世間では猫の日だけれども、こういう人間も居るんやで。
ネットで流れてくる人様の小さき生き物たちの画像で生きながらえてる。
私は病気の人で、現在も闘病中で、小さき生き物を買う資格がない人間だと思ってるので、飼わないし飼えない。
かわりにネットで健やかにご主人の下で暮らす小さき生き物たちの写真をひたすらいいねして可愛い所だけ甘受させて頂いております。写真や画像を上げてくれるご主人様方有難う!
お宅様の可愛い、愛しい小さき生き物たちに日々癒されてるしがない一般人です。
昨今はペットショップの飼育環境問題の他、昔からある保健所からのお譲り、多頭飼育崩壊からの保護など小さき生き物たちを取り巻く環境やお譲りをめぐる問題もニュースになる事が多いように感じられて、そういうニュースが流れるたびに「何だかなぁ…」とやるせない気分と気持ちになる。
夢だけみるなら、何時かは保健所が保護施設から小さき生き物をお迎え出来ないかな…と言うだけはただなのでここに記載しておけるけど、実際に飼うか飼わないかという選択を迫られたら相当悩むことだろう。
私は上にも描いたように病気で闘病中の人間。
だから小さき生き物たちを飼いません。飼えません。
何か非常事態が起こった時に、自分よりも小さき生き物たちを優先して第一に考えて行動できるか大変怪しいから。勿論、それにはお金だって必要だから、日々の生活が自分自身で金銭も含めいっぱいいっぱいな状態では、小さき生き物たちを飼う資格が今の私には欠如しているな…と。
よく小さき生き物を買うならば最低でも年間で三桁はお金が飛ぶと考えた方がいい、とも聞くので金銭の余裕と物理的に掛けられる時間を愛情以外の部分でも認識して覚悟した方がいいと思ってる。
勿論、こういう考え方は個人差あるので、そういう難しいことが考えないようにしてるよって方もいるかもしれない。ただ、私には無理だったというだけで。
友人たちからアニマルセラピーの点からも飼ってみたらいいのでは?と言われる事も多いが、上記理由で私は何時も言葉を濁す。
友人と同居をしていた頃は友人の飼い猫二匹と一緒の生活をしており、まだコロナ前の出社が普通だった友人の帰宅が遅い時分には代わりにご飯をあげたり、トイレのお世話を代行する事も多いかったが、それはそれ、これはこれ。
小さき生き物たちがいる生活をそんな理由で疑似体験させてもらう有難い経験もしたが、やはり「自分が飼う」となると責任感の重さに思いとどめられる。同居の際に猫の入る生活を疑似体験していても、基本的な責任は同居人にあり可愛らしく愛らしい美味しい部分をつまみ食いさせて貰っていたに過ぎないから。
にゃんにゃんにゃんの日、2月22日。
猫にあふれるネットでありがたいと画像をいいねしながら、そんなことをつれづれ思ったり。
世の小さき生き物全てに幸あれ。