忠臣蔵 花の巻・雪の巻/殿の無念と47人の敵討ちと

忠臣蔵 花の巻 雪の巻(1954年)

一枚のディスクで見られる。
花の巻では浅野のいたぶられる様から殿中での抜刀まで。雪の巻では赤穂浪士たちが潜伏し生活して討ち入りを果たすまで。

素晴らしかった!
吉良と浅野の悪と虐げられる構造の明瞭さ。あからさま過ぎるともいえるけど、物語としての映画のまとまりは頗るいい。加えて、赤穂浪士が47人であるということを意識してのカメラワーク。
中心となる大石内蔵助にポイントを当てつつも、集中しすぎていない。これは最後のシーンで、殿の墓前に本懐を遂げた報告をする47人を、ワンカットにそっくりそのままカメラに収めて終を持ってくるのが顕著な例。あそこで、最後に大石内蔵助の泣き顔を顔をアップにしたりしなかったのがこの映画の良いといえるものが詰まっていたかと思う。

仔細で見ていけば、花の巻。
吉良は徹底的に悪の側面で描かれる。賄賂を贈らなかった部下の浅野に教えるべきことを教えず、上役に擦り寄り、浅野を田舎侍と大衆の前でわらう。
浅野は同情に値する者として描かれる。清廉こそ吉良のためと世に背いて理想で動き、しくじり、耐え、そして抜刀する。

そんな2人のやりとりを見せられていたから、殿中でのシーンが説得力を持った。使者も到着する間近の殿中で、自分の席を教えてもらえずお役目を果たせないと焦り吉良にすがるも、嫌味でしか返されない浅野が辛い。刀に手をかけるのを耐えていたときは「今だ、切ってしまえ」とつい声をかけたくなった。

討ち入りまでの雪の巻では、大石内蔵助の策略故の遊蕩具合と、それに振り回される浪士とその生活が描かれる。この生活の部分がいい。長い潜伏でもはや金も底を尽きかけ、かつての大役も障子の破れた家に住む。大きいことを言ってもお金は出てきやしない、というようなことを述べる婆様の素朴さ。忠義、という言葉の美しさだけでなく、その側面をも映している。

加えてこちらは印象的なシーンが多かった。特に後半。

今生の別れとなる母子。討ち入る息子の寝床へ訪れた母が、幼子にするように髪をすいてやる。眠るふりがきかず、枕に顔を埋める息子。
不忠者の娘が、好いた男が浪士として去った後、先に泉下へゆく。暗い狭い破れた障子の小屋の壁に、映る影で状況を把握させる。カットを挟んで、倒れ臥す娘。

それに吉良邸での乱闘。
背中合わせの浪士が切りかかってはまた背中をつけてとカットを入れないで見せてくれたから、ならほど背中合わせの良い理由がとてもわかりやすかった。

そこからのラスト、雪に伏す47人の静かさ、白と黒の互いに映えた画面に木々の隙間にひいていくカメラ。世間からの歓迎を書かないでここで終わらせたのが、47人の憤りやらなにやらが、ここで漸く終わったのだなあと感じさせた。

強いて気になったところを挙げるなら、赤穂浪士に結果加担させられた女が、吉良邸で吉良の側に切られたシーン。
吉良への忠義があったのか、男への恨みなのか、男への好意が勝ったのか、もう少し目線なり手振りなりで示して欲しかった。大きく時間を割くのにあまり物語に意味を成していないように見えた。

なにはともあれ頗るの頗るによかった!


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