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【奇譚】白の連還 第5話 白い蛇

 年明けて一月五日、白馬村の地元紙が、二面下段の山岳情報欄で、次のように伝えた。

         白の連還 第5話 白い蛇

「一月四日、午後五時ごろ、白馬山麓にある民宿小谷の里に、愛媛県在住の妻から、下山したはずの夫から連絡がないので、遭難したのではないかと心配している、捜索願いはどこへ出せばよいか、との問い合わせがあった。同民宿には、似たような問い合わせが全国各地からすでに五件きており、おかしいとおもった経営者が、長野県警大町警察著に届け出たという。連絡を受け、同署は遭難の恐れがあると判断、翌五日朝には山岳救助隊を派遣し、捜索および救助活動の実施にあたるとしている。」
 
 同紙の翌六日付け朝刊では、山岳救助隊の捜索活動を報じる一方、遭難者の特定と人数について伝え、遭難にいたるまでの経緯と背景について、次のように分析した。
 
「家族や関係者から得られた現時点までの情報を総合すると、総計六名と考えられる一行は、予め計画した集団山行の参加者ではなく、それぞれ別の登山計画、入下山予定などで行動していた個別の登山客とみられ、入山前日に宿泊した栂池鵯の小屋で偶然知り合い、計画や予定さらに興味の置き所から、共に行動することを決めた模様だ。宿の主人の聞いたところによると、入山当日、天狗原を経て蓮華温泉小屋に宿泊、翌と翌々の両日、小屋を起点に朝日岳、雪蔵岳を登山したあと、最終日に温泉小屋から風吹大池を抜け小谷村方面への下山を予定していたとのこと。一方、入山当日に宿泊予定地とされた蓮華温泉小屋によると、類似する一行の立ち寄り、または宿泊はなかった、とのことだった。下山日に予定されていた民宿小谷の里によると、近年、年末年始の休暇を利用して雪山登山や山スキーを楽しむ客は多く、最近では、各地から集まった山岳愛好家たちが、宿泊所で出会った山行経路や、目的を同じくする同宿者とにわか集団を組織し、登下山をともにする機会が多くなっており、将来、なんらかの改善策を講じなければ、遭難時等の情報収集に支障をきたす懸念がある、とのことだ。」
  
 開けて七日、同地方紙は、前日の捜索活動の結果として、天狗原から下る数本の沢筋にかなり規模の大きい表層雪崩が観察されたと伝え、今後の方針として、遭難情報について事実確認を急ぐとともに、救助隊による二次災害の回避を大前提としながらも、当面、雪崩発生地点も含め、近辺沢筋に重点を置いた捜索にあたるとし、購読者にむけては、表層雪崩など豪雪後に起こりやすい山岳事故について特に注意・警戒するよう呼びかけた。

 翌八日から三日間悪天候がつづき、山沿い、山間部とも、積雪の高さはさらに増した。二次災害回避の方針から、捜索活動は中断された。進捗のない事態に焦りの色がみえ始めた救助隊に、十一日夕刻、朗報がまいこんだ。遭難視されていた六名のうち三名が無事下山し、すでに通常の生活に戻っている、との知らせが帰還者本人から届けられた。

 帰還した三名によると、民宿鵯小屋を出て天狗原まで六名の集団だったが、あまりの雪の多さに雪崩の危険を感じ、うち三名が蓮華温泉に下るのを諦め、栂池自然公園までの滑降を決定、山スキーを満喫した後、予定を変更して姫川温泉に宿泊したという。それ以降は三々五々、帰宅することになったが、下山予定の民宿小谷の里への連絡はとらなかったらしい。この朗報に救助隊は、とりあえず胸を撫でおろすことになったが、残り三名の所在は未確認のままとなった。

翌十二日の午後になって、雪はやっと小康状態となり、十三日には降雪もなく、早朝には、重くのしかかっていた雪雲もみるみる薄くなっていき、地元防災有線放送を通して、天気は徐々に西方から回復していく模様、との予報が流れた。救助隊は即座に防災ヘリの必要性に言及、検討の結果、県警消防防災局に対し、防災ヘリ緊急出動の要請を提出、受理された。

 その間、白馬村の警察署が、天狗原から蓮華温泉に下る複数の沢筋で一か所、奇妙な事実を確認していたことが分かった。

 乗鞍岳を背に天狗原を後にし、風吹岳に向かう稜線目指してしばらく進むと、蓮華温泉と風吹大池への分岐に出る。問題の場所は、風吹大池に向かう稜線手前の沢の取っ付き部にあった。広範囲にわたる表層雪崩のため、無数の巨大な雪塊が風吹大池への沢筋を覆いつくし、起伏のはげしいわりには平凡で緩慢な斜面に、様変わりさせていた。その膨らんだゴロゴロの雪面に、細長い金属バットみたいなものがキラキラ光っているのを見た、とクロカン中の少年二人が届け出てきたというのだ。

「金属バットだって?」
「見間違いだろう」
「いつのことだ、見たのは?」
「三、四日まえらしい」
「三、四日まえ?」
「こんな雪の中を、這ってたってことか?」
「大会が近いしな」
「どの辺を這ってたんだ?」
「栂池平らしいだ」
「そんなとこから見えないだよ、あの沢は」
「オレも見えんとおもうが、見えた、っちゅうんだ」
「這いすぎて、夢でもみとったか」
「なんせ、落雷で、ピカッと跳ね上がった、ちゅうことだ、金属バットがな」
「落雷?」
「どこで?」
「そんな記録、ないだよ」
「報告もないだよ」
「届け出た少年ちゅうのは?」
「あの中学生だよ、クロカンの」
「クロカン?」
「ヴィレッジ白馬とホワイトリボンの息子だ」
「ああ、あの元気のいい同級生か」
「二月の全国大会の予選にでるだよ」
「そうかい、そりゃいいわ」
「いい線いってるって、みな、いってるだよ」
「ひょっとしたら、ひょっとするだよ」
「ところで、落雷って、いつのことだ?」
「三、四日まえとかって、いってたな」
「それじゃ、金属バットみた日と、同じかい」
「んだ」
「捜索は中断中だっただよ」
「んだ」
「どうするかね、近似値情報てことに、しとくかい」
「あることは、あったわけだからね」
「そうだね」
「信じるほか、ねえだよ」
「んだ」

 翌十四日、午後一番に、近似値以上に真実味のある報せが二つ届いた。一つは、捜索ヘリが、問題の風吹大池に向かう稜線手前の沢の取っ付き部で、キラキラ光る金属棒のようなものを発見した、というのだ。ヘリを管轄する県警消防防災局が入手した情報で、直ちに現場の救助隊に対し、急遽所定の場所に向かうよう指示が出された。二つ目は、遭難したとおもわれる残り四名に関するもので、大町警察署が先に帰宅した三名に問合せし、地道に収集した貴重な情報だった。

 これによると、天狗原から蓮華温泉方面に下ったのは、初老のベテランらしい山岳愛好家、中年のカメラマン、プロの女性映画製作者、それに商社に勤める若いサラリーマンの計四名で、民宿鵯の里の夕食時それぞれ自己紹介した事実から、七名全員顔見知りではなく、にわか組織の集団で入山したことがはっきりした。

 さらに、特に注意をひく点があるかどうか尋ねたところ、帰宅者三名は異口同音に、ベテラン登山家が携帯していたピッケルは、本体に銀製の白い蛇を巻き付けた珍しい年代物だった、と答えたという。これを聞いて救助隊全員ピンときた。みな叫んだ。それだ、そのピッケルが、金属バットに見えたんだ、と。
 
 沢の雪面は荒れていた。そこここに倒れかけたダケカンバが、かろうじて、雪崩落ちる雪塊の重みを支えていた。木々の間隔はさほど密ではなかったが、ヘリが一機、収まるスペースはなかった。やむなくホバリングする。  

 やがて隊員が一人、装着したハーネスとともにヘリからケーブルにぶら下がって降りてきた。沢の取っ付き部にはすでに数人の隊員がたむろしている。ヘリとの距離は数十メートルはあろうか。ピッケルの先端で沢筋の方向を何度も指し示しながら、ヘリとさかんに情報交換している。そのうち、全員のピッケルがピタリと静止した。みると、みなの先端が、雪上のある一点に集中している。そこに目をやると、大小こもごもの雪塊が重なりあう起伏の合間に、なにかピカリと光るものがあった。金属棒のようなものが荒れた雪面に突きささっている。双眼鏡で目をこらすと、黒く炭化しかけた心棒に、細長いメタルっぽいものが、螺旋状に巻きついているのが見えた。何なのか。息をつめてじっと見ると、蛇の彫り物だった。人によっては、縁起のよい登り竜に見えなくもない。凝った造りだ。安全登頂祈願をこめた拘りの逸品だろうか。ベテランの山岳愛好家らしい嗜好だった。

「やっぱり帰宅組のいうとおりだったな」
「んだ」
「たしかにヘビだよ」
「んだ」
「登り竜の彫銀だぜ」
「んだ」
「凝ったもんじゃ」
「んだ」
「もってけぇって、床の間にでも置いとくか」
「んだな」
「そうかい、なら、回収すっか?」
「まてまて、上からの指示、まつだよ」
「んだな、んだ、んだ」  

 その時だった。一瞬、大気を鉛直に貫いて閃光が走った。直後に、バリバリッ、と空気が爆裂し地殻が裂けるほどの雷音が轟いた。瞬間、雷撃を受けた登り竜が天空高々と跳ねあがるや、鋭い放物線を描いてヘリ上に落下、ホバリング中のローターに跳ね返され、カッキーンと鋭い音をたてて、そのまま見えなくなった。細かい金属片に砕かれ大気中に霧消してしまったのか。
 救助隊員は全員、雪上に倒れていた。うなっているものもいれば、体をよじって苦痛をこらえているものもいた。感電の衝撃を受けてか、身動きしないものもいる。ヘリから宙づりの隊員が、さかんに大声で叫んでいた。まずは、みなの無事を確認し、対処策を講じなければならないからだ。だが、ローターとエンジン音が、せっかくの呼び声をかきけしてしまう。それでも、懸命に叫び続けた。そのうち、雪上の一人が、むくむくと起きあがり、辺りを見回しながら叫んだ。仲間を呼んでいるのだ。それに呼応してほかの隊員たちも、一人、二人と起きあがり、やがて動けるもの同士で声をかけあい、沢の上方に集結し、点呼を始めた。

「みんな、いるだか?」
「いるはずだ」
「いや、まてよ」
「ひとり、足らんだよ」
「足らん?」
「だれだ?」
「たしか、平岩山岳会の…」
「会長さんか?」
「らしいだ」
「そりゃ、てーへんだ!」
「どこにいるだか?」」
「わからん」
「ヘリに探してもらうだよ」 
「もう頼んだだよ」
「なんでこんな日に落雷だ?」
「たしかに光ったな」
「光っただよ!」
「たしかに、聞いたよな」
「聞いただよ、あれは落雷だよ!」
「たしかに、跳ねたよな、あの登り竜?」
「跳ねただよ、天高く、跳ねただよ!」
「で、どこ行っただ?」
「どこに落ちただ?」
「いや、どこにも落ちてねえだよ、消えただよ!」
「消えた?」

 そのとき、ヒュル、ヒュル、ヒュリュッ、と空を抉る音がして、消えたはずの登り竜が、消えるどころか、雷電流で研ぎすまされたシャープな矢尻になって、天上から猛スピードで落ちてきた。そして、瞬きする暇もあたえず、雪塊が入り乱れる荒れた雪面に、グサリッ、と突き刺さった。宙づりの隊員が着地したのと、ほとんど同時だった。隊員は、体に巻きつけたロープを解くと、数十メートル先に突き刺さった登り竜めざして、懸命にラッセルした。登り竜のわきに倒れた被災の隊員を発見したらしい。その間、ケーブルがシュルシュルと上昇、機体に吸い込まれるや、すぐに担架とともに降りてきた。被災者を担架で吊り上げるのだろう。
 かろうじて雷撃から生還した他の隊員たちは、ヘリからの指令が出たのか、踵を返して沢の取っ付きを天狗原にむかって登りはじめた。救出はヘリにまかせ、今日の捜索活動はこれで終わり、ということだろうか。果然、半時ばかり経って、担架に確保された被災者が、ヘリに向かって高々と引き上げられていった。結局、その日の不意の落雷は、被災した隊員の生死はともかく、重大かつ不運な二次災害を引き起こす原因になったことはたしかだった。
 
 同日の夕刻、緊急災害有線放送が二次災害の模様を伝え、翌十五日、地元紙がその詳細を報じた。それによると、総勢十二名の救助隊員が落雷の被害に遭い、うち一名が軽度に感電、左大腿部にかなりの火傷を負ったが命に別状はない、とのことだった。なお、遭難者四名の捜索については、十六日より隊員数を増やし、継続して捜索活動を行うと伝え、落雷に関しては、雪面に放置された金属棒が原因と考えるのが妥当、との救助隊の見解を紹介した。
 また、別ルートで下山した登山客の証言から、雪面に放置された金属棒は、彫銀の白い蛇を心棒に巻き付けためずらしい形のピッケルのことではないか、との観測を合わせ載せることもわすれなかった。

 地元民を含め、冬山シーズンに山岳地帯を往来する人々にとって、遭難事故は日常茶飯事に近い。深く掘り下げれば、事例の一つ一つに特殊性はあろうが、救難報道レベルではパターン化した事の運びとなる。
 事故の原因の大半は準備不足にあり、理由は雪山への過剰な憧れと、それに反比例した山岳知識の貧弱さだ。この見事な反比例が、無防備な愛好家たちを、山で、岩で、雪で、雪渓で、進退窮まる状況においこんでしまう。一旦、遭難すれば、死ぬか、助かるか、のどちらかだ。それには、山岳救助隊の技能と経験がものをいうが、それ以上に、運、不運が左右する。だから、遭難報道を耳にしたとき、人は、あ、またか、どうせ助かるか、死ぬかの、どちらかだ、わざわざ心を乱すこともない、と耳をふさいでしまう。そして最終的に、どうせまた同じことがおこるんだな、という、一種の冷え切った無関心で、一件落着の顛末を、ほぼ映画を観るように、思い描いてしまうのだ。そしてまた、翌年の、クリスマス寒波を、年末年始の豪雪を、胸震わせて待ち望むのだ。地元民は地域振興のために、山岳愛好家は、雪山への憧れを実の物とするために…。

白の連還 第5話 白い蛇 完 第6話 白い記憶 につづく


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