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[レポート]イタリアの文化を知ろう! ① 大西麻貴さん(o+h)、多木陽介さん講演@GJ!Center KASHIBA


「イタリアトーク」開催!

 みなさんは、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」というイベントをご存じですか?「水の都」と呼ばれるイタリアの名所、ヴェネチアにて2年に1度開催される国際的な美術と建築の展覧会で、会期中はここに様々な国のパビリオンが並びます。
 今年度、第18回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展の日本館のキュレーションを担当するのは、GJ!Center香芝の設計をされた大西麻貴さん。実は、大西さんとのご縁から、私たちGJ!Center、たんぽぽの家のメンバーとスタッフも9月にヴェネツィア・ビエンナーレに参加させていただくことになりました!
 「ボンジョルノは知ってるけど・・・」「ヴェネツィアってどんな所なんやろ?」というメンバー&スタッフたちにイタリアについての理解を深めてもらうため、9月に向けてイタリアについて学ぶ勉強会を数回に分けて開くことになりました。
初回の今回は、大西麻貴さんのビエンナーレの日本館について、そしてローマ在住の演出家/アーティストの多木陽介さんからイタリアの文化についてのお話を聞かせていただきました。
この日は、大西さんと一緒に日本館のキュレーションにかかわる、デザイナーの原田祐馬さんや編集者の多田智美さんらもきていただき、にぎやかな日になりました。

興味津々でお話に耳を傾けむけるメンバーたち 撮影:廣内

講師の紹介

  • 大西麻貴さん 

    • 建築士。建築事務所o+h共同主宰。主な作品:「Good Job!センター香芝(奈良県香芝市)」、「Shelter inclusive place Copal(山形県山形市)」など。第18回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展にて日本館のキュレーターを務める。

  • 多木陽介さん

    • 演出家、アーティスト、批評家。ローマ在住。自然や社会、精神といった次元の異なる環境において、エコロジーを進める人々を扱った研究を展開している。主な著書に『アキッレ・カスティリオーニ − 自由の探求としてのデザイン』(AXIS)、訳書にマルコ・ベルポリーティ著『カルヴィーノの眼』、プリーモ・レーヴィ著『プリーモ・レーヴィは語る』(いずれも青土社)、アンドレア・ボッコ、ジャンフランコ・カヴァリア著『石造りのように柔軟な』(鹿島出版)などがある。




ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館「愛される建築を目指して―建築を生き物として捉える」

今回のビエンナーレ日本館のテーマは、「愛される建築を目指して―建築を生き物として捉える」。
大西さんから、このテーマ設定の経緯や日本館のデザインについての説明をいただきました。


正面の通りから見た日本館の様子 撮影:原田祐馬

2023年のビエンナーレ全体のテーマはLaboratory of the future(未来の実験室)
これからの私たちの社会のために、どのような実験ができるのか。各国の建築家・アーティストたちが様々な視点から提案をしています。
  
「現在の日本館は、70年も前に吉阪隆正さんという建築家によって建てられたもの。そのため、どのように考えられて作られたものなのか、ほとんどの人が知らない状態でした。

しかし、どうやって日本館が作られたのかを紐解いていくと、ヴェネツィアと日本の気候を比較した資料や、教会の横のスケッチなど、ヴェネツィア現地の風土に応答するようによく考えられていた痕跡が数多く残されていました。
また、建物のみならず、現場の職人さんたちのスケッチや写真もたくさん残されていたことから、共に作ることを大切にしていたということも分かりました。」

まさにテーマの「愛される建築」としての要素が盛りだくさんな日本館。
しかし、大西さんは、70年経過したことでその気付きが少し薄れていると感じたそうです。

そこで生まれたのが、建築に生命がやどっているように、建築の存在そのものを慈しむことが出来ないだろうか?という問い。

日本館を生き物のように捉えて見つめなおすことで、今私たちが気付いていないこと、欠点だと感じるところも個性としてより魅力的に捉えて、豊かさに変えていけるのではないか、という考えから、「愛される建築を目指して―建築を生き物として捉える」という冒頭のコンセプトが生まれました。


日本館のコンセプトドローイング ©o+h

今回の日本館のキュレーターチームが考える「愛される建築」とは、以下のような特徴を持つ建築とのことです。

・土地の風景や営みと繋がって、単体では取り出せない関係を結ぶ
・年齢や立場、個性の異なる多様な人々を受け入れられる寛容さがある
・重ねられた痕跡から場の物語を受け取れる
・五感で感じられる
・作ることと使うこととが一体化している

建物そのものだけでなく、そこでの営みや風景が一体となって初めて「愛される建築」になるんですね!
上記のような「愛される建築」を目指す日本館。場の物語を編み出す様々な展示も必見です。


テキスタイルデザイナー・森山茜さんによるテント屋根 撮影:原田祐馬

ファサード一面を覆うテントは、ヴェネチアの光と影が増幅するようなデザインとなっています。

水野太史さんのモビール 撮影:原田祐馬


日本館と、「愛される建築」のコンセプトについての展示 撮影:原田祐馬

展示室の中央には、常滑とヴェネツィアの海で拾った陶片で作られたモビールが吊るされていて、雨水が落ちてくる様子を可視化しています。

ハンドアウト・キッチン 撮影:原田祐馬

ハンドアウト・キッチンは、日本館がどのような建築かを紹介する印刷物を、来場者が自分でカスタマイズしながらつくることができる場です。

dot architectsによる交流の場としてのピロティ 撮影:原田祐馬

作ることと使うことが一体となったバーの空間。GJ!Centerの「たたいてみがく」の技法で作られた家具が並んでいます。ここでは、「ジャルディーニ(イタリア語で庭)」という名前のフレグランスの蒸留も行われています。
私たちが9月に参加する際には、この場所でワークショップを開く予定です。

写真上から1~5番目 出典 国際交流基金
  上から6~7番目 出典 architecturephoto® 



「イタリアの優しき生の耕人たち」イタリアの『地区の家』

みなさんは、PUBLIC SPACEという英語をどのように日本語に訳しますか?日本では、一般的には「公共空間」という翻訳がされがちですが、多木さんは、これは正解ではないと指摘します。
「公共空間」とは、行政によって管理される大衆のための場所のことを指しますが、この場合必ずしも誰でも受け入れてくれるわけではないからです。


京王井の頭線渋谷駅前の排除アート 引用元:美術手帖 「排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン」五十嵐太郎

例えば、街中でよく見かけるこの、用途のわからないぼこぼこ。実はこれは、アートに見せかけて、その場に長く留まったり、横たわったりできないように設置されているものなんです。近年では「排除アート」、「defensive urban design(訳:防御的都市デザイン)」という名で呼ばれはじめています。

では、PUBLIC SPACEをどのように訳せばいいのでしょうか?
多木さんは、「みんなの場所」であるべきだと言います。このように言い換えることで、場所の主体が行政から「みんな」、つまり私たちへ変わります。きまりを作って人々をしばりつけたり、きまりの範囲中で無責任に使われる場所ではなく、自分たちで場所に責任を持ちながら/自由に使える/誰にでも開かれた場所こそが、本当の「PUBLIC SPACE」なのです。

以下、多木さんがお話ししてくれたことをまとめています。
イタリアを初めとするヨーロッパの街には歴史的に広場というものが存在し、朝はマルシェ、夕方は子どもの遊び場、夜は近隣のカフェの野外席と、様々な人々に、様々な使いかたで利用されているそうです。
日本もかつては家の中に、客間というご近所さんが自由に出入りできる半分パブリックなスペースが存在していました。

しかし、日本においては、広場も客間も、戦後になり、団地が増え、共同体が解体される流れが進むことで次第に消えていきました。共同体が解体され、人々のつながりが無くなってしまうことによって、個々人のよりどころがやむなく政府、行政に移り変わってしまいます。

そうなると、資本主義の中で勝ち上がった人達によって私たちの場所が侵略される現象が起こり始めます。全ての場所が、お金がないとアクセスできない場所へと様変わりを始めたのです。これでは、孤独な人々が増えていくばかりになってしまいます。

そのような状況に危機感を感じた人々が集まり、みんなの場所を取り戻そうと作られたのが、『地区の家』です。

一番最初の地区の家は、イタリア北部のトリノという町の、サン・サルヴァリオという地区で作られました。サン・サルヴァリオ地区はアフリカ系の移民が多く居住する多民族地域。地区の家が生まれる前は、移民たちと現地の人々は互いの文化・宗教の違いや、あるいは人種差別的な問題などで、常にもめごとが絶えなかった場所でした。

しかし、この状況を見かねて、トリノ工科大学の大学院生たちが問題解決に向けて立ち上がりました。地区の家の原型は彼らによって開かれた「地区改善事務所」という場所です。彼らがまず取り組んだのは、街の人々との信頼関係を築くこと。街の何でも屋さんとして窓口を開設し、地域住民の様々な要請に応えました。また、それと合わせて、地区の風評被害を無くし評判を上げる取り組みとして、サン・サルヴァリオでお祭りを3年連続で開催しました。屋外イベントを開いたり、歴史的建造物のガイドツアーを開いたり、コンサートを開催したりすることで、周辺地域の人々が抱いていたマイナスなイメージは次第に払拭されていきました。

彼らはこのようなイベントを催すにあたって、地区住民の話し合いの場を設けることを非常に大切にしていました。制度的に1か月に1回は話し合わなければいけない状況を作ることで、立場や人種、宗教が違っていたとしても次第にお互いを認め合うようになっていったそうです。

10年ほど経ちコミュニティの信頼関係ができたタイミングで、彼らの取り組みが大きなコンペで評価され、資金を獲得することができました。そこで、彼らは事務所よりも大規模に人々が集まれる場所を作るため、元々公衆浴場だった建物を改修する形で地区の家を開館しました。

地区の家では、本来は行政がやっているサービスを市民が協力しながら自分たちで行っています。市民が同じ立場で話を聞いてくれるので、市役所よりもずっと通いやすい相談窓口になっています。その他にも、コワーキングスペース、カフェ、結婚式場など、住民たちが主体となって様々な使い方をしているそうです。

多木さんのお話は、イタリアと日本という国と文化は違っても、公共的なスペースのあり方を考えるうえで、とても参考になるものでした。

質問タイムには、GJ!メンバーから「何か国くらいの外国人が地区の家を利用していますか?」という質問が出ました。

多木さん曰く、「何か国、と厳密に数えたことはないですけど、イタリアの小学校では2〜3割の生徒が外国人を占めていますよ」とのこと。様々な民族のルーツを持つ人々が協力して暮らしているのですね!

カルトゥージア(Carthusia)出版

 次にイタリアの絵本専門の出版社である、カルトゥージア出版を紹介していただきました。通常、絵本は海外作家の作品を翻訳する形で出版されることが多いですが、ここでは全ての絵本を1から制作しています。

カルトゥージア出版の絵本の中でも代表的なのが、「国境なきお話」という絵本のシリーズ。上記のように、イタリアの小学校では生徒の2〜3割が海外にルーツを持ちます。「国境なきお話」では、移民たちの母国に伝わるお話が、母国語とイタリア語の二言語でつづられています。このことで、この絵本は)下の3つの役割を果たすようになるそうです。

1.移民の人々が彼らの母国語を忘れないようにする
2.言語習得に時間のかかる大人たちがイタリア語を学べるようにする
3.イタリア人が他国の文化に触れられる機会を作る

大人も子どもも楽しめる教育絵本として人気を集め、現在では23ヵ国のお話が絵本化されています。ちなみに、日本語の絵本はまだ作られていないそうですよ。

国境なきお話につづいてもう一つ、「四角いお話」を紹介していただきました。

「四角い絵本」では、「子どもが直面するかもしれない厳しい状況」が主題として取り上げられます。両親の離婚や、家族の死別、あるいは難病の疾患など、子どもでも厳しい状況にいきなり直面する可能性は大いにあります。そのような問題を避けて通るのではなく、絵本の力で適切なフィクションに翻訳しながら伝えることによって、ショックを与えることなく理解してもらうことができるそうです。(この場合の翻訳とは、主人公を動物にしたり、伝記のような伝え方にして読み手と舞台設定との距離を離すことを意味します。)

多木さんが例として紹介してくださったのは、脳腫瘍の放射線手術に立ち向かう子どものために作られた、「しっぽを失った猫(原題:IL GATTO CHE AVEVA PERSO LA CODA)」というお話。

しっぽを失った猫の表紙 引用元:https://www.carthusiaedizioni.it/libri/23/il-gatto-che-aveva-perso-la-coda

脳腫瘍の治療は放射線治療で行われますが、ピンポイントで患部に放射線を照射するため、患者は下の写真のようにメッシュで頭部を固定された状態でCTスキャンの機械の中に入れられます。

頭頚部専用マスク 引用元:https://www.kyokuto.or.jp/departments/center/cyber.html

頭にマスクをかけられたり、閉塞的な機械の中に入れられたりすることは、子どもにとっては大変な恐怖です。ほとんどの子どもは怖がってじっとしていられないために、麻酔をかけた状態で治療に移るのですが、本当は麻酔の使用も子どもにとって良い事ではありません。そこで、治療センターの先生から、「お話の力でなんとか子どもたちの不安を減らせないだろうか」という依頼を受けて、この絵本の制作が決まりました。

カルトゥージア出版では、制作に入る前に2つのグループによるディスカッションを開催しました。
1つは、編集者、作家、専門家、患者の親によるグループ。もう1つは、編集者、作家、専門家、子どもによるグループ。それぞれのグループで、問題に対して様々な角度から何度も話し合いを重ねました。その後、完成したお話の草案をイタリアの小学校で読み聞かせしてもらい、生徒からどのようなシーンが印象的であったかフィードバックを貰いながら、最終的に絵にするシーンを決定していったそうです。

そうして、この「しっぽを失った猫」という絵本が生まれました。
これは、しっぽを無くしたこねこが、宇宙の隅々まで自分の無くしたしっぽを探しに冒険に出るお話です。この絵本では、放射線治療の様子に置き換えやすい要素がいたるところにちりばめられています。例えば、こねこは宇宙船に乗るためにヘルメットを被らないといけませんが、このヘルメットは治療で用いられるメッシュにそっくりなかたちをしています。また、冒険で乗る宇宙船も、CTスキャンの機械に似た小さくて狭いものになっています。

合間の休憩時に、実際に絵を見せていただきました。撮影:廣内
絵本の中の1ページ。撮影:廣内

こねこは、立ち寄った先々で冒険に出た勇気をたたえられ、最終的には自分のしっぽを見つけて英雄的なエンドを迎えます。
この絵本を読むことで、こねこに勇気をもらった子どもたちは、メッシュの被り物をヒーローのお面のように捉えられるのだそうです。実際に、子どもたちにこの絵本を治療前に読み聞かせるようになってからは、放射線治療時に麻酔を使用することがなくなったとのこと。
お話は偉大な力を持っているんですね!

ムナーリ・メソッド

次にブルーノ・ムナーリのムナーリメソッドを紹介していただきました。
ムナーリは、イタリアを代表するアーティストであり、デザイナー・絵本作家・理論家としても数多くの作品を残された方です。


ブルーノ・ムナーリ Wikipediaより


1977年、ミラノのブレラ美術館からの依頼を受け、ムナーリは「アートと遊ぶ」というテーマのまったく新しい芸術教室を開講しました。それまで、イタリアの美術教育は模写がスタンダードとされていました。しかし、模写はある程度絵が描ける人にとっては意味があるものの、それ以外の人にとっては退屈で意味のないもので、代々続いているからというだけで続けられていたものでした。ムナーリはこれに対して、遊ぶように色々なマテリアルと戯れながら学ぶ新たな芸術教育の方法「ムナーリ・メソッド」を提案しました。

聞いたことは忘れる、
見たことは覚えている、
やったことは理解できる

ムナーリの教育のモットー

多木さんによると、ムナーリ・メソッドには彼の幼少期の学びの経験が大きく反映されているそうです。ムナーリの有名なエピソードの一つに、竹と戯れた時のお話があります。幼少期のムナーリは、竹の枝を振り回したり叩きつけたりしながら、素材がすり減ったり割れたりする変化を観察し、それに対応した新たな遊び方を発明しながらさらに竹の枝について学んでいったのだそうです。ムナーリはこのような「やることで理解する」という経験を生徒と分かち合うことで、単なる美術教室を超えた、学びの場をデザインしたのです。

多木さんやビエンナーレの日本館チームのみなさんは、シルヴァーナ・スペラーディさんというムナーリの愛弟子でアシスタントを務めていた方からムナーリ・メソッドのワークショップを受けたことがあるそうです。

そこでは、様々な線を描く道具が用意されていて、参加者はまず、色々な道具を使って、色々な線を思うがままに描くように言われました。


ーー1時間ほど経ち、たくさんの線が集まったら、全員でそれぞれの線を観察し、分類していきます。「主観的/客観的な線」、「物語的な線」というようなカテゴリに分けて、そのカテゴリの中からまた自分なりの分類をかけていき、最後には、グループでの分類を発表します。

この分類作業をする前は、参加者にとって点/線は抽象的なものでしたが、分類を通して、様々な線の差異を見分けたり、様々な点の違いを見分けることにおいて、点/線がカタログのように頭の中に記録されていきます。これは、線を書かない状態で分類をしたとしても増えないそうで、自分自身でたくさんの線を描いた経験によって初めて可能になるのだそうです。

前半で参加者たちは、点/線を暗黙知で認識していました。この時点でどんな点/線かはっきりと言葉にはできないけれど、見分けることはできているという状態です。
それを言葉として人にも伝わるような形で表したものが、明示知といわれます。明示知は自分たちが何をやっているのか、頭ではっきりと理解するのに役立ちます。

ムナーリ・メソッドのワークショップでは、前半で手を動かしながら増やした暗黙知を、後半で大量に明示知に変換することで、物を見るときの解像度をぐっと高めるトレーニングができます。ブルーノ・ムナーリやアキッレ・カスティリオーニといったセンセーショナルなデザイナーを数多く輩出しているイタリアですが、彼らの創造力のヒントがここに隠されているかもしれませんね。

刑務所演劇

最後に刑務所での演劇の活動を紹介してただきました。
多木さんによると、イタリアでは刑務所での演劇活動が盛んだそうです。
国内に50か所ほど演劇に取り組む収容所があり、おおよそ1000人の収容者たちが恒常的に演劇に取り組んでいます。さらには、刑務所演劇のフェスティバルなるものまで存在しています。

多木さんが刑務所演劇に関心を持つようになったのは、20世紀の有名な劇作家、サミュエル・ベケットの劇が刑務所の人々から特に人気だったから。ベケット作品は難解といわれる内容の劇が多い中で、刑務所の人々は唯一、彼の代表作「ゴドーを待ちながら」に拍手喝采の反応を送ったのだそう。これは、刑務所の人達が「待たされている」という境遇のつらさを誰よりも身をもって理解していて、待つ描写の多いこの演劇に自分たちを重ねられたからなんです。

刑務所は本来、更生のための場所であり、囚人を再教育して、役に立つ人として再び社会に送り出すことが求められます。しかし実際には、刑務所は更生機関としての役目を務められていないのが現状で、イタリアの刑務所での再犯率は平均で60%にものぼります。
ですが、刑務所演劇に取り組んだ人々の再犯率は6%で、平均と比較すると10分の1の割合なんです。
なぜ、刑務所演劇に取り組む人は再犯率が低いのでしょうか?
もちろん、演劇に取り組み始める意欲がある時点で社会性の高い人であることが予想されますが、それを差し引いても、演劇に取り組むことで生まれるポジティブな変化が存在するそうです。
ふだん囚人たちは、警官や、自分以外の囚人といった「怖い人」に囲まれながら常に萎縮し、目線を下げて過ごしていますが、演劇に取り組みながら、顔を上げて他者と目と目を合わせるトレーニングをすることで、より人らしい姿に変われるのだそうです。
多木さんはそれに加えて、「自分じゃない人」を演じる経験をすることで「自分は変われる」というビジョンを得られることや、演技指導を受けながら自分勝手な振舞いを厳しく指導されることなども、社会復帰を助ける大きな一因であるとお話していました。

「アムニ(Amunì)」父親の帰りを待つ子供たちのお話。引用元:https://www.targatocn.it/2016/02/19/leggi-notizia/argomenti/eventi/articolo/cuneo-in-scena-al-teatro-toselli-i-detenuti-del-carcere-di-saluzzo.html
「クラス(La Classe)」囚人たちの学生時代の悪行をエピソードにしたコメディ。引用元:http://www.corrierespettacolo.it/la-classe-carcere-di-saluzzo/

写真の、「アムニ」や「クラス」の公演をした演劇のグループは、自分たちをテーマにした絵本の制作プロジェクトにも取り組まれていて、多木さんもこれに協力されていたそうです。
囚人の中にはお子さんを持つ人も数多く、彼らは長い間子どもと会えない暮らしをしていることになります。そこで、劇団の演出家が会えない親子たちを哀れに思い、子どものための絵本製作のプロジェクトを立ち上げたそうです。
彼らは写真を元に「旅」のお話を作り、そこから生まれたキーワードをつなげていく形で数回にわたるワークショップを開いていきました。そうしてできあがったお話が「おやすみなさいの森」です。


絵本「おやすみなさいの森」


お話は、欲しいものを手に入れるために心の半分を売ってしまった男たちが、道を誤って暗い森にたどり着く所から始まります。男たちは、迷う中で仮面を被り嘘をつき続けていたおのれの人生と向き合い、自分の本当の姿を見つめなおします。そして最終的に、希望の光を見つけて我が子への愛を取り戻して元の場所へ帰ります。

この登場人物たちは、実際の囚人たちに一人一人似せて描かれているそうです。


まとめ

興味深々で耳を傾けるメンバーたち 写真:西尾

以上、第一回イタリアトークのお話でした。大西さんからはヴェネツィア・ビエンナーレ日本館について、多木さんからはイタリアの様々な文化活動についてのお話をいただきました。

想像よりもイタリアは多民族国家でしたが、市民たちが主体的に声をあげて、共に支え合おうとしているところがとても素敵だなと思いました。
「人々の営み」を大切にする日本館のメッセージは、きっと現地の方にも響くのではないでしょうか。
たんぽぽの家とGood Job!センターでは、伝統工芸と福祉のかかわりを考えるプロジェクト「New Traditional」から生まれた製品や考えも伝え、交流をしてくる予定です。
ますます、9月が楽しみになってきました!

レポート:廣内菜帆

一般財団法人たんぽぽの家では、「ニュートラの学校:福祉と伝統工芸をつなぐ人材育成と仕組みづくり」を実施しています(文化庁委託事業 「令和5年度障害者等による文化芸術活動推進事業」)。今年度の取り組みでは、「海外発信・交流と報告会の開催」として、「第18回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」において、「NEW TRADITIONAL」の取り組みや製品紹介などを行います。

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