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帝王切開8泊9日の入院生活と術後回復への道のり

帝王切開って術後が大変でした。
8日の入院なんてあり得ないって思ってたけど、結論必要だったと思います。

何にもできない3日間

とにかく、術後3日ってほぼ何もできないんですよ。
当然自分のことも出来なくて、お世話してもらうレベルです。
だから、私のいた病院は赤ちゃんとの同室も4日目からです。
(病院によります。帝王切開でもすぐに母子同室のところもあるみたいです)

オペ直後の麻酔が切れる前は、、こんな悲惨な事が待ってるなんて知らないから、早く赤ちゃんに会いたい、私は母子同室を当日から希望したい!
なんて言ったけど、却下されて少し腹が立っていたんです。

でも、オペ後麻酔が切れて悟りました。
無理だ!

ベッドでオシッコの管をつけられて、足にはマッサージ器がついてて、お腹は激痛で座薬をいれてもあちこちが痛い。
もうね、赤ちゃんが20分だけ面会に来てくれたんですけど、抱くこともできなかった。お腹に力が入らず、抱くことなんて不可能だったんですよ。

母子同室不可の理由を悟るのでした。

次の日
管を抜いてマッサージ器がとれて、歩行訓練があったけど、全然動けなくて、ベッドから起き上がる事すらできない。

ようやく自力で起き上がれる

自力でベッドから起き上がる事がスムーズになったのは入院5日目です。

勿論退院してからもしばらくは、両腕で支えながら、右なり左なりに傾けてからでないと起き上がれないし、寝る時だって、お尻を床につけて、背中をつけて、頭をつけて、と段取りをとらないと以前の様にさくっと仰向けにはなれないのです。

入院6日目
私はやっと、これなら退院してもなんとかやっていけるなと感じたんですね。

歩行もゆっくりだけどある程度まともにできる、シャワーもトイレも時間はかかるけど出来る様になり。
貧血も頭痛もかなり少なくなっていきました。

知らなかった後陣痛

びっくりするほど痛いのが後陣痛。
オペが終わって直後なんて麻酔が効いてるのになんか、めちゃくちゃ腰と下腹部が痛い。
これなんですか?と聞いたら、後陣痛です。との事。

もう来るの?
ってほど速い。

もっと言うと、オペ中赤ちゃんを取り出し終えて、胎盤を出したりしてる処置中から謎の腰痛がおきていて、お腹を閉じ終えたら下腹部に違和感と痛みがあり、当然傷の痛みかと思ってたら、まだ麻酔がきいてるから、今感じてるのは後陣痛ですと言われてびっくり!

とにかく、かなり痛かったです。

そして、その後麻酔が切れて傷との痛みとの戦い。ここから3日子宮収縮のための点滴をするんですが、この時はめちゃくちゃお腹が痛くなります。
結局、退院する日の朝も座薬がないとお腹も傷も痛いし、頭痛もまだ0にならないくらいに続くものでした。

入院中の食事について

そんな事で毎日の薬漬けと出産の疲労で入院中、食欲なんて全然なくて、でも毎日豪華な食事と3時のおやつがある。

私はこんなフレンチの様な、シャレオツな食事よりお粥と梅干しと昆布でいい。いや、むしろそれが良いってずっと思ってました。

朝はオシャレなパンと牛乳ベースのグラノーラとthe洋食って感じ。
ランチもコテコテのカロリー高めのもの。
夜もなかなかな豪華ディナーでした。

味もよくて、この病院が人気なわけもわかる気がしました。
ホームページには食事にこだわり有名シェフがお食事をお作りしますと書いてます。

でも、私はヘルシーな和食で、砂糖などを使わず肉も使わない食事を求めていました。母乳にとって、肉とパンも砂糖はあまり良くないと思っていたから。

とうとう我慢出来なくなり、夫に納豆やらキムチやらお粥やら野菜スープやら味噌汁を運んでもらう様になりました。
退院を急ぎたい理由が一番は食事でした。
この時ばかりは、美味しくて豪華な食事より、体を思った、母乳のための食事を摂りたかったのです。

そして何より、入院が8泊9日ともなると一人で食事を20回以上するわけですね。なかなか味気なかったです。

早く家族でご飯を食べたかったし、夫や猫のゼンに会いたくて会いたくて、その存在がとても尊いと感じました。
凄く寂しかったですね。
家族と毎日過ごせることや食事ができる事が当たり前じゃないと痛感し、感謝の気持ちが込み上げてきました。

ついに退院、子育て楽しむぞー!

いざ、退院の日は支払いの手続きを終えたあとにステキなお部屋で夫と二人でお祝い膳をいただきました。
シェフが出てきて、お料理の説明をしてくれたりして、何かこういうの久々!と心が踊りましたが、身体が油物を受け付けなくて、食べてる途中からお手洗いへ直行。

味はとても美味しかったのですが、身体がついてこなかった感じでした。
でも、とてもとてもありがたく、素敵な思い出になりました。

さあ、この日から夫と二人での子育てがスタート!
ここから20年頑張るぞ!と帰りの車で覚悟をしたのでした。

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