制限があることの心地よさ

こんにちは。

笑うアマテラスの典子です。

最近書くということに億劫になっていて、思いっきりモノをかける場所を探している最中。今までとはまた違う感覚で、微妙な違和感を感じながらまだ正解が見当たらない感じ。。。

そんな時また新しい(というか以前に試してみてそのままだった)ラジオアプリを使ってみた。

まだ、ずっと使うかどうかはわからないけれども、一つわかったことがある。選択肢が制限されているということの利点。

それは、声だけでしか、音だけでしか表せない世界。

画像という選択肢がない、という居心地のよさ。

それを実感している。のびのびと声だけに集中できるよさ。その声を聞きやすいように背景音楽を選べる楽しさ。

声に音が重なって、不協和音じゃなくて、共鳴していく居心地のよさ。

そんなことを感じている。


ブログも前はしんどくてもほぼほぼ毎日のように書いていた。

でも、今は特になんだかその場所に違和感を感じて、”やめて”みた。いろんな感情が頭をもたげるけれども、ブログでできる選択肢の多さにしんどさを感じてきたのも事実。

なんかまっさらな、制限がある、文字だけしか投稿できない。とか、の場所を私は探しているんだと思う。そして、それは漠然とずっとやっていなかったTwitterなんじゃないかなとそう思えてきた気がする。

そんな物思いを書ける場所があることが嬉しいとふと思った夏の午後だった。