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【奇譚】白の連還 終章 白い夜明け

白の連還 終章 白い夜明け

 いくつか、聞き逃してしまったことがある。

 ハナシを中断したくないという気づかいから、訊き返すことは極力さけたのだが、おかげで、確かめたいことが、山ほど残ってしまった。

 まず、青年とブロンドが、偶然に雪山の同じ場所で遭難し、ともにビバークした経緯は聞いた。が、そのあと、彼女がどうしたのか、を聞きわすれてしまった。すぐにスイスに帰国したのか、それとも札幌に移動したのか? 

 いや、もともと、オリンピックが夢と消えた札幌がメインで、ついでに白馬にやってきたのか? いや、そもそも、なぜ彼女は、日本に来たのか? 滑りにか? 登山にか? それとも、知り合いを訪ねに来たのか、愛人に誘われてのお忍びか? 

 いや、そもそも、世界に冠たる雪山リゾートの拠点ツェルマットでの殺人事件となると、殺された現場に被害者のガイドとして傍にいたブロンドなどは、真っ先に容疑者としてマークされるべき存在だと察せられるが、なぜ、国外にいる? 監視の目をかいくぐって、あるいは、その状況から逃れたくて、白馬雪山散策にやって来たのではないか…。

 キャパのことにしても、なにも掴んでいない。スキー帽の山岳青年と、フォトジャーナリストのキャパ、二人の被災地での出会いは、映画の一コマのように、うまくできすぎてはいないか。かれらは、本当に、この被災地で初対面だったのか? 公園での、打ちとけた上に、論旨のかみ合った二人の対話を思い起こすにつけ、どうも、すんなりとは、飲み込めない気がする。しかも、そこに、JPキャパなる第三の人物も、登場するのだ。キャパとJPキャパは同一人物だったのか。としたら、初心で素朴な山岳青年が、キャパとその替え玉にうまく乗せられて、性同一性を巧みに取り込んだ、手の込んだ自己宣伝にまんまと利用された、ということになる。事実はどうだったのか?…。

 もっと気になるのは、青年自身のことだ。不用意に、理解できる、といえる存在ではない。幸か不幸か、身体はオンナ、心はオトコに生まれついてしまったわけだが、内在する二つの性の間で起こりうる葛藤、相克、あえて憶測すれば、駆け引きや融合、統合、協調…など、第三者に理解できるわけもない。

 ところが、そうおもっても、それは正論にすぎない、と、わたしのなかで、反論するわたしがいることも、たしかな事実だ。その、もうひとりのわたしは、こういう。

<あの青年には、いつかどこかで遭った、同じ記憶を共有している、巡り合わせの、他生の縁がある…>
と。

 青年と同じ記憶を共有している、といわれると、そんなバカな、と一蹴したくもなるのだが、そうはいかない弱みが、自分にはある。実は、一度、失神による転倒事故で、記憶障害を起こしているのだ。そして、なおわるいことに、そのことを、まったく覚えていないのだ。主治医によると、それは五年ほどまえのことだった…らしい。

 その日、わたしは、パリ発成田行きのエールフランス機で、帰国の途中だった、という。搭乗員によると、順調な離陸の後、巡行速度での安定飛行に入り、やがて機内食のランチをサービス、その後、免税品の販売にとりかかろうと準備していたところ、ビジネスクラスの船尾側トイレの入り口で、乗客一人が転倒し、気絶した。い合わせた乗客、乗務員、アナウンスの呼びかけに応じた乗客の医師らが応急処置に当たり、ファーストクラスの個室に収容、成田に到着後、空港医務官にひきわたされ、起立性低血圧(たちくらみ)に起因する失神・転倒による頭部強打が原因の脳震盪、軽度の意識障害を認む、要観察、と診断された。
 これが、わたしの身に起こったことで、空港医務官が、客室乗務員や偶然い合わせた医師、乗客から聞きとったことを総合し、機内状況等診察報告書に事実として記録したことだ。主治医は、これを元に、わたしの治療にあたることになったという。

 その後、主治医提案の対症療法の一環として、脳神経外科や精神科、総合内科、外科など、様々な診療科で繰り返し検査を受けたが、霧中を漂流する難破船に似て、原因療法の進路標定ができないまま、暗中模索の時間だけが過ぎていった。類似症例の解析や臨床研究事例を参照しても、記憶喪失に至るパターン、原因、症状などの解明について、なんの足しにもならなかった。このまま記憶がもどらなければ、わたしにとって、報告書に記録された事実はなかった、他人がわたしのために描いた仮想現実にすぎなかった、ということになる。
 要するに、高校に入学した直後から、うろ覚えの主治医の、老化した皺くちゃの顔が、じっとわたしを覗きこんでいることに気がつくまでの記憶が、すっぽりと抜け落ちているのだ。そして、その歴然とした事実の一方で、当事者にとって、それが事実なのか、そうでないのか、事実ならなぜそうなったのか、そしてどうすればいいのか、といった、事実を事実として受容しえない真逆の事実も、そこに控えているのだ。

 こうしてみると、ひとの記憶というフィールドでは、実と、その実を虚とする実は、共存できる、ということになる。だが、虚と、その虚を実とする実は、はたして共存できるのだろうか?

 ファンタジーという世界がある。幻のお伽の時空を、思いのままに駆け巡れる、心そそられる虚の空間だ。その気にさえなれば、甘い幻惑に抗わず、勝手きままに造り上げた、想像上の出来事を、たとえば、喪失した記憶の枠組みに、すっぽりと嵌め込むことさえ、できてしまう。

 このことを、自分に引き寄せてみれば、高校に入学した直後から、皺くちゃの主治医の顔が見えた瞬間までの、空の領域に、思うに任せて好みの過去を想像し、その断片をパズルのように、埋め込んでいくことさえ、できてしまうのだ。これほどひとを惑わす、甘美で、邪悪な誘惑は他にない。人と記憶の間には、人を生かし、人を危める、魔性の糸が、絡みついているのだ。

 記憶をなくした患者への、確とした治療法も見つけられず、医師として、さぞ面目なくおもっているだろう、と、主治医の心の内をおもんばかったりもしたが、本人はどこ吹く風で、診察室であうたびに、やあ、いらっしゃい、相変わらず、お元気そうですなぁ、ワッハッハー、のワンパターンのまま、自前の対症療法をつづけることを良しとしている。
 この医師にあうたびに、思い出すのは、わたしの父との間で起きた一件だ。
 当時、わたしは中学生で、祝皇太子御成婚の張り紙と、串焼き用の野犬を押し込んで積みあげたミカン箱をながめながら、天王寺の駅裏を通学路として毎朝、通っていた。シベリア抑留から無事帰国した父は、半島人が経営する建築会社に職を得て、建築技師として働いていた。抑留中の過酷な環境のため、臓器は疲弊し、胃腸の痛みを訴えない日はなかった。通勤の労を考え、一家は、会社に近い大阪に、居を構えていた。
 親戚の勧めで、実家に近く、今の主治医の父君が経営する医院に通い、胃潰瘍、十二指腸潰瘍などに効くとされる薬物療法をつづけることにしたが、大した効果は得られなかった。
 そうこうするうち、医療技術の発達で、わたしが県外の高校めざして受験勉強に専心しだしたころ、内視鏡検査という技術が開発された。ぞくにいう胃カメラだ。臓器を内側から撮影し、その画像をもとに診察することができる。
 そして、その新しい技術を引っ提げて、父親の経営する医院に副院長として着任したのが、若者だった今の主治医、新進気鋭の内科医だった。

 着任早々、青年医師は、胃痛腹痛で悩む父に、胃の内視鏡検査を提唱した。実用化も間もない技術の上に、画像診断の技術や基準についても、依然、周知の行き届かない状況だったし、太いパイプを口から喉を通して胃の中までグイグイ突っ込み、臓器の内側からパチパチと写真を撮る、などという、尋常でない医療行為には、シベリアで死にかけたさすがの父でも、強い拒否反応を示すだろう、と予測していた。が、意外にもかれは、それ、おもろいなぁ、やってもらおかぁ、と、あっさりと承諾した。
 消化器系臨床検査の先端技術を誇る若き主治医は、意気込んだ。検査数はまだ一桁代、はやく二桁代にのせて実績を上げ、民間医療の質と地位向上への契機とし、ひいては、国内医療全体の進歩と発展に貢献しなければならない。
 しかし、この若き主治医の意気込みは、不発、いや、失敗に終わった。
 父からきいた話によると、検査当日、スリッパに履き替えて、新装間もない早朝の検査室に入ると、上から下まで白無垢の丸い看護婦がやってきて、まず喉の麻酔をするので処置室にいきましょう、という。導かれるままについていくと、ちょうど納戸ほどの広さに簡易診察台を設えた一室が奥にあり、そこに入れられた。すぐに、丸い白無垢の看護婦が戻ってきて、れんげ大のスプーンにためた液体を鼻先に差し出し、これを呑み込まないように呑んでください、という。

「そんな、あほな、呑まんように呑む、とは、どういうこっちゃ」

 からかい半分に訊き返すと、白無垢の丸い看護婦は、キッとなって、いった。

「ちがいますがな。これ、喉が痛くならんようにするための、軽い麻酔薬ですねん。そやから、これ、呑み込む一歩手前で、しばらく、呑まんと我慢して、喉の奥に溜めといてください、て、お頼み、してますねんやわぁ」

 いわれるままに、呑み込まないで我慢していると、たしかに効いてきた。十分も経たないうちに、喉の部位と呑み込むという感覚がなくなった。頃合いを見て、医師が現れ、手に抱えたファイバースコープとカメラを見せながら、各部の検査機能を説明し、それでは始めましょう、といって、被検者のケアにかかるよう、看護婦に合図した。白無垢の彼女は、左側を下にして横になるよう被検者を誘導し、歯と歯の間にマウスピースを差しこんだ。それをみながら、さも親し気に、医師がいった。
「坊ちゃん、いよいよ進学ですねぇ、優秀なお子さんやし、どこ受けはるんやろか?」

 身内のことを話題にして、被検者の緊張を解してやりたい、との気持ちから出た言葉だったのだろうが、結果は逆だった。

「この、どあほ! こんな輪っか、くわえて、どうやって、口きくんじゃ!…」

 おもいきり怒鳴りつけてやろうとおもったが、うんうん唸るだけで言葉にならず、ばかばかしくて腹も立たなかった、という。
 ばかばかしさは、やがて、本当の怒りに変わった。
 当時、内視鏡の管は、いまのものと比べ、相当太かったらしい。挿入前の管を目の当たりにしたとき、こんなものが喉を通って臓器の中に侵入していくのかと、想像しただけで恐ろしくて、逃げ出したくなったと、父はいっていたが、その拷問まがいの、過酷な試練を乗りこえて、無事、内視鏡検査を終えることはできた。
 検査室から出てきた父に、付添いのわたしとしては、さすがはシベリア帰りの粘り腰、などと、未熟な頭でおもいついた、冗談交じりのねぎらいの一つも、いえなくはなかったが、ソファーの背にぐったりともたれかかった様子に、下手に気を遣うと、怒鳴り返されてしまうような気がして、いえず仕舞いのまま、検査後の診察をまった。やがて呼び出しに応じた父が、診察室にはいっていったが、一分もたたないうちに、突如、容赦なく怒鳴り散らす罵声が、院内に響いた。

「この、どあほ! あれだけ、痛い目にあわせやがって、写真が、ないやとォー!」

 罵声にかぶさるように、へりくだった青年医師の謝罪の声が、聞こえた。

「すんません、ほんまに、ほんまに、すんません、写真は…」

 ごんごん、机を叩く音が響く。

「写真は、たしかに、撮ったんです、撮ったんですよ、撮ったんですが、フィルムが、入ってなかったんですよォー」
「あほかァー! カメラにフィルム、入れんで、どうやって、撮るんじゃー、写真をー!」
「いや、それが、ちゃんと、看護婦に入れとけと、いうたんですけど…」
「看護婦に、やとォー! 本気で、そんなこと、ゆうとんのかァー、ええェ、立派なお勉強させてもろて、お上のお墨付きもろて、そんじょそこらにはおらん、はずの、学ある医者が、やでェー、自分の不始末を、なんやとォー、看護婦のせいにするんかァー、恥ずかしないんかァー! この、ヤブ医者がァー、ヤブがァー!」

一瞬の間の後、ガッターンと扉が開き、真っ赤な顔をした父が、スリッパをバタバタいわせて、飛びだしてきた。

「帰るぞ! あんなくそヤブ医者、羊肉と混ぜて燻製にでも、してしまえ!」

 以来、父は、主治医のことを、事あるごとに、ヤブ医者、と呼ぶようになった。
 父にとってはヤブ医者だった主治医も、高校進学の勉強中だったわたしには、国家試験をパスした、尊敬できる立派な医師、だった。こちらの敬意に応えるためか、主治医は、良識ある大人として、わたしに接してくれた。その誠意ある対応は、この歳の、いいオッサンになった今のわたしに対しても、持続しているようにおもわれる。その証拠に、かれは、いまだに、わたしのことを、坊ちゃん、と呼ぶんのだ。
 三年前の冬、様態の悪化した父の往診にわが家を訪れたとき、かれはこう訊いた。

「坊ちゃん、一つ、大切なこと、お聞きしますけど、お父上の状態が、いざというとき、ですなァ、そのォ、延命治療、なさいますか、それとも…」
「そのことですが…」

 他人に訊かれるまでもなく、進行したパーキンソンで数年まえから寝たきりの父とは、すでに納得済みのことだった。

「延命は、やりません。オヤジも、常日頃、そうしてくれ、と、いっておりますから」
「いや、さすがですなァ、お父上も。それにもまして、坊ちゃんも、さすがですなァ」
「なにが、さすが、なんですか?」
「いえね、人間、なんぼ理性を働かせて生きてても、いざというときは、情に流されてしまうもんでっせ。ましてや、今まで、自分を生んでくれて、育ててくれて、ずっとそこに居はったひとが、ですよ、急にいなくなろうとしてる、そんな最期を目の前にして、でっせ、なかなか、そんな、理性的に、なれるもんや、おまへんがな。さすがですわ、坊ちゃんは」
「いや、というより、オヤジも、冗談か本気か、わかりませんけど、よくいってましたよ」
「ほう、なにをです?」
「最期は、病院やのうて、あのヤブ医者呼んで、うちで看取ってもらわな、あかんのや、と」
「ヘッ、そんなこと、いうてはりましたか! 主治医として、なんと、名誉なこってすなァ!」
「分けを訊くと、とにかく、あいつはヤブやから、延命してくれゆうても、必ず失敗しよるに決まっとる、おかげでおれは、安心して、あの世にいける、っちゅうわけや、とか…」
「ほッ…ゥーワッハッハッハッハ、ハァー…」

 この主治医とわたしと父との間には、どこか因縁らしきものがある。
 まず干支だ。三人そろって一回り違いの申年で、わたしは父が二十六歳のとき生まれ、青年主治医が最初に父を診たのは、かれが二十六歳のときだった。 
 つぎに、ごく最近まで知らずにいたのだが、長年、おなじ居住地を共に生きてきた隣人だったのだ。わたしの家系は、代々、建築屋で、戦時中は、満州で幅広く商いをしたが、敗戦で無一文、母子は半死で引き上げ、所帯主はシベリアに抑留された。主治医の家系も、代々、開業医で、戦時中は、やはり満州で開業していたが、敗戦でそれをたたみ、戦後は元の古巣で細々と開業医をつづけた。
 やがて朝鮮戦争を契機に、父君が才覚と算用をはたらかせ、近所のお医者さんから総合内科専門医院へと成長、地域医療の担い手として、官民ともに功を認める医療施設に変身した。おなじ地元民がおなじ植民地に進出し、おなじ元の木阿弥から出直す、というのも、なにかの因縁ではないか。

 そして、この大震災だ。千年に一度の大地震といわれているが、そもそも千に一つの厄災を共に被ること自体、すでに、深い因縁で結ばれている。
 一瞬にして瓦礫と化した建物、土台を上に逆さに転がった家屋、更地に捨てた古材と化した住宅、劫火に焼かれたひと、焼け出されたひと、瓦礫の下敷きになったひと、家具や設備に圧殺されてひと、たまたまそこにいた旅行者たち…いったい、なんの因果で、こうなった? 倒壊した構造物や、非業の死を遂げた人々が、どれほどの数になるのか、現時点で分かりようもないが、生き残ったわたしや他のひとたち、倒壊を免れた家屋や建造物とくらべ、どこが違い、なにがどう作用したのか、わたしではなく、かれらがこの世からいなくなる理由が、どこかにあったのか?…。

 五年前、成田のホテルまで迎えにきてくれたとき、主治医は、ベットに横になったわたしの顔を覗きこんで、こういった。

「ヘェー、坊ちゃんも、それなりに、トシ、とりはりましたなァ」

 そして、こう問いかけた。

「わたしのこと、分かりますかァ、このカオ、覚えたはりますかァ?…」

 しばらく、皺だらけの老いた顔を、眺めたが、ようやく、遠い記憶の奥から、白衣を着けた青年医師が現れた。

「ああ、あの、芦屋の…」
「そうですがな、あの、芦屋の、ヤブ医者ですがなァー。よう、気がつきはりました、よう、覚えといてくれはりました、もう、大丈夫でっせ、すぐに、なおりまっせェー」

 だが、すぐには治らなかった。記憶を辿ろうとすると、いきなり高校進学時代に突然タイムスリップ、あわてて戻ると、皺くちゃの主治医が、いつもわたしを覗きこんでいた。
 その主治医が、三年まえ、父の通夜の席で、一杯のみながら、妙なことをいったのだ。

「わたしが駆け出しのころ、やったんですけど、お父上には、胃カメラのんでいただいて、感謝、感謝でしたんですよ。あれは、わたしが、無理いうて提唱した、最新の検査技術やったんですけど、おかげさまで、ちゅうたら、自画自賛しとんのか、と、また怒られてまうかもしれませんけど、ご本人には、医療技術の向上に貢献していただいた上に、こうした、長寿の人生を全うしていただくことができましたし、ほんま、結果として、わたしの提案が、功を奏した、と、いえなくも、ありません、でしょうね。ほら、坊ちゃん、にしても、そうでっせ、わたしの臨床提案を受け入れてくださったんで、こうして、順調に治療、させてもろてるんでっせ、坊ちゃん」

 なんのことをいっているのか。

「順調に? 治療? なんのこと、ですか?」
「いえ、坊ちゃん、実家に帰らはった早々に、これでやってみましょう、いうて、お薦めした臨床療法ですがな」
「臨床療法?」
「はい、坊ちゃん、鉛筆をつこた、筆箱療法、ちゅうやつ、ですがな」
「筆箱療法?」

 なにをいっているのか、この医者は。

「箱庭療法、というのは、きいたこと、ありますけど、筆箱療法、なんて、ついぞ耳にしたこと、ありませんなぁ」
「だから、わたしが独自に開発した治療法で、業界では、まだ一般的に、認知されておりませんが、それでもやってみはりますか、て、お訊きしたでしょう、そしたら、うん、ゆうて、OKしはりましたがな」
「ヘェ…、で、それが、なにか?」
「なにか、って、坊ちゃん、しっかりしてくださいよ」
「え? わたし、まだ、ボケでませんが」
「ボケてる、やなんて、そんなこと、だれがいうてますねん」
「しっかりしろ、とは、遠回しに、そういいたいんじゃ、ないんですか?」
「あのね、坊ちゃん、よろしおます。ほら、お父上も、こうやって、聞き耳、たてておられまっさかい、誤解のないように、もう一度、しっかり、わたしの筆箱療法について、あらためて、ご説明、させていただきます」

 主治医は、にわかに気色ばんだ。

「おもしろうですな、さあ、どうぞ」
「そんな、他人事みたいに、いわんといてくださいな。あのね、わたしが提案した筆箱療法には、筆箱と大学ノートをつかいます。そこで、まず坊ちゃんに質問、筆箱開けたら、なにが入ってますか?」
「なにがって…鉛筆、ボールペン、ケシゴム、その他…」
「鉛筆削り用のナイフとか、安全カミソリの刃とか?」
「ええ、わたしの場合は、肥後守、ですかね」
「ま、肥後守でも、なんでも、ええでしょう。わたしの提唱する筆箱には、HB、B、2Bの鉛筆一本ずつ計三本とケシゴム、それにT字型髭剃用の替え刃を脱着できる折りたたみ式小型ナイフ一個、が入ってます」
「ずいぶん細かい、ですね」
「大切なことは、蓋を開けてから、まずやること、です」
「まず、やること?」
「まず、鉛筆削りから、はじめます。一本一本、芯の先が尖るまで、ていねいに削ります。十分に気を静めて、集中して、注意散漫にならんように、ね」
「ほう…」
「それから、大學ノートに、書くんです」
「大学ノートに、書く?」
「はい、もう、よう知ったはるとおもいますけど、なんでも、ええんですよ。昔の思い出とか、最近の出来事とか、詩とか、歌の歌詞とか、小説とか、エッセーとか、とにかく、なんでも、ええんですよ、頭に浮かんだことを、つぎつぎと書いていく」
「ほう…で、どれくらいの?」
「時間ですか? 集中力を考えると、一時間単位ですかね」
「たった、一時間?」
「つまり、最低一時間、ちゅうことですわ。何時間でもけっこうですけど、一時間おきに休むこと、集中が途切れますからね」
「どうして鉛筆、三本、あるんですか?」
「この作業、文字でデッサンする、ようなもんやから、ベースはHBで、強調したい部分や、アクセントつけたいとこには、Bとか2Bとかを、うまく使うんですよ」
「表題書いたり、太字にしたり、枠づけしたり…なるほど。で、書き終わったら?」
「鉛筆を終い、蓋をし、ノートを閉じ、机上に整頓してから、パッと、離れます」
「パッと、はなれる?」
「いましがた行った作業を、全部、きれいさっぱり、忘れるためです」
「どうして、わざわざ?」
「これね、そこがミソなんですよ。つぎの作業で、いま終わったばかりの作業を、できるだけ正確に思い出すために、記憶機能を刺激し、活性化するための、訓練なんですよ」
「記憶機能を刺激し活性化するために、せっかく書いたことを、忘れる?」
「ずばり、そういうこと。コートを脱いで、洋服ダンスに仕舞たら、そのこと、いちいち、覚えてないでしょう。ところが、コートのことは、まーず、忘れたりしませんもんね」
「なるほど」
「わたしねェ、坊ちゃん、記憶には、二つ、二種類、あるとおもてるんですわ」
「二種類?」
「はい、簡単にいえば、身体の記憶と意識の記憶、ですわ」
「からだの記憶? いしきの記憶?」
「坊ちゃん、羹に懲りてなますを吹く、て、よういいまっしゃろ」
「失敗に懲りて、無駄な用心をする、ということでしょ」
「さすが坊ちゃん、諺のいわんとするところは、そのとおりなんやけど、もともとの古事にたちかえってみますとね、羹、ちゅうのは、熱いお吸い物、でしょ、それを不用心に吸ったがために、口んなかをやけどする、ちゅうことですわな」
「それに懲りて、熱くもないのに、冷まそうとして、フーフー、吹いてしまう」
「そこなんですわ」
「なにが?」
「熱い! ちゅうのは、身体がした記憶、でっしゃろ?」
「そうですね」
「しかし、フーフー吹く、ちゅうのは、やけどせんように意識がはたらいて立てた戦略、つまりは、意識が、身体の記憶をベースに刻んだ、意識の記憶なんですよね、坊ちゃん」
「なるほど。すると、二つの記憶は、別々に併存してる、てことですかね?」

「とんでもない、その逆ですよ。この二つは、お互いに深くかかわっていて、でっせ、しかも、連還しあってるんですよ、坊ちゃん」

 連還?…そうか、これは、あの日、父の通夜で、主治医の口からでた言葉だったのだ。そのことを、たったいま、おもいだした。そして、その言葉が、実は、どこだったか、いつだったか、あのまえだったか、あとだったか、どこかべつのところ、だったのか、とにかく、だれかの口から、まことしやかに、わたしの耳に聞こえてきて、いつのまにか、意味のある暗号のように、他人のあたまのなかを、一人歩きしていたのだ。
 酒をつぎながら、あのとき、たしか、わたしは、主治医に、こうたずねた。

「その、れんかん…て、連還…のこと、ですか?」

 すると、かれは、とてもうれしそうに、こう答えた。

「そうですよ、坊ちゃん、よう、覚えといてくれはりましたなァ」

 意外だった。まるで、お互いに了解済みの、周知の記憶を、共有しているような、反応だった。

「え? 覚えとく…て、どういう意味、ですか?」
「いや、これね、坊ちゃん、口で説明するの、すごく難しいんやけど」

 注がれた酒をすすりながら、かれはいった。

「そやけど、な、あえて、くりかえして、申しますとね、そうやなァ、コインの裏表、ちゅうか、いや、そうやないな、裏と表が一体になってて、いつも通じ合って動いてるもの、ちゅうか、ほれ、あのー、こんな、妙な形した輪っか、みたいなもの、あったでしょ、あの、何とかの輪、ちゅう…」
「メビウスの輪?」
「そ、そ、そうですがな、坊ちゃん! さすが、坊ちゃんですがな!」
「その、坊ちゃん、坊ちゃん、ていうの、いいかげん、やめてくれませんか」
「なんで、です?」
「なんでって、ボッチャン、ボッチャンと、底なし沼に、どんどん、落ちこんでいくみたいな、暗い気持ちに、なってくるじゃ、ないですか」
「そんなこと、ありまへんでェ、あらしまへんがな、そんなこと。わたしにとって、坊ちゃんは、いつも、あの中三の、かわいらしい坊ちゃん、ですがなァ。あきまへんか。やっぱり、あかん、気になる、ちゅうんやったら、ボンて、呼ばせてもらましょか、坊ちゃんのちゃんをとって、ボン、とね」
「ボン?」
「そうです、ボン、ですわ。これから、沈むどころか、ボン、ボン、浮いてきまっせェー」

 父を送ってから、何回か主治医と会ったが、その後、わたしのことを、ボン、とよぶようになったという記憶はない。多分、忘れているのだろう。
 ところが、大震災発災から数か月たったある日、玄関先で、いつもの、聞きなれた声がした。

「ボン、ボン、いはりますかァー、わたしですゥー、ボンー、…」

 めずらしく、主治医だった。大きな声だ。近所迷惑を考えて、インターホンでも使ったらどうか。いまだに一度も利用したことがない。どういうことか。しかも、普段なら、電話で、たまには遊びに来はったらいかがですか、などと、遠まわしに診察室まで誘いだそうとするのに、きょうは、どうしたというのか。
 鉄扉越しに外の様子を探ると、ひとりではないらしい。紺色の制服らしきものが、ちらちらと見える。お巡りが一緒ということか。急に落ちこんだ気になった。大震災の直後だ。警官がそこにいるだけで、尋常でない事態を想定してしまう。

「どうも、ご苦労さま、なん…ですが、なにか、事件でも?」
「いや、いや、ボン、そんなこと、ありまへんけどな」

 こちらの懸念を察したのか、ずいぶんと明るい口調だ。

「実はね、ボン、さっき、うちのクリニックに、駐在さんが訪ねて来はりましてね、この写真のひと、患者さんにいませんか、て、訊かれたもんですから、どうみてもボンやし、いろんな事情、ありそうなんで、直接、本人と、はなし、してもろたほうがええやろ、ちゅうことで、お家まで、お連れした、ちゅうわけなんですけどね、ボン、これですわ…」

 いいながら、主治医は、白い角形封筒を、わたしの手に置いた。封を開いて中身をとりだすと、L版三枚の写真が出てきた。
 一枚目の写真には、ラクダのコートの襟を立て、人気のない夜の街路をいく、男性らしき後ろ姿が、全身大で写っていた。背格好をみると、本人らしくみえるが、確証はない。ただ、ラクダのコート、とくに、光沢感のある生地やそのウェスト周りのスリムカットからして、成田空港の医務室に収容されたときから、ずっと脇に抱えていたコートそのものであることは、たしかだった。自分にまちがいない、とおもった。
 二枚目には、数人の被災者にまじって、紙皿のソバをかき込む自分の姿が、大写しで写っていた。場所は、まちがいなく、あの炊き出しの公園だった。

 だれが、撮ったのか?…写真をながめながら、しばらく、発災後の記憶をたどった。日めくりを戻すように、過日を遡ることはできなかったが、公園での数日のできごとは、すぐにおもいだすことができた。
 最初に炊出しの青年と会った日、望遠レンズを装着した立派なカメラをぶら下げた、いかにも報道カメラマン、という感じの青年がいた。そうか、かれが、炊き出しで癒される被災者、といったテーマで、いつの間にか撮っていたのだ。

「これ、わたしですよ。多分、これ、あの二号線脇の公園で、撮ったものですよ」

 主治医も警官も、ふんふん、と、頭を縦に振ってうなずきながら、三枚目を見るように、わたしをうながした。そこには、男の子が、ポピー畑でひとり、寝そべっている姿が、写っていた。だれだ? どこの子だ?…おもいだそうとしたが、自分のなかには、なんの手がかりもなかった。幻の記憶を辿ろうとして、しばらく糸口を模索していたが、そのうち、どこかから、にわかに、みどりの香りが、かすかに漂ってきて、ずーと遠くの、柔らかい女の、ポピーよー、ポピーよー…と呼ぶ声が、耳の奥のほうから、聞こえてくるような気がした。
 途端に、芝生の感覚が、肌によみがえった。

「これ、ポピー畑、ですよね」
「はあ、そのようですな」

 警官が応じた。

「しかし、なんなんですかね、この写真は?」
「心当たり、おまへんか?」

 今度は、主治医が応じた。

「ありませんねぇ…」
「そやけど、さっき、たしか、ポピー畑、て、ゆうてはりましたなァ」
「ええ、いいましたけど、なにか?」
「どっかに、見覚え、ありまんのか?」
「いえ、なにも。だって、ポピーが群生してますから、ハタケ、でしょう?」
「そりゃ、まァ、そうですわなァ」
「この子、誘拐でも、されたんですか?」
「誘拐?!」
「だって、いきなり子供の写真みせられて、心当たりないかと訊かれたら、行方不明の捜索でもしてるんじゃないかと、おもうじゃないですか」
「そりゃ、まァ、そうですわなァ」
「そりゃ、まァ、そう、ですわって! じゃあ、わたしが誘拐したとでも!?」
「いえ、いえ、とんでもない! 誘拐なんて、とんでもありませんよ」

 警官が割って入り、強く、丁寧に、否定した。

「それじゃあ、わが家に、なにしに、いらしたんですか?」
「実は、ですね、この封筒の中に、写真と一緒に、こんなものが、入ってたんですよ」

 みると、折りたたんだ便箋らしきものだった。それを、主治医が警官の手から取り上げると、すぐに、わたしに手渡した。

「二つ、ありましてね。ほら、一つは分署あて、もう一つは、この写真の紳士、つまり、ですな、もし、これがボンやったら、ですよ、ボンあての手紙、ですわ」
「わたし、あて?…」

 薄いエアメール用の便箋だった。きっちりと四つ折りにし、その一面に、宮川分署防災担当係宛、と書いてある。印刷文字かとおもうほど、端正な字体だった。すぐに開き、目を通した。

芦屋警察宮川分署防災
阪神淡路大震災対策担当係さま
拝啓、
 過日、貴分署で事情聴取を受けました炊出しボランティアのものです。さっそくのお願いで、大変申し訳ありません。
 聴取時に同席した被災者の方の写真を知人に見せたところ、知り合いの友人によく似ているので確かめてほしい、との依頼を受けました。
 つきましては、被災者の方の写真と、友人が被災者の方宛に書いた手紙を同封いたしますので、もし可能でしたら、この被災者の方に、お手渡しねがえませんでしょうか。
 突然のお願い、大変恐縮しております。友人が是非に、ともうしております。よろしくお願いいたします。
                              敬具

「なんですか、これ?」

 キツネにつままれたとは、こういうことか。見知らぬ人の見知らぬ友人から、わたし宛の手紙が届いている?

「この、炊き出しボランティアって、さっき、わたしが食べていた焼そば、あれを作ってくれた、あの、スキー帽の青年の、ことですかね?」
「本官の記憶では、そうだと、おもっております」

 警官が応じた。

「あなたの記憶?」

 わたしには、この警官に会った記憶はなかった。

「あなた、あの日、分署に、いらっしゃいました?」
「いえ、いえ」

 警官は笑いながら説明した。

「巡回中に、あの公園で、みなさん、いらっしゃるところを、お見掛けしまして、分署にその旨、報告しましたが、なにしろ、管轄がありまして、あとは、本官ではなく、他の係官が対応することになりまして…」
「とにかく、ボン」

 また、主治医が割って入ってきた。

「いろいろ、あるやろけど、時間も時間やし、まずは、ボン、その被災者宛の手紙、よんでみはったら、どうでっしゃろか? 読む、だけやったら、損にも得にも、ならしまへんでしょうし、ね」

 たしかに一理ある。他人の家の玄関先で、雲をつかむような話に、ああでもない、こうでもない、と時間を割くのも、おとなの分別がやることではない。わたしにしても、あの震災以来、何事にも集中できず、注意散漫で、畢竟、頭の中で雑多な記憶が錯綜し、ときには整理がつかなくなって、終日、ボーッとしていることさえ、あるのだ。おたがい、まともな認知機能の存立が危ぶまれるほどに、天災の威力とは、抗しがたいものなのか。

「それもそうだな…とにかく、目を通してみますかね…」

 改めてみなおすと、四つ折りした便箋の一面に黒のボールペンで、先輩へ、と書いてある。主治医が、それを人差し指でなぞりながら、いった。

「なんや、ここに、先輩、て書いてますけど、このひと、ボンの後輩やった、ちゅうことですか?」

 薄手の紙をほぐし、ほぐし、便箋を開いてみると、本文の書きだしにも、まず、先輩へ、と書いてあった。

「で、なんて、書いてはります?」

 主治医が、読みたい一心で、覗きこもうとする。その好奇の目付きに気圧されて、わたしは、いつのまにか、声に出して読みはじめていた。

「…先輩へ、被災地の公園では、いろいろためになるお話を聞かせていただき、大変勉強になりました。その後、お元気でお過ごしですか。ぼくは、あのあと、トレースのバイトで少し稼げたので、さっそく、山開きの立山までいってきました。雷鳥沢をベースに三日間、気の向くままに、のんびりとした散策(劔御前、雄山、ミクリガ池など)を楽しみました。最終日は板を付け、御山谷を黒部ダムまで滑降、しばし、爽快な山岳ライフを満喫しました。ところで…」
「ちょっと、すんません」

 唐突に、主治医が遮った。

「すんません、この、トレース、って、なんでっか?」

 間の抜けた質問だった。

「トレースって、製図のことですよ、図面を描くバイトで稼いだ、ということですね」
「ほう…」

 なにを感心しているのか?

「この青年はね、建築家のタマゴ、らしいですね。たしか、四年目とかと、いってましたよ」
「そうかァ、建築家かァ、それで、ボンが先輩、ちゅうわけやね?」
「そうじゃないですよ。あれは、単に、かれらにとって年配者、ということで、とりあえず、先輩、ていうことに、なったんですよね」
「かれら?」
「もう一人、青年がいましてね。真っ黒に日焼けした、精悍なカメラマン、でしたよ」
「あ、その、キャパとかというひと、でっか?」
「どうして、キャパのこと、知ってるんですか?」
「いや、すぐ先に、書いてありますよ」
「すぐ、さき?」
「その手紙ですよ、ほら」
「あ、そう、ですね…」

 目ざといヤツだ。

「じゃあ、つづき、いきますか」

 わたしはつづけた。

「…ところで、フォトジャーナリストのキャパさん、覚えてますか? 先輩が、ぼくの作った焼きそばを、美味しそうに(?)食べているところを、一枚、撮ってくれていました。同封で送ります。それと、先輩と別れた最後の夜、テントで整理してる間に、いつのまにかいなくなったので、あとを追っかけて一枚、撮りました。それも送ります」
「これや、これや」

 主治医が、さっきの外套姿の写真を指さして、いった。わたしは無視して、つづけた。

「…ここで、ぼくの家族の話を少し。ぼくに兄がいることは、先輩にはなしました。ぼくは日本(母)とフランス(父)のハーフ(分署のキャリアに見抜かれましたけど)兄は純粋の日本人です。兄の両親が離婚し、日本人の母がフランス人のバツイチ男性(つまり、ぼくの父)と再婚しました。なので、連れ子同士の兄弟、といえば分かりいいです。不思議なのは、ぼくはオンナとしてうまれたオトコ(これもキャリアに見抜かれました)なのに、兄はオトコとして生まれたオンナ、ということです」
「ほう…どない、なっとんや」

 医者らしくない言辞だ。

「…二人とも、初めて会ったときからとても気が合っていて、実の兄と妹、みたいに親密で、気の置けない関係です。まるで合わせ鏡を見ているようです。旅行や山行のあとは、必ず報告したりしています。だいぶまえに、阪神淡路大震災のことで心配した兄から連絡があったので、山開き山岳ライフの報告もかねて、焼きそばを食べる被災者の写真と一緒に、炊出しボランティア活動についても知らせました。すると、母から、被災者の中に自分の知り合いに似たひとがいるので調べてくれないか、といってきました」
「知り合いに似てるひと、やて?」
「そう書いてありますね」
「だれがや?」
「焼きそばを食べている被災者…」
「焼きそば食べ…?それ、ボン以外におまへんがな」 

 たしかに、大写しの中で、顔全体が写っているのは、わたしだけだった。

「ボン以外に、おまへんがな、ボン、心当たり、ありまへんのか?」
「ある分け、ないじゃないですか」
「ということは、他人の空似、ちゅうこってすかね」
「でしょうね」
「ほんなら、このポピーの子、なんでっしゃろか?」
「なんでしょうね」

 知る分け、ないだろ!

「なんで写真まで、送ってきたんやろ…ボン、ほんまに、心当たり、おまへんか?」
「また、なんで! あるわけ、ないじゃないですか! 見たこともありませんよ、こんな子」
「そうかァ、おまへんのかァ…ほなら、さき、いきましょか、お母ちゃん、なにを調べてくれ、ゆうたはるんやろか、なんや、分け、わからんように、なってきましたなァ」

 とことん失礼、いや、無礼なヤツだ。他人を茶化すような、この横柄で無神経な態度、よほど忠告してやろうとおもったが、ぐっと我慢して、あとをつづけた。

「…母は、被災者の男性に同封の子供の写真を見てもらって、なにか心当たりがあれば連絡してほしいと伝えてくれ、といっています。連絡先を書いておきますので、思い当たることがあれば、ぜひ、連絡してください。お願いします。では、また、お元気で」
「…で?」
「これで、終わりです」
「なんや、それで、終わりでっか?」

 どこまでも厚かましいヤツだ。

「そうです。あとは、署名だけです。が…」

 便箋をたたみ、三枚の写真と合わせて封筒に入れようとしたとき、ふと、妙なことに気がついた。ポピーと少年の写真の裏に、朱色のマジックペンでなにか書いてある。横文字らしいが、アルバムから無理やり剥がしたのか、ひっつれた糊付けの跡が、黒い斑点になってあちこちに付着している。よく読めない。

「なんか、書いてますなァ」

 目ざとく主治医がみつけた。

「横文字ですなァ、英語やないみたいですな」 
「スペイン語のようですね」
「なんて、書いてます、ボン?」
「えーと…十月十日、ぼくが生まれた日、ゲバラは逝った…」
「ゲバラ?」
「ええ」
「あの、キューバ革命の?」
「でしょうね」
「こんなガキ、いや、子どもが、なんで革命戦士の死んだ日なんかに、興味あるんやろか?」
「どうしてでしょうね…自分の写真の裏に、わざわざ…特別な想いでも、あったんでしょうね…」
「ところで、ボン、ハラ、減ってませんか?」

 突然なにをいう? 情操に欠けたヤツだ。

「ハラ?…」
「そろそろ、お昼でっせ、インデアンカレーでも食べにいきましょ。駅前に、うまいとこ、ありまんねん。ご馳走、しまっさかい、さ、お巡りさんも、一緒に、どうです、いきましょ」
「いや、本官は…」

 誘われた警官は、丁重に断ったが、そこまで、ご一緒しましょう、と気軽にパトカーを回し、二人を乗せて駅前まで送ってくれた。
 主治医からインデアンカレーと聞いたとき、頭のどこかで、カーン、ツツツツーン…と微音が響きわたった。途端に、重力の何倍もの力で、地の底に吸い込まれる感覚が蘇り、未明の、薄明りの中で、何度も、ひし形に変形する四角い天井のことが、おもいだされた。

「ボン、どうかしはったんですか?」

 テーブルの対面に座った主治医が、わたしの顔を覗きこんで、いった。

「顔色が、ちょっと、すぐれまへんなァ、大丈夫でっかァ…」
「いや、ちょっと、震災のことを、おもいだしたもんですから…」

 いいながら、わたしは、すこし気後れした気になった。実は、かれのクリニックは、発災と同時に、救急医療センターとして、昼夜を問わず、際限なく運び込まれる被災者の救援に、あたったのだ。

「震災ですかァ…大変でしたなあァ…」
「院長先生のあなたも、ずいぶん、頑張られたと、聞いています」
「頑張るもクソも、やる以外、助ける以外、ありまへんがな。指のちぎれたひと、腕を潰されたひと、下半身不随、腹部裂破、挫滅、圧挫…ひどいもんになると、目玉にガラスが突き刺さったまま、かつがれてきた半死の女の子も、いはりましたなァ…」

 眠る時間もない救助活動にあけくれた主治医にしてみれば、わたしの体験など、微々たるものだろう。

「阿鼻叫喚…ですね」
「いや、みなさん、そうおっしゃいますけどね、ボン、日本人て、不思議でっせェー、あれだけ酷い目におうてんのに、泣き叫ぶひと、だれもいたはりまへんねん。みんな、グッと我慢してね、ほんま、他人をおしのけて自分が助かろう、なんちゅうひと、ひとりも、いはりませんでしたわ。反対に、他人を気遣うてね、自分より酷そうなひと、いはったら、先に診てあげて、ちゅうて、順番、譲りはるんですわ。それみたら、ほんま、医者のわたしでも、グッと、きまっせェ、ここに…」

 主治医は、右手の握りこぶしで、左の胸をたたいた。

「ボンも、世界中、歩きはったから、よう、分かったはるでしょうけど、あっちは、まず自分、の世界でしょう。日本人、て、ほんま、変わってますわ」

 世界中歩いた?…いつ、どこを、どうやって…なにも思い出せなかった。ただ、雑多でまぜこぜの感覚が、自分の周りで渦まいていて、その吸引力に、思いのままに引きずりまわされているような気がして、ならなかった。

「ボン、食べましょ」

 見ると、カレーライスと添え物が、目の前にあった。

「これ、これ、これが、旨いんや、ボン、これが、旨い」

 主治医は、割り箸で小皿から添え物をとりあげると、さっと口に放り込んで、ポリポリ食べはじめた。

「このキャベツの酢漬け、これが旨いんや! ボンも、はよ、食べなはれ」
「キャベツの酢漬け…」

 いわれるままに口にいれた。かるい酢の味に、ほんのりと甘味が加わっている。なつかしいとおもった。

「甘酢味…キャベツ…カレーの…あ…」

 急に、ある場所の名前と情景が、あたまに浮かんできた。

「大毎…地下…大毎地下…堂島…映画館…カレー…インデアン…インデアンカレー…」
「ボン!」
「…えっ!」
「なんか、思い出しはりましたんか?」

 主治医が目をむいた。

「あ…これ、あの…キャベツの味、ですよね、それに、このカレーのにおい…どこかで嗅いだことがある、とおもって…」
「どこか、て、なんや、さっき、大毎地下とか、映画館とか、呟いてはりましたけどな」
「その、大毎地下、って、たしか、大阪に、ありましたよね?」
「はいィ、ありますがな、堂島の地下街に、ありますがなァ」
「そこに、映画館、ありましたっけ?」
「はいィ、ありまっせェ、むかしも、いまも、ありまっせェ」
「そこ、先生も、いかれたこと、あるんですか?」
「ありまっせェ!」

 主治医はのりだして、いった。

「あそこはね、ボン、便利なとこですわ。なんせ、ビジネス街でっしゃろ、出張の行き帰りとか、待ちあわせ時間の調整とか、体力気力の充電タイムとか、たまにずる休みとか、いろんなひとが、いろんな用途で、気ままに立ち寄って、時間、潰しはるんですわ」
「先生は、なにしに?」
「わたしはね、学会の行き帰りなんかに、たまに利用させてもろてるんですよ」
「学会、て、そんなに、ひま、なんですか?」
「いやいや、ひま、ちゅうたら、ひまやけど、たまに、東京でプレゼン、発表、なんか、せなあかんときが、あるんですわ、そんなときには、ね、行くまえは英気を養うために、帰ってきたら、自分にご苦労さん、ちゅう感じで、ね、一本、観てから、帰りますねん」
「ほう…」
「ボンも、ひま潰しに、しょっちゅう、あそこに、いってはったんでしょう? 顔に書いてまっせ」
「…はぁ…」
「どんな映画、観てはったんですか?」
「どんな映画、ですか…ちょっと、思い出せませんなぁ…」
「わたしね、ほら、ちょうどボンが、高校に進学しはるころ、二十五、六歳のときやったかな、オヤジが株主やったんで、そこの映画の招待券、家に届いてるの、しょっちゅう目にしてたんですわ」
「へぇ…」
「そやのに、わたし、あんまり興味なかったんで、映画に行くこと、めったになかったんですけど、ちょうど、あの日、なんの用事やったか、忘れましたが、堂島に出かける用がありましてね、わざわざ行ったんですけど、なんや、途中で、ポカーと時間があいてしまいましてね、どないしょう、おもて、うろうろしてたら、地下に一軒、映画館あるの、見つけたんですよ、ほなら、映画でもみたろ、おもて、窓口で看板みたら、なんや、家に招待券送ってくる映画館の名前が書いてあるやないですか、わァー、もったいないなァ、こんなんやったら、招待券もってくるんやったァ、とおもたんやけど、家まで取りに帰るわけにもいかんでしょう、で、結局、自分で金出して、切符こうて、観ることにしたんですわ」
「それで、なにを観られたんですか?」
「ボン、知ったはりますか、ジュン・アリスン、ちゅうアメリカの女優さん?」
「ジュン・アリスン?…」
「マーガレット・オブライエンは?」
「マーガレット・オブライエン…」
「ジャネット・リーは、ジャネット・リンやおまへんで、ジャネット・リーでっせ?」
「はぁ…」
「ほんなら、エリザベス・テイラーは?」
「エリザベス・テイラー?…」
「ボン、なにも、知りはりませんな」
「すみません…」
「これね、若草物語、ちゅうアメリカ映画ですわ」
「若草物語?…」
「さっきいうた女優たちが、四人姉妹を演じてましてね、それが、まあ、なんと、可愛らしいい、ちゅうか、魅力的、いや、むしろ魅惑的、ちゅうか、心中、ほだされましてね、以来、この映画、わたしのバイブルですわ、いままで何回観たか、憶えられんほど、ですわ」

 バイブル?…変わったオッサンだ。どこかの文豪の作品に、つい、初心な心を奪われた、というのならともかく、たかだか映画ひとつに、そこまで感動するのも、いかがなものか。

「その顔、たかが映画ひとつに、なんでそこまで、と思てはる顔、ですなァ、ボン」

 読まれてしまったか…。

「いや、いや、とんでもない、そんなこと、おもってもいませんよ」
「ま、よろしおまっしゃろ、ひとの価値の置き所、なんちゅうのは、百人おれば百人、千人おれば千人とも、違う基準、持ってまっさかいな、なにも、ボンのこと、攻めてるわけやおまへんで」
「攻めるなんて、ひとそれぞれ、ですからねぇ」
「ボンも、ここ、胸に手あてて、よう考えてみはったら、どないです?」
「な、なにを、ですか?」
「映画ですがな、いま、映画のはなし、してますんや。つまり、大毎地下でもええし、ほかの映画館でもええし、ボンが、いままで観た映画んなかで、なにが一番おもしろかったやろか、自分の生き方を、根本から変えてしまう迫力で迫ってきた映画って、あったんやろか、あったんやったら、どんな映画やったやろか、みたいなことを、ね、心をひらいて、じっくり考えて、ゆっくり思い出すようにしはったら、ええんやないかなァ、なんて、いつも、おもてるんですわ」

 ずいぶんご親切なことだ、他人のことを、そこまで…。

「それが、若草物語、だったんですね、先生の場合は」
「そういうことですな、恥ずかしながら」
「すると、わたしの場合は…」
「なんか、心あたり、あるでしょ?」
「あれば、いいんですけど…ま、心をひらいて、じっくり考えて、ゆっくり思い出すようにしま…あ…」

 キャベツの酢甘漬けをのみこんで、カレーライスをひとくち、スプーンですくって口にいれようとしたとき、鼻の周りに、ぷーんと、遠いむかし、どこかで嗅いだことのある匂いが、漂った。

「…この香料は…」
「そや、そや」

 主治医が、口をもぐもぐさせながら、ぐっと乗り出した。

「恥ずかしついでに、もうちょっと、はなしますとね、その愛らしい四姉妹、観たあと、あんまり感動したもんやから、思い切りハラ減りましてね、映画館でるなり、なんか食おう、おもて、うろうろしてたら、どっからか、プーンと、えらい、ええ匂い、してきましてん。うわっ、カレーの匂いや、よし、この際、カレーでも、思いきり食うたろ、おもて、クンクン、鼻きかせて、やっとたどり着いたところが、なんと、このインデアンカレーの老舗、やったんですわ。こことは大違い、こんな小ちゃな、かわいらしい、カウンターだけの、小っちゃな店やったけど、味は抜群でしたね。それに、このキャベツの、添え物もね」

 以来、大阪に出向くときは、遠回りでも、必ず寄るようにしていたのだが、そのうち、芦屋の駅前に新店舗ができたので、わざわざ堂島まで出向くことはなくなった、という。

「蛇足になりますけどな、ボン」

 主治医はつづけた。

「あれね、巧妙に仕組まれたワナ、でしたな。地下街で、換気わるいでしょ、それをええことに、そこら中に、匂いの種、まき散らすんですよ。そうするとね、わたしらみたいな、ハラすかした悲しい通行人が、クンクン、鼻ならして、寄ってきはるんですわ。匂い一つで千客万来、さすがは野球選手の奥さん、戦略家ですなあ」
「野球選手の奥さん?…」
「ボン、知りはりませんでしたか? わたしも、そう詳しいことは知りまへんけどな、あそこの店主は…」

 戦略家と聞いたとき、心のどこかで、そんなひとじゃない、と、否定する自分がいることに、おどろいた。

「あそこの店主って、女の人…でしたよね」
「そうですがな、やり手の女将ですがな」

 主治医は、何度も、皿の底をスプーンでこすりながら、いった。

「ほら、ショートカットを茶髪に染めた、やりての、肝っ玉おっ母みたいな、ヒトですがな」
「やりての? 肝っ玉?…」

 そうじゃない…とおもった。そのとたん、鼻の孔から喉の奥まで、カレーの香料でむせ返った。

「いや、そんなヒトじゃ、なかったように…」
「ボン!」

 主治医が遮った。

「なにか、思い出だしはりましたんか、ボン!」
「いや、なにが、なにして、どうなったか、なにも、思い出だせないんですけど、でも、カレーの匂いと、先生のおっしゃる、やりての女将、と、わたしのなかで、どうしても、つながらないんですよね」
「ほう…つながらない…」
「…つまり、わたしのなかで、どうしても、辻褄があわない感じ、が、するんですよ」
「あわない感じが…ほんなら、ボン、どんなひとやったら、辻褄があう感じに、なるんやろか、ちょっと、考えてみてくれはりませんか」
「…そう…ですね…むしろ…」
「むしろ?」
「そのひと、きっと、ショートカットの茶髪で…」
「そこ、一緒ですなァ」
「細身で…」
「細身? ちょっと、ちゃいますなァ」
「たしか、朱色の生地で、半そでの、花柄模様の開襟シャツを着て、そう、全体に、思いきり色白の、吉祥天女みたいなひと…ですかね」
「そのひと、細身と、ちゃいますの?」
「ええ、ほっそりしてて、しなやかなで…」
「ほっそりして、しなやかな吉祥天女、でっか…ま、痩せた天女さんでも、かまいまへんけどな、ハァー、そんなひと、でしたかァ、ひと、それぞれ、ですなァ」
「それと…」
「それと?」
「ゲリラ戦の映画が、つながる…」
「ゲリラ戦の映画! なんや、穏やかではありませんな、で、なんちゅう映画やったんですか?」
「それが、ちょっと、おもいだせないんです…」
「ふーん、思い出せない…か、ほんなら、だれが出てました? 俳優でも、登場人物でも、なんでもええから、頭に思い浮かぶことあったら、口にしてみて」
「そうですね…たしか、都市ゲリラの戦いがあって、主人公が、アリ・ラ・ポワント、とかいう…」
「それ、アルジェの戦い、や! なんで、また、そんな映画を!」
「アルジェの戦い?…」

 そのとき、なぜか、遠い記憶に辿りつく主回路への分岐点に、やっと差しかかったような気がした。

「たしか、隠れ処に逃げ込んだ武闘派の拠点が、革命軍兵士を巻き込んで、建物ごと爆破されるシーンから、始まるんですよね、あの映画は?」
「いや、ちゃいますよ、ボン、しょっぱなに、ギロチンが出てくるんですよ」

 主治医は、食べ終わった皿を脇に押しやると、右手の指を二本たて、コーヒーを頼んだ。

「あのね、こっから、始まるんですよ…鉄格子のなかから、後ろ手に縛られた革命軍兵士が、フランス軍兵士に引きづりだされて、刑場まで引っぱっていかれるんですよ、その間、兵士は、神は偉大なり、独立万歳、アルジェリア万歳、と叫び続ける、監獄には、捉えられた同胞の兵士が、ぎょうさんおりましてね、かれらも、ひとり、またひとり、と、死に向かう殉教者の叫びに呼応して、叫びはじめるんですよ、アッラー・アクバル! アンデパンダンス! ヴィヴ・ラ・ルジェリー! 神は偉大なり! 独立万歳! アルジェリア万歳!…ってね、やがて監獄全体が、革命軍の兵士の叫び声でいっぱいになる、そして、革命への意志と、希望と、高らかな叫び声が、その頂点にたっしたとき、一瞬の静寂を置いて、断頭台の溝に放り込まれた兵士は、 うつ伏せのまま首はロックされ、頭上から、巨大なギロチンの刃が、非情な機械音とともに落下する…転がり落ちる首…こんな具合ですわ」
「いや、そうじゃないな…」

 わたしは反論した。

「わたしも、うろ覚えで、断言はできませんが、そもそも、あの、主人公アリ・ラ・ポワント、ゲリラの親分、ですが、そのアップから、始まるんですよ」

 コーヒーが出てきた。砂糖を入れ、しばらく掻きまわした。

「…で、アジトの、屋根裏か、地下室か、壁の穴か、とにかく、洞窟みたいな、暗闇のなかで、死を覚悟した、三人の顔がアップ、女ゲリラ、男ゲリラ、そしてアリ・ラ・ポイント、ひとりひとり、ゆっくりしたパンで、映し出されるんですよ、灯かりもないのに、独立という、固い信念への執着でか、みな瞳は、闇を突いて爛々と輝いているんです、その間、外では、ずっと、ハンドマイクが叫んでるんです、これから爆破する、おまえたちがいることは分かっている、命を無駄にするな、観念して投降せよ、いまのうちだ、投降せよ…てね、しかし三人は、投降など一顧だにしない、逆に、刻々と迫る死の瞬間を、誉れ高い殉教の証として、貪欲に呑み込もうとさえしている、そんな強靭な意志が、アリ・ラ・ポイントの、恐怖と誉れが錯綜する歪んだ表情に、ありありと表れていて、緋想にして高潔な最後の瞬間を、一民族の独立の象徴として、見事に演出しているんですよね…」
「へー、ボン、すごい説得力ですなァ、まるで、プロかおまけの映画評論ですがな、聞いてて、惚れ惚れ、しまっせ、身の毛がよだつほど、感動しましたわ」
「からかわないで、ください、観たときに感じたこと、それを、そのまま、いったつもりなんですけど…」
「で、その三人、最後は?」
「爆死です」
「やっぱり、家ごと、吹き飛ばされて、一巻の終わり、でっか」
「そうです」
「それにしても、ボン、よう覚えたはりますなァ、細かいトコまで」
「なぜか、映画のつぎはカレーの匂い、て聞いたとき、突然、思い出したんですよ、よほど、感動、したんですかね」
「で、いつごろ、観はったんですか、この映画?」
「そう…中学校は天王寺にありましたから、堂島に行く機会もなかったし…高一くらいですかね、高校が大阪城の近くでしたから」
「高一?」
「ええ、なにか?」
「いや、ちょっと待ってや」
 
 主治医は指を立て、指を折り曲げ、数を数えはじめた。

「ボン、高一ゆうたら、ボンが十四、五のときだっせ、数があいまへんがな、数が」
「数が、合わない?…」
「よろしおまっか、アルジェの戦いが出来たのは、千九百六十六年、わたしが三十三歳のときですわ。ボンは、わたしより一回り下でっしゃろ、そやから、ボンが二十一歳のときや、もう社会人でっせ」
「よく、憶えてますねぇ、制作年まで、詳しく」
「わたし、ぞろ目、大好きなんですわ、三三の六六でしょう、それに、この映画、ベネチア映画祭で金獅子賞、とってるんで、もっと覚えやすいんですわ、三三六六金獅子賞、ほら、完璧でっしゃろ?」
「なるほど」
「それにしても、ボンは、いつごろ、観はったんやろねェ?…」
「高一でないとすれば…まるで、手掛かり、ないんですが…」
「そや! さっきから高一、高一、いうたはるから、高一で行きましょか」
「なにを、ですか?」
「ボンが高一、ちゅうことは、やね、わたしが二十六、七、昭和三十四、五年、ちゅうことは、西暦五十九年か六十年、やね。そのころ起こった、歴史的出来事、ちゅうのは…ま、日本では安保闘争ですな、えらい騒ぎでしたなァ…で、世界はどうやったか、ちゅうと…そやそや、ありまんがな、カストロのキューバ革命、ちゅうのがありまんがな! 革命だっせ、ボン、革命!」

 どういう分けか、キューバと聞いたとき、ドキリ、と強い心拍を感じた。全身に鳥肌が立った。

「ほら、ボン、顔つきが、サッと、変わりましたで、キュッ、と引き締まって、えらい、ええ男に、みえてきましたでェ」
「よしてくださいよ」

 いつまでも、口の減らないヤツだ。

「いや、止めまへんで、ボン、キューバですわ、カストロですわ、あの、チェ・ゲバラですわ!」

 なにかに追い立てられるような気がした。気がはやりだした。動悸が激しくなり、背筋に寒気が走った。

「そんなに、急かさないで、くださいよ」
「だれも、急かして、まへんでェ」

  喰えない顔で、主治医は応える。

「急いではんのは、ボン、ですがな、ボンひとりで、一生懸命…」
「一生懸命?」
「辻褄合わせ、したはりますんや、キューバ、革命、フィデル・カストロ、エルネスト・チェ・ゲバラ、サンタ・クララ…いろんなもんと、やね、アルジェの戦いの、あのギロチンの殉教者、ゲリラの親玉アリ・ラ・ポイント、人民の暴動や民族自決の戦い、などなどが、どうつながってくれるんやろか、と、一生懸命、考えたはりますんや、ボン、そうでっしゃろ?…」

 逐一、気にさわるヤツだ。一言一言が、不愉快だ。こっちのことを、なにも知らないくせに、なぜか、痛いところを、無遠慮に、突いてくる。捉えどころがなく、ボーダレスで、認知不能の邪気がある。だいたいから、この関西弁が、気に食わない。丁寧なようで、実は失礼だ。音感にまどわされ、好意と親しみを感じるが、油断すれば騙されかねない。中身は無礼そのもの、上から目線のくせに、やたら無邪気を装って、濡れたマシュルムみたいに、執拗にまといついてくる。ふにゃふにゃした語感、他人を小ばかにした言い回し、平気で自身の恥部をさらけだす厚かましさ…だんだん我慢ならなくなってきた。

「あのね、先生!」

 わたしはいった。

「先生は、芦屋のひと、でしょう?」
「そうでっせェ」
「それにしては、先生の話し方、まるごと大阪弁、みたいですな」
「あのね、ボン、芦屋弁、なんて、おまへんで」
「ほう、そうなんですか」
「芦屋の方言なんて、強いていえば、山側と海側では、ちょっと違う、程度のもんで、それも、地域住人の成り立ちで決まるんやさかい、これが芦屋弁です、なんちゅうのは、おまへんのや」
「でも、ルーツはあるでしょう?」
「ルーツ? そこはやね、あえて、いわせてもらえば、でっせ、山側は、大阪商人弁、海側は、芦屋浜っ子弁、とでも名付けたら、分かるんとちゃいますやろか」
「すると、先生は、大阪商人弁、つまり、生粋の大阪弁の継承者、ということですか?」
「そういうことに、なりますな」

 いいながら、さも不思議そうに、わたしを上目づかいで見上げた。

「そやけど、ボン、あんたの方は、どないだんねん?」
「わたしの、なにが?」
「いや、たったいま、初めて気がつきましたわ、ボンは、芦屋人でっしゃろ? そのくせに、いつも東京弁、喋ったはりますなァ、そっこ、なんでです? ひょっとして、ボンは、関西弁、忘れてしまいはったんですか?」
「いや、忘れては、いませんよ」

 母語を忘れるバカがどこにいる。

「実はね、先生、わたし、大阪弁が嫌い、なんですよ」
「嫌い?」

 主治医は、大仰に、驚いた。

「へー、なんでやろねェ」
「自分でも、よく分からないんですが、大嫌いなんです。そのために、大阪を出たくらいですから」
「大阪を出た、出はった?」
「ええ、出たんです」
「それ、いつごろのハナシ、です?」
「いつごろ…」

 訊かれて、急に、ムカッとした。なぜ、そんなに、他人のことを、知りたがるのか。ピーピング・トムではないが、知りたい欲望が度を超せば、自分がその餌食になってしまう逸話を、知らないわけではあるまい。いつごろ大阪を出たか?…べらべら大阪弁をしゃべってくれたおかげで、自分の中に眠っていた、やり場のない母語への嫌悪感や怒りが、期せずして目を覚さましてくれたことには、感謝したい。だが、これ以上、攻めないでくれないか、急かさないでくれないか。思い出すのは、このわたしだ。頭の中の、どこかに、その突破口があるはずだ。それを知る欲求に苛まれているのは、他のだれでもない、このわたし自身だなのだ!…
 激した感情で、目がかすんだ。瞼を瞬くと、視界を遮るものが、そこにあった。

「ボン、どないしはりましてん」

 ギョロ目の、皺だらけの、年老いた顔だった。眉を寄せ、まじまじと、わたしを見ている。

「ボン、顔が、真っ赤でっせ、大丈夫でっか?」

 怪訝な面持ちが、わざとらしく、口元に、皮肉な笑いさえ潜んでいるように、おもえた。

「ウッ…」

 わたしは、息をつめ、右拳でテーブルを叩き、立ち上がった。主治医を怒鳴りつけ、鬱憤をはらそうとしたが、声にはならなかった。鬱憤は喉の奥で堰き止められ、激情は、そのまま、沈殿した。

「ボン、どないしはりましたん、いきなり、立ち上がって?」
「いや…」
「なんか、お気に障るようなこと、いうてしもたんやったら、堪忍してくださいね、なんせ、生まれつき、鈍感なもんやから、他人の気持ち、あんまり、分からんように、できてますねん、もし、そうやったら、ほんと、すんまへん」
「…」
「や、ほんま、えらい具合わるそうですわ、せっかく後口のええカレーライス、やのに、残念やけど、今日は、これくらいに、しときましょうかね、ほんま、ごくろうさんでした、ボン」
「これくらい、とは、どういうこと、ですか?」

 わたしは、立ったまま、詰問した。

「いや、ボン、すんまへん、いい間違いしました、とにかく、なんや、いろいろ、知りたいことが、ぎょうさんありまっしてな、一緒にランチ、なんちゅう機会、あんまり、おまへんので、この際、ついでに、なんでも、聞かしてもろとこか、とおもいましてな、つい、ボンのこと、追い詰めるみたいなことに、なってしまいました、ほんまに、すんまへん、今日のところは、いや、今日は、お引止めしまして、いろいろお話、きかしてもろて、ありがとうございました、また、後日、ゆっくりと…」
「後日?」
「はい、例の、ポピー畑の少年の件、思い当たることがあったら、ぜひ、先方さんに、連絡してやって…」
「?…」 
 そうか、あの写真に写っていた、あの少年のことか…。さっき、主治医がくれた白い封筒から、写真を取りだした。小学校に入ったばかりの、六、七才の利発そうな少年が、写っていた。しばらく眺めていると、耳の奥の、どこか遠くの方から、だれかが呼ぶかすかな声が、聞こえてきた…ほーら、ポピーよ、ポピー畑よ、そんなに走らないで、転ぶわよー…女の声だ、たれだろう、だれかを呼んでる、だれを呼んでるんだ、だれなんだ!…記憶の主回路に辿りつこうと、懸命にもがいているうち、ずっと遠くのほうから、潮が満ちるように、女の呼び声を追って、聞こえてくる歌があることに、気づいた。わたしは、じっと、その歌に、耳をかたむけた…ア・トンガ・ダ・ミロンガ・ド・カブレテー、ア・トンガ・ダ・ミロンガ・ド・カブレテー…なんどもくり返される、呪いじみた歌詞だった。頭の中が掻き乱され、不安がつのった。だが、不思議と、泥水が浄化されていくような快感も、同時にあった。事実、動悸を抑え、呼吸を深め、ゆっくりと落ち着きをとりもどそうとするうち、単純明快な思い出が、再現されているだけだと、分かった。なんだ、ボサノヴァじゃないか、あのモラエスじゃないか、あのトッキーニョじゃないか、そして、あのベターニヤじゃないか…確かなリズムに身を任せ、口で呪文の真似事をくり返しながら、写真を裏返してみた。すると、すすけて黒くなった糊付の合間から、横文字がのぞいているのが見えた。さっき、主治医と、この話をしたな、たしか、スペイン語で、書いたものだったが…かすれて消えかけた筆跡をたどっていると、いきなり、主治医が立ち上がって、いった。

「ボン! 大丈夫でっか?」

 またボンか…わたしは、冷静さを装って、訊き返した。

「なにが?」
「ボン、急に、どないしはりました、突っ立ったまま、えらい、懐かしい歌、うとたはるけど、それ、ボサノバでっせ」
「それが?」
「いや、ボサノヴァは、ブラジルで、ポルトガル語だっしゃろ?」
「そうですよ」
「いま、目にしたはるの、なに語ですか?」
「スペイン語、ですが」
「それ、それ、ボン、さっき、なんて訳してくれはりました?」
「なんて?…」

 主治医のいうように、なにか訳したような気がする。

「なんでしたっけ…」
「ボン、ほん、さっき、ここでメシ食うまえの、ことだっせ、それを、もう、忘れはったんですか?」
「いや、あれは…たしか、だれかの、誕生日かなんかの、はなしでしたよね」
「そうですがな、ボン、十月十日、ぼくが生まれた日、ゲバラは逝った、と、書いてある、とボン、訳してくれはったんですがな」
「はあ、そうでしたか…」
「なんや、とぼけたら、あきまへんで、ボン、そこ、肝心なトコでっさかいな」
「とぼける…肝心?…」

 わたしには、かれの言わんとするところが、理解できなかった。途惑うわたしを見て、主治医は、いった。

「や、ボン、今日は、ほんと、お疲れさんでした、終わりにしましょか、わたしも、これから、診察、ありますしね。えらい、お仕事、大変でしたなァ、ありがとう、ございました、近いうちに、時間みつけて、院に寄ってください、また、楽しく、おしゃべり、しましょや、ね、ボン、それじゃ…」

 主治医は、テーブルの勘定書きをとりあげると、軽く会釈して、そのまま店を出ていった。テーブルを前に立ったまま、独りとりのこされたわたしは、事の重大さを気にも留めない、かれの無神経なあしらい方に、無性に腹が立った。熱い汗が、全身に噴き出し、脇から股間から臍のまわりから、たらたらと流れ落ちる。とにかく気をしずめようと、また椅子に座りなおし、コーヒーを注文した。
 わたしだって、思い出したいのはやまやまだ。なくした記憶を取り戻すのは、当のわたし、他の誰でもない。それを、わざと思い出さないように振舞っている、と勘繰るのは、まったくの理不尽というものではないか…。カップの底に沈んだ砂糖を、ゴリゴリとスプーンでかき混ぜながら、写真の裏の、消えかけたスペイン語のメッセージを、読み返した。

「…十月十日、ぼくが生まれた日、ゲバラは逝った…」

 はて、この誕生の報せは、なんなのか、いきなりの、このボサノバの呪文は、なんなのか、この二つは、どこを源に漂流し、なにをわたしに届けようとしているのか…ア・トンガ・ダ・ミロンガ・ド・カブレテー、ア・トンガ・ダ・ミロンガ・ド・カブレテー…トッキーニョの、ギターを伴ったリズミカルな呪文は、聴覚の峠を遡り、視覚の原野に解き放たれ、やがて、カザルスのチェロが奏でる静謐な鳥の詩と出会い、睦まじく混ざり合い、親しく相和して、いつしか、記憶の領域へと昇華していく…ひとしきり、南米大陸の空をさまよい、浮遊したあと、雄大なアンデスの山々の、はるか彼方の上空を、ケーナとともに悠々と舞う、コンドルの羽に託されて、カリブ海に浮かぶ熱い島キューバの上空を滑空し、ボリビアの、標高二千メートルの町バジェ・グランデの、小学校の校舎めがけて、まっしぐらに舞い降りていった…すると、そこは、銃弾がみだれとび、爆音が鳴り響く戦地、そうか、そうなんだ、ゲリラ戦のさなかなのだ…そして、ゲバラは傷つき、捉えられ、処刑され、無残な死を遂げてしまう…その場にいたわけではないのに、かれの死を、見届けた分けではないのに、確実に、ゲバラの死は、わたしの記憶に、深く刻みこまれている、まるで自分自身が、その処刑の現場に、立ち会っていたかのように…。
 帰宅の途中、なにかの手掛かりがつかめるのではと、父を送った古刹にたちよった。ほぼ全壊だった建物の残骸は、唯一生きのびた鐘楼を除いて、跡形もなく撤去され、きれいな更地になっていた。広い敷地をメタルの仮設フェンスで取り囲み、入口の横に、再建工事予定の掲示板が取り付けてある。まさに復興工事の着手はこれから、といった状態になっていた。大震災の恐ろしさを噛みしめながら、しばらく眺めていたが、どこからか、年老いた男の、愚痴とも述懐ともつかない独り言が、聞こえてきた…ほれ、どや、みなはれ、この有様を、みんな、やられてしもた、助かったのは、これだけや、ほれ…と、くどくどいう。周りを見わたしたが、だれもいない。だが、たしかに聞こえてくる。落ち着いて、じっくりと耳を傾けてみると、実は、耳の中から聞こえていることに、気がついた。

「ボサノバのつぎは、なんの呪文なんだ?…」

 それはつづく…みんな、やられてしもた、助かったのは、これだけや、ほれ、こいつだけや、こいつだけが、生きのびよった、生きのびよった、ほんまに、これ、なんでやねん、お家の菩提寺の、嵐山の余得だっせ、嵐山の…。
 はて、こいつだけ、とは、なんなんだ? この呪文は、どこを源に漂流し、なにをわたしに届けようとしているのか?…わたしは、懸命に、思い出そうとした。記憶の主回路へアクセスしようと、もがいた。すると、発災の数日まえ、告別式を終えて数日は経っていたが、住職から、妙な電話があった日のことを、思い出した。
 たしか、寺男が、鐘楼の脇に見慣れない頭陀袋が一つおいてあるのを見つけたが、だれにも心当たりがない、たしかめてくれないか、との問い合わせだった。発災直後でやることが山積していたので、数日後に寺を訪ねた。鐘楼を除き、他は見るも無残に破壊されていた。地殻活動の威力が招く、すさまじい結果に、しばらく、突っ立ったまま、茫然としていたのだが…そうか、そのとき、あの、生き残った鐘楼の向こう側から、この呪文が、聞こえてきたのだ。とすると、嵐山の余得とは、なんだ?…わが家の菩提寺は嵐山にある、その嵐山からもたらされた徳の一部とは、なんなのだ?…。

「あ…そうか、あの、頭陀袋! 寺男がみつけた、鐘楼の礎石に置いてあった、あの頭陀袋のことか!」

 一目散で帰宅した。家に入るなり、書斎にとびこんだ。袋自体は、空にしてどこかに仕舞った。探す必要はない。問題は、その中身だ。たしか、妙な形をした、人の拳くらいの大きさの、金属の彫り物があったはずだ。黒くて、どこか不気味だった。だから、ヤスリで磨いた。すると、黒錆が剥がれて、下から現れたのは、銀製の鎌首をもたげた、蛇の頭部だった。だから、世間でいう、あの燻し銀の風格感が消えてしまわないように、研ぎくずをぬぐいとり、ていねいに磨きあげ、どこかに飾っておいたはずだ…そうか、出窓だ、たしか、出窓の花瓶のそばに、とりあえず立てかけておいたはずだ…。
 出窓にかけよって見た。はたして、記憶どおり、燻し銀の蛇が鎌首を上げて、こちらを睨んでいた。鎌首を見ながら、もう一つ、たしか、汚い大学ノートが、何冊かあったことを、おもいだした。
 すぐに書棚を探した。が、見つからなかった。はて、どこへ仕舞ったのか…ぐるりと書斎を見回した。ふと、書類整理と資料保管用に買っておいた、スチール製のサイドワゴンが、目に止まった。コロ付きで置き場所自在の家具、それが、造りつけの机の下に隠れていたのだ。すぐに引っぱりだし、ラックをみた。なにも入っていない。そうか、買って間もないので、まだ整理していなかったのだ。念のため、下部の開き戸を開けてみた。するとそこに、大學ノートが、乱雑に放り込んであった。数えると、六冊ある。その奥に、筆箱も転がっていた。だれが仕舞ったんだろう…表装も古臭く、糸綴じで、横書きのB5版、普及型だ。パラパラとめくると、鉛筆、万年筆、ボールペンなど、筆記できる道具であればなんでもといった感じで、ビッシリ、なにかが書き連ねてあった。

「日記か?…それとも、記録?…」

 記録?…とすると、だれが、なにを?…宛てのない問いをくりかえした。そのうち、急に胸が苦しくなり、水月にひどい差しこみを感じた。息をつめてこらえていると、熱い胃液が食道を逆流してきた。強い酸の刺激が喉を突く。直後、ひどい吐き気におそわれ、トイレに駆け込んだ。そして、口腔になだれ込む未消化物を、ゲボゲボと便器に吐きだした。熱い呼気に混じって、カレーや様々な香料の残臭が、鼻腔の裏側に吸いこまれ、容赦なく粘膜を刺激する。涙腺から涙が滲みだし、そのまま、頭のどこかの、記憶の主回路から、消化不良の様々な残滓が、堰を切って流れだしそうな、得体のしれない恐怖を覚えた。その恐怖心を、吐しゃ物が醸すクミンやジャスミンの香が、さらに煽った。堰を切らしてはならない、残滓を逆流させてはならない、これ以上、吐出栓を開いてはならない…わたしは、何度も、心の中で、そう叫んでいた。そして、また、宛てのない問いを、くり返していた。

「なにが、そんなに、怖い? なにを、そんなに、溜め込んでいる? なぜ、そんなに、吐出栓を、閉めたがるのだ?…」

 その都度、また、胸が締め付けられ、胃に激痛が走り、夜通し、吐きつづけた。明け方、吐き出す残滓がなくなっても、なお、嘔吐は止まなかった。

 翌朝、憔悴しきって、目が覚めた。嘔吐はおさまっていたが、胃痛は残っていた。定期的に差し込んでくる。診療時間にはまだ間があったが、我慢も限界にきていたので、主治医に直接連絡した。こちらの訴えに耳を傾けていた主治医は、どんな状況で症状が出てきたのか、と訊きかえした。相変わらず疲れる医者だ。こうこう、こういう状況で胃に差し込みがあって、こうしたら、吐き気がして…などと、順序だてて答えられる患者がどこにいる。そういうと、目に見えたものを並べてみたらどうか、との返事が返ってきた。

「目に、見えた、モノ?」
「そうです、なんでもよろしいがな、ぐあいワルなるまえに、なんか、してはったんでしょう? そのとき、なにを見てました? テレビでっか? ラジオ聞いてはったんですか、いや、それとも、本、読んではったんかもしれまへんなァ、本やったら、なにを、読んではったんですか?」

 なにを読もうと、ひとの勝手ではないか。

「や、なにも読んでは、いなかっんですが、実は、妙なものを、みつけましてね」
「妙な、もの?」
「ええ」
「なんです?」
「大学ノート」
「大学、ノート?」
「六冊も」
「六冊?」
「や、実はね、何か月かまえ、そう、震災のちょうど三日くらいまえ、でしたかね、駅前のお寺さん、ほら、父の告別式に先生も来ていただいたでしょう、あのお寺さんの住職から電話がありましてね…」

 わたしは、六冊の大学ノートが、自分の手に届くまでの経緯を、はなした。主治医は、受話器の向こうで、じっと聞いていたが、一通りの説明が終わるやいなや、待ちかねたように、こういった。

「ボン、よう、分かりました、よう、納得しました。なので、今日でも、明日でも、結構でっさかい、都合のええときに、院まできてくれまへんか、ゆっくりと診察させてもらいまっさかいに」

 そして、こう念をおした。

「ボン、どうでっしゃろ、それで、よろしおまんな?」

 なんとなく、見切られた気がして、いっとき躊躇したが、とりあえず、明日の午後うかがいます、と返事をし、電話を切った。
 ところが、翌朝、開院時間になって間もなく、主治医の方から電話が入った。昨日、いつでも来院するよう勧めたが、患者が多すぎて時間の調整がきかない、午後の三時以降に来てくれないか、という。

「わかりました、四時すぎ、ぶらりと、お邪魔します」
「そのときにね、ボン」

 間髪を入れず、主治医がいった。

「きのう、ゆうてはった、あの、大學ノート、たしか六冊あると、いうてはったとおもいますが、それ、もってきてくれはりますか?」
「お寺さんから持って帰った、あの大学ノートのことですか?」
「そうです」
「どうして、ですか?」
「いや、べつに、これといった理由、おまへんのやけど、なにが、書いてあるやろか、ちょっと、興味、おましてな」
「好奇心ですか」
「それとは、ちょっと、ちゃいますけど、世の中には、不思議なこと、山ほど、ありまっさかいな、この歳になっても、まだまだ、知らん事だらけですわ。ボンは、なに書いてあるか、もう、読まはったんですか?」
「読んだ、というか、目を通した、というか、とにかく、読みづらくて、うんざり、しましたよ」
「なにが、書いてあるんですか?」
「なにが、といわれても…とにかく、いろんな人の体験記というか、思い出探し、というか」
「いってみれば、記憶の開陳、ちゅうことですな。わたし、そういうの、大好き、なんですわ。記憶には、現世の記憶と前世の記憶がおましてね、おもしろおまっせ。ぜひぜひ、読ましていただきますゥ、ほんなら、お待ちしてますゥ」

 一から十まで妙な医者だ。科学者らしくない。トンチンカンで無礼な言動が多すぎる。なんの因果で、こんな人物を、主治医にしているのか。

 四時過ぎに院にいった。主治医が見たいといったのは、大學ノートだけだったが、出かけるまえ、この際ついでにと、燻し銀の鎌首も、頭陀袋に入れておいた。かれも、好奇心で、さぞ、うずうずすることだろう。目に見えるようだ。
 おもったとおり、主治医は、目敏く鎌首を見つけると、さっさと袋から取りだし、唇を一舐めしながら、ため息をついた。

「…ほー、これが、例の、銀の龍でっか、ホー…」

 なにを感心しているのか? なにを愛でているのか? まるで、疾うの昔から、この鎌首のことを、聞き知っているかのような様子ではないか。

「ほー、って、先生、ずいぶん関心してらっしゃるようですけど、先生は、この鎌首のこと、ご存じなんですか?」
「そら、知ってますがな、ボン、あたりまえですがな、ボン、お父さんが、よう、いうたはりましたがな、ボン」
「父が!?…」

 また、いい加減なことをいう。父が、この得体のしれない、銀の龍のことなど、知るわけがないではないか。
「それは、ないですよ」

「あのね、ボン、それは、あるんですよ」

 主治医は、急に真顔になって、いった。

「あのね、お父さんは建築家でっしゃろ、わたし、医者なんですわ。ひとが生きるには、建物がいりますわな。病気になったら、医者がいりますわな。建築と医術は、ひとの生活に必須のインフラなんですわ。そやから、むかしから、お役所はね、市民の生活を、よりよくしていこうと、建築と医術に携わるひとを、定期的に集めて、会合しに来てもろて、忌憚のない意見をだしてもろて、市政に貢献してもらえるよう、いろんな組織を立ち上げたり、運営したり、してきたんですわ。そんな一つに、生活改善互助会、ちゅうのが、ありましてね。そこで、お父さんとは、よう、顔あわせて、おはなし、させてもらいましたし、また、会合が跳ねたあとは、みんなで一杯、呑んだりしたんですわ。そんなとき、お父さん、必ず、そのハナシ、だしはりましたで、うれしそうに、ハナシしはりましたでェ」
「そのハナシを?」
「そう、その、銀の龍、のハナシですがな」

  そんなこと、父から聴いた覚えはなかった。

「それって、どんな、ハナシ、ですか?」
「そりゃ、おもしろおまっせェ」

 主治医は、得意顔で、話しだした。話題は、もっぱら、嵐山にある菩提寺に終始した。主治医から聞くまでもなく、嵐山のことは、小さい時から、墓参や法事などで何度も行き来したし、景色の美しさ、川面の匂い、古びた家屋、石畳、漆喰の白壁、白州の箒目、ほほを撫でる爽やかな風…なにもかも、もの心つくころから、いつも自分を支えてくれる思い出として、親しみを感じていた。しかし、燻し銀の鎌首のことなど、だれの口からも、ましてや、父の口からも、聞いたことはなかった。

「それは、ボンがまだ小さかったからや、おまへんか?」
「いや、小さくても、いろんなはなしは、聞いてましたよ」

 素直に反論した。

「墓参とか、法事とか、塔頭の和尚や親類縁者、菩提寺の関係者とかとの会席なんか、たまにあるでしょう、そんなときには、必ず、嵐山の管長のことが話題にのぼりましてね、管長の生い立ちや、捨てられたり、拾われたり、した経緯とか、厳しい修行のこととか、フランス留学のこととか、いろんな話が、集まったいろんなひとの口から、つぎつぎ飛びだして、正直、小さかったわたしは、こう、全身を耳にして、聞き入ったもんですよ」

 そして、再度、確認した。

「でも、その鎌首のことは、聞いたこと、ありません」
「ほー、そりゃ、残念でしたなァ」
「残念?」
「いや、ね、よく、事実は小説よりも奇なり、ちゅうでしょう、まさに、それにぴったりの、ハナシ、やと、おもてるんですわ」
「いったい、どんな、ハナシ、なんですか?」
「知りたい?」
「そりゃ、知りたいですよ」
「ほんなら、聴いてくれはりますか?」
「はい」
「まず、管長さんは、浜坂の出、でしたなァ」
「ええ、浜坂の造り酒屋の生まれ、と聞いています」
「その管長さんの、父方の遠縁にあたるひとに…」
「父方の、遠縁?」
「そうです、父方の遠縁です、それにあたるひとに、同じ世代のお医者さんが一人、いはったこと、お聞きになったこと、ありまへんか?」
「いえ、きいたこと、ありません」
「そうでっか…」 

 主治医は、白衣の乱れを整え、聴診器をかけなおした。

「とにかく、同い年くらいの、お医者さんが一人、いはったんですよ。管長さんも、優秀なおひとやったらしいけど、この方も、ほんと、頭のええひとやったらしくてね、なんせ、小中高といつも首席で卒業して、大阪の医大に入りはって、これも主席で卒業して、そのまま、すんなり、お医者さんになりはったんですわ。わたしとおなじ、内科医、ときいてますけどね。で、そのおひとが、ね、大の都会ぎらいで、なんでか知らんけど、特に大阪が嫌いでね、また、ものすごい山好きな性分で、特に冬山の愛好家だったらしいですな。しやから、当然、住まいは田舎、ちゅうことになりますわな。余談になりますけど、あなたのお父さん、二言目には、わたしのことを、このヤブ医者が、とか、ゆうたはりましたけど、江戸の昔から但馬の国、いまの兵庫県ですわな、あそこに養父の里、ヤブノサト、ちゅうのがありましてね、なんせ、名医がおるちゅうことで、医術を学ぶものは、みんな、養父に行け、ちゅうて、全国から、ひとが集まったらしいんですよ。それが、医術は養父医者に学べ、のはじまりになったんやけど、また、妙なことに、いつの間にか、へぼ医者のことをヤブ医者、ちゅうようになったんですわ。なんでか、分かりまへんけどな。ま、そんなことで、本題にもどりますと、そのおかた、医者になりはってから、はて、どこの田舎に住もか、ちゅうことになって、やっぱり、おれはヤブ医者やから、住むのはヤブの里以外にないな、ちゅうて、兵庫県の養父市の北、氷ノ山に近いところに家みつけて、そこで開業しはったんですわ。その気持ち、わからんこともないけど、あんまり合理的とはいえまへんな。さぞ、頑固なおひと、やったんでしょうな。ま、そんなことで、そのころの浜坂には、たいへん変わったおひとがよく出る、貴重な人材の産地やった、ちゅう、経緯がありましたんですが…ところで」

 主治医は、そこで一息き入れ、聴診器を耳にはさんだ。

「お喋りに夢中になって、まだ、診察、してまへんでしたな。ほんなら、脈でも、とりましょか」

 患者の診察そっちのけで、銀の鎌首に熱中する医者…ヤブ医者の鏡のようなヒトですよ、あなたは。

「ほんなら、咽喉、ちょっと、みせてもらいましょか、あーん…」

 循環系を一通り診察したあと、またかれは、鎌首の経緯に戻った。

「例の、鎌首のことですけどね、ボン、あれ、いわば、養父医者さん独創の法具ですなァ」
「法具?」
「修験道とか、山岳信仰、やったはるひとが、よう持って歩いたはる錫杖とか、焚火をかこんで、両手に抱えて、なんやら呪文となえて、エイ、やぁ、なんちゅうて、祈ったはるでしょう、あのときに使う、呪術用の仏具のたぐいですわ、いわば、お呪いのツールですわ」
「オマジナイのツール?」
「お、その顔、科学者の医者がオマジナイやるやて、アホちゃうか、と、ボン、おもてはるんでしょう?」

 その通りだが。

「しかしね、ボン、ひとには、心、こころ、ちゅうもんが、あるんですよ、こころ、ちゅうもんが」
「もちろん、ですよ」
「それが、厄介なんですわ」
「厄介?」
「そう、ヤッカイ、なんですわ、とくに、わたしみたいな、医学を専門にするもんからするとね」
「なにが、そんなに?」
「医者は、病気を診て、病人を診ない、ちゅうの、お聞きになったこと、ありまっしゃろ?」
「ええ、よく聞きますが」
「なんでやろね、こちとら、治そうおもて、一生懸命、頑張ってんのにねェ、ほんまに…」
「ほんと、どうして、でしょうね」
「たしかに、一理ありまっせ、はっきりいって、医学は、基本的に、唯物論でっさかい、モノ、もの、が対処の相手、なんですからね」
「もの、が…」 
「そう、身体、この肉体ですわ、これを構成してるものがモノ、ですわ。ところが、心、ちゅうのは、手に取ってみれません。手に取ってもみれない、そんな、モノでもない心は、もともと、対処対象では、あらへんのですよ、ボン、医学はね、さっきいうたみたいに、唯心論では賄いきれまへんのや」
「はあ…」
「ハナシ、逸れましたけど、なにをいいたいか、ちゅうとね、遠縁の養父医者さん、唯物論を勉強した医者やのに、地元の言い伝えとか、風習とか、慣習とか、とにかく俗信の類に、とても興味をもってはったらしくて、土着の文化について、いろいろ調べてはったらしいですよ」
「俗信も、土着の文化のひとつだし、一科学者が、ある地元の文化に惹かれて、研究したい、と考えても、別に、唯物論とも唯心論とも、矛盾するところはないんじゃないか、とおもうんですけど」
「そのとおりです、そのとおりですが、ね、ボン」

 急に謎めいた様子で目を細め、声をおさえて、いった。

「これまた、厄介なことが、ひとつ、あるんですわ」
「また、なんですか?」
「ボンは、なに、信じたはります?」
「信じる? 宗教のこと、ですか?」
「ちゃいますがな、宗教は、自分の信仰を他人に普及する活動ですがな」
「すると、信仰というのは?」
「神さん、仏さん、お日さん、お月さん、おかみさん…とか、なんでもよろしいがな、絶対やと信じて、疑わんと、崇め奉ることですがな」
「とすると、わたしが、アガメ、タテマツル、ものというのは…」
「なんです?」
「…ありませんね」
「そんな、むちゃな!」
「えっ、どうして?」
「信仰ちゅうのは、人間の特権、でっせ!」
「特権!?」
「人間にしか、でけへんもんでっせ、しやから、一神教みたいなもんが、生まれてくるんですがな」
「どういう、こと?」
「信仰の独り占め、ちゅうことですわ、信じるものを独り占めしたら、ひとの特権も独り占めできる、ちゅうことや、おまへんか」
「?」
「ケンカするのに、一対一やったら、強い方が勝ちますわな」
「はぁ」
「二対一やったら、そこそこ、いけますわな」
「はぁ」
「十対一やったら、どうでっか?」
「そうとう弱くても、勝つ、でしょうな」
「しやから、ひと集めするでしょう、加勢してくれよ、ちゅうて」
「はぁ」
「ひと集め、するには、なんで集まるのか、の、なんで、の正当性を示さな、あきまあへんわなァ」
「大義名分ですか」
「そのとおり」
「ということは?」
「それが信仰ですわ、自分の信じてるものが、あなたの信じてるものとおなじで、わたしとあなたの拠り所が、おびやかされようとしてる、これは、なんとかせんとあかん、助けあいまひょ! ちゅうわけですわ」
「そんなに、うまく、いきますかねぇ」
「いきますがな」
「どうやって?」
「ただ、単純に、いままでの世界が、どういう成り立ちをしてきたか、それを見はるだけで、よろしいがな、いったい、だれが世界を制覇して、いまでも支配しつづけたはります?」
「欧米のひとたち、ですかね」
「ズバリ、そうですがな」
「で?」
「あのひとたち、どんな信仰、持ったはります?」
「おおむね、キリスト教ですかね」
「そう、つまり、一神教ですわな」
「なるほど」
「一神教は、他の神さんを認めませんので、自分以外は、敵なんです」
「そう、なりますね」
「しやから、集団を造って、力をつけて、特権を正当化して、敵をやっつけはるんですわ」
「なるほど」
「その、いままで世界を支配してる力のある人たちに、でっせ、これ以上いやや、ちゅうて、一生懸命、逆ろうてはるの、だれですか?」
「イスラム教、ということ、ですかね」
「もろ、そうですがな、そして、これも、一神教なんですわなァ」
「はぁ」
「この、二つの宗教の、共通点は、なんやと、おもいはります、ボン?」
「さぁ…」
「ほら、両方とも、預言者、みたいなひとが、いはりませんか」
「なるほど、キリスト、と、ムハンマド、ですね」
「そうですがな」
「それが?」
「さっきも、ゆうたでしょ、信仰ちゅうのは、個人の特権や、て。それが、集団の特権にまで変容してしまうには、やね、キリストさん、とか、ムハンマドさん、みたいな預言する人がおって、その人たちが、言葉巧みに、まことしやかに述べる言説、つまり、説教やね、それを耳にしたひとが、ね、そうか、おれの信仰は、まさに、この預言者さんの教えの中に、組み込まれているんだ、と、錯覚させられてしまうからなんですわ。こんな風に、数しれないひとの信仰、つまり特権を、やね、だれも頼んでへんのに、一手に引き受けて独り占めしてしまいはるんですわ、預言者ちゅうのは。それ、どうおもいます?」
「どうおもう、といわれても…」
「なんか、変でしょう? 自分の信仰が、いつの間にか、見たこともない預言者の率いる集団によって独占されてしまう、わけでしょう? まるでハイジャックですがな。しかも、それが正しいことなんだ、ちゅう、正当化のプロセスも、バイブルとかコーランとかで、念入りに準備されてる、わけでしょう?」
「ずいぶん、懐疑的なものの見方、というか…」
「さいな、なんで、こんなこというか、と、いいますとね、ボン」

 主治医は、銀の鎌首を指さして、いった。

「これ、造りはったひと、あなたの父方の親戚、養父医者さん、ね、わたしがおもうに、医者をやればやるほど、分からないことが増えて、なんでやろ、なんでやろ、と考えてたら、ふと、あること、ごく当たり前で、いつも無意識にやりすごしてることに、気がつきはったんやないか、と、おもうんですわ」
「ほう…それ、なんですかね?」
「自分の治療が西洋医学に依拠してる事実、ですわ」
「でも、それ、しごく、当たり前の事、ですよね」
「でっしゃろ、そこなんですわ、ボン、この、当たり前、がミソなんですわ」
「というと?」
「まぬけ、ちゅう言葉、知ったはるでしょう、ボン」
「まぬけ? 急に、なんのハナシ、なんです?」
「わたしの欠点、いきなり飛躍する、ちゅうとこに、あるんですわ」
「それにしても」
「とにかく、間抜け、ちゅうの、知ったはります?」
「もちろんですよ、間が抜けてる、抜かりがある、どっか抜けている、必要なものが抜けて…つまり、あほ、ということでしょうか」
「ま、そんなとこが、一般的に、いわれてることなんですけどね」
「違ってますか?」
「というより、わたしは、まったく別の解釈、してるんですわ」
「別の、解釈?」
「間抜けの間、ちゅうのは、真ん中の間、ちゅうことなんですわ」
「?」
「あなたのお父さん、シベリアに抑留されてはったでしょう」
「はい」
「さっきも、いいましたけど、寄り合いなんかがあって、一杯やってるときに、なんか、急に、しんみり、するとき、あるんですわ。そんなとき、お父さんが、ね」
「父が?」
「たまーに、引き上げ話、されることが、あったんですわ」
「引き上げのハナシ?」
「ロシアのナホトカ、ちゅう港から、引き上げ船で舞鶴まで、帰るんやけど、その途中での、陰惨な話、ですわ」
「陰惨?…」
「ボン、戦争て、ひどいもんでっせ、戦争するんやったら、勝たなあきまへん、負けたら終わりや、なにもかも、台無しですわ」
「なにが、あったんですか、引き上げ船で?」
「人民裁判、ですわ」
「人民裁判?」
「要は、リンチ、ですな。即決裁判で有罪、死刑判決、即、執行、ですわ」
「だれが、だれを、なんの権利で?」
「シベリア抑留者はロスケの捕虜ですわな」
「ソビエト連邦、のね」
「革命の国や」
「共産主義国家ですね」
「共産主義がなにをするか、しったはりますか? 洗脳ですわ、まっ白な捕虜でも、一年おったら、真っ赤っか、になりますがな」
「人民の覚醒、権力の奪取、とか、ですね」
「そうですがな、おもに、やられたんは、もと憲兵とか、えばりくさった上官とか、やね、それと、軍お抱えの商売人とか、で、内通者とか軍属の類となるとね、身も心も誇りもすてて、わが身を守るため、人民に紛れて処刑派に回ったやつも、仰山おった、とか…」
「帰還兵って、ほんと、たくさんいたわけだから、みなの素性なんて、だれも、知らなかったはずなのに、ね?」
「そんなこと、ありまへんで、乗船名簿、ちゅうもんが、ありますがな」
「イコール、引揚者リスト、ですね」
「それを船長から取り上げたら、だれが、どれで、どれが、だれや、一目瞭然ですがな」
「なるほど…」
「ほん、こないだまで、一緒に戦こうてきた人同士が、目の前で、殺し合う…ほんま、地獄でっせ」
「そんなハナシ、父からは一度も、聞いたこと、ありませんでしたね」
「そりゃ、そうでしょう、だれにゆうても、分からんやろし、言葉にすればするほど、むなしく、なるばっかりやろし、はなから、諦めてはんったんや、あらしまへんかね」
「でも、先生には、話したんでしょう?」
「あれはね、事の例えに、はなしはったんですわ」
「事の例え?」
「さっき、いいましたでしょ、養父医者が、ごく当たり前の事に気がついた、て」
「ええ」
「それを聞いて、わたし、お父さんに、質問したんですよ、ごく当たり前、ちゅうのは、どういう意味ですか、ちゅうて」
「すると、父は、なんて、答えました?」
「日本人は、間抜け、やったんや、間抜けやから、戦争したんや、と答えはったんです」
「でも、日本だけじゃないでしょう、世界戦争ですから、世界中のひとが、戦争してたんでしょう?」
「まったく、同じコメント、わたし、しましてん、お父さんに」
「そしたら?」
「世界は、二元論で、あれか、これか、勝つか、負けるか、死ぬか、生きるか、どっちかしかない文化やけど、日本人は、間抜け、ちゅうことを知っとった、その当たり前のことを、忘れとったから、アホな戦争に走ってしもたんや、ちゅうて、えらい、後悔してはりましたで」
「二元論と間抜け? よく分かりませんが」
「わたしも、まったく同じ、分け分からんかったんで、よう分からんなァ、ちゅうたんですよ」
「そしたら?」
「そしたら、間抜けの説明、とっぷり、してくれはりましたでェ」
「どんな持論、でした?」
「持論やあらしまへん、立派な正論やと、おもいます」
「正論…というと?」
「お父さん、はね、こう、ゆうたはりましたんや…」

 そこで主治医は、父から聞いたことを、はなした。内容は、単純で明白だったが、理解するには、頭の体操が必要だった。しかも、父が、遠縁の養父医者について聞いたことを、かれの中で咀嚼し、納得のいく逸話として再構築したハナシを、今度は主治医が、同じプロセスで、再構築したものだった。だから、ハナシの由来にこだわると、分けが分からなくなる。ただ、だれかから聞いたハナシとしてではなく、言い伝え、とか、伝説や口伝、の類に引き寄せて聞いていれば、すんなりと、吞み込めるハナシでもあった。

「なるほど、間抜けの間、というのは、五体の記憶に想いを馳せる時間、なわけですね」
「そうです、ボンの、この身体の、一つ一つの細胞が、何百万年もの時間をかけて蓄積してきた記憶、そこに立ち返る、ちゅうことなんです」
「そうするには、自分と自分の五体が、一体とならなければならない」
「そうです、心と体、モノである体と、モノでない心が、一体となる」
「なるほど」
「むかし、日本人は、みな、そうだったんですよ」
「それが、八百万の神の存在理由、というわけなんですね」
「そうです、自分を生んでくれたこの大自然に回帰すること、つまり、自分の五体に立ち返る誘いの神々と、親しく交わること、それが、五体へのゲートウェイ、なんですわ、ボン」
「なぜか、そこが、抜けてしまった」
「そうです、西洋から来た、唯物史観、二元論が、そのプロセスを、あっさり、駆逐してしもたんです」
「でも、失われては、いない」
「そのとおり、いつでも、どこでも、その五体の記憶に想いを馳せる時間、間、というものは、存在してますんや、例えば」
「例えば?」
「本には、表と裏、がありまっしゃろ」
「はい」
「そやけど、ね、表と裏だけやったら、なにも始まりまへんねん、本に、なりまへんねん」
「つまり、表と裏の間には、表裏という間、がある」
「そうです、表をめくると、ページがあって、それを繰っていくと、裏にたどりつきます」
「その間に、本の中身と親しくすることがでる、というわけですね」
「そのとおり」
「なるほど…と、いいたい気持ち、なくもないんですが」
「その間に、心との疎通が生まれて、五体と分かりあえるように、なるんですわ」
「なるほど、と、いいたいんですが…ほかに、どんな例が…」
「いろいろ、ありまっせ」
「もう少し、分かりやすいのが、あれば」
「ほんなら、斬り合い、でいきましょか?」
「刀の斬り合い、ですか、怖いですね」
「そりゃ、怖いでっせ、殺し合い、でっさかいな」
「それにも、間抜けが、絡んでくるんですか?」
「そうでっせ、絡んできまっせ、正眼の構えで睨み合うてる二人の侍、を、ちょっと、頭の中で、想像してみてくださいな」
「こう、ですか?」
「そう、こうやって、がっと構える」
「はい…で、斬り合いは、いつ、始まるんでしょうか」
「いま、互いに、間、を測ったはりますんや、相手の刃の届かない、ぎりぎりの間合いで、睨み合うてるので、まだ始まりまへん」
「はい…すると、いつ、始まるんでしょうか」
「双方の技量が均衡しているかぎり、斬り合いには、なりまへんねん」
「すると…いつ?」
「まだまだ」
「…なんで、まだ…」
「あのね、ボン、五体は生きのびようとします、そこに心が一体となれば、相手の技量が低いと見切っても、自分から相手を殺す気にはなれません、つまり、殺し合い、すなはち、斬り合いは、体と心が一致していれば、おこらないもんなんですわ」
「でも、戦では、斬り合ってるじゃ、ないですか」
「あれは、ね、有事の状態、なんです」
「有事の状態?」
「そうです、本人の技量もさることながら、なんらかの外的な影響、例えば、寝込みを襲われる、とか、辻斬りにあう、とか、なんらかの尋常ではない事態に遭遇して、五体と心の一致が阻害されてしまうから、なんですよ」
「心技体の一致が乱される、ということですか?」
「そうです、自分を守るために技をみがき、生きようとする五体の記憶に、いつも想いを馳せるゆとり、すなわち間が、心の側になくなってしまうからなんですわ、そんなとき、正真正銘の間抜けになって、殺し合いになる、ちゅうわけですわ」
「だから、殺し合いは、間を忘れた間抜けの所作、という分けですか」
「そのとおり」
「なんとなく、分かるような気がしますが」
「そりゃ、結構」
「ただ、養父医者さんが、なぜ、その間抜け、の状態に思い至ったのか、いまいち、分からないんですけど、どんなきっかけが、あったんでしょうか?」
「なるほど、そやね、それ、説明せんと、分からんわねェ…」
「そういえば、養父医者さん、山岳人だったと、おっしゃってましたよね」
「そう、そう、無類の山好きでね、氷ノ山の麓に居をかまえはったんも、そのせいですわ」
「せっかく、医者になったのに、ね」
「需要がないのに、とボン、おもたはるんでしょ?」
「ええ、山里だと、患者さんも、少ないだろうし」
「アホゆうたら、あきまへんがな、ボン」
「アホ?」
「ほんまでっせ、大阪みたいな都市より、山里の方が、よっぽど病人は、多いんでっせ」
「え、ほんと、ですか?」
「ほんまでっせ、ただ、表に出てこないだけですねん」
「表に、でてこない?」
「養父医者さんはね、インターン中に、とっても重要なことに、気づきはったんですよ」
「重要なこと?」
「そうです、大阪みたいに、大きな都会に住んでると、具合わるなったら、すぐ、医者に診てもらえるでしょう」
「ええ、しごく、あたりまえのこと、ですよね?」
「ところが、田舎ではね、そうはいきまへんのや」
「どうして?」
「みな、仕事、ありまっさかいな、忙しいんですわ、しやから、大抵のことは、我慢、しはりますねん、近所に医者も、おらんしね」
「でも、我慢しすぎると、手遅れになるでしょう」
「さいな、その、手遅れの病人さんに、インターン中、仰山、あいはったんですわ、養父医者さん」
「というと?」
「仰山きはる地方からの病人さん、たいてい、がね、手遅れやった、なんでもっと、はよ、来えへんかったんや、ちゅう場合が、しょっちゅうやったらしいですわ」
「そんな」
「そこで、養父医者さん、こりゃ、あかん、と、おもいはった」
「で?」
「もともと、山好き、でっしゃろ、しやから、さっさと、決めはったそうです、よし、この際、田舎にいったろ、ちゅうて」
「今でいう、地域医療、に身を投じられたんですね」
「さいな、奇特な方ですがな」
「先を行ってますね」
「ところが、やね」
「え?」
「氷ノ山に開業して間もなく、徳ニ郎さんが、亡くなりはったんですわ」
「徳二郎って、管長のお父さんの?」
「そうですがな、造り酒屋のご主人、管長の親御さん、そのひとが、亡くなりはったんです」
「ええ、不運な事故死やと、聞いてます」
「でっかい酒造所の、これまたでっかい、二階くらいある醸造桶に梯子かけて、毎日、発酵の具合、見回ってはったやんけど、どういうわけか、その日、梯子が、後ろ向きにひっくり返って、そのまま、土間に後頭部、打ち付けて、亡くなりはったんですわ」
「不運というか、不幸というか、魔が差した、というか…」
「地元の有力者やったんで、ね、盛大な葬儀、挙げはったらしいんやけど、そうこうするうち、妙な噂がたちましてね」
「白蛇伝説、でしょ?」
「そうですがな、ボンは、よう知ったはるんでしょうなァ」
「ええ、むかし、先代の徳一郎が、仕込みの四日目の朝、桶の下に、なにか白いものがるのが見えたので、なんだろうと思って杖で突っつくと、白い蛇が飛びだしてきた、というハナシですね」
「そうですがな、それで、びっくりして、杖で叩き殺してしもた、ちゅう事件、ちゅうか、出来事が、ありましてな」
「その祟りが、息子の徳二郎に災いした、と、みな、いっていたそうです」
「その、親の因果が子に祟る、ちゅう事実、ちゅうか、俗信、ちゅうか、どっちでもよろしいけど、そこに、養父医者さん、惹かれはったんやと、わたし、確信してますんや」
「科学者である、暦とした医者が?」
「そこなんですわ、ボン、養父医者さんの、五体の記憶に想いを馳せる時間、を間とした発想は、ね、ここから来てますんや」
「というと?」
「祟り、なんちゅうのは、迷信か、俗信か、分からんけど、取るに足りない心霊現象、ぐらいににしか、考えられてまへんわな、いまどき」
「ま、そうでしょうね」
「その、取るに足りない心霊現象、つまり因果応報説、と、五体の記憶に想いを馳せる時間、ちゅう考え、なんとなく、どっか、似てまへんか?」
「…うーん、どっちも、非科学的、かな」
「そりゃそうや、因果応報は仏教から来てるし、五体の記憶は、個人の思いこみ、やさかいな」
「では、ほかに、どこか、共通点でも?」
「ありまっせ、両方とも」
「それは、なんですか?」
「認知できない記憶の認知、ですわ」
「?」
「ややこしおまっか?」
「いえ、逆に、簡単すぎて、分かりません」
「よろしおま、説明しましょ」

 主治医は、聴診器を数回かけなおすと、前のめりになって、説明を始めた。

「因果応報とか、祟り、とかはね、先祖代々、死んで、生まれて、生まれて、死んで、また生まれて…と、こう、生と死が、延々とくり返される、わけでしょう、その生と死の連還を、ひとには分からん、ちゅうか、ひとの力を超えたヤツがおって、そいつが操っとる、というわけですわ。しやから、あるときは災いが起こったり、あるときは運が巡ってきたり、するわけですな。ゆうてみたら、謎々、ナゾナゾ、みたいなもんや。しかし、そのナゾナゾは、たしかに、自分のなかにある、記憶のどこかにあるはずや、しやから、ひとには、そのナゾの記憶を掘り起こして、やね、こう、手にとって、はっきりさせて、しっかり認知したい、ちゅう欲求がいつもあってね、その欲求の発露として出てきた言説が、因果応報とか、輪廻転生とか、祟りとか、なんやかや、いろいろ、あるんとちゃいますやろか」
「と、すると、五体の記憶がどうの、というのは」
「もろ、そのままですわ、五体に潜在する記憶を明らかにして、心身ともに認知し、納得したい、そんな欲求がいつも心の側にあって、それが現れる時間を、間、と表現しはったわけですな」
「しはった…だれが?」
「あなたの、お父さんですがな、祖祖父に殺された白蛇が、その息子の祖父に祟った、ちゅう伝説を機に、でっせ、養父医者さんが垣間見た、自然科学と現実との乖離、ちゅうか、万能やと信じてた科学が、ね、ひとの心と遊離していく現実への失望感、それがどこから来るんやろか、はっきりさせたくて、五体のなかに潜む記憶に、やね、養父医者さんが、信仰という取り組みから接近して、認知してみようと思い立った、と、あなたのお父様が、おもいつきはったんですよ」
「だから、間抜け、を説明するのに、養父医者を持ちだした、というわけですね」
「そういうこと」
「で、養父医者さんは、なにを?」
「ここで、ボン」

 主治医は、どっかりと、肘掛け椅子の背にもたれかかって、いった。

「ボンもよう知ったはるひとが、登場して来はるんですわ」
「あ、わかった、ミーさんのお婆ちゃん、ですね?」
「お、よう、憶えたはりましたなァ」
「そりゃ、覚えてますよ、小さいときから、随分、世話になったひとですから」
「ほー、そんなに、世話に、ならはったんですか?」
「ええ」
「どんな、世話に?」
「ミーお婆ちゃん、の、ミーさん、が、なにか、ご存じでしょう?」
「ミーさん、ちゅうのは、白蛇の神さん、のことで、霊験あらたかな神さん、やと、聞いてますなァ」
「その神さんを信じているひとだったので、みな、ミーお婆ちゃん、と呼んでたんですよ」
「ほー」
「それでね、さっき、霊験あらたかな神さん、て、いわれましたけど、わたし、虚弱体質に生まれたものですから、しょっちゅう病気してましてね、ちょっと熱出したら、すぐに母親が、ミーお婆ちゃんのとこで、お加持してもらお、オカジしてもらお、と、わたしの手を引いて…」

 そこで、しばらく、幼少時に受けた加持療法、儀式のようなミーお婆ちゃんのお呪いについて、はなした。主治医は、じっと耳を傾けていたが、急に背もたれから離れると、また、前のめりになって、いった。

「そのミーさん信仰やけど、なに教、て、ゆうてましたかなァ、たしか、ドロ…」
「泥密教です」
「そやそや、ドロミツキョウ、とかゆう、宗教やったね!」
「今でいえば、新興宗教、て、とこかですかね」
「その、ドロミツキョウの教祖さん、ボンは、だれか、知ったはりますか?」
「泥密教の教祖?…いえ、聞いたこと、ありませんが、先生は、ご存じで?」
「はいな、あなたが、ミーお婆ちゃん、ゆうてる信者の、お母さん、ですがな」
「え…」
「ま、子どものボンに、いちいち、そんなはなし、しはらんかったし、しようとも、おもわらへんかったんでしょうな」
「その教祖さん、どこのかた、なんですか?」
「それが、また、興味深いんでっせ」
「なんか、因縁でも?」
「因縁どころか、管長の父方の遠縁が養父医者さん、でしたなァ」
「ええ」
「ところが、教祖さんは、管長の母方の遠縁にあたるひと、なんですわ」 「はぁ」
「つまり、養父医者さんとは、遠い従兄妹同士、ちゅうわけですわ」
「はぁ」
「アタマの切れるひとで、ね、女学校出て、学校の先生、したはったらしいですよ」
「はぁ、そこは、わたしの母親と、同じですな」
「それが、徳二郎さんの不慮の死で、急に開眼しはりましてね、白蛇に神さんが宿りはった、祀らんとあかん、ちゅうて、教祖にならはったんですわ」 「学校の先生が、ですか?」
「さいな、そこがまた、妙で、養父医者さんも、そうでっしゃろ、科学者、唯物論者が、やね、土着信仰に妙味をもって、心の側から五体の記憶に迫る、なんちゅう、非科学的な取り組みをしたい、なんて、おもいはるのと、ちょっと、似てますな」
「似てるというか、思いこみというか」
「おもいこみ、でも、心から思い込んだら、本間もんと、ちゃいますか?」 「思いこんだら命がけ、ですか」
「とにかく、この世に生を受けて、一度も逢うたこともないひとと、よりによって、十月のある日、偶然、縁組の神社、出雲大社で、出逢いはったんです」
「また、よりによって、神在月に」
「なんでかちゅうとね、養父医者さん、雪山シーズンまえの足慣らしに、出雲富士に登ってはったんです」
「イズモフジ?」
「大山のことですわ、そこで足慣らしして、その帰り、ついでに、出雲大社にお参り、してはったんですな」
「そこで、偶然、出逢った?」
「そう、因縁ですなァ」
「それで、意気投合して…」
「一緒に、ならはったんです」
「結婚!」
「そうですがな、で、できた子が、ミーお婆ちゃん、ですわ」
「えぇッ!」
「従兄妹同士の電撃結婚、ほんま、あの大正の時代に、なんてモダンなハナシ、でっしゃろか、ボン」

 わたしは、しばらく、自分のなかの、ミーお婆ちゃんの記憶を、たどった。いつも日本髪に結っていた。髪は豊かで、艶々していた。いつみても、黒っぽい和服の上から、割烹着を着ているひとだった。しかし、加持の儀式に入るまえには、かならず、それを脱ぎ捨て、わたしの真ん前に正座した。そして、おなじく正座したわたしを、きびしい眼差しで、じっと見つめた。大柄なひとだった。眉は濃く、大きな黒々した目で、正視するだに怖かった。お祓いのときは、その目をカッと見開き、唇を尖らせ、吹き矢でも飛ばしそうな鋭い呼息を吐きながら、太い、長い指で、呪いの印を切った。噴気にさらされたわたしは、おもわず目を閉じ、強い妖力で体中が縛り上げ上げられていくのを、どうすることもできなかった。

「ボン、ボン、どないしはったん?」

 主治医の声が聞こえた。
「どないしはったん、身動き一つせんと、一点、見つめて、まるで、金縛りにおうたひと、みたいですがな」
「あ、いや…むかしの、お祓い、というか、加持治療のことを、ちょっと、おもいだいしてたもんですから」
「そうでっか、安心しました。で、お加持は、どこで、やらはったんですか?」
「ミーお婆ちゃんの家、でしたね」
「それやったら、なんや、そうやったんかいな、みたいな、どっか、思い当たる節、みたいなもん、ありまへんか?」
「思い当たる節?」
「そうです、お加持のとき、なんか、気がつきはりませんでしたか?」
「なにか、気がつく?」
「お祓いのとき、なにが見えてました?」
「なにが、見えてた?」
「そうです、目に入ってきたもん、ですがな」
「目に入ってきたもの?…先生、いつか、そういう訊き方、されたこと、ありましたねぇ…」
「なんでも、結構、単純に、目に触れたもの、視野に入ってきたもの、いろいろ、あるでしょう」
「あ、思い出した! きのうか、おととい、胃の差し込みで連絡したとき、先生、そう訊き返して、こられましたよね」 
 「そうです、なんでか、分かりますか?」
「なぜ、です?」
「感覚、ですわ」
「感覚?」
「五感、六感、七感、どこまであるか、知りまへんけど、心と記憶を直結させるもの、はね、言葉とちゃいますんや、目に見える、耳に聞こえる、舌で味わう、鼻で嗅ぐ…ね、感覚、感覚、なんですわ」
「はぁ…」
「しやから、目に入ってきたものを思い出すことで、記憶と心の疎通が、できてきますんや」
「なるほど…」

 理解はできなかったが、医者がいうのだから、そうだろうと、納得した。とりあえず、あの加持治療で、自分のまわりに、なにがあったのか、それを探ってみよう、何十年も昔の、お祓い、お祈りの場面を、記憶の奥から引き出してみよう、とおもった。そうおもうと、意外に、するすると、それらしき記憶の断片が、祝詞を上げる声や、護摩をたく匂いと一緒に、生き生きと、よみがえってきた。それらをとっかかりに、頭に浮かんでくるものを、片っ端から、画やイメージで、思い描いてみようと、おもった。すると、ミーお婆ちゃんが、文楽の、老女方の首をした、生々しい巫女に変貌し、まるで人形芝居を観るように、祝詞をあげ、印を切り、ただならぬ妖気を漂わせ、指先で幾度も空を切った。その大仰な体捌きの隙間から、加持場の背景が、徐々に、見えてきた。

「そうか、あのとき…あの場所で…」

 古びた箪笥があった。漆喰の壁はすすけた薄茶色、天上板はこげ茶色に、変色していた。箪笥の上方に、神棚があった。白い紙垂が、ゆらゆら、揺れていた。浄瑠璃が流れている。なぜ、お祓いの場に、浄瑠璃が…。

「ボンは、よう、文楽、観にいかはったんやねェ」

 不意に、主治医が、いった。

「え、どうして、ですか?」
「いま、浄瑠璃のマネ、したはりましたで」
「浄瑠璃?…いや、実は、あのころ…」

 また遠い記憶が、まざまざと蘇ってきた。たしかに、文楽座には、小さい時から、観にいった、というより、連れていかれた。母が教師をしていた同じ小学校に通っていたが、同級生に宇野君という男の子がいた。一年から6年まで、ずっと一緒だった。その父親が、醤油の醸造で財を成したひとで、大の子供好きだった。ボーイスカウト城北二十八隊の創設に尽力し、地域の青少年を集め、奉仕精神の育成に努めた。選挙などがあると、かならず、そこらじゅうの電柱に、選挙ポスターがべたべたと貼られる。投票が終わり、キャンペーンがなくなっても、貼られたポスターはそのまま、風雨に晒されて、はげ落ち、吹き溜まりや側溝に溜まったまま、だれひとり、関心をよせるものはいなかった。その選挙ポスターの清掃をかわきりに、地域の奉仕活動に路をひらいたのが、宇野君のお父さんだった。
   かれは、頻繁に、わたしの母と数人の同級生を、頼みもしないのに、歌舞伎や文楽の鑑賞に誘い、連れていってくれた。かれ自身、伝統芸能の愛好家だったが、それ以上に、戦後世代の伝統離れ、というより、日本の文化や伝統が、引き継がれるどころか、戦後教育によって、忌避されんばかりの扱いをうける様を目の当たりにし、母国の文化遺産から構造的に隔離されていく新世代の未来に、危機感を抱いていたに違いない。弘法大師の偉業をたずね、高野山にも連れて行ってくれた。自宅の蔵に収められた、由緒ある伝統武具にも、触らせてくれた。いきなり太刀を抜き、いい子にしなければ罰っするぞ、と脅かされ、暗い板張りの部屋を、逃げ回ったこともあった。

「そして、最後には、お手打ちよろしく、太刀を振りかぶり、にらみ、を入れて、見得を切る振りも…」

 その、温かく、重厚で、優しかった宇野君のお父さんが、ある日、突然、亡くなったのだ。

「へ、また、なんで?」
「事故、だったんです」
「事故?」
「ええ…」

 同級生だった宇野君の童顔が、目の前に、浮かんだ。気が重く、息苦しくなった。醤油の醸造には、巨大な桶を使う。発酵の具合が命だ。醸造所の広い土間に設えた醸造桶を、一基、一基、仮設の梯子を使って、いつも見回るのが、日課だった。そして、ある日、なぜか、その梯子が、後方に倒れてしまったのだ。痛ましい出来事だった。

「ほんと、気の毒、やったねェ…そやけど」

 じっと耳を傾けていた主治医が、首をかしげて、独り言ちた。

「なんか、どっか、変やね」
「なにが?」
「それ、どっかで、聞いたことのある、ハナシ、やね、ボン」
「え?…あ、そうか」
「でっしゃろ?」
「そうですね、そういえば、徳二郎さんの事故と、そっくりですよね」
「ボンは、珍しい、おひとですなァ」
「めずらしい?」
「自分の身内にひとり、大切な友達の親にひとり、どっちも、ボンにとっては、大切なひとたち、その二人が、でっせ、まるで、打ち合わせしたみたいに、そっくりおなじやり方、やないな、おなじ不慮の事故で、あの世にいってしまいはった」
「それが?」
「確率からいって、そんなおひと、ざらには、いまへんで」

 そして、わたしの背後に目をやりながら、こういった。

「なんか、ボンの後ろに、不気味な力、超越的なパワー、もっというたら、不吉なオーラ、みたいなもんが、漂うてるみたいな気がせんでも…」「よ、よしてくださいよ、縁起でもない」
「お、さては、ボン、これまでに、なんか、ひとの道に外れるようなこと、しはったんと、ちゃいますか?」
「!?…」

 唖然とするわたしを尻目に、主治医は、院内に響き渡らんばかりの大声で、笑った。

「や、すんまへん、つい、冗談、過ぎましたな、すんまへん」
「あまり、変な冗談、よしてくだい、先生だって、唯物論の科学者の、端くれ、なんでしょ」
「はい、はい、おっしゃるとおりです、すんまへん、よう、わかりました、すんまへん」

 そして、フチなしの眼鏡をはずすと、ハンケチで涙目を拭い、また、なんども謝った。そのとき、初めて、かれが眼鏡を懸けていたことに、気がついた。

「…で、ですな、ボン、やっと調子よう、するする、記憶が、戻ってくるように、なりましたなァ、ついでに、もっと、思い出しまひょか、お祓いした部屋のどっかに、床の間、とか、掛け軸、とか、壁掛け、とか、なんか、目を引くもん、おまへんでしたか?」
「床の間、掛け軸…」

 和室で、畳敷きだったので、床の間はあるはずだった。だが、すぐに思い出したのは、宇野君の屋敷だった。六畳敷きの部屋がいくつかあったが、そのなかに、茶釜用の炉を切った茶室が一つ、あった。二人で屋敷じゅうを駆け回っていて、ふと、迷い込んだ部屋だった。障子越しに入ってくる、縁側からの薄い光で、水墨画の掛け軸と、それを頂いた床の間が、ほんのりと浮かんで見えた。端に、柄頭を床に向けた長尺の太刀が、美しい弓形をしならせて、立てかけてある。子供心に、なぜ逆さまなのか、不思議におもった。そっと近づき、しゃがみ込んで柄をながめた。糸巻柄ではなかった。唾から柄頭にかけて、金属に緻密な細工が施してある。突端に龍の頭部を彫りこんだ大太刀は、まさに、いま、天空に飛翔しようとする獣神のように、みえた。

「ホー、龍でっか」

 主治医が、さも感心したように、いった。

「ええ、真鍮かなんかを叩いて加工した、鋭い目つきの、威厳のある龍、でしたね」
「ひょっとして、こんな、感じ、でっか?」

 主治医が指さした先に、燻し銀の蛇の鎌首があった。

「あ、いや…」

 即、否定しようとしたが、できなかった。明らかに出自が違う。記憶と現物のあいだに、有機的な関係があるわけがない。わざわざ否定するのも間の抜けたはなしだ。ただ、記憶の中の龍と、目の前にある蛇の鎌首が、どこかで、なにかで、つながっているのではないか、という気が、しないでもなかった。もし、そうだとしたら、なんの縁が、そうさせているのだろうか…五感と六感を隔てた深い淵に、心と記憶をつなぐ暗渠に、そっと足を踏み入れたような、漠とした、期待と怖さで、背筋に悪寒がはしった。

「…違いますね、似てますけど」
「似てる? どこが?」
「どこが、って…」
「宇野君の龍は、記憶の龍、ですなァ」
「ええ、そうです」
「ボンの鎌首は、いま、そこにある、もの、ですなァ」
「そのとおりです」
「その二つが似てる、というのは、二つの間に、縁、があるからなんと、ちゃいますか?」
「エニシ?…」

 また医者らしくないことをいう。

「つまり、エニシ、ちゅうのは、心の有様、と、わたし、おもうんですわ」 「心の、ありよう?」
「はっきりいって、ボン、アレがなにか、よう知ったはりますんやん」
「えっ、アレって?」
「鎌首のこと、ですがな」
「あぁ、アレは、ですから、寺男が見つけた、頭陀袋の…」
「ちゃう、ちゃう、ちゃいますんや、ボン」
「なにが、違う…」
「よう、おもいだして、くださいよ、ボン、さっき、神棚に紙垂が垂れていた、て、ゆうてはりましたな」
「ええ」
「ミーお婆ちゃんは、巫女、でっしゃろ」
「そう、でしたね。でも、わたし、小さかったし、そんな認識、なかったんじゃ…」
「そら、そや、まだ子どもやったからな。しかしね、ボン、お祓いには、それに欠かせないもん、あるんと、ちゃいますか?」
「欠かせないもの?」
「はい、幣ですがな」
「ぬさ?」
「ほら、地鎮祭や、なんかの祭事のときに、神主さんが、こう、振ったはるでしょう、シャ、シャ、と」
「あぁ、あれね」
「そうでんがな、その、幣、どこかに、ありまへんでしたか、箪笥の上とか、欄間の隙間とか、床の間のどっかとか…」

 主治医の導くままに、いろいろ、おもいだしてみた。箪笥の上方に、神棚があったのはたしかだった。だが、その上には、垂れ下がった紙垂の端が揺れているだけで、なにも置いてはいなかった。欄間には、鳥のような、飛天のような、雲のような、判然としない彫り物が、施してある。いろんな形が絡みあう、複雑な輪郭だった。それが、縁側からの明かりで、くっきり浮かびあがっている。天上も、柱も、鴨居も、そして彫り物も、ほぼ真っ黒に変色していた。まるで黒紙をくりぬいた切り絵か、影絵をみているようだ。気がつくと、鴨居の両側に、縦長の四角い白紙が、張りつけてある。なにかの護符だろうか。鴨居に沿って縁側の方に目を移すと、床の間が見えてきた。欄間の明り取りが、水墨画の掛け軸を、ほんのり、映し出している。床の間は、お祓い時に、薄目をあけてよく見たのと、そっくりだった。フュッ、フュッ、と吹きかかる鋭い息が瞼にかかると、怖くて閉じていた目も、つい開けてしまう。そんなとき、チラチラと、床の間の様子が、否応なしに、目に入ってきたのだが…。

「その床の間に、なんか、置いたはりましたか?」
「なにか置くって、なにを?…」
「さっき、ゆうてた、幣とか、ほかに、花瓶とか、鯱とか、逆さ龍とか」 「逆さ龍は、宇野君の屋敷ですよ」
「そやね、でも、ボンのは、巫女さんの床の間やから、ぜったい、なんか、置いてあるはずだっせ」
「なんか?といわれても…あ」
「な、そうでっしゃろ、やっぱり」
「あれ、なんだろう…あ、あれは…」

 記憶が薄っすらと、戻って来た。そして、はっきりと、おもいだした。ほの暗い床の間に、真っ黒に変色した木組みの井桁が、おいてあった。そこから、いつも、青々とした木の葉っぱが、掛け軸まで、伸びていた。いつ来ても、勢いよく茂っていた。ある日、その葉っぱの、青い匂いに惹かれて、母親にたずねたことがあった。

「なんで、床の間に、木の葉っぱが、飾ったんの?」
「アレか、アレは、榊、ゆう木の、葉っぱやねん、神さんに、ここがアンタさまの来るとこやー、ゆうて、神さんが、ちゃんと、降りて来てくれはるように、いつも、青々茂って、ええ匂いするように、ああやって、飾ってあるんや…」
「サカキ?」 
「そうや、サカキや」
「フーン…」

 そして、また、おもいだした。そのサカキの葉の隣に、長い柄物が、斜に立てかけてあった。真っ黒な、棒のようなものだった。榊のついでに、母親に訊いた。

「アレは、なに?」
「アレか、あれは、六根清浄の杖、ゆうて、山で修行するときに、使いはるもんや」
「ロッコン、ショウジョウ?」
「そうや、あんたにも、いつか、縁になるもん、かも、しれんなぁ」

 ロッコン、ショウジョウ、と何回か繰り返すうち、その杖の天辺に、なにか金属のようなものが、被せてあるのに、気がついた。いつも気になっていたので、それも、ついでに、母親に聞いてみた。

「アレは、なに?」
「アレはね、ミーお婆ちゃんのお父さんが造りはった、ミーさんの頭や」 「ミーさんの、カシラ?」
「そうや、白蛇の神さんが、ヤルゾーッ! ゆうて、ギューッ、と鎌首をあげはったときの、頭やで」
「シロヘビのカミさん?…怖そうやなぁ」
「そりゃ怖いでぇ、わるいことしたら、コリャーゆうて、ガブーッと噛みついてきはるでぇ…」

 噛みつく真似をした母の、手や指の格好が、目の裏に浮かんだ。不思議な傷みを、胸の奥に感じていたとき、いきなり、主治医が、大声でいった。

「なんや、ボン、知ったはりましたんか!」
「いや…」

 虚を突かれて、すぐには対応できなかった。正直、母親と交わした会話など、完全に記憶から消えていた。一時も、おもいだしたことはなかった。それが、かさぶたが剥がれた擦り傷の痕のように、あわい感傷をともなって、ありありと、よみがえってきたのだ。

「いや、まったく、忘れてしまっていたのですが、母親が話したことをおもいだすと、つい、いろいろと、蘇ってきて…」
「わかります、わかります、そりゃ、親子の情や、そう簡単に、忘れてしまうもんや、おまへんでェ…で、お母さんは、鎌首の経緯、はなしてくれはったんですか?」
「いや、まったく」
「そうでっか…けど、なんでやろな」
「わたしが訊かなかったから、でしょう」
「なるほど、ボンも、まだ小さかったしね、お母さんも、ひとの不幸なはなしを、わざわざ…」
「不幸なはなし?」
「はいな、不幸ちゅうか、不運ちゅうか」
「どんなハナシ、なんですか?」
「いえね…」

 主治医は、眼鏡をかけなおすと、肘掛け椅子を軋らせながら、のりだして、いった。

「さっき、ミーお婆ちゃんのお母さんと、養父医者さんのお二人、出雲で知り合うて、電撃結婚しはった、ちゅうはなし、しましたな」
「ええ」
「なんで出雲大社で知り合うたか、ちゅうと」
「山岳シーズンをひかえて、トレーニングに、大山に登った帰り、だったんでしょう」
「養父医者さんはね」
「すると、ミーお婆ちゃんの、お母さんの方は」
「なんでやと、おもいます?」
「巫女さん、だったから、でしょ?」
「なんで、巫女さん、やってはったん?」
「お父さんの徳二郎さんが、ミーさんの祟りで、不運な死を遂げた…から、でしたよね」
「そうでんがな」

 主治医は、また、椅子の背に、どっかりと、もたれかかった。

「養父医者さんは、五体の記憶と心の関係に、土着の信仰を介して迫っていこう、ちゅうこと、でしたな」
「ええ、父が、いってたこと、ですね」
「一方、ミーお婆ちゃんのお母さんは、徳二郎さんに起こったミーさんの祟りを静めるために、巫女さんに、ならはったんですな」
「はい、ミーさんをお祀りするために、ね」
「お二人の出雲大社での出逢いは、土着の信仰を介して、なるべくして、そうなった、必然の、縁、エニシ、やと、おもいまへんか?」
「…おもい…ますね」
「とにかく、養父医者さん、巫女さんとの出逢いには、ミーさんの深い縁があったんや、と悟らはって、ね、すぐに、彫金屋に真鍮の叩き出し、鍛金加工、で白い蛇を造らせはって、それを自分のピッケルに嵌めこんで、山にいくときには、必ず、御守りとして、それを、もっていってはったんですわ」 「白蛇の杖、ですか、まるで幻想小説、ですね」
「それが、ね、ほんとは、幻想、で終われば、よかったんやけど」
「よかった?」
「実は、御守り、がね、祟り、になってしもたんですよ」
「タタリに?」
「養父医者さん、普段は、氷ノ山とか、大山とか、もっぱら、近畿の山に登ってはったんやけど、体力のあるうちに、一度は、ゆうて、北アルプスに挑戦しはったんです」
「山岳やる人だったら、当然、そうなるでしょうね」
「ところがね、それが命取りに、なりましてん」
「いのちとり!」
「巫女さん、つまり奥さんの、つよい反対を押し切って、白馬の山に奉納するんや、ちゅうて、年末年始の休みに、出かけはりましてな、いつもの、ミーさんの杖ついて」
「それで?」
「それで、途中で、雪崩に遭うて」
「なだれ!…」
「年末の豪雪で、ドカッと積もった雪が、年始の快晴続きで、ドサッと滑り落ちた、ちゅうわけですなァ」
「なんと…不運というか、不注意というか」
「年末年始、ちゅうのは、危ないんですよ、みな、休暇とって、ギリギリの日程で来はるさかい、のんびり、できまへんし、止めて帰る、ちゅうわけにも、いきまへんしなァ」
「死んじゃうよりは、ましでしょうに」
「ボン、それはね、山を知らんひとがいうこと、ですわ」
「おおぜい、亡くなられたんでしょうね」
「でしょうなァ…詳しいこと、分かりまへんけど、なんせ、昭和の初めのことやさかい」
「それは、そうですが…」
「ただ、当時は、みな、忙しいし、雪崩や、ちゅうても、組織だった救助活動なんか、できるわけもないし、そんなこんなで、ご遺体がみつかったのは、芽吹き時をすぎて、しばらくたってから、やったらしいですわ」
「雪解けのころ、ですか…」
「なんせ、沢筋の、避難小屋の近くで、五、六人の登山者といっしょに、亡くなってはったらしいですわ」
「グループだったんですね」
「そんだけ、ひとがおったのに、なんで、あと数メートの避難小屋が、みつけられへんかったんやろか、ちゅうて、みんな、嘆いてはったそうです」 「数メートル…」
「姫川沿いの宿に、みなさん、泊まってはって、台帳にもしっかり記帳してあったんで、すぐに、連絡きたそうですわ」
「巫女さん、ショック、だったでしょうね」
「ショックどころか、その報せ、聞いた途端に、卒倒しはりましてね」
「でしょうね…」
「…で、とにかく、しっかりせんと、ちゅうて、すぐに、引き取りにいかはって、遺品と一緒に、ご遺体、もって帰らはったんです」
「遺品?…」
「なんやと、おもいはります?」
「リュックとか、地図とか、登山用のグッズとか?」
「肝心なもん、忘れてはりますな」
「肝心なもの?…」
「白蛇の杖、御守りのピッケル、ですがな」
「あ、そうそう、そうでしたね!」
「ところが、ね、ピッケル本体の樫の心棒が、どっかにいってしもて、螺旋状に巻いた蛇の身体も、どっかに飛んでしもて、真っ黒になった頭、カシラ、ね、それだけが、残ってましたんや」
「カシラ、だけが?」
「そうですわ」

 主治医は、ゆっくり立ち上がると、燻し銀の鎌首を手にとって、いった。

「それが、コレ、ですわ」
「えっ!」
「よう見てくださいや、ボン、これが、さっき、ボンが、記憶の奥から呼び出してきた、床の間の、六根清浄の、杖の先に嵌めてあった、白蛇の鎌首、ですわ」
「そんな、バカな」
「おそらく、雪解け時に、落雷で、破壊されて、バラバラに、なってしもたんでしょうな」
「バカな、それは、ないですよ! それは、寺男がみつけた頭陀袋のなかに…」
「ボン!」

 主治医は、肘掛け椅子に座りなおし、真顔で、わたしを正視した。

「ボン、よう、聞きなさいよ、よろしおまっか、ボンの、その頭陀袋の記憶、はね、いわゆる、思い違い、ちゅうやつですわ」
「思い違い? そんな、バカな」
「バカちゃいますねん、ボン、それってね、専門的には、記憶のゆがみ、とか、認知の歪み、とかで説明できる、心理現象のひとつ、なんですわ」
「心理現象?」
「そうです」
「記憶のユガミ? 認知のユガミ?」
「そうです」
「バカな、わたし、まだ、そんなトシでは、ありませんよ!」
「そう、何度も、バカ、バカ、いわんと、よう、聞きなさい、ボン、それはね、トシとは、関係、ありまへんのや」
 「じゃあ、なにと関係ある、って、いうんですか?」
「記憶ですわ」
「記憶? それは、おかしいなぁ、記憶自体が、歪んでんでしょ! そんな、歪んだ三角点と、実際の測量値に、どんな関係が、あるっていうんですか?!」
「そのまえに、なんで、歪むんやと、おもわはります?」
「そんなこと、知る分け、ないじゃないですか!」
「いや、ボン、間抜けのはなしで、よう、知ったはりますよ」
「間抜けのはなし?」
「養父医者さんが、五体の記憶に想いを馳せる時間、て、定義しはった、あのはなし、ですよ」
「ああ、なんか、斬り合いで、心技体がどうのこうの、というはなし、ですね」
「そですがな」
「たしか、生きようとする五体の記憶に…」
「そうですがな」
「その、五体の記憶に、いつも想いを馳せるゆとりのことを、間、とかと、ゆうてましたね」
「そうですがな」
「そのゆとりが、心の側になくなってしまうと、間抜けになって、殺しあいになる」
「そうですがな」
「それと、記憶の歪みと、どういう関係がある、というんですか?」
「間が抜ける、というのは、記憶と心の疎通がなくなる、ちゅうこと、ですわな」
「たしか、五感、六感、七感…を介して、記憶と心が通じあえる、とかということ、でしたね」
「そうですがな」
「すると、五体の記憶は、感覚を介して、心と通じ合う、ということに、なりますね」
「そうですな、そういうことに、なりますな。では、ボン、感覚を介さないとしたら、どうなりまっか?」
「…心と通じ合わなくなる、でしょうな」
「そうですがな、記憶と心が、シンクロ、せんようになりますがな」
「ひょっとして、それが、ネジレ、というわけ、ですか」
「そうですがな」
「ちょっとまって、ください…記憶と心がシンクロするのが尋常、記憶と心がシンクロしないのが異常、としたら…尋常が異常になるのは、感覚を介さなくなるから、ということに、なりますね」
「そうですがな」
「だとすると、ですよ、感覚を介さなくさせるなにか、が、そこに、介在するわけ、ですね」
「そうですがな」
「それ、なんなんですか?」
「それが、言葉、ちゅうやつ、ですがな」
「言葉?」
「言の葉とちゃいまっせ、言葉、すなわち、言説ですわ、根も葉まない、何とか論とか、何とか主義とか、理屈でしか分からん、体感もできん、感覚の対局にあるもんが、やね」

 右手を上げ、左手を振り、顔を真っ赤にして、かれはつづけた。

「それがやね、感覚を凌駕、ちゅうか、排除して、あつかましゅう割り込んできて、心のありように、ちょっかい、出しはるんですわ」
「ちょっかい?」
「さっきの、三角点にたとえると、やね、水準点に、わるさ、しはるんですわ」
「水準点?」
「なんぼ三角点が立派でも、水準点が歪んでたら、あきまへんやろ」
「つまり、水準点をずらす、ということですか?」
「わざと」
「つまり、認知の歪みは、恣意的に編み出された言説、すなわち、観念とか、思想とか、が、元凶だと?」
「ズバリ、ですわ!」

 そこで主治医は、腕組みをして、どかりと座りなおした。

「ズバリ、だれかが、なんらかの恣意を働かせて、記憶と心との疎通を、妨害、しはるんですなァ」
「ちょっと、待ってください」

 そんな勝手な理屈で、他人のことを決めつけて、いいものか。

「だれかが、って、いったい、だれなんですか?」
「だれかのなかの、だれか、ですわ」
「はぁ…すると、先生は、わたしが、わざと、恣意的に、自分の記憶を、歪めてる、とでも、おっしゃりたいんですかね!」
「ま、ボン、そう、慌てんと、ゆっくり、いきまひょか」
「別に、わたし、慌てて、ませんよ」
「とにかく、それに、お答えするまえに、ひとつ、わたしの方から、質問して、よろしおまっしゃろか?」
「ええ、どうぞ」
「ほんなら、折り入って、お尋ねしますけど」
「なんでしょう?」
「ボンは、なんで、大阪、出はったんですか?」
「大阪を、出た?…」
「ボンは、知りはらへんやろけど、ボンが大学に行かはったとき、お父さん、こう、ゆうたはりましたで、あいつは、もう、大阪に帰ってきよらんな、ちゅうて」
「大阪に、帰って、こない?」
「はいな」
「どうして、ですか?」
「そんなこと、知りますかいな、こっちが訊きたいことですがな!」

 大阪を出たら帰ってこない…なぜ、そんなことを? どんな理由で? まさか、父とわたしの間に、なにか不具合ことでも、あったのか? 二人の間に、確執とか、諍いでもあれば、理解できないわけでもないが、父と争ったことなど、一度もなかったし、そのような記憶もない。なぜ父は、わたしが二度と大阪に戻らない、などと考えるように、なってしまったのだろうか…。

「先生は、いつ、父から、そんなことを、お聞きになったんですか?」
「さーて、いつごろやったかなァ…そうやね、最初に聞いたんは、ボンが、ちょうど、高校に進学しはって、しばらくしてからのことやったと、おもいますなァ」
「高一のとき?」
「はいな、行きはった高校が高校だけに、自由な教育方針、なんていえば、聞こえがええけど、その実、日教組の牙城みたいな府立高、でね」
「日教組?」
「そうでんがな、教育そっちのけで、運動ばっかりしたはった先生方の拠点やったとこ、でんがな」
「そんな高校だったんですか?」
「そんな高校やて、自分で行ってはった高校でっせ、なに他人事みたいに、ゆうてはるんですか」
「自分が通っていた高校、ですか…」
「よう、憶えてはる、でしょう?」
「いや、実は、まだ、よく、おもいだせて、いないんですよ」
「それ、ほんまでっか?」 

 信半疑を隠そうともせず、主治医がいった。

「ほんまに、おもいだせまへんのか?」
「ええ、入学して、すぐに、バスケに入って、部活ばっかりしてたんですけど、そのあたりまでは、よく憶えているんです、でも、他は、おもいだせない…」
「おもいだせない…ちゅうことは、忘れた、ちゅうこととは、ちがいますな」
「そう、ですね…」
「ほんなら、おもいだしまひょ、一生懸命」
「そうしてます」
「ほんま、でっか」
「ほんとうです」
「ボン、わるいけど、わたしには、ボンが、一生懸命、おもいだそうと努めてる、とは、おもわれへんのですけどなァ」
「なんで、そんなことを、おっしゃるんですか!」
「あのね、ボン、わたし、あなたの主治医なんですわ、しかも、記憶回復の治療に直接関わってる専門医、なんですわ、こうみえても」
「それは、よくわかっていますよ」
「しやから、責任が、あるんですわ、責任が」
「それも、よく、分かってます」
「ほんまに、よう、分かったはりますか?」
「ほんとに、よく、分かってます」
「ほんなら、一生懸命、おもいだして、ください、ボンは、なんで、大阪を出はったんですか?」
「なんで、大阪を、出たか…」
「ボンは、高校入学早々、部活はじめた、と、ゆうてはりましたな」 「はい、バスケットボール部です」 「なんで、バスケに?」 「中学でも、やってましたので、高校でもと…」

 主治医は、おもむろに、わたしの右手をとり、自分の左の掌に合わせると、からかい半分にいった。

「ハハーン、ボンは、あんまり、バスケに向いてまへんなァ、気の毒やけど」
「えっ」
「ほら、ボンの手、わたしのより、小さおまんがな」
「そう…ですね」
「こう見えても、わたし、バスケ、やってたんでっせ、むかしですけどな」 「へー、そうなんですか!」
「しやけど、ある日、監督にいわれました」
「いわれた、て、なにを」
「オマエの手は、小さすぎる、バスケに向いてないから、なんぼやっても、大成せんぞ、ちゅうてね」
「ずいぶん、ひどいことを」
「いや、そういうことは、はっきり、ゆうてもろた方が、よろしいんや、諦めがつきまっさかいな、おかげで、わたし、今でも、こうやって、医者やりながら、長生きしてるんですわ」
「はぁ…」
「ボンは、どないでした、監督さんとか、部員とか、だれかから、なんか、いわれまへんでしたか?」
「なにか、いわれた?…」
「高校生やから、みんな、結構、いいたい放題やったんと、ちゃいますか、オマエはバスケに向いてない、とか、ほかに、もっと、おもろいいもん、あるで、とか、なんやかやと…」

 ふと、暗い部室の光景が、脳裏を過った。主治医のいうとおり、わたしの手は、普通の男子のそれより、かなり小さかった。中学で三年間、バスケに夢中だったが、一度も公式戦には、出たことがなかった。パスもドリブルも、遜色はなかった。だが、シュートに、冴えが、なかった。とくに、接近戦からフェイントをかけて、伸びあがりざま片手で攻めるジャンプシュートには、威力がなかった。

「そうか…」

 ボールに比べ、手の指が短く、スナップが効かない。距離がいかない。成功率は、当然、低くなる。選手として、利用価値が、ないのだ。

「ほら、やっぱり、そうでんがな、ボン、それ、わたしと、同じですわ」

 手首でスナップを利かせる振りをしながら、主治医は満足げに、うなずいた。

「そうですね、おなじ、弱点、ですね…」

 その弱点に気がついたのは、高校のバスケ部に入ってからだった。みな、うまかった。中学で、さんざん鍛えた連中だろう。かれらとの力の差が、自分の弱点に気づかせてくれた。それからは、なにかにつけ、いつも、気後れした気分に、なった。落ちこんだ。バスケを止めよう、とおもった。鬱々とした部活に、嫌気がさしてきた。そんなとき、サッカー部の主将だった、おなじクラスの同級生から、やらないかと、誘われたのだ。
 かれは、いった。

「あんな、ちっちゃな体育館で、ちょこまか走って、カゴにボール放り込んで、なにが、おもろいんや、グランドは、大きいぞ、広いぞ、思いきり走れるぞ、暴れられるぞ、それに、おまえの脚は長い、思いきりボール蹴れ、ちゅうて、親が、わざわざ、生んでくれたんや、それに答えんと、おまえ、オトコやない、あかん、おまえは、絶対、サッカーに向いてる、男気だして、思いきって、バスケやめて、サッカーやれよ、ウチへ来いよ…」

 おだてられて、嬉しかったのか、すぐに、バスケを止めてサッカー部に転部したい、と、三年生のバスケ部長に申し出た。途端に、横面を張り飛ばされた。

「おまえ、裏切るんか! なにがサッカーや、アホみたいにグランド走りまわって、ボール追いかけて、蹴とばして、手ぶらぶらさせて、あと追っかけて、それ、脳みそないヤツの、やるこっちゃで、左巻きの、やるこっちゃで、なにが、サッカーや、おまえ、アホか、ボケか…」

 文節の一区切りごとに、ポカ、ポカと、殴られた。詰襟のカラーが喉に食い込むほど、振り回された。見かねた二年生の副部長が、止めに入らなければ、頭も顔も、こぶだらけになっていたに、ちがいない。

「…あれが、最初で最後の、栄光と挫折、だったのかもしれないな…」

 瞬間、霧散していた、数しれない記憶の断片が、マグネットパズルのピースのように、それぞれの磁場を求めて、勝手きままに、集まりだした。 あの、暗い、小さな、ほこりと汗と、湿気の充満した部室が、霧消しかけた記憶への、迂回路になってくれたのかも、しれない。

「最初で最後の挫折、でっか?」
「…いや、最後では、ないな」
「そりゃ、そうや、最後はいいすぎや、だいいち、若すぎますがな、いまのうちやで、ボン、しっかり自分をとりもどしておかんと、いまのボンになるまでに、どれだけのひとと出逢うて、どんだけの経験をしてきたか、ボン以外に、だれが想像できます? だれが思い出せます?」
「はぁ…出逢いと、経験、ですか…」

 この歳になるまで、どれだけのひととの出逢い、どんだけの経験をしたか…たしかにそうだ、何十年も、無為に過ごしてきたわけではない。多くのひとと知りあい、交流し、気持ちを分かちあい、時には、いがみ合い、喧嘩もし、侮蔑しあったことも、あったはずだ。ことと次第によっては、成りゆき一つで、ひとを殺めていたかも、しれない、いや、自分が殺されていたかも、しれないのだ。まさに、生は奇跡だ。

「えらい、深刻な顔、したはりますな、ボン」

 主治医が、わたしの顔を覗きこんで、いった。

「いや…」
「で、結局、ボン、どないしはったんですか?」
「どうって?」
「その、サッカー部に、転部しはったんですか?」
「あ、はい」
「バスケの部長さん、許してくれはったんですか?」
「ええ、二度とバスケの敷居をまたぐな、ていわれましたけど、最後には、解放してくれました」
「えらいこっちゃ」
「かれも、真剣だったんでしょう」
「若さ、やなァ」
「あ…」

 一瞬、蘇った記憶が、あった。

「ボン、どないしはった?」
「…朝鮮人…」
「え」
「いや、入部したその日、新入部員として、みなに、紹介してくれたんですけど」
「おなじクラスの主将やったね、紹介してくれはったんは」
「ええ、そうです、で、わたしの方からも、簡単に、自己紹介したんですけど」
「なんや、バスケ部より、だいぶ、文化的、やねェ」
「そのあと、それぞれの部員の紹介があって、最後に、副主将が、自己紹介、したんですよ」
「ナンバー2、やね」
「はい、それが、一年先輩の二年生で、朝鮮人、だったんですよ」
「朝鮮人?」
「はい、たしか、あのころ、府立高では、朝鮮人学校との交換交流、という方針がありましてね」
「生徒の交換?」
「学校間交流、ですかね、かたちを変えた、朝鮮人との交流、ですよ、在日朝鮮人学校の生徒を、一定数、府立高に受け入れて、戦後、府民感情に根強くのこる差別意識を、なんとか啓発しようと、だれかが考えだした、苦肉の策、みたいなもの、だったんじゃないでしょうか」
「そういえば、なんか、京都の方でも、おんなじようなこと、やってはるって、聞いてましたなァ」

 いうと、主治医は、右手の指を四本、立てた。

「あっちは、こっちも、仰山、いはりまっさかいなァ」
「ま、とにかく、サッカー部の部室は、バスケのとは違って、グランド側の大きな窓、網入りの磨りガラス、だったんですけど、そこから、午後の強い照り返しが、パー、と、はいってきて、すごく、健康的だったし、殴られる心配もなかったし、だから、とても丁重に扱われたような気がして、ポー、としちゃったんですよね、そこへ、いきなり、その、朝鮮人の先輩が、副主将の柳です、よろしく、おねがいします、て感じで、すごく、丁寧な、ていうか、それまで、母校では耳にしたこともない、明快で、歯切れのいい日本語で、リッチでシャープな雰囲気で、話しかけられたので、ほんと、びっくりして…」
「ボン、なに、ゆうたはんのか、よう、わかりまへんが」
「いや、とにかく、サッカー部に入って、すぐに、すごい先輩と、出逢ったんですよ」
「朝鮮人のヤナギ、とかいう、副主将さんでしょう」
「ええ、出逢った、というか、むしろ、立ちはだかった、という感じ、でしたね」
「立ちはだかった?」
「大きな、分厚い壁が」
「よっぽど、大きかったんかいな」
「そんなでも、ないんですけど、ただ」
「ただ?」
「どういえば、いいのかな…つまり、このオレを乗りこえてみろ、とかと、挑発、いや、そんなじゃないな、こう、挑戦したくなるように仕向けてくれる、というか、勇気づけてくれる、というか…」
「わかった、目上のひと、ちゅうか、優れたひとへの憧れ、ちゅうか、ボンは、その朝鮮人に、一目惚れ、しはったんやね?」
「一目惚れ?…」
「よう、ありまんねん、その年頃には」
「憧れ、ていえば、バスケにも、憧れた上級生、いましたよ、怒りの部長を制して、わたしを解放してくれた、あの副部長だった先輩だって、すばらしいひとでしたよ」
「それは、多分、下級生の、上級生への憧れ、ですわ」
「どういう、ことですか?」
「まず年上や、ちゅうこと、ですわな、それから、バスケの技術、タッパや体力、勇気や決断力、いろいろ、ありまんがな、このひとには、自分はかなわん、ちゅうことが」
「すると、柳氏、サッカー部では、かれのことを、なぜか、氏をつけて、ヤナギシ、と呼んでたんですが、その柳氏の場合は、どうだったんですかね」
「ボンの、柳氏、ヤナギシ、ですか、その先輩への憧れは、ね、上級生、下級生の枠を超えた、ゆうてみたら、未熟な少年の、大人の男、に対する憧れ、みたいなもんや、ないやろか、と、おもいますなァ」
「未熟な少年!」
「はいな、ボンは、お母さんや、お姉さんや、お父さんや、沢山の、ご家族のひとの愛情に包まれて、なに一つ不自由のない、幸せで、恵まれた育ち方、しはった、なんにも知らん、芦屋のボンボン、でしたんやろ」
「ま、苦労してない、ということは、事実ですが」
「お父さんも、シベリア抑留で、死にかけて、帰還してきはって、その後はずっと、ある意味では、世捨て人、みたいな心境で、生きたはったと、おもうんですがね、ただ」
「ただ?」
「家族を飢えさせない、という責任感だけは、捨てられまへん、ただ、そのためにのみ、生きたはったんと、ちがいますやろか」
「そのわりには、子どもには、あまり、感心がなかったようでしたね」
「いや、そやありまへんねん」

 主治医は、右手を振って、否定した。

「ボン、それは反対ですわ、みなさんにどれだけ愛情をそそいではったか、わたしが、よう、知ってますわ、感心がないんやない、それ、放任主義、ちゅうやつですわ、好きなように思いきり生きろ、ちゅう、無言のエール、ですわ」
「無言のエール?」
「お父さん、お子たちを、怒りはったこと、ありますか?」
「姉ふたりは、よく、怒られてましたね」
「ほう、なにを、怒られてはったんですか?」
「上の方は、食べるときに、ペチャクチャ音たてるな、とか、下の方は、姿勢がわるい、猫背はいかん、背中にものさし差し込むぞ、とか、けっこう、きびしく、やられてましたね」
「それは、ボン、父親には娘をしつける責任がありますがな、いずれお嫁にださんと、あきまへんからな」
「すると、わたしは」
「男の子でっしゃろ、どうでも、よろしおまんねん」
「どうでも、いい!」
「そうでんがな、男一匹、自分の人生や、自由に生きろ、他人がとやかくいうことやない、なにをやろうが、自分の勝手や、好きに食べていけー、それまで、オレが後を押してやるー、ちゅうわけ、ですな」
「ということは、つまり…」
「ボンは、ある時期まで、ずっと、背中を押されて、生きてはったんや、自分の前に、立ちはだかって、邪魔するひとは、だれも、おらんかった、つまり、反抗し、抵抗する相手が、おらんかったんや」
「反抗、抵抗?」 「ひとは、ね、反抗して、抵抗して、成長しますねん、目のまえに立ちはだかって、邪魔するもんに反抗して、抵抗して、それを乗りこえて、はじめて、次の段階に成長できる、そのように、できてるんですわ、人間ちゅうのは、しやから、ひとは、大人になるまえに、かならず、反抗期という時期を、通過していくんですわ」

「すると、反抗期がない、ということは」
「成長しとらん、アホ、ちゅうことですね」
「成長してないアホ!?」
「ポヤーン、として、ボケー、として、まだ夢の世界で、ボール蹴って、遊んではった坊やがいはって、そこへ、ドーン、と、ヤナギシ、とかいうひとが現れてくれたんや」

 主治医は、またどかりと、座りなおした。

「ここ、大切でっせ、さっき、ボンは、いみじくも、分厚い壁が立ちはだかった、と、自分で、いいはりましたで」
「ええ、そう、感じたからですが」
「それは、つまるところ、ボン自身が、成長するために、自分がおもいきり反抗できる相手を、自分で見つけはった、ちゅうことですよ」
「自分で、みつけた…」
「そうだっせ、自分で、みつけはったんでっせ、ボン、そのときの、ムラムラした気持ち、よみがえってきまへんか、ほら、ムラムラッと」

 べつに、ムラムラとは来なかったが、かわりに、次々と、脳裏によみがえってくるものが、あった。それまで、自分のなかに充満していた記憶の断片や、思い出の数々、グラリと揺らいだ日溜りのビー玉、公設市場の喧騒、八百屋、乾物屋、真夏の水疱瘡、父が引き抜いてくれた回虫、大口を開けた恐怖の便器、歌舞伎の花道や人形浄瑠璃、義太夫節、鴈治郎の獄門長、電柱に張られた美智子妃殿下のご成婚祝いのビラ、天王寺の駅裏、山積みのミカン箱、剥いだ犬皮の山、汗だくのバスケの合宿、隠れてガブガブのんだ体育館二階の蛇口、赤い羽根、折れた矢、駅馬車、拳銃無宿、ローハイド、アチャコ、蝶々、千栄子、鞍馬天狗、紅孔雀、福田蘭堂、白鯨、戦争と平和、アンナ・カレーニナ、鉄仮面、モンテクリスト伯、武器よさらば、ヘンリーライクロフトの手記、弦楽六重奏、バルバラ、ブラッサンス、ぺぺルモコ、カスバ…みな、親密に、隙間なくつながり合った、濃密で掛け替えのない、世界だった。

「それが…」
「それが、て、なにが?」
「いや、柳氏に出逢ってから、それまでの、あたりまえのように、そこにあった、いろんな思い出や記憶が、宙に浮かんだ、モザイク画みたいに、石やガラスや貝殻の、緻密で細かい小片が寄り集まって、手を伸ばし、手繰り寄せれば、その動きに合わせて、右に左に、縦横に、自在に変容し、柔軟にゆらぎながら、おもうままに、ついてきてくれたのに、それが、にわかに、バラバラになって、ひとつひとつが疎遠になって、つながりがなくなって、すごく色褪せて、精彩もなくなって、陳腐そのもの、って感じになって…」 「要は、それまで、自分や、と思てたもんに、幻滅しはったんやね」
「幻滅というか、どんどん自分が空になっていく、という感じですかね、だから、正反対に、とくに、ヤナギシの、歯切れのいい、キリッと引き締まった喋り方や言葉、日本語に、分けもなく魅了されて、というより、むしろ翻弄されて、かれの、やること、なすこと、はなすことが、ビンビンと、空っぽになった自分のなかに、入ってきて、自分自身が、完璧に、牛耳られてしまったような感じ、ですかね、いまからおもうと」
「ほー、えらいこってすなァ、まるで、ハイジャックですがな」
「あながち、いいすぎでは、ないみたいですよ、実際、乗っ取られていたのかも、しれません」
「そんな、他人事みたいに、いいなはんな」
「もちろん、当の柳氏に、そんな気は、毛頭なかったでしょうけど」
「しかし、絶大な影響力をもってたわけやね」
「サッカーも、すごかったですよ」
「技量に、半端なかった?」
「キックの技術、すごかった、まず、強靭でしたね、躯体そのものが」
「ちゅうと?」
「バスケの場合、ある意味で、体の交わし合い、みたいなところがあって、体と体が直接ぶつかりあう場面て、あまりないでしょう」
「ま、そうですな、すぐ、反則とられまっさかいな」
「でも、サッカーの場合、ボールの奪取は、タックルですよ、まず体当たり、両腕両肩で相手を押しのけ、股座に膝をねじこんで、ボールをかきだす、まさに、格闘技、なんですよね、だから、みな、目に見えないところで、さんざんワルいコト、やってるんですよ、こうやって」
「そっちの方でも、柳氏は、強かった?」
「相手に、してくれませんでしたね、どれだけ頑張っても、一度もボール、とれたこと、なかったですよ」
「ほー、よっぽど、頑丈やったんや」
「骨太で、頑丈で、太ももなんて、わたしの倍くらいあったんですけど、身軽で、敏捷で、身のこなしが、尋常じゃなかったですね、まるで、ニンジャみたいでした」
「天賦の才やね、そら、相手に、してくれまへんわなァ」
「いや、わたしが相手になれなかっただけ、なんですよ」
「なんや、身も心も、柳氏にやられてしもた、ちゅう感じ、ですなァ」
「ええ、かれは、いろんな面で、先、行ってましたね、目から鱗、というか、世の中の事、たくさん、教えてくれました」
「へー、どんな、こと?」
「いまから、おもうと、かれ、柳氏は、おそろしく、硬派なひと、だったんですね」
「硬派?」
「ええ、ピョンヤン出の良家の子弟で、生まれたのが、ちょうど終戦の一年まえ、新潟のどこだったか、忘れましたけど」
「どこでもええけど、もろ、日本人や」
「でも、本人は、いつも、ボクは朝鮮人です、て、いってましたね」
「なんでやろ、日本で生まれて、日本で育ってんのに、ねェ?」
「わたしも、一度、訊いたことがあります、どうして、わざわざ、朝鮮人、ていうんですか、て」
「そしたら?」
「血が違う、て」
「血が違う?」
「記憶も、違う、て」
「記憶も違う?」
「血には記憶があって、父母、祖父母、祖祖父母、その他もろもろの記憶が、血で受け継がれていく、ボクの血には朝鮮、ピョンヤンの記憶が、受けつがれている、父は、それに気がついていない、キミだって、キミの血には日本や大阪や、先祖代々の、家族の記憶が、しっかりと受け継がれてるんだ、とかと、真顔で、いってましたね…」

 はなしながら、部室のコンクリの床で、両脚の間でボールを転がしながら、わたしに向かって話す柳氏の姿を、おもいだした。そして、そのとき、かれがいつも、自分をボクといい、ひとをキミと呼んでいたことに、いまさらながら、感心したのだった。

「その、父が気がついてない、ちゅうのは、柳氏のお父さんのこと、でっか?」
「ええ」
「つまり、先祖代々の記憶が、血の中に受け継がれてる、ちゅうことに、お父さんが気づいてない、ちゅうことでっか?」
「だと、おもいます」
「そら、おかしいわ」
「…なぜ?」
「それ、逆でっせ」
「逆?」
「はいな、記憶は場所を選びまへん、日本におっても、朝鮮におっても、アメリカや月におっても、記憶は記憶や、血のなかから、逃げていきまへんがな」
「そりゃ、そうですけど」
「高校生の柳氏には、自分は自分だ、と充足させてくれる記憶が、まだ、蓄積されてまへんのや、しやから、自信がない、その自信のなさを、お父さんのせいに、ちゅうか、反抗のタネにしたはるだけですわ」
「でも、在日を選んだのは、お父さんですよ、柳氏からすれば、柳家の統領が自ら自分のルーツを捨てた、という風に、みえるんじゃ、ないんですかね」
「それはね、さっきもゆうたように、お父さんや家族のひとは、自分のルーツ、記憶が、ね、血を介して脈々と受け継がれて、自分を満たしてくれてるから、月にいても、火星におっても、自分は自分や、と納得するのに、寝ころんで、目つむるだけで、事足りるんですわ」
「いま流行の、アイデンティティ、というヤツですか」
「そうです、日本語でゆうたら、自己証明、ちゅうヤツですな」
「すると、柳氏は?」
「キミの柳氏クンには、自己を証明できるだけの記憶が、まだ、足りまへんのや、家の中では朝鮮人、一歩、外に出たら日本人、どっちも中途半端、ボクは、いったい、どっちやねん、ちゅうハナシですな 」
「しかし、いくら中途半端でも、記憶は記憶でしょ」
「あのね、ボンには、もう、何回か、はなしたこと、ありますけど、記憶には、二つ、ありまんねん」
「ふたつ?」
「はいな、まず、生きるための、生き延びていくための記憶、これを、生命の記憶、ちゅいまんねん」
「生命の記憶?」
「も一つは、存在の記憶、と、いいましてね、自分が、この世に存ることで、蓄積されていく記憶、というヤツ、ですわ」
「わたしには、まったく同じに、みえますけど」
「マクロではそうでっけど、ミクロでは、そうは行きまへんのや、生命記憶は、いわば、五体の記憶、でしてね、頭で意識できるもんやおまへん、体の細胞ちゅう細胞に、ドシーンと居座って、陣取って、五体を支配して、進化させて、生命自体を統率、管理してるんですわ」

 一息つくと、主治医は、またはなしだした。

「ところが、一方、存在の記憶、ちゅうのは、ね、自分でつくっていく記憶でね、一から十まで意識できる記憶なんですよ、たとえば、ね、モチつくるには、どうすりゃええんや、と考えたときに、すぐ、モチ米といて、蒸籠でふかして、臼で搗いて、丸めて、米粉でまぶして、できあがり、ちゅう一連の作業が、黙ってても、浮かんできまっしゃろ、そこには、ひとが居って、家族がおって、代々、ひたすら生きる工夫をしながら、存在しつづけてきた、ちゅう存在の証が、やね、ちゃんと記録されてて、記憶として保存されてるから、いつでも、再生できるように、なっとるんですわ」
「としても、ミクロもマクロも、実質、同じじゃ、ないですか?」
「いや、生命記憶に手をつけよ、おもても、できまへん、しやけど、存在記憶の方は、好き勝手に、創作したり削除したり、できるんですな、これが」 「創作、削除、できる?」
「はやいはなし、気に入らん記憶は、忘れたろ、ちゅうて、忘れよと決めたら、忘れてしまうんですわ」
「そんなもん、なんですか」
「はいな、いいかげんなもんでっせ、反対に、これは気に入った、ちゅうことがあれば、自分がやったことにして、自分の存在の証として、記憶に登録できてしまうんですよね、これがまた」
「そんな」
「世界中で、やったはりますがな、いろんな国が」
「国が?」
「歴史の改竄ゆうて、とくに戦争に勝った国が、ね、自分の都合のええように、歴史を改竄して、着々と、嘘の事実を創作したはるでしょ、それと、おなじことですわ」
「ウソは、いずれ、バレるんじゃ、ないですか」
「まさに!」

 したり顔で、主治医は叫んだ。

「まさに、おっしゃるとおり、虚に礎を置けば、どんな王朝でも、必ず滅んでしまう、自明の理、ですな」
「でも、国益を守ろうとしてウソをつく、これ、分からないでも、ないですよね」
「為政者としてはね、国を成り立たせるために、止むを得ずウソをつく、これは、あるでしょうな」
「しかし、ですよ、国は理解できるとして、個人で、自分の記憶を改竄するなんてこと、できるもんじゃないでしょ」
「ええとこ、気がつきはりましたわ、ボン、それが、できるんですわ」
「どうやって?」
「適切な例になるかどうか、分かりまへんけど、たとえば、キミの柳氏クン、の場合やね」
「え?」
「かれ、ピョンヤンに行かはったんと、ちゃいまっか?」
「え?…」

 たしかに、柳氏が、ピョンヤンにいった、という噂を、耳にした覚えがある。あれは、わたしが二年、かれが三年になった春のことだったろうか。かれが、なんの予告もなく、いつもの部活に、出てこなくなったのだ。なにかにつけ、柳氏の言動に心酔していたわたしは、腑抜け状態に陥った。

「先生は、なぜ、そう、おもわれるんですか?」
「なんでや、と訊かれても、これでや、ちゅう理由、とくに、ありまへんけど、自分のなかに空白を感じてるとき、ちゅうのは、えてして、あること、ないこと、思いきり寄せ集めて、その穴を埋めようとするもんなんですよ」 「すると、柳氏の場合は?」
「父親が、ピョンヤンの一族を裏切った、許せん、と、本人は、息巻いてはったんやけど、実際には、ほら、しっかりと自分を主張できるほどの教養も、一貫した記憶も、気力も、まだ蓄積されてませんがな」
「まだ、高校生ですからね」
「また、そのことも、自分が一番よう分かってるし、そんな自分の不甲斐なさ、そんな不甲斐ない境遇に甘んじるしかない不甲斐ない自分、この二重の不甲斐なさ、やね」

 主治医は、右手でつくった拳を振り振り、のりだしていった。

「このダブルパンチに、若い血が煮えくり返って、やり場のない怒りに耐えられんようになって、もう我慢の限界や、となると、さァ、後先考える余裕もあらしまへんがな」
「はあ…」
「な、ほんなら、ボクは本当の朝鮮人になってやる、ちゅうて、一念発起して、一族の故郷、ピョンヤンへ、帰郷の旅に出るしかなかったんや…と、わたし、勝手に、想像してみたんでけすど、どうでっか、この、わたしの、独善的な仮説、は?…」

 なるほど、たしかに独善的ではあった。だが、あながち、単なる仮設にすぎない、といいきれるものでも、なかった。柳氏が目の前に現れ、居なくなるまでの一年間、わたしは、かれに、意のままに、操られていたような、気がする。ボールを蹴る、ドリブルで駆ける、ヘディングでパスをつなぐ、敵を欺くオフサイドトラップ、その他、もろもろのテクニックはもちろん、フォワードとバックスをつなぐ中盤の動きや、様々なパスの種類、攻防のタイミング、フェイントのかけ方、タックルの要領、ひいては、隠れた駆け引きと反則のやり方、などなど、無我夢中で、かれのリードに従った。そして、一旦、部活を離れると、かれの人となりや人生観、価値観、美意識、好きな映画、愛読書、その他、生に関わる細かな領域にまで立ち入って、執拗に、かれの後ろを追っていたような、気がする。

「そうか、ピョンヤンか…」
「ボンも、そうおもわはるでしょ?」
「いや、おもうだけじゃなくて、当時、ふたりして、ピョンヤンに惹かれていたことは、たしかだとおまいますね」
「二人して?」
「ええ、先生も、ご存じだと、おもいますけど…」
「なにを?」
「…みなさん、こんばんは、こちら、ピョンヤンです、ラジオ・ピョンヤンの日本語放送です、今日は何月、何日、何曜日…これ、覚えてらっしゃいませんか?」
「ああ、それね、覚えてるどころか、忘れもしませんな」
「そんなに、関心が?」
「もちろん、ありましたで、ただ、ボンとは、ちょっとちがう観点からやと、おもいまっけどな」
「どんな?」
「ボンが大連で生まれはったころ、わたし、奉天におりました、まだ十二歳の子供でしたけどね」
「奉天ですか」
「いまの瀋陽ですな」
「あちらでも医院を?」
「はいな、満州国きっての大都会ですがな、人口も一番多かったし、こりゃいける、ちゅうて、先代が、中心地に近い界隈に、豪勢な一軒家を借りて、開業しましてね、ほとんど、日本人相手ですわ、満人は、よっぽどでないと来ませんでしたね、カネ、ないからね」
「満鉄のおかげですか」
「それも、ありますけど、朝鮮総督府鉄道の延長の方が、よっぽど貢献度、たかかったでっせ」
「朝鮮総督府、ね、なるほど、当時は、日本、でしたものね」
「わたしが、ちょうど中学校に進学したころ、下関と奉天がつながりましてね」
「ほう」
「下関、プサン、ピョンヤン、奉天、と、連絡船とのぞみ、ひかり、で、行き来できるように、なったんですわ」
「のぞみ? ひかり?」
「そうだっせ、いまの新幹線ののぞみ、ひかり、は、朝鮮総督府鉄道のパクリでっせ」
「パクリ、というより、レプリカ、でしょう」
「とにかく、わたしの遠い親戚で、宗教関係やってたひとが、ピョンヤンにおりましてね、そこを訪ねて、何回も、奉天、ピョンヤンを往復した思い出が、ありまんねん、ひかり、と、のぞみ、に乗ってね」
「ひかり、と、のぞみ、でねぇ」
「はいな、ひかり、と、のぞみ、はね、昼と夜を互いに補完し合う関係にありましてね、ひかりの昼行便で行くと、ね、ピョンヤンに一泊して、翌日、さんざん遊んでから、のぞみの夜行便で、グッスリ眠りながら、奉天に帰ってこれまんねん、今度は、のぞみの夜行便で行くと、ね、朝着いて、一日、さんざん遊んで、次の日の朝、昼行便で帰ってこれまんねん」
「要は、昼夜、都合に合わせて、効率よく選べる、というわけですね」
「そのとおりですわ、なんで、こんな、つまらんことゆうか、といいますとね、鴨緑江を渡ってピョンヤンに入る、ピョンヤンを出て鴨緑江を渡る、そのときの、あの風景ですわ、当時、列車は、最後尾が解放されたデッキになってましてね、あの冷え切った鉄製の手摺にかじりついて眺めた、あの景色、空気、風、土草のにおい、ね、単なる川が流れる田園風景、ちゅうもんや、あらしまへん、なんちゅうか、胸にグッとくる、ここ、心臓を鷲掴みにして、グリグリ抉られ、かきむしられるような懐かしさ、この世から、みるみる切り離されていく哀切の情やいかに、とでもいいますかね、それが、わすれられなくて、引き揚げで、縁が切れてしもたせいもあって、懐かしくて、いまでも、涙ポロポロですわ、しやから、こんがらがった自分をリセットすつために、ダイヤル合わせて、ひとり聴くことに、してますんや、こちら、ピョンヤンです、ピョンヤンの日本語放送です、みなさん、こんにちは、今日は何年何月何日の…」

 ラジオ放送をまねる主治医の目が、かすかに潤んでいるように見えた。

「なるほど…」

 主治医の旅情を耳にしながら、ふと、おもい起した。柳氏の、同じピョンヤンを想う眼差しは、しかし、鋭く、輝き、精気を漂わせ、他人を巻き込む威力に溢れていたのではなかったか…と。

「…その、先生の乗った列車で、柳氏も、ピョンヤンまで、帰ったんでしょうね」
「さァ、どやろか、分かりまへんなァ、朝鮮戦争でどうなったか、想像も、つきまへんしなァ、その後の放送では、鉄道網は再建、整備されて、結構、中共とも行き来してるみたいでっせ」

 いい終わると主治医は、寿司でも食べまひょ、といって受話器をとった。外は、すでに、暮れかかっている。蛍光灯の室内が、明るくなった。薄暮を背に、白衣とセーター姿の二人が、診察室の窓ガラスに、映っていた。

「いや、先生、そろそろ、終わりにしないと…」
「いや、いや、本題は、これからでっせ、ボン、これからでっせェ…」

 いいながら、大声で、江戸前にぎりの上の上を、三人前、注文し、こう付け加えた。

「それに、何本か、トックリ、添えとってね、いま、お客さんでんねん、しゃべりすぎて、ハラペコですわ、ワッハッハハハハハハ…」

 これが、芦屋の名医、というものらしい。

「さて、ボン」

 受話器を置いた医者は、真顔に戻っていた。

「ボンは、なんで、ピョンヤン放送、聞いたはったんですか? おもうに、ボクのヤナギシクンに、聴いてみたら、ちゅうて、誘われたんと、ちゃいますか?」

 なるほど、そういわれれば、その通りだった。

「そうですね、誘われなければ、そんな放送局、知らなかったでしょうしね…」

 いいながら、梅田の電気街を思い出した。高校受験に受かったとき、なぜか、母親と同僚だった男の先生が、進学祝いにプレゼントしたいがなにがいいか、ということになり、当時出回り始めたトランジスタラジオを、買いにいった。

「えらい、親切な先生、ですな」
「どうも、母親に、好意以上のものをもってたみたいですよ」

 その話は、別として、ともかく、なにせ、わが家には真空管のラジオが一台しかなく、かってに選局できる体制にはなかった。だから、自分用のラジオとして、喉から手がでるほど、欲しかったのだ。

「なんで、そんなに、自分だけのラジオが、欲しかったんやろ?」
「いや、中三になったとき、そろそろ子供部屋が要るな、ということで、父が、建て増ししてくれたんですよ、ベランダをつぶしてね、そこへ一階に姉二人、二階にわたし一人、と、専用の部屋を造ってくれました、そんなわけで、一人で聞ける、自分のラジオが、どうしても欲しかったんですよ、とくに、神戸放送の電話リクエスト、ですね、あれを聞くのがたのしみで、ね」 「いまのラジオ関西やね、ボンにも、可愛らしいときが、あったんや」 「あ、それ、おなじこと、柳氏にいわれたの、いま、おもいだしましたよ、たったいま」
「おなじこと?」
「キミ、電話リクエストなんか聞いてるの、可愛らしいね、て」
「ワッハッハハハ、さすが、キミのヤナギシクン、ですな」
「めずらしく、わたし、ムッとしましてね、こう訊いたんですよ、じゃあ、先輩は、なにを聞いてるんですか、てね」
「そしたら?」
「おなじ、聞くなら、もっと、世の中にアタマを使う放送、聞いた方がいいよ、ていうので、そんな放送、どこでやってるんですか、と訊き返したんです」
「そうか、そこで、ピョンヤン放送がそれや、ちゅうことに、なったわけや」
「そう、それが、ピョンヤン放送だったんです…」

 そうなんだ、ちょうど、あの時点から、わたしは、益々、柳氏先輩に傾倒していったような気がする。想えば、ピョンヤンから流れてくる、ゆったりと落ち着いた、しかも明快で筋の通った日本語は、なんの抵抗もなく、自分のなかに、するすると呑み込むことが、できたのだ。そして、なんの抵抗もなく、柳氏に誘われるままに、世の中のことを考え、アタマを使い、かれのように、しっかりした自分を、確立していこうと、心に決めたのだった。

「しっかりした、自分を、確立? なんででっか?」
「先生も、さっき、おっしゃったじゃないですか、なにも知らない芦屋のボンボンや、て」
「いや、そりゃ、ちょっと、ちゃいまっせ、ボン」
「なにが?」
「キミのヤナギシクンは、自分を確立するものが、自分のなかにまだ満ちていないから、その空白を埋めようとして、ピョンヤンを選びはったんや」 「だから、わたしも、空白を埋めようとして…」
「ちゃう、ちゃう、ボン、ちゃいまんがな、ボンには、空白どころか、お寺さんや、仏教や、お宮さん、浄瑠璃、歌舞伎、大阪弁や、なんやかや、自分を証明するもんで、満杯になってはったんですよ、空白やなんて、とんでもない、はっきりゆうて、ありすぎたんですわ!」
「ありすぎた?…としたら、自分に不足はないはず、だったら、なぜ、ああまで、柳氏に、惹かれたんでしょうか」
「それはね、簡単にいうとね、ありすぎるのに、消化する力量が、まだ、そなわってなかったんやね、しやから、その分、重荷になって、息苦しくなって、逃げだしたかった、ちゅうことですな」

 逃げ出したかった?…急に、胸騒ぎがした。たしかに、なにかから、逃げだしたかったような気もする、また、それが原因で、なにか、途方もないヘマをやらかして、斬鬼の念にとりつかれてしまったような気が、しないでもない。だが、それがなんだったのか、思い出せないのも、事実だった。

「だとしても、じゃあ、なにから、逃げだしたかったんですかね?…」

 主治医は、ゆっくりと立ち上がり、燻し銀の鎌首を手にとって、いった。

「ボン、それは、ね、自分の記憶からと、ちゃいますか」
「自分の記憶から?」
「ボンも、生まれてから高二まで、いろんな体験したはるんでしょ、その、出来事を満載した記憶、ちゅうのは、ね、そら、重いもんでっせ、それが、容赦なく、自分にのしかかってくるんやから、一旦、いやや、おもたら逃げだす以外に、ありまへんがな、潰されんようにするには、しゃあありまへんがな」
「それは、おかしいなぁ」

 というのは、まず、惹かれたのは、柳氏の、歯切れのいい、丁寧で、都会的な、新しい、日本語だったはずだ。かれの言葉には、語調は強くても、私情を交えない、客観的な、さわやかな響きが、あった。それにくらべ、日常に飛び交う、自分や他人の大阪弁の、なんとルーズで、見境のない、軟弱でとりとめのない、一から十まで、私情まるだしの、猥雑ではちゃめちゃな、ことか。以来、口にするのはもちろん、耳にするだけでも、鳥肌が立つほど、いやになってしまったのだ。
 わたしは、反論した。

「柳氏に惹かれたのは、まず、かれの話し方、に、惹かれたんですよ、それは、別に、自分の記憶から、逃げるためでもなんでもなくて、ただ、ふにゃふにゃした大阪弁が、急に、きらいになった、だけなんですよね」
「えらい、すんまへんな、そんなに、ふにゃふにゃ、してまっか、耳障り、そこまで、あきまへんか?」
「いや、先生のことじゃなくて、当時のハナシですよ」
「そうでっか、それで、安心しましたわ」

 いうと主治医は、鎌首を机上におき、また、どっかりと、椅子の背に、もたれかかった。

「おもうに、ボン、それは、文化の違い、ちゅうやつやね、早い話、歌舞伎好きの歌舞伎嫌い、ですな」
「なんですか、それ?」
「歌舞伎とか、浄瑠璃とかに限らず、文化ちゅうのは、どんなもんでも、どっぷり浸かってると、まったく別のものが欲しくなって、そっから思いきり、抜け出したくなるもんですわ、贅沢なはなしやけど、これ、だれにでも起こる、自然な反動現象なんですわ、ところが、伝統とかカルチャーとか、ゆうもんは、ね、大気中の空気とおなじで、知らんまに、目から耳から鼻から口から、皮膚膜をとおしても、ね、身体中に浸みこんでくるもんなんですわ、しやから、いくら抜け出そうとしてもムリ、なんぼ否定しよおもても、できまへん、そこですわ、一旦しみ込んだもんからは逃げられない、そうゆう確信があるから、逆に、安心して、思いきり否定したり、なかったことにしたりすることも、できるんですな、これが、へたしたら、のうなる、気つけんと消えてしまう、なんちゅう状態やったら、とても、とても、拒否したり、捨てたり、知らん顔したり、できるもんや、おまへんでェ、反対に、しがみついて、離れられんようになるのが、オチですわ、ヤマギシクンみたいに、ね」
「柳氏が、しがみついて、離れられない?」
「キミのヤマギシクンは、自分のなかの朝鮮文化に、自分であることの証を求めたわけやから、もはや、離れるわけにいかん、にもかかわらず、肝心の母文化は、自分のなかで、どんどん薄れていく、そのうち消えてしまう、そんな危機感に苛まれつづけたあげく、かれが選んだのは、先祖代々の文化の都ピョンヤンに戻って、おもいっきり母文化に帰依しよう、ちゅう選択やったわけなんでしょうな」
「でも、わざわざ帰らなくても、本とか、参考書とかで、いくらでも…」「ボン、それは、ちゃいますな、本とか、参考書とか、文献とか、そんなもん、なんぼ頭に詰め込んでも、所詮は知識、当事者には、なれまへん」
「当事者?」
「そうです、一生懸命、勉強して、自分が吸収した知識、その当事者になるには、ね、共同体、ちゅもんが、必要になってきますんや、キミのヤナギシクンが、日本にいながら、なんぼ朝鮮文化を頭に詰め込んでも、朝鮮文化を共有する共同体にいなければ、朝鮮文化の当事者にはなれん、ちゅうことですわ」
「それは、ないでしょう、だって、日本にいても、フランス文学を勉強すれば、フランス文学の当事者に、なれるはずなのでは?」
「あきまへん、知識の所有者にはなれますが、フランス文学の当事者には、なれんのです、文学の知識人にはなれますが、文化の当事者にはなれません」
「なぜ、です?」
「ゆうたでしょう、文化ちゅうのは、空気みたいなもんで、目や耳や鼻や口や、皮膚膜を通しても、身体にしみ込んできて、ね、かつ、日々更新されるもんなんですよ、最初に文化を享受すもの、それは、ね、呼吸している、生身の、この、五体、なんですわ」
「五体、て、身体のこと、ですか?」
「そうです」
「ということは、ですね、ネイティヴは当事者、いや、当事者になるにはネイティヴでなければだめ、ということになりますが」
「ネイティヴは、なんぼ、嫌や、ゆうても、当事者なんですわ、当事者にしか、なれんのですわ」
「ですよね」
「ただ、せっかくの当事者やのに、当事者になりとない、ちゅう変わりもんも、いたはりましてね」
「そんなひと、て、どんなひと、なんですか?」
「たとえば、ボン、みたいなひと、ですわ」
「えェ!?」

 いきなり、矢面に立たされた気が、した。この医者は、どこまで他人を愚弄すれば気が済むのか。首をかしげるような言説を、臆面もなく、平然と、披瀝する。せめて、中身に筋が通っていれば、まだ救いようはあるが、それもない。これ以上、主治医として、相手にする価値があるのか、ないのか。早々に切り上げて、気分を変えようとおもったが、あいにく、出前の寿司がとどいた。いそいそと寿司桶をテーブルに並べると、主治医は、イカのにぎりをパクリとほおばり、口をもぐもぐさせながら、徳利の首をつまんで、酒を薦めた。

「どうでっか、やりまひょ、やりまひょ」
「ええ、でも…」

 盃を差しだしたものの、すんなりと、頂きます、という気にもなれなかった。

「そのぅ…さっきの、当事者云々のことですが、わたしが当事者でない、というのは、どういう意味なんでしょうか」
「それはね、ボン、せっかく大阪弁、ちゅう、けっこうな母語で育って、もろ、その当事者になってはるのに、やね、それが嫌や、ゆうて、逃げだしはるんやから、奇特なおひとや、ボンは」
「逃げだす? いや…」
「大切な母文化から目を背ける…そんな風潮が、実際、あのころ、国全体に、広がってたのは、たしかやったけど、ボンの場合、どやったんやろうね、キミのヤナギシクンから、いったい、なにを吹き込まれたんやろねェ」 「吹き込まれた?」
「ちゃいまっか?…」

 吹き込まれただって…いったい、なにを?…確かに、成人した大人の目から見れば、そう映るかもしれない。ただ、思春期真っただ中の少年にとっては、見るもの聞くもの学ぶもの、すべてが、早朝の外海から吹きこんでくる、透きとおった潮風にも似て、初々しくも新鮮な皮膚感覚を鋭く刺激し、未成熟な官能を、見知らぬ彼方へと煽りたてる、甘美な誘惑ではなかったのか。

「吹きこまれた、というより、吹いてきた風を自分から吸いこんだ、といった方が」
「ほう、自分から吸いこんだ…たとえば?」

 たとえば?…そうだ、空気の流れ、で、思いだしたことがある。柳氏が、よくいっていた。世の中にアタマを使う方法は、空気の流れを感じることだ、それは、守備と攻撃がめざましく入れかわる、サッカーとおなじだ、ボーとするな、攻めのタイミングを逃すな、攻撃は最大の防御、後ろをみるな、前をみろ、攻めに、攻めて、攻めまくれ…。

「なんや、攻めてばっかりやん、そんなん、試合に、ならへん」

 わたしは、こだわった。

「いや、試合だから、闘いだからこそ、攻撃は最大の防御、になるんですよ」
「わかりました、わかりました、ま、ヤナギシクンは、それで、ええんですよ、捨てるもんはあっても、護るもん、なんにも、あらへんからね、行け、行け、ドンドンや、攻めて、攻めて、貪欲にゴールを奪いとったら、万々歳や」
「護るものが、ない?」
「日本人やめて、朝鮮人のゴール、取りに行きはったんでしょ、つまり、日本ポイ、ポイ、朝鮮ホイ、ホイ、ですやんか」
「なるほど」
「けどな、ボンは、ちゃいまっせ、ヤナギシクンとは、正反対でっせ、護るもんは山ほどありまっせ、けど、攻めるもん、なんにもあらへん、攻めて手に入るゴール、それ、なんでっか、なんにもん、あらへんのと、ちゃいますか」
「いや、世界を知る、これがゴールですよ、だから、知りたいことは、山ほど、ありましたよ」
「それ、たんなる知識ですわ、ボン、知識はゴールになりまへん、さっきも、ゆうたように、ね、最初に文化を享受すもの、それは、ね、いま、現に呼吸してる、生身の、この、五体、なんですわ、知識は、目や耳や鼻や口や、皮膚膜を通して、身体にしみ込んで、日々更新されるもの、ではないんですよ、ボン」
「でも、文化は、知識でしょう」
「いや、そこが、おおいなる誤解の始まり、なんですわ、よろしいですか、ボン、知識は単なる知識、概念にすぎません、概念は、それ自体に再生産能力はないんです、知識、つまり、概念が再生産の力をもつには、ね、共同体、ちゅうもんが必要、なんですわ」
「はぁ、そういうものなんですか、ね」
「あのね、ボン、たとえば、絵に描いた餅、ちゅうこと、よういいますわな」
「はい、絵空事、みたいな意味で、いいますよね」
「はいな、絵に描いた餅は、まさしく絵空事で、モチを知らんもんが、なんぼ眺めてても、モチにはなりまへんわな」
「そりゃ、そうでしょう」
「それがモチや、と分かるには、それがモチや、とゆうてくれるヒトが、必要ですわな」
「そりゃ、そうですね」
「それがモチや、と知ったヒトは、それ、食べたいなぁ、と、おもいますわな」
「はぁ、おそらく、ね」
「さて、どうやって、モチという概念を、本物のモチに、再生産、します?」
「モチを搗けば、いいでしょう」
「賃搗き屋に、たのんでも、よろしおますな」
「賃搗き屋ね、なつかしい」
「つまり、賃搗き、ちゅう、おなじ文化を共有する共同体があるからこそ、知識は再生産が可能となるんですわ」
「はぁ…」
「つまり、やね、文化は知識ではないんです、共同体なんです、共同体、文化は、ひとりでは、生まれまへん、再生産もできまへん、共有もできまへん、再生産も共有もできない文化なんか、どこにも、ありまへん」

 また、分けの分からないことをいう。この、知識とか文化とか、当事者とか共同体とか、そんな議論をするために、いま寿司を食べてるわけではない。  

「すし、いただきますね」

 マグロのにぎりを口にいれながら、統合失調を起した記憶を再生するためにここにいるのだ、と、自分にいいきかせた。お喋りは、もうたくさん、早々に、切り上げて、おさらばしよう…とおもった矢先、また中断された。

「さっきの、世の中にアタマを使う、ちゅうハナシやけど、ボンがヤナギシクンと出会うたころ、どんな世の中でした?」
「どんな世の中?」
「世界の情勢、ちゅうか、世の中を騒がせた出来事とか、人心を震撼させた事件とか、そんな類のヤツ、ですわ」
「…」

 世界の情勢…世の中を騒がせた出来事…人心を震撼させた事件…つまりは、時の流れを変えるにたる素因がなんだったのか、それをいえ、ということなのか…高校に進学したばかりの少年に、そんな洞察力がどこにある…とはいえ、記憶をたどれば、なにかの手がかりは、掴めるかもしれない…そういえば、神戸放送の電話リクエストで、分けもなく、好きな歌があった。たしか、ライオンは寝ている、とかという題だった。男性フォークシンガーのトリオが歌っていたが、名前は思いだせない。単調で、柔らかく、抑揚のあるメロディーと、とぼけた題名が気に入って、夕食後の眠い予習の最中、だれかがリクエストしてくれるだろうと、トランジスターラジオにかじりついて、待ち続けた記憶がある。週に三回は、かならずかかった。他に、誇り高き男、という曲も、よくかけてくれた。太いエレキのベースが、悠長なリズムを刻む、そこが好きだった。それに、何度となく、眠気も覚ましてくれた。

「ライオンは寝ている? あんまり、世の中と、関係ありまへんな」

 主治医が、ため息まじりに、いった。

「そんな歌、聴いてて、キミのヤマギシクン、せせら笑たはったんと、ちゃう?」
「いや、それが」

 わたしは、即座に否定した。

「柳氏先輩は、意外と、アメリカンポップスが、大好きだったみたいでしたね」
「大好き?」
「ええ、ただ」
「ただ?」
「おなじ曲でも、日本語でカバーした歌は、冷酷に軽蔑、してましたね、いま、おもうと」
「冷酷に軽蔑?」
「よくいってました、君には、ああいう猿真似は、してもらいたくないね、日本人としての誇りを、もてよな、て」
「なるほど、日本人としての自覚をもて、文化的隷属はあかん、ちゅうわけですな」
「あ、その、隷属、という言葉、先輩の口から、よく聞きましたよ」
「隷属、でっか、どんな風に?」
「どんな風に?…たとえば…そうそう、アメリカ帝国主義に隷属した国の末路や、いかに、云々かんぬん、とか」
「ほう、いよいよ、核心に迫ってきましたな」
「核心? どういう意味ですか?」
「そのアメリカ帝国主義はなんとか、ちゅうのは、当時の反米勢力がつくりだした、政治的な風潮やね」
「だったんでしょうね、現に…」
「現に?」
「現に、進学してバスケやってたころから、ラジオから、頻繁に、聞こえてきてましたね、熱い熱いカリブ海、いよいよ、キューバ情勢が、緊迫の度をましてきました、とか」
「キューバ情勢?」
「ええ、十何人かで上陸した反乱軍が、ゲリラ戦を展開してるって、連日、報じてましたよ」
「ゲリラ戦ですか」
「なんか、フィデル・カストロとかいう、ゲリラの首領が、すごく有名になりませんでした、あのころ」
「なりましたねェ、そのころ」
「とにかく、バスケやめてサッカー始めたのが、一年の二学期からで、部活で柳氏と知りあって、それから、ピョンヤン放送、聞くようになって、世界の出来事が、だんだん、わかるようになってきて…」
「なるほど、ピョンヤン放送の効き目、あったんやねェ」
「そういわれれば、そのころから、新聞とか、ラジオとか、電機屋のテレビなんかから流れてくるニュースが、気になりだして、俄然、キューバとか、ベトナムとか、アメリカ帝国主義とか、隷属とか、民族の解放とか、革命とか、いろいろ、勇ましい言葉や画像が、目から耳から入ってくるようになって、そうこうするうち、そうそう、年明けて、すぐ、バチスタ政権が潰れた、キューバに革命が起こった、とかという、ビッグニュースが、世界中を駆け巡ったらしくて、報道といえば、神戸放送を含めて、みな、これから、世界中に革命が起こっていくぞ、とかという、民族自決への意気が高揚していく状況を、国際社会のいたるところで、伝えていたようでしたね」
「その間、キミのヤナギシクンとは?」
「先輩は、というと…そうそう、いろんなところへ、連れてってくれましたね」
「どんなとこ?」
「まず行ったのは、たしか、朝鮮学校でしたね」
「朝鮮学校?」
「ええ、立派な、鉄筋コンクリートの学舎でしたよ、生徒たちも、優しくて、とくに女の子は、民族衣装みたいなデザインの、ほら、あの、なんとかチョゴリ、とかいう」
「チマ・チョゴリ、やね」
「そうそう、チマ・チョゴリを想わせるような、制服でしたね、みな、綺麗でしたよ」
「なんで、朝鮮学校に?」
「土曜の練習のあと、おもしろい集会があるから行ってみないか、と、先輩に誘われて、行ったんです」
「おもしろい、て、どんな集会?」
「勉強会、みたいなもんでした、ね」
「勉強会? なんやろ?」
「わたしが参加、というか、見学したときは、たしか、自己啓発のしかた、とか…」
「自己啓発?」
「たしか、世界は、もともと、変革の潜在能力を備えているので、それに主体的に係わらないといけない、そのためには、建国の父の教えに従って、自分を啓発していかなければ、ならない、では、どうすればいいのか、みたいなことについて議論、じゃないな、座長誘導の質疑応答というか、国際社会の分析とか、キューバ革命の発端や意義、核心について、とか、それこそ、世の中の勉強会みたいなことを、真剣に、やってましたね」
「キミのヤナギシクンは、なんか意見を?」
「先輩は、みなから、リュウシ、リュウシ、と呼ばれて、すごく信頼されていたみたいでしたよ」
「リュウシ!?」
「ええ」
「氏をシ、ゆうてたんやね、ちゅうことは、氏族の出、ちゅうこっちゃ」

 そうか…いまさら、納得するのも、ばかげた話だが、だから、わたしのことも、丁寧に扱ってくれた、みんな、親切にしてくれた、ということだったのか…。

「ピョンヤンのハナシは?」
「あ、ピョンヤン? いや、とくに、出ませんでしたね、憶えがありませんね」
「日本語放送のことも?」
「それは、何度か、耳にしましたけど、韓国の放送局も含めて、短波のどこそこ、とか、中波だったら、これこれ、とか、もっぱら、ラジオと電波の関係、というか、番組の面白さ、というか、娯楽と技術的なハナシばかり、だったような、気がしますね」
「そうか、かれら、母国語やもんね、わざわざ日本語放送聴く必要、ありまへんもんね」
「ただ、リュウシが、たまに、ピョンヤン放送もいいよ、とか、みなに、話してかけてたように、記憶してますけど、ね…」

 主治医は、また徳利の首をつまんで、酒を薦めた。


「何回ぐらい、朝鮮学校に、行かはったんですか、そのリュウシ、と」
「ほんの、数回でしたかね」
「ほかに、どっか、連れてってくれました?」
「ええ、いろんなところに」
「いろんなとこ?」
「おもに、集会、でしたね、いわゆる、反戦集会、というのと、反安保というのと、その両方を兼ねた集まり、でしたね」
「両方?…安保条約改定の反対運動は、分かりますが、キューバ革命が実現してるのに、反戦集会、ていうのも、ちと、解せまへんな」
「いや、ベトナムでも戦争してましたし、中東には根強い対立があったし、それに、ハンガリーやスエズやチベットや、他にも世界中で、紛争のタネは絶えなかったですよ」
「つまり、反安保集会は国内運動、反戦集会は国際運動、加えて、反安保反戦集会は国内国際運動、ということでっか」
「うーん…つまり、ですね、組織団体で色がちがったんですよね」
「色が違った?」
「たとえば反安保集会、これはね、グリーンなんですよ」
「グリーン?」
「反戦集会はブルー、そして、安保反戦集会は、さしずめレッド、てとこかな」
「どういうこっちゃ?」
「今流にいえば、ですね、グリーンは、草の根の緑で、国の安全保障に俄か覚醒した学生や一般市民が組織する集会で、政党色は限りなく薄い団体、活動家集団ではないんですね」
「すると青は?」
「反覇権組織ですね、つまり、反政府色は希薄で、より世界の覇権に逆らおうとする団体、というか、次の覇権を狙う覇権主義陣営の出先、とでもいうんですかね」
「では、赤は?」
「共産党、社会党を含む反日左翼集団で、もろ、プロの活動家の集まりですよ」
「すると、リュウシは、何色やったんやろ?」
「かぎりなく透明に近いブルー、ですかね」
「どういうこっちゃ」
「国際運動、というのは、当時の反米運動のレシピー、みたいなもので、なんでもかんでも反戦、反戦、で、利用したんですよね、たとえば…」
「たとえば?」
「もろ、革命支援活動、ですよ、現実に成就したキューバ革命、その立役者のフィデル・カストロの盟友の、あの、アルゼンチン医師の、なんでしたっけ、あの…」
「あの、ゲバラ、でっか?」
「そおう、そう、そうです、あの、ゲバラ、がですね、国立銀行の総裁に主任しましてね、急遽、来日する、という情報が入って、ですね、大変だったんですよ」
「大変だった?」
「ええ、わたし、実は、そうですよ、いつの間にか、ですよ、いつの間にか、リュウシが関係する研究会の一員になってまして、ね」
「なんの研究会?」
「なんか、ときたま、主体思想に関するなんとかの研究が、どうのこうの、みたいなハナシ、してましたけど、当のわたし、まったく理解していない、というか、自分がその一員だなんて認識、まるでなかったので、まったくの他人事、でしたね」
「で、ゲバラが日本にきたら、どうしようと?」
「とにかく、会おう、と」
「ゲバラに会う?」
「会って、革命の勝利を祝福し、新政府樹立のためにエールを贈り、革命政権への支援と連帯を約束しよう…などと、まあ、いってみれば、知恵熱に浮かされた中学生、みたいなこと、叫んでましてね…」
「ほう、リュウシも、ですか?」
「いや、リュウシは、冷静でしたね、いつも、ですから、ブルーがかった限りなく透明な存在で…」

 そう…かれは、限りなく、透明な存在だった。

「なんや、透明人間みたい、やね、なんやの、その、透明に近い、なんたらかんたら、ちゅうのは」
「透明、というのは、そういう意味じゃなくて、ですね…」

 いや、実際、わたしにとっては、文字通りの、透明人間だったのかもしれない…朝鮮人として、現実味のない希薄な記憶しかもてない、いわば仮想の存在でしかない、情けない自分を受け入れることができない、それなら、いっそ、先祖代々の都、母なるピョンヤンにもどり、生まれる寸前の胎児のように、濃密な記憶の羊水に、どっぶりと浸りきり、自己確立のための、記憶の源泉から湧き出る湧水を、心行くまで汲み上げたい…とおもっていたとしても、不思議なことではない。

「ほんなら、ボンのいう透明、て、どんな意味なん?」

 主治医は、こだわった。そのこだわりが、実は、記憶回復への一歩を標す、貴重な契機となってくれたのかもしれない。

「どんな意味なん?」
「つまり、リュウシは、自己確立に必須の記憶の源泉を汲みにピョンヤンに帰らなきゃ、といった、真面目で真剣な、自分探しの道程を辿っていたんですよね、なのに、わたしは、といえば、そう、いま思えば、さっき、先生にいわれたように、自分の中の、有りすぎる記憶の源泉から抜け出して、身軽になるために、リュウシを追っかけて、赤の他人の道程を、辿ろうとしていたんじゃなかったか、と、おもえてきたんですよね、たった、いま」
「なんや、答えに、なってまへんな」
「つまり、ですね、リュウシは、たしかに、世の中の矛盾に覚醒して、いろんな革新的な集会や運動に参加はしたけれど、その限りにおいて、かれは、たしかに、ブルーなんですが、かれの、もっぱらの関心は」
「関心は?」
「つまり、かれの狙いは、世の中ではなくて、自分、なんですよね、自己啓発、自己発見、自分探し、それだったんですよ」
「エゴイスト、やったんや」
「そうなんです、ですから、その限りにおいて、ブルーがかってはいるが、限りなく透明にちかい、ということ、なんですがね」
「ま、リュウシのことは、それで、わかりましたけど、なんで、それが、ボンにとって、透明人間、ちゅうこと、になるんやろか?」
「まさに、そこなんですよ、リュウシの自分探しの姿を追って、生の道程を辿る真似をして、実は、肝心の自分から逃げていた、という、このバカげた矛盾、でしょうね、ですから、自分が追っていたリュウシとは、いったいなんだったのか、生の実体のない単なる存在の額縁、だけではなかったのか、フレームだけで実のない姿、そこに投影した自分の虚像、追えども追えども、つかまるわけがない、やっぱり、かれは、透明人間だったんだ、と、おもうようになったんですよね、いま振り返ってみると…」

 二本目の徳利が、テーブルに転がった。軽い酔いが、二人を饒舌にしていた。主治医は、背もたれにもたれたまま、キャスターを転がして診察台に向かうと、置いてあった頭陀袋から、大学ノートを取りだした。

「振り返るついでに、そろそろ、これに、行きましょか」
「それって、お寺さんで拾った大學ノートでしょ、だれかの遺失物、みたいなものですけど」
「ま、よろしいがな、とにかく、ボン、ちょっと、その寿司桶、ずらしてくれまへんか」

 いいながら、鷲掴みしたノートの束を、寿司桶のあった場所に、どさりと置いた。

「全部で六冊、ありますなァ、ほれ、この細かい字で、ビッシリですわ、書いたひとも、よう、頑張りはりましたなァ、感心ですなァ」
「だれが、書いたんですかね」
「だれか、ボンに、心当たり、ありまへんか?」
「あるわけ、ないじゃないですか、わたしに!」
「そうでっか、ま、それなら、それで、よろしおまっけどな」

 いいながら、主治医は、またキャスターを転がして診察台までいき、今度は、頭陀袋からなにかを取りだして、これ見よがしに振ってみせた。

「ほんなら、ボン、これ、なんだか、知ったはりますか?」
「はぁ、それ、筆箱、ですよね、それも、頭陀袋に入ってたんですよ」
「ちなみに、筆箱には、なにが入ってました?」
「なにが、て、鉛筆とか、鉛筆削りとか、ケシゴムとか…」
「そうです、そうです、ほんなら、ボン、ボンの中指、ちょっと、見せてくれはりませんか」
「中指?」
「ほら、第一関節のここ、えらい、太なってますがな、それに、ほら、こんなに、固うなってますがな」

 主治医は、わたしの指の第一関節を、自分の指で挟み、クリクリと擦ってみせた。たしかに、硬い、タコのようなものが、できていた。

「これ、なんでっっしゃろか?」
「さあ…タコ、ですかねぇ」
「そうですわ、まさに、筆ダコ、ですわ、それも鉛筆でできたタコですわ、万年筆とか、ボールペンとか、筆とか、他のもんでは、なかなかできん、鉛筆でできたタコ、ですわ」
「はぁ…というと」
「よう聴いてください、ボン、実は、ほら、わたしの提唱する筆箱治療で、この筆箱のなかの、これらの鉛筆つこて、ね、この六冊の大学ノートの中身を、書きはったんは、ボン自身、なんですよ」
「!?…」

 筆箱治療? わたしが書いた? またはじまった…いったい、この医者は、さっきから、なにをバカなことを、いっているのだ。勘違いもはなはだしい。凡夫の繰り言なら、いざ知らず、こんな雑で、とりとめのない、児戯にも似た稚拙な作文を、このわたしが、書くわけがないではないか。

「バカな、そんなもの、わたしが書くわけ、ないじゃないですか、なにを、勘違い、なさってるんですか、先生!」

 主治医は、しばらく、怪訝な顔つきで、わたしを見つめていたが、への字の唇をクルリと反転させると、ニコリと笑って、いった。

「ボン、怒らんといてよ」

 そして、わたしの指から手をはなし、トントンと、自分のこめかみの部分を、人差し指でたたいた。

「ボンは、ひょっとしたら、ここに、来たはりますな、ここに」
「ここって?」
「はいな、認知ですわ、認知機能ですわ」
「認知症!?」
「いや、まだ、そうとは、限りまへん、そんなお歳でもありませんし、よう調べてみんと、わかりまへん、認知機能がトラブった、ちゅうても、即、認知症、とは、いえまへんからね」
「だったら、なんなんですか、失敬な!」
「そんな、失敬がること、おまへんがな、なんぼ養父医者ちゅうても、少なくとも、一介の医者がそういうてるんやから、失敬がるまえに、なんでや、ちゅうぐらいのこと、訊いてくれはっても、よろしいんや、おまへんか?」 「だから、なんなんですか!?」
「ボンが倒れはって、成田に迎えに行ったん、何年前でしたかね?」
「5年前ですよ」
「何月ごろでしたかね?」
「十月初めでしたね」
「よう、憶えたはりますなァ」
「あたりまえですよ、それくらい」
「空港の簡易ベットで覗きこんだとき、わたしのこと、すぐ、わかりました?」
「空港の?…いや、何もわからなくて、しばらく、ホワイトアウト、みたいな気分でしたけど、そのうち、先生の面影が蘇ってきましてね、それに、一本一本、シワ足していったら、すぐに分かりましたよ、歳とった先生だ、てことが」
「なんや、えらい、いわれようやなァ、ま、ええわ」

 半笑いを浮かべながら、かれは続けた。

「で、そのとき、自分に何があって、なんでこうなったか、ちゅうこと、わかるのに、どれくらい、かかりました?」
「どれくらい、かかる、かからない、もなくて、いまだに、なにもかも、分かりませんよ」
「ほんなら、わたしのシワくちゃの顔、みるまえに、最後に見たもの、憶えたはりますか?」
「最期に見たもの…そうですねぇ、薄暗いラウンジ、制服を着た男女、それに、ヒューヒュー流れる空気、それから、きついジャスミンの香り…とか、それくらい、ですかね」
「なるほど、機内のトイレから出た、そのとき目に入った、風景やね」
「そう、でしょうね」
「他には?」
「なんにも、というか、もう、何回も説明しましたけど、バスケとか、ヤナギシとか、サッカーとかまで、一気に遡りますね、記憶としては」
「でも、さっきは、ゲバラ、まで行きましたがな」
「ええ、少しずつ、思いだしてきたのは、たしかです」
「もうちょい、でっせ、遡るついでに、もうちょい、いったら、大學ノートまで、スーッと、辿りつくんと、ちゃいますか」
「そりゃ、ないですよ、拾ったノートなんかに、憶えがあるわけ、ないじゃないですか」
「この筆箱には?」
「覚え、ありませんんね」
「ほんなら、この中身は?」

 いうと主治医は、ブリキ製の蓋を、カタリ、と開いた。開く音を耳にして、すこし胸が騒いだ。さらに箱の中の、小型ナイフが目に入ったとき、なぜか、サッと、背筋に悪寒が走った。

「どない、しはった、ボン、かお、真っ青でっせ」
「…」

 そう、そのとき、強烈な痛みが、左親指の第一関節に、走った。そこから、タラタラと、真っ赤な血が、滴り落ちた、いや、落ちたのが見えたようにおもった。小学校の、教室の、午後の日だまりのなか、ひとり、机に向かって、鉛筆で字を書いていた。芯が減って書きづらくなってきた。筆箱から、安全カミソリを仕組んだ、プラスチックの鉛筆削りをとりだし、木材から削りはじめた。節約をモットーとしていた時代だった。鉛筆も、指で支えられるぎりぎりの長さまで、削った。ギリギリと削っていくうち、短くなった鉛筆が、ますます短くなって、カミソリの刃が、いよいよ立たなくなった。もうひと削りして止めよう、そう決めた矢先、最後のひと削りの刃が、ものの見事に、左手の親指の、骨の芯まで抉ってしまった。激痛が走り、ポタポタと血が落ち、机がみるみる血だらけになった。恐ろしくなったわたしは、泣き出す余裕もなく、親指の根本を掴んだまま、一目散に職員室まで駆けていった…。

「いや、子どものころ、ナイフで親指を切ったこと、思いだしましてね、あの、痛かったこと、痛かったこと、ほら、ここ、第一関節のここ、まだ、切り傷が残ってるでしょう、これ、六十年まえの、古傷ですよ」
「わー、そら、痛かったでしょうなァ」
「いまでも、鉛筆、と聞くと、すぐに、あの時のことを、おもいだすのか、背筋にゾクッと悪寒が走って、掌に汗がジワーッとにじみ出てきて、手や足の指先に、サワサワと、気みたいなものが流れるのを、感じるんですよね、結局、しみ込んでるんですよ、身体全体に、あの怪我の記憶が」
「ボンの、おじさんがいうてはった、あの五体の記憶、ちゅうやつですな」 「まさに」
「その調子で、どんどん、いきまひょ」
「どんどん、て?」
「ごっつい痛みとか、どえらい衝撃とか、もろ身体に浸みんだ五体の記憶のこと、ですがな」
「どんどん、思いだせ、なんて、そう、簡単に、いわれても…」
「さっき、ええこと、いいはったで、ボン」
「なにが、ですか?」
「記憶に通底する指標、ですわ」
「通底する指標?」
「背筋にゾクッと悪寒が走る、掌に汗がジワーッとにじみ出る、手足の末端にサワサワと気が流れる、この、いわば三つの指標、これはね、地下茎の植物みたいに、あらゆる記憶と通底してる、五体の記憶、なんですわ、しやから、ボン、心を込めて、一生懸命、記憶を辿りまひょ、そして、この五体の訴える三つの指標の、どれか一つでも感じたら、そこから、ズルズルと、芋づる式に、煙幕の彼方に押しやられた記憶が、姿をあらわしてくれまっせェ」
「なるほど、地下茎で通底する感覚、ゾクッ、ジワーッ、サワサワ、ですか…」

 時間はいらなかった。カミソリで抉った、親指のサワサワ感が、手足の指先に、まだ残っていた。指先の、指紋の形状に沿って、ワサワサと、気が流れるのを感じる。その感覚が、様々な記憶と、つながっていた。呑み込んだビー玉を吐き出す記憶、三輪車で追いかけていたダンプが、急にバックしてきて轢かれかけた、あの恐ろしさ、砂場で折れて逆さになった友の右腕、タックルでずる剥けになった太もものビフテキ、ボレーキックを顔面に受けた灼熱の衝撃、ポカポカ殴られたバスケの暗い部室、ポンポン線に乗り込む屈強な武装ゲリラの映像、サンタクララ解放の一報、アルジェリア独立戦争の勃発、ローマの石畳、裸足のアベベ、暑いダラス、ケネディ大統領暗殺、ソンミ村虐殺…。

「なんや、ゲバラ、通り過ぎましたな」
「ゲバラ?」
「さっき、ゲバラに会いに行った、ちゅうたはったけど」
「あ、あれね、あれ、結局、あえずじまいでした」
「なんで?」
「自分でいうのもなんですけど、運動に加わった大半は、純真で多感な若者、だったとおもうんですけど、うまーく、利用されてたんですね」
「利用されてた? だれに?」
「いろいろありますよ、共産党、社会党、民社党、全学連、日経連、その他もろもろの政治、経済、支援団体…目白押し、ですよね」
「で、どない、利用、されたん?」
「会う会う、と騒がせておいて、結局は会えないように、偽の情報で、ただ、ひたすら、宣伝がわりに、走りまわらされていた、ということ、ですかね」
「雑魚あつかいや、それ」
「いま、おもえば、ゲバラ自身も、メインは金、ですから、理想に燃えた若者の支援の声、なんて、なにも期待していなかっただろうし、過密な日程を考えると、かえって、傍迷惑なことだった、のかもしれません」
「へー、そんなもん、ですか、ねェ」
「しかし、当時のわたしたち、リュウシも含めて、本当に失望しましたし、同時に、その分、ゲバラへの憧れを、益々ふくらませていった、ということも、いえるんじゃないですかね」
「冷静な分析、やね」
「とにかく、若かったんですよ、みな」
「そら、みな、そうやけど、そんなに、憧れ、膨らましてしもて、あと、どうなったんやろか、他人事ながら、心配してしまいますな」
「わたしの場合、ゲバラへの憧れが、革命礼賛につながって、抑圧から解放された民衆への想いが、心底、かれらを救いたい、力になりたい、みたいな、いわば、初心で幼稚な動機になって、ですね、支援活動へのエネルギーとして吸い上げられていった、と、おもうんですよね、おそらく」
「冷静な分析、やわ…」

 主治医は、感心しながら、転がった徳利を逆さにし、口にくわえて何回かチューチューすすってから、いった。

「で、その支援活動、て、なにを支援、してはったん?」
「薬ですよ?」
「クスリ?」
「そうです、医薬品とか、医療機器とか、医療物資の調達、ですよね」
「なるほど、そうか、革命戦争で流通網が切断されて、物流が止まってしもて、なにもかも、遮断されてしもたんやね」
「そうです、特に、戦後の医療体制なんて、実質なきに等しくて、最悪の状態だったんですね、風邪をひけば肺炎、怪我をすれば破傷風、腹をこわせば腸チフス、もともと栄養が足りてないので、免疫力は下がりっぱなし、劣悪な衛生環境は感染症の宝庫、そこへ医薬品は欠乏し、医療資機材は望むべくもない、ときてるんですから、救いようがないですよね」
「だから、助けてやろう、と思たんやろけど、実際、医療業界に、コネでもあったんかいね」
「なんにも」
「ほんなら、どないしたん?」
「コネづくりに大手の何社かには、トライしましたけど、冷たいもんで、あっさり門前払い、でしたね」
「そやろねェ」
「卸業、小売業、流通業、いろいろ、トライしましたけど、まるで無関心」 「そやろねェ」
「役所も、行きましたよ、おととい来い、でしたけどね」
「そやろねェ、で、どないしたん?」
「で、結局、革命を支援するには、自ら革命するしかない、という結論に達しましてね」
「ほー、ものすごい、飛躍、やね」
「でしょう、これが、あの時代の若者の、主流文化、だったんですよ」
「造反有理、ですな」
「造反有理は、もうちょっとあと、なんですが、わたしが大阪を出たのには、まさに、革命にはまず自己革命、という、持論というか、論理の飛躍に、根本的な動機があったような気がします」
「なるほど」
「自分を革命するには、知らない世界に飛び込むこと、未知の世界に飛躍すること、それが革命の支援につながる、と考えたんでしょうね」
「あくまで、まだ自分中心、やったんや」
「ですから、知らないもの、初めてのもの、未知のものへの飛躍、それが、その後のわたしを駆り立てた、正体だったんでしょうね」
「優等生の、立派な思い込み、でっか」
「劣等生の、健気な勘違い、でしょうね」
「で、大阪を出てから?」
「東京で大学に行きました、未知への飛躍ですね」
「なにを勉強しはったん?」
「リュウシから教わった、時流を捉え、流されず、着実に自分の主体を構築していく、という考えを踏襲するには、社会と自分を二元論的な対立関係に置く、という知的操作が必要、てことに気がついて、そのころ流行っていた実存主義に、とても惹かれたんですよ」
「ああ、あの、サルがなんとかする、ちゅう哲学者の」
「ええ、サルトルの世界内存在、という言説ですね、よくご存じで」
「サルトルさん、有名すぎて、日本では、タクシーの運転手さんまで、知ってはったみたいでっせ」
「で、まあ、自己構築には実存主義、革命支援にはキューバ医療支援、そんな感じで、勉学と運動の、いわば二頭立ての生活、でしたね、しばらくは」 「どんな運動、してはったんですか」
「これは、ですね、大學で社会学研究会に出たときに知り合った、結構過激な活動家から教えてもらった運動で、医師とか、薬剤師とか、医療従事者、看護師、製薬業者など、けっこう多部門にわたる医療関係者が組織す支援団体があったんですが、そこが指導する広報宣伝活動、ていうんですかね、方々の関連組織、施設、なんかを訪問して、協力支援を依頼する活動、への呼びかけがあって、大阪で駆けずり回った経験があったので、すんなり、抵抗なく、引き受けた、ということですかね」
「そのときに、奥さんと、出逢うたわけ、やね」
「えっ!…」

 心臓がドキリと音を立て、一泊、落ちた。全身に冷や汗が流れた。肢体の末端に、サワサワと、気流がざわめくのを覚えた。

「ボン、どないしたん…」

 なにも、聞こえなかった。体中から、血の気が、退いていく。それにつれて、鼓膜の奥の、遠くの方から、竪琴の音が、潮が満ちるように、聞こえてきた…ポロン、ポロン、ポロ、ポロ、ポロン…やがて、その調べに重なるように、もっと遠くの方から、若い、柔らかい、オンナの声が、追いかけてきた…ほら、ポピーよー、ポピーよー、ポピー畑よー…。

「ポピー、ポピー、て、なに、ゆうたはんの?」

 ほら、聞こえないのか、女の声が、ちゃんと、呼んでいるじゃないか、ポピーよ、ポピーよ、と…やがて、その声は、子供の駆ける様を危ぶむのか、諫める口調に、変わっていった…だめよー、そんなに、走らないでー、危ないわよー、転ぶわよー、気をつけてー…そしてそこに、竪琴の調べが、寄り添い、重なり、うねり、まといついていく。手が、勝手に動いた。指が、琴の弦を求めて、空をかいた。

「ボン、それ、ウクレレのつもり? それとも、ハープか、なんかでっか?」
「あ、これ、これね、アリコ、ていうんですよ」
「アリコ?」
「手製の竪琴でね、むかし、暇に任せて、店舗の内装現場から、木の廃材もらってきて、自分で造ったんですよ」
「自分で、造らはった?」
「ええ、むかしから、なんやかや、好きなもの、造りたがる質、でしてね」 「で、その、アリコ、て、どんな竪琴なん?」
「あれはね、たしか、居ぬきの居酒屋でしたね、カウンターに使っていた古材を捨てる、というので、その一部をもらってきて、切ったり削ったり、インカ風の彫を入れたり、しているうちに、いつの間にか、楽器になってしまったんですよね」
「知らん間に、楽器に?」
「ええ」
「へー、名人芸ですな、それにしても、アリコ、ちゅう楽器、聞いたこと、ありまへんな」
「あれはね、医療器具の一つ、膿盆、から採ったんですよ」
「膿盆? あの、ベッドで吐いたり、するときに、口の傍に置くやつ、でっか?」
「そうです」
「なんで、また?」
「なぜかというと、わたしの竪琴、あの膿盆のかたちに、そっくりなんですよ」
「なんで、また?」
「理由はありません、造ってるうちに、そうなってしまったんです、でも、医療器具の膿盆、あれ、どことなく、インゲンマメに、似てませんか?」 「はァ、そういわれれば、そういえんことも、ありまへんな」
「インゲンマメをフランス語で、アリコ、というんですよ、それで、そう名付けたんです」
「なるほど、それで、竪琴アリコ、になったわけやね」
「そうなんです」
「奥さんも、なかなか、ユーモアのあるおひと、ですな」
「!?…」

 なにをいっているのだ、このわたしは、結婚など、していない! したがって、奥さんなど、いるわけ、ないじゃないか!

「それ、なんの、冗談、ですか、先生?」
「いや、なんも冗談なんか、ゆうてまへんでェ」
「いま、奥さん、て、おっしゃったじゃ、ないですか」
「はいな、アリコの名付け親、奥さんでっしゃろ?」
「わたしは結婚など、していません!」
「いや、そりゃ、正式に籍を入れるか入れんか、だけのハナシや、お互い気に入って、好きになって、一緒に住んでたら、それ、奥さんとちゃいやまっか」
「とにかく、そんなヒト、いませんよ、どこで、そんな、作り話、仕入れてきたんですか、先生?」
「どこで、仕入れた?」
「そうですよ」
「ボン、本気で、訊いたはるんですか、そんなこと?」
「本気意外に、こんなこと、他人に訊けますか!」
「ほんなら、これ、見てみまひょか」

 いいながら主治医は、テーブルの大学ノートに手を伸ばし、中の一冊を取りあげた。

「たしか、四冊目の、これに、書いてありましたで、この辺りやったかな…」

 主治医は、椅子の背にもたれたまま、しばらく、パラパラと、ページをめくっていたが、やがて、はじかれるように座りなおすと、確信ありげに、叫んだ。

「ほら、ボン、ここ、ここ、ここですわ!」

 そして、なんども、ページの上を、人差し指でたたいた。

「ほれ、よう見てください、ここに、ちゃんと、書いたはりまっせ、ボン、自らの筆跡で」
「自分の、筆跡で?…まさか…」

 まさか、そんなはずは…とおもったが、主治医の気迫に押されて、かれの指し示す個所に、目をやった。HBの鉛筆で、びっしりと、文字が書き記してある。なにが書いてあるのか、知る由もなかったし、自分で書いた覚えもなかった。相手にすることもないとおもったが、専門医の意見も、鼻から無視するわけにもいかない、とも考えた。世間では、どんなヤブ医者でも、素人よりはマシ、というではないか。
 しばらく、文字面を追っていくうち、徐々に文脈に引きずられ、ページの中に、のめり込んでいった…アリコって、フランス語でインゲンマメのことなんです。どっかから仕入れてきたオークの古材を、オヤジが切ったり削ったりしながら、時間かけて、正直、汗水ながして、作ったものなんすよ。弦は九本あります。最初は…。

「ボン、やっと、こっちを、向いてくれはりましたな」

 主治医が、なにかいったようだったが、耳に入らなかった。わたしは、いましがた目に入った文節を、何度も、思い起こそうとしていた…弦は九本あります。最初は七本で、ギター用のコード使ってましたけど…そして、煙幕の向こう側に見え隠れする、アリコの実像を求めて、乱雑に書き散らされた、文字の羅列を追いかけた。それは、こう続いていく…気に入らなくて、ピアノ線で九本に落ち着きました。形は長方形から台形、和琴型と、いろいろ試してましたが、最終的に洋ナシに似た流線形になり、持ち運びに便利なように、中をくり抜いて、軽いボディになりました。出来上がった楽器をみたオフクロがこういったそうです。

「あら、アリコそっくりね」

 単語の響きがたいそう気に入ったらしく、オヤジはことあるごとに、オレのアリコ、オレのアリコ、ていってました。オレには、超、旨い物にきこえたので、オフクロに聞いたんです。

「アリコ、って、どんな食べ物?」
「あら、よく分かったわね、食べ物って。アリコって、フランス語で、インゲンマメのことよ」

 そして、こう付け加えました。

「本当はね、わたし、膿盆のつもりでいったのよ」
「ノウボン?」
「ほら、あなたも使ったこと、あるでしょう、食べ過ぎてゲーゲーやったときに使う、アレよ」

 知ってか知らずか、オヤジは、このアリコを、たいへん愛していたみたいです。あの日も、腕にしっかり抱え込んで、いたわるように九弦をつま弾きながら、オフクロの声と歌詞とリズムに合わせて、楽し気に、自分も歌ってましたね…。

「どうでっか、ボン、なにか、思いだしはりましたか?」
「…」
「なにを、歌とてはったんやろね、奥さんと」
「…」
「ボン、どないしたん、なんか、ゆうて」
「…これ、だれが、書いたんですか?」
「あなた、です、あなたが、自分で、書きはったんでっせ」
「しかし、文脈からして、すごくおかしいじゃ、ないですか」
「どこが?」
「この、オヤジ、と、オフクロ、て、だれ、なんですか」
「オヤジは、ボン、あなた、です」
「わたし? そんなバカな! じゃあ、このオフクロは?」
「あなたの、オクサン、でっせ」
「!?…すると、これ、書いたのは、二人の子供、ということに、なりますね」
「そうです」
「ほら、やっぱり、これ、書いたの、わたしじゃ、ないじゃないですか!」 「なるほど、理屈ですな」

 そこで主治医は、乗り出した。

「しかし、ボン、ノートは、現実に、こうやって書かれて、そこに、あるんでっせ、あなたが書いてない、ちゅうことは、あなたの息子さんが書いた、ちゅうことに、なりますけど、それは、認めはるわけですな?」
「わたしの、息子?」
「そうです、あなたの、息子さん、です」
「そんな息子、どこに、いるんですか?」
「あなたのここ、ここ、心のなかに、いはるんですわ」
「心?…なんの覚えも、記憶もないのに、なんで、ここに?」
「記憶は、ちゃんと、ありまっせ」
「どうして、あなたに、それが分る、先生?」
「あなたの五体が、ええ、証拠ですわ」
「五体?」
「さっきから、竪琴、ひいたはるやないですか、アリコの記憶、ちゃんと体の中に、セーブされてるやないですか」
「それは、あたりまえですよ、わたし自身が、造ったんですから」
「ほんなら、訊きますけど、さっきから、口んなかで、ぶつぶつ、ゆうてはった、あの、ポピー、ポピー、ちゅう呼び声、あれ、なんでっか?」
「ポピー、ポピー?…」
「ころぶわよー、気を付けてー、ちゅうの、だれが叫んだはるんでっか?」 「あ、あれは…」
「さっきから、えらい軽快なリズムで、あし、動かして、ゆびで、こうやって、弦ひいたはりますけど、なにを歌てはったんですかね、お二人で?」 「ふたりで?…」

 ふたり?…そうか、上京して何年かたったころ、支援活動拡充の一環で、たしか、世田谷にあった、国立の小児病院という施設を訪ねたことがあった。そのとき、対応に出た小柄の女医と、知り合った。彼女は、インターンになったばかりの研修医だった。こちらが切り出したキューバ医療支援活動に対し、強い関心をもっている、常々、医療従事者としてなにかをしたいと考えていたので、ぜひ参加したい、と応じてくれた。めったに会うことのない熱意に触れて、ドギマギするほど刺激されたが、そんなわたしに、病院勤めにはあまり興味がない、いずれ、感染症の研究に取り組みたい、などと、目をかがやかせながら、自身の将来の展望まで、話してくれた。そんな彼女の意気に、好意以上のものを、わたしは感じた。

「はーん、それで、口説きはったんやね」
「ン!…マジで、おっしゃってるんですか、先生!」
「すんません」
「世の中、まだ、そこまで、開けてませんよ、あのころは」
「いや、ボンが、初すぎたんと、ちゃう?」
「相変わらず、口の減らないひとですね、あなたという方は…」

 しかし…そうか、それで、あのとき、あの、小柄な女医に、訊き返したのだった。

「どうして、そんなに、キューバの力になりたい、と、思うようになったんですか?」

 それに、彼女は、あっけらかんと、答えた。

「あの、エルネスト・ゲバラが、好きなのよ」
「!…」

 あまりに単純明快な答えだったので、当人の真意を確かめておかなければ、とおもった。

「でも、支援活動って、とっても、しんどい、というか、煩雑で、細かい作業を伴う活動、なんですよ、そんな好き嫌いで、簡単に決めちゃって、いいんですか?」
「いいのよ」

 また、あっけらかん、だった。

「いろいろ、あるでしょうけれど、はっきりいって、あなたが、嘘くさくないから、さ」
「!…」

 そうか…今から思うと、あれは、投げたボールを、見事なクリーンヒットではね返されたような、爽やかな体験だった。女医の示した意外な反応に、理詰めの、内省的なリュウシと違って、理知との鞘当てをむしろ楽しむような、明るく、軽快で、感覚的な真逆の感性を、肌で感じた。だが、あとになって考えてみると、実は、双方とも、まったくの同根だということに、気がついたのだ。
 自分探しのリュウシが、考え抜いた挙句に辿りついた結論は、ピョンヤンで受け継いだ先祖代々の血の通う、いわば、五体の感覚に肉迫することで、その記憶の源泉を汲み上げようと、目論んでのことだった。ところが、あの小柄の女医にいたっては、事の判断を、理知との干渉が織り込み済みの五感を介した、選り好み優位の感情に、あっさりと任せてしまう、潔さだった。
 両者、たがいに、対極の律に沿った生き様にみえたが、いずれも、理性と感性の親密な連還が育くむ記憶の再生に、自立への活路を見いだしていたのだ。

「奥さん、ゲバラのこと、そんなに、好いてはったんですか?」 
「いや、正確には、傾倒していた、ということですかね」
「なんで、また、あんなゲリラの、親玉に」
「オヤダマ? そりゃ、ないでしょう、先生、少なくとも、かれは、革命の英雄ですよ、ヒーローですよ」
「さいな、みなさん、そうおっしゃいますけど、な、どっちみち、やってることは、人殺しと破壊、やないですか、そうと、ちゃいまっか?」
「そりゃ、そうですけど、逆に、一殺多生、ということも、いえるんじゃないですか」
「 ボン、いつから、右翼に、ならはったんでっか?」
「仏性に、右も左も、ありませんよ、善悪があるのみ、です」
「なるほど、右もない、左もない、善悪の」
「彼岸もない、ですよ」
「ほんなら、世の中、どうなんの?」
「右も左も、善も悪も、上も下も、北も南も、西も東も、今も昔も、現世も来世も、相互に連還してるんです」
「連還?」
「かつての右は、いまの左、むかしの善はいまの悪、ところが、いつの間にか、いまの左がこんどは右、いまの悪がいつかは善、ほら、日本の戦前戦後の変り様と、まるっきり、おなじでしょ」
「なるほど、世の中、ひっくりかえったもんね」
「これが連還です」
「まるで、七転び八起きの、連続、ですな」
「そうです、延々と、転がり続けるんです」
「しかし、そうなると、どない、なるんやろね、世の中?」
「悩むこと、ないですよ、ひとには、記憶、というものが、ありますよね」 「そうや、なんか、さっき、だれか、そんなこと、ゆうたはりましたなァ」 「もろ、あなた、ですよ、先生、記憶には、生命の記憶と、存在の記憶がある、と、さっき、おっしゃってたじゃ、ないですか」
「それ、わたしが、ゆうたんですか?」
「ええ、あなたが、おっしゃったんですよ」
「どっから、出たんやろ、そんなセリフ」
「先生、おちょくらんと、真面目に、行きましょ」
「おちょくってまへん、て!」
「とにかく、その、先生の持論によりますと、ですね、さっきの、転がり続ける記憶、ね、これが存在の記憶、ということに、になりますよね?」
「なるほど…すると、生命の記憶、ちゅうのは?」
「養父医者の例えじゃないですが、五体の記憶、ということに、なるんじゃないでしょうか」
「フーム…」
「わたしたちが、先祖代々、それこそ、海から陸に住処をかえたときから蓄えられてきた記憶を、全部、母親の胎内で、受け継ぐんでしたよね、先生」 「いや、ボン、さすがやね、よう理解、してくれてはりますやん、わたしの持論を」
「先生の説明が、ね、こう、立体的でしたから、だれにだって、すぐに理解できるんですよ」
「お褒めにあずかり、光栄ですわ、で、その二つの記憶が、どないなるんでしたかね?」
「簡単ですよ、この二つは、常に連還していて、五体、つまり生命の記憶と、同期できない存在の記憶は、どんどん削除されて、必須の記憶だけが、保存されていくんです」
「とゆうことは、ボン、大変なことに、なりますな」
「なにが、です?」
「ボンの、ラウンジでプッツリ切れて、なくなりかけた記憶、ちゅうのは、ひょっとしたら、生命の記憶と同期できない、生きていくのに邪魔になる記憶、ちゅうことに、なりまへんやろか」
「!…」

  そうか…いま、分かったぞ、この偽善の塊、みたいな主治医の、筆箱療法とかと称する治療の本質が…。

「なるほど、先生の治療法、やっといま、理解できましたよ」
「ほう、どんな風に?」
「邪魔もの扱いされて、削除された記憶を、ごみ箱から探し出して、もとあった処に戻す手続きを踏む、ということ、でしょ、先生!」
「なんや、急に、ごっつい直球、投げてきはりましたな、ボン」
「ほんとは、わたしが邪魔で削除した記憶を、ごみ箱からもとあった場所にもどせ、と、いいたいんでしょ、先生は!」
「ボン、それは、ありまへん」

 主治医は、大仰に、目の前の疑心を、両手で払うまねをした。

「ただ、ホンマにそうおもいはるんやったら、それこそ、語るに落ちる、ちゅうヤツですわ」
「語るに、落ちる?」
「むかしから、よういいまんがな、問うに落ちず、語るに落ちる、ちゅうて」
「なんですって!?」
「ボンのこと、成田で引き受けてから、かれこれ五年以上は、経ちまっしゃろ、その間、ずーと、事あるごとに、なんとか、過去の記憶を呼び起こしてもらおうと、一生懸命やってきたんやけど、ある一点から、記憶の再生機能が、みごとに不全に陥ってしまうことに、気がついたんですわ」
「ある一点から、機能不全?」
「そうです、いつか、はなしたでしょ、憶えてはりまっか、あなたのお父さん、ボンが東京に行きはったとき、淋しそうに、ポツンと、あいつは、もう、大阪に、帰ってきよらんな、ちゅうはったんでっせ」
「それは、まえに、先生から、お聞きしました」
「つまり、でんな、ある一点、ちゅうのは、大阪を出たその時点、ちゅうことですわ」
「大阪を出たとき?」
「なんぼ遡ろうとしても、その時点からラウンジの薄明りまでの記憶が、プッツリ、切れて、のうなってしもてるんですなァ、これが」
「出大阪、から、ラウンジまで?」
「まるで、山岳図の等高線をたどるみたいに、きれいに、区切られてるんですわ」
「脳震盪の後遺症、ではないんですか?」
「それについては、ね、成田の医務官からは、ちゃんと、引き継いでます」 「よっぽど、打ちどころが、わるかったんですよ、きっと」
「打ちどころも、そやけど、後頭部に受けた衝撃も、けっこうなもん、やったみたい、ですなァ」
「ツイてない、というか、災難というか」
「とにかく、諦めたらあかん、辛抱が肝心や、と自分に言い聞かせて、一年、二年、と、頑張ってきたんやけど、三年目になるか、ならんか、ちゅうときに、おやっ、と…」
「おやっと?」
「さいな、妙なことに気がついて、おやっ、とおもたんですよ」
「みょうな、こと?」
「ボンは、全部、忘れた、忘れた、ゆうはりまっけど、な、たまに、なんの脈絡もなく、断片的に、いろんなことを、鮮明に、思い出してはることに、気がついたんですわ」
「ほう、たとえば、どんなこと?」
「たとえば、ね、リュウシのこと、なんですがね」
「ああ、高校のころの、ことですね」
「リュウシに憧れて、ピョンヤン放送聴いて、ボールの蹴り方から、世の中の見方まで、なにからなにまで教わって、真似して、生まれ変わった自分を確立していくんや、ちゅう固い決意で、努力してきはったのに、終いには、自己啓発と自分探しにしか興味のない、エゴイストの透明人間やったんや、みたいに、思わはるようになったんやけど、そんな風に、見方、変わったん、いつごろのこと、やったんやろね?」
「いつごろ、って?」
「まず、高校時代では、おまへんわな、なんせリュウシとは、蜜月の時代、やったもんな」
「かもしれませんね、知りあったばかりで、夢中だったし、そんな客観的な視点はゼロ、だったんじゃ、ないですかね」
「その、客観的な視点、なんやけど、そんな風に、ものごと見られるようになったんは、いつのころからやったんやろか」
「さぁ…」
「覚えたはりませんか?」
「わかりません…でも、それ、わかるくらいなら、とっくに、いろんな記憶、呼び覚ますこと、できてたんじゃ、ないですか?」
「それも、そうやな」

 主治医は、不意に椅子から立ちあがると、処置室のロッカーまで足を運び、片手に酒瓶をぶらさげて、もどってきた。

「ボン、これ、最高でっせ!」

 いいながら、もう一方の手に抱えた二つの升で、そっと大學ノートを押しのけた。

「なんですか、それ?」
「これね、清泉、ちゅうサケだんねん」
「キヨイズミ? どこの蔵ですか?」
「新潟ですわ、十日町、米どころ水どころ、灘も伏見も、むかしから、えらい威張ってはりますけど、なにが、なにが、さがせば、こんなにうまいサケが、世の中、広おまっせェ」
「辛口ですか、それとも…」
「百聞は一見に如かず、ま、一杯、いきまひょ」
「いや、もうたくさん、十分いただきました、先生も、おつかれでしょう、今日は、これで、終わりにしましょう、明日もあることですし」
「そんなこと、いわんと、まあ、よろしおまんがな、あしたは、十月十日、体育の日、でっせ、祭日でんがな、ここも休みですわ、さ、ゆっくりいきまひょ、いきまひょ…」
「いや、しかし…」

 そうか、あしたは十月十日、体育の日か。たしか、あれは…また、背筋に、ゾクッと、悪寒が走った。掌に汗がジワーッとにじみ出した。手足の末端にサワサワと気が流れるのを感じた。

「ボン、どないしたん、手が、震えてまっせ」
「いや…」
「さ、これ、ヒバの升ですわ、ええ香り、してまっしゃろ、さ、いきまひょ、ほら、手に持って、注ぎまっさかい、ほら」

 主治医は、一升瓶を持ち上げると、片手で升を受け取るよう、促した。

「ま、いきなり、客観的なものの見方や、といわれても、取りつく島、ありまへんもんな」

 そして、こちらが受け取ったヒバの升に、酒を注ぎながら、いった。

「そやけど、ボン、さっき、飛躍とか、なんとか、おもしろいこと、ゆうたはりましたな」
「飛躍?」
「なんや、支援活動のむつかしさ、ゆうてはる途中で、論理の飛躍、とか、なんとか」
「ああ、あれね、あれは、つまり、なにをやっても、結果が出ないので、革命支援には、まず自分の革命が必要だと考えた、てこと、ですよ」
「それが、なんで、飛躍なん?」
「つまり、ですね、自分を革命するには、まず知らない世界に飛び込まなければならない、つまり、それは、未知の世界に飛躍することだ、そして、それが革命の支援につながるんだ、と考えたんですよ」
「そこや、ボン、さっきからゆうてる、記憶の再生機能が不全になる、ちゅう、ある一点、それは、そこや、そこで起こる飛躍が、機能不全の由来、ですわ、ボン」
「はぁ…でも、先生」

 わたしは、升を机上におき、反論した。

「でも、それって、あの時代の若者の、主流文化、だったんじゃ、ないんですかね」
「さいな、いわはるとおり、飛躍の時代、そのものでしたしなァ」
「それに、飛躍、には、いろんな意味が、あるでしょう」
「さいな、文字通り解釈したら、跳ぶ、飛翔すること、ですわな、そこから、目覚ましく進歩して活躍すること、になりますわな、しかし、これを逆にひねったら、ですよ」
「逆さに、ひねったら?」
「順序どおり追えないところまで行ってしまう、ちゅうことに、なりますわな」
「なるほど、ね…とすると、わたしの出大阪には、その全部の意味での飛躍があった、ということに、なりますよね」
「さいな、ボンは、出大阪で、なんでもありの、未知の世界に、跳び込んでいきはったんや」
「あ、それって、実存の投擲、というヤツですよ」
「ジツゾンのトウテキ?」
「タクシー運転手でも知ってる、あの、サルトルさんの、持論ですよね」 「なんや、ハナシが、難しなってきましたな」
「ぜんぜん、みんな知ってる、とても単純なハナシ、なんです」
「みんな、知ってる?」
「そうです、ほら、われ考える、ゆえに、われ在り、は、だれがいった言葉でしょうか?」
「そりゃ、デカルトさん、ですわな」
「でしょう、これ、だれでも、知ってますよね」
「ま、そうやろね、普通やったら、みな、思春期、すごしてはるんやから、一度は頭を悩ませた言説、ですわな」
「ところが、それとは真逆の言説を編みだしたひとが、いるんですよ」
「真逆の?」
「ええ、われ在り、ゆえに、われ考える」
「ほ、まるっきり、ひっくりかえって聞こえますな、いったい、だれがそんなこと、思いつきはったんです?」
「あの、サルトルさん、ですよ」
「へ…しやけど、サルトルさん、て、いろいろ考えて、哲学しはるひと、なんやし、そやからこそ、ちゃんと存在しはるひと、だったんやないの?」 「サルトルさんは、ですね、ヒトには、まず実存があって、存在はそこから未来へのトウテキだ、と説くんですよ」
「未来に投げられたボール、でっか…つまり、いいかえたら、未来への飛躍がないと、存在したことにならん、ちゅうことなんやね」
「そのとおりです、お分かりいただけましたか?」
「はいな、どっちかちゅうと、単純で、分かりやすいハナシ、ですわな」

 主治医は、満足そうに升をひと啜りした。そしてすぐ、あわてた様子で座り直し、呟くようにいった。

「ほんなら、やね、飛躍と記憶、は、どういう関係に、なるんやろか、ね?」
「それも、単純ですよ」

 わたしは、すぐに、反応した。

「飛躍は、存在の証、ですから、さっきの投擲が、存在の記憶になるんですよ」
「すると、生命記憶は?」
「飛躍するまえの、実存の記憶、です」
「とすると、ボン、どないなりますねん、あなたの存在は?」
「え…というと?」
「出大阪からラウンジまで、記憶がない、ちゅうことは、やね、その間、存在の証がない、ちゅうことやから、ボンは、ずっと、存在してなかった、ちゅうことに、なりまへんか?」
「!?…」
「でも、ずっと、いたはったんでしょう、いまの、いままで、ほら、ここに、いはるみたいに」
「…当然じゃ、ないですか」
「いや、記憶がないんやから、存在しなかった、ちゅうことに、なりまへんか?」
「バカな」
「バカ?…や、そんな風にゆわはるんやったら、存在してた、ちゅう証拠、みせてもらえまへんか、ボン、なんでもええから、なんか一つでも思いだして、存在記憶があった、ちゅうとこ、ほら、いま、ここで、みせてもらえまへんやろか」

 執拗な追求だった。そして、追及の手は、弛まなかった。

「あのね、ボン、さっき、ふたりで、明日の事、はなしてましたな」
「明日の、なにを、ですか?」
「ほら、明日は祭日、でしたですな」
「ええ、体育の日、だって、いってましたね」
「体育の日、て、たしか、十月十日、でしたな」
「はい、そうです」
「それだけ、でしたですか?」
「それだけって?」
「なんか、もうひとつ、あったんと、ちゃいますか?」
「もうひとつ?…十月十日にですか?」
「はいな、十月十日に、だれか死んで、だれか生まれた、ちゅうハナシ、さっき、してはりませんでした、ボン?」
「…!」

 背筋にゾクッと悪寒が走った。掌に汗がジワーッとにじみ出た。手や足の指先に、サワサワと、気が流れるのを、感じた。

「ほら、この写真、なんやけど…」

 主治医は、建築家の卵と称する青年が、わたしに送ってよこしたという写真を、カルテの収納棚に挟んであった封筒から、取りだした。

「その裏に、なんか、書いてありましたな、なんて、書いて…」
「…」
「ボン、ほら、ここ、横文字で書いてありまっしゃろ、さっき、ボンが、翻訳してくれはったんでっせ、よろしいか、ここには、ね、十月十日、ぼくの誕生日に、ゲバラは逝った、と、書いてあるんですわ、憶えたはりまっか?」

 そして、今度は、写真の表を、これ見よがしに、かざしてみせた。

「それに、ほら、この子、ポピーの子、憶えたはりまっか?」
「…」
「なんぼなんでも、忘れた、ちゅうことは、いえへんのと、ちゃいまっか?」
「いや、忘れて…」

 心臓が、ドカリ、と音を立てて、落ちた。

「いや、忘れたとは…」

 両脇から冷や汗が、ツツーと、流れ落ちた。拍動が加速し、脈動が増幅した。こめかみが、ドックン、ドックンと膨らみ、縮み、膨らんだ。

「忘れたとは、なんでっか?」
「忘れたとは、いってないと…」
「ほんなら、憶えたはるんですな?」
「いや…」
「なんやのん、ボン、忘れてないのに、憶えてない、なに、それ、よう、わかりまへんな、どうゆうこっちゃやのん、ボン」
「ですから…」
「ですから、なに?」
「ですから…」
「ですから、ですから、て、なにゆうたはんの、ボン、どうか、しはったんでっか?」

 主治医は、酔いの勢いで、容赦なく追いつめてきた。なにかが、頭の内側で、決壊した。溜まりに溜まった記憶の残滓が、ドドーッと、頭蓋の内側に溢れだし、充満した。激しい頭痛がおそった。頭皮と顔面がひきつり、血流の圧迫に耐えきれなくなった。酔いで弛んだ、なけなしの理性が、軸を失い、術もなく、ぶれ始めた。

「うるさーい!!」

 わたしは、怒鳴った。怒鳴りながら、ヒバ升を、思いきり、床に叩きつけた。裂けた木片が床一面に散らばった。

「黙れ! いいかげんにしろ!…」

 ひば升から溢れた、清泉の飛沫が、そこらじゅうに、とびちった。

「いったい、あんたは、何者だ! 公安かどっかの、回し者か!」

  ねっとりした空気が、鼻孔をくすぐった。麹の香りと、生姜の甘酢が、べとべとに濡れた床の上で、混ざり合ったのだ。その甘酸っぱい匂いに、刺激されたのか、溢れ出た記憶の残滓が、末端の、毛細の、無数の地下茎に浸みこみ、じわじわと、記憶の中枢に、吸い上げられていった。消えた記憶の蘇生が、始まったのだ。

「ボン、ひとを、公安呼ばわりして、どないしはったん、気は、たしかでっか!」

 主治医は、眉間に皺をよせ、憤りを顕わにした。その形相に、わたしの怒りは、歯止めを失った。

「なんだとゥ、気はたしかか、だとゥ、冗談じゃない、たしかじゃないのは、あんたの方だ、いったい、なんの権利で、こうやって、オレを攻める、追いつめる、ネチネチと、気色の悪い大阪弁、つかいやがって、右と言えば左、左といえば右、のらりくらり、あっちに、こっちに、ひとをはぐらかしやがって、なんだ、公安でなきゃ、警察とでも、いいたいのかァ、とんでもないぞゥ、警察も、嬉しくて、涙、ちょちょぎれて、大泣きするぞ、ホンマ、なにィ、ポピーだとゥ、ポピーの子だとゥ、ポピーが、どうしただとゥ、えーい、よこせ、写真をよこせ! なんで、あんたが、この写真を、持ってんだよゥ…」

 主治医の手から、写真を奪いとった。その勢いで、写真が折れ曲がり、少年の顔が、大きく膨れ、歪み、そして縮んだ。そのとき、耳の奥で、だれかが、叫んだ。

「ハッジ、ハッジ!…」

 まるで、少年が、目の前で、叫んでいるように、聞こえた。ハッジ、バッジ…叫び声は、エールフランスの、機内の、ラウンジの、薄明りの向こうから、聞こえてきた。ブルゴーニュの白と、ピクルスのスライスと、チーズと、パンの醸す穀物の、入り混じった香りが、空調の冷気にのせて、漂ってきた。のどが渇き、肌が湿った。湿った肌に、サワサワと、綿布の感触が蘇った。見ると、白い綿布だった。

「や?…なんで、オレが、白い布を…」

 自分の姿を見ようと、空いたトイレを探した。が、みな、ふさがっていた。たまたま、非常口の扉の脇に、空いた席があった。そこに座り、トイレが空くのをまった。眠気のさめた、潤んだ目をこすると、そこに窓があった。わたしは、そっと、窓をのぞきこんだ。

「ムリか…」

 窓を姿見がわりに、と考えた自分が、とても滑稽におもえた。だが、窓の向こうに、白衣に身を包んだ自分が、実は、映っていたのだ。

「わたしが、白衣を?…」

 しかも、白いターバンまで、頭に巻いている、おかしい、視覚の倒錯か?…不可解な空間を、肌身に、感じたが、そのまま、しばらく、自分の姿を、窓越しに、見つめた。そのうち、背後に、なにか赤っぽいものが、積みあがっているのが、わかった。なんだろう?…目を凝らすと、積み木のようだった。さらに目を凝らすと、赤い地肌が、露わになった。屋根瓦だった。勝手気ままに築造し、改築し、増築した、無数の白壁の上に、幾列にも並べ、幾重にも積みあげた瓦が、カール状の斜面を、覆っている。白壁と、赤い屋根瓦の間を縫って、細い筋が、縦横に、走っていた。わたしは、かつて自分が、自室の窓越しに見たことのある光景を、思いだしていた。

「リスボンのアルファマか…それとも…」

 アルファマにしては、圏の規模が小さすぎる…そうか、そうだ、カスバだ、あの、アルジェの、カスバだ!…。

「ボン、大丈夫でっか?」
「いや、カスバが…」
「ヘッ、カスバでっか!」
「それに、ハッジ、ハッジ、と、だれかが…」
「ハッジ? それ、なんでっか?」
「ハッジ、というのは、イスラム教徒で、メッカに巡礼した信徒に与える尊称、なんです」
「それが、どうしたん?」
「だれかが、ハッジ、と、呼んでるんですよ」
「だれかが、呼んでる、ちゅうことは、ボンのことを、ハッジ、ちゅうて、呼んでる、ちゅうことと、ちゃいまんのん?」
「わたしが?…」

 まさか…いや、しかし、白い綿布を、身にまとった記憶は、ある、確実に、ある…。

「カスバ、って、あの、カスバの女、の、カスバでっか?」
「そうです、アルジェのカスバ、です」
「そこに、ボン、住んではったん?」
「いや、それが、まだ…」

 自分の部屋の窓から、外を覗いていた、ということは、そこに住んでいた、ということになるが、しかし、なぜ、わたしが、カスバなんかに…。

「カスバ、って、どういう意味なん?」
「カスバは、城塞、ですね」
「お城?」
「具体的には、城壁を巡らして囲った領主の居住地、ですかね」
「だれが、住んだはんの?」
「領主、家臣、家族、兵士、その他、もろもろ」
「一般のひとは?」
「いません」
「どこに、住んだはんの?」
「城郭の外側、メディナ、という市街地です」
「はぁ、カスバとメディナ、でっか、すると、カスバの女、ちゅうのは、領主の親戚?」
「まさか」
「なんでやのん?」
「昔のハナシですよ、いまは、王宮だけ、残ってます、あとは、みな、住んでますよ、好き勝手に」
「カスバの女も?」
「やたら、女、に拘りますね」
「あたりまえでんがな、日本の演歌と、アルジェのカスバと、どんな関係があるんか、まるで、わかりまへんしな」
「それより、先生」
「なんでっか」
「いつか、二人で、アルジェの戦い、のハナシ、しましたよね、憶えておられますか?」
「はぁ、そういえば、そうでしたな」
「たしか、映画のしょっぱなに、隠れ家に逃げ込んだ武闘派の拠点が、革命軍兵士を巻き込んで、建物ごと爆破されるシーンから始まる、って、わたしが、いったんですよね」
「そうそう、あれはね、しょっぱなに、ギロチンが出てくるんですよ、後ろ手に縛られた革命軍兵士が、フランス軍兵士に引きずりだされて、刑場まで引っぱっていかれて、神は偉大なり! 独立万歳! アルジェリア万歳!とか、叫んで、終いに、首、落とされるんですな」
「そこまで映画のこと、憶えてらっしゃるわけだから、カスバのことも、よくご存じのはず、なのでは?」
「いや、ボンの方が、さすがに、面白いこと、ゆうたはりましたで」
「どんなこと、でした?」
「主人公のアリ・ラ・ポワント、ちゅうのが、ゲリラの親分で、そのアジトが爆破されるところから、映画は始まるんや、とか、なんとか、ゆうてはりましたで」
「ええ、いまでも、そう、おもってますよ」
「なんか、確信ありげ、ですな、どっか、爆破にたちおうたみたいな、いい方でっせ」
「もちろん、時代が違いますから、立ち会ってはいませんが、爆破の痕、実際に、見ましたもの」
「爆破の痕、でっか?」
「ええ」
「どこの?」
「どこのって、カスバの、ですよ」
「あれ、ボン、さっき、思いだせん、とか、ゆうたはりましたけど、思いだしはったんですか?」
「なにを、です?」
「カスバに住んでたか、どうか、はっきりせん、と、さっき、嘆いたはりましたがな」
「そ、そう、でしたね」
「ゲリラのアジトの爆破現場、見てきはったんでしょう」
「ええ…」
「実際に、現場に、行きはったんでっか、それとも、どっかから、覗いてみはったん、でっか?」
「実際にも行ったし、覗いても見ましたよ」
「やっぱり、住んではったんや」
「…ということに、なりますが、しかし、いつ、どんな理由で、なんのために、というところが…」
「映画みてると、カスバちゅうとこは、なんや、迷路だらけ、ですな」
「ええ、しかも、急勾配の階段が多くて、無茶苦茶、疲れるとこですよ」 「実際に、登ったり、降りたり、しはったんでっか?」
「ええ、もちろん…」
「もちろん、て、なんの、ために?」
「その、なんのために、が、いまいち…」

 いや、そうか…そうなんだ、カスバを降りきったところに、みなが、殉教者広場と呼ぶ、大きな広場があったのだ。そこから、カスバに登る主要な階段の脇に、立派な寺院が、モスクがあって、住民は、事あるごとに、寄り集まっては、おしゃべりし、耳打ちし、冗談いったり、笑ったり、時には、伝道師の講話に耳を傾けるなどして、お互いの、密なつながりを、確認しあっていたのだ。分厚い白壁と、背の高いドーム型の天井には、繊細に描きこまれた、アラビア文様のモザイクタイルが、秩序だって、嵌めこまれていた。隣り合う、大勢の祈りの声が、相和して響き合い、礼拝堂には、人熱れが充満し、否が応でも、ひとびとの、寄り添い、集い会う、結束への渇望が、刻々と醸成されていったのだ。講和のあとには、寺男の給仕係が、大きな茶瓶で茶を沸かし、掌から転げ落ちそうな、小さな茶碗に注いで、満ち足りた面持ちで談笑するみなに、配って歩いていた。

「講和、って?」

 主治医が、遮った。

「坊さんの説教、ですよ」
「説教? ボンが?」
「まさか、なんで、わたしが!」
「そやけど、さっきの、お茶配りしてはった、寺男さんの振り、やけど、いかにも、自分が講和したあとで目にした光景、ちゅう感じでしたけど、なァ」
「なんで、わたしが、講和の…」

 …いや、それも、有り得ないことではない、あの、殉教者広場には、モスクに付属したマドラッサもあったのだ。布教のための宗教学校であると同時に、市井の民にとっては、難しい教義はともかく、日ごろの信仰につながる倫理や道徳に気軽に触れ、布教を介して展開される国内外の情報や知識を、手に入れさせてくれる、身近で便利な、一種の寺小屋のような施設でもあった。そこに、なぜか用があって、自分の家と殉教者広場を、何度も、往復した覚えがある。
 広場を睥睨する殉教の碑、雑踏の喧騒、アザーンの響き、肉や魚の網焼きの匂い…さまざまな事物が、視覚のどこかに残像を写し、嗅覚の、聴覚のどこかに、幻覚を残している。その都度、わたしは、たしか、白装束だった。そして、敬虔な信徒たちが、まさに、わたしの話しに耳を傾ける様子で、こちらを見ていた記憶がある。
 中にひとり、若者がいた。よく話しをした。一見、現政権を批判する拠り所として、原理的な考え方を模索する真面目な青年、と見えなくもなかったが、単に、現況に適応する体力もなく、内から噴きあがるエネルギーを抑える術も持たない、よくある半熟の旧成人だろう、ぐらいにしか、おもっていなかった。だから、しばらくは、真摯に取り合わなかったのだ。しかし、ある時点から、見方が、ころりと、変わった。いつだったか、日も暮れかけた、薄明りのモスクの入り口で、真剣な顔つきのかれが、わたしに向かって、ハッジはひょっとして日本人か、と、訊いてきたのだ。

「そ、それや!」

 主治医が叫んだ。

「それやで、ボン、そこや、その若もんが、ボンのこと、名指しでハッジや、ゆうて、訊いたはるやんか!」
「それよりも、なんで、わたしに、日本人か、って訊くんですか」
「しかし、ボンは、暦とした日本人、でっしゃろ?」
「いや、そうじゃなくて、そんな風に訊かれたら、まるで、わたし、偽ハッジ、やってるみたいじゃ、ないですか」
「ほ…」

 主治医は、一瞬、理解に苦しむ、といった顔になったが、気をとりなおして、いった。

「なんや、その辺の経緯、ようわからんけど、その若いの、なんちゅう名前やったん?」

 名前?…はて、なんだったか…マグレブか、ベルベルか、アラブのどれかだが…ムハンマド、いや、サイード、いや、ヤシーン、でもない、ハッキム、じゃない、ハッサン、アリ、ラシャド、イブン、ハッビム、サミール、ちがう、ベルベルのカリム、でもない、ハリール、オマール、いや、アブデルカデル、アブー、ン?…」
「わかった?」
「アブドー、いや、アブダー、いや、アブダッラ、おっ、アブダッラ…アブダッラ、そうだ、アブダッラだ、アブダッラですよ!」
「アブダッラ、でっか、なんか、アホみたいな名前やけど、よう、思いだしはりましたな」

 主治医は、大仰に、手を叩いた。

「で、その、アブダッラ、ちゅうひと、なんなん?」
「いや、かれは、たしか、日本商社の連絡事務所でしたか、そこで、所長つきの運転手、やってたんですよ、だから、日本人の特徴とか、習慣とかとは、違和感なく、付き合ってこれたと、おもうんですが、ね、それだけに、なんで、わざわざ、おまえは日本人か、と、わたしに訊いてきたのか、よくわからないんですよ」
「さー、ほんま、なんでやろねェ…それにしても、なんでやろねェ、こんなに、床が、ヌルヌル、ベタベタ、しとるんは…」

 主治医は、充血した目をこすりこすり、腰をへの字に曲げて、床面を窺った。そして、スリッパの底で、ペタペタと、床板を叩いてみせた。散らばったヒバ升の破片が、四方に跳ねて、麹と生姜の、甘酢っぱい匂いが、また一面に、充満した。

「…すみません、さっきは、つい、激高、して、しまって…」

 主治医は、聞こえない振りのつもりか、実際に酔いがまわったのか、よろよろと立ち上がると、紙タオルを数枚、パラパラと床にまき、よろけながら、スリッパの足を器用に動かして、こぼれたものや、ヒバ升の残骸を片付け、拭いとった。そして、ロッカー室に赴き、ヒバ升を、もう一つ、手にもって戻ってきた。

「なんや、ボン、こぼしはったんかいな、さ、いきまひょ、まだ、なんも、呑んだはらへんやないの、さ、さ、…」

 粗相した後ろめたさか、負い目を抱いたわたしは、差しだされた升と酒を、断りきれなかった。そして、もう、どうにでもなれ、ともおもった。

「ところで、ボン」

 注ぎ終わったところで、主治医がいった。

「いつ、どこで、伝道師の資格、とりはったんでっか?」
「資格?…」

 虚を突いた、質問だった。

「伝道師の資格?」
「そうでんがな、さっき、ボンが思い出しはったアブダッラさん、ね、寺小屋に通ってはったんでしょう?」
「そ、そうです、マドラッサで、知り合ったんです」
「ちゅうことは、そこでボンが、教えたはった、ちゅうこっちゃね?」
「教える?…マドラッサで?…そう、そうか…そうですよね、そう…」

 そうなんだ、アブダッラは、あのマドラッサの神学塾に、いつのころからか通っていたのだ。長年続いた、民族解放戦線の一党独裁に、みな、うんざりしていた。富める者は、ますます富み、富まざるものは、さらに貧しくなる。イスラムを標榜する新政権は、礼節と分かち合いの心には目もくれず、ひたすら、宗主国から、搾取と収奪の遣り口を、受け継いだのだった。

「なんで、また、そんなとこに、ボンが?」
「さあ…思うに、収奪される側に立ちたかった、ということ、ですかね、それとも…」
「それ、キューバのときと、おんなじやん」
「いや…」

 そのとき、主治医に指摘されて、自分の中でくすぶっていたなにかが、やっとはっきりしたように、おもった。出大阪で、革命に向かって飛躍しようとしていたころの関心事は、若気の至りといえば、それまでだが、もっぱら、自分をどうこうする、だけのことだった。ところが、そんな自分を、二十年後に、あの、政情不安な、アルジェのカスバに住まわせることになった動機、というのは、自己革命でも、飛躍でも、なんでもなく、ただただ、世の中に分断の種をまき、伝統的な人のつながりに、取り返しのつかない亀裂を生じさせる、という、実に、邪悪な、許しがたい考えの、必然的な結果だったことに、気がついたのだ。

「なんで、そんな、アホなことを…ボン、アタマ、どないか、してはったんと、ちゃう?」
「いや、アホでも、なんでも、なくてね、たったいま、思いだしました」 「また、なにを?」
「なんで、アブダッラが、わたしのことを、日本人か、と訊いた理由です」 「そりゃ、大変や、で、なんで、アブダッラは、そんなことを?」
「当然ですよ、わたし、レバノン政府発行の旅券、持ってたんです、レバノン人だったんです、わたし」
「レバノン人? 日本人のボンが、また、なんで?」
「実は、わたし、レバノンで、イスラムの勉強したんですよ」
「え、また、ようわからんことに、なってきましたなァ…」

 主治医は、平手で何回も、パンパンと音をたてて、自分の頭を叩いた。

「なんで、また、ボンが、レバノンなんかで、イスラム教、なんかを?…」 「奇妙におもわれるかも、しれませんが、実は、ね…」

 それまで、ずっと、探し求めていた地下茎の一部に、やっと、手が届いたようにおもった。端緒は、やはり、気を失う直前の、薄明りに滲むラウンジの残像と、ワインやチーズの混ざった匂いや、漂う冷気で呼び覚まされた五感の記憶が、生気を取り戻してくれたことだった。触感をたよりに手繰りよせると、綿地の白装束に身を包んだ、うろ覚えの自分が、窓ガラスの向こう側に現れた。もっと手繰ると、窓のずっと奥の方に、カスバの赤い屋根が、広がって見えた。感覚が記憶の根を掘り起こし、埋もれた地下茎が露わになったのだ。そして、それを手繰りよせると、失われたはずの記憶が、次々と、息を吹き返してきたのだった。

「実は、どうしはったんですか?」

 主治医は、少し、苛立っていた。

「レバノンで、どう、しはったんでっか、ボン?」
「レバノン、て、ご存じかとおもいますけど、仏語圏とアラビア語圏に、わかれてますよね」
「はあ、そう、聞いてますなァ」
「実は、わたし、フランス語が専門だったものですから、仏語圏で二か所、学校に通ってたんですよ」
「学校に?」
「ええ、イスラム教の神学校と建築学の専門校、の二つ、でしたね」
「なんで、また?」
「自活です」
「自活?」
「あのころ、中近東あたりを、ブラブラしていて、いろんなツテを頼って、食べるのに、さほど、苦労はしなかったんですけど、それだけだと、やっぱり、ほら、なにか、実のある、というか、身になることをしたい、という気に、なるじゃないですか」
「当然ですわな」
「それで、勉強しよう、とおもったんです」
「それが、なんで、イスラム教なん?」
「実は、パレスチナで知り合った、若い商社マンが、アドバイスしてくれましてね」
「パレスチナで?」
「ええ」
「なんで、また、そんなとこで?」
「商社のネットワークですよ、戦時中から、日本とパレスチナって、深い関係にあったんですよ」
「ほー、初めて、聞きましたな、そんなこと」
「欧州では、ナチの台頭で、ユダヤ人が迫害されてましたでしょう」
「はいな」
「一方、東アジアでは、満州国や国際連盟脱退で、日本が、欧米列強と敵対してましたよね」
「ま、そうでしたね」
「迫害されたユダヤ人は、パレスチナに集まって、旺盛な資本投資に走るんですが、一方で、列強から排除され、経済的に孤立した日本も、ユダヤ資本で繁栄するパレスチナに活路を見出した、というわけですよ」
「なるほど、その時代に培われた、相互依存関係の名残が、いまでも生きている、ちゅうわけやね」
「その担い手が、商社です、ね、すごいもんですよ、日本商社の地力、というか、ネットワークの分厚さ、広がり、並大抵のものじゃ、ないですよ」 「で、その、若い商社マン、ボンに、どんな、アドバイスを?」
「それがね、これからはイスラムの時代なので、イスラム教はビジネスになる、というアドバイスだったんですよ」
「ビジネス?」
「ええ、それと、建築も巨大な市場だから、イスラムと建築、両方、身につけておけば、中東で食いっぱぐれることはない、とも」
「ホー、中東でね、なんちゅう、アドバイスや」
「でもね、一理ある、と、おもったんですよ」
「革命志向のボンと、ビジネスの間に、どんな理が、あんの?」
「ビジネスを、たんなる経済活動、ととらずに、自分の仕事、つまり、自活の路、と考えると、ですね、場所がどこであろうと、自分が飛躍することと、密接につながる、と、おもったんです」
「なるほど、飛躍するには、まず生きなあかん、からね」
「それで、決めたんですよ、勉強しようと」
「わからんことは、ない、けども、やね、イスラム教、勉強して、なんの得、ちゅうか、飯のタネ、になんの?」
「それが伝道師、だったんです」
「伝道師?」
「イスラムには聖職者がいません、指導者はみな法学者です、わたしの目的は、学者になること、じゃなくて、飯のタネ探し、ですから、法学者の助手、みたいなものですかね」
「イスラム教義の宣伝マン、でっか?」
「ひらたくいえば」
「詳しくゆうても、そのまんまや」
「いや、そうとは、限らないんですよ」
「なんで?」
「教義の宣伝には、改宗の勧め、と、原理主義の伝播、の、二つの側面があるんです」
「それ、誑し込み、に、抑え込み、や」
「たらしこみ、に、おさえこみ?…そこまでいうと、さすがに、冗談きつすぎ、じゃないですかね」
「すんません」
「改宗の勧めは、ですね、徳を積み、同胞を思いやり、助け合う心を大切にすることの勧め、なので、なにも強制するわけでもありませんし、原理主義の伝播、というのも、シャリーア法を正しく理解し、運用し、検証する、ということですから、抑圧とは程遠い、人間社会の普遍的な行動原理の踏襲、だとおもうんですよね」
「なんや、ハナシ、難しなってきましたなァ」
「富と権力を手にした者たちのイスラムの私物化、とか、部落共同体の支配層の意に沿うように慣習化されたシャリーアの世俗化、とか、ですね、原理主義の伝播というのは…」
「わかった、わかった、ボン、なにも、芦屋に帰ってきてまで、伝道師、やらんでも、よろしおまんがな、とにかく、わたし、サケ、やめられん、しがない仏教徒ですわ、世俗の宗教でおおいに結構、改宗は、できまへん、説得したろ、おもても、あきまへんで、さ、そんなことより、さ、もう一杯、いきまひょ、さ、さ」

 ヒバ升の酒を一気にあおると、主治医は、自分が空けた升に、なみなみと酒を注ぎ、わたしに突き出して、いった。

「さ、これ、呑んで、今日は、最後まで、いきまっせ、さ、いきまひょ」

 目は、座っていた。

「そこでや、ボン、さっきから、パレスチナ、パレスチナ、ゆうたはるけど、一体、どこにあんの、その、パレスチナ、ちゅうのは?」
「イスラエル、ですよ」
「え?」
「地理的にいいますとね、まず地中海の東の端、ですね、北にトルコ、南にエジプト、があって、トルコからエジプトまで、海岸沿いに陸路を南下していくと、ですね、レバノン、シリア、イスラエル、ヨルダン、エジプト、と、ありましてね、いまのイスラエルのあるところが、そっくり、昔のパレスチナだった、というわけ、なんです」
「それが、なんで、いま、イスラエルやの?」
「先生、いま、わざと、訊いてるでしょう、わざと」
「いや、いや、とんでもない」

 右手を左右に振って、大仰に否定した。

「いまどき、日本人で、パレスチナ問題を知らない人、いませんよ、テルアビブ空港乱射の実行犯、岡本幸三を知らない人も、いないんじゃないですか」
「お、それは、知っとるで」
「だったら、パレスチナがどこにあるか、なんて、訊かないでくださいよ、いいですか、先生、よど号ハイジャック、ダッカ国際空港事件、三菱重工爆破事件、テルアビブ乱射事件、あさま山荘銃撃戦、地下鉄サリン事件、その他もろもろ、日本は、世界に冠たるテロ国家ですよ、テロの輸出国ですよ、輸出先の事情くらい、少しは知っておいた方が、いいんじゃないでしょうか、ね、先生」
「いや、わたしの訊きたかったのは、ね、その、さっき、ゆうたはった、若い商社マン、ね、そのひとと、パレスチナのどこで、逢いはったんかな、とおもいまして、ね」
「あ、そうでしたか、そういう意味でしたら、いまのレバノンですね」
「レバノンの、どこ?」
「ベイルートでした」
「ほー、そこで、初めて、逢いはったんやね?」
「ええ、あれは…あ、いや、初めて、では…」

 いや、初めてでは、なかったのだ。そうなのだ、かれとの出逢いは、たしか、ダッカハイジャック事件が、きっかけだった。そう、あの事件は、わたしにとって、寝耳に水の出来事ではなかった。実は、当時、中東でぶらぶらしていたのは、なにも、食いつめて、野良犬のように、うろついていたわけではなかった。歴とした、連合赤軍とPFLPの影響下にある、中堅の支援組織が画策する工作活動に、自ら買って出て、従事していたのだ。

「中堅の支援組織、て、なんやのん?」
「それは、ちょっと、いえません」
「なんで?」
「わたしにも、倫理の縛り、みたいなもの、ありますから」
「へー、倫理の縛り、ねェ」
「どんな記者だって、情報源は隠すもの、なんです」
「それやったらそれで、ええんやけど、で、その、工作活動ちゅうの、どんなことすんの?」
「これはね、倫理とは関係ないんです、だけど、よく、わからないんですよ」
 かなり、酔いがまわってきた。
「よう、わからん? なんの、こっちゃ」
「もちろん、よく分かると、工作にはならないんですが…」

 さらに、だんだん、舌がもつれ、呂律がまわらなくなってきた。

「一応、トップが出す指令、とか、指令をもらった側の任務、みたいなものは、あるんでしょうけど、ね、それが、ごく一般的な共同体の、日常生活者の細かなアクションの中に、うまーく組み込まれていて、自分のやったことが、あとになって考えてみると、あ、そうだったのか、あれが目的だったのか、オレは、うまく乗せられてたんだ、てな具合いに、結果としては、ちゃんと任務を遂行してしまっていたことに、あとになって、気がつくんですよね」
「まるで、暗号やんか、なんのこっちゃ、さっぱり、わからん」
「例えば、ですね…」

 そこで、わたしは、気をひきしめて、うろ覚えの記憶を手繰りよせながら、若い商社マンと知り合った経緯を、他人の足跡を辿るように、追っていった。
 キューバの医療支援を契機に、革命への飛躍を試みたわたしが、なぜ、パレスチナにいたのか。そういえば、そのちょっとまえ、医療支援計画の勧誘で、小児病院に通う女医の卵と出逢ったが、ゲバラの革命思想で意気投合したこともあって、実は、その女医と、ごく、あたりまえのように、同棲を始めていたのだ。インターン終了後、彼女は感染症の研究機関に職を求め、定収入を得る体制を整えたが、キューバ革命政権の支援に、自己の飛躍を期すわたしに、定職に就く選択肢はゼロだった。医療支援活動の経路で、日銭を稼げるアルバイトは、豊富にあった。女医のツテやコネや口利きで、便宜を払ってくれる業者にも、恵まれた。金の面でも、人との付合いでも、世の中、まだまだ、余裕のある時代だったのだ。

「そうやね、高度成長経済のまっ只中、やったもんね」
「でも、人間て、勝手なもんで、うまく行くと、物足りなくなって、他の事、したくなるんですよね」
「と、ゆうと?」
「飛躍するには、人頼みではなく、自分の手で、しっかり稼げる技術、つまり自活できる技を身につけなければ、と、おもうように、なったんです」 「なるほど、そりゃ、そうやね」
「そんな矢先、ゲバラが死んだんですよ」
「ほっ、なんで?」
「ボリビアのゲリラ戦で、捕まって、処刑、されてしまったんですよ、ね」 「そりゃ、残念でした、な、オクサンも、さぞ、がっかり、しはったでしょう、な」
「それは、もう…ま、泣きに泣いたあと、とにかく、相談しあって、これは二人にとっても、根本的な転機にしなければ、とくに、わたしについて、今後、なにをやればいいか、いろいろ、相談して、結局、文学士など、なんのメシのタネもならなない、語学はともかく、どこにいても通用する、なにか、具体的な、実生活に活用できる技術を身につけなければ、ということになって」
「それで?」
「それで、鍼灸医の免状、とったんです」
「へっ、ボン、鍼灸、しはるんでっか?」
「はい、レバノンでも更新しましたので、国際ライセンスですよ」
「へーっ! しりませんでした、わァ」
「ま、そんなこんなで、フリーターから脱却して、日仏英の通訳翻訳と鍼灸で、ほそぼそと自活の路を開拓しながら、飛躍目指して満を持していたのですが、そんなとき、意外な、思ってもみなかった人に、出くわしたんですよ」
「だ、だれ、そのひと?」
「あの、リュウシ、です」
「え、ピョンヤンに行かはった、あのリュウシ?」
「そうなんです」
「出くわした、て、どこで?」
「それが、外務省、だったんです」
「外務省、て、日本の?」
「ええ、霞が関にある、日本の外務省です」
「なんで、そんなとこに、リュウシが?」
「あそこに、国際協力局、というのが、ありましてね、そこで、わたし、国鉄のひとと、局の課長さんとの打ち合わせがあったんで、行ったんです」 「国鉄? えらい、昔のハナシ、やなァ」
「いや、考えてみたら、そうでもないんですよ」

 そうなのだ、いままで、ずいぶん、むかしの事だと思っていたが、実は、あの若い商社マンと出逢う、ほんのちょっとまえの、出来事だったのだ。

「なんでボンが、国鉄と技術協力局との打ち合わせに、行きはったん?」 「実をいいますとね…」

 そこで、手繰りよせた記憶をたよりに、さらに向こうにある記憶を、手繰った。

「ベルギー領コンゴ、て、先生、ご存じですか?」
「ああ、知ってまっせ、アフリカ中部の、赤道直下の、ベルギーの王サンが所有したはる土地、というか、領地、というか」
「ええ、それが独立して、民主共和国、になったんですが」
「アフリカの年、千九百六十年、やね」
「さすが、よくご存じで」
「そんなん、常識ですわ」
「それが、すぐ軍のクーデタで、ザイール、という国に、なったんです」 「ベルギーの画策、やね」
「といわれてますが、そのザイールに、国鉄が鉄道を敷設する計画を、建ててたんですよ」
「なんで、また、国鉄が?」
「コンゴは地下資源大国で、内陸部に広大な銅鉱脈があるんです」
「はいな」
「日本て、地下資源、ほとんど、涸渇してるでしょう」
「そうやね」
「なので、銅の安全ソース確保のため、大手商社が、南部銅鉱山開発に参画しようと、決めたんです」
「ほう…で?」
「それで、開発地から大西洋までの、鉱石を運ぶ二千キロ超の鉄道整備計画に、国鉄を巻き込んだんです」
「ほう、そうでっか…で、それと、ボンと、どういう関係が?」
「実は、この、南部銅鉱山開発鉄道整備計画の通訳に応募しましてね、受かってたんです」
「なるほど、ベルギー領だから、フランス語やもんね」
「ええ、それで、現地状況の把握と派遣業務条件について、いろいろ話し合う必要がありまして、協力局に行ったんですよね」
「そこで、リュウシと、遭いはったんやね?」
「いや、かれと会ったのは、協力局ではなくて…」

 そう、リュウシとは、局担当者との打合せのあと、帰ろうとして、本館入口の、来館者専用チェックカウンターに立ちよろうとしたとき、後ろから、トントンと、肩を叩くものがいた。なにか忘れ物でもして、呼び止められたのかとおもい、急いで振り向くと、そこに、グレーの、端正な三つ揃いに身を包んだ男性が、屈託のない笑顔で、立っていた。だれかな?…多分、怪訝な顔つきをしていたのだろう、振り向いたわたしに、かれは、恥ずかしそうに、こう尋ねた。

「すみませんが、わたし、ヤナギ、というものですが、ひょっとして、あなた、大阪府立の…」
「そうか!」

 主治医が割って入った。

「それが、リュウシ、やったんや!」
「そうなんですよ」
「なんや、いつのまにか、ピョンヤンから、帰ってきたはったんかいな」
「そうなんです、驚きました、ピョンヤンに行くといって、いなくなった時の、あのリュウシからは、想像もできないほど、変貌していたものですから」
「苦労しはったんやねェ」
「いや、そうは見えなかったですね、わたしも三十過ぎてましたし、年上のリュウシだって、そこそこの歳のはずでしょう、なのに、まだまだ、二十代の青年か、と勘違いするくらい、若く見えたんです」
「ちゅうことは、あの国で、そんなええ暮らし、してはったんやろか」

 主治医の疑問には、根拠があった。ずいぶん前から、理想郷のはずのピョンヤンから、悲惨な現状を暴露する報せが、方々から届いていたのだ。

「わたしも、その辺、確かめてみたかったんですが…」

 外務省本館で遭遇したあと、喫茶店に誘ったが、リュウシは、人と会う約束があるので、日比谷公園まで歩こう、と提案した。はて、とおもった。わたしが日比谷に頻繁に通いだしたころ、リュウシは、すでに、ピョンヤンにいたはずだ。つながらない。歩く間、わたしは、もっぱら、キューバやゲバラや、ベトナムや新宿騒乱事件や、その他諸々の、緊迫した時代背景をもとに、自分の関心事や仏文学にも触れながら、話題が日比谷公園に向くように、向くように、話しつづけた。まもなく、辿りついたところで、わたしは訊いた。

「どころで、先輩は、この公園に、よく来られてたんですか?」

 怪訝な顔つきのわたしに、リュウシが応えた。

「キミは、フランス語の専門家だから、フォワイエ、てなにか、知ってるでしょう?」
「フォワイエて、もともと、暖炉の火床のことで、転じて、家庭とか、談話室とか、集会所とか、知人や、仲間や、家族や、いろんなひとが集まって、団欒する空間のこと、ですよね」
「そう、まさに、ここは、ぼくらにとって、そのフォワイエ、なんですよ」
「ぼくら、って?」
「ピョンヤンにいったことで、ボクと同じ境遇のひとたちが、大勢いることを知ったんです、家族や友人や、親しかったひとと、離れ離れになって、孤独で、寂しくて、自分は何者なんだ、本当の故郷はどこなんだ、といった風に、これが正真正銘の自分なんだ、と確信させてくれる何かを探しながら、みな、悩んでいました、そんなとき、日本から朝鮮学校の修学生がやってくる、関係OBは祝賀会をもって来朝者を歓迎しよう、ということになって、たまたま一堂に会する機会を得たんですが、そこで、偶然、みなの口から、互いに協力しようよ、連携しあおうよ、という、切実な連帯の意思表示があったことで、自然発生的に、連帯組織が結成されたんです、が、極力、政治色を薄めるために、単に、フォワイエ、と命名したんですよね、世界中のあちこちから帰郷したメンバーの中には、キミと同じ、フランス語の専門家もいたもんだから」
「なるほど、みなさんの集うところ、いつでもどこでも、フォワイエあり、で、今日も、みなさん、ここに、いらっしゃるわけですね」
「そう、あの大噴水がフォワイエの中心です、あいかわらず、理解が早いですね、キミは」

 先輩の誉め言葉で、わたしの心は、一気に、サッカー部員だった頃に戻った。そして、自分がやってきたこと、これからやろうとしていることが、先輩にどう映っているだろうか…無性に、それが、知りたくなった。

「先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「はい、いいですよ」

 リュウシも、にわかに、サッカー部員の笑顔に、戻っていた。

「さっき、話した、ザイールの件ですが、どうおもわれます?」
「キミは、行きたいのかい?」
「ええ、そのつもりなんですが」
「ボクは、賛成できないね」 

 リュウシは、きっぱりといった。

「え! ど、どうして、ですか?」 
「あそこは不思議の国です、資源に恵まれすぎて、かえって不幸のどん底にあるんです、欲にくらんだ列強諸国が、放っておいてくれない、有能な人間は、みな殺されました、六十年、アフリカ独立の年、最後の救世主ルムンバが現れましたが、これも殺され、硫酸で溶かされ、なにも残っていません、ひとは、利権と汚職で、自分が何者かを知る機会もないし、その気も失せてしまった、あのゲバラも、六五年四月から十一月まで、コンゴにいたんですよ、農村革命で世界を変える理想が、かれを、コンゴに導いた、んだけど、ね、ゲバラにして愛想を尽かさせるほど、骨抜きにされたひとたち、だったんですよ、いまのモブツにしても、カネと権力にしか興味のない軍人です、国の富を、欲しいままに手に入れて、私腹を肥やしている、そんな売国奴が支配する国のプロジェクトに、なぜ国鉄が介入するのか、ボクにはさっぱり分からないね、老獪な商社の術中に落ちた、てとこかな」
「先輩、厳しいですね、おっしゃること、よく分かりますが、でも、政治が悪いだけに、被害者の国民は貧困に苦しんでいる、だから、この計画、少しはかれらの役にたってくれるのではと、おもうんですが」
「そうか、キミは、ほんと、変わってないね、人が良くて、他人の役に立ちたい気持ちでいっぱいで、まるでサッカー部員だったキミが、目の前にそのまま、戻ってきたような気がするよ」
「からかわないでください、先輩、ボクだって、少しは経験、積んでるんですから」
「いや、失敬、失敬、でも、ついでに一つ、いわせてもらえば、ね」
「なんでしょう」
「おなじ人の役にたつのなら、もっと理不尽な逆境で苦しんでるひとたちの役にたった方が、キミのために、なるとおもうんですけど、ね」
「はぁ…その、もっと理不尽な逆境に苦しんでるひとたち、て、いったい、だれ、なんですか?」
「パレスチナのひとたち、ですよ」
「パレスチナ?…」

  そう、わたしが、パレスチナについて、真剣に考えるようになったのは、そのときからだった。リュウシは、大噴水を囲む石積壁に腰掛け、パレスチナの惨状について、世界が、いかに理不尽な仕打ちをしているか、熱を込めて話した。イスラエル建国から、支配地争奪の中東戦争を経て、他民族共存の一枚布だったパレスチナが、虫食いだらけの古代布のように、無残に浸食され、千々に引き裂かれていく様は、どれだけ国際情勢に疎く、いかに無関心なひとでも、目や耳や、様々な報道媒体をとおして、記憶の端部や、心のどこかに、多少の残像は、残こしているだろう。
 その部類に変わりないわたしにとっても、日比谷の、午後の日差しの下で、切々と語るリュウシの言葉には、人一倍、心を打つものがあった。かれ自身が、日本と朝鮮に分断された出生の事実を、願ってもない異文化混交の好機、と捉えるのではなく、宿命的な分断民族の悲劇、として受け止める以上、その心情から繰り出されるパレスチナ悲劇の抒情詩には、有無を言わせぬ説得力があった。

「よく、分かります」

 大噴水の石積壁に並んで座り、わたしはいった。

「先輩にとって、パレスチナは、他人事ではないんですよね」
「そうです、キミは、よく分かってくれて、いますね」
「先輩の場合、祖国と自分が分断された状況、というのが、あって、それが、パレスチナのアラブ人が置かれている状況と酷似しているから、心惹かれると、おもうんですけど、あの、テルアビブ空港で乱射した武装ゲリラなんかになると、本人に類似する状況なんか、まるでないし、当事者でも被害者でも、また加害者でもないのに、よくあそこまで、残酷に人を殺せるな、っておもって、つい、パレスチナシンパの連中に、怒りを覚えてしまうんですけど、どう、おもいます、先輩は?」
「ボクも、そうおもいますよ」

 リュウシは、きっぱりといった。

「心情シンパと思想シンパの間には、大きな違いがあるんですよ」
「となると、先輩は、心情シンパ、ですか? それとも、思想の方ですか?」
「どちらかといえば、心情の方ですね、ここ、フォワイエに集う仲間は、みな、そうですよ、だって、自分だけではなく、祖国自体も、分断されているわけだから、ほとんど、自分の身体の一部が、もぎ取られたような、無残な気持ちですよ」
「なるほど、みなさん、人にも国にも、心を痛めてらっしゃるわけですね」  
 リュウシは、そうです、と、ぽつりといって、深く頷いた。いつのまにか、午後の日差しは、陰り始めていた。

「そういえば」

 ふと、疑問がわいた。

「待ち合わせの、フォワイエのみなさん、まだ、いらっしゃいませんが、連絡しなくて、大丈夫なんですか?」 「いや、来なければ来ないで、いいんですよ、なんとかは良い報せ、というじゃないですか」  いいながらリュウシは、なにもいわず、立ち上がった。そして、空を見上げ、思いきり伸びをした。噴水が、静かに水を噴き上げている。うるさいはずの街路の騒音が、かえって園内の静寂を包みこんでいるように、感じた。あのとき、リュウシは、なにを考えながら、空を見ていたのだろうか…。

「ボン、ちょっと、待って」

 主治医が、突然、記憶の回廊に、割って入った。息を吹き返えそうとした思い出が、フッと、姿を隠した。

「気、わるせんと、聞いて下さいよ、なあ、ボン、それって、なんとなく、工作員のニオイ、しまへんか?」
「工作員?」
「はいな、むかし、というか、いまから二十年ほど前に、よど号事件、ちゅうの、ありましたなァ」
「ええ、たしか、わたし、大毎地下で、例の、アルジェの戦い、観たんですけど、その翌年のこと、でしたかね」
「とにかく、あの連中、ハイジャックした飛行機に、北朝鮮に行け、ちゅうて、そのまま北に、亡命しましたわな」
「ええ、たしか、共産同赤軍派の連中、でしたね」
「そや、そや、赤軍派の連中や、しかし、なんで、初めから、北、やったんやろか」
「さあ、なにせ、真偽はともかく、あそこは、理想郷とか、地上の楽園とか、といわれてましたからね」
「そこなんやけど、なんとなく、フォワイエのニオイ、しまへんか?」
「フォワイエの?」
「はいな、日本は世界一、無防備な国でっしゃろ、スパイ天国や、連中にしたら、工作活動なんか、朝飯前のことでっせ、カツオの一本釣り、やないけど、やる気になったら、ボン、ボン、釣れまっせ、なあ、ボン、ボンも、リュウシに、釣られはったんと、ちゃいまっか?」
「なにを、ばかな」
「ほんなら、訊きますけど、そのとき、リュウシは、なんの仕事、したはったんでっか?」
「先輩の仕事?…」

 そういえば、わたしも、なにを生業にしているのか、気になって、確かめたのだった。

「あのとき、先輩はね、国際見本市とか、博覧会とか、セミナーとか、いろんなイベントを企画実行する、国際文化技術交流会、とかいう団体のスタッフで、世界各国の政治家や要人、財界人、科学技術者と、連携し協力する仕事をしてるんだ、て、いってましたね」
「つまるところ、イベント屋、でっか」
「現に、わたしと再会したとき、東京の晴海で、国際建材見本市を開催していて、その役員になってたらしいですよ、ぜひ、観にきてくれないか、と誘われました」
「東京やったら、ええんやけど、それ以外に、どっか、誘われまへんでしたか?」
「それ以外って?」
「例えば、ですな、パレスチナは悲劇の地ですが、素晴らしいところです、キミのようなひとは、ぜひ、一度は、行ってみたらいいとおもうんですが…とか、なんとかゆうて、ほら、やんわりと、遠まわしに」

 主治医は、まるで、そこにいたかのように、リュウシの気持ちを、ずばり、言い当てた。そうだったんだ、ヤナギ先輩は、かってそうだったように、かれ自身が目指す、変革と飛躍の路に、わたしが賛同し、合流することを、望んでいたのだ。そして、わたしは、主治医が推理したとおり、その意気にほだされ、言説にからめとられて、パレスチナ民族解放への誘いに、まんまと乗せられてしまったのだ。

「やっぱり…」

 主治医は、深いため息をついた。それを見て、誤解されたと、おもった。わたしは、弁解がましく、慌てて前言を繕った。

「でも、先生、自分が釣られた、なんて、そのときは、まったく、考えもしなかったですよ、先輩の言葉で、ただただ、キューバやザイールに代わる、パレスチナという、自分を変革し飛躍させる、思いもしなかった格好の新天地に目覚めた、て、ほんと、身も心も、アタマの中も、熱々になってたんですよ、その時点で、わたしは…」

 そうだったんだ、リュウシの、虐げられる者への熱い心情に触れて、これから自分のやることは決まった、とおもったのだ。すぐに、わたしは、リュウシがくれた、知人宛ての紹介状を手に、バンコクに飛んだ。

「なんで、バンコクに?」
「タイ、て、しょっちゅう、軍のクーデタ、あるでしょう」
「そのよう、ですけどな」
「あれ、なんでか、て、いいますと、ね、食えない連中が入隊して、ちゃんとした教育を受けて、結局、目覚めるんですよね、世の中の矛盾に」
「ほう」
「で、世直しのクーデタ、てことに、なるんですよ、簡単にいえば」
「で、それが、ボンと、どういう関係が?」
「リュウシによりますと、ですね、ことパレスチナに関しては、クーデタとテロは、同義の軍事行動だ、というんですよね」
「ほ、ちょっと、ちゃうんと、ちゃうのん」
「ええ、クーデタは、支配階級の内部抗争、と、考えるのが、普通ですよね」
「リュウシは、なんて?」
「先輩は、ね、元来、パレスチナには、ユダヤ人とアラブ人が共有する領地に共存していて、ユダヤ政権とアラブ政権が、その領地の統治覇権を争っていた、というんですよ」
「なるほど、それが、パレスチナ国、ちゅうわけやね」
「そうなんです、なので、もともと、イスラエル国は存在せず、戦後の列強の采配で、パレスチナ国にユダヤ政権が誕生し、現在、たまたま、その政権が国政を担当しているが、かたやアラブ政権側は、常に覇権の奪還を狙っていて、そのせいで、抗争が絶えないのが現状、だから、双方にテロ行為があるとすれば、それは、統治機構の内部抗争の結果として追行される、正当性に裏打ちされた、暦とした軍事行動だ、というんです」
「すごい、正当化、やねェ」
「それで、いつ軍事行動があるか、という緊張感を味わえるタイは、けっこう参考になるから、嗅覚を養うために、しばらく滞在してはどうか、と、勧められたんです」
「へ、そんな、あんた、無責任な、しばらく滞在やて、どうやって食べてくのん?」
「バンコクの中心街に焼き肉レストランがあって、経営者が友人だから紹介する、そこでバイトしながら、滞在費かせいで、キックボクシングでもやればいいんじゃないか、というんですよね」
「なんと、ラッキーというか、手回しがええというか、棚から牡丹餅みたいなハナシ、ですなァ」
「実際、先輩の友人というひと、訪ねてみると、胸板が厚く、精悍で、清潔感にあふれた、いかにもスポーツマン、て感じの男性でしたけど、リュウシは、どこか、ふところに抱きこまれてしまいそうな、包容力というか、柔軟な許容力が、伝わってくるひとだったんですけど、かれは、どこかキナ臭くて、攻撃的で、険があって、油断できないな、って、初対面なのに、つい、身構えてしまうタイプ、だったんですよね」
「まだ挨拶もせんうちに、そこまでヒト、見るんかいな?」
「まさか、もちろん、挨拶は、しましたよ」
「名前は、なんていうの?」
「それがね、教えてくれないんです」
「へ、名なし、でっか?」
「いえ、かれがいうには、人と人の出会いは一期一会、わざわざ名乗ることもない、ただ、便宜上、呼称はあった方がいいけどね、ということなんです」
「ほう」
「それで、ここに招聘された連中は、ハンドルネームに、自分の生まれ故郷の名前をつけてるから、キミもそうすればいい、といわれました」
「招聘?」
「なぜか、そういってましたね」
「それで?」
「ボクはタァリエン生まれだから、タァリエンと答えました」
「はあ、すると?」
「タァリエンシ、よろしく、ボクは、ウォンサンシ、です、と答えました」 「なに、その、シ、ちゅうのは?」
「わたしも訊きました、そしたら、敬意を表すためにシをつけるんだ、というんです」
「なるほど、リュウシも、リュウさんやもんね、そやそや、ほんなら、リュウシのハンドルネームは?」
「ピョンヤン・リュウシ、です」
「へ、ピョンヤン生まれやから、ピョンヤンシ、やないの?」
「数が多いので、後に自分の名をくっつけるそうです」
「ややこしなァ、まあ、ええわ、で、その招聘、ちゅういいかた、気になりますなァ」
「わたしも気になって、確認したら、英語のインビテーションだ、といってました」
「招待…ねェ…」

 主治医は、立ち上がると、給湯器に向かい、布巾に伏せてあった急須に茶葉を入れ、湯を注ぎながら、いった。

「いや、ちょと、回ってきましたなァ、茶でも呑んで、ちょい、落ち着きまひょか」

 いうわりには、立ち上がって給湯器に向かう様子に、酒が回って足腰がふらつく兆候は、認められなかった。相当、酒に強いひとだな、とおもった。

「それで、タァリエンシは、キックボクシング、やらはったんでっか?」

 多少、揶揄を含ませた口調で、かれはいった。

「はい、昼は皿洗い、退けて夕方からジムに通って、ガンガン、やりましたね、毎日」
「ケガ、しまへんでしたか?」
「それが、驚いたことに、金的ボクシング、だったんですよ」
「金的ボクシング? なんや、それ」
「もっぱら急所を狙うワザで、ジムでは、股間にガータはさんで、バンバン、蹴りあうんですけど、実践では殺し合い、ですよね、でも、意外とケガはなくて、同時に、金的外しの技術も、身に着きましたね」
「なんで、また、そんな野蛮なボクシングを…」

 主治医は、両手に茶碗を抱えたまもどってくると、椅子にドカリと座り、怪訝な表情を隠そうともせず、茶を勧めた。

「わたし、おもうに」

 勧められた茶をすすりながら、わたしはいった。

「あれ、一連の、軍事訓練の一環だったのではと」
「ほーァ、招聘者に、金的攻撃と金的外しの訓練、でっか」
「ゲリラの市街戦には、必要ですよね」
「そんなもん、金的攻撃だけでは、勝てまへんで、火器がないと、火器が、ほら、拳銃とか、自動小銃とか、カラシニコフとか、ドドドッー、ちゅう、機関銃とか、銃撃戦の訓練も、必要でっせェ」
「それも、あったんですよ」
「えー!?」
「実はね、毎日、夢中で、金的訓練してたんですけど、半年ほど過ぎて、ウォンサンシから、そろそろ場所を変えてみないか、といわれて」
「場所を変える?」
「つまり、タイも日本も仏教国、ここで何年いても、異文化との接触は期待できない、だから、アラブ圏でしばらく遊んでみたらどうだ、て、いうんですよ」
「なんや、また、タナボタやんか、なんちゅうラッキーなひとや、ボンは」 「まったく幸運だったんですが、そんなことより、アラブ圏、と聞いただけで、わたし、ゾクゾクッ、として、身体中がカーと熱くなって、脇の下からタラタラーと、冷や汗が流れ落ちましたね」
「それで、どこへ行きはったん?」
「アルジェリアです」
「ヘッ、あの、アルジェの戦い、の、アルジェリアでっか!」
「そうです」
「なんと、ダブルラッキーやないの、ボン!」
「そうなんですよ」
「なんちゅうても、アルジェの戦いの現場、でっせ」
「それも、ありますけど、アルジェ生まれのフランス人作家がいましてね」 「ほー、だれでっか?」
「カミュ、という作家なんですが」
「なんや、有名なひとやんか、たしか、ノーベル賞、もらいはったひとやねェ」
「ええ、わたしには、卒論に選んだ作家だったもんで、それに、ティパサのローマ遺跡もみたかったし、一度は行かなくちゃ、とおもってたところなんですよ」
「日照りに雨、闇夜に提灯、渡りに船、ですな」
「結果論になりますけど、実は、その渡りに船が命取り、というか…」
「命取り?」
「いまおもうと、のハナシですよ」
「なにが、あったん?」
「お膳立てがニクイじゃないですか、アラブ圏といっても、百三十年以上、フランスの植民地だったイスラム国ですよ、共通語は仏語です、わたしの専門です」
「なるほど」
「わたしが、その誘いに、乗らない分けが、ないじゃないですか、ウォンサンシも、それを、よく知ってたんですよね」
「それも、そやな、で、結局、ボンは、その誘いに乗って、アルジェに行きはったんかいな?」
「ええ、ことはウォンサンシの思惑通りに、運んだんです…」

 いまおもうと、それは、しかし、わたしにとって、後戻りできない船出だった、といえるかもしれない。同じ変革の未来への飛躍、投擲、といっても、まともなブーメランなら、どこに飛んでいっても、元にもどってこられるだろう。しかし、もし、本体が脆弱にできていて、自分の飛翔軌道の記憶を辿れない瑕疵があったとしたら、行きっぱなしで元には戻れない。飛躍自体が無に帰してしまう。

「なんや、脆弱な出来、やなんて、そんなに自信、なかったんかいな?」 「とんでもない、まったく、その逆でしたよ、そのハナシがあったときには、もう、わが意を得たり、で、身体中が火照って、ワクワクして、何日も、何日も、眠れない日が続いたくらいです」
「まるで、遠足に行くまえの、小学生やんか」
「大差ありませんね」
「バンコクから、どうやってアルジェまで?」
「香港に戻ってから、南回りのAFでマルセイユ、そこから船でアルジェ港、そしてカスバ、ですね」
「どんな、船?」
「けっこう大きなフェリーで、そこここに、入口とか出口とか、一方通行とか、日本語の表示が、ありましたね」
「なんや、日本船の中古かいな」
「昼過ぎにマルセイユを出て、ちょうど昼過ぎにアルジェ港ですから、まる一日の航路でしたね」
「初めてのアルジェ、どうでした?」
「アルジェって、北アフリカのパリ、といわれてるんですけど、海から見ると、さすが、風格があって、落ち着いていて、由緒正しい近代都市、て感がありましたね、アルジェ湾から急角度でせりあがるカール状の、優に海抜百メートルは越すんじゃないかとおもわれる広大な丘陵、その懐に、コロニアル風の威風堂々とした建造物群が、こう、しっくりと、親密に抱かれていて、それを軸にして、近代建築群の都市インフラが、せめぎ合うように林立している、一方、海側にせり出した丘陵部には、異国情緒というか、赤い屋根が所狭しと居並ぶ旧市街のカスバが、地中海を睥睨していて、あそこに行けば、まず、二度と出られなくなるだろうな、なんて、想像を逞しくして、身震いしたりして、いや、それは、もう、なにもかも、わたしには初めて目にする光景だったので、ほんと、絶句するほど、素晴らくて、同時に、グイグイ惹きこまれていきそうな、誘惑的な、眺めでしたよ」
「なんか、ペペルモコ、みたいやねェ」
「しかも、ですよ、カスバの上の方、海にせり出した丘陵の天辺には、砂岩色にくすんだどっしりとした、巨大なカトリック教会が、海のはるか沖を望んでいるんですよ」
「ほー、アラブの国に、カトリックの教会が」
「はい、後で知ったんですけど、それが、ノートルダム・ド・アフリック、つまり、アフリカのノートルダム、という大聖堂だったんですよ」
「植民者は、本気でフランス化、したんやねェ」
「ずばり、フランス共和国アルジェリア県、だったんですから」
「通関は、問題なく、無事、すんだんでっか?」
「手続きは簡単なのですが、なにしろ荷物検査が、これ、大変ていうか、時間がかかって、かかって」
「なんで、そんなに、厳重に検査、しはんのん?」
「いや、人が多いだけなんですよ」
「そんなに観光客、多いんでっか?」
「いや、ほとんどが、国外出稼ぎ移民の里帰り、なんです」
「なるほど、そのひとらが、外国からいろんなもん、持って帰らはんのやね」
「実はね、フェリーには一等、二等、三等までありましてね、わたしは二等だったんですけど、大半の里帰り客は、三等船室を利用するんですよ、安いし、収容旅客数も、多いんです、そのひとたちが、まず、下船、するんですよね」
「ほう、普通は逆やね、優先順位が?」
「なんですが、七年間の独立戦争を戦いぬいた、気性の激しいひとたちでしょう、しかも大勢で、まる一日、閉じ込められていた狭い客室から解放されたばかりでしょう、だから、一つ騒ぎがおこると、これ、大変なことになる、という警戒心が、当局にもあったんでしょうね」
「へー、どんな民族や…」

 そこで、しばらく、主治医に、雑踏の喧騒や、女たちの嬌声、赤子の泣き声、鼻を突く香料の刺激臭や、口論、取っ組み合い、目撃したスリ、置き引きの現場の情景、なども交えて、混雑の極みを具現する埠頭の光景を、思いだす限り、おもしろおかしく、説明してみせたのだが、そのうち、なぜこんな肝心なことを忘れていたのか、と悔やまれる事実があったことに、気がついた。

「なにが、あったん?」
「二等客の欄干にもたれかかって、埠頭に溢れだした三等客が、船と税関の間で、右往左往する光景を、ワクワクしながら、しばらく見てたんですけど」
「ほん、そしたら?」

 主治医が、少し、乗り出してきた。

「なにが、あったん?」
「欄干に、こうやって、肘ついて、見てたんですけど、そのうち、隣にやってきたひとが、同じように肘ついて、すごい眺めですね、て、いったんです」
「だれや?」
「同い年くらいの日本人男性で、実はボクも三等客で、あの連中の中にいなきゃいけないんだけど、船員に知った人がいたので、頼み込んで二等甲板に上げてもらったんだ、というんです」
「へー、なにもんやろ?」
「わたしも、不思議におもって、訊いたんですよ、あなたは、旅行者の方、ですか、て」
「すると?」
「かれは、こう答えたんです」

 そこで、わたしは、多少の脚色を混じえて、かれの返事を再現してみせた。

「いえ、ボクは、アルジェに連絡事務所のある、某商社の社員で、今回、一時輸入の乗用車を、プジョーの四○五を、フランスで買って、このフェリーで持ちこむ予定なんですけど、クルマの予約はとれたのに、肝心のヒトの予約が取れなくて、ですね、もともと一等はムリだし、三等はイヤだし、なので、まだ二等船室に空きのある次の便まで遅らせるか、とおもって、事務所に連絡したら、甘えんじゃねーよ、て、こっぴどく叱られちゃいましてね、三等でも甲板でも、廊下に雑魚寝してでも、予定の便で帰ってこい、と厳命されちゃったんですよね、で、あの、臭い、すし詰めの、やかましい三等船室に二十四時間、バッチリ、押し込められちゃいましてね、さっき、やっと解放されたばかりなんですよ、ほら、このニオイ、鼻に付いちゃって、すごいでしょ、ほら、感じませんか…」

 そういって、かれは、上着の袖口に鼻を押しつけ、クンクンと匂いを嗅いだのだった。

「ほー」

 聞いていた主治医が、関心したように、いった。

「まるで、映画の一場面やな、とおもて、聞いてたんやけど、なにが、そんなに、臭いんでっか?」
「どういえば、いいんですかね、とにかく、相当きつい臭いですよ、因みに、耳鳴り、て、あるじゃないですか」
「ミミナリ?」
「あの、キーン、という詰まった異音が、鼓膜の奥のほうで、常に高周波で響いている、て、感じ、わかります?」
「分かります、経験、ありまっさかい」
「あれの臭い版というか、まさに、鼻の粘膜の奥のほうで、常に、キューン、と、嗅覚を引っ搔くような感じで、刺激しつづけるんですよね、いわば鼻付き、とでもいえば、いいのかも」
「ハナツキ?…経験、ないんで、さっぱり、分かりまへんな」
「とにかく、頭の芯が、いつも、こう、持続的に、鼻の奥から締め付けられているような、そんな感覚、ですよ」
「なんの臭い、なん?」
「みなさん、ヒツジのニオイ、ていってますけど、羊肉のニオイを倍増するのに、マグレブの香辛料を一切合切、混ぜこぜにして、ぶっこんで煮つめたグルメ臭、とでもいいますかね」
「まるっきり、想像できまへんな、ま、よろしいわ、で、時間はかかったけど、結局、ボンは、問題なく、無事、通関しはったんやね」
「いや、それが…」
「なんや、問題、あったんかいな」
「実は、手荷物で、二つ、ひっかかったんですよ」
「手荷物? なにを持ってはったん?」
「アリコと蚊取線香、です」
「なんの、こっちゃ」
「アリコは、ほら、あの手造りの楽器ですよ、覚えてらっしゃるでしょう?」
「はいな、膿盆、いや、えんどう豆に似た形の、手琴ですな、いつも、持ち歩てる、てゆうてはりましたな」
「ええ、大切な友、みたいなものですから」
「で、その、蚊取線香、ちゅうのは、なんだんねん?」
「実は、あそこは蚊がおおいぞ、というウォンサンシの忠告で、香港に戻ったとき、日本製の蚊取線香一缶買って、持ってったんですよ」
「それ、防虫対策やんか、なんか、問題になるの?」
「それが、ですね、武装テロ頻発の世界情勢、というか、その煽りをうけて、ですね、現地でも、何年か前から日本とドイツにも似たような武装テロ集団がいるぞ、というウワサ、というか、明白な事実だったんですが、が流れてましてね、日本人旅行者は要注意の対象、だったらしいんです」
「はァ…赤軍のことやね」
「それで、多分、疑われたんじゃないかと」
「蚊取線香で?」
「ええ、除虫菊の練子を左巻きにグルグルまいたスタイル、ね、どうも、あれが、初めて見るひとには、導火線かなにかじゃないか、と、真剣に疑ってたみたい、なんですよ」
「ほー、知らんちゅうことは、大変なことやねェ」
「しかも、日本の本国では、三菱重工爆破事件とか、あさま山荘銃撃戦とか、なんやかや、ハデなテロや武力衝突が続いていて、そんなきな臭いニュースが、当然、アルジェリア国内でも、報道されているわけでしょう、嫌疑がかけられても、仕方ない状況にあったんですよね」
「しかし、妙でっせ、そんな要注意人物、やったら、フランスでビザ、出してもらわれへんでしょうに、ちゃう?」
「それが、まったくのノープロブレムで、3か月の観光一時入国ビザ、簡単にだしてくれたんです」
「ワケ、分からんな」

 主治医は、半身で背もたれに寄りかかり、腕組みしながら、ため息をついた。

「しかし、一旦、疑われたら、嫌疑を晴らす、ちゅうても、どうしようもないしねェ、で、ボン、どないしはったん?」
「いくら殺虫剤だ、と説明しても、埒が明かないので、大使館にかけあって、邦人保護してもらおうかな、とまで、おもったんですが」
「大使館?」
「ええ」
「あかん、あかん、甘い、甘い、そんなもん、なんの役に、たちますかいな、あの役人どもが、一旅行者の身になって、なんとか努力してくれるとでも、おもいはったんでっか、ボン、甘い、甘い、あの連中はね、邦人のこと、なんか、これっぽちも考えてまへんでェ、ホンマでっせェ!」

 なぜ、そんなに、いきり立つのか、と驚くくらい、主治医は憤慨した。

「すごい勢いですね、先生、先生は大使館に、なんか、恨みでも?」
「ウラミ? 恨みなんか、おまへんで、ただ、ね、よう知ってまんねん」 「よく知ってる?」
「大使館には、ね、とくに発展途上の国の在外公館やね、そこには、ね、必ず、大使館付きの医務官、ちゅうのが、おりましてね、わたしの医者仲間でも、経験あるひとたち、けっこう、いたはるんですわ」
「在留邦人の医療をみるんですか?」
「とんでもハップン、ですわ」
「では、なにを?」
「役人とその家族の、お抱え医師、ですわ」
「そんな」
「ただし、年に一度くらいやろな、在留邦人相手に、医療相談会、みたいなもん、催したりすることも、ありまっけどな、これも、体のええガス抜き、みたいなもんで、ちゃんと邦人のことは考えてまっせ、気にかけてまっせ、ちゃんと税金、使わせてもろてまっせ、ちゅうわけや、早い話が」 「ずいぶんシニカルな見方ですね、先生」 「いや、ね、わたしの親しい友人でね、北アフリカのどこやったか、忘れましたけど…」

 そこで主治医は、友人の口から、直接聞いた事実として、大使館付き医務官の、不本意な所業について、語った。

「ボンも、よう知ったはるとおもいますけど、日本脳炎、ちゅう病気、ありまっしゃろ、それが…」

 その日本脳炎が、友人の滞在する北アフリカ全域で、猛威を振るった時期があった。大使館付き医師の友人は、その職務として、当然、在留邦人の健康を先ず憂慮し、その旨、繰り返し大使に伝え、低調にその意向を伺ったが、ほぼ無関心な対応に終始するばかりか、友人に対して、ただ医務官としての任務に準じるのがベターではないか、と助言したという。天皇の勅命を授かった全権大使といえども、要は行政官のひとり、国民市民への行政サービスに腐心するのが昨今の本命ではないのか、時代錯誤にもほどがある、などと憤慨した友人は、せめてワクチンの調達には、二国間の医療協力の枠組みを活用するなりして十全の配慮を、と願い出たそうだ。

「ところが…」
「え、ところが?」

 わたしは、身を乗り出して訊いた。

「ところが、でっせ、その大使、禿の小役人が、なんちゅうたとおもいます?」
「わかりません、なんて?」
「ま、そこまでやること、ないだろう、ちゅうたそうですわ」
「へ?」
「自分ら、大使館員全員には、本省が直接手配したワクチンで予防接種、しておきながら、でっせ、相手国との協力枠を活用するなどして、在留邦人の日本脳炎感染防止に、少しでも役立とう、なんちゅう、殊勝な気持ち、これっぽちも、ありまへんねん、あの小役人連中には、えー、どうでっか、ボン、アタマにきまへんか、アタマに!」

 主治医は、激高を冷ますためか、冷えた茶を、ゴクゴクと飲み干した。

「あーァ、あほくさ、もう、やめとこ、これ以上ゆうたら、ハラ、煮えくり返ってもて、まともに眠られまへんわ」

 そして、真顔でわたしに向き合い、いった。

「で、ボンは、そのまま、留置所にいかはったんでっか?」
「まさか、そんな!」
「いや、冗談、冗談、そこまで野蛮な国とは、おもえまへんし、なんとかなったんやろとは、おもいましたけどな」
「結局、大使館の話は、税関自身もとりあってくれなくて、さて、どうなるんだろうか、と、正直、怖くなってたところに、さっき、甲板で知り合った某商社マンが、検査官の一人と一緒に、検査室に入ってきて、主任らしき官吏と二言三言、言葉を交わしたんですね、そしたら、それまで、しつこく、わたしにかまっていた、立派な口髭のオッサンが、てすよ、急に、アロワ、アロワ、ていって、プイと横むいちゃって、それっきり、知らん顔なんですよ」
「なに、その、アロワ、アロワ、ちゅうのは?」
「行け行け、とか、早く早く、とか、要は、さっさとやってどっかにいけ、とかという意味、みたいですよ、あとで知ったんですけど」
「わかった、ボン!」

 主治医は、また乗り出してきた。

「それ、コレや、鼻薬や、賄賂や、袖の下、っちゅうやつや」
「いや、実は、そうだったんです」
「そやろ!」
「ええ、あの商社マンが、後で教えてくれたんですよ、許認可賄賂でもうけてるヤツ、けっこう多いクニだから、うまくやった方が、いいですよ、さっきも、主任に包んで鼻薬きかしたら、ほら、即、一件落着でしょ、あと、みんなでシェアするんですよ、その日の上りをね、てね」
「後発国ちゅうのは、ね、大抵、そんなもんですわ」
「でも、先生、よくお分かりになりましたね」
「あたりまえでんがな、ボン、わたし、あんたはんの十二上でっせ、ダテにトシ、とってまへんがな」
「そしてみると、トシとる、というのは、あまり、気持ちのいいものじゃ、ありませんな」
「アホいいなはんな、トシ重ねるとね、ヒトのウラ、ちゅうのが、よう見えてくるから、逆に、おもしろおかしく、なってくるんですがな、世の中が」 「はぁ…」
「ボンも、カスバで、ペペルモコみたいに、いろいろ経験、積みはったでしょう?」
「カスバ、で?…」
「そうでんがな、カスバでんがな、そのあと、カスバに住みはったんでしょ?」
「いえ、わたし、カスバなんかに、住んでませんよ」
「なに? さっき、カスバに住んだハナシ、したはったやないの?」
「とんでもない、この数年まえに、カスバって、世界遺産登録されたばかりで、クニも本気で整備し始めましたけど、わたしが初めていったころは、ね、簡単にいえば、廃墟、ですよ、廃墟、居住空間の整備計画なんか、だれの口にも上らない時代で、だから、逸れものの巣、になってたんですよ」 「なんか、ハナシがちがいまんな、さっきは、自分の住処から望むカスバの赤い屋根のこと、なつかしそうに、話したはったんと、ちゃいまっか?」 「そんなこと、いってませんよ、第一、住んだことないんだから、そんな夢みたいなこと、話せるワケ、ないじゃないですか」

 主治医は、半身で背もたれによりかかると、繁々とわたしを見つめながら、いった。

「ボン、ほんま、覚えてまへんのん?」
「覚えるも、忘れるも、いってないから、仕方ないじゃ、ないですか」

 わたしは、苛立っていた。

「どうして、そんなに、カスバに、こだわるんです、先生だって映画で見ただけなんでしょ?」

「いや、映画とは関係あらへんがな、ま、ま、ええわ、ほんなら、ボンは、アルジェリアに、なにしに行きはったん?」
「あ、それは、ね、それが、また奇遇でしてね、あの商社マン、実は、わたしがバンコク出るときに預かった封筒があったんですけど、それを手渡す相手が、こともあろうに、偶然、あの商社マンが勤める連絡事務所の所長さん、だったんですよ」
「なんや、そんなもん、預かったはったんかいな」
「ええ、近々にアルジェで開催する国際フォーラムの計画書、だったそうです」
「そんなもん、郵送で送るだけで、ええんやないの、なんで、わざわざ、ひと使て、手渡さなあかんのやろか?」
「郵便とか国際輸送サービスとか、まるっきり、信用してなかったみたいですよ、手渡し口伝え、それがリスク管理の常道、とかと、いってましたね」 「まるで江戸時代やな、で、所長って、どんなひとやった?」
「それがね、海外出張で、結局、会えず仕舞いでした」
「会えず仕舞い? ほんなら、計画書は?」
「例の商社マンに預かってもらいました」
「なんか、中途半端で、解せんハナシやなァ」
「たしかに、そうなんですけど、あの手渡し文書があったおかげで、商社マンと知り合いになれたし、それどころか、寝る場所まで、提供してくれることになったわけですから、わたしとしては、御の字でしたね」
「寝る場所?」
「ええ、単身赴任用の社員寮があるから、そこで寝泊まりしたらどうすか、と、いってくれたんです、コック付きでした」
「一宿一飯でっか」
「いや、好きなだけ居ていいですよ、ていわれました」
「なんと、ラッキーやなァ」
「ただし、飯は有料」
「そら、当然やろ」
「でも、実質、ただ飯でした」
「なんで?」
「調理場の手伝いすれば、食費と小遣いくらいでますよ、とのことでした」 「またまた、ダブルラッキーや」
「そんなわけで、朝は買い出し、昼は準備、夜は皿洗い、と、結構、生産的な生活、やりましたね」
「なんや、せっかくアルジェにいたはんのに、そんなんやったら、どこも見物できまへんがな」
「それが、ね、コックさんが、とてもいいひとで、買い出しの行きかえりを利用して、いろんなところ、うまーく、案内してくれましてね」
「親切なひとや」
「買い出し先には、ね、いろいろありまして、アルジェ市内の中心部にムスターファ広場、という広場がありましてね、そこにグランマルシェ、つまり、築地市場、みたいな大市場があるんですよ」
「青果、精肉、鮮魚の卸し、やな、魚河岸、みたいなもんやね」
「雰囲気は、まるで違うんですけど、あっちは羊の頭、牛の頭、なんかが、ゴロゴロ、並べてあって、解体した肉類や臓物が、ところ狭しと、吊り下げてあって、あれは、ちょっとした屠殺場、ですね」
「魚は?」
「豊富でしたね、イワシ、マグロ、カツオ、ボラ、イカ、タコ、アジ、タイ、ルージェ、スズキ…なんでもありましたよ、カレーの干物なんか、しょっちゅう造りましたね、ただ、乾季になると、鮮度がいまいち、なので、海岸沿いの漁場に、直接仕入れに行くんですよ、車で三、四十分のとこかな、これが、素晴らしかった、ですね、朝の、キラキラ光る沖の彼方から、小型漁船が、あちこち、木の葉みたいに浮かんで、漂って、揺れて、近づいてくるんですよね、鮮明で、シャープな輪郭を、紺碧の水面に、映し出して…」「えらい、ええ体験、しはったんやねェ」
「ええ、あのコックさんには、感謝してます、いまでも」
「どんなひと?」
「それがね、ちょっと、不気味な…」
「不気味?」
「いや、知ってみると、そんなとこ、微塵もないんですけど、ね、これが、初対面となると」
「そんなに人相、わるいの?」
「わるい、というか、長髪で、長いアゴヒゲで、ガッチリした体格で、そうですね、あのオーム真理教の教祖、いますよね」
「ゲー、麻原彰晃、かいな」
「いや、あそこまで、太ってはいないんですが、あれを少々、スリムにした感じ、ですかね」
「スリムの方が、よっぽど怖いやんか」
「目ですよね、目、これが、決定的に違うんですよ」
「なにが、違うの?」
「小さいけど、クルッと丸っこくて、愛嬌があって、どことなく象さん、みたいな、可愛らしい目、してるんですよね」
「悪印象も、それで相殺される、ちゅうわけやね」
「あ…いま、思いだしましたよ」
「なにを?」
「かれね、いつも、象印の魔法瓶、もってたんですよ」
「象さんが象印、なんや、洒落でっか?」
「それを、わたしに、くれたんです」
「ボンに、くれた?」
「かれのカレーライス、最高でね、現地では、金曜日にクースクースを食べる習慣なんですが、向こう張って、独身寮ではカレーライスにしよう、ということになって、毎週金曜日には、旨い美味いカレーライスを食べてたんです」
「まるで子供やな」
「で、二か月ほど滞在したある金曜日、カレーライスを食べてたら、オイ、電話だ、国際電話だ、と、かれに呼ばれたんです」
「ボンに、国際電話?」
「ええ、いったいだれが、とおもって、出てみると、なんと、リュウシの、あの、歯切れのいい言葉と声が聞こえてきて、すごく懐かしくなって、いろいろ話そうとしたら、リュウシ、とても冷静、というか、事務的な対応で、少々、がっかりしたんですけど、とにかく、イスラム文化にも馴染んだだろうから、そろそろパレスチナに移動したらどうだ、ていうんです」
「どっから、かけてんの?」
「訊いたんですけど、いってくれませんでした」
「なんか、遠隔操作、されてるみたいやな、ボン」
「いま、おもえば、そうですけど、当時は、気持ちが昂るばかりで、振りかえる余裕は、なかったですね」
「なるほど」
「しかも、ですよ、アルジェからボンベイ経由でイスラマバードによるといい、銃砲店にいけば、なんでも売ってるし、試し打ちもできるし、郊外に出れば、射撃場もあるし、好きなもの何丁か買って、射撃の訓練してみるのも、いい経験になるんじゃないか、そのあとダッカに入ってくれればいい、所長がちゃんと手配してくれるから、それじゃあ、て、電話、切れちゃったんです」
「インド、パキスタン、バングラデッシュ、でっか、なんか、夢のような、悪夢のような、ハナシでんな」
「かなり驚いたものですから、電話切れてから、コックさんにそのこと話そうとしたら、まだ聞いてもいないのに、そうか、そうか、とかいって、ほら、と、分厚い封筒、くれたんですよ、なんだとおもって、中みると、アルジェリア航空発券の、アルジェーボンベイーイスラマバードーダッカのチケットと、ですよ、十ドル札の束が何束か、入ってたんです」
「へー…なんと、手回しのよろしい、おハナシ、ですなァ」

 主治医は、あきれたように、額を叩いた。

「それで、すぐに、イスラマバードに?」
「はい、三日後に予約、とれましてね」
「で、四日目に出発?」
「はい、そのとき、かれ、コックさんが、くれたんですよ、象印の魔法瓶を」
「なんかの思い出に、でっか?」
「いえ、とにかく、あの辺は、機内サービスわるいし、待合室でも水出ないし、遅れるわ、予約はダブルわ、フライトは平気でキャンセルするわ、なんでもありのルートだから、非常時の水分補給に、ぜったい忘れるなよ、て、念をおされました」
「ほー…」
「実際、かれのいうとおりで、アルジェで半日遅れ、ボンベイでは二時間、イスラマバードでは4回ダブルブッキングにやられましてね、結局、ダッカ到着は、なんと一週間後でしたよ」
「大旅行やな、で、パキでは、銃砲店、行きはったんでっか?」
「銃砲店といっても、屋台に毛の生えたようなものでしたね」
「へ、屋台? 襲われたら、どうすんのん?」
「試し撃ちして、気に入ったらドンと注文する、小売りより、卸しがメインでしょう、アンテナショップみたいなものですよ、なので、襲ったりしてたら、元も子もなくなっちゃいますよね」
「はーん、強盗みたいなヤボはおらん、ちゅう分けやね、で、ボンは、何丁か、買いはったんでっか?」
「そんな余裕、ありませんよ、第一、軍事オタクでもなかったし、どんな銃がいいか、なんて、考えたこともなかったし、ね、ただ、なぜか、AK-47、という型式だけは、覚えてたんですよ」
「なんでっか、そのAKなんとか、ちゅうのは」
「ソ連製突撃銃カラシニコフの型式番号です」
「おー、あの、カラシニコフでっか!」
「そうです、あのカラシニコフです」
「なんぼで買いはったん?」
「言い値は四万円くらいでしたけど、よくよく見ると、どうもニセモノというか、コピーというか」
「なんや、中国製かいな」
「もろ、贋作でした」
「せっかくのカラシニコフ、がっかりやな」
「がっかり、って?」
「あの、国際スナイパーの、ゴルゴ13でんがな、M16との対決、なかなかの感動モン、でしたでェ」
「へー、わたしは、アフガン常連のカメラマンから、直接、聞いたハナシなんですけど、とても感動しましてね、よく覚えてるんですよ」
「どんなハナシ、でっか?」
「ご存じのように、アフガンニスタンでは、ずいぶん長い間、内戦がつづいていますよね、そんな、終わりのない戦いの中で、ある女領主が、自分の部下、敬虔なイスラム教徒たちをまえに、こういったそうです、この争いを終わらせるのは、神か、カラシニコフしかない、と」
「へー、女領主がねェ、そうでっか、ゾクッと、しますなァ、で、ボンは、結局、どないしはったんでっか、そのニセモノ、買いはったんでっか?」 「いや、純正品はないのかと、訊いたんですけど、当分は入らない、という返事だったので」
「で、どないしたん?」
「他の屋台にも当たってみるよ、といって帰ろうとしたら、ほら、せっかくだから、試し撃ちしてから決めてもいいじゃないか、ていうんです」
「なるほど、商売人や」
「そして、強引に腕つかんで、アロワ、アロワ、ていうんですよ」
「はよ行こ、行こ、ちゅうわけや」
「そのとき、あの大阪城の射撃場のこと、ふと、思いだしたんですよ、なぜか」
「大阪城の射撃場?」
「高校のとき、授業さぼって、よく見に行ったんです、ほら、馬場町からみて天守閣の裏側に、淀殿の石、があって、そこを五十メートルほど下ったところに、あったんですよ、ご存じありませんか?」
「はて、大阪府警の射撃訓練所がある、とは聞いてましたけどな、実際に、行ったことは…」
「とにかく、あの、パン、パン、パン、という、巻玉鉄砲がはじけるみたいな音、おもいだしましてね」
「ホンモノ、撃ってみたいと?」
「それも、ありましたけど、銃声って、なんていうか、バヒューン、とか、ドヒューンとか、もっと、重々しい響き、というか、威厳のある音だとばかり、おもってたんですけど、大阪城のは、まるで正月の火薬鉄砲玉はじけるみたいな音、だったので、実際の銃声、というのを、自分の耳で確かめてみたい、という欲求にかられましてね」
「四百ドルも、払ろて?」
「とんでもない、まず撃たせろ、それで気にったら、買ってやる、ってネゴ、しましてね」
「やるやん!」
「よし、五分まて、といって、いなくなったんですが、すぐにTOYOTAのハイラックスで戻ってくるや、さ、乗れ、アロワ、アロワ、ですよ」
「さすがのフットワーク、やね」
「射撃場は、ものの十分と行かないところに、広大な廃墟群がありましてね、その一部を整備して、崩壊した壁を背に、二、三十はありましたかね、標的をずらーと、並べてあるんですよ、客もけっこう来てましてね、あちこちでパンパン、やってましたし、ドドドドドーというのも、ありましたね、おそらくカービン銃、でしょうね」
「なんか、すごい、危ない世界、やなァ」
「日本じゃ、考えられない光景、ですよ」
「怖かったやろ?」
「はい、これで、銃突きつけられて、カネを出せ、ていわれたら、終わりだな、て、おもいました」
「ハハハ、そんなんやったら、カネを出せちゅうまえに、ドンと一発、やりまっせ、その方が早いがな」
「とにかく、脚が震えて、身体全体が、竦みましたね」
「甘もみられたんと、ちゃう、相手に?」
「いや、後で聞いたはなしですけど、ね…」

 わたしは、声を細めて、特に念を押した。

「武器商人て、個人的には、結構、やさしくて、武器に慣れてないな、と見ると、つい、教えてやりたいな、とおもう質のひとが、おおいそうなんですよ、とくに、日本人なんか相手にしてると、ね」
「なんで、日本人やの?」
「憲法九条のこと、みな、よく知ってましてね、武器を持ちたくない、平和なおとぎ話が好きなひとたち、だからだそうですよ」
「まるで、子ども扱いや」
「とにかく、面倒みがいいんですよ、丸腰のひとには、ね」
「で、AKの撃ち心地、どうでしたん?」
「銃の構造、弾の込め方、安全装置、照準、銃座のポイント、腰の入れ方、肩の落とし方、重心、バランスのとり方、などなど、ですね、一連の予備知識から始まって、引き金の引き方、狙い方、射撃後の姿勢に至るまで、手取り足取り、教えてくれましたよ」
「ほー、ホンマ、面倒見、ええなァ」
「結局、百発くらい、撃ちましたかね」
「百発!」
「ええ、もちろん連射も入っての球数ですけど」
「あ、なるほど」
「なにしろ、初めてなんで、結構、肩にきましたね、それに、銃口があれほど加熱するとは、おもいもしませんでした、へたすると、大やけどですよ」 「肝心の狙いは? 的には、当たったんかいな?」
「一発も、当たりませんでした」
「へ…なんや、アホみたいやな、ボン、百発打って命中ゼロでっか、ハハハハハ…」

 大仰に笑って立ち上がると、主治医は、あきれたといわんばかりに、ヤレヤレ、といいながら、二人が映る診察室の窓まで行き、そっと、ガラス扉を滑らせた。外は雨だった。

「ありゃあー、なんや、蒸す、蒸すとおもてたら、ボン、雨だっせ」

 いうと、かれは、勢いよく、窓を開け放った。

「えらい、降ってまっせ、ボン、可哀そうに、明日は体育の日や、ゆうのに、運動会、どうなるんやろか、ほんま、ついてまへんなァ、なんで、わざわざ、十月十日の体育の日に、雨、降らせなあかんのやろか、殺生なはなしや…」

 開けた窓から、十月の冷えた微風が、入ってくる。それが、院内を漂い、そこここの、停滞した、淀んだ空気と、少しずつ、入れ替わっていった。主治医も、わたしも、その湿潤な秋の冷気を、胸いっぱい、吸いこんだ。
 そうこうするうち、二人の酔いも、徐々に、さめていった。やがて、窓の外をながめていた主治医が、だれにいうともなく、ポツリといった。

「十月十日のダッカにも、雨、降ったんやろか…」
「?…」

 いきなり、なんのハナシをしているのだ、このひとは?…わたしは、それまで主治医と交わした会話の内容を思い返し、文脈を辿ろうとした。が、途中で迷ってしまった。

「あの…どういうハナシ、でしたっけ、それ…」
「そやそや」

 主治医は、こちらの戸惑いに、取り合う気配もなく、そのまま続けて、いった。

「ほれ、肝心なこと、忘れてましたがな、ボン、あの楽器、どうしはったんでっか?」
「楽器?」
「はいな、あの、アリコ、とかいう、手造りの、手琴ですがな」
「アリコ…」

 酒気に萎えた記憶の道筋が、冷気に触れて、輪郭を、少しずつ、鮮明に、浮かび上がらせはじめた。

「あれ、アルジェの税関で、引っ掛かったんと、ちゃいますんか?」
「あー、アレね、手造りの手琴ね、いえ、アレは、引っ掛かりませんでしたよ、だって、見るからに、当たり前の遊び道具だし、連中の大好きな弦楽器でもあるし、向こうにも、文句のつけようがなかったはず、ですよ」
「で、どないしはったん?」
「ちゃんと、ダッカまで、もっていきましたよ」
「いつも、やってるように?」
「ええ、わたしの、大切な旅の伴侶、ですからね」
「しかし、ボン、ダッカに行って、なにしたはったの?」
「そう、そう、実は、そこなんですよ」

 わたしは、それまで、自分でも納得できていなかったことに、決着をつけようと、おもった。

「アルジェリア航空発券のティケットもらったとき、最終地にダッカ、て、あったでしょう」
「そう、ゆうたはりましたなァ」
「なぜ、ダッカなんだろう、て、そのときから、ずっと考えていたんですよ」
「ほー、それで?」
「本を正せば、ですよ、パレスチナで虐げられ、助けを求める人々を支援する、それには、日本を出て、世界をみて、多様な文化に接して、見分を広め、目を肥し、自己を変革してこそ、それに見合う力が備わってくるもの、だから、危機の渦中にある地域の現状を、肌で感じとるのが一番、と、そもそも、あのリュウシに勧められて始めた、いわば、贅沢な見分旅行みたいなもの、だったんですよね」
「なるほど、いえてまんな」
「だから、バングラも、数年前に独立したばかりだし、政局は、まだまだ安定してなかったし、クーデタも起こったし、起こる可能性もあったり、したので、ダッカ滞在も、パレスチナに入る前の、自己変革の最後のステップだった、と、おもうんですよね」
「なるほど…」

 頷くと、主治医は、窓を半開きにしたまま、診察椅子まで戻り、どかりと座った。

「しやけど、もし、それだけやったら、ボンはいったい、何様やったんや、赤の他人に、そんなにチヤホヤされて、見返りもなし、まるっきり、代官様の御曹司でんがな」

 かれのいうとおりだった。高校で先輩だったというだけで、だれがそこまで、面倒みてくれる?

「わたし、おもうに、外務省でかれと再会しましたよね、あの時点から、わたしのことを、工作員に仕立て上げようと、考えてたんじゃないかと」
「工作員?」

 主治医は、首を傾げた。

「なるほど、そう考えたら、いろいろと辻褄が、合うてきますなァ、バンコクしかり、香港しかり、マルセイユしかり、アルジェリアしかり、極東から北アフリカまでの、いわば旧植民地ルート、やね、そっから折り返して、パキ、インド、バングラのダッカ、そして、最後にパレスチナまで、つまりは、欧州から中東までの、やっぱり、旧植民地のルート、やね」
「つまり?…」
「つまり、どことっても、火種や、導火線の上や、いつでも燃え上がる発火点やわ」

 そうか…やはり、そうだったのか、一人前になりたいなら、いつ発火してもおかしくない導火線の上を、現場研修で歩いてこい、というわけか…しかし、もし、そうだとしても、いったい、どこの、だれの、工作だったのだろうか。

「そんなこと、考えても、ボン、ムダでっせ」

 わたしの疑問に、主治医は即答した。

「ムダ?」
「ムダですわ、なんでか、ゆうとね、世の中、多かれ少なかれ、みな工作し、工作されてますんやわ」
「どういう、こと?」
「他人より優位に立ちたい、そのために、いろいろやる、競り合う、画策する、駆け引きする、簡単にゆうたら、そういうこと、でっしゃろ?」
「ま、そういうこと、ですかね」
「わたし、戦前の日本、知ってまっしゃろ、まだ子供でしたけど」
「お家は、奉天でしたよね」
「開業医、やってましたけど、日本人は大勢来たはるのに、満人の患者、数えるくらいしか、いませんでしたね、子供心に、なんでやろ、て、おもてましたわ」
「なぜ、なんです?」
「貧乏やから、とはおもてましたけど、実のところ、分かりまへん、日本人の差別意識、やったかもしらんし、満人の逆差別、やったかもしれまへん、ようわからん、なんせ、まだガキ、やったしね」
「差別、ですか…」
「ま、そんなことは、どうでもええんやけど、肝心なのは、ね、シナ人が、いつも、いつも、いつも、日本人を追いだしたろ、ゆうて、画策しとった、ちゅうことですわ」
「そりゃ、そうでしょうね」
「そう、そのとおり、日本も、さんざん画策して、満州国樹立、したんやからね、向こうさんは、なんとかして追い出したろ、ちゅうわけですな、自業自得ですわな」
「やられたら、やりかえす、ですね」
「ボンの先輩にしても、世界中にはびこる、上から目線の、えらそうな連中、ね、いままで、さんざんワルやってきたくせに、いまでも、まだ飽きずにやってるくせに、そんなヤツらがですよ、世の中のルールはオレが決めるんや、ゆうて、大手を振って、そこら中、歩き回っとるわけでっしゃろ、それに、我慢でけへんようになったんと、ちゃいまっか」
「そこまで、いいますか」
「いいまっせェ」
「ま、わからなくは、ないですけど、もし、そうだったら、戦争するしかなくなる、じゃないですか」
「さいな、問題は、そこですわ」

 主治医は、また、乗り出してきた。

「戦前の日本は、ね、ボン、天皇陛下万歳、ですわ、自分のおもい通り、なんでもやれたし、戦争もヤリましたで」
「ヤリすぎた、とも、いえますけど」
「ところが、戦後は、どうや、ええ、アメリカさんに首輪はめられて、クサリでつながれて、飼い主のいいなりや、せっせと稼いで、世界中にカネばらまけ、ちゅうわけや、なんもでけへん飼い犬、ですがな、あー、情けな」

 いいながら治医は、椅子の背にもたれた。

「そこまで、いいますか」
「ああ、なんぼでも、いいまっせェ」
「でも、戦前よりは、ましじゃないですか、とにかく平和で、自由で、なんでもいえて、すきなことができて、まさに、民主主義の世の中、になったんですからね」
「そこが、ワナ、やねん、ボン!」

 主治医は、またまた、乗り出してきた。

「あのな、ボン、よう考えてくださいよ、日本人は、ね、アジアから白い人を追い出した、札付きのテロリスト、なんですわ、連中の敵、なんですわ、しやから、武装解除したから、これで安心です、あとはどうぞご自由に、とかゆうて、そのまま、ほっといてくれると、おもいまっか?」
「はい、おもいません」
「でっしゃろ、ほんなら、どないなると、おもいます? 人に言うこときかせるには、なににモノいわせたら、よろしんやろか?」
「カネとチカラ、ですか」
「さいな、自由主義社会や、金融と軍事、この二つさえ牛耳っとったら、こっちのゆうがままやし、牛耳られたら、相手のいうがままや」
「つまり、その二つで、相手を依存体質にしてしまう、と」
「さいな、こっちがクシャミしたら、相手がカゼひくようにしてやる、再軍備せんでもええよ、核の傘で護ってやるからね、と安心させてやる、ほんまに護るかどうか、それは別のハナシでっせ、とにかく、ひとりでは何もできない体質にしてしまう、ずばり、それが工作、ちゅうもんですわ、な」
「とすると、頼りっぱなしのヤラれっぱなし、ということに、になりますね」
「そうや、これが現実や、なんとか、やりかえさんと、あきまへん」
「や、意外や意外、びっくり仰天、先生って、まいにち、そんなこと、考えてらしたんですか?」
「あのな、ボン、いまゆうたこと、な、あれ、ぜんぶ、ボンのお父さんが、生前、事あるごとに、ゆうたはったことですわ、わたしやありまへんでェ、あなたのお父さんが、でっせ」
「父が?」
「はいな、ボン、知ったはりまっか、あなたのお父さん、はね、若いころ、特高に追いまわされてはったんでっせ、特高に!」
「えーっ!」
「先に満州に行って、建築事務所開いたはったお兄さんが、ね、あいつ放っといたら危ない、ゆうて、すごい心配しはって、はよ免許とって満州に来させろ、ゆうて、家族総出で忙しはって、それでお父さん、せっかくお兄さんが、そうやって心配してくれてるんやから、むげに断るわけにもいかん、ちゅうて、すぐ免許とって、行かはったんですわ」
「免許って?」
「一級建築技師の免許、ですがな」
「へー、まったく、しりませんでした、そんなことが、あったんですか…」

 父が特高に付け回される?…聞いたことがない、そんなこと、いままで、だれも、一度も、はなしてくれたことはなかった。むろん父からも、聞いていない。徴兵されて戦地に赴き、死線を超えて戦った兵士たちが、復員後、平安な環境に身を置きながらも、多くを語らなくなった事実は、否みようがない。父も、そうだった。平時では極刑に処すべき殺人が、有事には救国の名のもとに賞賛される。帰還兵たちが、一応に口を閉ざすのは、この単純な殺人という行為に、正当性の証を見出すことができないからではない。殺らなければ殺られる、だから殺る、これで、十分すぎるほど、正当性は証明されているはずだ。大手を振って、武勲を吹聴しても、だれも文句はいわないだろう。
 しかし、実際には、そうは行かないのだ。たいていの場合、想いを紡ぐ言葉を忘れてしまったかのように、みな、目を伏せ、押し黙り、口を噤んでしまう。なぜなのか…?

「それは、ね、まさしく、記憶のなせるわざ、ですわ」

 主治医が、割って入った。

「記憶のなせるわざ?」
「さいな、記憶にはね、自分が存在した、という事実を証明する機能が、備わっとるんですわ」
「先生ご自説の、生命の記憶、と、存在の記憶、のことですね」
「もし、勇猛に敵を蹴散らし、果敢に戦をたたかい抜いた記憶をもつ兵士がいたとしたら、誉れ高い存在のはず、しやけど、当の本人は、はたして幸せやろか?」
「いや、銃弾に頭を撃ち抜かれた戦友とか、収容所で非業の死を遂げる無残を、目の当たりにした兵もいたはずだし、その記憶があるかぎり、決して幸せではないでしょうね」
「ほんなら、上官の命令で捕虜を処刑した兵卒、とか、嗜虐に走って、被疑者を拷問にかけて、なぶり殺ししてしもた憲兵、とか、刎ねた首の数にカネかけて、敵兵を殺しまくった突撃兵、とか、民兵狩り、婦女子虐殺の命を出した連隊長、とか、それこそ、あなたのお父さんみたいに、抑留先の捕虜虐待の実態とか、殺された戦友とか、病死とか餓死とか、ま、いろいろ、ありまっけど、な、どやろ、この種の記憶のあるひとは?」
「平時の生活に戻ると、辛いでしょうね、毎晩、悪夢でうなされるんじゃないかな、きっと」
「そやね、そのうち、忘れよう、忘れよう、と、するやろね」
「多分、できないでしょうけど…」
「いや、それが、出来るんですわ」
「厭な記憶を、消す?」
「はいな、精神医学からするとね、いやや、いやや、思いだしとない、と、いつもおもてたら、ね、そのうち、消えてしまうんですわ」
「そんな、ばかな」
「いや、消えてしまう、ちゅうのは、ちょっと語弊がありまっけどな、なんちゅうか、つまり、消したい記憶の部分にだけ、認知機能に目隠しする、ちゅうか、そんなことが、できるようになるんですな、これが」
「目隠し?」

 わたしは、きょとんとして、訊き返した。

「認知機能に目隠し?」
「いや、つまり、でんな、できれば忘れたい、けど、消し去れない、そんな記憶に日々苦しめられてると、ええ加減、耐えられまへんがな、 生きた心地しまへんがな、しやから、自分の身を守るために、意識とか、記憶とか、考えとか、感情とか、それに行動やね、あとは、感覚、知覚やね、ざっと、こんなところ、つまり、心のありようと密接に関連し、連還し、繋がってる関係、やね、それらの一つひとつを、バラバラに引きはがしていくんですわ、そしてから、自分に受け止める」
「なんの、ために?」
「自分の心を守るため、ですがな、致命的に都合のわるい記憶、そいつとの繋がりを断ち切って、ですな、まともな心の状態を維持していく、これが目的ですわ、これはね、よくある記憶障害の一種でね、専門的には、解離性健忘、と名付けるんですわ、意識と記憶の素を解離することで、認知体系からシャットアウト、するわけですな、そして、平静な心の状態を保つ、いわば、心の自衛策、やね、実際に経験したことでも、自分の意識と切り離すことで、記憶の素が見えなくなる、ね、ウソみたいな、ハナシでっしゃろ、ボン」
「からかってるんですか、ひとを?」
「とんでもない、現に、ボンだって、その気、ありまっせ」
「わたしに?」
「はいな、しかも、複雑でっせ、ボンの場合は」
「複雑?」
「さいな、認知にもきてるやないか、と、わたし、診てるんですわ」
「わたしが、認知症に?」
「いや、合併症、ちゅうことやね」
「わけ、分かんないですよ、具体的に、わたし、どうなってるんですか?」 「記憶と認知がシンクロしとらん、ちゅう状態、ですな」
「なんですか、それ」

 わたしは、非難がましい目付きで、主治医を睨みつけた。

「そんな、怖い顔で、睨みなはんな、ボン、よろしおまっか、さっき、ね、ボン、がね、AFのラウンジのこと、思いだして、そのつづきで、カスバに住んでたことがある、とか、ゆうてはりましたでしょ」
「あ、そのことですか、ええ、たしかに、非常口脇の座席で、ボーと窓を見ていたら、カスバの赤い屋根が、暗い奥の方から見えてきて、むかし、カスバの、自分の部屋の窓から眺めていた光景が、つぎつぎと思い浮かんできて…」
「でっしゃろ、そやのに、ほんのさっき、でっせ、せっかくアルジェに行きはったのに、カスバなんかに行ったことはない、なんちゅうて、えらい、頑張ったはりましたなァ、それ、なんで、でっか?」
「ほー、そんなこと、いいましたか…?」
「つまり、でんな、ボンの中で、アルジェに住んだ事実を、やね、奇妙なことに、認知する場合と、認知しない場合の、二とおりある、ちゅうことですわ」
「?…」
「この違い、なんでっしゃろか、なんやと、おもわはります、ボン?」
「さあ…」
「わたし、おもうに、記憶の繋がりの問題やと、おもいまっけど、な」
「記憶の繋がり?」
「ボンの中の、いろんな記憶が、きっかけ次第で、カスバに限らず、少しずつ、呼び戻すことが、できてたのに、それが、アリコと繋がった途端、特にカスバの記憶が、きれいさっぱり消えてしまう、ちゅう現象が、起きてしまうんやけど、それって、なんでやろね」
「アリコとカスバ…」

 懸命に思いだそうとしたが、記憶に霞がかかり、白い世界が広がっていくばかりだった。

「…べつに、これといった因果関係、見えてこないんですけど、いや、むしろ、なんの関係も…」
「ほんなら、いま、カスバの情景、頭のどっかに、蘇ってきてますんやな」 「いや、それが、頭の中が、もやもやして、ホワイトアウトみたいに、霞んできて…でも、先生、どうして、急に、ここで、アリコが、出てくるんですかね?」
「はて、アルジェの税関で、蚊取線香とアリコ、引っ掛かりかけた、ちゅうはなし、さっき、してはりましたがな、ボン」
「あ、そうか、そうでしたね…」
「つまり、でんな、アルジェとの繋がりで、アリコが初めて、記憶の文脈に登場してきた、ちゅうわけですな、そしたら、途端に、あれだけ話題にしてたカスバが、どっかに、吹っ飛んでしもた、ちゅうわけ、ですわ」
「…」
「これね、わたし、想像しますけど、ボンの記憶障害のカギ、握ってるのは、おそらく、アリコでっせ」
「アリコが、カギ?…」

 なにを寝ぼけたことをいってる、この医者は。アリコは、どこかの居ぬきの居酒屋から、古材の一部をもらってきて、切ったり削ったり、インカ風の彫を入れたり、しているうちに、いつの間にか楽器になってしまった、単なる趣味の工作物にすぎないのだ。

「そんなものが、記憶障害を解くカギ、になるわけ、ないじゃないですか」 「モノの特性を、とやかく、ゆうてるんやあらしまへん、その使い道ですがな、問題は」
「アリコは、わたしの良き伴侶、それこそ、心を護ってくれる、大切なパートナーですよ」
「しやから、ダッカにも、持っていきはったんやね」
「もちろん、です」
「すると、パレスチナにも、持っていかはったん、やね」
「もちろん…あ、いや、パレスチナには、たしか…」
「たしか…どうしはったん?」
「持っていったはず、なんです、が、はっきりした記憶が、ないんですよ、ね」
「記憶が、ない…なんでやろ? あのアリコ、途中で、捨ててしまいはったんですか?」
「いや、そんなはず、ありません、捨てるなんて、とんでも…」
「ほんなら、どないしはったん?」
「いや、ちょっと、待ってくださいよ…」

 ダッカには、たしかに持って入った。しかし、出るときに、手荷物に入れた覚えがない。はて…。

「だめだな、おもいだせない…」
「そうでっか…ま、よろしわ、ゆっくり、いきまひょ、ゆっくり、ね、ところで、ボン、ダッカで起こった事件は、当然、覚えたはるでしょうな?」 「ダッカで起きた事件?」
「さいな、ちょうどボンが滞在したはった前後でっせ、あれが起きたのは」 「わたしの、ダッカ滞在中、にですか?」
「はいな」
「…あ、そうだ、そうそう、おもいだしました! たしか、クーデタ未遂事件が、ありましたよ!」
「クーデタ?」
「あれね、たしか、空港で、国の安全を脅かしかねないレベルの、やばい事件がありまして、ね、駆けつけた国軍も介入する、一触即発の状況だったらしいですが、また、それを好機とみたヤツらがいましてね、反政府派の反乱軍ですよ、そいつらが、漁夫の利を狙って、急遽、国軍に襲撃をかけたんですよ、でも、思惑外れで、結果的に、鎮圧されてしまいましたけど、ね…」 「その、国の安全を脅かす大事件、て、なんやったんでっか?」
「あれはね、ハイジャックでしたね、航空機乗っ取り事件です」
「どこの飛行機が?」
「あれは、たしか、日本の航空機で、あっ…」

 ホワイトアウトが、にわかに、解けはじめた。視界が、徐々に開け、それにつれて、記憶の地下茎が、少しづつ、露わになっていった。

「急に、どない、しはりました、ボン?」
「いや…」
「なんや、身体が、震えてまっせ、しっかり、しなはれや、ボン!」
「いや…」
「なに、いや、いや、ゆうたはりまんねん、なにがそんなに、いやだんねん、なんか、ごっついこと、おもいだしはりましたんか?…」

 まといつく主治医の声が、逆に、どんどん、遠のいていく…その余白を埋めるように、ダッカの、繁華街の喧騒が、内耳一帯に広がった。ざざぶりの大雨だった。麻袋を抱えた露店商人が、正装の勤め人が、女や子供や、外国からの観光客が、雨避けを求め、大声で叫び、わめき、罵声を浴びせあい、忙しく駆けまわる。そんな混雑を尻目に、わがもの顔の軍用車が、武装兵を満載して、邪魔者でも蹴散らすように、雑踏を切り裂き、轟音とともに、駆けぬけていく。土砂を巻き込んだ濁流が、都市部を襲い、側溝の埋まった穴だらけの道路が、みるみる、どす黒い早瀬に変っていった。行き交うバス、乗用車、バイク、トラック…タイヤというタイヤが、濁水を巻き上げ、そこらじゅうを、泥だらけにしていた。
  雨宿りのそこここで、人々の口から、ハイジャックされたのはジャルのパリ発羽田行だ、先月のパンナムとはわけが違う、反戦活動が高じた末の蛮行ではないらしい、首謀者はレッドアーミー、暦とした日本赤軍だ、完全武装した戦士数人の実戦部隊だ、綿密な計画あっての犯行らしい、公式報道では、国際秩序を真っ向から否定し、世界中の抑圧される者の解放を目的とした、究極の破壊工作、ということだ、戦士の決意は固く、要求をのまなければ、容赦なく人質を処刑、殺害する、最悪搭乗機ごとすべてを爆破すると、豪語している…暴力的で、劇的で、刺激的で、挑発的な、最新のホットな情報が、次から次と、ラジオから、新聞から、ひとびとの口から、とめどなく発信され、目から耳から、群衆のもとに、拡散されていく。否が応でも、気持ちは昂った。

「機は熟した…」

 そう、おもった。気が焦った。昂る自分を抑えきれず、雨の中を歩き回った。どこをどう歩いたか、よく覚えていない。気がつくと、ずぶ濡れのまま、逗留していた簡易ホテルの一室に、戻っていた。

「そうだ、ひとは、暴力と、抵抗と、変革と、そして、周到に準備された前代未聞の戦術に、戦慄している…」

 そう、おもった。革命への出発のときだ、と確信した。リュウシによって整えられた、自己変革と世界の解放に、いま、思い切らなくて、いつ思い切る? 嘗て、リュウシの言葉で、大阪を出た。さらに、リュウシの誘いで、日本を出た。そしていま、抑圧されるひとの側に立ち、支援し、大手を振って地球を荒らしまわる、尊大で邪悪な抑圧者に抵抗し、倒し、歪み切った世界の背骨を、まっすぐに立て直し、正しい骨格と枠組みのもとに、ひとびとを解放しなければならない、まさにその決意に、身体中が沸き立っている。わたしの使命と、その目指すものは、純粋で気高い、幾万の犠牲を払っても、登りみるに値する、至高の高見だ。アメリカはベトナムでこけた、やがて、屋台骨を引き裂く、分断の苦しみにあえぐだろう、実にいい気味だ、そしていま、子飼いの忠犬日の丸が、反帝イデオロギーの武闘集団に、追いつめられている。もっと、もっと、追いついめ、追いこまなければ、ならない、世界中の利権を漁り、生き血を吸ってブクブクと肥え太るヤツらを、いまこそ、追いつめ、追いこみ、駆逐しなければ、ならないのだ…。

「ボン、どうないしはったん、でっか、目が、座ってまっせ、目が…」

 主治医が、怪訝な顔で、こちらを見ていた。その、様子を伺う様が、かれを、一層、愚鈍でチンケな科学者に、見せていた。唯物論に思考の礎を置きながら、現代社会の地勢分析すらできていない。情勢分析に至っては、児戯だ。

「これが、わたしより十二年上の、世界大戦を生き抜いた、逞しい日本の男の、一人なのか…」

 列強の脅しに、恐れおののき、縮みあがった、あの、明治以来の富国強兵、江戸時代の人情浪花節から、一歩も出ていないではないか。

「情けない…戦前から戦後にかけて、日本からシナ、奉天からピョンヤン、ピョンヤンから芦屋と、列車と船旅で、時と場所を遍歴できる、結構なご身分にありながら、なんだ、これは、いったい、とこを見、なにを考えてきたんだ、このオッサンは?…」
「へっ、なんでっか、ボン?」

 独り言が、どうも、外に漏れてしまったらしい。

「なんや、わたしのこと、どうとか、こうとか、ゆうたはりましたな?」 「いや、そうじゃありません、この際、ひとつ、先生に、おうかがいしておこうと、おもいましてね、参考のために、よろしいいですか?」
「はいな、急に改まって、ボン、そんな怖い顔して、いったい、わたしに、なにを聞きたいと、おもたはるんでっか?」
「とっても、プリミティヴなハナシ、になりますけど、先生は、科学者、ですよね?」
「はて、自然科学の一つの医学、を学ぶものが医師とすれば、わたしは、まさに、科学者、でしょうな」
「すると、医師は、ひとを死の危険から護る技術を追求する科学者、技師、ということに、なりますよね」
「はあ、そう、なりますな」
「ところで、わたしは建築技師で、つまり、科学者の端くれでもあるんですけど、建築も、ひとを死の危険から護る技術を追い求める科学者、ですよね」
「おっしゃるとおり、ですな」
「極端かもしれませんが、ということは、科学者、というのは、すべて、ひとを死の危険から護る技術の実践者、技師、といえるのではないでしょうか」
「そのとおり、ですな」
「近現代社会は、科学の進歩、技術の発明と、その革新によって、発展してきたんですよね」
「重ね重ね、その、とおりです、な」
「と、なりますと、ね、先生?」
「はい?」
「ということは、つまり、ひとを死の危険から護る技術が、ですよ」
「はいな、近現代社会を、発展させてきたにも、かかわらず、やね、なんで、ひとは、なにかにつけ、戦争ばっかり、殺し合いばかりしてきたんやろか、ちゅうわけを知りたい、ちゅうわけでんな?」
「そ、そこ、そこなんですよ、先生に、お聞きしたかったことは、どう、おもわれます?」
「そら、ボン、あたりまえでんがな」
「えっ、なんで?」
「お菓子の取り合いから始まって、食い物、飲み物の争奪戦、それから農地、牧草地の奪い合い、領地争いから領土争い、水争いから統治争いへと、ひとはみな、生まれてこの方、ずっと、戦い続けてきましたがな、これ、人間の性や、業や、生きていくための戦いや、どうしようも、おまへんがな」 「しかし、もし、そうだったら、ホモサピエンスって、とっくの昔に、死に絶えていたと、おもうんですけど」
「いや、それは、ちゃいまんな、ひとは、ね、集まると助け合いまんねん、集団を砦にして、生きのびようとしまんねん、しやから、殺し合いは、一歩すすんで、集団同士の戦い、ちゅうことに、なりまわな」
「でも、相打ちで双方死んでしまったら、おなじことじゃ、ないですか」 「いや、それは、よくしたもんでね、戦に負けたら、戦士は殺されますけど、婦女子は助けます、女は子供つくりますからね、種を絶やさないための、術、ですがな、ホモサピエンスの」
「ホント、ですか、そんなこと、初めて…」
「わたし、ウソ、ゆうてまへんで、ボン、最近はね、環境とホルモンの関係が、ね、人口の増減に深く関わってる、ちゅうて、みな、えらい、騒いだはるんでっせ」
「環境とホルモン?」
「さいな、たとえばね、ヤマウサギ、おまっしゃろ」
「それが?」
「ウサギはね、多産動物でね、ほっとくと、なんぼでも増えまんねん」
「ええ、天敵がいなければ、ね」
「それがね、どんどん増えて、これ以上増えたら、どないなるんやろ、ちゅうときに、ヤマネコがね、どっかから、ちゃんと、現れるんですなあ、これが」
「生態系の、なんとか、ですね?」
「いや、モノ、ちゅうのはね、構造的に診ただけでは、なんも分かりまへんのや、ミクロですわ、ミクロを診んと、その奥が、見えてきまへん」
「というと?」
「種が、どうやって、生態系を維持してるか、ちゅう実態が、やね、露わになってきますのや」
「実態が?」
「ウサギが増えますな」
「ええ」
「ヤマネコが増えますな」
「ええ」
「両方とも、どんどん、増えますな」
「ええ、どんどん」
「ある極限に達するとね、ウサギの数が、少しずつ、減っていきまんねん」 「減っていく?」
「そう、少しづつ、ね、そして、二十匹生んでたメスがね、三匹しか生まんように、なりまんねん」
「二十匹が、たったの三匹に!」
「はいな」
「そのままじゃ、絶滅じゃないですか」
「ところが、ね、こんどは、ヤマネコの数が、少しづつ、減っていきますのや」
「ヤマネコが?」
「そうなんです、そうやって、ね、非捕食者が増えすぎると、捕食者が現れて、お互いに人口増加になると、お互いに、自制するんですな」「これ以上、増えんように、と?」
「はいな、そのとおり、ですわ、これがね、環境ストレスとホルモンの影響だ、ちゅうことが、最近、分かってきたんですな」
「ほー」
「環境から来るストレスが、ひとのホルモン分泌に圧力をかけ、母親の胎盤を通じて、生まれてくる胎児に人口を減らせ、という信号を送りこむわけ、ですな、そしたら、生まれてきた子は、オスでもメスでも、子供、生めまへんがな、こうしてね、種を、保存していくわけですな」
「でも、それって、捕食者と非捕食者間で発生するストレス、でしょう?」 「しかしね、ボン、ひとの種でも、おなじでっせ」
「同じ?」
「はいな、ひとと他の動物との間に、捕食関係、ありまっか?」
「ないでしょう、殺られても、ひとは、殺りかえしますから、むしろ、生態系の頂点にいる、と考えられるんじゃ、ないですか」
「まさに、ひとの業はね、殺ったら殺りかえす、そこに、ひとの絶滅と存続のカギが、あるんですな」
「殺し合いが?」
「集団同士で殺し合うと、どうしても強い集団、弱い集団が、出てきますやろ」
「当然です」
「強い集団は、弱い集団を駆逐して、もっと強くなろうと、しまんな」
「より、貪欲に」
「しかし、強くなりすぎると、なんぼ奴隷に子うませても、種自体が、生き残れなくなりますな、ボン」
「なるほど」
「すると、強い集団に、人口を減らせ、というストレスが働いて、胎盤を通じて、子孫に不妊するようホルモン調節がなされるわけ、ですわ」
「その結果、強い集団が縮小し、弱い集団が蘇生する、というわけ、ですか」
「まさに、そのとおり、ですわ」
「それ、医師としての、真面目な考察ですか?」
「さいな、論より証拠、この現象はね、とくに白い人たちに、顕著、なんですな」
「白いひとたち?」
「ボンもさっき、なんや、ぼやいてはりましたな、えばりくさって、世の中、闊歩してる、白い人、とか、なんとか」
「そんなこと、いってましたか?」
「いえね、それって、言い得て妙、でっせ、なんでか、ちゅうと、ね、最近、うるさく騒いでるジェンダー現象が、その象徴的な現れ、ですがな」 「象徴的?」
「そうでっせ、女性の社会進出とか、同性婚とか、へんちくりんなこと、主張したはりまっけど、な、あれ、ヒトの、絶滅を阻止するホルモンの作用ですわ、叫んだはるひと、みな、白いひとでっしゃろ、な、近現代社会まで、さんざん地球の生き物を殺しまくってきた張本人、ですわ、今は核ちゅう大量殺戮兵器まで造り出して、一瞬にして、地球を壊滅状態にしてしまう力を、持ってしもたひとたち、ですわ、な、しやから、種は、さすがに、絶滅のストレスを感じとったんでしょうな、この連中を減らしていかなあかん、ちゅうわけで、女を働かせ、妊娠せんようにし、男を女にし、女を男にして、子供が出来んように、不産夫婦、ウマズメペアをどんどん増やして、こうやって、白い人の人口を、ちょっとずつ、減らすようにしてますんや、現に、そうでっしゃろ、連中の精子、ほとんど、カスでっせ、ひからびたレンコンみたいにスケスケや、ちゅうてまっせ」
「ひからびたレンコン!」
「モノはあるけどナカは空っぽ、ちゅうやつ、ですな」
「ホルモンのせい、なんですか?」
「そう、なりますな」
「そしたら、ホルモンて、なんなんですか?」
「記憶の媒体物質、ですな」
「持論の、生命の記憶、存在の記憶、ですか」
「まずはホルモンに、生き残るための生命記憶を拡散させ、次世代に伝達するんですな」
「すると、存在の記憶は?」
「存在の記憶、ちゅうのにはね、二種類ありましてね、生命記憶と連還できるものと、できんものが、ありますのや、できんものは、もはや記憶とはいわん、生命の裏付けが、ありまへんからな」
「生命の裏付け?」
「さいな、ひとは集団なしには、生きられまへんからね」
「集団に根差した記憶は連還する、集団から遊離した記憶は連還しない、連還しない記憶は無きに等しい、と?」
「そう、ジェンダーなんかは、かわいいもんでっせ、人種差別、性差別、差別という差別は、白い人の専売特許、でしたがな、白い集団の、分厚い、分厚い、奴隷貿易以来の差別の記憶、でんがな、しやから、あれだけ、悲壮な叫びが、出てきますねんや、あー、差別なんて、もうたくさんや、はよ止めんとあかん、止めよ、止めよ、ちゅうて、一生懸命、自滅に向けて、走ったはりまんねん」
「ずいぶん、シニカルな見方、なさるんですね、先生って」
「シニカル? そんな恰好ええ言葉で片付けられる、ハンパなもんや、おまへんで、集団に根差さん記憶なんか、どないなると、おもいます、ボン?」 「どうなるって、記憶は記憶でしょう?」
「さいな、記憶は記憶やけど、集団の出どころがない記憶にはね、戻る場所が、おまへんねん、居所がありまへんのや、つまり、どっかに消えてしまう以外に路のない、せつない記憶、ですわ」
「しかし、そんな記憶って、どんな記憶、なんですか?」
「どんな記憶?」

 闇間に微光を認めた安堵感か、主治医の頬に、わずかな笑みが、過った。

「ほんなら、ボン、厳しいこと、ゆうようですけど、な、ここで自分の記憶、辿りはったら、そこんとこ、よう見えてくるんと、ちゃいますやろか」 「わたしの、記憶?」
「さっき、世界革命とか、機は熟した、とか、歪み切った世界の背骨を立て直して、正しい骨格と枠組みのもとに、ひとびとを解放しなければ、とか、なんとか、呟いたはりましたな」
「ああ、それそれ、まさに、先生のおっしゃることと、深く、関わってくること、なんですよね」
「わたしの、いうことと?」
「そうです、先生は、集団がなければひとは存在しない、とおっしゃいますが、わたしは、ね、集団があるからこそ、争いは絶えないが、それを克服するためにこそ、ひとは存在する、と、おもうんですよ」
「そりゃ、そのとおり、ですな」
「ですから、いがみ合う多くの集団を、一つにまとめる考え方や方法があれば、争いはなくなるはず、ですよね」
「はず、は、はず、でしか、ありまへんな」
「集団それぞれが自己変革し、主体的に世界を解放し、一つに統一していく、その過程で、地球は、争いのない、平和で豊かな、大集団に変革統合されていく、これって、不可能なことでは、ないと、おもいますけど」
「不可能ではないでしょうけど、実現するまえに、世界は、とっくに、滅んでますな」
「どうして、ですか?」
「ボン、のゆうたはること、根も葉もない理想主義、ですわ、集団の苦悩や痛みや歴史の記憶と、なんのつながりもない、いや、むしろ、そこから、完璧に遊離した、人間味のかけらもない、カンカラの考え方、イデオロギー、ですわ、ゆうてみたら、竹輪の孔、みたいなもんですな」
「チクワのアナ!?」
「はいな、竹輪の孔は最高に旨いけど、竹輪という共同体に囲まれてるからこそ、あれだけの味わいが、出てくるんですわ」
「ひとを、からかわないで、ください、先生!」
「なんも、からこうてまへんで、ボン、そこでや、そこまできて、やっと、肝心のアリコのハナシに、戻れますんや、ボン、アレ、結局、どないしはったんでっか?」
「アリコのこと、ですか?」
「そうでんがな、察するに、ダッカで手放しはったんとちゃいまっか?」  

 頬の笑みは消え、有無をいわせぬ口調に、変わっていた。

「世界の開放、とかちゅう、大事業に踏み切るには、ね、どうしても、過去との縁を切らなあかん、飛躍の足を引っ張る自分と、おさらばせんと、あかん、つまり、出大阪、出日本、そして最後に、出自分を敢行せんとあかん、と…」
「シュツ、ジブン?」
「そう、そして、そうするには、それまでの人生を、かろうじて、ボン本来の人生に繋ぎ留めてたもの、あのアリコに繋がるすべてのもの、やね、それを、すぐにでも切り捨てんとあかん、とまあ、そういう風に、考えはったんと、ちゃいまっか?」
「…」
「図星でっしゃろ?」
「…」
「ほんま、若かったんやねェ、ボンも…」
「若かった?…」

 そうか…これなんだ、若かった、未熟だった、だから、思慮もなく、無分別に、血気に逸って突っ走る、事の良し悪しも考えずに…むかし若かった老人が、自己正当化のために、言い訳がましく、よく口にする言説だ、だが、一方では、だからこそ、並みの大人が及びもつかない、世の中を仰天させる、突拍子もない発想が、そこから生み出されてくるのだ、それが、若さの特権というものだ…などと、一見、寛容で聡明そうだが、未熟で無知な、この種の認識を、無反省に、すんなりと受け入れてしまう愚かさから、目を背けてしまうことが、多い、たとえそれが、世を滅ぼす虚説の素に、変質してしまうことがある、にしても…。

「たしかに、わたしも若かった、ですけど」

 わたしは、反論した。

「わたしの場合、俗にいう、若気の至り、ではなかった、ですよ」
「そら、そうでっしゃろなァ」

 留保つきの、合意だった。

「現に、そのお歳になっても、まだ、こめかみに青筋たてて、理想論、ぶちあげはるくらいやから、ちょっとやそっとで思いつく、半端な考えや、おまへんわな」
「そこ、分かっていただけるんですか、それは、よかった、とにかく、あの時点で、考えに考えた末に辿りついた、究極の自己犠牲、だったんですよ、それによって、世界を解放するために、武装した統一理論を展開、昇華する、という、究極の救済プロセスが、稼働しだすはず、だったんです、よね」
「やっぱり、はず、でっか、さっぱり、分かりまへんな、しやけど、一つだけ、ここで、はっきりしたことが、ありますわ」
「はっきり、したこと?」
「さいな」
「それ、なんですか?」
「その、究極の自己犠牲、ちゅう、聞き心地のええ、言葉ですわ」
「それが?」
「自己を犠牲にする、なんか、博愛的で、尊い行いみたいに、聞こえまっけど、それ、ボンの、勝手な思い込み、ですわ、ひとりで、ええ気に、なってはりまんねん、けどな、いつもゆうてますように、ひとは他人と生きてますんや、自分だけでは、生きていけまへんのや、ちゅうことは、やね、自己犠牲、ちゅうのは、同時に、他己犠牲、つまり、強引に他人を巻き込んでしまう、傍迷惑な犠牲でもある、ちゅうことですわな、そうとちゃいまっか?」 「他己犠牲?」
「さいな」
「他人、て、だれ?」
「ボンと、関わってるひと、ですがな、それも、深く、深く」
「わたしと、深く関わってる、他人?」
「たとえば、ボンの、ボン、とか、やね」
「わたしの、ボン?…わたしの、息子?…」

 地下茎が、ずるりと、持ち上がった。湿った、どす黒いかたまりが、ぼたぼたと落ちる。ぐいと引っ張ると、腐蝕した土くれがはね跳び、からみついた記憶の根と茎が、露わに解けていった。

「息子が?…犠牲に?…」
「そうと、ちゃいますんか?」
「ムスコって、わたしの、息子?」
「はいな、ボンと、あの女医さんの、お子さん、でんがな」
「女医の?」
「その子の名前、覚えたはりまっか?」
「ナマエ?…」
「なんちゅう名の、お子さんでした?」
「えーと…たしか、ハク、とか…」
「ハク?」
「そうか…そうだ…わたしには、息子がいたんですね、おもいだしました、あの、ハク、とかという子が…」
「ハク、ハク?…めずらしいなまえ、ですな」
「ほんとは、シロ、だったんです」
「シロ?」
「わたしは、どうしてか、物心ついたころから、白という文字が大好きでしてね、生まれた子にも、白、と名付けて、シロ、と読ませたかったかったんですが、みんなから、猛反対されましてね」
「あたりまえですわ、イヌコロやあるまいし」
「それもそうだ、と、わたしも、おもったんですが、だれに似たのか、抜けるように色が白くて、あれ、女の子、て感じの男の子だったので、そこは初心貫徹でね、なら音読みのハクならどうだ、ということで、妥協が成立したんですよ」
「面倒くさいひとたち、でんなァ、あなたがたは、まったく、そんなこんなで、屁理屈こねて、可愛いハクくんを、なんで二度も、犠牲にしはったんですか?」
「二度も、犠牲に?」
「そうでんがな、一度目は、人の子らしいナマエも付けてもらえんと、親子の縁まで切らされて」
「親子の縁?」
「そうでんがな、ダッカから、ハクくん宛てに、あのアリコ、送らはったでしょう?」
「ダッカから?…」
「なんや、思いきり生きろ、ちゅう、なんの愛情もない、突き離した、冷たーいカードだけ、入れて」
「…!」
「おっ、顔付き、変わりましたな」
「あ、あれは、そんなつもりでは…」
「いいや、受け取る側のハクくんにしたら、えらいショックやったと、おもいまっせ、あいたい、あいたい、おもてた父親から、いきなり突き付けられた絶縁状、大の大人やったら三下り半、みたいなもんでっせ、年端もいかん子に、そんな酷なハナシ、おまへんがな、ボン、あのとき、ハクくん、何歳ぐらいやったんですか?」
「そう…八つか九つ、ですかね」
「まだ、小学生や!」
「…で、二度目の犠牲、というのは?」
「なに、ごまかしたはりまんねん」
「いや、いろんな記憶が、急に、やっと、繋がりだして、きたんで、いまのうちに、繋ぎ止めておかないと、と、おもいましてね」
「あ、そうでっか、それも、そやな、元の木阿弥に、ならんうちにな」
「なんでも、消えてなくならない、うちに」
「よっしゃ、ほんなら、よろしいか、いきなり、行きまっせ、カスバのハッジ!」
「ハッジ?…」
「そうでっせ、立派に成長したハクくんが、白いパリ、アルジェに赴任しはったんでっせ、某商社の連絡事務所で、働くために、ね、そこで、ひょんなことから、カスバで見かけた、白装束のハッジのことを、自分のおとうさんや、と、直感しはったんですわ」
「…」
「それからというもの、忙しい仕事の合間をみつけては、カスバ中を、探し回りはったんでっせ、白い男のひと、見つけようおもて」
「白い男のひと?」
「さいな、白装束で身を固めた伝道師、ハッジ、ですがな」
「白装束のハッジ?」
「そうでんがな、その、白い男を見かけたら、すぐさまハッジ、ハッジ、ハッジ…と、声掛けして、ね、延々と、探しはったんです、しかし、ついに見つけ出せなかった、なんでか、分かりまっか? それはね、ボン、あなたが、ハクくんから、逃げ回ってはったからですわ!」
「白い男?…逃げ回って?…」
「九歳で、いなくなった、自分のおとうさんに、ひとめあいたい、そんな熱い、せつない思いでいっぱいの、ハクくんの胸の内、考えたこと、ありまっか、ええ、ボン、ひとの親らしい、優しい気持ちで、ハクくんのこと、想いはったこと、一度か、ありましたか、ボン!」
「!…」

 ハッジ、ハッジ…聞こえる、聞こえる、若い声が、途方に暮れて、叫ぶ声が…見える、見える、カスバの迷路を、すらりと伸びた、色白の青年が、汗を拭きふき、歩き回る姿が…ダッカで別れを告げてから、わたしは、あのハクから、ずっと逃げつづけていたのだ、ただ、かれのキャリアは、中東に始まって、欧州、北アフリカと、なぜか、わたしの工作経路を、辿っていた。工作といっても、だれからも、どこからも、指令や信号を、受け取った覚えはない。ただ、予期せぬひとと出逢い、それが、他のひととの繋がりに発展し、相互の働きかけが、偶然なのか、必然なのか、世界統一という、救済プロセスの稼働へと、繋がっていったのだ。あの、パレスチナで知り合い、自活へのアドバイスをくれた若い商社マンにしても、実は、アルジェ入港のフェリーのデッキで、わたしに声をかけてきた青年と、同一人物だったということに気がついたのは、レバノンで、イスラム学と建築学に打ち込んでいた、勉学の最中のことだった。そうか、アルジェ港でかれに託した所長あての封筒、あれには、赤軍戦士の投稿計画書が、入っていたのかもしれない。まさか、とおもうが、もし、そうだったら…。

「隠された指令、でっか、ほんま、うまい具合に、使われてはったんやね、ボンも」
「でも、それって、先生ご指摘の、アリコのせい、だったのかも、しれません」

 実際、こうしてみると、人と物と心の、三つ巴の繋がりのなかで、ひとの記憶を、消したり隠したり、捏造したり、好きに操つる種の怪が、ほんとうに、存在するのかもしれない。

「ほら、見えてきましたよ、先生」
「ほー、なにが、見えてきましたか?」
「先生持論の、種の怪、ですよ」
「は、なんでっか、それ?」
「環境ホルモンとかという、摩訶不思議の怪ですよ、さっき、先生は、種の絶滅を防止するための、記憶の媒体物質がホルモンだ、と、おっしゃいましたよね、まさに、そのホルモンが、アリコを隠して、わたしの心の平静を、たもってくれたんですよ」
「ボン、それは、ちゃいますな!」

 きっとなって、主治医は、否定した。

「それは、ね、ボンの、おおいなる誤解や、ちゅうより、ごまかし、ですわ」
「誤解? ごまかし?」
「はっきりゆうて、ボンの存在理由は、自己の改革でも、世界の救済でも、あらしまへん、いまとなっては、唯一、アリコ以前の自分を取り戻すこと、以外に、なにもありまへんな、そうせんと、ボンが存在した証は、どこにも、ありまへんがな、生身のひとと関わった記憶が、どこにも、残ってまへんがな、記憶がなければ存在しない、生存すれども存在しない、それこそ、種の怪やのうて、種の解、ですがな、ちゅうことは、ボンは存在しなかった、ちゅうことに、なりますな、このこと、よう分かったはりまっか、ボン?」

 鋭利な刃物で、胸を一突き、とどめを刺された気がした。そうなのだ、最後に家を出たあのとき、ふと、背後に目線を感じて振りかえると、二階の窓に、小さな身体を張りつけ、ハクが、去っていくわたしのことを、黙って、身じろぎもせず、見つめていたのだ。

「…」

 途方に暮れて見開いた目から、いまにも涙が、ぼろぽろと、零れ落ちそうに、見えた。

「いいか、おまえも、思いきり、生きるんだ…」

 わたしは、かれに、そっとささやき、歩き続けた。見捨てられるものへの愛おしさに、心が震えた。しかし、自分には、やらなければならないことがある。いずれ、かれも、分かってくれるだろう、自身に本当の生きがいを、見つけ出したときには…わたしは、封筒から少年の写真を取り出し、いった。

「そう、この子です、このポピーの少年が、ハク、なんです…」
「やっぱり、そうでしたか…ボンも、やっと、まともに、自分の記憶を、取りもどせるように、ならはりましたな」

 主治医は、深々と頷き、机の上に置いてあった、大學ノートを、両手で、一つ一つ、丁寧に持ち上げ、わたしの前に並べながら、いった。

「自慢や、ありまへんけど、これ、この六冊の大学ノート、これが、威力を発揮してくれたんでっせ」
「先生の、筆箱治療の効果が、実証された、ということに、なりますね」

 主治医は、嬉しそうに、眉を下げた。

「でも、いつごろから、研究なさってたんですか、この方法論を?」
「三年まえ、成田にボンを迎えにいって、健忘の状態を見届けたとき、からですわ、これは、ボンと一緒に、二人三脚で開発した治療法、ですな」

 そして、こう、結論づけた。

「気を付けんと、まだ、完治したわけや、おまへんで、糸口をみつけた、ちゅうだけでっせ、いま、ボンがやること、それはね、ハクくんを捨てた現実と向き合うこと、それには、すぐにでも、あの手紙に、返事を書くこと、ですな、そして、自分のいまの気持ちを、赤裸々に、女医さん、つまり、奥さんに、告白すること、ですな」

 雨は、降り続いていた。主治医は、診察室の窓ガラスを閉じながら、あらぬ愚痴をならべたてた。

「難儀なやっちゃな、ええ、いったい、いつまで、降ってるつもりなんや、ええかげんにしとかんと、ほんまに、あした、せっかくの運動会、中止になってしまいまっせェ…」

                ◇

 炊き出しボランティアの青年から、兵庫県警芦屋分署の担当官を介して、わたしの手に届けられた手紙に返事を出すため、落ち着いて、もう一度、邪魔の入らない状態で、読んでおく必要を感じた。
 白の封筒から取りだした四つ折りの便箋には、丸文字をアルファベット風にくずした字体で、次のように書かれていた。

先輩へ、

被災地の公園では、いろいろためになるお話を聞かせていただき、大変勉強になりました。その後、お元気でお過ごしですか。ぼくは、あのあと、トレースのバイトで少し稼げたので、さっそく、山開きの立山までいってきました。雷鳥沢をベースに三日間、気の向くままに、のんびりとした散策(劔御前、雄山、ミクリガ池など)を楽しみました。最終日は板を付け、御山谷を黒部ダムまで滑降、しばし、爽快な山岳ライフを満喫しました。

ところで、フォトジャーナリストのキャパさん、覚えてますか? 先輩が、ぼくの作った焼きそばを、美味しそうに(?)食べているところを、一枚、撮ってくれていました。同封で送ります。それと、先輩と別れた最後の夜、テントで整理してる間に、いつのまにかいなくなったので、あとを追っかけて一枚、撮りました。それも送ります。

ここで、ぼくの家族の話を少し。ぼくに兄がいることは、先輩にはなしました。ぼくは日本(母)とフランス(父)のハーフ(分署のキャリアに見抜かれましたけど)兄は純粋の日本人です。兄の両親が離婚し、日本人の母がフランス人のバツイチ男(つまり、ぼくの父)と再婚しました。なので、連れ子同士の兄弟、といえば分かりいいです。不思議なのは、ぼくはオンナとしてうまれたオトコ(これもキャリアに見抜かれました)なのに、兄はオトコとして生まれたオンナ、ということです。二人とも、初めて会ったときからとても気が合っていて、実の兄と妹、みたいに親密で、気の置けない関係です。まるで合わせ鏡を見ているようです。旅行や山行のあとは、必ず報告したりしています。  

だいぶまえに、阪神淡路大震災のことで心配した兄から連絡があったので、山開き山岳ライフの報告もかねて、焼きそばを食べる被災者の写真と一緒に、炊出しボランティア活動についても知らせました。すると、母から、被災者の中に自分の知り合いに似たひとがいるので調べてくれないか、といってきました。  

母は、被災者の男性に同封の子供の写真を見てもらって、なにか心当たりがあれば連絡してほしいと伝えてくれ、といっています。連絡先を書いておきますので、思い当たることがあれば、ぜひ、連絡してください。お願いします。では、また、お元気で。建築家の卵より

 そうか、かれは、べつに、返事を書いてくれ、とはいっていない。ポピーの少年に心当たりがあれば、母親に知らせてほしい、とだけ伝えている。ただ、そうなると、かえって、やりにくい。母親に、ということは、ハクの母、つまり、わたしの妻だった、あの女医に連絡しろ、ということだ。何十年もまえに、目の前から消えた夫、そんな非情なオトコから、いまさら、なにを、聞きだそうというのだろうか…いや、いらぬ憶測はよそう、でなくとも、自分の犯した罪は、償いようがないほど、深い。潔く、いまの気持ちを、素直に伝えるべきだろう、この世から、永遠に、消えてしまう前に…いろいろ考えた末、わたしは手紙を書くことにした。

ポピー畑のキミとハクへ  

キミとハクと連絡をとるのに、ちんけな枕詞は必要ないだろう。ハクの新しい妹クン、すばらしい青年だ。かれから、キミに連絡してみればとの示唆を受けた。いまさらなにを、とあしらわれても、仕方ないが、二人に、どうしても伝えておきたかったことがある。  

まず、ハクには、キューバ革命に立ち上がった民兵を前に、隣人の力になる誇りの大切さを説いた、ゲバラの言葉だ。他人のために、思いきり生きよ、これがハクへのエールだった。  

また、キミには、言わずもがな、おなじゲバラの言葉だ。チェはいう、できもしないことばかり考える、はなもちならない空想家、救いがたい理想主義者、いくらそう罵られようと、わたしは何千回でもそれに答える、まさにその通りだ、と。  

そして、ハクとキミと、過去のすべての記憶を置き去りにして、いなくなった。いま、そのことが、まざまざと蘇ってくる。血を吐く悔恨と、空の器を生きた証で埋め尽くしたい火の欲求と、一緒に。  

蒸発した相手に、かける言葉はないだろう。許されるのなら、インカの結繩ではないが、茎に結び目をつけた、ポピーの押し花を一本、キミに託す。もしキミが、ハクが、たとえ一瞬でも、嘗ての父や夫の今に、心を寄せてみる気になるのなら、おなじ茎に二つ目の結び目を造って、送り返してほしい。それ以外は、なにも望まない。一瞥にも値しない、と黙殺するのも、キミたちの自由な選択だ。十月十日、Asta siemple che Gebarra!  

 書き終わって、ほっとした。南無、阿弥陀仏、天よ、あなたの意のままに…近くの小学校から、紅白玉入れゲームの玉を数える大勢の声が、聞こえてくる。昨夜の主治医の心配をよそに、十月十日、運動会の日は、終日、快晴だった。ハクも、日の当たるどこかで、幸せな誕生日を、迎えたことだろう…ポピー畑のハクの写真を窓際に立てかけ、しばらく眺めた。  祭日で、郵便局は閉まっていたが、すぐに投函したかった。祝祭日も開いている中央郵便局まで、散歩がてら、行くことにした。

 あれから、一週間が経った。反応はなかった。エアメールは往復するだけで、一週間はかかる。無理もない。
 二週間が過ぎた。やはり、なんの音沙汰もなかった。
 三週間目に入った。連日、ナシのつぶてだった。無視されたのか…。
 四週が過ぎた。なんの便りもない。結局、こうして、無残に、無視されたまま、終わってしまうのか…。

 過ぎ去った時間との、越えがたい淵に立たされたまま、一か月が経った。もはや、これまで…と、ほぼ、諦めかけた翌月の十日、夕刻、庭先の郵便受けで、コトリ、と音がした。待ち望んでいたエアメールの配達だった。
 夢中で封を切った。震える手で、便箋を開いた。それが、終わりの始まり、だった。

可哀そうなハク  ハク、ハク、ハク…ああ、いくら呼んでも、ハクは、もういない…父を慕い、会いたい一心でカスバを駆け巡っていたハク、なのに、反政府ゲリラの爆弾テロに巻き込まれ、逝ってしまいました。ちょうど一月まえの十月十日、ハクの誕生日、ゲバラの命日です。  

可哀そうなハク…あなたには、もう逃げ場はありません。あなたが画策し、分断し、混乱に陥れ、争いの坩堝になげこんだ、世界中の、傷つき、命を絶たれ、裏切り者のそしりをうけた、すべてのひとたちに、生涯かけて頭を下げ、懺悔なさい。でなければ、ハクは、絶対に、赦さないでしょう。ハクの赦しが、あなたの生きた証です。それがなければ、あなたは、この世に、いなかった、傍迷惑な旗振り人形、虚構の扇でつむじ風を煽っただけ、嘘ではなく、あなたは本当に、いなかった…見返りを求めない、あなたの改悛の情が、ハクの心に、届きますように…さようなら

 ハクが死んだ?…カスバで爆死?…ありえない、そんなばかな!…

 総身に鳥肌が立った。汗が噴き出した。呆然として、窓際のハクを、眺めた。捨てられた日の、窓際に張りついて、じっと見つめるハクの姿が、瞼のうらに、まざまざと、蘇った。

「どれだけ、悲しかったことだろう…」

 ハクは、女医と知り合いの、練馬のとある産院で、生まれた。 その、生まれたばかりのハクが、小さな手を精一杯ひろげ、可愛さのあまり突きたくなったわたしの指を、キュッと握った、あの握り返しの感触が、指先によみがえる…。

「可哀そうな、ハク…」

 愛しさのあまり、ハクの鼓動の残る指先を握りしめ、額に押し当てて、祈った。

「赦してくれ、ハク…」

 そのとき、白い封筒から、パラリと、なにかが床に落ちた。ハクと母の、赦しの心に託した、ポピーの押し花だった。ゆっくりと拾い、空にかざした。結び目は解かれ、細い茎だけが、霜月の冷気に、震えていた。わたしは、絶望した。

「終わった…」

 身体中から力が抜けていく…そして、どこかからか、みどりの香りが、漂ってきた。ずーと遠くから、柔らかい、女の声が、聞こえてきた、ポピーよー、ポピーよー、ほーら、ポピー畑よー、そんなに走らないで、転ぶわよー、待ってー…ハクは、しかし、走るのを止めなかった。そして、いつしか、遠くへ、遠くへと、真っ白な霞の中に、消えていった。蘇った、すべての記憶を、道連れにして…。

 頭のなかの、遠のいていくホワイトアウトのなかで、なにが、どうなっているのか、わけが分からなくなった…はて、オレは、いま、なにをするはずだったのか?…。

ふと、窓に目をやると、濃紺の夜空を背に、天空狭しと星々が、キラキラ輝いているのが見えた。そうか、山好きどもが詰めかける、大晦日の山小屋に、いたのだ。

「いけるぞ!」

 だれかが叫んだ。

「大丈夫だ!」

 ほかの、だれかが応えた。

「高層天気図だ、間違いないだろう!」

  そして、大勢が、異口同音に、叫んだ。

「いくぞ、三が日、山は静かだ、出発だ!」
「オー!…」

 だれもが、負けじと荷を整え、靴を履き、紐を絞め、ランプをかざして、小屋を出た。やがて、夜明け間近の雪原に、ザクザクと、雪を踏む音が、延々と、続いた。満天の星を湛え、純白の雪化粧に身をやつした北アルプス連峰の頂が、そっと手招きし、逸る登山客たちを、純白の、深々とした懐へと誘い込む白い夜明けだった…。

白の連還 終章 白い夜明け 完

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