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The Smiths / The Smiths (1984) 〜Revisited〜

ザ・スミスのファースト・アルバムが世に出て今日でちょうど40年。
この神経質でセンシティヴで明け透けでシニカルでヒリヒリするほど生々しく美しいレコードについては、このnoteで音楽レヴューを書き始めた(あるいは小生意気な駄文を排出し始めた)初期に取り上げた。

わけだけど、せっかくなので再訪。
今日のために2012年のジョニー・マーによるリマスター再発盤を取っておいたのだから。

しかしライナーノーツを読んでも他の人のレヴューを読んでも、ザ・スミスの場合はどれもグッとくるものばかり。書くにあたっての気合いの入り具合が違うんだなぁと。
どうしてもそこに書く側の人生が乗っかっちゃうのだろう。良い漫才と同じようにね。

それはともかく、このアルバムはもう何度聴いたことか。何度救われたことか(このアルバムだけでなくザ・スミスの作品全般だけど)。
"Reel Around The Fountain"の1音目から、"Suffer Little Children"の最後の1音の残響まで、全くもって愛おしい。

自分が惨めだと思うとき、醜く情けないと感じたとき、世間の”大多数”から蔑ろにされたとき、大切にしているささやかなものを踏み躙られたとき、自分なりの美学を蹴飛ばされたとき、自らの存在意義を見失ったとき、沈み込んだ帰り道、一人引きこもって泣きたいとき、いつもスミスの音楽が流れてくる。

社会において良しとされるもの全てが手元に無くても、あらゆるマイノリティを引き受け、人が生きる上での全ての業を肯定する音楽。
自らどん底に落ちていきながら、絶望の底でゆっくりと横になりぼんやりと空を見上げ、手痛い過去を優しく懐かしむような音楽。

日常の中で当然のようにマッチョイズムに押し切られそうになるとき、負け顔を浮かべながら、僕はザ・スミスを想う。
モリッシーの言葉と声を。マーのギターとメロディを。美しい曲と負けないくらいに美しいジャケットを。

僕にはモリッシーのような才能もカリスマ性もないけれど、いつも思う。
僕にとってのジョニー・マーはいつ現れるのだろう、と。

スミス好きばかりじゃ世の中は回らないけど、スミス好きがいないと世界は救われない。
本気でそう思っている。




気づけば聴き終わってた。
リマスターの音源がどうとか書いてる暇はありませんでした。

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