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17歳、受験を期に己の人生を振り返る。#02

どーも皆さんこんにちは【ぬん】です。
今回は前回の続きです。リンクの貼り方がわからないので前回の内容が知りたい方は私のページから飛んで下さい。
では、簡単な自己紹介から

現在工業高校3年生の17歳男です
好きな物はゲームとアニメ(ガンダム)で
嫌いな物はきのこと魚介類です
現在ゲームプログラマーとして大手ゲーム会社に入るため色々な事に挑戦中

この「17歳、受験を期に己の人生を振り返る」シリーズでは、自分の人生を振り返りながら自己紹介ならぬ人生紹介をしようかなと思います
今回は中学時代の話です


中学生

なんとなーくで入った中学校、この3年間が今のところ一番の地獄です。
中学生になり勉強が難しくなったり、部活友人と一緒に入ったりと一年生の夏まではまだ良かったですが、ここで問題発生というのも友人と一緒になんとなくで入った部活これが良くなかった。
バレーボール部なんですけど過去に県大会に出場したり大会では総合成績2番手に周るなどのいわゆる強豪校でした。そんな所にバレーのバの字も知らないような少年がついていけるはずがありません。
なんとか一年の夏まで根性だけでついて行ったのですが強豪校の夏と言えば合宿ですねウチの学校は合宿などは許可されていなかったので学校の体育館を貸し切って練習をしていました。真夏の灼熱地獄の中3と変わらないキツイ筋トレメニューをやらされ
本より身体が弱かった私は遂に限界を迎え嘔吐してしまいました。それと同時にメンタルも折れてしまったのでしょね。その後体調不良と言う肩書きで部活をサボりはじめました。嫌なら辞めれば良いのにと(今の)私も思うのですが当時の自分は無駄に責任感ばかり感じて結局バレー部自体は卒業するまでやめませんでした。が、問題なのはそこではなくメンタルが折れてしまった事です。今思えば軽い鬱だったんじゃないかな。私にも思春期が来ました。
つまり、無駄に他人と比べ劣等感が湧きさらに部活をサボってしまっているという罪悪感から体調を崩してしまいました。病気は気からとはまさにこの状態を指している訳です。ここに追い打ちを掛けるようにゲーム禁止令がでました。その頃の私はゲームでしか居場所が無く学校でも友人とスマブラの話ばかり家に帰ってもスマブラというふうに完全にスマブラに依存していたわけです。そんな私を見て父は「ちゃんと学校にも行けない奴がゲームなんかするな」と言った訳ですよ。ただでさえ学校に行くだけでも相当なストレスが掛かるのにそのストレスを発散する場がなくなってしまったのです。またもメンタルに来て最終的に学校に遅刻は当たり前、週に2、3日休む生活を続けていました。そんな時にコロナが流行りやがった訳ですよ当時の私としてはいきなり夏休みが来たような感覚で家でゲームを遊びまくっていました。※恐らくその頃は無理矢理に学校に行って速攻帰ってゲームをするという生活をしていたハズ

流石に3年生ともなるとかなりメンタルが回復して来て遅刻や休みも1,2年の時と比べると減りましたがなにせ物凄い休みの数があった訳で勉強についていけずそこでメンタルをやられる場面が多かったですね。また、3年生にもなると進路についてグチグチ言われるようになりますその時の私には将来像なんてなくただ漠然と進路決めないとなぁとしか思っていませんでした。そんな中、進路に決めた今通っている学校、当時はなんとなく資格が取れて就職できるような所がいいなぁとしか思っていませんでしたがこの選択は間違いではなかったようです。

終わりに

なんかもう見返したくもない様な欠席日数でしたね 
(先程確認した所 1年生 欠席47日 遅刻57日
2年生 欠席40 遅刻37  3年生 欠席33日 遅刻37日)こんなに欠席多いのに先生は推薦をくれました
もう、本当に感謝しか無いです。
おかげで今の自分がいる訳ですから
それと、スマブラspには目茶苦茶お世話になりました。学校で友達を作ったり、鬱になり悲観的になってしまう自分に唯一笑顔を与えてくれました。
ありがとう桜井さん、ありがとう任天堂。
開発スタッフの皆々様に感謝です!
さて、終始ネガティブでしたが最後まで読んで下さりありがとうございます。
ホント読みづらい文ですみません
次の高校編でラストです
ではまた〜(⁠・⁠∀⁠・⁠)⁠/⁠*

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