「草原の実験」雄大な自然の中で繰り返される生活と、

広大な草原に、男と少女が暮らしている。井戸から水を組み、弁当はパンに具を挟んだのを布で包む。男とトラックで家を出て岐路で下ろされると、こんどは幼なじみが馬で少女を迎えにくる。その繰り返しの生活に、ある時、一人の青年が訪れて少女の写真を一枚撮った。

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薄青い地面に白い羽毛。辿るようにゆっくりと上になぞっていくと、その先には椅子がある。そんな冒頭から話は始まる。この時点で好みの雰囲気だったけれど、それから先も雄大な自然を画面いっぱいに撮り、人を物を小さく撮る構図に、スクリーンで観ていたらどれだけ凄かったろうと思わされた。

夕陽が地平線に沈みゆくまでをじっ、と撮り続ける。夜中に再訪した青年が、真っ暗な中、ライターかマッチかの火を、何度も何度もつけては消えてを繰り返し、遠ざかっていく灯とか。枯れた地面に水が流れて、木が吸い上げて潤うさまとか。

その中での、少女を主軸にした生活の様子。

いかんせん表情が硬いので、どういう経緯で男と二人暮らしているのか訝しがりながらみていた。例えば、男の足を水で洗うシーンとか。甲斐甲斐しさは文化的なもの?それとも囚われ故?と。

これに関しては、それからわりと早く、疲れて眠ってしまった父親の装飾を外してやって、壁につく頭が痛くないよう間にクッションを挟んで、暗がりに鮮やかな紅赤の毛布をかけてやるシーンになったので、ここで、二人の仲は悪くないのだなと思った。少女が生活に満足していたかは別として。

しかしこの男、何者なのかと随所で困惑する。言葉で説明されないのでおそらく父。以下、多分にネタバレを含んでいく。

この男、飛行機の操縦がおそらくできて、機械のことに多少なりとも知識がある。何故?ある嵐の夜、何人もの人間がやってきて探知機で何かを探すと、男がいつも運転する車から細い箱を探り当てた。これは何?雨の中裸にされてさらに調べられる男。そこで処分はされなかったが、それからすぐに、男が草原に似合わないスーツを着込み、娘がネクタイを閉めた。そうして木の下のベット?椅子?に2人座って、娘が席を離れたとき。男が陽に向かって頭を下げるように俯いて、娘が戻ると死んでいた。

この死は何だったのだろう。わざわざスーツに着替えたのは、死を意識したのだろう。そうすると、自死なのか?映像からは血が見えなかったので、毒を煽ったのだろうか。

しかし何故?

男の車がいく方に、少女が初めて歩いたとき、その先は鉄線に覆われていた。でも男は向かっていた。だから、男はその先の関係者で、職場?から箱を盗み出したのだろうか。なんのために。売り捌く?実験の妨害?すると、その死は実験の妨害ができなかった、この先の破滅を太陽に頭を下げたということか?

映画の後半。娘と青年があやとりを繰り返し繰り返し、というところが好きだった。

ここでのあやとりは、この映画冒頭からこの時点までで繰り返されてきた生活、少女の日常を、これから二人で繰り返す比喩だと思う。そうなるはずだったもの。

そしてこの後、地平線からゆっくり陽がのぼぼるのだか、ある地点まで行くと、今出たはずの陽が沈んでしまう。ここは太陽が昇る価値のない世界と見限ったのか、それとも、太陽すら人は操れてしまうという比喩なのか。想像がいくらでも働かせられる。

今年みた映画のうちでとても印象に残ったものだった。


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