2024.09.23

昨日も企画書を書き続けた。締め切りが迫っているわけでもないのに、なぜか頭の中で言葉をこねくり回しては、それを形にしようと躍起になる自分がいる。ページをめくり、書いた文字を指でなぞる。

すべてがうまく噛み合っていない感じがする。それでも書き続ける。何かが足りないと感じながら、書き直し、また書き直す。そんな時、外に出たくなった。外の空気を吸わなければ、自分自身の中で何かが凝り固まってしまいそうな気がして。

久しぶりに京王多摩センター駅まで歩いた。昔はここに来るだけで気持ちが安らいだものだ。でも、今日の空気はどこか違う。空が広がり、行き交う人々の姿は変わらないのに、私の中で何かがズレている。

空虚な響きが胸に広がる。いつからだろう、この場所が安心感を与えてくれなくなったのは。あるいは、私自身が変わってしまったのだろうか。答えを探すために歩き続ける。家から往復1時間半の距離、それがどうというわけでもないが、歩けば何かが見えてくる気がした。

以前は音楽がいつでも私を支えてくれた。何かを感じたいとき、何かから逃れたいとき、音楽が私の感情を代弁してくれる存在だった。でも、今日はどうだろう。イヤホンから流れてくる音が、どこか無機質に思える。かつて心を揺さぶっていたあのメロディが、今はただの背景音のようだ。心の中にぽっかりと穴が開いているような、そんな感覚。それでも音楽を止めることはできない。音がないと、私の内側から溢れ出そうな静寂に耐えられないから。

日々変わりゆく世界を知りながら、その一方で、初めて知ることが少なくなっていくように感じる。目に見えるものが変わるだけでなく、自分の内側もまた、気づかないうちに変化しているのかもしれない。何かを手に入れるたび、別の何かを失っている気がする。かつては親しんでいた人々も、どこか遠くなりつつある。時が流れるにつれて、互いの距離感が変わっていく。それは自然なことなのかもしれないが、時々無性に寂しくなる。

毎日書いているこの文章にも、ふと疑問が湧く。これにどんな意味があるのだろう。誰に届けたいのか。自分自身に向けて書いているのか、あるいは誰か、まだ見ぬ存在に向けて書いているのか。ただ書くことそのものが救いになっている気がする。言葉が形になるたび、何かが吐き出され、軽くなる。けれども、それは本当に必要なことなのか、わからない。ただ、書くしかない。

人と会い、言葉を交わすこともある。でも、最近ふと感じることがある。それは、私が話したいことと相手が期待していることのズレだ。気を遣って言葉を選ぶのは、自分が嫌だからか、相手を気遣っているからか。どちらにしても、会話の後に残るのは、どこか空虚な感覚。もしかすると、私がただ深く考えすぎているだけなのかもしれない。でも、それでも、時折自分が孤立しているように感じる瞬間がある。

ひとりでいることが、これからも続くのだろうか。そう考えると、未来が不安になる。それでも、人に会うことはやめられない。それが正しいかどうかはわからないけれど、そうしなければ、もっと孤独になるような気がするからだ。でも、もしかしたら、私が思うほど他の人たちは悩んでいないのかもしれない。彼らはもっと軽く、自由に生きているのかもしれない。そんなことを思いながら、文章を書き続ける。

書くことは悩みのはけ口なのか。それとも、ただの自己満足に過ぎないのか。そんな問いが頭をよぎるが、答えは出ない。書くことが私を形作り、私を救う。それだけは確かだと思いたい。