見出し画像

連還する記憶 ⑤ 

 

連還する記憶 ⑤


連還する記憶 ④では、生命記憶と存在記憶の他に、生命体と同じ時間と空間を共有しない記憶、すなわち、観念記憶について触れました。
 
今回は、その観念記憶について、考察を深めていきましょう。
 
生命記憶と存在記憶との関連で観念記憶を考察するまえに、観念記憶そのものについて、考えてみましょう。
 
観念は、もともとギリシャ語のイデアを指す日本語で、ヒトが、生まれながらに備えている知性を働かせる行為、知的行為の結果として得られる考えです。
 
この、生来の知的行為、いわゆるヒトの知能の働きには、どのようなものがあるのでしょうか? 代表的なものを、いくつか、挙げてみましょう。
 
まず認識です。ヒトが自分の対象を明確に把握する行為です。その結果として得られる成果は知識で、記憶の集積回路に保存されます。
 
保存された知識をもとに、事象や情報の評価、整理、取捨選択、決定など、知識の取り扱いと運用を行うのも、知能の働きです。
 
次に、推理、推論があります。ある事実をもとにして、まだ知られていない事柄をおしはかる行為です。結果として、前提から導き出された事柄、観念などを手にすることができます。
  
また、ヒトの知能の働きには、言葉の運用という作用があります。話す,聴く,読む,書く,聴いた言葉を繰り返す,などなど、母語の言語知識を駆使することで、日常的な言語活動を行うことができます。
 
ヒトの知能の究極の仕事としては、創造という成果が挙げられます。創作発明、あるいは新しい考えの体系化など、それまでなかったものを産み出す働きがあります。
 
これら知的行為の成果に共通していえることは、明確に把握された未来の出来事や考え方であり、実際に起こったことではなく、記憶の集積回路に保存された観念的な知識の集合体、という事実です。
 
ただ、自然科学の研究において、知能の働きの一つ、推論によって導き出された仮説が、画期的な大発見につながることが、よくあります。
 
仮説は、実証されるまでは空論にすぎませんが、実証されると厳正な事実となり、定理となる場合もあります。ただ、実証されても、それを事実と認知せず、それどころか、空論として解釈させる対立概念を導き出すことができてしまうのも、知的行為がもつ能力の一つです。
 
いまだガリレオを嘘つきといい、ダーウィンの進化論を否定する知的行為も、観念の世界では可能です。このように、もし観念記憶が、自然科学の実証記憶やヒトの血肉と連還する生命記憶と没交渉であるかぎり、閉ざされた集積回路の内側だけで完結する記憶の集合体にすぎなくなってしまいます。
 
 
<閉ざされた集積回路内で完結する観念記憶>
 
人工知能を例にとってみましょう。
 
人工知能とは、適切で実現可能な手続き(アルゴリズム)と、豊富なデータ(事前情報や知識)を準備することで、これまで人間にしかできなかった知的な行為を、あたかもヒトが知能を働かせているように、機械を働かして成果を得るために開発された、人口の知能体系です。
 
この機械的な知能体系の核はメモリー、すなわち記憶です。記憶装置を備えた機械に、情報、知識、言語、運用方法などを入力し、記憶させ、それを演算させることにより、機械は、解を引き出し、結果を提示し、成果として記憶の集積回路に記憶を保存し、新たな入力情報としてフィードバックすることができます。
 
この入力・演算・集積・保存・フィードバックの繰り返しにより、人工知能はより大きく、より緻密に、より速く演算できるように進化しますが、観念記憶の演算集積回路内で完結する電源依存の知能体系にすぎないので、生命体であるヒトからみれば、不安定で脆弱である反面、危険な装置でもあります。なぜなら、身体や心の痛みを記憶することができないからです。 
 
電源をきってしまえば動かなくなるので、根本的に脆弱な体系なのですが、予断をゆるさないのは、その危険性です。
 
たとえば、閉ざされた集積回路内で完結する観念記憶が、反生命体の観念論で展開されるとしたら、その悲劇的な結末は、想像にかたくないでしょう。まさに、ターミネーターIIが示唆する人類破滅の世界に突き進んでしまう恐れがあるからです。
  
それは人工知能固有の危険性であって、ヒトの知能にかぎってそのようなことはあり得ない、という考えもあるでしょう。
 
しかし、ヒトの知能にも、それに勝るとも劣らない脆弱性、潜在的で致命的な危険性が存在しているのです。
 
<開かれた集積回路で進化する観念記憶>
 
ヒトの知能は、生命記憶、存在記憶、観念記憶の連還回路で、三つの記憶がたえず疎通しあう、常に開かれ進化する知能体系を形成しています。
 
ところが、開かれた集積回路で進化するはずの観念記憶が、一瞬のうちに、閉ざされた集積回路内で完結する観念記憶に様変わりすることがあります。生命体と同じ時間と空間を共有しない記憶に変質してしまうのです。
 
なぜか?
 
観念記憶の集積回路を開く、閉じる、のどちらかを選択し決定するのは、知能体系を運用する主体である当の生命体、あなた、だからです。
 
もしあなたが、世の中の悪を正し、公平で正しい社会を招来するため、悪の根源である伝統的な差別社会を破壊するため、あなたの考える革命の遂行を選択し、なにを置いてもその成功に突き進まなければならないと決めた場合、あなたの考えは、生命と存在の記憶と没交渉とならざるをえず、観念記憶の閉鎖回路は、革命成就の観念のみに収束し、完結します。
 
そして、あなたは、あなたの革命という観念にそぐわないあらゆるひと、もの、すべてを破壊し抹殺することに、なんの疑問も抱かなくなります。なぜなら、生きようとする生命体の叫びも、生命体を護ろうとする存在記憶の警告も、生命体と没交渉のあなたに、聞こえるはずがないからです。こうして、あなたは、なんのためらいもなく、後悔もなく、恐怖もなく、ひとを、ものを、破壊し抹殺してしまうことになります。
 
観念は諸刃の刃です。ひとを援けると同時に殺しもします。その選択は、観念を造り出すヒト、あなたの知能そのものに、委ねられているのです。
 
あなたの観念記憶は、あなたの心や体と没交渉の、閉鎖回路でしょうか? それとも、心と体と常にインタラクティヴに連還する開かれた回路でしょうか?
 
今一度、あなたの観念記憶の集積回路を、見直してみてはいかがでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?