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好きにハードルは必要か

先日、自問自答ファッション教室に参加してきました。
ご一緒してくださった皆さん、あきやさん、貴重な時間をありがとうございました!

お教室のレポ的な部分は、先輩の皆さんにお任せするとして、教室前後で感じた個人的な自分の思考癖について、ちょこっと書いてみようと思います。

「それはもう『好き』でいいと思います!」

教室で行われる自己紹介、ワーク、思い返せばメールでお送りしたアンケートのお返事の中でも、あきやさんに何度も言われた言葉です。
言われて、思い返して改めて、私という人間は『好き』と表現することに自分でハードルを設けていたなぁ、と感じました。

皆さんは『好き』ってどういう時に言いますか?
JKの『かわいい』と同じくらい、感嘆詞みたいに、軽い気持ちで言える人。
『大切にしたい』ものだけど、少し軽やかな気持ちで受け取って欲しくて、言ってみる人。

私の場合は、

『それについて私の持っている知識を使って、あなたに魅力的にご紹介できます!』

というのが、『好き』です。
並べてみると、ずいぶんと頭でっかちな感じがしますね。


教室で書きだしたワークの中で、あきやさんは、『好き』を『キュンとする』と表現されています。これ、とてもいいワード選択だなーーーーっ て感動したのを覚えています。
パッと反射的に出てくる軽やかなプラスの気持ちで、この『好き』を選んでいいんだー!って思ったんですよね。

なので、今、そのワークで選び出した『好き』を見返すと、とても新鮮なものが並んでいます。普段だったらあれこれ言い訳が出てくるだろう単語が並んでいるんです。面白い。
(実際、「どう思いますか?」と質問があった時には、モヤァとした部分についてお話しさせてもらったりもしました)


好きにハードルは必要か

前述のとおり、私の『好き』のハードルは『知識量』です。
その物について、その人について、どういう風に好きなのか、どこを素敵だと思うのか、知らない人にもプレゼンしたい! 伝えたい! という気持ちが、根底にあります。

好きなキャラのパーソナルデータ(身長、誕生日、etc)や、漫画の発売日、メディア展開などを、友達に聞かれたらすぐに教えてあげたい! 情報は誰より早く把握したい!
といった、オタクのコミュニケーションに染まっている感がありますね。


私はオタクなので、確かにそういった知識も大事な『好き』の要素です。
『好き』なもののことは何でも覚えていたい! のも事実です。
でも、もっと根本的なところに感情はあるのでは? とも思います。

コトバンク収録のデジタル大辞泉には、『好き』とは『心がひかれること』とあります。
頭で考えることじゃなくて、心で感じることだって、国語辞典も言ってます。
(こうやってすぐ辞典に当たるのも頭でっかち故の特徴ですが、そんな自分のことは『好き』なので、ひとまず置いておきましょう)


とはいえ、これまで生きてきた40年近い月日の中で見つけた、自分なりの基準を、いきなり捨てるのは難しいですよね……

それに、このハードル=『知識量』は、『執着心』の表れだとも思います。
『好き』だと思ったからには、知りたい! 調べたい! 誰かよりも詳しくなりたい!
そうして知った知識から『好き』なものを『大事』にしたい!
(例:皮革製品が『好き』だから、きちんとしたお手入れ方法を学んで長く使いたい、『好き』な人の好物をプレゼントしたい、etc)

なので、これからの日々の中では、あきやさんからいただいた「それはもう『好き』でいいと思います!」を心のお守りに、
自分で勝手に作ったハードルなんだから、蹴倒してもいいぞ! と自分を励ましながら、『好き』を見つけていきたいな~、と思っています。
知識なんて、本当に『好き』なら後からいくらでも追加できますからね!

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