見出し画像

パチスロ依存症の白夜書房時代・8/13

三重県パチスロ初導入となった2000年
私は再び名波さんの密着取材で、12月の三重県へと向かった
名波さんの年越しオールナイト営業勝負のお供として、事前のホール下見も兼ねるため
12月30日、名波さんと合流した

衝撃の事実として、ホール状況は、同年6月に訪れた時とは
様相が一変、いや、激変していた
それは…裏モノの設置が、爆発的に増加していたのだ

すでにデビューからかなり経過していたはずの
『シオサイ30』(パイオニア)が、まさにあの6月の時点の『大花火』のように
新台の輝きで大量導入され、しかもそのほとんどが
データカウンターやデータロボをチェックすると
到底ノーマルとは思えない挙動をすることが解った

他にも同メーカーの『ハイハイシオサイ30』も
多くのホールに設置が確認された
こちらはオーソドックスに、32Gバージョンが多かったようだ

しかし、どちらの台も最高設定ともなれば、万枚必至の爆裂裏モノである
中部地方は、全国的に見ても裏沖スロの人気が高かった地域であり
三重県もその例にもれず、裏沖スロが一大センセーションを巻き起こしていたのだ

6月の時点では、確かに裏モノの設置もあり
それを打っているお客さんは、すでに「パチスロ」というものを
「よくわかっている人」が打っていた、という印象だったのが
新品同様の『シオサイ30』『ハイハイシオサイ30』が
平気で2シマ、3シマ、4シマと設置され、しかもそこかしこで連チャンをしている…
この光景に、私は軽いショックを覚えた

試し打ちをしつつ、31日当日の実戦ホールを決定し
名波さんと同じ健康ランドに宿泊、そして31日の朝9時、ついにオールナイト営業の
開店の時を迎えた

名波さんは「朝イチ2チェチェック」でおなじみの『ドンちゃん2』(アルゼ)を
私はドン2もそこそこに『シオサイ30』へと向かった

…勝負の結果は、もうすでに皆さん想像できると思うが
私は、もう2001年の元日の深夜1時過ぎには、ホールの休憩所で横になっていた
軽く13万はヤラれてしまい、最後はパチンコの『ミサイル7-7-6D』(大同)を
未練打ちし、早朝に東京へ帰ってしまうザマとなった

名波さんは、私が帰ってからまさかの絶好調となり、大勝を収めた
そこまで私が密着していなかったことを、仕事始めの日早々
編集長になじられることになってしまった

三重県パチスロ導入後、初オールナイト営業は
私にとって、ほろ苦い思い出として、今でも強く記憶に残る出来事となった
漫画『パチスロひとり旅』にもこの様子は、奥田渓竜先生によって克明に描かれ
コツコツと確かな技術介入を積み重ねて勝利した名波さんと
裏モノの大連チャンを夢見て大敗を喫した私…というコントラストが
読者の皆さんに、たまらない爽快感を与える回になったと思う

…当然これ以降、私は仕事でもプライベートでも
三重県のパチンコ店オールナイト営業に打ちに行ったことはない

漫画『パチスロひとり旅』は大ヒット作品となり
ついに単行本化されることが決まったため、編集長以下パニック班全員で
再び三重県へ向かうことになるのだが、そのお話はまた次回

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?