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【えいが(の予告)】しゃがんでる男子問題。【『感謝離 ずっと一緒に』(の予告)】

どうしようこれ何回も見ちゃう。
はっと気づいたら20分くらい経ってるこわい。
1分ちょいしかないはずなのになんでだろう。こわい。


尾藤イサオって、
ふだん、おおむね、年齢不詳なかんじだとおもう。

ていうか、個人的な感じ方としてはアレは、
そういう論点をかるがると超越したところにある
「尾藤」というキラキラした星みたいな何か!
にしか見えていないので、
年齢が不詳であるな、ということすら
ほとんど意識していない地平に、私はいる。
のです。が。

この、映画では、ええ、『感謝離 ずっと一緒に』では、
(いやまだ予告しか見てないけど、
 だいぶん繰り返し見てるので、
 おおよそ胸をはって言いますけれども)
尾藤イサオは、
ふつうにおじいちゃんの役なので、
ふつうにおじいちゃんみたいにつくられているんです、

繰り返します。
尾藤イサオが、
ふつうにおじいちゃんみたいにつくられているんです、
だからふつうにおじいちゃんみたいなんです。
いやなんかちょっとあたりまえのこと連呼してるみたいになってるけど、
そうじゃなくて!
すっごくそうじゃなくて!

つまり、今現在(≒予告段階)のわたくしの感興を、
水平線の彼方へ叫ぶとすれば、こうです。

え、やだ、どうしよう、
尾藤イサオのおじいちゃん役、


【【 逆 に 萌 え る ん で す け ど ! ! 】】


ままま、まちがってるかな。
いやたぶん映画のテーマとか方向性とか、
そういうのを考えだすと、
おそらくかぎりなくまちがってるんだけど、
映画のかみさまはきっとアガペー寄りだから、
迷える子羊の、迷子がすぎて迷宮入り寸前の萌え心も、
きっと許容してくださる。
…ものとする。


(みたいな、フェティッシュきわまりないことを言っておいて今さらだけれども、)

おそらくきちんと正しい方向においても、
すでに、心がぎゅっとしているの。
本編見たら泣きっぱなしになりそうだから、
予告のあいだだけそっと萌えさせておいてください、
みたいな心持ちでもあるの。

たとえばピアノの鍵盤のいろ、
中尾さんの歌声、尾藤の手の中の鬼灯、花柄のお鍋、丸められた文庫本、
(もすこしフェティッシュに寄せてよければ)かぁいらしい柄の入ったシャツ(似合う。)、薄手のカーディガン(似合う。)…→いやもうこういう〈尾藤イサオ〉のイデア的なところからいったんかけはなれた服装をさせてくれるひとびとよ永遠に讃えられてあれとおもう。ギャップ萌えする。いかんまた少し道を踏み外している。

(もとい、)
そういった、その〈夫婦〉の、暮らしていた景色のいろ、
いろ、というか、フィルター?
見ている自分が持ってる思い出ではないはずのものに、
〈なつかしさ〉のいろをにじみこませて見せてくれるフィルター、
みたいなものがなんかあって、
そのフィルターがかもしだすいろと、
(これはひょっとするとごく私的に)
尾藤イサオの声を聞くと自動的に揺り起こされるなにか、
〈さびしさ〉と〈いとしさ〉の高濃縮ブレンドみたいな、なにか、
とは、ものすごく親和性が高くって、

一声めから、泣けそうで、ヤバい。


(予告の↓)https://www.youtube.com/watch?v=Zxh9wkz7CCE


(あのフィルターのかかった世界を生み出すノウハウがもしかしてあるのだとしても、できれば知らないで暮らしたい。)
(この世界にはけっこうな数の魔法使いがいて、なにかしらしょっちゅう魔法をかけているぽいな、っていうほどの納得のしかたで生きてく。)


60秒間で35回くらいぎゅっとなる
(ちゃんと数えたわけではないが)
予告動画の中でも、最上級にぎゅっとくる、
個人的ギュッテスト(ぎゅ+est、な。)ポイントが、ありまして。

〈お庭にしゃがんだ状態から、二階を見上げる尾藤イサオ〉。ね。

え、何だろうあれ、ちょっとどうしたらいいかわからないくらい可愛い。
どうしたらいいのかわからないので、
今のところどうにもしてないのだけど、
できればあの画角のあの笑顔を、
額装してだいぶ陽当たりのいい部屋のかなりいい感じの壁に飾りたい、
くらいには余裕でかわいい。


(私見ですが、)
やんちゃな男子はだいたいしゃがんでいる。とおもう。
原っぱとか砂場とかジャングルジムのてっぺんでもしゃがんでたし、
廊下とか階段の踊り場とかコンビニ前とかでもしゃがんでいた。
リアルでは見たことないけど捨て猫(犬)に傘をさしかけたりするいにしえの少女漫画界の不良もたぶんしゃがんでいる。
なんであいつらはしゃがんでいがちなのだろうか、とは、つねづねほんのり疑問に思っていたのだけれど、わかった。今日わかった。

しゃがんでる→声をかけられる→見上げる→〈笑う〉(※イマココ)

が、ギュッテストにかわいいからだ。絶対そう。
やんちゃ男子界においては、この「見上げる」の工程で、そこにいた人物に〈好意がない〉場合や〈興味がない〉場合には、おおむね〈→シカト〉方面に分岐すると予想されるため、
〈→笑う〉に進んだ場合はもう、ほぼほぼ〈→好き。〉みたいなアレであると思われ、そのあたりがギュッテストをもたらす要因ではないかと推測する。
この場合の〈好き。〉は特に恋愛的な要素を含む必要はなくて、待ち合わせに遅れてきたともだち、でも、仲良くケンカしてる生徒指導の先生、でも、いっつも飴チャンをくれる近所のおばあちゃん、でも、誰でもいい。誰であってもぐっとくる。

そう、だから、誰でもいい、っちゃあいい、んだけれども。


『感謝離』のお庭にしゃがんでいる尾藤イサオが見上げている先にいるのは、
(果てしなく迷子になっている気配がしたかもしれないけれども、だいじょうぶ、戻ってきました)
家の二階にいる、最愛の、そうして、映画を見てるひとのほとんどがすでに(ていうか予告動画を見ている私ですらすでに)、〈先に、逝ってしまう〉ことを、知っている〈→奥さんの、笑顔〉なので。
〈見上げる〉からの〈→笑う〉に含有されている、共に暮らした時間だけの〈→好き。〉の成分を、ええと、いったい、どうやって処理したらいいですか…って途方にくれる。

ゆえに、ほんの1分の予告動画内で、
一瞬だけ、ほんのちょっとこっち見上げて笑う、尾藤イサオが、
 あー、しゃがんでるし…見上げてる…
っていうだけで、胸がぎゅっとなる。どうしよう可愛いが過ぎて死にそう。本編見る前に死にそう。いやだめ本編見たい。

そんなかんじで、やっぱり私、11月にはもうものすごく泣いてばかりいる気がする。ので、
〈10月中はこんな感じで萌えさせておいていただきたいのですが、よいですかね?〉
と、映画のかみさまにお願いしておこうよね。とおもう次第。



  (ピアノの写真)
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