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善いことをした時に巣食う“心の悪”にご用心!


「1日にひとつは善いことをしよう」と行動している人は、とても多いと思います。その行動はとても素晴らしいことですが、気をつけなければならないポイントがあります。それは、善い行動をした時に、“心”がどのように動いたのかという点です。
「俺はやっている」「私がやってあげた」という高慢な想いや、行動しない人を責め立てる心が動いている時は、どんなに素晴らしい行動を起こしたとしても、善いことにならないばかりでなく、自分自身を苦しめる原因にもなるかもしれないので注意が必要です。
これまでの生きてきた過去のことに想いをよせれば、多くの方々から受けた愛情や優しさに気がつくことが出来るでしょう。さらに大きな存在でもある大自然から恩恵を受けて、自らの生命は“今、ここに”あると意識することができます。
そうした多くの“人”や“物”、“環境”に助けられてきたことに思い至れば、自分に出来ることで、少しでも恩返しに動いてみようかと考える人も少なくないことでしょう。しかし、どんなに恩返しに生きていこうと行動しても、それ以上に尽くしきれない恩恵を受けてきたことに気がつくものです。
大きなことをしようとしなくてもいいのです。ほんの些細なことであってもいいのです。1日ひとつだけでいい、人の喜ばれる善いことをしようと行動を起こしてみてはいかがでしょうか。
私たちを支え、育んでくれた家庭を、社会を、地域を「明るくて、住みやすく、次世代のためにより善い地域にしていこう」という行動は、ひとりからでも始められます。自分ではない誰かのために動こうと決めた時に必要な助けがやってくるものです。掲げた志を下げることなく、続けて行くことで必ず応援者は現れるでしょう。
誰かを強制的に巻き込むのではなく、まずはこれまで受けた恩恵を返す想いで、自分にできることから始めてみてはいかがでしょうか。誰かのために行動して行く時、かならず道は開かれ助けられることもあるでしょう。
日常の行動に“プラスワン”、心を込めた行動に意識を深める機会にしてみてはいかがでしょう。

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善いことをした時に巣食う“心の悪”にご用心!

目次

1、行動した時に動いた“心”はどうだろうか。

2、日々の行動で“潜在意識”に働きかける。

3、“謙虚な心”と“おかげさま”

最後に

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1、行動した時に動いた“心”はどうだろうか。



ところで、善いことと悪いことの定義は、どこにあるのでしょうか。一般的には、「社会において倫理的にそうするのが好ましいこと」だとされていることを“善いこと”というようですが、判断が非常に難しいと言えます。
何故ならば、私たちの日常には“善と悪”が同居していると、考えられるからです。例えば、人に金銭を与えるのが善い場合と、与えることによって金銭の尊さを理解できず、堕落した怠け者を作ってしまうこともあります。すこし大げさにみえますが、実際にこうしたことは以外にも起こりがちです。
その先には、金銭の尊さを知らずに過ごしてしまうがために、家庭が乱れてしまうケースも起こるようです。善いことをしたつもりでも、かえって悪いケースに繋がる可能性があると考えると、ますます善いことの定義がどこにあるのか、理解しがたいものへとなっていきます。
また、一方で普段より早く起きて清掃をしても、「やってやったぞ」などと偉ぶる心を出して、自分以外の人を蔑み、責める心が現われた場合、善いことをしているようで、実のところ善いことには繋がらないということもあります。
普段から早く起きることのない人が早く起きた場面に遭遇したら「どうしたの?」と声をかけてしまうのが一般的なことかもしれません。さらに、清掃を始めたらしたら「今日は雨が降るかもしれない」などと周囲から言われてしまうこともあるでしょう。
周囲から様々なことを言われても、そのまま善い行動に徹していればいいのですが、「やってやった」という心持ちになった時点で、変化しようとしていた流れそのものが消えてなくなってしまします。それどころか、善い行動をしたにもかかわらず、心の働かせ方を間違えてしまったがために、悪い方向に現象が動いてしまうことすらあるのです。
これまでにない行動をとることは、非常に大変なことですし、難しいことです。周囲からの感謝の言葉や賞賛の声があってもいいかもしれませんが、動き出したからには、そういった見返りを求めるのではなく、謙虚な姿勢で行動に徹することが何もよりも大切で、貴重なものなのです。
さらに “心”は、言葉に出さなくても行動や表情に出てしまうものです。これまで自分自身を育ててくれた多くの人や地域に、恩返しをするとの気持ちを一心に願って行動する。「ありがとう」との言葉を心の中で繰り返すことで、自らの心は癒され、行動に磨きがかかっていくことでしょう。


2、日々の行動で“潜在意識”に働きかける


とはいえ、どんなに良いことを行なっていても、心がいつも同じとは限りません。相手を蔑み、責める心を出してはいけないと解っている…本当はみんなに「ありがとう」と感謝の言葉を伝えたい…。しかし、出てきたのは相手を責めるような言葉や態度。こんなことはなかったでしょうか?
もしかしたら、このようなときは、人は自分本位で行動しすぎている時なのかもしれません。よくある方法ですが、こんなにも心がウラハラなときは、まず自分の胸に手をおいて、静かに振り返ってみるとよいでしょう。
心に耳を傾けて、心に聴いてみることは、とても効果的な方法です。これまで考えたこともないことがフッとよぎるかもしれません。その時は是非その気づきを行動に移してみましょう。物事がスムーズに進む足がかりとなります。
同時に、自分が「その時その場」に応じて適切な心で動けているか見直してみましょう。この心の備えを怠っては物事が上手く進まなくなります。
私たちは日々、家庭⇄仕事場(職場)⇄プライベートと色んな場所から場所へと移動し、多くの人と協力しながら生活を送っています。
家庭では家族として、職場では職場人として、プライベートでは個人として動くことを心がけると良いでしょう。
一概に言い切れない側面もありますが、もし「場所」「立場」「人」を見誤っていた場合、善と悪の区切りがつかなくなっているかもしれません。そうなると簡単な会話すら、心ここに在らずで、成り立たなくなることもあるでしょう。意識して、その場所、立場を踏まえて行動することは大切なことなのです。
しかしながら、そうした思いを表に出しすぎると“害”になります。そうした“害”にしてしまう前に、周囲の人とともに喜び、想いを共有する時間を持つとよいでしょう。
自分自身を誇らしげに語るのではなく、「他の方々もより良くなってもらいたい」という心持ちで、失敗してしまったことや、成功したことを共有することがポイントです。
こうした行動が多くの方々の心を打つだけではありません。自分自身の心を開くきっかけにもなります。さらに続けることができれば、気がつかないうちに潜在意識にまで働きかけ、心を磨くことへと繋がっていくことでしょう。


3、“謙虚な心”と“おかげさま”


私たちは日々、誰かのためにと行動しています。その行動には、日々の働きも含まれ、多くの人の力に助けられながら、これまでにない力を発揮しながら行動していることでしょう。
しかし、謙虚な心を忘れてしまった時に“うぬぼれ”や“高慢”な思いに心が満たされ、物事が急に上手く運ばなくなってしまうことがあります。そうした場面に出会ってしまったら、一度立ち止まって省みることが重要です。
物事が思うように進まないと感じた時は立ち止まり、これまでの自分の心の様子を振り返ります。すると「いつまでたっても至らないな」と嘆く場面がやってきます。そこがチャンスです。
“至らない”と感じることができれば、次に進む扉が開いたと意識転換をして進むことができます。そうやって改めて歩みだせばいいのです。私たちは何度でもやり直しができますし、歩きなおすことが出来るのですから、立ち止まりながら、少しずつ着実に歩んでいきましょう。
その歩みだしの時に意識しておきたいのが“謙虚な心”と“おかげさま”という点です。
そもそも「おかげさま」という言葉は、神仏であったり、神仏のご加護を意味しているものですから、「おかげさまで、ご縁をいただくことができました」ということは「神仏のおかげで、ご縁をちょうだいしました」ということになります。
ですから、今ある仕事や人、環境でさえも、自分一人で引き寄せたものではなく、目には見えない領域の力や、多くの方々の力とご縁があって今があるのだという“謙虚な心”と“おかげさま”の想いを忘れることなく行動することができるとよいのです。


最後に


私たちはどうしても「人のために」と頭で考えてはいても、現実には自分のことばかり考えてしまうことが多いようです。そんな自分の心を制するためにも、今日の行動を振り返る時間が必要になります。
忙しく働く私たちにとって、そういった時間を新たに作ることは困難のように感じる人もいるかもしれません。しかし、振り返りの時間を持つことで、今後の重要な情報を掴む貴重な時間を得ることになることでしょう。
そして、自分の心に巣食ってしまう“悪”を追い出すことが可能となり、今後の自分を輝かせる時間となることでしょう。

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