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”自然”と向き合う。

こんばんは。

_____にまつわるエトセトラ 共同代表の三宅です。

今日は岡山も雨な一日。西日本は特に大雨ですね。

大雨の被害がなるべく出ないよう祈るばかりです。


さてそんな今日は”自然”と向き合う時間です。


”自然”へのイメージ

そもそも皆さんは、”自然”をどのように捉えているでしょうか。

山だったり海だったり、あるいは雷や大雨のような現象についても”自然”だと感じるでしょうか。


試しに国語辞書で調べてみました。

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どうやら人の手が加わってないものを”自然”というようです。

では、人の手の加わった山は”自然”ではないのか?

自然ではないならば、それをなんと呼べばいいのか?

そんな疑問が湧いてきます。


実際に僕が住んでいる山は棚田がおよそ1000年前から存在しているような地域で、人の手の加わっていない自然はおそらくとっくの昔になくなってしまっているでしょう。

しかし人の手により作られた棚田は、水辺の生物も含めて本当にたくさんの動植物にとっても心地のいい場所で、おそらく棚田を訪れる方は「美しい自然だ」と感じることでしょう。

人の手が加わっているにもかかわらず、です。


ここから考えたことは「人は生き生きとした動植物に触れたときに”自然”を感じるのではないか」ということです。

実際に、WONDER TREKで体験していただくフィールドは人の手の加わった自然です。

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かつて植林された場所だったり、遊歩道や水路が残る場所だったりします。

ですが、実際に参加されたお客さまはその環境を十分に楽しみ、リフレッシュして帰られる方が多いです。

それはやはり、自然のもつパワーに触れることで感じる何かがあるからでしょう。


ではそれでは、人の手の加わった自然であっても、”自然”だと言い切ることができるのでしょうか。


これに対して僕が個人的に思うのは「自然ということもできる。ただし一度手を加えたからには、その自然が美しくあり続けるための努力が必要」だということです。

つまり、草刈りや間伐など、何かしらの手入れをしないと生物の多様性も保たれないのです。


実際に棚田がそうです。


例えば耕作放棄地として何年も使われていないような棚田と、丁寧に仕事をしている田んぼとでは、そこに来る生き物の量が桁違いです。

辞書的な意味の”自然”を一度壊してしまったとしても、人の手が加わった以上は人が管理すべきもの。管理し、動植物が喜ぶ状態を作ってあげることで”新たな自然”へと生まれ変われるはずなのです。



僕たちは現在「山にまつわるエトセトラ」という企画をスタートさせています。

山を舞台に”豊さ”について触れてみたいなというこの企画。

山のおかげさまで成り立っています。


しかしそれは、山がなければ企画倒れでもあるということ。

だからこそ、エトセトラの取り組みの一環として、里山の再生を進めていきたいと今密かに計画中です。


自然に助けてもらっているから、人間が手を加えた自然をより良い状態へと手入れをしておく。


そのような自然との関係性を持つことができれば、また新たな発見もありそうです。




ひとまず今日はこの所まで。

”自然”は大きなテーマですので、また別途お話しできればと思います。



今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

どうぞみなさんも、”自然”について思いを巡らせてみてください。


 ーCreditー 

文章・写真 / 三宅康太

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