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「自然」とはなにかという永遠の問い

こんばんは。

_____にまつわるエトセトラ 共同代表の三宅です。

先日、焚き火を囲みながらいろんな話をしていました。

教育のことやスポーツのこと、そして自然のことなど。

“自然”については以前にも記事を書いていますが、やはり大きいテーマなものでなかなか一度で終えられるものではありません。

繰り返し、その時々で思うことが違ってもいいので考えていくことが大切なように思います。

今回考えたのは“自然”とはなにかということについて。

前回の記事の続きでもありますが、ぜひみなさんも考えてみてください。

人間は自然の一部か

人の手の加わっていない”自然”を一度壊してしまったとしても、人の手が加わった以上は人が管理すべきもの。管理し、動植物が喜ぶ状態を作ってあげることで”新たな自然”へと生まれ変われる

前回の記事はこのような考えに至ったわけですが、ここでひとつの疑問が浮かびました。

「そもそも人間は自然の一部だと言えるのだろうか」

僕の考えとしては「自然の一部である」と思うのですが、いま読んでくれているあなたはどう思うでしょうか。


ちなみになぜこの疑問が浮かんできたかというと、人間は自然を壊すようなこともしているし、守ろうともする。それって自然の中では一体どういう存在なんだろう。と考えたからです。

ちなみに他の生き物で考えてみると、例えば鹿は草木の新芽を好んで食べ、場合によってはその草木は枯れてしまうこともあります。これが人間が植えたものだと“獣害”となり、鹿は“害獣”とみなされるわけです。

しかし、鹿のこの行為は生きていくために必要な“食事”であり、食物連鎖の中の一部で起きていることです。これは結局は植物を枯らしてしまう行為であっても“自然”なことだと感じる人が多いのではないでしょうか。

このことを人間に置き換えて考えてみるとどうでしょうか。野山に生えている野草を摘んできて食卓へと並べる。これも食物連鎖の一部。つまり自然な行為だと思うのです。

しかし、鹿の場合はお腹が満たされればそれ以上食べるようなことはありませんが、人間はお腹が満たされても収穫を続ける場合があります。それは明日のためであったり、何かと交換するためであったり。そして時には採りすぎることによりその一帯からある種の植物が消えてしまう場合があります。ではこれを自然な行為だと感じるでしょうか。

(ここで問いかけているのは「どう感じるか」の問題なので、正解はどこにもありません。自分がどう感じるか、ただそのことに集中してみるのが良いと思います)

このように、ときに人間の行き過ぎた行為により自然界では取り返しのつかないことが起こります。そのような事実を踏まえたとしても、人間は自然の一部だと言えるのかどうか。

どう感じるかは人それぞれですが、人間は何をしようと自然の一部であることからは逃れられないと思うのです。いくら科学技術を発展させようと、暮らしを便利にさせようと、そもそも僕たち人間は地球に住んでいるわけで、その暮らしは自然の影響を必ず受けています。そして生きていれば遅かれ早かれ死ぬわけで、死ねばやがて身体は分解されていきます。そういう循環の中に僕たちは生きていることに変わりはないはずなのです。

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すべては循環の中の出来事であり、人間の行為は自然を通じてやがて戻ってくる。そう考えると、僕たちが自然を守ることは当然あるべき行動だと思うのです。

ただ、“自然を守る”というと何か大きなことをしないといけない、そもそも何から守ればいいのかよくわからない、めんどくさい、などなどいろんな要因で行動しにくくもあるように感じています。


僕たちが自然を守ることは当然である。

そういう考えにたどり着いたと同時に、どうすれば“自然を守る”ということを楽しみながらできるだろうかとも思い至りました。

自然とはなにか。

自然に対して僕たちはどう振る舞うべきか。

これらは僕たち_____にまつわるエトセトラにとっての永遠のテーマです。

もちろんこれからも考え続けますので、良ければまたみなさんの考えも教えてください。


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

雨の続くこの季節。良く根をはる時間へとできますように。


 ーCreditー 

文章・写真 / 三宅康太

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