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失笑恐怖症

お久しぶりです。螺子巻もづるです。
皆さん、恐怖症はありますか?
私はいくつかあります。
子供も怖いし、人の垢も怖い、戸締りしたかどうかも怖い、人の視線も怖い、仲良くない人とはご飯を食べることも怖い、もうありとあらゆる物事に恐怖を感じています。


そんな中で唯一、人生でかなり長いこと悩んだのに克服出来た恐怖症があります。



失笑恐怖症です。




失笑恐怖症とは


・笑ってはいけない場面だとわかってはいても笑いが止まらない

・何もおかしくないのに笑いがこみあげてくる

・笑ってはいけない場面で笑ってしまう

・我慢すると余計に笑いが止まらない

・笑ってはいけない場面で笑うのではないかと恐怖に感じることがある

・笑ってはいけない場面で笑っている自分が、周りからどう思われるか不安になる

(https://www.heartfullife.jp/glossary/失笑恐怖症/ より)


このように、同じ症状がない人達にとても簡単に言うと、年末のガキ使で絶対にケツバットを一番喰らう病気をさします。


親から『いつもブサイクで泣くか無表情しかない』と言われたのが気に障ったのでしょうか、私は小学生の頃からよく1人で笑いが止まりませんでした。頭で勝手に自分の面白いことが浮かんできて、1人でマジカルバナナみたいなことをするようになっていたのです。それが、本当に面白いのですが、笑っていてもクラスメイトから気持ち悪いと言われるので困っていました。友達はいませんでした。成長して高校生くらいからは昔よりマシにはなったものの、これは大人になるまで続きました。アパレルやバーテンダーなど、接客業で、笑っていても困らない仕事を好み勤めました。



けれど、コロナでそういった仕事は営業を自粛せざるを得なくなり、転職し、今の私は病院の類で働いています。去年まで、受付の仕事を任されるたびにこの病気が出て困っていました。その度に、上司から怒られたことを思い出したり、親から刺されたことを思い出したりして、必死で笑いを止めていました。


悲しいこと、怖かったことを毎日毎日思い出していくうちに、笑いの要らない場面で笑うことはなくなりました。それと共に、一時的に笑うことも全く無くなりました。なにも面白くないし、何も意味がないし、でも笑ってはいけないところで笑わずに済むことが楽でした。『妙な人』より、普通の当たり障りのない人間であることが一番価値が高いと感じていました。




それでもある時、とても面白い友人に出逢います。その人に、ある芸人を教えてもらうのです。


私は他人に勧められたものを、『大抵自分で見つけたもの以外は面白くない』という頑固さで、勧められてからかなり長いこと見ません。でも、ある日なんとなく暇を持て余し、見てみました。


芸人の名は『Dr.ハインリッヒ』というものでした。双子の、スーツを着た、髪が長いのと短いのの、関西の芸人でした。


初めて見たネタが、『オールウェイズトゥギャザー』と言うネタだったのですが、衝撃が凄かったのです。


どこがどう衝撃的だった、と細かく解説したくなるものではなく、私が普段突然笑っては行けない場面で笑わせてくるとっかかりのような勝手に脳内で展開してしまうマジカルバナナのような言葉遊びが、コントになっていたのです。ああ、私を困らせていた存在がコントになっている、ああ、きっと連想ゲームで思いついていくものが、ああ、こんなに綺麗に。


Dr.ハインリッヒのネタを他に漁っても、そのようなものばかりなのです。私のことを困らせていた、『急にブチギレてくるけど急に遠慮する三角コーン』みたいな、なんの名前もつかない、なんの発送源もなくいきなりやってくる、なんの展開もなかった思想が、展開をつけてコントになっているのです。


あまりに衝撃的でした。彼女らだって、日常で生きてて急に笑ってしまうことあるんじゃないかと心配になりました。私はなんでもないところで笑い出す自分が怖いのです。


笑いを取り戻したある頃、Dr.ハインリッヒを生で見られる機会を知り、チケットを取りました。チケットは最前列の、一番左でした。



勿論沢山笑ったし、憧れの2人を最前で見て涙も出ました。



お笑いライブの環境って、当たり前だけど、別に1人でいても、面白ければ笑っていいんです。『1人なのに笑ってて気持ち悪い』がないんです。だって主役は笑わせるのが仕事で、こっちは笑うために座ってるんです。



『1人でこんなに笑っていい場所って家以外にあるんだ』と思ったのです。



今まで『笑ってはいけない』ところで笑ってしまうのが悩みだった私も、芸人を好きになるうちに気持ちを考え始めてしまい、一番面白い場面の手前や、『空気読んだみんながシラける』が面白い時には笑わないぞ!と思っているうちに、『笑う衝動』もコントロール出来るようになってきました。そして、『笑ってもいい』『笑うのを我慢することもできる』ようになってきたら、日常的にまた色々なことを自然に面白いと思えるようになり、朝の通勤中に地面に落ちてたはんぺんを見て、誰に話そうかな!とウキウキできるようになりました。彼女らを見ていくうちに、頭の中で勝手に延々と展開されるマジカルバナナも、相変わらず進行されつつ、日常の一部となりました。笑う側じゃなくなったのです、笑わせる側になりたいと思うようになったのです。



私のマジカルバナナがいつか誰かを笑わせたら幸せ。



本当に失笑恐怖で今も悩んでる方になんのアドバイスにもならない、オチもない、伏線回収もない記事なんですけれど、一つ言っておくと、なんでもないのに笑ってることくらい、なんでもないのに怒ってるより全然良いし、意味もなく笑いが止まらないなら、意味を持って笑わせてくる人のいる、笑って当たり前の場所に行ってみたらいいと思います。許された途端、加減が出来ることって、きっとこれ以外にも沢山あるんです。


早くちょうちょになりたい