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「おかえりモネ」論 その7 おかえり、カンちゃん

(本稿にはある作品の決定的なネタバレがあることを予めご了解ください)

『おかえりモネ』は東日本大震災から10年というタイミングで、震災前よりも震災後を生きる時間が圧倒的に長い人びとが、何を考えどう生きるのかを切り取った作品だったと思います。10年経ったからと言って世界が変わるわけなどないですし、むしろそれで区切りがついたと思われたくない向きもあると思いますが、何か区切りをつけないとやっていられない人には、いわゆる「時薬(ときぐすり)」が必要な人には、それなりに意味のある区切りだったのかもしれません。

むしろ、せっかく区切りがあったにもかかわらず、世の中であまり有効に使われなかった印象があります。コロナだとかオリンピックが今年になったとか、そういうことではなくて、それよりずっと前の計画段階からすでに有効に使おうという計画自体が少なかったのではないかと思います。いまわたしが気にしているのは劇作品による表現についてなのですが、来年になって満を持してたくさんの作品が出てくるとも思えません。

そんななかで数少ないフィクションの商業作品として公開されたのが『護られなかった者たちへ』だったと思います。『おかえりモネ』がクライマックスに向けて放送されているさなかで、偶然だと思いますが、清原果耶演じる仙台の役所に勤める人物・円山に、百音を想起しないわけにはいきません。2000年ごろにおそらく塩釜あたりで生まれたであろう円山と、1995年に気仙沼で生まれた百音は、いちどぐらい同じ空間にいたことがあるかもしれない。ふたりの生真面目な性格からもドッペルゲンガーではないかと思うほどです。

『護られなかった者たちへ』の粗筋です。宮城県の沿岸部。東日本大震災の津波で家族や家や何もかもを失った青年・利根と小学生のカンちゃん、年老いた女性・遠島の3人の他人が、避難所で身を寄せ合って生きていた。その後、青年は就職のために関東に出かけ、子どもは里親に引き取られていく。あれから9年。利根は地元に戻ってきたが、街では奇妙な殺人事件が相次いでおり、彼は県警に疑われ始める。利根には放火の前科があった。

冒頭からたびたび登場する避難所は震災から日数がさほど経っていないと見えて、全体としてかなり劣悪な環境で、混乱で発狂する人も出てきます。このシーンを『岬のマヨイガ』(2021)と同じだという感想を目にしましたが、どちらかというと『遺体 明日への十日間』(2012)に近いように思いました。作中では語られませんが、津波では水死とは違う損壊した遺体も少なくなかったと言われますので、遺体安置所になかなか人を入れなかったのはそういう事情もあったのだろうと想像します。その環境のなかで身寄りがないまま生き抜がざるを得ない人たちがどうやって生きていたか。

それで当然、生活保護を利用する人も出てくるわけです。行政も救済が必要な人がいると分かっているのですが、そもそも生活保護は恥だとか申し訳ないと思う人の心を利用したり、扶養照会をしたりして、申請を自体させたり却下したりします。もちろんそうではない例もたくさんあるのでしょうけれど、緒形直人演じる福祉保健事務所の所長が言うように、私たちはそういう国に生きているんだと感じさせられます。

はじめのうち、あのときの所長の発言は、本当はみんなの申請を通したいけどできないという気持ちの表明なのかと思ったのですが、それはまったく違っていて、誰かのせいにして真っ当に生きていない人を容赦しないという意味で言っています。部下の、最初に殺される三雲もきっと同じだったのでしょう。そういう仕事を、とても真摯に一生懸命にしています。皮肉ではなくて、本当にそうなんだと思うのです。

瀬々監督の怒りの矛先はやはりそこにあります。ところどころ浪花節のように、演者にくさい長台詞で言いたいことを言わせる部分があります。その辺のちょっとだけダサい感じが瀬々作品のカラーだなあと思いつつ、原作の通りなのかもしれませんが、震災と貧困を取り混ぜながら9年間かけて成立する犯罪映画として見事に構築していて、その構造のすごさは今年随一だと感じました。政治家を出して選挙が近いという設定にするあたりは狙っていたのでしょうか。『ヘヴンズ ストーリー』(2010)や『64-ロクヨン-』(2016)よりさらに洗練された作品だったという感想です。あんなにも充実の配役で、重厚感もカタルシスもたっぷりでした。

ただ、生活保護については被災地だけのことではないし、震災と生活保護をサスペンスで結びつけてしまうことで、貧困を特殊な状況下で生まれるものとして矮小化させてしまうのではないか。そのことが鑑賞中ずっと気にかかっていました。『おかえりモネ』でも漁師だったりょーちんの父は妻も家も船も失って借金が残り、仮設住宅で酒に溺れていました。私自身が石巻を訪れた際には、仮設住宅の外れにシェルターが設置されているのを見たことがあります。しかし、百音の家のように養殖業を再開させたり、百音自身のようにたまたま津波を免れたまま、免れ得なかった人たちと一緒に暮らしている人だっています。『風の電話』(2020)を観たときにも個人的にはどうしても違和感があって、物語はいつまで悲しみで引っ張り続けるのだろうと疑問がありました。

ものすごく粗いですが、ここで震災と映画の変遷について振り返ってみたいと思います。震災後に初めて被災地でロケをした作品は『ヒミズ』(2011)だったと言われています。もともとは震災とは関係ない撮影計画だったところに震災が発生して、急遽撮影することにしたそうですが、あの瓦礫のロケ地は石巻でした。結果的に、ラストに繰り返される「住田がんばれ」という台詞が震災後の人びとの心に深く刻まれることになったと思っています。偶然なんだと思いますが、石巻から少し北上すると気仙地方があり、そこに住田という町があります。

もともと震災抜きで計画されていた『ヒミズ』はたいへん力強い作品でした。その後、震災を経た多くの作家が何かを撮らなければいけない衝動に駆られてカメラを持って出かけていきます。それから数年は本当に多くのドキュメンタリー作品が生まれたと思います。この時期をわたしは「震災センチメント」と勝手に呼んでいます。混乱とセンチメント、そして理由はともかく生きねばならないという、死に対する生の世界だったと思います。が、もうあまりわたしの記憶に残っている作品はほとんどありません。

『ヒミズ』のほかにも前述の『遺体 明日への十日間』が劇映画としてはありましたが、わたしは震災や津波と原発事故を別個のテーマだと捉えています。あらためて振り返ると、原発抜きに震災を切り取ったフィクションは思いのほか少なかったのだと気付きました。映画よりむしろ『あまちゃん』(2013)が、来るべき震災に向かっていく物語として描かれ、三陸鉄道が復興のシンボルのようになっていくことの印象が強かったかもしれません。

震災映画の転機ではないかと思うのは『サバイバルファミリー』(2016)でした。世の中から電気が消えるというパニックムービーですが、震災直後の様子を風刺的に脚色したと同時に、やがて電気のない世界を人びとが受容して営んでいくというパラダイムシフトも描いていて、ようやく震災を客観的に見つめることができたように感じました。世界の映画シーンが人種差別やLGBTQと闘っているとき、日本では震災という偶発的な問題の意味と闘わざるを得なくなった(それ以前に世界シーンと同調できていたわけではまったくないのですが)わけですが、この作品でなんだかセンチメントに区切りをつけられたような気がしています。

震災は海外では最初から俯瞰可能な出来事だったと思われ、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021)のデスティン・ダニエル・クレットン監督のかつての作品『ヒップスター』(2012、日本公開は2016)では、主人公がノートPCの動画で津波被害を見るシーンが、遠い世界で起きている出来事として描かれます。それととてもよく似たシーンが『長いお別れ』(2019)に見られます。アメリカ在住の長女(演者は竹内結子)が祖国で起きた大きな出来事をPCで目撃して心を痛めるシーンでした。震災を遠くから見るという行為に、映画ではこれだけの長い年月を要したということだと思っています。

『長いお別れ』の中野量太監督の次作『浅田家!』(2020)ではよそ者であるカメラマンの主人公の目を通した避難所や被災した家族が多く扱われました。そこに描かれていたのは、震災から少し経って、これからどう生きていくかを実践し始めつつある人びとでした。家族や親しい人を失いながらも思い出を胸に前を向こうとする様子は、意外にも劇映画ではそれまであまり克明に描かれてこなかったと思います。

そして震災から10年経った今年、ドキュメンタリー作品では小森はるか監督『空に聞く』(2021)、あるいは小森はるか+瀬尾夏美監督『二重のまち/交代地のうたを編む』(2021)があり、盛り土でかさ上げして復興する陸前高田の市街地を、いまを生きる地元の人びとと、よそからやって来た(まさにカンちゃんと同じぐらいの)若者たちの目や声を通して映し出しています。標高が高くなった新しい土地に区画ができて少しずつ家屋が建ってきている風景を静かに見つめ、震災以来のフェーズが未来のそれへの移行していることを感じさせてくれます。街そのものが「時薬」なのかもしれないと思わされます。つい先日、デジタルアーカイブ学会のシンポジウムを聞いていたら、震災が記憶から歴史になっていくという発言がありました。いま私たちは、その過渡期に生きているのだと思います。

以上の震災と映画の歴史の上に『護られなかった者たちへ』があるとしたら、作品にはどんな意味があったのでしょうか。とくにセンチメントとは違う意味合いについて。そのヒントになりそうなのが、先に記憶から歴史へと転換しつつある阪神淡路大震災です。

『その街のこども』(2010)は震災から15年のタイミングで制作されたテレビドラマで、翌年には劇場版が公開されました。中学生の時分に被災して故郷を離れた男女が、15年後のその日に神戸を訪れ、自身の歴史を見つけるかのように夜の街を彷徨います。震災前より震災後の人生が長くなっている人にとっては、自身の人生を規定している出来事への総括が必要なのではないでしょうか。総括があって、未来に進むことができる。ちなみに監督の井上剛や劇伴の大友良英はその後『あまちゃん』を制作することになります。

あるいは『れいこいるか』(2020)は震災から25年たって、やはり震災前と震災後が相半ばの男女がそれまでの人生を反芻します。大人にとっては『その街のこども』よりもさらに10年の年月が必要だったのかもしれません。子どもと大人の違いはあれども、テーマは同じではないかと思います。

(ここから壮大にネタバレします)『護られなかった者たちへ』で福祉保健事務所に勤める円山は、かつて避難所にいたカンちゃんでした。カンちゃんは就職する以前に、一緒に暮らしていた疑似家族の遠島の困窮を救おうと彼女に生活保護を勧めます。躊躇する遠島を利根とともに説得してようやく事務所に申請するに至りますが、保護が決定しないうちに遠島は亡くなってしまいます。事務所を問い詰めると、実は本人が申請を辞退していたと言います。その事情は事実ではあるのですが、しかし困窮が解決する手段ではなく、事務所側が保護を許可しなくて済むように画策した結果でした。カンちゃんがいま事務所に就職しているのは、正しく制度を使いたい気持ちもありますが、あのときの復讐でもありました。連続殺人の犯人は、カンちゃんだったのです。

カンちゃんは最後のターゲットである政治家を拉致して、遠島の家で監禁します。最後はあの場所で事件を終結させるに違いないと気付いた利根は刑事とともに現場に向かい、果たして最後の殺人は未遂に終わります。そして利根は、遠島の遺言だというふすまの落書きをカンちゃんに見せます。そこに書いてあったのが「おかえりなさい」。そして利根がかけた言葉が「おかえり、カンちゃん」でした。

作品は殺人事件と生活保護の関連を調べ、利根を犯人と推定して進行します。しかし終盤になって犯人が違うと分かり、急激にカンちゃんにフォーカスしていきます。本当はカンちゃんの物語だったのです。2000年ごろにおそらく塩釜あたりで生まれたであろうカンちゃんの、震災前よりも震災後の人生がすっかり長くなっていたカンちゃんによる、震災の総括の映画だったのです。ぐるぐる回って、あのときのあの地点にもういちどたどり着いて、彼女の震災が終焉したのでしょう。

同じように東日本大震災当時の子供たちが大人になってからの物語に『サクリファイス』(2020)があります。そして『おかえりモネ』。いま、かつての子どもたちが自分なりに震災を総括する時期に来ているのだと思います。いずれの作品も、危なっかしくも考えることをやめたり流されたりせずに、自分にしか分からない総括を経て、困難が伴うことを承知で自分自身の物語を構築しようとしている人物を見つめていると言えます。そんな彼らが描こうとする未来を、それより上の世代が信じてあげることの必要を感じています。

それでは、「おかえりモネ」論を終わりに向かわせようと思います。まだ録画を追いかけている途中ですので、観終わってから書き進めるつもりです。少しお時間を頂戴いたします。

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