ボンネット

去年のあちこちオードリーで、若林さんが話していたことを、今でもたまに思い出す。

人の話を聞くのが上手い、どうやって自分で話したいのを抑えて他人の話を引き出しているのか、と聞かれたときの返しだったと思う。

どうして同じ車なのに他の人と走りが違うのか。エンジンが違うのか、構造が違うのか、はたまた部品が足りないのか。
(僕は車に詳しくないので、具体的にどんな喩えをしたかは思い出せない…)

これまでの人生で、自分のボンネットを開けてみて、隈なく確認してみたら、「ああ、この部品が足りてないんだ」とか、「ここの構造が他のと違うのか」などなど、自分の特徴的な要素を詳らかに解明していった結果、「自分のボンネットは調べ終えた」ので、それからは他の人のボンネットの中身が気になって仕方がない。だからこの番組で他人のボンネットを開けまくってる、と。
(あくまで意訳&個人的な解釈です)

自分という人間のどうしようもなさに疲れていたその時の僕にとって、それは紛れもなく金言だった。

僕も自分のボンネットを開いて中を見ているつもりだったのだが、どうしても容赦なく調べることはできず(それは傷つくのが怖いだけなのかもしれない)、いつも半端なところで蓋を閉めてしまっていた。
たまに無理矢理こじ開けて中をめちゃくちゃにしてしまいたくなる夜もあったが、大抵はそっと蓋を閉めていた。

他の人が普通にできていることができない。
他の人が楽しんでいるものを楽しめない。
でも"普通"を跳ね除けて生きていけるほど強くもないし、何よりも面倒になってしまい、喉元を過ぎさせて熱さを忘れさせている。

このままでもいい、という諦念と、何とかしなきゃ、という焦りが、代わりばんこにやってきては通りすぎ、相変わらず僕はこれまでと似たような日々を過ごしている。

「諦めるには早すぎて、焦るには遅すぎる」

「私は一生私と別れられない」

昨年末に観た映画「半世界」のキャッチコピーと、「生きてるだけで、愛。」の劇中の台詞。
この言葉と、先のボンネットの話が、ふとした隙に頭の中を巡っている。

もがきたいけど、上手くもがけない。

僕は、いつのまにか完成品になってしまっていた僕自身を、もう一度立て直したいと思っているのだと思う。

だから、重い腰を上げ、ゆっくりボンネットを開け、もう一度中身を一つひとつ点検することにしよう。

時間がかかってもいい。
良くも悪くも、僕は僕自身からは去っていかないのだから。

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