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ジョージアの男

ジョージアの男

ジョージアという国がある。
ロシアとトルコに隣接している。昨今、世界的にもよく名前が上るウクライナのすぐ近くだ。
あんまり日本人が行くことはない国だ。それでも、お相撲さんでグルジア(少し前にジョージアに名前が変わった)出身の力士さんもいる。

日本人の彼がジョージアに住むようになった経緯は複雑なようでシンプルだ。

日本は彼の肌に合わなかった。
それで大学はアメリカに行こうとした。しかし、アメリカでは最初の言語学校でこけた。そのままアメリカに滞在して、日本料理の店なんかで働く。ケンカしてやめる。ホームレスのような暮らしをして、飲酒運転やマリファナで警察のお世話になる。
「プリズンには入ってない。ジェイルだから、そんなにハードじゃなかった」
ジェイルもプリズンの違いなんか我々日本人には分からないが、簡単に言えばジェイルは拘置所で、プリズンは刑務所だ。
何にせよアメリカに6年ほどいたが、何回かポリスにお世話になったところで、彼はアメリカから追放された。

次に彼はドイツのベルリンに行った。
ドイツはEUの中では、比較的、永住権を取りやすい。
ドイツの永住権を取るとEU内で自由が効く。
それで、ドイツに行くのだが、比較的取りやすいとは言っても、当然ながら、永住権というのは国にとって重要な物だ。簡単には降りない。

世界の中で日本人がノービザで暮らして、働ける国は南米のパラグアイか、ロシアの隣のジョージアくらいだと言う。
それで彼はジョージアに行った。

ーーー

ジョージアに行って何をしているのか、7年振りに会って聞くと、毎日水浴びをしているという。
「電気もガスも通ってないコンテナに住んでるからさ。朝に川に洗濯と水を汲みに行くんだ」
「へー、それで、そのままそこで泳いで遊んでるの?」
「いや、その後は、森の中の泉に入る」
森の中の泉は冷たくて気持ちが良い。
お気に入りの泉が三つほどあって、そこを巡る。
夕方になると寒くなるので、大きな川に行く。日本の川と違って、大陸の大きな川は流れが緩やかで、一日、太陽を受けた水は温かいのだと言う。

彼の住まいはジョージアの森の横の1000坪ほどのだだっ広い土地で、犬三匹と猫四匹と暮らしいてる。そこに、ロシア軍の払い下げの中古コンテナを置いて暮らしている。だだっ広い土地は60万円ほどで買えたそうな。ただ、電気やガスを引っ張る金も無かったし、必要だと感じないらしい。
トイレも土地に穴を掘って用を足す。

それでも一応は働いているらしく、週に三日ほどホテルのような施設に行く。
日本では馴染が薄いが、リトリートと言って、普段の資本主義の忙しい日常から離れて、森林浴をしたり、ヨガや瞑想をして休日を過ごす人々が訪れるのだそうな。
グーグルなんかがマインドフルネス瞑想を取り入れているように、欧米ではそういう活動が昨今人気があるらしい。
ヨーロッパのアーティストなんかが来ると言っていた。

「それにしても、なんで日本に帰って来てるんだい? ジョージアには戻らないのか?」
「冬が終わったらジョージアに戻るよ。夏の間に薪を拾わなかったから、冬が寒くて向こうで越せないんだ。それに、少し金を作ろうと思って」
「なんで? 水浴びしてる生活は良さそうじゃないか。日本人には理解しにくい良さだろうけど、僕には何となく分かるよ。仙人的な静かで良い暮らしじゃないか」
「まあ、40歳くらいには結婚とかしたいんだよ。だから、リトリートのビジネスを起こそうかなと思って」
それから、彼は、禅や仏教、瞑想などの話をしてくれた。
以前仲良くなった、やはりアメリカで長く暮らしていた人も禅センターで働いていたことを思い出した。
アメリカの禅センターもリトリート的な要素があるらしく、宿泊施設などがあり、社員研修などで団体さんが来て座禅や瞑想をすると言っていた。ただ、その人は、働いていく中で、センターのビジネス志向、言うなれば金儲けに走るところなんかや、センター内での人間関係に疲れて、辞めたということだった。
「僕も座禅じゃないですけど、瞑想はしますよ」
と話すと、
「福田さんも座るんですね」
と言っていたのが印象深い。座る。

それにしても、ジョージアの彼から、結婚なんて現実的な言葉が出たことには少し驚いた。
彼はジャックケルアックのオン・ザ・ロードよろしく、無謀なヒッピー的な生き方を独特の感性でやり続けているのかと思っていた。
それが結婚の話から、
「実のところ、ずっとみんなが羨ましかったんだ。まともに日本で生きられて、ちゃんと仕事をしていて、家庭も持って」
などと続くのには驚いた。

確かに、彼の顔つき、体つきはどこか禅の修行僧的な雰囲気をまとっていた。
ほとんど日本に帰ってくることもなかったから、七年ぶり、彼がドイツに出発するのを成田空港に見送りに行って以来、長い年月の中、彼は一人で異国の地で孤独と向き合っていたのかもしれない。
その中で、禅や瞑想などのスピリチュアルなものと触れ、ジョージアの森のだだっ広い土地に水も電気もなく、犬と暮らして、水浴びをし続ける日々を過ごすところに辿り着いた。

「だけどね、そうは言っても思うんだよ。結局、そういうことでビジネスを起こす人たちって、上手く行かないというか、何かがおかしくなってしまうことが多いんだ。スピリチュアルな指導者みたいな人が、実はプライベート、家庭はボロボロでアルコールに溺れていたりね。確かに、考えなんかは立派だし、実際すごいんだけど。それが不思議と誰か人に伝えたり、ビジネスみたいに広げようとすると、おかしくなってしまう。だから、どうなのかな、って」
「別にビジネスを起こさなくたって、今の暮らしのまま、結婚して一緒に生きたいって女性はいるんじゃないの? ほら、君は高校生の頃からモテたし。今でもいくらかモテるんだろう。話も上手いし、面白いし。働いているホテルみたいなところも、ヨーロッパ人の女の子なんかもボランティアとかで来るだろ」
「そりゃ、まあ、日本人ってだけで滅多にいないから珍しいし、東洋の神秘じゃないけど、禅とか好きな子からすると魅力はあるんだろうね。モテないってことはないよ。でもさ、なんか違う気がするんだ。犬もかわいいし、水浴びして日々が過ぎるのはとても幸せで良い時間だよ。電気もないから、星の位置で時間が分かるようになったしね。夜にトイレしに外に行って、星を見て、あと何時間くらい眠れるなとか分かるようになったし。だけど、何だろうね。一人なら良いけど、結婚して子どもができて家庭持ってとかって考えると、やっぱり金はいるのかなって」

昼の12時から飲み続けて、コンビニでビールを買っては歩いて、国道沿いのボロボロの中華料理屋で瓶ビールを飲んで、古い温泉に入って、歩きながら缶ビールを飲んで、おばあさんが一人でやっている赤ちょうちんで飲んで、スナックに行って、もうすぐ明け方の4時で、真冬のコンビニの前でビールを飲んでいた。若くない。もうすぐ40が来るおっさんが二人でコンビニの前で明け方に座り込んでビールを飲む。冬だから朝が来る気配はまだまだない。
彼が結婚の話やビジネスの話しなんかし始めたのはコンビニに着くちょっと前だったので、かれこれ飲み始めて15時間経ったところで、そんな話になった。
中学の頃からの長い付き合いだったが、いつでも楽天的で、先のことなど考えず、自分の求める快楽、理想だけを追って生きていると思っていた彼の本音らしい本音を人生で初めて聞いた。

もうすぐ冬が終わって春が来る。
彼はジョージアに帰るだろうか。
電気も水もないコンテナの暮らしは幸福そうに思う。
人間、いくらお金があってもなかなか幸せにはなれない。お金が増えると、欲しい物も増える。たくさん稼げばストレスも抱えるし、しがらみも増える。
世界の中で日本国籍に縛られず、世捨て人のような暮らしが出来るのはジョージアくらいなのかもしれない。
彼が10年以上異国で生きて辿り着いたのがジョージアなのだから、多分そうなんだろう。

彼がそんな暮らしを手放して、ビジネスを始めようとしている。
始めようとしているだけだから、本当にやるんだか分からない。
それでも、仙人の暮らしを手放そうとしているのは間違いない。
もちろん応援はするのだが、彼自身どこか引っかかっているように、どこか腑に落ちないところがある。
彼の身に付けてきた、瞑想なんかの技術や知識が他の人の役に立つのは素晴らしいことだと思うが、やはり彼自身上手く行かないかもしれない予感があるように、いや、ビジネスとしてだけ考えればある程度上手くやるだろう、彼はアメリカやドイツでの暮らしを手放したけれど、仕事自体は出来るようだったし、そもそも根が真面目で思いやりのある人間だ。手際よく動けるし、コミュニケーション能力もある。世界のどこでも食いつないで生きて来たのだから、何かしら働くだったり、生きる能力というのは高い。
だけど、多分、今のコンテナの暮らしにしかない幸福は手放すことになるだろう。
人間、いつまでも一つのところにはいられない。幸せは永続しない。昨日まで幸せだったことが、今日はもう同じようには感じられなくなるのは人の世の常だ。

ジョージアに帰国するまでに、また一度くらい会おうと約束したが、多分また七年後になる気がする。

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