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     白の連還 第4話

        白い男


 きのうのハナシをきいていて、おもったんですけど、女監督さんとボクと、なんとなく、どこかでつながってるっていうか、因縁があるっていうか、不思議なんですよね、ハナシの中身が。とくに、ダッカ・ハイジャック事件のあたりから、どこかでリンクしているみたいな気がして、ならないんですよ。

 どんな風に、て、きかれても、あまり、とっかかりがない、というか、みなさんとは、関係ないコトなんで、説明にこまっちゃうんですけれど。でも、どうしますかね、ウン、そうっすね、こうしましょうか。さっき、ヒロシマ、っていいましたっけ、あのバスクのオジサンのことですけど、カレがナガサキ、つまり女監督さんにしたテストね、あの現状認知テストから、はじめてみましょうか。

 ボク、いや、せっかくの休暇中なんで、オレって、いわしてもらいますけど、オレ、あの質問に全部答えられますよ。

 まず、日本の独立記念日でしたよね。あれ、千九百五十七年四月二十八日ですよ。サンフランシスコ講和条約が発効して、日本がいわゆる主権を回復した日です。建国記念日じゃ、ないっすよ。それから、人口ね、これは誰でも知ってるでしょう、一億二千万人ですね、いまのところ。それから、離島を除いた国土面積、これは三十七万七千平方キロメートルです。端数はきりすてましたけど。離島の数は六千八百四十八、面積は、だいたい一万一千八百二十平方キロメートルくらいかな。あと、なんでしたっけ、そうそう、東京の緯度は三十五度、広島は34度、長崎は33度、そして、最北端の地は、北海道稚内市の宗谷岬、最南端は,、意外や意外、東京都にあるんですよね。東京都、小笠原村、沖ノ鳥島です。六十八年に小笠原諸島と一緒に、合衆国から返還されました。あとは、ま、いいですよね、きりがありませんから、このへんでやめましょうか。

 オレ、べつに、地理マニアでもなんでもないんです。実は、あなた、ナガサキが、バスクのヒロシマに問いつめられたみたいに、オレ、アルジェリアという国で、仕事してるんですけど、そこの商務省の役人から、すごくバカにされた経験があるんですよ。

 オレの務める会社、商社やってまして、戦前から、ビジネスモデルさがしながら、アフリカ諸国に進出していたんですけど、その一つに、アルジェリアという国があって、ちょうど日航一ニ三便が御巣鷹山に墜落した翌年の十月、オレ、入社したばかりだったんですけど、そこの連絡事務所に、赴任したんすよ。そしてすぐ、さっきいった、商務省の課長クラスの技官と会った最初のアポで、ガツン、てかまされたんすよね、強烈なジャブを。

 キミ、自国の領土の説明もできないで、わが国で商売しようなんて、ひとをバカにするつもりかね、わが国は、千九百六十二年七月五日にフランスから独立した歴とした主権国家だ、お隣さんとお喋りするような気分で会いにきてもらっては困る、出直したまえ、てね。要は、襟を正して、勉強し直してから来い、ということなんですよ。

 オレ、クソッ、とおもって、一生懸命、おぼえたんす。自国を外国人にプレゼンするときに、常識として知っておかないとカッコわるいことって、あるじゃないですか、最低限のデータとして、ね。

 ところで、みなさん、アルジェリアって、知ってますか? 地球儀の、どのへんにあると、おもいますか? ここに東京がありますね。北緯35度です。この緯度戦をずーとたどって、ちょうど裏側の、地中海までいくと、ほら、フランスのマルセイユの、ちょうど真ん前あたり、ここ、ここに、アルジェ、てあります。首都です、アルジェリアの。北緯は36度ちょっと。東京とほぼ同じですね。大昔のフランス映画ペペルモコの舞台になったカスバのあるところ、です。この映画、年配の方は、よくご存じですよ。カスバのオンナ、という歌でね。  

 この、アルジェリアの西隣にモロッコ、その南にモーリタニア、両国の間にはさまれて、西サハラ、という国があります。東隣にはリビアがあって、二つの国にはさまれて小さい国チュニジアがあります。これら六つの国をマグレブ六か国、とまとめて呼ぶこともあります。マグレブというのは、日没するところ、という意味で、日出るところ、というのはマシュレクといいます。ですから、日本はマシュレクの国、というわけですね。  

 昨夜、アルジェ空港の閉鎖からはじまって、ダッカ・ハイジャック事件や連合赤軍、パレスチナやコーゾー・オカモト、それに赤軍兵士の高校の先輩でアルジェ在住の若い技師などなど、いろんなハナシが出ましたけれど、どういう偶然か、全部、どこかでオレと、リンクしてるんですよ、こわいくらいっす。  

 なかでも、超偶然だ! て叫びたいのは、アルジェ空港閉鎖の日に、あのヒロシマがオルリー空港であった若い技師、のことですよ。ビックリです! オレがアルジェに赴任したときの連絡事務所長が、なんと、その技師さん、だったんです。

 赴任早々、世界に冠たる商社の武勲として、飲み会なんかでは、しょっちゅう、アルジェ空港封鎖の経緯、事件の影響に翻弄された在留邦人や事務所の苦労話、対マスコミ対策に苦慮したことや、大使館の不甲斐ない対応など、いろいろきかされましたけど、そのときに、空港閉鎖の報をパリのオルリー空港でうけた所長が、ポルトガルのオリベイラ金型工場に工場検収で出張するところだったんだ、てことも、聞かされていたんすよ。

 七十七年十月に、ヒロシマがオルリー空港であった若い日本人技師さんが、ちょうど十年後の八十七年十月に、オレが赴任した連絡事務所の所長になっていた、という、ビックリするハナシが超偶然としたら、さて、ハイジャック実行犯の連合赤軍兵士で、アルジェ空港で投降した、オレの所長の高校の後輩が、オレのオヤジと同級生だった、となると、どうなるんすかね、みなさん。超超偶然、ていうより、確率ナノナノ分の一の発生率になっちゃうんじゃないでしょうか、危機管理の事案として考えたら。

 それに、実をいえば、オヤジ、同級生どころか、連合赤軍の兵士だったんじゃないか、って疑ってもおかしくない事態が、発生していたんです。実は、事件のちょうど半年まえ、どっかに、蒸発しちゃったんですよ、オレのオヤジ。

 オレ、ちょうど、七歳になったばかりでした。

 正直、オレ、まだ小さかったし、具体的にオヤジがなにをしたのか、なにも知らないスよ。オフクロも、そのころのことについては、ほとんど話してくれなかったし。

 ただ、オレ、六十七年の十月十日、体育の日に生まれたんスけど、誕生日になると、オレ囲んで、ローソク立てて、誕生日オメデトー、なんてやってくれたんスけど、日ごろみたこともないサラダや肉料理でメシくって、ケーキ食べて、満腹になって、そろそろ眠くなってきそうなころ、寝る時間だ! なんていわれるの、イヤじゃないですか、だから、なんだかんだいって、暴れまわったりしちゃうんですけど、そんなとき、オヤジ、必ず、アリコもってきて、ゲバラ賛歌をはじめるんです。そして、二人でさんざん歌ったあげく、最後にはワーワー泣きだすんですよ、大の大人が。

 ほら、これがアリコです。こうやってオレ、いつもリュックにしまって、持ち歩いているんすよ、どこいくにも。雪上のテントでも、沢渕の野宿でも、真夏のキャンプや、サハラの野営でも、これと一緒に、歌いましたよ。何度も何度も。

 アリコって、フランス語でインゲンマメのことをいうんですけど、オヤジが、どっかから仕入れてきたオークの古材を、切ったり削ったりしながら、時間かけて、正直、汗水ながして、作った竪琴なんすよ。弦は九本あります。最初は七本で、ギター用のコード使ってましたけど、気に入らなくて、ピアノ線で九本に落ち着きました。形は長方形から台形、和琴型と、いろいろ試してましたが、最終的に洋ナシに似た流線形になり、持ち運びに便利なように、中を抜いて軽いボディになりました。出来上がった楽器をみたオフクロがこういったそうです。

「あら、アリコそっくりね」

 単語の響きがたいそう気に入ったらしく、オヤジはことあるごとに、オレのアリコ、オレのアリコ、ていってました。オレには、超旨い物にきこえたので、オフクロに聞いたんです。

「アリコ、って、どんな食べ物?」
「あら、よく分かったわね、食べ物って。アリコって、フランス語で、インゲンマメのことよ」

 そして、こう付け加えたんですよね。

「本当はね、わたし、膿盆のつもりでいったのよ」
「ノウボン?」
「ほら、あなたも使ったこと、あるでしょう、食べ過ぎてゲーゲーやったときに使う、アレよ」

 知ってか知らずか、オヤジは、このアリコを、たいへん愛していたみたいです。あの日も、腕にしっかり抱え込んで、いたわるように九弦をつま弾きながら、オフクロの声と歌詞とリズムに合わせて、楽し気に、自分も歌ってましたね。

 さて、さっきのつづき、なんでオレの誕生日に二人とも泣くんだよ、生まれてきて悪かったのかよ、てハナシ、オレ、本気で悩んだこと、ありましたね。あとでわかったんですけど、それには、ちゃんとした理由があったんです。六十七年十月九日、ボリビアのジャングルで、チェ・ゲバラが銃殺されたんです。あっちの九日は、日付変更線で、日本の十日になるんです。オレの誕生日、ゲバラの命日だったんですよ。これも、超偶然、スよね。

 でも、ゲバラの命日も、オレの六歳の誕生日で、おわりました。翌年の七歳の十月十日は、祝えなかったんです。あの年の2月、いつもの公園の、ポピー畑の近くの、背の高いタイサンボクの木陰の、芝生の上に敷いたゴザの上で、アリコ片手にオフクロと、ゲバラ賛歌に興じていたオヤジは、翌日からいなくなりました。蒸発です。オフクロに何度も聞きました。どして、いなくなったのか、って。でも、なんの説明もなく、ただ、こういっただけでした。カレにも、…いつもならパパというのに、カレっていったんでスよね、あのとき、オヤジのことを…、カレにも、イノチかけて、ヤリたいこと、あるのよね、って。

 カレにも、イノチかけて、ヤリたいこと、あるのよね……。

 この、イノチかけてヤリたいこと、それがなんだったのか、七歳の息子と妻を捨てて蒸発した張本人を探し当てて、面と向かってたしかめてやる、これが、いままで生きてきたオレの目的じゃなかったのかな、なんて、おもったりもするし、ほんとにそうだったのか、といわれると、自信もないし、こうやって、脚も折れちゃったし、とにかく命の保証のないこの山小屋を出るまえに、いろんなことを整理しておかなくちゃ、決めること決めておかなくちゃ、なんてかんがえてたんで、こうやって、みなさん相手にはなしするのも、オレにとっては、いいチャンスかもしれませんね、

 ただ、キューバ革命とか、イラン革命とか、アルジェリア独立戦争とか、イスラム原理主義とか、ソビエト連邦の崩壊とか、パレスチナ解放闘争とか、とにかく、国際社会の成り立ちや歴史、それに情勢にからむ出来事が、オヤジの周りには所狭しとならんでたので、ややこしいんすよね、ハナシするのは、ホントに。

 とにかく、目的達成のためには、まず、オヤジの居場所をつきとめなければならない。そう考えたオレがターゲットにしたのは、ウチのアルジェ事務所の運転手、アブダッラでした。アルジェから五十キロほど東にいった沿岸都市ベジャイアの出身で、高校を卒業してすぐ警察官になり、アルジェ管区で交通整理をしていたところを、ウチの事務所長にスカウトされた若者です。

 なぜかれに目を付けたかというと、いつだったか、こんな会話をしたことがあったんです。

「なあ、アブダッラ、おまえ、十何年かまえ、どこでなにしてた? そのころ、ハイジャックされた日航機が、アルジェ空港に来なかったか?」

 実はオレ、そのころからオヤジがハイジャックの一味ではなかったかと、密かに疑いだしていたんです。

「あ、よく覚えてますよ。おれ、アルジェ警察で警官やり始めたばっかりでしたから。日本人が投降する、ってんで、道路封鎖して待機してましたよ。よく覚えてます」
「当然、ハッジは、まだ、現れていないよね」

 ハッジというのは、メッカに純恋したイスラム教徒の総称で、聖地の地に足を踏みいれた敬虔な教徒として、みなから敬われていたんです。そのハッジとオレのオヤジが、どうも同一人物じゃないか、って、疑ってたんすよね、ずっと。

「もち、っすよ。ハッジは、まだ、ハッジじゃなかったっすから」
「えっ!」
「事務所の所長さんにスカウトされて間もなく、お客さんが来るからって、所長から空港に迎えにいくように、いわれたんすよ。で、迎えにいったら、あのハッジが、背広姿で、イミグレから出てこられたんす」 
「カオはどうだった? アジア人のカオだったか?」
「アジア人かアラビア人かインド人か、おれには、よくわかんなかったっすよ。白くなかったことは、たしかっすけど」
「そうだよな、ムリもないよな、で、所長が、迎えにいけと?」
「ええ、そうだったすよ。大切な客人だ、ってことでした」
「大切な客人?」
「そうっす。大切な客人っす」
「まあ、客人はみな大切だが。で、どっから来たっていってた?」
「ベンガジっすよ」
「ベンガジ?」
「そうっす、リビアっす」
「ベンガジ、トリポリ、アルジェ…で、航空機は?」
「アルジェリア航空でしたね」
「乗り継ぎのこと、なにかいってなかったか?」
「なにも。ていうか、おれみたいな運転手が、ねほりはほり、聞けないっしょ」
「それもそうだ。で、まず、事務所へ?」
「もちろん、まず、事務所っすよ」
「それから」
「一時間ほどっすかね、所長と降りてきて、まず日本大使館にいきました」
「日本大使館?…それから?」
「大使館は十分程度でしたかね。それから、イラン大使館に行ったすよ」
「イラン大使館?」

 ほら、ね、でしょう! おかしいでしょ! どっかから来た背広の紳士が、リビアで乗り継いでアルジェにやってきて、商社の連絡事務所に立ちよったかとおもったら、まず日本大使館に行ったんですよ。そしてそのあと、イラン大使館に行った、というんです。

 乗り継ぎに選んだリビアなんて、いまでも変わんないっスけど、ちょっと南下したら、もう延々、月の砂漠なんスよね。チュニジアとかアルジェリアとか、一応、国境はあるらしいんスけど、パウダーで白線かくようなもんで、境界線なんて、なきに等しいとこなんすよ。

 しかも、そのころ、日本赤軍とドイツ赤軍が、共同で軍事訓練する、戦略的な拠点にもなってたんすよね。世界同時武力革命、とでもいうんすかね、革命は銃口より生まれる、なんてファンタジーを、地で行こうとしてた連中の溜まり場、だったんすよ。

 さて、この背広の紳士がなにものか、みなさんには、もう、おわかりでしょう。日本赤軍の工作員以外の、なにものでもないじゃないっすか。その工作員が、商社とか在外公館とか、あらゆる実益社会のネットワークに食いこんで、弱者救済、世直し改革、パレスチナを救え! みたいな、ヒトのためミナのため世のめによい活動、をビジネスモデルに、ユスリ、タカリの収益拠点を、あちこちに、築いてきたんですよ、オレのオヤジは。

「イラン大使館では、どれくらい待ったんだ?」
「長かったすよ。一時間くらいっすかね」
「ほう…。で、それから」
「そのあと、アルジェを見学したい、てんで、まずは殉教者広場だろ、ておもって、カスバの真下の、あの広場につれていったんすけど」
「けど?」
「や、なつかしいなぁ、なんて、しばらく車の中で外、みてましたけど」
「なつかしい?」
「タバコ買ってくるよ、って、いきなり降りていったんすけど」
「けど?」
「そのまま、消えちゃったんす」
「消えた?」
「そうっす。二度と、戻ってこなかったっす」
「どういうことだよ?」
「わかんないっすよ」
「所長には連絡したのか?」
「もちっすよ」
「所長はなんて?」
「一時間待って、かえってこなければ、もういいよ、てことでした」

 やっぱりそうか。パレスチナで培った商社とのつながり、そのネットワークそのものを、思いきり利用して、日航機人質の解放と、現地在留邦人の安全をたてに、尻についた火が、人の命は地球より重し、の臆病風にあおられて、右往左往するまぬけな日本政府、その出先機関の在外公館を、やすやすと手玉にとって、おどし、すかし、二国間協力に揺さぶりをかけ、日本との交易を優先するアルジェリア当局をも巻き込んで、赤軍ハイジャッカーの投降と日本人人質の解放を勝ち取った、まさにその場所に、新たなタカリと収益拠点を構築するという任務遂行のため、この背広の紳士、つまり、オレのオヤジは、アルジェリアに戻ってきたんすよね。

「それが、後のハッジ、なんだな?」
「そうっす」
「いつ、ハッジだと、分かったんだ?」
「三年ほどたったころだったすよ。殉教者広場のモスクに、これ、持ってってくれ、って、所長が、おおきな封筒、おれにわたしたんすよ」
「封筒?」
「ひとりで用足ししてこい、なんていわれるの、はじめてだったんで、おれ、おもわず、これ、なんすか? て、ききかえしたんすけど」
「けど?」
「喜捨だ、モスクへの喜捨なんだ、門前にハッジが一人、いらっしゃるから、そのヒトにわたしてくれ、受け取りはいらないから、ていわれて」
「で、いったのか?」
「もちっすよ、仕事っすからね」
「で?」
「いわれるように広場にいってみたら、なんのことはない、ハッジは、あのときの紳士、だったんす」
「なんで、分かった、そのハッジが、あの紳士だって?」
「目で分かったすよ、目で」
「目?」
「マグレブ人は、ヒトの目に、敏感なんすよ」
「目に敏感? なぜ?」
「ファトマの手、知ってるでしょ?」
「ああ」
「掌に目があるっすよね」
「ああ」
「あれ、ヒトの目に気をつけろ、ってことなんすよ」
「どうして?」
「フェニキアから出てマグレブに定着した習慣なんすけど、ヒトが見るのはヒトのものを盗むため、ということで、ヒトの目には用心、用心、てことす」
「日本では、ヒトを見れば泥棒とおもえ、という諺があるが、おなじことかね」
「そこは分かりませんけど、とにかく、マグレブ人は、いちど会ったヒトの目は、絶対、忘れないんすよ」

 このアブダッラ、実は、とっても真面目なヤツなんですよ。中学を出て警察官になる、それ自体、この国ではキャリアなんですけど、アブダッラは、向学心にもえた、というか、結構な野心家というか、ウチに引き抜かれたあとも、それに飽き足らず、眠る時間をけずっては、殉教者広場のモスクにかよって、先のキャリア形成のために、雑学というか、いろんな知識を身につけようと、日々、知恵をしぼっていたんですね。

 みなさん、マドラッサって、聞いたことありますか? モスク、つまりイスラム寺院に併設された伝統的な寺小屋なんすけど、そこでアブダッラは、毎日、せっせと雑学をつんでいたんです。いつだったか、かれの運転で街中を移動していたとき、オレ、急にきいてみたくなったんスよ、いったいそこで、なにを勉強してるんだ、ってね。

「で、殉教者広場で、イスラム教義以外に、なにを教わってるんだ?」
「いろいろ、あります」
「たとえば?」
「いまは一党独裁についてです」
「つまり、民族解放戦線の功罪について、とか?」
「功罪どころか、罪しかないすよ! アルジェリアは金持ちなんだ、石油もでる、天然ガスもでる、それを売って金をもうける、金持ちなんだ、豊かなんだ、おれたちの国は。それが、なんだ、なんでおれたち、こんなに貧乏なんだ、家もない、借家もない、寝る場所もなけりゃ、流しに水も溜まらない、まともに食うモノもなければ、コーヒーに入れる砂糖もない、クースクースどころか、パン一切れ買うカネにもこまってるんだ、おれたちは! なぜだ、なぜだ! これが正義か! おかしいじゃないか!」

 スゲー勢いでしたね。いきなりハンドルをバンバンなぐりつけ、怒鳴り散らして、たまりにたまった怒りを爆発させたんです。カッと見開いた両眼は爛々と輝やいていて、理不尽な犠牲を強いる現政権を、まがいもない悪の実体と捉えているらしく、まさにそれ自体を抹殺の標的にしているんだ、という自信と確信に満ち満ちていて、そこから発散する深い怨念や強靭な抵抗心、加えて変革への熱い息吹が、助手席にいるオレにも、ピシピシ伝わってきたんすよね。

 一外国ミニ商社の、ミニミニ連絡事務所で働く、単なる運ちゃんじゃないですか。そんな人間を、社会的にここまで覚醒させてしまうパワーって、いったいどこから来るんだろう? 

「民族解放戦線て、そんなにひどいのか?」
「ひどいどころか、悪の根源です」
「悪? アクにもいろいろあるとおもうんだけど?」
「正しくないことです」
「正しくない、っていうと?」
「公正じゃない、ということです」
「公正じゃない?」
「ひとは互いに公正に接し、公正に裁きあう、これが正義です」
「公正に生きることが正義?」
「そうです。ひとは中庸を尊び、寛容と博愛の精神を礎にして、傲慢にはならず、欲求や欲望を控え、心のおごりを清め、肉体的欲望を制御し、財産へのどん欲を克服するために、公正を実践し、公正を貫くことです」
「公正、て、すごく、むつかしいんだね」
「そうです。神の意向にしたがって、親切と慈善の心、忍耐と他人への思いやりに支えられて、初めて公正を実践し、正義を貫くことができるのです」
「アブダッラ、おまえ、イスラムの高僧みたいなこと、いうね」
「とんでもない。預言者の教えに沿った生き方を、したいだけです」

 沸騰した悪への怒りが、ちょっとおさまりかけたところで、オレ、テープのボリュームを下げて、すぐに聞いたんです。

「で、奥さんは、いるの?」
「まだです。残念です、とても」
「そりゃ、残念だ。ガールフレンドは?」
「モチ、いますよ」
「じゃあ、すぐ結婚すれば、いいじゃないか」
「それが、だめなんです。もう少しなんです」
「もう少し?」
「そうです。結納金が、まだ足りないんですよ」
「結納金?」
「はい。この国では、妻になるひとにカネを納めます。納めたカネは妻のもので、夫に権利はありません」
「どうして?」
「妻がひとりになったときの保証なんです」
「なるほど。じゃあ、稼がなくちゃね」
「そうなんです、そうなんですよ、そうなんだ!」

 アブダッラのこめかみが、急に青筋たてて膨らんだかとおもうと、またひどく怒りだしたんスよ。

「ヤツらは、アブラで、ガスで、大儲けしてるんだ! どんよくな先進国相手に、おれたちの財産を切り売りして、やすやすと、ボロ儲けしてるんだ! おかげさまで、おれたち、一文無し、てわけだ、満足にパンも買えやしない、コーヒーものめない、クースクースなんて、夢のまた夢だ、これが正義か! これが公正か! これが神の信託にこたえた生き方といえるか! だろッ! どうだ、どうおもう!? だろッ!」

 アブダッラは、またハンドルをバンバンなぐりつけ、怒りをぶちまけました。

「正義は、ひとが神から授かった信託なんだ! ひとには、神の信託を完遂する義務があるんだ! だろッ!」
「…そうだ!」
「すべてのひとが正義を貫く責任を負うんだ、すべてのひとに、正義が、生まれながらの権利になるよう、努めるんだ、それが、ひとの美徳として尊ばれ、高められるんだ、そんな世界が、神の招来する世界なんだ、そうじゃないのか! だろッ! だろッ!」
「…美徳として?」
「そうだ、美徳として、だ。神の教える中庸と節度を敬うこころだ! 美徳をとおして、ひとは、神に近づくことができるんだ! だろッ!」
「…」
「どうしたんですか! そうじゃないんですか!」

 アブダッラが、またバンバン、ハンドルを殴りだしたので、オレ、危険を感じて、つい、妥協してしまったんスよね。

「そ、そうだよ!」

 するとアブダッラは、人差し指をオレの目の前につきたてて、こういったんです。

「その点、日本は、すごいです」

 さっきまでの激昂がウソみたいな、意外な冷静さに、オレ、拍子抜け、しました。

「すごい? って、なにが?」
「伝統です。おれの国には伝統がない。砂しかない。湧き出る泉がない。源流がない。あるとしても、そこまで遡っていける記憶と時間の道標が、ない。すぐに干上がって、消えて、なくなってしまうんです」 
 
 オレ、なぜか、気持ちに、ズシンときました。日本の伝統なんて、あって当たり前、そうておもってるじゃないですか、でしょ? でも、ないひとからすると、すごく大事なものにみえるらしいんスよね。そこんとこ、よく分からなかったし、オレ、聞いてみたんです。

「日本の伝統、ていうけど、なにが伝統なのかな?」
「記憶と、時間です」
「記憶と時間?」
「そうです。きのう、おととい、さきおととい、半年前、去年と、自分の記憶をたどっていけば、ずーとつながった自分と周りの時間を、遡っていくことができるんです。あなたは、自分の国の時間を、二千年、三千年、一万年の出来事をたどって、ずーと遡っていくことができるんですよ」
「へ?」
「それができないのが、おれたちの国、このまえ、できたばかりだからです。そのまえは、フランスだったし、そのまえは、トルコで…まったく別の国だったんです」

 たいした歴史観だと、おもいませんか? 歴史を、史実の記憶と縦の時間軸で、しっかりと捉えているじゃないですか。
 
「すごいな、アブダッラ、まるで歴史学者、みたいじゃないか」
「おれ、勉強してるんです」
「モスクで?」
「そうです。歴史や政治にくわしいハッジがいるんです」
「ハッジ?」
「さっきいったハッジっす、メッカ巡礼を成し遂げたひとです。みな、尊敬してます」
「ハッジ、ね」 
「はい。ハッジは、いつも白い巡礼着を、はおっています」
「白い巡礼着!」
「そのハッジ、どこに住んでるんだ?」
「カスバです。たしかじゃないけど、モスクからの帰りには、いつも、石段を上っていきますから」

 背すじに悪寒が走りました。やっぱ、あのカスバに住むモスクのハッジと、蒸発したオレのオヤジと、ひょっとしたら、いや絶対、同一人物じゃないのか。

 おもうに、歴史や政治に詳しいハッジ、そこから得た知識やものの見方を、実社会で実践的に磨いていけば、アブダッラみたいな、中学出の一介の運ちゃんでも、いま起こっている事象の源泉まで、記憶を頼りに、時間をさかのぼっていくことができる。明晰な歴史分析を説く、一種、アカデミックな方法論ですよね。オヤジは見事、工作活動のさなかで、その技術を身につけていたんっですよ。

 ざっと、こんな具合に、オレ、オヤジがカスバに住んでるってこと、確信したんですよ。で、さっそく、探してみようとおもいました。

 赴任早々、オレ、唯一の国際規格ホテル、エルオーラッシの近くに住居を定めました。フランス植民時代に建てられた二階建ての豪勢な館で、家賃も結構なものでしたが、ホテルに歩いて行ける利点もあったし、なによりも、カスバの天辺という、白い古都を真上から一望できる得難い位置にあったからなんです。

 実際、国道1号線とカスバの城門の間に、街路がいくつか走っていて、そこから分岐した隘路が数本、きつい傾斜で下方に伸びていました。そのなかで、一号線に一番近い隘路を選んで入り込むと、いかにも植民地時代の建物て感じのレトロなヴィラが、いくつも連なって並んでいて、その隘路の出口、というより、どんずまりの崖っぷちの天辺に、それはあったんです。

 立つてみると、いきなり眼下に展望が開け、標高百メートルは下らない大斜面が、急勾配の巨大なカール状に広がって、民家やスラム、モスクやモニュメント、玉石混交の建物群をザックリ巻き込んで、波静かな紺碧の地中海へと急降下し、そしてまた、崖っぷちの真上からは、ひと一人、やっと通れるか通れないかの石の階段が、カスバの赤黒い屋根屋根を縦横に縫い縫い、カールの底部の、分厚い油状の海水がヒタヒタ洗う埠頭群のアルジェ港まで、一気に下っていました。

「スゲー眺めだなぁ…」

 オレ、おもわず、ため息、ついてましたね。薄汚れた石壁や、変色したコンクリ、壊れそうなバラックや半分はがれた赤レンガ塀の内側に、いったいどれほどの人間が呼吸し、うごめき、怒鳴ったり笑ったり、喜怒哀楽に身を任せて生き、そして生き延びようとしているのだろうか……。

 はたと気がつくと、眼下のかカスバは、夕日に煙っていました。粗末なモザイクタイルでふいたんでしょうね、小さなスペイン風の中庭やベランダ、市街戦で爆破されたのがもろ分かる南仏様式の石壁や、薄汚れたオスマン時代の漆喰の瓦礫、路地沿いのパン屋、肉屋からつきでた不揃いの煙突などなど、あちこちから夕餉の煙が、旧市街全体を覆っていたんです。

 そんなカスバを、突っ立ったまま、じっと見入っていたんですけど、そのうち、なにか白いものが、ずっと下の方で、チラチラと妙な動きをしていることに、気がついたんスよ。
 
「なんだろ?…」

 それは、粗末な板張りの屋根越しにみえるモザイクタイルの床の上で、わざとこちらを挑発するみたいに、屋根の陰から出たり入ったり、していました。いったいなにが動いてるんだ?…オレ、イラッとして、しばらく凝視してたんスけど、そのうち、なんのことはない、実は、ひとが一人、動いてるんだ、てことに気がついたんです。アラブの白いトーブを着たオトコが、腕をクルクルまわしたり、体を後ろに反らしたり、前かがみになったり、脚を開いたり、曲げたり、規則的なリズムと動作で、中途で飽きる様子もなく、ずーっと動いてるんです。

「なに、やってんだ、あの白い男?…」

 ひとって、この種の動きをするとき、なにをしているとおもいます? オレ、ひらめいたんスよ、そうか、ラジオ体操だ!ってね。でも、変じゃないですか? アルジェって、北アフリカの白いパリ、といわれてるんスよ。その旧市街のカスバの片隅で、日本の一般国民向けの健康体操をしているヒトがいる、なんて、だれが考えます? 思いもつかないことでしょう? そこでオレ、おもったんすよ。あの白い男、かれはきっと蒸発した自分のオヤジにちがいない、とね。だから、いつもそれを念頭に置いて、ずいぶん長い間、探しまわりましたよ、カスバ中を、ヤツを求めて……。

 そうこうするうち、あれは翌年の十月でしたね、首都アルジェで大暴動が勃発しました。オレのちょうど赴任一年目のことでしたね。

 みなさん、覚えてますか? そのころ、かなりまえからグラスノチやペレストロイカで揺れていたソビエト連邦ですけど、とうとう連邦にひび割れが生じて、ちょうどアルジェ大暴動の年ですよ、エストニアに始まって、リトアニア、ラトピアのバルト諸国が、次々と反旗をひるがえして独立するって、宣言しちゃったんですよね。

 この流れが一挙に中央アジア、東欧、コーカサスの国々に伝播して、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウクライナまでも、同じように独立しちゃったんです。いったんひび割れすると、もろいもので、その二年後、ポーランドがソ連無視の自由選挙で、実質、連邦からの自立を実現すると、半年後にはベルリンの壁が崩壊し、二年足らずでソビエト連邦は解体しちゃったんです。

 その間、ベルリンの壁が崩壊する一方で、一党独裁の弊害に苦しむアルジェリアでも、欲求不満の発露として民衆の大暴動が発生し、前代未聞の地殻変動が始まったわけですが、窮乏生活から民生重視への政策転換で、かろうじて民意を誘導するかたわら、新政権下の制憲議会で、自立した民主国家に生まれ変わる施策として、夢の新憲法が採択されたんですよ。

 これが悲劇のはじまりだったんすよね、現実には。

 オレたちが暴動の災禍をくぐりぬけて国外脱出した翌年、アルジェリアでは、暴動鎮圧の不手際の責任をとって内閣総辞職、かわって登場した新政権が、多党制を目玉に民心をたばねて発足、新憲法策定のための制憲議会を設置して、野心的な民主化の試みに挑戦したんです。

 みな、熱狂してましたよ。街でも家でも、朝起きて夜寝るまで、猫も杓子も、多党化、多党化、と口々にとなえ、民主化、民主化、と叫んでは、そこらじゅうを走りまわってましたね。ほんと、うれしかったんでしょうね。とくに、だれでも好きに政党をつくれる、理想の実現のためにだれでも総選挙に立候補できる、というある種のファンタジーに、みな、酔いしれたのかもしれません。

 実際、制憲会議での新憲法採択と前後して、ポーランドのワレサ議長ひきいる労組連帯が、自由選挙を強行して実質的にソビエト連邦からの自立を達成した、なんてニュースが国外から飛び込んでくると、もう大変、自分の国が明日にでも民主国家になるんだ、てみな、思い込んじゃったんでしょうね。

 そんななか、一躍、脚光を浴びたのは、イスラム救国戦線FIS、という政党でしたね。これって、イラン革命の影響もあったんでしょうけど、もともと、一部の大学で、だいぶまえからイスラム原理主義的環境が醸成されつづけていたんですけど、実は、そこに巣くうカルト的原理主義者の集まりで、イランやアフガニスタンの神権政治をモデルに政体を改変しようと、満を持して結党した集団なんです。

 普通なら、みな、カルトのにおいに危険を感じて、ていうか、国法を超越するシャリア法の厳格さをよくしっているから、FISの坊主には目もくれないし、ましてや説教などには耳も貸さない、そんな具合だったんですけど、民主選挙という、この千載一遇のチャンスに、とにかく現政権を倒して多党政治を実現するんだ、という願望にのみこまれて、ただただ政権奪取の可能性大の政党に、みな、自分の夢を、託そうとしたんスよね。歴史は繰り返す、ていいますけど、まさに合法的に、手のつけられないモンスターを、つくりあげてしまったんです。

 そうこうするうち、とにかく、暴動後の情勢は徐々に鎮静化し、やっとオレたちも再入国できる状況になりました。

 ちょうど、オレがアルジェ空港に到着した日でしたね、史上初の自由選挙が行われる記念すべき日だったんです。民主化プロセス最初の選挙、地方議会選挙の投票日だったんスよ。オレ、もちろん、迎えにきたアブダッラに、まず、聞きましたよ。

「投票にいったのか?」
「もちろん、いきましたよ!」
「で、どこに、入れたんだ?」
「もちろん、イスラム救国戦線FISです!」
「それって、大丈夫なのか?」
「もちろんですよ! いま、民意を最も代表している政党ですからね」
「多党制ていうけど、かっての政権党は、どうなったんだ?」
「民族解放戦線ですか?」
「そう」
「候補だしましたよ、幽閉されていた初代大統領をね。でも、あんな政党に、だれが入れるもんですか!」

 実際、選挙結果は、おそろしくドラスティックなもので、自治体の八割でイスラム系政党が躍進、中でもFISが、五十七パーセントの議席を確保しちゃったんです。これって、いままでの世俗リベラル主義が、どんだけ腐敗し、堕落し、嫌われていたか、てことを、まざまざと見せつける結果におわってしまった、てことなんスよね。
 
 そして、FISが大勝した議会選挙から一年半後、民主化プロセスに従って、国会議員選挙が実施されたんです。多党選挙の二ラウンド多数決方式で投票が行われたんですけど、第一ラウンドでFISが四百三十議席中、二百三十一議席もとっちゃったんです。一回で政権党に決まっちゃったんですよね。なので、即、統治体制の準備に入りました。そこまでは、しごく当然のことなんですけど、みな、この成り行に、愕然としてしまったんです。

 だって、当然でしょう。民主、民主、と叫んでゴールを目指していたら、いつの間にか、イスラム原理主義のコースを走っていた、て分けなんですから。

 FISは、自由選挙で第一党に選ばれて政権党になったんだから、民意を得たものと、大手を振って、大改革に着手しはじめました。大改革って、なにか? それは、国の政治と宗教を両面で指導するカリフ体制の復興、だったんです。これ、オスマン帝国時代の支配体制だったんですよね、帝国崩壊の時点でなくなったんスけど。で、国のかじ取りをまかされたいま、ぜひともこれを再興しよう、と考えたんですね。イスラム主義の真骨頂、といえば、説得力ありますけど、世俗主義者にとっては大迷惑で、とんでもない大改悪だったんです。

 旧支配体制の利得層や、世俗リベラルの学識やキャリアを重ねてきた人々にとっては、カリフ体制の復興など、中世暗黒社会への逆行にも等しい蛮行で、一歩たりとも許せない歴史の退行現象に映ったんです。方々で、いたるところで、衝突、暴力沙汰が、日常化しました。シャリア法を振りかざして神権政治への屈伏をせまるものと、民主主義を標榜して個人の権利を主張するもの、との、あくなき対立と相克が、始まってしまったんです。

「こんな状況下、あの白い男は、なにをしているのだろうか?…」

 かれが工作員だとしたら、なにかをたくらんでいるに違いない…オレ、無性に怖くなって、早く、ヤツをみつけださなくては、とおもったんです。

 あれは、八月の、ラマダン明けの日でした。

 オレ、気が付いたら、殉教者広場からカスバを抜ける薄暗い石畳の隘路を、駆けのぼっていました。遠くの方から、いつものライが、小さく、聞こえてきます。右に折れ、左に曲がり、汗だくで、息がきれて、大腿筋がパンパンになって、もうだめだ、あと一段で小休止、とひと蹴りしたとおもったら、ポーンと、体ごと、幅広の通路に飛び出していました。

 とたんに、さっきまで犬の遠吠えみたいに聞こえていたライが、強烈な響きで、鼓膜の奥に、突き刺さってきました。それといっしょに、大勢の人たちの、大声でわめいたり、叫んだり、激しく議論しあう荒々しい声や、バン、バンと、テーブルをたたく音、ガチャガチャ食器を洗う音、いろんな雑音が、一度に聞こえてきたんです。

 午後の、ラマダン明けの、最後のアザーンが鳴り響くまでの一時、となり近所のひとたちが、行きつけのカフェに集まって、ダベったり、遊んだり、思い切り、楽しんでるところだったんスよ。そのときでした。

「ジ・ャ・ポ・ネ!」

 どっからオレをみてるのか、あちこちから、ガキの叫び声が、聞こえてきたんです。

「ジ・ャ・ポ・ネ! ジ・ャ・ポ・ネ!」

 けっこうな人数いるみたいでした。オレ、やばい! と一瞬、逃げ腰になったんスけど、逃げたら、それだけいい気になって、ますます追っかけてくるにきまってる、そんなワルガキの習性に、普段、辟易してたので、オレ、すかさず、ライとパーカッションで破裂しそうなカフェに、一目散で飛び込んだんスよ。でも、それは、結果的に、とてもいい判断だったんです。なぜかっていえば、ちょうどそこに、事務所付き運ちゃんの、アブダッラが、いたんですから。

「やっ、アブダッラじゃないか!」

 思いもしないことだったので、オレ、そのとき、けっこう嬉しそうな態度、しちゃったみたいなんスよね。だからなのか、よく分かんないスけど、当のアブダッラは、白のトーブに白のキャップをかむってたせいか、なんか白けた風、ていうか、見られたくないとこ見られたんで白けたふりした、て感じで、オレのこと、ネグレクトしかけたんスよ。オレ、ちょっと、ムッとしたんスよね。なぜって、かれとは、ずいぶん長い間、あっていなかったし。だから、オレ、皮肉の一つでも、いってやりたくなって、こういったんスよ。

「ほんと、見ちがえちゃったよ、アブダッラ! 白のトーブに白のキャップか。白ずくめのアブダッラ、ラマダン開けたら、いきなりハッジになったみたいだよ!」

 この皮肉、どうも大うけしたらしくて、ドッ、とまわりで大笑いスよ。なかには、ハッジ、ハッジ、と冷やかすものもいたりして、さすがバツのわるさを感じたのか、アブダッラ、頬を赤くして、オレに近づくと、小声でこういったんです。

「ラマダン明けに、わざわざ、こんなトコまで、散歩、ですか。さすがですね。でも…」
「でも?」
「でも、ここは、アナタみたいなひとが、来るとこじゃ、ないっスよ」
「オレみたいなのが来るとこじゃない? どうして?」
「どうしてって、ほら、見てくださいよ。みな、隣の、近所の、知り合いや家族や、親戚や、親しい仲間連中が、ラマダン明けのひと時を、ごくごく内輪の、親密な、水入らずの集いを、思い切り楽しみたくて、子供も入れて、集まってるんスよ。ね、だから」
「だから?」
「おれたちにとって、やっぱり、ラマダンて、特別なこと、なんスよね」
「つまり、オレみたいな、ラマダンしないよそ者は、ジャマってことか?」
「いいえ!そんなこと、いってないっスよ!」
「なあ、アブダッラ、なんとなく、いつもの、おまえらしくないな。ラマダンって、そんなに特別、ていうか、特殊なモノなのか?」
「そりゃ、特別、スよ。なぜって、ジャポネは、やらないでしょう?」
「そりゃ、やらないけど、食を絶つ修行って、どこでもやってるじゃないか。仏教にも、神道にもあるし、それこそユダヤ教徒やキリスト教徒も、やるじゃないか。特段、別世界の出来事だとも、おもえないがね」
「でも、修行って、ジャポネみんなが、やるわけじゃない、でしょ?」
「そりゃそうさ。とりわけ仏門に帰依する修行僧以外はね」
「そこですよ。もともとラマダンて、みんなでやる聖なる行い、なんスよ。食を絶つ、だけの行為じゃなくて、ひとの悪口をいわない、ケンカをしない、争いを避ける工夫をする、タバコも吸わないし、夜の生活だって我慢する、そうすることで、自分の信仰心を見つめなおし、自分を清め…」

 こうなると、もうお手上げ、お決まりの説法が始まっちゃうんですよね。なのでオレ、うんざりするまえに、ミント茶を一つ注文して、つっ立ったまま、ガンガン響いてるライに、聞き入りました。そのうち、奥の方で、さかんに手をあげて、こっちへ来い、こっちへ来い、と手招きしてる白いトーブのオッサンがいることに、気が付いたんです。オレ、急いでいきました。

「ドミノは、やらんのかね」

 近づいたオレに、オッサン、聞いてくれました。

「よかったら、のハナシだが、席、ゆずってあげるよ」
「いえ、どうぞおかまいなく」 

 オレ、丁重にことわりました。なんとなく、むしり取られるみたいな予感がしたので。

「続けて楽しんでください」
「ドミノ、きらいかね」
「きらいというか、よく知らないんです。でも、マージャンなら、やりますけど」
「マジャン?」
「いえ、マージャンです。シナで生まれて、アメリカで洗練されて、日本にきたゲームですよ。おなじようにパイを並べて勝負します」
「なんだ、やっぱり、アメリカかね」
「は?」
「ジャポネは、なんでもかんでも、アメリカだね。ヤマトダマシイは、どこへ行ったのかね」
「ヤマトダマシイ?…」

 これ、意外な発言っスよね。

「よくご存じですね、ジャポネのことを」

 そのとき、パイをバンバンたたきつけていた別のオッサンが、いきなり割って入ってきました。

「ひとつ、教えてくれんか。ジャポネは、今度の選挙を、どう思っとるのかね?」

 これにはオレ、なぜか、まじに答えなくちゃ、ておもいました。

「個人的には、自由化プロセスの一環として、よい、というか、正しい選択だと、おもいます」
「なるほど。民意がイスラム勢力による世直しを望んでいる、ということかね」
「世直しかどうか、よく分かりませんが、少なくとも民意は、イスラム勢力に傾いている、とおもいます」
「ワシは許さんぞ!」

 バッターンと、ドミノのパイが跳ね上がりました。

「ハア?」
「許さん!」
「でも、イスラム系が七割以上、獲得したんですから、どう少なめにみても、選挙民の気持ちは、リベラルからかなり遠ざかってる、っていえますよね」
「民主主義が多数決、くらいのことは、ワシだって、分かっとる。ただ、ワシらには経験がない。フランス植民地時代、アルジェは共和国の行政県だった。しかし、デモクラシーはなかったね。ごく一部の、植民者に通じた利権屋を除いて、大半のアルジェリア人には、選挙権もなかった。独立して、やっと一人前になれたと思ったら、今度は民族解放戦線の一党支配だよ。選挙もクソもあったもんじゃない。文字通りの圧政だった。そのおかげ、といっちゃなんだが、三年まえに大暴動がおきて、大勢の犠牲者と引き換えに、やっと自由選挙ができるようになった。分かるだろ。ワシらが知る自由選挙は、まだ、この、最初の、地方選挙だけなんだよ。たった一回の経験しかしかしとらんのだ。これは、ものすごく危険なことだ、と、ワシなんかは、おもうがね」
「なにが、そんなに、危険なんスか?」

 いつの間にかそばに、アブダッラがいました。

「正当な自由選挙で、イスラム勢力が多数をとった。これで、やっと、民意が、政治に反映される準備が、できたんじゃないんですか」
「ワシはそうは思わん。そんなウマいハナシ、いままで、あったタメシがない」
「ウマいもウマくないも、やってみないと、分からないじゃないスか」
「なあ、アブダッラ」

 白髪の長老が割って入って、たしなめるようにいいました。

「このごろのオマエ、ちと、おかしいぞ。イスラムのハナシになると、急に目の色が変わる。とくに救国戦線が大勝利してから、まるで原理主義の信奉者みたいな口ぶりだ。気をつけなくちゃいかん、いかん。あの方もいっておられたぞ。地方選挙の大分まえから、アブダッラがプッツリ会いに来なくなった、とね。なぜかね? なにを悩んでいるのかね?」
「なにも悩んではいないスよ。ハッジは、伝道師でおられるけど、所詮は外国の方スよ、失礼スけど。おれたちアルジェリアの現状を、よく理解してらっしゃらない。みなが一党独裁にどれだけ苦しめられてきたか、ほんとに分かってらっしゃるとは、おもえないっスよ」
「ワシはそうは思わんな。ハッジは、世界の目をとおして、アルジェリアを見てらっしゃるんだ。オマエたち若いもんは、二言目には独裁、独裁、と批判したがる。だが、どうだろう、ワシらには、一党独裁、といよりは、むしろ、一党による利権の独占支配、といったほうが、より納得いく説明になると思うんだがね、どう思う、アブダッラ」
「いや、独裁は独裁スよ!」
「かもしれん。しかし、いいかね、世に独裁と秘密警察は一心同体、といわれているんだが、オマエたち、言論の自由を、はく奪されていたのかね? 政府の批判をしたがために、捉えられ、投獄され、拷問され、知らぬ間に処刑されたひとが、何人いたっていうのかね? ワシらには、そのような仲間は、ひとりもいなかった、と記憶してるんだがね。それどころか、オマエたち、毎日毎晩、言いたいこと、言って、やりたいこと、やってるじゃないか。言いたい放題、叫んでるじゃないか、え、そうじゃないかね?」
「冗談じゃない! おれたち、三年まえの大暴動で、何百人も、虐殺されたんスよ!」  
「たしかにあのとき、大勢なくなった。これからという若者たちが、尊い命を絶たれた。だがね、アブダッラ、問題のキモを、みきわめなくちゃ、いかんよ。あれは、治安維持のための暴徒鎮圧、だったのだよ。おまえたちは、市民の安全を脅かす暴徒だったんだ。治安をみだす危険分子だったのだよ。あれは、決して、独裁政権による市民人民の弾圧、などではなかった、ということだと、ワシは思うが…」

 アブダッラは、大声で長老に、反論しはじめました。

「ち、ち、治安維持の暴徒鎮圧だって!独裁政権の弾圧ではなかった、だって! おれたちが市民の安全をおかす暴徒だって!冗談じゃないっスよ!  みな、うんざりしてたんだ、独立戦争に勝ったのをいいことに、政権にあぐらをかいて、国の富をひとりじめする、その一方で、いまだに、まともなニンジン一本つくれやしない、パン一個も満足に食えやしない、それほど生産力も消費力も貧弱な、貧乏人どもが、住む家もなく、うじゃうじゃ、ゴロゴロ、生きていかざるをえない、みじめな現状を、ちっとも変えようともしないのが、現政権だったんじゃないですか!そんな政権を維持するための暴徒鎮圧こそ、独裁権力の人民弾圧、そのものじゃ、ないっスか! いったい、あなたがたは、フランス独裁権力と戦って、この国を、取り戻して、創りかえてくれたひとたち、なんでしょ! どうしたんスか? くやしくないっスか? アルジェリア人としてのホコリは、どこへいったんですか!」
「やめないか、アブダッラ! いっていいことと、わるいことが、あるぞ!」

 べつの長老が、顔を真っ赤にして、口を挟んできました。

「落ち着け、アブダッラ! ひとは弱いものなんじゃよ。コーランに耳を傾けるまでもなく、ひとは、弱さゆえに、ひとに優しく、同情を覚え、憐れみを分かち合い、公正に、敬意をもって、お互いに力を合わせて生きる様々な術を、いにしえの記憶の中に刻み続けてきたからこそ、いままで生きのびてこれたんじゃないのかね。だから、ひとは、なを哺乳類の頂点にいて、いまだに滅びないで、生き延びているんじゃないのかね。そう、じゃろう?」
「そんなこと、あたりまえっスよ!」
「それが、あたりまえじゃないのだよ。そこが、ひとの弱さ、なんじゃ。ひとは、富を求める。これも、あたりまえのことじゃ。生き延びるのに、富のたくわえは欠かせない。体にも、十分な栄養と体力のたくわえがいるじゃろう。それと同じことじゃよ。家族ができれば、食い扶持がふえる。みなを、食べさせなくちゃならん。それだけの富は、貯めておかねばならん、じゃろう。これらは、みな、あたりまえのことなんじゃ。だが、そこに落とし穴がある。たくわえた富は、大きくなればなるほど、なくなることが怖くなってくるんじゃ。世によくいう、負の連鎖、というモノじゃよ。なくすことを恐れ、必要以上に貯え、自分の安心安全のために、ひとのモノまで欲しくなる、奪いたくなる」
「なぜだか、わかるかね?」

 また別の長老が、割って入ってきました。

「ものごとには両極があるんじゃ。カネがないから、カネがほしくなり、カネもちになる。両極の巾が広ければ広いほど、結果は重大になる。極貧に生まれたものは、単なる金持ちではなく、超富豪になりたくなるもんじゃ。その分、欲も深くなるし、頭も使う。戦略も練る、ひともだます。そして獲得した富と地位は、絶対に手放したくなくなる。そのために、また頭を絞り、戦略もねり…」
「そして、負の連鎖が続く、というわけっスか?」

 アブダッラが、お説教はもうたくさん、て顔でいいました。

「長老! まさに、その通りですよ。民族解放戦線が、負の連鎖に振り回されて、挙句の果てに、権力の座から蹴落とされた、そうですよね。それが事実ですよね。つまり、その負の連鎖に理があるとすれば、今度は、貧乏人のおれたちが富をたくわえる番だ、ということになるんじゃ、ないスか?」
「そのとおりじゃよ」

 最初の長老がいいました。

「しかしな、アブダッラ、世の中はそうはうまく行かんのじゃよ。イランのことを考えれば、すぐに分かるじゃろうが」
「イランのこと?」
「そうじゃ。今から、丁度、十数年まえに起きた出来事じゃよ。おまえがまだ子供のころのことじゃよ。そのころのイラン王朝は、欧米の石油利権に深く深く嵌めこまれておって、国の富を欲しいままに私物化していたんじゃ。その王朝が、イスラム教の法学者を支柱とした、世直しの革命勢力に駆逐され、イスラム主義を軸とした神権政治が始まった。どうかね、まさに、今のアルジェリア、そのものじゃないか。いいかね、アブダッラ、ここでアタマを使わなくちゃ、いかん。いま、おまえの国がイランそのものだとしたら、十数年後のおまえの国は、いまのイランそのものだろう、と想像するのが、理にかなっていると思わんかね?」
「そりゃ、そうかも…」
「じゃろ、アブダッラ、今のイランは、どうなっとるかね。民主主義の精神を取り入れとるかね? え、アブダッラ、真逆の政治体制を敷いとるんじゃないのかね、神権政治という体制じゃよ。憲法の上にイスラム法が君臨しておる。これこそ独裁ではないか。神の名のもとに民を支配する、生殺与奪の力を得るために、かれらは何をした? 世直しで民主主義を叫んで立ち上がった人民を、テンプラにして殺したんじゃよ。テンプラ、知っとるじゃろが、ジャポネのすきな料理の名前じゃ。この国ではベニェというんじゃ。毎朝おまえも食っとるじゃろが、あのアゲパンじゃよ」
「それって、わるい冗談っスよ」
「いいか、アブダッラ、ここを使え。アタマを使え。ハッジが、いつもいっておられただろうが。弱者の正当な怒りを、うまーくからめとるニンジャがいるのだよ、ジャポネの好きなニンジャが。地方選挙でイスラム勢力が勝利したとき、ハッジがいっておられた。民の大半は変革を望んでいる、変革の種は播かれた、これからが力の尽くしどころだ、変革の種が、独裁の発芽へと、すりかえられないようにしなければ、とな」
「どういう意味ですか?」

 アブダッラは、いつしか、借りてきた猫みたいに、シュンとなってましたよ。

「イランをみれば、分かるじゃろ。革命と称して、結局は、宗教エリートの独裁体制じゃよ。気をつけなくちゃ、いかん、いかん」

 オレ、そのとき、自分につぶやきました。自分は、いま、なんのめに、カスバに、いるんだっけ? あの白い男をさがしに来たから、このカフェに、いるんじゃ、なかったのか…。

「アブダッラ、実はオレ…」

 すぐさまオレ、長老たちにすっかり丸め込まれたアブダッラに、聞きました。

「さっきから、ハッジ、ハッジ、て聞こえてきて、気になるんだけど、そのハッジって、いつもオマエがはなしてる、あのカスバの寺小屋のハッジ、のことなのか?」
「ええ、そうスよ」
「なんで、みんな、そうハッジ、ハッジって、いうんだ?」
「みんな、尊敬してるからっスよ、ハッジのことを」
「そんなに偉い人、なのか?」
「偉い人、ていうか、とても親切で、柔和で、優しくて、それに、いろいろなことに、とても明るいヒト、なんスよ」
「明るいヒト? イスラムのことか?」
「それはあたりまえスよ、伝道師ですから」
「じゃあ、他に?」
「いろんな世の中のこと、ていうか」
「道徳とか、倫理とか、政治とか…?」
「ていうより…」
「徳の高いひと、なんじゃよ」
「そのひと、どこに住んでるんですか?」

  オレの質問に、アブダッラが応えた。

「オレ、そのうち、案内、しますよ、そろそろいまレバノンから帰ってらっしゃるはずだから、連絡します」

 やった!…とオレ、小躍りしました。居場所はつかんだ、これで、いずれ近いうちに、オレはアイツにあえる!

 もちろん、すぐに会えとはおもっていなかった。むしろ、事態の緊迫度から、寺小屋とかモスクとか、いずれどっかにカオを出してくるだろう、そう踏んでたので、とにかくFIS指導者たちの動向を探ろうと、テレビとかラジオとか、事務所内のヒソヒソ話とか、街やカフェでの流言とか、いろんなところから聞こえてくる市井の情報に、聞き耳を立てていたんスよ。

 そんなある日、アルジェ駅のキオスクで買ったエル・ムージャヒド紙、ジハードを遂行する聖戦士、ていうメジャーの新聞なんスけど、その一面を見て、びっくりしたんスよね。FISの首領、突然の逮捕、と、デカデカと出てるじゃないですか。

 実は、このひと、アルジェ大学で教鞭をとるイスラム学の第一人者で、FIS結党に深く係わった精神的指導者、といわれてたんスけど、実際には、政治軍事にたけたゴリゴリの戦略家で、シーア派とかスンニ派とか、宗派対立をあおることで分断を先鋭化させる選択肢はとらず、ひたすら革命輸出を国家戦略としていたイランの、豊富な資金の供給を巧みに取り込んで、なし崩し的にアルジェリアをイスラム化しようと、画策していた張本人だったんスよ。

 この重大ニュースが、国中を駆け巡って、市井の民のほとんどが肝を冷やす一方で、馬足を晒した原理主義者の中には、バレバレの底意を隠蔽したいのか、やたらと集団志向が蔓延して、ベールで髪を隠さない婦人を大勢でおそって折檻するとか、やみくもに酒類販売店を略奪するとか、乞食や物貰いをボコボコにして追っ払うとか、街の方々で、ヒステリックな反社暴力沙汰に走る連中が、日増しに増えていったんです。こんな事態を、独立戦争勝利の記憶も新しい軍が、放置しておくわけがない。国の主権を、反社的原理主義集団に明け渡すことなど、許容できるはずがない、じゃないですか。

 そして最後は、やっぱ、クーデタでした。

 クーデタから一週間ばかりたった日の木曜日、殉教者広場のモスクでハッジが説教する、ていう情報が入ったので、ここぞとばかり、オレ、アタマのなかを十分に整理して、ギュッと気を引き締めて、行きました。本当は、しっかり変装して、信徒になりすましたかったんスけど、バレると袋叩きにあうかもしれなかったので、やめにしたんです。

 クーデタといえば軍の反乱、市街は戒厳令なみの緊張感、とおもいきや、実際は、みな結構ゆったりした雰囲気で、カフェや街路のベンチでミント茶をすすったり、タバコふかしたり、してました。

 しかし、裏通りに入っていくと、あちこち、隘路にたむろするヒトたちも、だんだん増えてきて、路地と路地が交差する小さな広場なんかには、鋭い目つきの、腕っぷしの強そうな、顎鬚ぼうぼうの連中が、我が物顔で、大手を振って歩きまわるのが目立ってきて、もう、どことなくキナくさい煮詰まった空気が、ゆっくりと、だけど着実に、密度をせり上げていく、みたいな、皮膚に直接、こう、威圧感がせまってくるって感じが、ひしひし伝わってきたんです。

 オレ、何年かまえに、モーリタニアの市場で買った、ベドウィンが身に着けるサファリのショールをアタマに巻いて、半分、顔を隠してあるいてたんスけど、やっぱ、目立ったんスかね。顎鬚モジャモジャのオトコが、いきなり体ごとぶつかってきて、オレを路地陰に引っ張りむやいなや、押し殺した声で、こういったんスよ。

「こんなとこで、なにしてんですか!」

 聞き覚えのある声でした。

「よう! アブダッラじゃないか! 久しぶりー!」
「なにいってんですか! こんなトコで、なに、やってんですか!」
「どうしたんだ、その、オカシなモジャモジャのアゴヒゲは? まるで別人、だぞ」
「オカシイのは、そっちですよ。そのカーキのショール、アタマに巻くもんじゃないっすよ。サファリでは首に巻くんすよ、クビに」
「そうか、そんなにおかしいか」
「超、目立ってます」
「そうか。うかつだったな。ところで、おまえ、いま、どこで、なに、やってるんだ?」
「モスクで、茶汲み、してます」
「チャクミ?」
「そうすよ。お説教にくる偉い先生がたの、お世話です」
「先生がた?」
「はい、大学の宗教学の先生とか、モスクやマドラッサの導師とか」
「あのカスバのハッジも?」
「もち、っすよ」
「今日も?」
「もち、っすよ」
「なあ、アブダッラ。オレ、頼みたいことが一つあるんだけど」
「なんすか」
「あのハッジにあえるよう、取り計らってくれないかな」
「もち、っすよ」
「そうか! ありがたい!」
「ただ」
「ただ?」
「ただ、ハッジは、あした早朝、お発ちになるんで、時間があるかどうか。今晩のお説教次第っすね」
「あす出発?」
「そうす」
「どこへ?」
「もち、ベイルート、すよ」
「やっぱりそうだよな。レバノン人だもんな」
「長老たちはそういってますけど、それだけじゃ、ないっすよ」
「だけじゃない?」
「メインはレバノン旅券っすけど、ちらっと見たかぎりでは、ほかにも何冊か、持ってらっしゃいますね」
「ほかにも? たとえば」
「クーウェートとか、シリアとか、フランスもありましたよ。それにモロッコ、モーリタニアも…」

 マグレブのハナシになると、やたら饒舌になるヒトが多いなかで、アブダッラは、人一倍、ていうより、むきになってはなしたがる方でした。それだけに、自分でもヤバイ、とおもったんスかね、急におしゃべりやめて、そわそわしだしたんです。

「おれ、そろそろ、いかなくちゃ。説教はじまっちゃいますんで」
「ちょっとまってくれ。ハッジに会う件、どうすりゃ、いいんだ?」
「そうっすね。カスバのカフェ、あのカフェで、まっててください。おれ、連れていきますから」
「カフェでまつ? そうか、たしかだな、わかった」

 そして、オレの納得を待ちかねたみたいに、アブダッラは最後に、こういったんスよ。

「とにかく、この国から、できるだけ早く、出た方がいいっすよ。すぐにでも、帰った方がいいっすよ」
「帰る!? どこへ?」
「母国ですよ、日本ですよ! それじゃあ」

 ずいぶんおかしなこと、いうじゃないか。どこにいようが、いまいが、オレの勝手じゃないっスか。だから、なんでそんなこというんだ、って、問いただしたかったんスけど、路地陰からとびでたあと、アブダッラは、人の群にまぎれこんでしまって、どこを探しても、もう、みつかりませんでした。

 いわれたとおり、カスバのカフェに急ぎました。オレを見るなり、みな、手を差しだして、大歓迎してくれました。けれど、いったん、ハッジやアブダッラのことになると、一切、触れたくない、て感じで、かたくなな態度にかわってしまうんです。それでも店主が、気の毒そうに、いってくれました。

「アブダッラは、どうも、わるい友人ができて、不信心ものになったらしい。もう、ここへはこない、というか、これない、というか、来たら、みなに、追い出されるがね」

 そしてハッジについても、こうはなしてくれました。

「伝道師のハッジは、イランの革命部隊といっしょに、レバノンに帰ったそうだよ」
「レバノンに? どうやって?」
「そんなこと、知るものは、どこにもおらんよ」

 オレ、ほんとにがっかりして、その場に座り込みたかったんすけど、カフェの入り口にガキが二人、でかいのと小っちゃいのがやってきて、二人してオレに向かって親指を立て、コッチにこい、コッチにこいって、合図してるのに気がついたんスよ。

「なんだよ? なんの、用、だよ?」

 するとガキどもは、押し殺した声で、口そろえて、こういったんですよ。

「ハッジ、いるよ、ハッジ、帰ったよ。連れてってやるよ!」 
「ハッジって、あのハッジが、帰ってこられたのか?」
「そうだよ」

 オレ、カフェから飛びだすや、一目散で走ってこうとしたんスけど、いきなりガキどもに、止められたんスよ。

「そっちじゃない、そっちじゃないって!」
「なに!」
「こっち、こっち、アブダッラの家にいるんだよ!」
「アブダッラの?…」

 残念ながら、オレ、知らなかったんスよ。あれだけ付きあっていながら、アブダッラの家について、話したことも、考えたことも、なかったんスよね。

「そうか。なら、連れてってくれ!」

 わるガキどもは、こっち来い、こっち来い、といいながら、走っていきます。スバシっこい野良犬みたいなガキ二人を、夢中でおっかけました。路地角をいくつ曲がったか、どこをどう走ったか、まるで見当つかなくなったころ、二人はやっと走るのをやめて、オレにふりかえっていいました。

「ここだよ」    

 そこは、比較的広い路地で、せり上がった漆喰の壁は白く、わりと開けた星空から月明かりが差しこんで、アーチ形にはめ込んだ緑の扉を、ほんのり照らしていました。カスバの、古くて汚れた路地裏にはそぐわない、こじんまりした、ちょっとした雰囲気の、木の扉だったんスよね。

 オレ、どうしてか、アブダッラらしいな、ておもっちゃったんスよ、そのとき。だから、これもなぜか、なんスけど、ガキ二人がいなくなった後も、ちょっと安心した気になって、というより、放心したみたいになって、しばらく緑の木戸を、ながめていたんスよね。これからオヤジに会おうってのに、直接カオを見ようってのに、劇的で運命的な再会になるはずなのに、なぜか、ぜんぜん気持ちが高ぶってこなかったんスよ。どうしてかな、待ちすぎたからかな、なんて、それまでのことをふりかえりながら、一時、ぼんやりしてたんスけど、ふと、あれ、とおもったんスよ。

「ひょとして、だまされた、か…」

 オレ、緑の木戸にとびつきました。そしてドンドン叩き、アブダッラ、アブダッラ、って、叫んだんです。

「オレだ、オレだよ、事務所のオレだよ!」

 だれも、なにも、こたえませんでした。木戸の向こう側に、なんの気配もありませんでした。迂闊だった、やっぱり、やられたか! ガキどもにやられたか、アブダッラに騙されたか、それともガキとアブダッラの共犯か…オレ、悔しまぎれに木戸をたたき続けました。何度も足で蹴りました。近所の住人に、うるさい! と怒鳴りつけられるまで…。

 それから数日たった、木曜日の午後のことでした。

 カスバをおりてアルジェ大学前の大通りを下り、真っすぐ海側に向かったところに一本、同じように広い道路が通っていて、その海側に警察署の建物、カスバ側に外為銀行の建物が、向き合った格好で建っていました。両方ともフランス植民地時代に建てられた堅牢な石造りの建造物で、警察署は、威風堂々としたコロニアル様式をそのまま継承し、外為の方は、一階の外壁のみ、大理石にふき替えた、シックなモダン様式のビルになっていました。

 その日、新規販売予定のデモ車を一時輸入車として、特別措置あつかいしてもらう交渉で、外為銀行にいったんです。ちょうど9時半ごろでしたかね、輸出入担当主任に声かけしたあと、頭取室にいこうと、総大理石張りのロビーをエレベーターに向かって歩いているときのことでした。

 オレの前に、白装束の男が一人、たちはだかったんスよ。ギョッとしてみると、カーキのショールで頭部をまとったその顔は、いくら顎鬚に覆われていても、すぐに、アブダッラだ、て分かったんスよ。オレ、カスバですっぽかされて、がかりしてたもんで、見境もなく、いきなり、まくしたててしまったんスよね。

「よ! アブダッラじゃないか! この前は、さんざん探したんだぞ! なんで、黙って、いなくなっちまったんだよ!」

 アブダッラは、顔色一つかえず、オレの手に白い封筒をねじ込むや、主任もろとも両の腕にかかえこんで、ダダダーッと、ロビーの奥までタックルですよ。そのはずみで、三人とも、大理石の床に、踏みつぶされたカエルみたいに、たたきつけられてしまったんスよね。

 
「な、なんだ! 気でも狂ったのか!」

 まるっきり虚を突かれ、オレ、反射的に、アブダッラを突飛ばそうとしたんスけど、そのとき、ですよ、そのとき、白装束のトープの内側に、硬い長い、太い金属のようなものを、隠し持ってるのに、気がついたんスよ。それは、まぎれもなく、自動小銃らしきもの、でした。一瞬、恐ろしい予感がして、ゾゾーッ、としましたね。全身の力が抜けちゃって、起き上がることもできなくて、どうにもなんなくなっちゃったんスよ。でも、口だけは動かせたんでしょうね、気がついたら、こう呟いてました。

「おまえ、まさか、あのイスラミ…」

 いいおわるか終わらないうちに、いきなりドドドーッ、ズドズドズド、バリバリバ、ギューン、キューン…火薬の爆発音や破裂音の混じった、耳をつんざく轟音で体中がフリーズ、なにがどうなってるのか、なにがなんだか、わかんなくなっちゃったんスよ。

 手足がわなわな震えて、どうしようもなかったけれど、なんとか床に伏せたまま、おそるおそる、周りをみたんですけど、銀行の目の前の、警察署の石壁が、銃撃を受けて、ピョン、ピョン、ピシッ、ピシッ、と鋭い音をたて、壁面から煙を挙げていました。砕けた石のかけらが、そこら中に飛びちって、ブルーの警察官が何人か、血みどろで、倒れてました。武装集団におそわれたんスよね。

 急襲されて警察も、痛手を負いながら、ようやく、負けじと応戦し始めたらしくて、銀行の側にも、銃弾が、ピュン、ピュン、ピュン、と打ち込まれてくるんスよね。入口の扉、窓、いたるところのガラスが割れ、壁や石がえぐられ、細かい破片が宙を舞い、館内いっぱいに煙が漂ってました。主任とオレは、アブダッラが引き倒してくれたおかげで、流れ弾に当たらず、助かったんスけど、そこここに、血みどろになった行員が、おおぜい、倒れてました。呻いてました。助けを呼んで、這えずってるものもいました。まさに、地獄絵図でしたね。気がついたらオレも、下半身がべとべとになってたんスよ。あぁ、オレも撃たれたか、これで、最後なんだ…なんておもっちゃって、絶望しかけたんスけど、ホントは、もらしちゃってたんスよね、いまだから、笑っていえることですけど。
 
 ふと気がついたら、銃撃戦が収まっていて、爆音も聞こえなくなってたので、急にアブダッラのことが、心配になってきたんです。ひょっとしたら、最悪、撃たれて、ヤバイことになってるんじゃないか、っておもって、床を這えずりまわって、そこら一帯、探したんスけど、瓦礫や、破損物や、ガラスの破片で、体中、ケガするばっかりで、痛くて、辛くて、どうしようもなかったんスけど、それでも、血でぬるぬるになった手で、血みどろになった死体を、一つまた一つと、たしかめていったんスけど、アブダッラはみつかりませんでした。

 うまく逃げられたんだ、とおもったんスけど、そんなワケないだろ、とも、おもいました。だって、イスラム原理主義者のジハードといえば、外国でもカミカゼていうくらい、死を覚悟の聖戦なんスよね。だから、間違っても、逃げるなんてことには、ならないに決まってる。そうおもいながら、やっとのことで、ひん曲がったステンレスの窓枠をくぐって、外に出たんスけど、そこにも一つ、死体が転がっていて、それも真っ赤に染まった白衣を着てて、それに足をとられて、グラッと前につんのめったんスよ。ドターッ、と頭から、その上に倒れこんじゃって、ヤバイッ、ておもったんスけど、とたんに目に入ったもの、何だったと、おもいます? 首のない胴体っスよ。それと、そのそばに、わざとやったんじゃないかとおもうくらい、無造作に、もぎ取ったばかりの頭部が、転がしてあったんスよ! 

 朱に染まった首の部分から、頸椎と頸動脈がはみ出してて、まだジュクジュクと、血と体液をたらしていました。そして、それが、たった数分前に、オレと担当員をタックルして助けてくれた、顎髭ぼうぼうの、あのアブダッラの首だった、てことも、すぐに分かたんです。しばらく、オレ、アブダッラの遺体の上で、息をのんで、身をガチガチに硬直させて、身動き一つ、できないでいましたね。あのときの、オレの感じたモノ、それは、恐怖とか、衝撃とか、宿命とか、悔悟とか、空前絶後のなんとかとか、なにをいっても、なにも当てはまらない、どんな言葉を使っても言い表せない、伝えきることのできないモノもの、でしたね。

 それでも、オレ、気をとりなおして、なんとか立ち上がろうとしたんスけど、そのとき、ふと、さっきアブラッダが、オレの手の中にねじこんだ、白い封筒のことを、思いだしたんスよ。
 
 いきなりタックルされたので、どこにしまったのか、どっかに捨てちゃったのか、覚えてなかったんスけど、ズボンや上着のポケットや、あちこち探してると、まるで、覚えがなかったんスけど、なぜか、左手首の、袖口の中に、差しこんであるのがみつかったんスよ。すぐさま、くちゃくちゃになった封筒を、べとつく指で開けてみました。なかに便箋が一枚、これも、しわしわになって、入ってました。取り出すと、シワの合間から、丁寧に書かれたアラビア語とフランス語が、スーッと、目に入ってきたんです。まるで、どっかの詩人が書いたみたいに、こう綴ってありました。
 
海に生きる魚にも 母川に帰るものがいる
いわんや、キミもヒトならば 母なる国に帰るがよい
息の途切れるそのまえに 記憶の衰えのあるまえに
 
 なんか、いやっスね、こういうの、って。どういえば、いいんスかね、上から目線で、クサイ、っていうんスかね。でもね、アラビア語とかフランス語で読むと、いちいち、グッとくるんスよね。やっぱ、言葉の、感性の、違いってやつスかね。

 それ読んで、オレ、もう、ポロポロっスよ。はなグシュグシュして、目から大粒の涙がボタボタおちて、便箋、濡れて、グシャグシャになるくらいでした。なんでそんなに泣いちゃったのか、いま考えても、よくわかんないスけど、どっか遠くで、ガラスが割れる音がしても、きな臭い煙の臭いが、ふと鼻先をなでていっても、あの地獄絵図ていうか、瓦礫や硝煙や血染めの白衣や転がった首や、いろんなものが一気に目の前によみがえってきて、ほんとに、身の毛がよだつおもいがして、全身に汗かいて、すくんでしまうんですよね、いまのいまでも、スよ。だから、そんな、ど緊張のさなかに、意味深な、オレのことおもってくれてんだ、みたいな、やさしい言葉かけてくれた気がして、ポロポロ、泣いちゃったんスよね、きっと。
 
 でも、泣いてるわりには、気は冴えてたんスよ。これ書いたの、オヤジだ、って、はっきり、おもったんです。確信したんです。

 オヤジは、自分の生命記憶から、自立しようと、長年、いろいろ、トライしてきたんスけど、オレやオフクロが、頑として居座ったまま、いつまでたっても、アタマのなかから消えてくれないもんだから、いっそ自分の存在記憶から、まるごと抹消してしまおうと、オレに最後通牒、突きつけたんスよね。結局はムダなことなんスけど、イランの革命軍とよりを戻すまぎわに、オレにむけて、いや、自分自身にむけて、宣言したんスよ。

 オレ、便箋の文字をみたとき、はっきり分かりました。ハッジは、字体からして、たしかにオレのオヤジだったことは、はっきりしたんスよ。でも、アジトの引っ越し先に、イランの革命防衛隊を選んじゃったわけだから、ぎりぎりまで、ひょっとして、と期待していた親子対面の幻想は、血と暴力事件のあと、あっさり、萎んでしまったんスよね、オレのなかで。

 だからといって、悲しいわけでもなかったし、残念だな、なんて失望することもなかったスよ。あの、まやかしの、邪悪なハッジは、単なる反社集団の一兵卒にすぎず、食い扶持と上納金稼ぎのために、クンクン、鼻効かせて、世界中のあちこちを、ウロつきまわる、孤独な老いぼれ組員の成れの果て、みたいな存在なんだってことが、この胸の奥の、ここんとこに、まさに腑に落ちるっていうか、すーっと、飲み込むことが、できたんスよね。
 
 さて、ながいハナシになりましたけど、オレのオヤジ探しの一件は、これでお終い、ということで、ホント、つまらないハナシを聞いていただいて、ありがとうございました。せっかくの眠り薬が、眠気覚ましになったりして、もうしわけ、なかったスよね。すみません。でも、ほら、キンキン、キラキラ、っスよ、夜明けの星たちが。やっと、おもいっきりの晴天が、やってきましたね。あしたは、下山ですよ! オレたち、助かったんスよね! 助かったんスよ、本当に……。

 え? いつ、日本に、帰ってきたか、ですって? ええ、この十月ですから、ほんの一か月半まえ、てとこですかね。あの、外為銀行前の警察署襲撃事件が皮切りになって、いま、アルジェリアは、テロのさなかにありますよ。連日、イスラム過激派の襲撃が、国土のいたるとこに頻発して、毎日、何千人もの犠牲者が出てます。分からないのは、犠牲者のほとんどが、罪もない、毎日を、ただひたすら、愚直に、正直に、敬虔に、生きているひとたち、なんスよね。すごい矛盾です。いったい、過激派は、何が目的なんでしょうか? まったく理解できませんね。

 え、オフクロのことですか? いま、どうしてるかって? そうスね、オフクロのことも、まったく、理解に苦しむ存在というか、出来事というか、正直いって、わけがわからないっスよ。オレが商社に就職決めたとき、いきなりパリの同僚と、再婚したらしいんスよね。同僚って、つまり、同じ医者仲間で、同じ研究室で働いていた、病理学者らしいんスけど、オレは、会ったこと、ありません。去年でしたかね、写真が一枚とどいたんスけど、すごく可愛いい女の子が写っていて、裏書をみると、キミの妹でマヤていうのよ、よろしくね、なんて書いてあるんスよ。

 よく分かんないです、あの世代のひとは、ホントに…。


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