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排卵日調べない40歳妊活記#32 「手放して運勢UP」の正体

よく手放したらいいよとか
手放すと入ってくるよとか言うと思います。

算命学にも断捨離の時期、即ち宿命に合わないモノを捨てる時期というのがあります。

そんなタイミングの人や
そもそも色々持ちすぎてしまっている現代でもあるので
ぼくもそんなアドバイスをすることが多いわけなんですけども。

ということで今日はわたくし夫がひとつ記事を書きたいと思います。

手放すということ

この「手放す」ってこと
なかなか実践するのは難しく
大変なことであって
結局、実際にはどう置き換えて実践するの?
なんかそのへんを書いていってみようと思います。

本人が「コレ手放したわ!」
って言ってるのもなんか怪しいっていうか
胡散臭いしね笑
なんかその時点で手放せてない感が満載ですよね。

算命学を構成するもの

我々が勉強して、それに準じてきたら子どもも出来ちゃったし
なんか人生どんどん好転している算命学という学問。

五行陰陽説というものから成り立っています。
五行というのは木火土金水の5つの要素で世界は成り立っているという定義。
そして陰陽というのは、すべての物事に陰陽すなわち表と裏があるよねという考え方。自然の摂理というか法則かなと思います。

五行ってのは、そうですね。
その昔の頭の良い人がそう定義したんだろうなと思われます。
発祥は中国だから中国人なのか。
あ、でも巨大な中国が漫画のキングダムの少し前、何百個も国があった頃の話だから、人種もめっちゃ入り乱れていたでしょう。
当時、その何百の国は常に戦争していて負けたら殺されるか奴隷決定。
だから小さな国は大きな国に負けないようにどうするかって必死で考えているような時代。
身分の低い人はチャンスだったんですね。
各国が負けないように必死だから、能力さえあればどこかで登用される可能性が出てきた。結果、この時代に、後に語り継がれる人材があらゆる分野でめちゃめちゃ出てきています。
(孔子やら孟子やらなんやら諸子百家と言われる)

算命学もそんな時代に出来た学問で、五行って概念は、当然生きてて感じることだったりみんながそう思っていたかもしれないけど、最後、この5つで考えます。とその創始者が決めたものかなと思います。

ちょうど西洋にも似たようなものがあり、西洋占星術やタロットの基礎になるものなんですけどこっちは4種類です。水火土風かな。風の時代に入ったなんて言われますね。
なのでここはある意味定義の問題だと思うので、どっち信じるって感じの話じゃないかなと。

ところが陰陽論ってのは、これはなんか宇宙的な法則な気がするんです。
普遍的で絶対ぽくないですか。
すべてに表と裏があるって。
陰と陽があるって。
誰もがそうだろうと思う。法則ではないでしょうか。

陰陽論で「手放す」を考える

で、ぼくは手放すってのも陰陽で考えないと手放せないと思っているんです。
そう考えると「手放す」はやっぱり陰ですかね。
では陽はなんでしょう?

こだわる!

じゃないでしょうか。
陽である「こだわる」があっての「手放す」だと思うんです。
持つから捨てれるわけですよね。

なんか手放せてないなーって人は、
なんかこだわりきれていないんですよね。
もっとこだわって努力して変態扱いされて傷ついてぐらいこだわって
手放すといいんじゃないかなと思うんですよ。

例えば、ぼくは最初から斜に構えてる奴は昔からけっこう嫌いで。
お前ええ年して中学生かよ!みたいなね。
「どうせ無駄じゃん」とか
「人は人だから」とか
なんかクールぶってる感じ?
まず熱くやりきってもない奴が何言うてんねん!と思っていました。

この正体は、「こだわって」いないのに「手放して」いる感じに違和感を感じていたんだと思います。
それは陰陽論的に成立しないんですね。
なので「手放してる」という綺麗な感じではなく
「諦めている」のだと思います。
一瞬見た目は変わらないのだけど、ここには大きな違いがあります。
中学生の頃ならまだしも、大人になったら見抜けるようになりたいものです。

「こだわる」時点でめちゃくちゃエネルギー使いますからね本来。
そしてそこまでこだわったってことは、「手放す」は物理的なエネルギーはそうかからないんですけど、めっちゃ難しくて、辛いものになります。
とても愛した恋人と別れるわけですからね。
簡単に別れられるわけがないんです。

ぼくが手放したこと

私たち夫婦もこの数年たくさんのことを手放してきました。
(自分で言うのは胡散臭いと言ってるのに笑)

一番は
サラリーマンを辞めたということかと思います。
その中には沢山の固定概念の手放しがありました。

男社会
親分と子分みたいな関係性
ヒエラルキーな社会
上司の言うことは絶対
上司に認められるために生きること
上司の上司に認められるために生きること
社会で生きるならこうあるべきという考え方

ぼくは1社目からベンチャー企業ばっかりに勤めているし
こういうことが、少ない方の環境で、自分も自由にやってるつもりでした。

でも、小さな頃から野球部で、親父が絶対的という家庭に育ち
みんなに認められるために受験して、そこそこの大学に入り
みたいな人生を歩んできたぼくの中には、
しっかりとこのような固定概念がこびり付いていたんですよね。

この考え方が悪いって言っているわけではないんです。
ある意味すごく好きでした。
そういう組織、そういう団結とか絆とか。
大いに利用もしてきたと思います。

そう、かなりこだわってきました。
男社会で、組織という場所で、メンバーとどう向き合うのか
どうやったら魅力的な上司になれるのか
朝まで飲んで説得したり
傷つけて傷つけられて
人間同士の裸のぶつかり合いをやって
本音を言い合って喧々諤々いい組織つくるには!
ってこだわってきました。

そしたらコレなにか自然に手放す時が来ました。
その際には沢山の人に迷惑もかけました。
でも嘘がつけなくなってくるというか
無理なんですよね。。
心の声を聴くしかありません。
奥底の自分くんの声に従うしかありません。

恐怖VS心の声

これも書くのは簡単。やるのは激ムズです。
手放すのって怖すぎるんです。
最後恐怖との闘い。
奥底の自分くんはこっち行きたいってもう決まってる。
自分もそれに気づいちゃってる。
でも怖い。
そんなときに算命学も背中を押してくれたし
何より妻が背中を押してくれました。

恐怖の正体って
目に見えているものを失う怖さです。
持っているものを失う怖さです。
今の収入がなくなる。
この人間関係がなくなる。
(大したもん持ってるわけでもないのに)
(そして本当はなくならなかったりする)

ぼく達夫婦は、そこは決めていた気がするんですよね。
目に見えているものより、自分らしく生きられているか。
まさにそれを学ぶ算命学に支えられながら。
固定概念というものに左右される人生ではなく、
人の人生を生きるのではなく、
自分の人生を生きる。

なかなか、そう生きるのは簡単ではないので、
二人で背中を押したり
というかほぼ僕が押してもらい、引き上げてもらい
こうだよねと確認しながら、というか喧嘩しながら

少しずつ良い方向に回転してきている、
そういう選択に慣れてきたなーと
実感する最近です。

自分を生きて、オモロく生きよう

特に、こんな先の見えない正解のわからない時代にもなってきました。
風の時代っていうんですか?風邪の時代ちゃうの?

多くの人が縛られている
世間でこうあるべきとか、親がこう言っていた、友人がこう言った
会社が、上司が、部下が、配偶者が、子供が、、、、
これ全部他人です。
まずこれを手放して、自分を生きるということになればいいなー。

だって自分を生きてる人はオモロイですからね!
正解はないんだからオモロく生きましょう!
自分もオモロく生きる先輩たちを参考にしつつも
それに囚われず自分らしくやっていきます。

ではたまにまた書きます。

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