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Belle and Sebastian / The Boy with the Arab Strap (1998)

ベル・アンド・セバスチャンのサード・アルバムは、バンドのキャリアの中では最も売れた部類に入るらしい。
とはいえ、彼らの音楽は名声や売り上げとは隔絶されたところに存在しているようで、スチュワート・マードックの書くメロディ(と歌声)の美しくフラジャイルな響きは不変/普遍で、そのジャケット同様に青春のエヴァーグリーンな輝きを今でも放ち続けている。

ザ・スミスにも例えられたその詞の世界は、ほろ苦く甘酸っぱく儚く、ひりひりするような痛切さやくだけたユーモアと共に文学的な美しさを湛えている。
箱庭的な現実逃避と、さりげなく深く刺さり込むような自己批評と内省。

サウンド面においては、エレクトロやストリングス、新加入のミック・クックによるトランペットの音色や、イザベルの素朴で清涼感のあるヴォーカル、ヒップホップ風ビートも良いアクセントとして効いている。

愛すべき、誇るべきスチュワートのソングライティングにさらに磨きがかかり、音楽性の広がりや安定感も増した本作を、彼らの最高傑作に挙げる人が多いことも頷ける。

しかし何より重要なのは彼らがコンスタントにアルバムをリリースし続けてくれること。

この今にも壊れてしまいそうな永遠の音楽を大切にずっと聴き続けていくんだ。



もう暑くもないがまだ涼しくもない、夏は終わっているのに秋はまだ来ていない、そんな宙ぶらりんで気持ちの良い季節。
晴れ渡った日曜の朝にこのアルバムを聴きながら公園を歩いた。心なしか力強く聴こえるスチュワート・マードックの歌声。

本を読み、川沿いを歩き、夜更かしして過ごす、うっすらと無為で、どこまでも心地良い罪悪感に満ちた夏を、無駄に過ごした7週間として綴る”A Summer Wasting”をはじめ、琴線に触れまくるソングライティングはいつもどおり。
環境や人間関係の変化が心境の変化に直結してしまう僕のような人間には、このベルセバの変わらなさが本当にありがたい。
(海外のバンド名を略すのはあまり好きじゃないけど、ベルセバは例外的にありな気がしてる。なんとなく”ベルセバ”って響きもまた、情けなくも気高く生きようとする人間に寄り添ってくれてる気がする〜。あると思います。)

ちなみに僕の持っている中古CDのライナーノーツには、青いボールペンで、3、4、8、10曲目の曲目の横に丸が付けられており、文中の「中心人物スチュワート・マードックは今年30歳になるはずで、現在も音楽活動と並行して、教会の管理人の仕事を続けている」(ライナーノーツより)の部分に下線が引かれている。

もしかしたら前の所有者が30歳手前で、日々詰まらない仕事をしながらだらだらと(あるいは鬱憤を晴らすため)続けているバンドでやろうとしてた曲なのかな。もしかしたらイザベルが歌っているパートを担当してくれる女性とようやく出会えたのかな。

やがて歳をとり、あるいは家庭を持ち、手狭になった部屋からあぶれたこのCDが巡り巡って、僕の手元に来たのかな。

もしかしたら彼(あるいは彼女かも)もそれから生活が落ち着いて(もしかしたら離婚なんかして)、無為な夏の終わりにふと思い出して、このアルバムを久しぶりに買い戻したりしてるのかな。

そんなことを思いながら、僕たちのベルセバ的生活は続いていくのかな。

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