見出し画像

パチスロ依存症の白夜書房時代・7/13

東京駅から、東海道新幹線で名古屋まで
名古屋から近鉄電車の終点まで乗り継ぎ、名波さんと初対面の時を迎えた

別パニ創刊を前に、編集部では後ろ姿を拝見したのみだった私が
ついに面と向かってお会いできた名波さんは
180cmある私よりもまだ少し背が高くて痩せ形で
とても優しそうな雰囲気の人だった

挨拶もそこそこに、私は名波さんの車に同乗させていただき
早速、パチスロが導入されているホールを数軒巡った

主に導入されていたのは、完全初心者向けの台としては
北電子の『ワンダーレビュー』が目に付いた
リーチ目の引き込みがほぼ100%の完全告知台なのだが
ビッグ中、北電子の台にしては珍しく、通常時メイン役の獲得枚数がアップするため
初心者~中級者に優しい台との印象があった

そしてやはり、当時のスロッターに絶大な人気と支持を得ていた
アルゼ(現・ユニバーサルエンターテインメント)系の機種では
『大花火』と、当時の新機種である『デルソル』が目に付いた
若い人は、隣県などですでにパチスロの経験がある人も多数いたようなので
ある程度、知識と目押しの重要性の高い台も
多く設置されていたのだと思う

『大花火』は、都内などではすでにおなじみの機種であったのだが
さすがに三重県に設置されていた台はピカピカで
コインサンドやコインまでも、まさに新品の輝きをしていた
この光景を、当時の三重県内で目の当たりにできたことは、私にとって財産である

ホールの出玉状況は、まだお客さんも様子見の段階というか
他県からプロが大挙押し寄せてのお祭り状態…ということもなく
比較的、客付きは落ち着いたホールが多かった

初日は名波さんは『大花火』を、私は『ワンダーレビュー』を軽く打った程度で
名波さんといえば健康ランドでの宿泊…まさに密着取材で
食事もお風呂も仮眠室での睡眠も、すべてをご一緒させていただいた

名波さんの味の好み(チーズが苦手)や、吸っているたばこの銘柄(キャスター)など
TV番組『情熱大陸』のように、私は名波さんをつぶさに観察した

それは、漫画に更なるリアリティを持たせるため、というのもあるが
全国をたったひとりで車移動して、借金返済中というプレッシャーを背負っての
当時の名波さんの毎日は、やはり普通の人にとって「日常の中の非日常」であり
今でもそれは誰にも理解や真似事などできない日々であったと思う

漫画『パチスロひとり旅』は、パチスロ旅打ちの先駆者にして唯一無二であり
その制作に携われたことは、今現在の私にも、まだ強い影響が残っていると思うし
よき思い出である

3日間ほどの、名波さんと行動をともにした生活であったが
編集部に緊急連絡を入れる出来事もあった
パチスロ導入からまだわずかな段階で、すでに裏モノの設置も確認できたからである
差し込みで、緊急にページを割いたスクープを取れたことも
初めての私のひとり出張での収穫であった

この後も、名波さんのもとへ取材として出向くことになるのだが
それはこの年の大晦日…そう、三重県名物の、パチンコ店年越しオールナイト営業
しかもパチスロ導入後、初オールナイトという、もう二度と無い機会である
31日の9時から、元日の21時頃までのぶっ続けのパチスロ勝負取材…
2000年12月30日、私は再び三重県へと向かうのである

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?