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暗い作品を作るとき

こんにちは。ちんちんむしです。
最近はずっと5月のコミティアに向けて作業しています。
絵本2冊とミニ画集を出すのですが、今回の絵本はぬいぐるみが主人公の絵本と、昔書いたこの短編の絵本です。

このお話は自分が孤独死して見つかるのかお葬式はあげて貰える人生なのかと物凄く悩んだ時に書いたお話です。暇ですね。

画集の方は「27歳までの自分を殺す」をテーマにした、自死を私なりに描き集めた画集です。この間私は28歳になったんですけど、私は小さい頃から海外のロックが大好きだったのもあって、自分は27歳で死ぬはずだと思ってました。その前にシド・ヴィシャスと同じ年齢で死ぬつもりだったのに、そうはいかなかったです。あの頃楽しかったので。
27歳でも結局死ななかったのは(まぁ本気で病むようなことはあって死にかけはしたんですけど)、「やりたいことが見つかって一生懸命やっているのにまだ何者かにはなれてない、それで死んでもダサい」というのが大きいです。どうせなら沢山惜しまれた方がいいですし、今の私程度では伝説にもなりません。

それでも、やはりずっと望んできたことではあったのと、丁度27歳は自分があまりにも弱っていた年だったので、「自分の中でそれまでの自分を殺してみるのはどうか」という結論に至りました。勿論、私のような自己主張の激しい人間が、全てを生まれ変わったかのように変えることはできないので、それまで私を縛り付けていたくだらない執着とか、自分でかけた呪いとか、「どうせこうなんだ」という固執した考えを捨てる、という形になりました。執着、呪いみたいな言葉、固執って、もう性格や精神の一部になってしまっていて、そんなものがなければもっと自由に楽しく生きられるのに、まるで自慢げな個性であるような顔をして居着いてしまうんですよね。そのしょうもない部分を、27歳も終わるという時にあっさり自分で殺してやろうと思いました。どうせ光の方を見て病んでしまったのに、どうして暗いところで錘をつけてそこに居座るのか。甘えてたんでしょうね。

そんな風に自分の一部を殺そうと決めて思いついたのが、あらゆる形で自分を美化しまくった女の子が私の作った世界で自殺する画集を作っています。

それを作るにあたって物凄く見ているのが、前に集めていた村田らむさんが樹海に行く死体写真の載ってるミニ雑誌や、「完全自殺マニュアル」、検索して見つけた誰かの未遂、完遂を見た人の経験談・・・自分も22の時に一番の親友がいなくなってしまった時のことも思い出したりしながら。しんどい気持ちになってきます。自分自身も、お恥ずかしながら何度か未遂をしたことがあったので、当時の辛さ等も思い出しながら描いていくのが、完遂するようでカタルシス的ではあるものの、私は「受け入れられない現状から逃げる」ような形で挑んでいた者なので、見ていて明るい気持ちは全く芽生えません。
ただ、作品はまだ完成してないものの、今はもうちゃんと執着や呪いは捨て切って楽しい方向を目指していて、落ち着ける環境にいる自分にとっては、精神が完全にそっちに持っていかれることはなくなりました。去年の自分がただ自分が死にたい願望を叶えるためだけの画集を作ろうとして色々思い出したり見ていたのなら、更に病んで絵を描くどころではなかったかもしれません。

楽しそうな奴がそんなテーマの画集を出したところで、私みたいな人がお客さんで来たら、「嘘つき!!!」と思う気がします。「ウケると思って描いただけなんだ」と思われるような気がしてなりません、私の分身に。「虐待」がテーマの小説を読んだ時にあまりに綺麗事すぎて、当事者にとっては「この作者は別に何も分かってくれてるわけじゃない」と思った時のような。
でもそこで私に出来るのが、きっと「自分も経験してるからこそのリアリティ」みたいな部分な気がします。だから綺麗事で全てが終わるようなものも作りたくなくて、私の作品では誰の助けも来ないし誰もドラマチックには止めません。死んだ後のことは知らないし責任も取れないけど、「身体は死ねないんだけど、これまでの自分が死んだことにしちゃってみるのはどう?」という気持ちで作っています。身体は変わらないし、なんなら基本的な性格もまるっきり変われるわけでもなく、コンプレックスがなくなるわけでも病気が治るわけでもない。じゃあ何が殺せるの?と思われると思いますが、私は「執着」と「自分や他人に呪われた自分」だけはきっと殺せると思ってます。目の前の美しい毒草ばかり育てなくても、この世に綺麗な花は沢山あるんです。

早くちょうちょになりたい