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パチスロ依存症の白夜書房時代・1/13

私は24歳の冬、株式会社白夜書房が発行していた
『漫画パチスロパニック7』の編集補助アルバイトの面接に合格し
第一編集部所属の、一端の「雑誌編集者・エディター」になった

2000年の1月11日か12日だったろうか、初出勤の日を迎えた
パニック7は毎月10日発売で、ちょうど最新号の校了からまだ日も浅く
勤務初日は、入社の手続きや、他の編集部員の皆さんへの入社挨拶
そして、同じフロアにデスクがあった、末井昭(当時取締役編集局長)さんにも
ご挨拶をさせていただいた
大学時代から『必勝ガイド』を愛読し、当時は女装して
確かフジテレビの『プロ野球ニュース』の時間にCM出演もされていた
「あの」末井さんを目の前して、この日一番の緊張感を覚えた記憶がある

まず驚いたのは、当日夕方から、私の歓迎会があったことだ
編集部からほど近い居酒屋に「パニック班」が集合し
いきなり深夜2時くらいまで呑み続けた
途中1度、呑み過ぎでトイレでひとり、吐いてしまった

初日から、いきなりタクシーで家路についた私
パチスロ業界も、そしていわゆるこのパチスロ攻略誌・漫画誌も
花真っ盛りの全盛時代の話である

なぜ私のような未経験で、しかも24歳という年齢の人間でも
編集者になれたのか。その理由は、その後すぐわかることになる

つづく

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