死生観1

中学の頃、大好きになった人がいた
クラスも別々になり、好きになってからは一度もまともに話すことも出来なかったけど

見かけるだけで幸せだった
廊下を歩きながら教室の中に見つけるだけでドキッとした

学校帰りに神社にお参りするようになって
「○○さんが幸せになりますように。○○さんに認められるような立派な男(大人?)になれますように」
って小銭をケチらず大量にぶちまけて祈っていた
それも毎日である

当時の僕は
「(溺れてる)○○さんを助けて死ねたら本望だろうな」
って本気で思ってた
話しかける事も出来ない自分が役に立てることはそれくらいだった
自分の命をいつでも差し出せるように心掛けて生きていた
その時が来たら迷わず飛び込めるように

今考えてみたら「溺れてるの助けたら死ぬ必要ないじゃん」ってなるけど
それはなんか違うんだよ。しっくりこない
助けた事にありがたみがない?
いや「死んでもいいから助けたい」と思うことに価値があって
それで生き残ってもカッコ悪いから
そのまま死にたいんだよ

彼女のために死ねたら本望
それが僕の幸せの形だった

その勇気だけは持ち合わせていようと
校舎の屋上の柵を飛び越えて手もつかずに立ってたり
ずいぶん命を粗末にしてたとも思う

これが中学時代の死生観

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