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【妄想記事#0】もし○○が無くなったら

 ふと思いついたアイデアで、まったく何の役にも立ちません。でも、もし皆さんの思考を刺激する何かを提供できれば幸いです。(テスト投稿としてナンバリングは0にしました)

考え方

 今この世界で当たり前のようにあるものが無くなった世界を妄想します。今の社会や技術力では到底起こりえないが、もし未来にそれが起こっていたとしたら”なぜそれが無くなったのか”を妄想します。

最初のテーマ【もし死が無くなったら】

 もう語りつくされているテーマではありますが、今ふと思いついたので記事にしてみました。(こんなノリで書きなぐる形式の記事です)

なぜ死がなくなったのか妄想する

 不死への願いは太古の昔から人類のテーマです。それが幸福であるかどうかは別として、人間はその寿命を延ばす努力を重ねてきました。なので、不死となる未来が起きたとしても”未来技術なら可能なのでは?”と安易に考えられそうです。
 確かに、老化のメカニズムが解明されて、再生医療も発展すれば実質的に不死の体が手に入りそうです。しかし、それでは面白くないのでもう少し別の観点で妄想してみます。
 物理学者によれば、この世界を説明するには5次元にまで拡張しないといけないそうです。しかし、我々の眼で観測できるのは3次元まで。しかも、光を発する(若しくは、光を受けて自ら発する)ものしか見えず、360nm~860nm程度の波長域しか観測できません。つまり、我々人間はこの世界のありのままを見ているわけではなく、高次元の”影”のさらに”一部分”しか見ていないわけです。

人類は3次元の檻から解放され、死の本質を理解する

 人間は、重力や風力など外力を受けつつも、3次元空間を自由に移動できます。しかし、4次元世界(時間軸を加えた世界)を自由に移動することはできません。時間を遡ることはできないのです。そして、5次元世界は異なる時間軸が並ぶパラレルワールドが存在する世界だそうです。(※聞きかじった情報ですが、妄想なので真偽は置いておくことにします・・・)
 もし、未来の人類が3次元の檻から解放され、5次元世界を支配したとしたら・・・時間や世界という概念は我々の運命を縛るものではなく、我々の手でコントロールできるものに変わるでしょう。先ほど、3次元はさらに高次元な世界の”影”と言いました。そういう意味では”死”も5次元世界で起きている営みの”影”と言えるでしょう。5次元を観測できる人類は死の本質を観測・理解し、それを制御できるようになるのではないでしょうか。そして、”死”の概念自体が無くなる時代がくる。そんな未来を妄想しました。

最後に

 読み返してみたのですが、とんでもないポエム記事になってしまいました。誰に刺さらなくたって良い(誰かに刺さってほしいと思って書いた記事も大して刺さらないんだ)。自分の思考をアウトプットする練習だと思って割り切っています。


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