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【心の澱】義姉と子と、言語

先日、ゆる言語学ラジオでオノマトペについての放送があった。

これはシリーズものの4話なので興味がある方は第一回からどうぞ。

この動画の種本になったのが、『言語の本質』である
言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか (中公新書 2756) | 今井 むつみ, 秋田 喜美 |本 | 通販 | Amazon

この本を私自身は未読なので、私の認識はゆる言語学ラジオの話し手:水野氏の言う事の一部を理解しただけのものなのだろうが、思った事を書きたい。


私には、反りの合わない義姉がいる。元幼馴染である。
15年前に私の息子に「落ち着きがないから、障害でもあるんじゃない?」「名は体を表すってホントだよね、自分が一番って感じ」と言い放った義姉である。(なお、息子の名前は例えて言うなら唯人のような感じ。)
いまだに許す気はない。
そんな義姉は自身の母のことを「子供の人間性を尊重してくれるいい母親」と言っていた。子ども扱いせず頭ごなしに否定したり押し付けないいい母親だと。(それは同意する)

そんな『子ども扱いしない母親』に憧れた彼女が数年前に子供を産んだ。
もうすぐ小学生になるその子はいつもニコニコしているが、ここに来るまでに療育のお世話になった。
発語がほとんどなかったからだ。

かぁか(母)とぉと(父)、だけで言葉は終わり
終わった後は「ん。」と「んー」という言葉?(音?)と指さしや動作で伝えてくる子になった。義姉と兄はそれで理解出来ているので問題はなかったのだろう。
「静かで楽」と言い放つ反面、「何考えてるかわからない」と悩む義姉。「うちの子はおかしくない」と強がり、私は15年熟成された謎の優越感を感じる最悪な状態だった。(人の子にとやかく言っておいてお前の子どもはどうなんだ的な、ルサンチマン)
結局、兄の勧めで診察を受けて療育に通うこと1年、甥くんはペラペラと思うことを話すようになった。

少しシャイな性格の子供程度になった。


さて、ここから先は一般の方への認識じゃないことを先に伝えておきたい。


子供を子供扱いしない義姉の子育て

義姉は子育てからオノマトペを排除した。

まんま、わんわん、ぶーぶのような名詞はもちろん

もぐもぐ、ふきふき、バンバンなどの動詞的活用の言葉は使わなかった。
理由は「どうせ『車』って覚えるんだから、はなから車って言えばいい」「もぐもぐなんて言葉を私は元々使わないから」だった。
子供を子供扱いしない母親像は喃語の頃から発動しているのである。そんなアホな、と私は思うのだが彼女からすると真っ当なのだろう。

オノマトペ無し、幼児語無し
その環境で言語を理解させる子育てをしようと思っても、子供は言葉を増やさないのかもしれない。
もしくは義姉の『子供目線に立てない親』とその子育てなのかもしれない。


私は義姉が嫌いなので。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なのだろうなぁ

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