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出雲と大和の調和の話

出雲の話をもっと出すようにとの啓示がありましたので、少し書かせて頂きたいと思います。

昨年10月に執り行った剣【和雲(にぎくも)】の御靈入れに話は遡ります。

この御靈入れの少し前から、色々に示されるストーリーラインが繋がり、大筋の流れが分かりました。

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私自身、この【和雲】という名前を決めた時点では気付いていなかったのですが、
この名前は大和の"和"と出雲の"雲"で、大和と出雲の調和を示しているのです。

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現在では色々な情報が出てきているので、大和と出雲に関しては、平和に国譲りが行われたという話以外にも、大きな争いがあったという話があります。

私の感覚としては、争いはあったと思っています。

以下、争いがあった前提で話を進めます。

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多くの命が失われるような大きな争いがあったとすれば、
それはただの平和主義やポジティブ思想で調和を目指すことなどはできません。

むしろよりいっそう、話はこじれることでしょう。

でも、私の感覚では、言い方を替えれば私から見えるこの世界の在り方としては、調和は成されました。

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調和は成されたと書きましたが、それは、必要だから成されたのです。

ただ単に丸く収まったのではなく、これからの時代、世の建て替えと言われるこのタイミングに必要だから、成される必要があったのです。

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私自身は元々、先住系の血筋だと思っていました。

なので、大和朝廷にはあまり良い感情を持っていませんでした。

その頃は近くをよく通っていても、橿原神宮に参拝することはなく、足も向かないし、行くべきでないのかなと思っていました。

そして、なぜか毎回のように橿原神宮を通り過ぎる辺りでカーナビが切れてしまっていました。

それもまた大和朝廷との対立を表しているのかなと漠然と感じていました。

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しかし、ある時、また橿原神宮の横を通り過ぎながらカーナビが切れるのを見てふと浮かんだのです。

「これは拒否されているのではなく、むしろ呼ばれている可能性もあるのではないか?」と。

そこで、試しに参拝してみようと思い立ちました。

そして参拝してみると意外なことに、何とも懐かしいような、落ち着く不思議な感覚がありました。

そしてその後に気付いたことですが、確かに私は先住系の血筋ではありますが、
それと同時に半分は大和朝廷系だということでした。

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大和と出雲の調和の動きが大和から始まると、かなり大きなパラドックスを内包した問題が立ちはだかります。

しかし、今回の動きは出雲側から始まりました。

大和と出雲に大きな争いがあった場合、出雲系の人々の御靈の記憶の中には、大きな悲しみや怒りが残っていることでしょう。

それは簡単には、いや時間をかけてすらなかなか拭い去れるものではありません。

拭い去るべきと言うことすらできません。

でも、出雲の人々の御靈様達が、大元の意識、最奥の根源にまでその意識を展延した時、
例え相手のしたことが悪であったとしても、
『時にこの世界の流れという大きな物語の運行上為されなければならない悪というものがあり、
その悪を演じなければならない者がいる』ということを理解します。

そして、もしかすると、その悪を演じる者も大元にしっかりと繋がっている者であるならば、自分の為すことの生み出す悲しみをすべて分かった上で、自分の望みではなくともその悪を為さねばならず、苦渋の中でそれをやりきったのかもしれない。

出雲の人々の御靈様達がその可能性までも覚知した時、過去の悲しみはなくならないにせよ、この世界を動かす一員としては敬意すら感じ得る、というくらい出雲の御靈様達の意識が展延されたのを私は感じました。

その時、道はひらけました。

過去の悲しみは無くならずとも、

今この時
出雲と大和のエネルギーが相調和して
新たなる大いなる調和の世を生み出していく

という道。

絡まった糸をひとつひとつ解くことができなくても、
大きな意志で、新たな世の創造という時空を選ぶことはできます。

そのようにして調和は成されたのです。

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上記のような話の流れがあった後に出雲のエネルギーを持って生まれて来たのが前回の記事でご紹介した太刀【縁】です。

ですので、このタイミングでこの話を出さなければならなかったということは、
出雲の御靈様と御縁の深い方のところにお迎え頂くのかもしれません。

前回の記事の企画では、締め切りは本日正午でしたが、
本日23時59分59秒まで締め切り延長いたします。
御縁を感じる方は是非ご応募ください。


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