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不思議の国のナダル

こんばんは。ちんちんむしです。
夏休み、一応やらなければならないことを設定して(来月試験だし再来月イベントだし)こなしているのですが、それでも別に孤独なので、今日は恐怖映像を見て過ごしました。呪いのビデオ、ほん怖、トリハダよりももっとマイナーな心霊映像やドキュメンタリーはアマプラにゴロゴロ転がってるのでいつも楽しんでいます。

今は劇場版の「呪いのビデオ100」も公開されていて、新たな心霊ドキュメンタリーブーム再燃くるか・・・?等と期待しています。
期待してるんですけどね。呪いのビデオ、劇場で観たいんですけどね。
家で見てる時点で「お分かりいただけてない私」大丈夫か・・・?ってずっと悩んでるんですね。

見たことある人は分かると思うんですけど、心霊映像って一回映像が流れて怖い部分も通過してから、「replay」的な文字が出て問題のシーンだけがもう一度再生されるんですね。それね。私大体最後の方まで何も気づかないんです。
基本的に「あ、ごめん全然違うこと考えてた」ってなったり、「気になりもしなかった」ってなったりして、最後ドアップになるかマルで囲われるまで結構気づかないんですよね。自尊心の為に言うんですけど、心が広くて寛大でなんでも受け入れるからそんなちょっと顔や手が写ってるくらいじゃ気にならないんですよね。友達のヤバい性癖聞いても「そうなんだ」と思ったし。本当に私ってば心が宇宙。

でも、やっぱり劇場で呪いのビデオが見れるのって今回だけかもしれない。円盤じゃなきゃ見れないであろう性格なら、鍛えてみてもいいんじゃないか?私の努力が足りてないのではないか?そんな期待を込めてアマプラで何作か心霊ドキュメンタリー漁って、「replayより先に見つけてやろう」と思って頑張ることにしたんですね。なんて努力家なんだろう。

最初の2作品は、あー全然怖くないな、だって別にこんなの私の撮った映像に写ってても多分なんとも思わないもん、そんなことで騒ぐなよ、とか思いながら見ていながらも、ようやくreplayより先には気づけるようになってきたんです。いい感じだぞ。この調子でもうちょっと集中すれば劇場行けるんじゃないか。今大切なのは内容より気づくことだから、と自分の成長を感じたんですね。

ついに3本目。ちょっと疲れてきたけどこれ最後にして明日の昼くらいには劇場に観に行こうかなと思ったんですね。投稿者の話もよくある話だけど聞いて、映像も最初から見て一生懸命集中して、ちゃんと全体を見て変化に気づいて・・・としていた2つ目の話。

投稿者がどう見てもナダル。
ナダルではないんだけど、ナダル。すげー似てる。最初小峠って言おうと思ったけどやっぱりナダル。お前がどんなに怖い目に遭っててもナダル。「いや、あの日はあの場所には誰もいなかった」としてもナダル。恋人と海に行ってもナダル。和室に異変があってもナダル。例え人形の髪が伸びようとナダルだ。お前がもう何してもナダル。
こんなの集中できるか。ナダルだぞ。もうなんの話聞いてもナダルだもんね。どうでもいい。板倉のコントで言えば「裸ダイナマイト」だもん。何が写ってたってお前の方がすごいよ。

結局その映像見ても「あー・・・」くらいだったのですが、投稿者の顔がナダルだったので面白いとかつまんないとかもどうでもよくなりました。ナダルとは違う世界線のナダルはこうして怖い目に遭って映像を提供している(態の番組に出ている)。今ナダルが食事をしていたとしても、仕事をしていたとしても、このナダルは違うことをしている可能性がある。似て非なる他人。きっと私と似て非なる存在も、今私と違うことをして過ごしているんでしょう。不思議の国のナダル。自分の世界線が違った日のこと、考えることありますよね。それを見てしまいました。

やっぱり私は心霊ドキュメンタリーに集中出来ないんです。どうでもいい部分に気になってしまうんです。これが他人とのコミュニケーションに影響がなくて良かった。揚げ足は心の中でだけ取って進行を優先出来てよかった。ここまで別のことが気になるのはリラックスしてる証拠じゃないか。心霊ドキュメンタリーが娯楽な証拠じゃないか。過緊張で悩んできて楽になった自分がここまでリラックスしっぱなしだとは思わなかった。呪いのビデオ100は円盤待ちかもしれません。


早くちょうちょになりたい