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封印という言葉

昨晩は、出雲大社の福神祭に行って来ました。

前後の参拝も含めて感じたことがあります。

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人は時に"封印"という言葉を使います。

その言葉は往々に、ニュアンスとして、
「中に在る存在が、窮屈に抑圧されている」イメージを感じさせます。

でも、今朝、稲佐の浜で見た空の中に、そうではない答えを感じました。

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そもそも、中に在る存在が窮屈に抑圧されているというのは、
外側の事情で一方的に押し込められている場合です。

実際、封印という言葉を使う時には、そういう場合がほとんどなのかもしれません。

しかし、もし、事情が違ったら・・・

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例えば仮に、事情を抜きにして事実だけ見れば、
そこには
「内側と外側を隔てる隔壁があり、
内と外が自由に出入りできない」状態があるだけです。

そして、今朝、稲佐の浜で感じた空の中には何の窮屈さもありませんでした。

そこにあったのは、
強固な隔壁に窮屈に抑圧されていた存在ではなく、
強固な隔壁に護られていた存在。

外側の事情で、
自由を奪われるのではなく、
外側の事情で、
哀しみに損なわれることから丁寧に護られていた
柔らかく澄んだ存在。

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明日は建国記念日です。

神武天皇と
大国主命とに
祈りをささげます。


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