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パチスロ依存症の白夜書房時代・13/13【完結】

当時、ますます4号機パチスロの人気は高まっており
本誌パニック7、別パニに加え『パニック7ゴールド』で
月3回発行、かつ、公式有料ケータイサイトの運営も始まり
要は、そのための臨時お手伝い要員として
私は再び、白夜書房に関わることになったのだ

120分テープ3本もの、インタビューや対談の録音を文字に起こしたり
また、元編集であったことから、新人編集部員の教育
人気現役機種の簡単な台紹介やその打ち方…
とにかく、編集部員では賄えない部分の仕事を、一手に引き受ける形となった

この頃、私が後でテープ起こししなければならない対談の場の立ち会いで
名波さんにも久々に再会している
しかし、特に言葉を交わすことはなかったと記憶している

本誌やパニック7ゴールドに掲載される記事も、匿名ライターとして執筆したが
その具体的内容については、もう忘れてしまったし
正直、あまり思い出したくない話でもある

この頃にもなると、メーカーと攻略雑誌は
いわば「協調体制」を敷いて、続々リリースされるゲーム性の若干複雑な機種は
かなり早い段階で実際に打つことができた
『インディージョーズ』(ロデオ)や『猛獣王』(サミー)は
私もとある場所で、ホール導入前から打っていた

私が好んで愛読していた時代の、いわゆる「攻略雑誌」から
時代は変化し、その風景は劇的に変わっていた
私は、たった半年のブランクで、ずいぶんと置いて行かれた人間になっていたのだ
薄々、感じていたことではあったのだが…

この期間は、私はパチンコ店の短時間のアルバイトと、原稿料と
自腹勝負の実戦での勝ち金による収入で、人生で最も高い月収を稼ぎ出していた

しかし、満たされない思いというか、割り切れない思いというか
「過去」や「昔取った杵柄」のようなものに
いつまでも引きずられて生きるのには、本当に疲れ切っていた

パニック7ゴールドが正式に月刊誌として書店やコンビニに並んだ頃
私は完全に、白夜書房から足抜けした

その後、今日にいたるまで、一切誰とも付き合いはないし
私も距離を置いている

ただ、とある不祥事で、必勝ガイドほかの、旧第一編集部が
ガイドワークスという会社に移管された時に、私は一通の手紙を差し出した

その返事は、未だ届かない

それが、私の白夜書房時代の回想の
すべてである


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