスよね、きっと。
 
 でも、泣いてるわりには、気は冴えてたんスよ。これ書いたの、オヤジだ、って、はっきり、おもったんです。確信したんです。

 オヤジは、自分の生命記憶から、自立しようと、長年、いろいろ、トライしてきたんスけど、オレやオフクロが、頑として居座ったまま、いつまでたっても、アタマのなかから消えてくれないもんだから、いっそ自分の存在記憶から、まるごと抹消してしまおうと、オレに最後通牒、突きつけたんスよね。結局はムダなことなんスけど、イランの革命軍とよりを戻すまぎわに、オレにむけて、いや、自分自身にむけて、宣言したんスよ。

 オレ、便箋の文字をみたとき、はっきり分かりました。ハッジは、字体からして、たしかにオレのオヤジだったことは、はっきりしたんスよ。でも、アジトの引っ越し先に、イランの革命防衛隊を選んじゃったわけだから、ぎりぎりまで、ひょっとして、と期待していた親子対面の幻想は、血と暴力事件のあと、あっさり、萎んでしまったんスよね、オレのなかで。

 だからといって、悲しいわけでもなかったし、残念だな、なんて失望することもなかったスよ。あの、まやかしの、邪悪なハッジは、単なる反社集団の一兵卒にすぎず、食い扶持と上納金稼ぎのために、クンクン、鼻効かせて、世界中のあちこちを、ウロつきまわる、孤独な老いぼれ組員の成れの果て、みたいな存在なんだってことが、この胸の奥の、ここんとこに、まさに腑に落ちるっていうか、すーっと、飲み込むことが、できたんスよね。
 
 さて、ながいハナシになりましたけど、オレのオヤジ探しの一件は、これでお終い、ということで、ホント、つまらないハナシを聞いていただいて、ありがとうございました。せっかくの眠り薬が、眠気覚ましになったりして、もうしわけ、なかったスよね。すみません。でも、ほら、キンキン、キラキラ、っスよ、夜明けの星たちが。やっと、おもいっきりの晴天が、やってきましたね。あしたは、下山ですよ! オレたち、助かったんスよね! 助かったんスよ、本当に……。

 え? いつ、日本に、帰ってきたか、ですって? ええ、この十月ですから、ほんの一か月半まえ、てとこですかね。あの、外為銀行前の警察署襲撃事件が皮切りになって、いま、アルジェリアは、テロのさなかにありますよ。連日、イスラム過激派の襲撃が、国土のいたるとこに頻発して、毎日、何千人もの犠牲者が出てます。分からないのは、犠牲者のほとんどが、罪もない、毎日を、ただひたすら、愚直に、正直に、敬虔に、生きているひとたち、なんスよね。すごい矛盾です。いったい、過激派は、何が目的なんでしょうか? まったく理解できませんね。

 え、オフクロのことですか? いま、どうしてるかって? そうスね、オフクロのことも、まったく、理解に苦しむ存在というか、出来事というか、正直いって、わけがわからないっスよ。オレが商社に就職決めたとき、いきなりパリの同僚と、再婚したらしいんスよね。同僚って、つまり、同じ医者仲間で、同じ研究室で働いていた、病理学者らしいんスけど、オレは、会ったこと、ありません。去年でしたかね、写真が一枚とどいたんスけど、すごく可愛いい女の子が写っていて、裏書をみると、キミの妹でマヤていうのよ、よろしくね、なんて書いてあるんスよ。

 よく分かんないです、あの世代のひとは、ホントに…。


                終章 白い蛇


 豪雪に翻弄された冬山シーズンもおわり、四月十日の山開きの祭事も無事終え、山岳スキー愛好家の来訪を待ち望む白馬山系の一角で、年末年始に多発した表層雪崩が原因とみられる遭難事故の現場が発見された。場所は、天狗原から蓮華温泉に下る沢筋の一角で、壊れた避難小屋の中から、年長者の男性一人、長髪の若い男性一人、大腿骨に添え木を施した若い男性一人、そして、五十代の女性一人の計四人の遺体が発見された、と地元紙が報じた。

 同記事には、すでに着手ずみの身元調査に触れ、回収した所持品、とくに彫銀の白蛇を心棒にあしらった木製のピッケルや、木製の竪琴などから、昨年末に入山したあと行方不明になった捜索中の四人ではないか、との観測も合わせ伝えられていた(完)。

 

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