見出し画像

新しい言語に踏み込むと必ず起きる、悪気のない嘲笑

自分が学んでいる言語を母国語に持つ人と話していると、言いたいことがうまく伝えられなかったり、時に行き過ぎた表現をしてしまうということがよく起きる。

うまく表現できなかったことに対して、クスクスと笑われてしまい「この人は自分のことを馬鹿にしているんだ」と反射的に感じ、それ以上話すことが怖くなったりもする。

けれどもそれは、相手に悪気があるないに関わらず至極当たり前の現象で(親が小さい子供に対してするそれと同じ)、問題はその後も相手が自分を嘲笑し続ける態度をとるか、もしくは間違えを正してくれる態度に変わるかで判断する方が建設的だ。

そして反対に、日本に興味を持ち日本語を学んでいる人に対して自分たちが同じことをしてしまっている可能性も存分にある。それは上述した嘲笑に限らず、こちらは悪気なかったつもりでも相手を深く傷つけてしまい、日本に対してトラウマを感じる人も多くいるということだ。

学べば学ぶほど、知ろうとすればするほど、「僕はこれまでにどれだけ言語の壁によって、軽々しく人を傷つけてきたんだろうか」なんて思ったりもする。

「言語を理解する」ということは「知らないカルチャーに踏み込む」ということの必要条件であり、相手の言語に歩み寄る姿勢なくして、真の意味でのカルチャーの理解はありえない、と僕は思っている。

興味を持ち、歩み寄ろうという姿勢を持つ人に対しての敬意は常に示していたいし、そして学ぶ側としても、相手は嘲笑したいのではなく(一部を除いて)、受け入れようとしてくれているという事実を真に理解し、信じ、恐れずに歩み寄り続けること。

英語を勉強したい理由 ー新しい文化に触れたいー もいいが、知らない世界に「踏み込む」とは、そういうことなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?