ワクチンの自己責任に関して考察

 ※私は専門家でもないが個人的に今思うことを書いた、何らかの結論を導けるような価値はありません。

 コロナワクチン接種を任意で希望する者のみワクチンを接種する方法を、今回とったものの、ワクチン被害を自己責任とすることが難しいと思われる個別な理由をまずは、以下7つ挙げてみた。
 ・過度な期待効果(ベネフィット)のみに偏った情報が過剰に喧伝された
 ・不十分なリスク説明と個人リスクの過小な評価と過小な情報周知
 ・インフォームドコンセントの不在(接種ありきでの画一的な説明など)
 ・国民に不透明で国民(接種者)に不利なワクチンメーカーと政府の契約
 ・ワクチンメーカーは自社に不利な情報を開示する意欲に乏しい、恐らくワクチンメーカーに免責特権が与えられ、政府によって保護されている、よって接種を判断する国民ならびに接種した国民は極めて不利である
 ・素人がワクチンの内容(中身)や仕組みを理解して、個人の責任において接種の可否を正確に判断するのは難しい、それを政府は予見できる
 ・素人がワクチンのリスク(危険、害)とベネフィット(利益)を、個人の責任において接種の可否を正確に判断するのは難しい、それを政府は予見できる

 ワクチンの接種における、個人と社会のリスクとベネフィットは違う、また、ワクチンによる被害を最小限に抑えようとすることと、ワクチン被害を無視することとは違う。
 個人のワクチン接種によるリスクは最悪ワクチンで死ぬこと、死んでしまえば個人にベネフィットは無い、その最悪の場合「死因がワクチンであっても、仮にコロナに感染発症しても死んだ」と無理やりに因果を捻じ曲げて、納得するほかないのかもしれない・・・。
 ワクチン被害を是認するにしても、リスクすなわちワクチン被害を最小限に抑えなければならない、そのためにも科学技術者、医学者、有識者などの労力や社会資源が、資本主義市場経済の枠を超えてでも、大いに用いられることを願う。
 社会全体が危機であるとの政府の状況判断により、ワクチンが特例承認され、社会的な側面(思いやりワクチンなど)を謳いながら、ワクチン接種が政府により強力に推奨されて急行した、また、政府広報やテレビ・新聞などの主要マスメディアなどに領導されて、社会全体に強弱を伴う多種多様な「ワクチン接種圧力」なるものが醸成された。
 感染症は人間が集団で生きる上で宿命のリスクである、また「自分の物質(自分の身体)と自分と異なる物質すなわちウイルス」の別は、人間の創造した概念上の認識であり、この世の理かつ世界の常態と身体の有機的な結合による永続物質現象が感染症の根本原因である。
 人間が集団で生きる限り、多数の人間が広範囲およそ世界規模の経済的(モノ・サービスの交換)な繋がりを利用して生きる限り、現状社会の仕組みにも感染症の根本原因からも、感染症は、もはや個人の自由な裁量で対処できる範囲と規模を絶している。
 政府が主導して社会全体の課題として、コロナ感染症に対して大々的な対処をしました、この社会全体的問題(感染症問題)への社会全体的対応(感染症対策・ワクチン接種推進)の結果として生じた「個人のワクチン被害を、個人の自己責任に帰する」というのは難しい。
 ワクチン被害は起こりえます、ワクチン被害は社会全体で負担するべきリスクであり、差別や分断を醸成する議論に終始するのではなく、政府が被害の全容を迅速に明らかにした上、ワクチンによって痛めつけられた市民に対して、寄り添いと思いやりを伴う支援や救済を行うことによって、社会全体の責任として、ワクチン被害が社会に包摂されることを希求します。

 ※私は専門家でもないが個人的に今思うことを書いた、何らかの結論を導けるような価値はありません。