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「おかえりモネ」論 その3 林業政策のはなし

 前回、「流域管理システム」という言葉をご紹介しました。劇中の龍己さんが山に木を植えることの意味を語るシーンを見て、まずは「森は海の恋人」が口を突いたのですが、同じぐらい瞬時に「流域管理システム」を思い出してもいました。実際、わたしが学生だった頃は、循環型の林業を流域で捉えるというのは常識になっていました。それは、百音が小学校に上がるよりも前の話です。

 ところが、「流域管理システム」についてあらためて調べようと思っても、林野庁のサイトの当該ページが消滅しています。なのにリンクだけ残っていることにやれやれと思うのですが、おそらくオフィシャルレベルで死語になっている。それで少し調べてみました。 コトバンクに「流域管理システム」の説明ページが存在するのですが、その出典元が2008年発行の『知恵蔵』(朝日新聞出版)にあるようです。わたしが林学を離れたのは2005年でしたので、なるほど、その後に死語になったのであれば認識がなくても無理はありません。

 とはいえ、流域という言葉が使われなくなっているような気は何となくしていました。百音が中学生の頃。先の『知恵蔵』の翌年、2009年は、この国の与野党がひっくり返った画期的な年でした。

 新政権になったかなり初期の段階で、新しい与党は林業政策の刷新を計画しました。政治が林業に着目することなんて、わたしが学生の時分では考えられないことでした。当時というのは、国営事業は大赤字で完全に破綻しているし(この辺りもいずれ書けるとよいですが)、阪神淡路大震災以来、木造住宅の世間的評価は低かったし、木材価格は上がらないし、担い手もいないし。環境への貢献が大きいことだけがよすがだった、そんな時代でした。

 当時の新しい計画を「森林・林業再生プラン」と言うのですが、2010年の参院選に間に合わせるべく作られたと言われ、でも実際には選挙のあった7月ではなく11月にできました。その計画が2012年の「日本再生戦略」での「2020年に木材自給率50%」に至ったはずなのですが、その5ヶ月後にはまたまた与野党がひっくり返りまして・・・。なお、木材自給率はじわじわ上昇していて、コロナ前の2019年度には37.8%でした。

 話を戻して、再生プランの注目点としてよく言われていたことは、路網密度の向上とフォレスター制度の創設でした。つまり、山のなかに道をたくさん作って、林業に必要な車両や機械が届く範疇を増やそうということと、森林をどうしていくか計画して利害関係者と調整する経営企画のプロみたいな人を育てようということです。流域の流通的観点から、育っている木をどうするかという川上の実務的な内容にシフトしたような印象を受けます。

 日本の森林はだいたい山にあります。外国には平たい土地の森林もありますが、日本の場合はだいたい急峻な地形に位置します。第2回で書いたように、戦中戦後の木材需要の高まりで山が荒れてしまったことと、将来的な木材需要の高まりを予測して、この国ではどんな厳しい地形の土地にも針葉樹を植樹してきました。その際に、どうやって伐り出すのか、その道の整備までは計画していないんですね。もしかしたら、道が必要だという認識がそもそもなかったのかもしれません。当時はまだ丸太を馬が運んだり川に流したりしていましたので。

 あのとき植えた木は、スギですともう伐採の時期(伐期と言います)に到達しています。劇中の「サヤカさんの木」は300年生のヒバでしたが、いずれにしても伐り時というものがあります。それで、あらためて道を整備して、機械化して、効率的に木材を生産することを考えないといけません。その計画全体の指揮官が、フォレスターということになります。

 フォレスターは市町村の担当者が担うことが想定されましたが、では実作業を誰が担うのか。

 重要なのはここです。劇中のサヤカさんはどう考えてもとんでもなく広大な面積の山主ですが、仮に100ha以上の所有となりますと、全体の0.4%のゾーンに所属する超レアキャラということになります(令和2年度 森林・林業白書より)。実際はだいたいみんな零細で、所有はしているけれど、自ら林業をやっていません。どうしてこんなことになっているのかということと、実作業の担い手の話は次回に続きます。

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