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学校における学びの価値とは

 全国一斉休校がもたらした教育現場の混乱は察するに余りある。一年の学習の総括をしなければならない大切な時期に突如休業に追い込まれた教師の無念さや卒業間際の子どもたちの気持ちを考えれば胸が痛む。
 パンデミックによって社会はいっそう二極化しつつある。経済活動の停滞は真っ先に低所得者層の雇用や家計所得に打撃を与える一方で、裕福な家庭の子どもたちはいち早くオンラインでの対応を始めた塾や習い事を継続することができた。
このような教育格差を縮小するための手立てとして国がGIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール構想を加速化させるというのは緊急事態のニーズに沿うものだと受け取られるかもしれない。しかし、Society5.0に向けた国家戦略の道具ともなりうる新自由主義的教育政策は、「個別最適化された学び」という喧伝のもとに学習を個人化し、学校という共同体における学びの価値を後景に追いやる危険をはらんでいる。
 勿論、ウィズ・コロナを考えれば通常の対面授業と併用してオンライン授業を導入する意味はある。時間と場所を選ばず自分のペースで課題に取り組める利点は不登校や病床にある子どもたちにとっても大きい。さらに、今後予想される南海トラフ地震や首都直下地震に備えるためにも学校を含む公共施設すべての情報インフラを強化することが急がれる。
 今年度から新学習指導要領が実施される。コロナと共存する時代に「主体的・対話的で深い学び」はいかにあるべきか、アクティブ・ラーニングの可能性についても早急に検討しなければならない。文科省が「学校の授業における学習活動の重点化に係る留意事項等について(通知)」(初等中等教育局教育課程課長、同教科書課長、2020年6月5日)で示した「特例的な対応」としての学習活動の重点化とは、学校が独自に判断しカリキュラムマネジメントで対応することが本旨のはずである。学校における学びの価値や教師にしか出来ないことは何かが問い直されている。

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