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【奇譚】赤の連還 7 赤いラガー

赤の連還 7 赤いラガー

あのとき、キミも知ってのとおりだが、ぼくが随行した一行は、予定より二時間遅れて、首都の国際空港に到着したのだった。
実をいえば、それまでキミと会わなかったことが不思議なくらい、ぼくもあの国には毎年、技術通訳として、何度も行ったり来たり、していたのだ。

 空港は、あいかわらずの工事中、白い五階建ての管制塔だけが、妙に立派だった。 
 同じ敷地内にあるテント張りの国内空港に、そのまま移動したぼくたちは、休む間もなく国内便に乗り継いだのだが、ほんとうは、疲労困憊していたので、ぜひとも一泊はさせてもらいたかった。ずいぶん苛酷な日程だと思ったが、さっきキミがいったように、多分、経費節減の措置で、あんなふうになってしまったのだろう。
 問題のトビ職人の長女は、四十がらみの清楚な婦人だった。
東京出発のとき、空港の特別待合室で初めて会ったのだが、初対面のぼくに深々と頭を下げ、

「父がとんだご迷惑をおかけしました」

と、何度も詫びの言葉を入れられたときには、こちらも、まいってしまった。ぼくは通訳だから、彼女に詫びてもらう筋合いはないのだが、かといって、

「私には関係ありません」

ともいえず、それなりに応対するしかなかった。だから彼女は、多分、いまでも、ぼくのことを、キミと同僚の社員だと思っているにちがいない。
 父娘の対面と聞いていたので、勝手に若い娘を想像していたが、実際はずいぶん歳のいった女性だった。父親の年齢からすれば、せいぜい三十才前後のはずなのに、十才は老けてみえる。なにか事情があるにちがいない。連れ子か。それとも養女か。あるいは、他に特別な事情でもあったのか。
本部長から、すでにサハラ殺人事件について説明を受けていたので、正直なところ、かなり私小説的好奇心に駆られていたわけだが、いまにして思えば、ぼくが抱いた連想も、当たらずとも遠からず、といったところだった。
 キミは、ぼくら一行を見送ってから午後四時すぎに飛行場を出発し、九月のサハラを徹夜で駆け、翌日の早朝に現場に到着、その足で、二十キロ離れた直近の簡易ホテルに滞在するぼくら一行を、迎えにきてくれた。
無類の体力を誇るキミも、さすがにあの時は、疲れた顔をしていたね。
 キミの案内で、ぼくらはさっそく、地区警察署を訪ねることにした。
 現場主任の段取りはとても行き届いていて、警察署長は予定の時間に現れ、ぼくらを丁重に迎えてくれた。
 青い制服のよくにあう、小太りの紳士だった。長女は、緊張のあまり蒼白で震えていたが、常時、柔和な笑みを絶やさない署長の話し方のおかげで、徐々に、緊張を解いていったようだった。
 署長は、ときたま口髭をなでながら、ゆっくりと穏やかな調子で、説明してくれた。

「あなたの父君は、殺人という重罪を犯して留置された。重大な犯罪で由々しきことだが、動機も明白で、多くの目撃者もあり、複雑な事件ではない。早く起訴して裁判になれば、情状酌量で、判決にもよい影響が期待できる。しかし」
「しかし?」

 聞きなおす長女に軽く頷いてから、オレは訳し続けた。

「しかし問題は、肝心の父君が正常な状態にはなく、未だに調書が取れていない。逮捕からすでに四十数日が経過し、これ以上拘留をのばしても、事態の改善が望めないところまできている。そこで一時的に、特殊施設に移すことになったが、そのまえに、身内との面会要請が、父君の雇用者側から提出されたので、これを許可した。遠いところからはるばる訪ねてこられた身内の存在が、大切な父君の将来によりよい結果をもたらしてくれることを、期待してやまない」

 明快で思いやりのある話し方だった。
 長女は、ずっとうつむいて聞いていたが、そのうち純白のハンカチをとりだして目頭をおさえ、肩をしゃくってすすり泣きをはじめた。

「せめて、命だけでも、助けて…」

 署長の言葉の切れ目、切れ目で、何度もくりかえし訴える。やがて署長は、事件の経緯を一通り振り返えると、静かにいった。

「時間を無駄に使うために、あなたがたは遠い国から来たのではない」

 署長の助言に従い、ぼくたちはさっそく、拘置所に向かった。
 拘置所は、実際は刑務所だった。直近の町からさらに二十キロ南下した土漠の真ん中に、それはあった。
 数人の武装警官が、睨みをきかして立ちはだかる鉄扉をくぐって、建屋に入ると、中は冷え冷えとした長い廊下だった。靴音がカンカンと響く。つきあたりに鉄格子、その両脇に木の扉が二つあった。町の警察署から同行した若い警官の先導で、左側の扉を開け、部屋に入り、キミが面会の手続きをとった。面会は当人のみ、との決まりだったが、言葉の問題もあることから、特別、通訳のぼくも入ることを許された。キミの誠意と説得が、効を奏したのだった。
 面会室は、右側の扉の向こうにあった。
 実は、ここから、キミの知らないことになる。できるだけ詳しく描写するつもりで、話してみよう。
 部屋は、小学校の教室ほどの広さで、真ん中を鉄格子で区切り、その二メートルほど手前に鉄柵を設け、面会人が手を伸ばしても、わずかな差で相手に届かないようにしてあった。窓はなく、裸電球が二つ、天井から吊り下がっていた。レンガ積みの壁に直接塗りつけたペンキは黒く変色し、ただでも暗い室内を、いっそう暗くさせていた。
 間もなく、鉄格子の向こうに、トビ職人が入ってきた。彼は、つき添いの警官が大男のせいか、まるで小人の老人みたいに見えた。
「ヒッ…」
長女が手を口に当て、息をつまらせる。彼女も長い間、父親にあっていないのだ。
 職人は、ヨロヨロと面会人の方に歩み寄り、鉄格子にしがみついて体を支えた。頬はやつれ、赤くはれた目に、涙がにじんでいる。行き届いた差し入れで服装はさっぱりしていたが、それだけに、当人の惨めさが目立った。
 職人は、震える足で懸命に立っていた。といって、こちらを見ているわけでもなかった。視線は定まらず、壁の縁や天井の隅をさまよい、やがてぼくと娘の手前を上滑りし、横流れしていく。それは明らかに、惚けた老人の視線だった。
 長女はハンカチで目をおおい、声をしぼって泣きだした。ぼくはそんな二人を、しばらく見るともなくながめていた。
 そのうち、職人の顔に、どこか見覚えのあることに、気がついた。

「はて、どこだったか…」

 思い当たることが一つあった。

「あれは、たしか、隣の国だったな…」

 もちろん、キミの社ではなかったが、あのときも、アトラス山系の西袖に、通信基地を建設するプロジェクトだった。巨大なイスラム寺院で名高い古都から、三百キロ南下した土漠の一角を造成、整地し、そこにまず、管理棟を建てることから始まった。基礎を打ち、足場を組み、鉄筋を張る。ここと同じで、鉄骨プレハブはなじまない。酷暑対策に大量のセメントを使うからだ。
 順調に運んでいた工事現場に、ある日の午後、突然、労務局の抜打ち検査が入った。
 キミも経験があるだろう。外国企業に対して、現地就労者の労働条件と安全基準を尊重・遵守させるための対策に基づく検査、というやつだ。抜打ちで行われるのが普通だった。
 検査の結果は、

「安全基準を無視した工事のため、基準が遵守されるまで工事を一時停止せよ」

というものだった。
 現場監督はカンカンに怒った。

「海外での工事だけに、安全には、国内にもまして万全の対策を講じているんです、いったい、なにが、どこが、違反だというんですか!」

 検査官は答えた。

「トビ職人の、あの布製の哀れな履物だ。見逃すわけにはいかん。早急に、スチールの入った皮製の安全靴にとり替えろ」

 監督は反論した。

「ご指摘の趣旨は、理解できます、が、しかし、アレは地下足袋と称して、アレなくしてトビ職人の高い技術と経験は、生かせないんですよ、それに、現地労働者に、アレを強要しているわけではない、彼らにはちゃんと、皮製でスチールの入った安全靴を、支給しているではないですか、うちの職人に、同じものをはいて足場を組めというのは、逆に、サルにスリッパをはいて木にのぼれというようなものですよ、それこそ、危険きわまりない措置です…」

 監督の必死の説得も、初めて地下足袋を見る検査官には、通じなかった。

「日本のような先進国が、なぜ、労働者に、このような格好をさせ、安全を無視した労働を強いるのか、実に、レミゼラブルだ」

 そこで、地下足袋が実際いかに安全なものかを実証してみせよう、ということになり、二人の職人が選ばれた。
そ れは、突き抜けるような乾期の青空の下の、胸のすく午後のショーだった。
 赤いラガーと白の乗馬パンツ、それに黒の地下足袋をはいた二人の職人が、すでに組み上がった一段目の足場に、スルスルとよじのぼった。仲間が下から鉄パイプをわたすと、クランプと自在スパナでつぎつぎに足場を組み立てていく。地下足袋はパイプに吸いつき、その上を自在に滑り、移動した。手は一方が支柱を確保、他方が作業する。両手がふさがれば、足が出番だ。膝の内側で柱を抱き、足首を片方の足にひっかける。こうすれば、足場が壊れても、パイプから体が離れることはない。
 こうして、優に三十メートル四方はある管理棟の正面に、デモンストレーション用の足場が五段、またたくまに組み上がった。
 職人は、いったん地上に下り立ち、その出来具合をたしかめたあと、五段の足場を懸垂で一挙によじのぼり、開脚の姿勢で眼下の観衆を見下ろした。
 二つの影が、青い空にくっきりと浮かび上がる。現地採用員も含め、五十人は下らない観衆は、それでなくても、あざかな身のこなしに感嘆していたので、二人がそこから両手をふって終了の合図をした時、おもわず、一斉に拍手を送ったものだった。
 納得して手をたたく検査官と、二言三言、ことばを交わしたあと、現場監督が両手で大きな輪を描き、下から終了の合図を送った。
 二人は、懸垂で一挙に一段目まで下りてくると、両手をパイプにかけてクルリと後ろ向きに反転、その勢いで前にポーンと飛びあがり、ピタリと地上に下り立った。それは、子どものころ砂場の鉄棒でよく遊んだ、あの飛行機飛びだった。信用しようとしない当局への抗議と皮肉を、ちゃめっ気たっぷりに表現してみせた粋な職人気質に、観衆はまた拍手喝采でこたえたのだった。
 それで終わりではなかった。
 着地のあと、職人の一人がつかつかと検査官に近づいてきた。そして、

「ホントはよ、このヘルメットもよ、いらネエんだがよ、今日は、特別、アンタのためにかぶってやったンだゼ!」

と、虚勢を張ってみせた。
 怪訝な顔で、検査官が、そばにいたぼくに通訳を求めた。職人の、この挑発的で不意に放たれた言動に虚をつかれたぼくは、とっさに訳が浮かばなかった。だから、

「安全にはやはりヘルメットが必要ですと…」

と、おもわず、検査官の意に沿う訳をしてしまった。プロとしてあるまじき行為だったが、最後に検査官の気分を害して、せっかくの努力も水の泡、という事態だけは避けたかったからだ。
 結局、訳の成否はともかく、検査官は我が意を得たりと喜び、職人も勝ち誇って頬を高潮させ、二人して固い握手を交わしたのだった。

「そうなのだ」

 あのときの、あの勝ち誇った職人が、いま目の前で、哀れな父娘対面を演じている、当の職人だったのだ。  
 あの出来事は、せいぜい五、六年前のことだ。それほど遠い昔というわけではない。時間というものは、こんなに人を変えてしまうものなのか。凛々しく、粋で、屈強な肉体に輝いていたあの職人は、どこへ行ってしまったのだ。
 二人が密かに交わす言葉が、聞こえてきた。
 聞くともなく聞いているうち、父は娘のことをオマエと呼び、娘はそれにアンタと答えているのに、気がついた。現に、父親が腫れた目に涙をため、

「ずいぶん久しぶりだ」

と、消え入るような声でいう。そして、

「いつもオマエのことは、気になっていたんだ」

と述懐した。娘は、それに、

「問題ばかりで、苦労は多いけれど、体だけは丈夫、これもトウさんのおかげだよ、アンタとちがって、立派なヒトだったよ」

と、非難がましく応じ、急き込んで、こう訴えた。

「反対した母さんは、憎かったけれど、いまになって、その気持ちはよく分かるよ、でも母さんはもういない、いてほしいときには、もういないんだ、アンタは、欲が深くて身勝手なヒト、自分のしたいようにして、家族を破滅させたうえに、プイと出ていったきり、帰りもしなければ、報せもよこさないじゃないか、やっと会えたと思ったらこの始末、ひとを危めた上に気までふれて、神様はよくご存じだよ、天罰だよ、天罰よ…」

 綿々と非難の言葉をならべたてる。
 ぼくは、ほんとうに驚いてしまった。

「こんな父娘対面が、どこにあるというのだ…」

 逆境に陥った父を、なぐさめ励ますどころか、溜め込んだ恨みつらみをぶつけるのだ。この娘の、非情な仕打ちに、父はハラハラと涙を流し、その場に崩れ落ちる。娘も、昂る気持ちを抑えきれず、声を荒らげ、しゃがみ込み、嗚咽をこらえ、面会時間が切れるまで、泣き続けた。
 控え室でわれをとりもどした長女は、ぼくやキミや本部長に、自分の愚行を、平謝りにあやまった。

「本当に、申しわけありませんでした、父を説得しにきたのに、恨みしかいわないでしまって…私事とはいえ、とんだ失態でした、ほんとうに、もうしわけありませんでした」

そして、手を合わせて、こう哀願した。

「後生です、助けてください、もう一度、面会の機会を、ぜひ…」

 キミもぼくも、そしてそこに居合わせた全員が、この奇妙な父娘を前に、しばらく途方にくれてしまったのは、しごく当然のことだったように思う。
 やがてキミは、いやな顔ひとつせず、またねばり強く、警察署長にかけあってくれたのだが、その誠意ある応対にぼくは、他人事ながら、いまでも感謝している。ぼくが感謝する道理などどこにもないのだが、実際、あのときのぼくは、愚かで哀れな父娘のありのままを、ほんの数分まえに目にしていただけに、なんとか助けてやりたいと、心から願う気持ちになっていたのだ。

               ~~~

「なぜ、助けたい気になったのだ?」
「感傷だよ、旅は人を感傷的にする、ていうじゃないか」
「なら、オマエに感謝される理由は、どこにもないよ」
「キミにへつらうつもりは毛頭ないね、単に、事実をいいたかっただけだからね」
「事実は、あの二人が、犬畜生にも劣る関係だった、ということに尽きるんじゃないのか」
「そこまで、いうなら、キミのしたことは、どうなんだ?」
「オレのしたこと?」
「キミが、レイラにしたことだよ」
「オレが、レイラに、なにをした?」
「いや、それより、先に進もう、父娘対面が失敗して、キミが二度目の面会を当局とかけあってくれた、そこまで、ぼくは話したね」
「ああ、そうだったが?」
「そこでだ、キミも知ってのとおり、二度目の面会は成功し、先の見込みがたったんだ、だから、あの時点では、父娘の対面は無駄ではなかったんだよ」
「だったら、一件落着じゃないか、なにも…」
「残念ながら、そうじゃないんだね、事後談があるんだよ」
「ン、事後談?…なら、聞こうじゃないか」
「いや、それを知っているのは、キミの方だなんだよ」
「このオレ?」
「そうなんだよ、つぎの日からは、キミ自身が担当した事なんだから」
「ン、そうか、オレ自身が、つぎの日から…」

              ~~~
 
…そうか、そうだったんだ、つぎの日、オレは、父娘対面のアテンドをオマエと現場の連中にまかせて、アリ・アフメドにあいに行ったんだ。
 二度目の面会がうまくいって、多分、よい結果が出るだろうと期待はしたが、なんの確証もなかった。とにかく、面会が不成功に終われば、いよいよ職人は施設送りになる。

「なんとか策を講じておかなければ」

 外交ルートはもとより望めない。なにか他に手はないものか。そこで思い出したのが、アリ・アフメドの存在だった。

「彼の意見も聞いておこう」

 腹を割って話ができる、唯一の官憲なのだから。
 カーキ色の征服もさわやかなアリ・アフメドは、駐屯所を訪ねたオレを見るなり、

「ほら、無神論者が、帰ってきたぞ」

と冗談を飛ばし、快く迎えてくれた。
 まえにも話したように、アリ・アフメドは、敬虔なイスラム教徒で、正義感に燃えた青年だったが、苦労したせいか、教義一辺倒の狭量な人間ではなかった。
 悪を憎み、不正を拒絶する熱血漢でありながら、本人が罪を認知するかぎり、犯した過ちをできるだけ許容しようとする、度量の大きさもそなえた、一人の寛容な社会人でもあったのだ。
 彼は、オレの相談をよく理解し、いわんとするところを、よく咀嚼してくれた。
 オレは訴えた。

「なんとか、職人の施設送りは、避けたいんだが」
「ン、そのとおりだな」

 大きく頷いた彼は、

「事情が事情だし、同国人同士の事件だから、まず銃殺刑はないだろうがね」

と、楽観的な予想をたてた。そして、

「実現するかどうかはわからないが」

と前置きし、一つの提案をしてくれた。
 それは、土地の実力者を通じて、警察と検察に働きかけ、精神錯乱による不起訴、または起訴有罪で一時服役の後、国外追放処分にする、というものだった。
 ものは話してみるものだ。もしこの方法が可能なら、他になんの望みがある。

「では、どこの実力者に、どう接近すればいいのか、教えてくれないか」
「本官が所属する地区連隊の連隊長の伯父、かれに会えばいいよ、話は通しておくから」

 説明によると、連隊長の伯父は、地区一帯の広大な土地を仕切る大地主で、独立戦争が始まって間もなく、民族開放戦線に肩入れし、先を見込んで臨時革命政府への投資を惜しまなかった。現政権に大きな顔ができるのも、そのときの功績があってのことだという。

「目先の効く人物でね、寛大な精神と徳に恵まれた、敬虔なイスラム教徒だよ。また、好都合なことにだよ、熱烈な日本びいきでもあるんだな、これが」

 敗戦国日本の、奇跡的ともいえる復興に拍手を送り、列強との摩擦が深刻になればなるほど、果敢に戦うリーダーとして、発展途上の国々が日本を礼賛し、しばしば国民を鼓舞する材料に利用している事実は、いろいろな局面で耳にし、目にしてきた。だが、その波及効果が、実際に、身近なところまで及んでこようとは、いまのいままで、考えもしないことだった。
 オレは半信半疑で駐屯所をあとにした。

「とにかくやってみる価値はある」

 正直いって、あの職人が正気をとり戻そうが、戻すまいが、この際、あまり重要なことではなくなった。要は、その実力者と面識を持つことだ。どうせ、なんらかの交換条件を、つけてくるだろうが、長丁場のプロジェクトのこと、この先、どういうことで役に立つか、推し量れないものがある。

「災い転じて福となす、とは、まさにこのことだな」

 翌日の午後、約束どおり、部長と担当、それに現場主任を連れて駐屯所を訪ねた。
 連隊長と部長の会見は、この種の会談にはお決まりの、すれちがいに終始した。部長は社の通信基地建設工事の実績をのべ、いかにこの国に貢献しているかを訴えた。その上で、連隊長の事件への特別な関与を求め、

「尽力くだされば心から感謝いたします」

と、へり下った。
 連隊長は、にこやかにうなずいて了解の意思を表明し、

「協力を惜しむ理由はどこにもありません」

と、おだやかに答えた。協力する積極的な動機がないことを、暗にほのめかしたのだ。
 そのことが、現地に不慣れな部長には、通じなかった。彼はくりかえし、一方的な謝意を並べ立て、ただそれだけに終始した。

 実際、連隊長には、そのつぎにくる言葉が必要だったのだ。
 ものを頼めば礼がいる。それが頼まれる側の動機となる。中身がなんであれ、具体的な動機づけは、当の依頼人である部長が出すべきだった。感謝の気持ちは、当然のことながら、具体的な形で表されなければならない。
 だが、鈍感なのか、意志が固いのか、部長はひとり納得して首を振る、ただそれだけで、他になにもいおうとしなかった。なんの提案もないまま、時間だけが過ぎていく。連隊長は、毛深い手を口に当て、退屈そうな目つきであくびを堪える。主任に目をやると、不機嫌を絵に描いた顔で腕組みし、じっと床をにらんでいた。
 翌日、長女が三度目の面会を申し入れたが、許可されなかった。職人の正気も戻り、警察も供述書をとる目途がついたのだろう。せめて署長に挨拶でもと思ったが、それも不在という理由で、ことわられた。特別処置にも限度があることを、一定の距離をたもつことで、暗にほのめかす配慮だった。
 最後のつめは、少々、甘かったが、一応の成果を上げた父娘対面ミッション一行は、到着から四日目の早朝、休む暇もなく、そそくさと、現地を発っていった。実際、オマエも気の毒なくらい、くたくたに疲れた顔をしていたよ。
 一行が帰ったあと、オレは外為銀行の地区支店に顔つなぎの挨拶をし、労務局で、労働許可取得手続きの簡素化を要請してから、簡単に主任と今後の打合せをし、夕刻近く現場を発った

 帰路、土漠を走るオレの気持ちは、黒一色だった。オマエから聞いた父娘体面の実態を、くりかえし思い出さずにいられなかったからだ。
 長年、アフリカに滞在する間には、いろいろなことがあった。
 交通事故や現場の事故で、何人もの同胞が死んだ。喧嘩で殺された溶接工もいれば、失踪後、首吊り死体で発見されたエリート社員もいた。抗生物質ばかり飲んで、全身から血を吹き出して死んだ異常潔癖症の佐官工もいれば、コンベアにはさまれて片足をもぎとられた土工もいた。
 それもこれも、なんの因果か、いつもオレが、事後処理する羽目になった。仮葬儀、遺体搬出、遺族の世話、ときには取調べや刑事裁判の通訳など、どれもみな、決して楽しい仕事といえるものではなかった。

「だが、みな、それなりに、納得できる出来事だった…」

 死んだ人間は惜しまれ、常に敬われた。傷ついた人間は丁重に扱われ、大切に保護された。罪あるものは罰せられ、いまなお服役中の者もいる。
 だが、あの職人のように、当人の気が変になったことも、身内から追い打ちをかけられるような憂き目にあったことも、一度も、目や耳にしたことはなかった。

「あの父娘には、どこか不気味なところがある」

 事実は小説より奇なりというが、ひととおりの関係ではない。
 娘は後妻の連れ子かなにかだろう。それを養父がかどわかし、モノにしたのだ。
 妻は身を呈して、夫から娘を守ろうとしたが、男に目覚めた娘はそれに反発、嫉妬に狂う女として、母親を嫌った。
 やがて父と娘は共謀して、半狂乱の母を排除しにかかる。絶望した母は病に伏し、ついに悶絶のうちに他界する。
 が、その死で目覚めた夫は、良心の呵責にたえかねて失踪し、とり残された長女は、情夫である父を虚しく求めながら成長する、そして不運で皮肉な僻地での再会…。
 サハラを駆けながら、オレはずっと、自分とレイラのことを考え、その行く末を思いえがいた。

赤の連還 7 赤いラガー 完 8 赤いくさび  につづく





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