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【奇譚】赤の連還 12 赤い殺意

赤の連還 12 赤い殺意

 そうなんだ、アルジェ到着の日、あの、シディ・フレッジの海をながめながら、アイツは、団長は、ずっと沖の、向こうの、エーゲ海の島々で、たったいま、アキレウスとか、ギリシャ連合軍とか、ヘレナとか、トロイアとか、ホメロスの謳いあげる数々の戦を率いる勇者どもが、血しぶきで朱に染まった総身を投げ出し、戦ってるんだとおもうと、ワクワク、ゾクゾクする、たまらない、などと、嬉々とした様子で、はなしたのだ。

 変わったヤツだ…オレは、少々、苛立った。目の前にあるのはアルジェリアの海だ、なんで、わざわざ、そこに、エーゲ海の歴史を、上書きする必要があるのだ?

 苛立ちは、ますます募っていった。上書きで済むどころか、全知全能の神ゼウスに始まり、海と地震の神ポセイドン、戦と知恵の神アテナ、結婚と出産の女神ヘラ、炎と鍛冶の神ヘパイストス、太陽神アポロン、狩猟と月の女神アルテミス、愛と美の女神アフロディテ、戦いと破壊の神アレス…と、そこらじゅうに、ギリシアの神々を、まき散らしだしたのだ。
 オマエ、いったい、どこの学者だ?…これ以上、つきあっていられないと踏んだオレは、ホテル滞在上の留意事項と業務日程を説明し、翌朝の出発時間を伝えて、早々に、退散した。
 オレは、しかし、事務所に戻ってから、すこし反省した。
 派遣団率いる団長への敬意が、少々、欠けていたのではないか。いくら衒学的で、変わったヤツでも、もっと丁寧な対応はすべきだったろう。少なくとも、社の欧州市場全域を統括する責任者だ、知識と実力が評価されての配属だろう、いきなり並べたてたギリシャの神々にしても、それだけ欧州文化の造詣が深い、ということではないか。
 心を入れ替えて、翌朝、一行をホテルに迎えに行った。そしてオレは、入れ替えた心を元に戻さざるを得ない事態に直面し、面食らったのだ。
 アイツは、団長は、時間に来なかった。部屋にも、いなかった。理由は、なんと、浜があまりに美しく、つい泳ぎたくなってでかけたが、途中、タオルが風に飛ばされ、それを追っかけているうちに、杜に迷い込んでしまい、時間までに戻れなかった、というのだ。
 オマエ、バカか、と、正直いいかけた。大切な任務開始の初日、しかも、早朝に、よりによって、海水浴とは、どういうことか。アフリカの現場を舐めているのか。

 たしかに、殺人という大罪に直接関与したのは、現場の技術要員だ。札付き事業計画という汚名を着せられても、反論はできないだろう。だからこそ、その窮状を、さらなる市場の大々的な拡大へと大転換する起死回生の策に、いま、挑戦しようとしているのではないのか。その大役を担っているのが、オマエだろ、団長だろ。なんで、そこまで、認識不足なんだ?

 さっきも、はなしたが、その辺りの事情を、現場主任に確認した。すると、かれは、オレの指摘や苦情や意見を、のっけから意に介せず、おまけに、団長をイタ公呼ばわりする始末、しかも、気にするな、アイツは派遣社員のバイナイト要員にすぎん、といい放ったのだ。
 オレは、愕然とした。

「バイナイト要員にすぎない?そんな風に同僚をみているのか…」

 組織とは残酷なものだ。同じ会社で、同じ利益を追求し、同じ理念の元に集合しながら、同じプロジェクトで、同じ成果を目指すもの同士が、必ずしも意気投合し、団結しているわけではない。それどころか、互いに反目し、自分を押し上げ、他者を見下し、いやいやながら、それぞれに不本意な妥協を甘受し、かろうじて、かりそめの結束を保っているのだ。しかも、それを、他人に、一切、悟られてはならない。

「そうか…」

 オレは、サハラ出発の日、団長が、胸の内ポケットから取り出したサボテンの花を、おもいだした。手のひらに乗るミニチュアサイズの素焼きの鉢から、鮮やかな朱色の花弁が、外をみようと、思いきり背を伸ばしている。それを、アイツは、団長は、愛しそうに眺めて、こういったのだ。

「大切なトラベルグッズでね、これ一つで、わたし、心が乱れずに、すむんですよ…」

 団長は、もとオペラ歌手、ローマに留学し、研鑽を重ねた。それ自体、すでに、並みの経歴ではない。
 まだある。もっと並みでないのは、富豪のイタリア娘と恋におち、相思相愛で結ばれ、子供三人の幸せな家庭を築き、社の欧州市場を統括するローマ事務所長に就き、順風満帆の人生を手にしたことだ。そんな人間に、心を乱すものがあるとすれば、それはなにか?

 オペラ談義がきっかけで、連隊長の関心を引きよせ、交渉開始への糸口をつかめることができたのも、オペラを実践、熟知する団長あってのこと、当人の手柄にほかならない、と、みな、団長への敬意を新たにし、人材市場での一本釣りの効用を、再確認したにちがいない。

 ところが、当の本人には、逆のベクトルが働いたようだった。

 実際、連隊長宅での昼食に招かれた時点から、団長は、暇さえあれば、サボテンの赤い花をとりだし、愛おしそうにながめながら、口の中でブツブツいうようになった。周りの干渉には無関心を決めこみ、なぜか、内に閉じこもったまま、外界との疎通を閉じてしまったのだ。

 そんな団長の心の内を、不安材料としか解せなかったオレは、思いやりや誠意からではなく、業務の遅延や無駄につながらないように、なんとか、疎通路をこじ開けようと、笑いかけ、話しかけ、あれやこれやと、世話をやくように努めた。
 しかし、そんな小手先の策を弄するオレに、突然、ヤツは、団長は、そう、切れたのだ。いきなり、幼少時の、夏祭りの、伝統ある行事の、熱気を帯びた暴力的な記憶の通路だけを、オレに向けて全開し、おそらく、鬱積する不安と心の乱れを、一気に吐き出したのだ。
 惨めだった。かれが体現しているはずの、キラキラと輝くエーゲ海の豊穣な、調和のとれた華やかな装いが、不意に溶暗し、生鮮食品や雑貨、文具や日用品で溢れる下町の市場や、浪花節、漫才、落語、天神囃子、さらに、だんじりの鉢合わせで無礼講の大喧嘩に興じる酒浸りのお兄いさんたちが、一挙に溶明してきたのだ。海の民への憧れが、砂漠の民とであい、憧れていた当の自分が、城東区の市井の民であった事実に、引き戻されてしまったのだ。

 そのとき、オレは、団長の心を乱すものが、記憶の中のズレだと、直感した。
  
 実は、オレ自身も、おなじ中途採用の境遇にいる団長に逢ってから、自分のことを顧みるにつけ、かれが何に心を乱されているのか、ずっと気になっていたのだ。それが、あの日、本人が熱を込めて話した、活力に満ちあふれ、躍動することしか知らない幼少時の生の記憶に、直に触れる機会を得たことで、オレの心の中でも、おなじように、いくつもの記憶のズレが、予期せぬ軋轢を生じさせていることに、気づかされたのだった。
 
 キミは、経験があるか?

 オレは、生まれてからこの歳になるまで、三度、死にかけたことがある。
 最初は、二歳半のときだった。ビー玉を呑み込み、のどに詰まらせて、窒息しかけた。幸い、異変に気づいた母親が、オレを逆さまにして口に指を突っ込み、背中をバンバンたたいて吐き出させた。
 二回目は、半年後の三歳、浜寺の海岸でのことだった。ドーナツ型の浮き輪でプカプカ浮いていたが、そのうち、穴があいたのか、栓がはずれたのか、急に萎みだした。両脇をピンと支えていたチューブが、ペコペコになっていく。体が沈む。オレはアップアップしだした。海水をガブガブのんだ。息ができなくなった。あ、これで、あと、どうなる…とおもったとき、大きな二つの手が、グイと両脇を支え、軽々と、オレの身体を、水中から救い上げてくれた。一緒に浜に来ていた、越中褌姿の叔父が、助けてくれたのだった。
 三度目は、交通事故だった。単身赴任で数か月、茨木に滞在した。契約が終わり、帰京の運びとなったが、中年ライダーだったオレは、せっかくだから、ということで、バイク屋でカワサキを一台買い求め、中国地方を一周した。大型パワーで意のままに動く人馬一体のマシーンには、えもいわれぬ快感があったが、実際に、ツーリングとなると、宿の問題で、終始なやまされた。どこの温泉地、観光地にいっても、一人旅のライダーには、冷淡だった。部屋はあるが一人はだめだ、という。なぜかと訊くと、過去に、犯罪や事件にからむ事例が多々あったので、組合の総意で決めた対応策だ、とのことだった。
 十日間の旅だったが、泊まれたのはたったの三日、名刺やパスポートを見せ、なんとか説得して、やっと受け入れてくれた旅館が、それでも三軒はあった、ということだ。
 結局、オレは、他の四日間、銭湯の茶の間やカフェテラスで仮眠をとるか、公園のベンチで野宿するか、思いつく限りの手で睡眠を確保し、カワサキを売っぱらうつもりで、茨木のバイク屋に向かった。
 途中、午後の四時過ぎだったとおもうが、茨木のインターから国道171に下りようと料金所を出たところで、入る車と出る車がひしめき合う、ひどい渋滞に出くわした。上り下りの計四車線が合流点で交叉し、二進も三進もいかなくなっていた。
 オレは、びっしり目詰まりした車列の間を縫って、右に左に、接触覚悟で、しばらくスラロームを繰りかえし、走った。とにかく渋滞から逃れたかった。寝不足がたたったのか、急に疲れが出てきた。頭に血が上った。無性に腹が立ってきた。
 バイク屋は、国道171を京都方面に二キロばかり行ったところを左折し、街路を一キロほど茨木川に向けて下った左手にあった。
 オレは、とにかく、期待した爽快感とはほど遠いツーリングから、すぐにでも解放されたかった。だから、スロットル全開で、突っ走った。
 あっという間に、前を走っていた堺ナンバーのセダンに、追いついた。そのまま追い抜こうとしたが、あいにく片側一車線で、追いこし禁止の標識もあった。普段なら、禁止区間が終わるまで、我慢しただろうが、その日のオレは、尋常ではなかった。
 オレは、減速するどころか、アクセル全開のまま、セダンの左側を、一気に内抜きで追いこした。いや、追いこそうとした。しかし、次の瞬間、白いセダンが、方向指示器もださず、いきなりグイと、左折してきたのだ。オレは、セダンのボディに前輪から衝突、つんのめって、空中で一回転したあげく、対向車線の路上に頭から落下、その勢いで側溝を飛び越え、反対側の歩道まで吹っ飛ばされたのだ。幸いにも、対向車線に車はいなかった。もし、一台でも走っていたら、いまのオレはいなかっただろう。
 なにも、ここで、自分の運の強さを、吹聴したいわけではない。むしろ、その逆だ。
 思い返えすまでもないが、実際、あの日は、前後の経緯からして、即死で帰らぬ人になっていても、不思議ではないくらいの事故にあっていたのだ。だからオレは、即、バイクを止めようとおもったのだ。

「次は確実に死ぬ、それはいやだ、金輪際、二輪は跨がない…」

 そう心に決めて、決着をつけた気でいたのだが、ふと、無意識に、事故の記憶をなぞるうち、妙なことに気づいた。あのとき、オレは、なにを、考えていたのか?…
 衝突後、はね飛ばされて、宙を飛んでいる、わずか数秒の間、怖いどころか、自分が生まれてこのかた、様々な体験を経て、宙を舞う今の瞬間につながるまでの、自分の生の全体を、とても冷静に、クールに、鮮やかに、目視し、見届けている自分を、見つめている自分が、いた。
 しかも、その間ずっと、ハザードランプの点滅する白のセダンや、横転してなお車輪がクルクル回る自分のバイク、それらを取り囲む数人のひとたち、次々と緊急停止する二輪のライダーたち…そんな、鮮やかな解像度の俯瞰図を眺めながら、セダンはだれが運転し、なぜウィンカーを出し忘れたのか、不注意か、助手席にだれかいたのか、ライダーたちが集まってくる、なぜだ、事故の目撃証人になるためか、それがライダーの、いわずと知れた連帯感というやつか、さて、実家への連絡はどうする、家の相続はどうする、自動車保険料は正しく収めていたか、生命保険金の受取人は確かに妻になっていたか、大丈夫かな、妻にはちゃんと保険金受取手続きを説明しておくべきだったかな…などと、思いつく限りのしがらみに、気を配っていたのだ。 
 不思議な体験だった。自分が、この世からいなくなる、その予感はあった。しかし、恐怖心は、一切、なかった。そして、そのことが、オレのなかに、致命的なズレを、生じさせたのだった。

「宙を飛んで、死にかけているのに、怖くはなかった、なのに、助かって、地に足がついているのに、死ぬのが、恐ろしい…」

 事故にあった日、オレは、死にかけた、だが、その瞬間は、まるっきり、怖くなかった…この、厳然たる事実は、恐怖心のかけらもないまま、自身の記憶野に、深く刻み込まれている。
 ところが、あとで、その事故の記憶にアクセスするたびに、記憶にないはずの死への恐怖が、ますます、つのっていくのだ。この、不吉なズレに、オレは、我慢ならなかった。

「目前の死を恐れないオレと、ありもしない死の恐怖に慄くオレ、どっちが、ホントの、オレなんだ?…」

 それはだね、両方ともホントのオレなんだよ、と、その道の専門家は、したり顔でいうだろう。しかし、事はそう簡単ではない。
 生命体は、死ぬためではなく、生きるための記憶を蓄積する。事故の瞬間、生命記憶のすべてを動員して、死をさけようとする。しかし、生命体はすでに死に向かっている。生命記憶の介入する余地はない。そこで、生命体は、もし生きのびれば、死を避けることが必要だとする存在記憶を、生命体に植え付ける。こうすることで、生命体に、死を恐れる記憶が追加され、存在記憶全体が補正され、更新される。そこには、自ずと、時間差がある。このズレが、記憶の更新に必須となるのだ。

 記憶補正が、生命体の生理だと気づき、オレは愕然とした。それまで、有機体である体が備える生命記憶は、当然、生理の干渉にのみ、ゆだねられており、心の状態や感情、情愛、他人とのつながりなど、社会生活に益する存在や観念記憶の蓄積については、生理の干渉を受けない知性の采配によるものだと、おもっていた。
 しかし、死と常時連接する生命体は、知性が司る存在や観念記憶に対しても、最終的には、生理の側から補正をかけることによって、更新された記憶を、認知体系に統合、保存、蓄積していくことになる、ということがわかった。

「となると、あの団長の場合は、どうなるのだろう…」

 かれの存在記憶は、城東区という、偏狭で傲慢だが、他に類をみない伝統精神と結束力を誇る、この上もなく正直で一本気な、昭和文化の推進者たる市井の民によって育くまれ、共に分かち合い、継承されてきた。
 それが、ある日、放課後の音楽室で、洋楽と出逢う飛躍があった。心のなかで、あすも、あさっても、いや、一秒でも二秒あとでも、いつもそこにいたはずの市井の民が、ふっ、と消えて、代わりに、みたことも、きいたことも、感じたこともない、未知の民の息遣いが、柔和な音階に運ばれて、空っぽの心に、伝わってきたのだ。得体のしれない、幼い感性をとろけさせる、マドリガーレの不思議な力に、少年は、うっとりと、身を任せた。

 その未知の民が、ルネッサンスの時代に、最先端の西欧歌謡を育んだ地中海の民だったのだ。そして、オペラを選び、ローマに留学したのも、かれの、団長の心のなかに、地中海の民の時間と空間を共有してみたい、という強い欲求が、沸き上がってきたのだと、想像するに難くない。
 というのも、オレの場合は、確実に、そうだった。しかも、団長と違って、動機は不純だった。

 団長の場合、小学校の四年という、初々しい感性の成長過程からみて、絶妙のタイミングで未知の民との遭遇を、体験した。だから、城東区の市井の民の記憶は、手付かずのまま、すんなりと、かれのなかに、保存されるままになった。
 それに比べ、オレの場合は、大学四年にもなって、なお、標準以下の未熟さに緩むしかない感性が、自分をとりまく市井の民の俗悪さに耐えきれなくなり、そこから逃れるために、未知の民との遭遇を、観念の手を借りて、手前勝手に熱望したのだった。だから、市井の民の記憶は、完膚なきまでに否定された。いや、そのはずだったのだが、実際は、奇態な変形を遂げた虚像のまま、存在の記憶として、厳然と、認知体系にとどまり続けることになったのだ。
  いまなお活力を生成しつづける幼少時の記憶は、いわば活火山の危機をはらんでいる。いつ噴火しても、おかしくはない。そのとき、市井の民は息を吹き返すが、未知の民は吹き飛び、消えてしまう。
 いびつな形で滓のように沈滞する記憶は、いわば底なし沼の危機をはらんでいる。そのとき、市井の民は、奇態な変形を遂げた虚像を露わにし、未知の民を呑み込んでしまう。

 前者は団長、後者はオレの、心の履歴だ。

 双方ともに、未知の民は、心のなかで、密かな宇宙空間から、親密な内宇宙へと変容し、拡大していくが、市井の民との間でズレが生じたとき、それまでの記憶を残したまま、姿を消してしまう。
 未知との遭遇で、幼さゆえに無傷のまま、すんなりと姿を消した城東区の市井の民は、団長の心のなかで、もとの姿のまま、生き生きとよみがえる。しかし、半生以上を費やして蓄積された内宇宙の記憶とは、当然、解消しようのないズレが生じる。そのズレが、強いストレスのもととなり、日々、頭を悩ますことになる。団長が、サボテンの赤い花を愛でるのは、まさに、そのためだと、おもった。

 一方、オレの心のなかでも、現状に飽きたらない未熟な感性が捏造した未知の民は、感性が成長するにつれて色褪せ、衰退し、その記憶も、日々、愚劣の謗りを受けて疵だらけになった市井の民の記憶とともに、奇態な変貌を遂げた虚像として、腐海の滓の中に埋没していく。当然、現実と記憶の間にズレはあるが、そのことすら認知できないほど澱み、過酷に繰り返される日常の些事の隙間に、沈積してしまうのだ。記憶を更新する余地はどこにもない。
 それに引き換え、団長には未来がある。真新しい自分が、市井の民として蘇るかたわら、その活力に乗じて、新たな未知の民との遭遇を、果たすことができるかもしれない。市井の民と底流する未来であるかぎり、それは可能なのだ。
 逆に、オレには未来はない。そもそも市井の民がどんな姿をしていたのか、もはや明快な記憶はどこにもない。ましてや、幼稚な観念の贋作である未知の民と、底流する実態は、そもそも存在しない。だから、未知、市井、ともに判別できず、したがって、再生する動機もなければ、その力もない。
オレは、団長を、羨ましいと、おもった。隠微な嫉妬を覚えた。殺してやりたいと、おもった。

 着替えたばかりの、真新しい心のなかで、順風満帆の地中海の民は姿を消したが、同時に、城東区の市井の民が蘇った。二つの小宇宙には明確なズレはあったが、また、手付かずの活力も、残されていたのだ。

「そうだ、団長には、いつでも、他の小宇宙と遭遇できる未知の可能性が、約束されているのだ…」

 逆に、オレには未来を再生する動機も力もない。その、情けない自分の現状とのあまりの違いに、屈辱的な格差を感じた。かれの存在が憎らしくなった。一見、余裕綽々とサボテンの赤い花を愛でる姿を目にするたびに、不快になった。赤いペンキで、塗りつぶしてやりたいと、おもった。そして、できるだけ早く、目の前から消えてもらおう、と、願うようになった。

赤の連還 12 赤い殺意 完 13 赤いターバン につづく

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