統制経済と静止性

 まず統制経済とは、政府が全ての権限を握ったうえで市場を操作しようとする方法である。しかし、この統制経済には、中央政府による操作によって成長させていくことはできるものの、市場経済のように一つの企業による影響があらゆる全体に波及していって常にアンバランスを前提とする秩序ではなく、中央政府の手によってそれぞれの国営の企業同士による関係性が客観的に調整された市場が形成される。そして、この統制経済では、その企業の統制された市場での性質は確定しており、この枠組みを破壊していく企業活動は想定されていない。それは、統制経済が想定された範囲内で動くことを前提にして市場を設計したためだ。それに対して、市場経済は、常に周囲の企業に影響を干渉させながら形を変化していく。そのゲームの変化は、一つの真理によって、あらゆる経済的なゲームが変化する現象を動かしていると説明できるものではなく、互いに干渉して影響を与え合っており、その干渉は秩序にある企業の行動を変えてしまうものになる。その企業による市場での経済的な行動は、ルールとしてあらゆるところに影響を与えてしまう。それは、オセロやチェスのように、駒が占有されることでそれを変える力のない私達の経済的な行動を制約するものになって発揮する。そのゲームの変化は、あらゆる経済的な主体である企業は経済的行動をしていくことで、あらゆる経済的な主体である企業に影響を与えることになるはずだ。つまり、全ての経済主体である企業は、市場で経済的な行動をとるごとに市場の秩序に変更をもたらすということである。例えば、傘を販売する企業が駅の前に傘を売る商売を始めれば、市場の秩序にその場所で傘を売ると干渉し合うというルールが当たり前だが生じてしまう。このゲームのルールを破ることもできるが、私達は現実にある資源を利用して商売をしているように、この傘を販売する企業の場合も駅などの資源を利用して商品を提供する。しかし、この傘を売ることで、その駅への利用者は少し増えたのではないか。なぜなら、傘を求める消費者が駅を利用する可能性があるためだ。それは、市場とは、お互いに影響が干渉しながら私の利益を追求する場であり、その私という存在の利己主義性から様々な企業に干渉することになってしまう。その利己主義性を否定するのが統制経済であり、それぞれの企業は互いに干渉せず、そのような秩序は非常に安定しているようで、常に変化していくという想定をしていないので実態にそぐわないものである。なぜなら、統制経済は、市場経済のように、その一企業が全体に波及した影響によって少しづつ変化していく市場の環境を人間の客観的な認識によって捉えることは難しいためだ。それは、ある観点からしか人間は物事を把握することができず、その一つの認識から分かる情報は全体を把握することはできないので、ある観点からしか市場を認識できないためだ。そして、その統制経済が実態にそぐわない最大の理由は、統制経済では、常に変わり続ける市場環境を再現することができないという理由だ。なぜなら、市場経済の秩序は、常に変更が誰かしらの手によって加えられており、少しづつ市場は互いに影響を与えながら変化していっているのに対して、統制経済も市場に対して手を加えるが、全て中央政府にいる一部のエリートが指導しているだけなので、そのエリート達の持つ知性の範囲でしか市場の秩序を形成することはできない。そして、その秩序は全体を意識したものになるので、常に人間が理解できる範囲で秩序を作り出すのに対して、市場経済はその創造者である経済を操作する人間の考える範囲を超えて、あらゆる経済的な主体である企業に干渉することで、その限られた観点からみた知性の範囲で作られた秩序ではなく、あらゆる観点を持った企業によって作られた秩序の方がより濃密に関係性を持った秩序が作られるだろう。なぜなら、統制経済は、そのエリート達による知性によって、あらゆる決定を常に進歩が0の状態で一から正解を求めなければならないので、1900年代に考えられていた2000年代という未来を予測していた当時の共産党圏を含めた世界中にあったものの、その当時の未来の予測に基づいてその未来を作ろうとしたのが旧ソ連であり、旧ソ連圏には1900年代の予測に基づく未来をデザインした建築物があらゆるところにある。しかし、それは全て現代の私達から見れば、ほとんどが間違いであっただろう。それは、統制経済がどのように社会や市場を進化していけばいいのかを理解していないので生じた問題ではないか。それに対して、市場経済は、常にあらゆる企業という主体によってゲームのルールが変化するので、未来を特定の人間による知性によって導くことをしなくていいのと、少しづつルールが失敗もともなって変化していくことで、市場経済での正しい答えを求める可能性が高まる。つまり、その未来を一から予測して創造する必要もないので市場経済は統制経済よりも合理的な選択であると同時に、常に自主的に動き続ける市場経済は、統制経済のようにやってみないと分からないという条件はなく、統制経済がその統制するエリート達が動かさなければ市場は一切変化しないので進歩率が0であるのに対して、市場経済は常に動いているためにその条件の中で答えを探せばいいので統制経済よりも正しい答えを導く可能性が高まるはずだ。

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