最初で最後かもしれない抱擁

およそ12年ほど前、新宿二丁目でおそるおそる通っていたゲイバーがある。

あの頃はまだ初々しくて、右も左もよく分からなくて、怖いことだらけだった。何にあそこまでビビっていたか分からない。分からないけど、でも、たしかにビビっていた。怖かった。でも田舎から新宿二丁目に通っていた。行く場所はだいたい決まっていて、会う人もほとんど同じだったように思う。

そのバーは今はもうない。4年目くらいで閉じてしまったらしい。僕は色々とあって途中からめっきり行かなくなってしまった。あのバーというか、新宿二丁目自体に。

うっすら覚えていた。起きたこと、起きなかったことを。うっすら覚えていて、うっすら忘れていて。今でも仲良い人なんてもうほとんどいない。1人、2人くらいである。

そのバーで何を話したか、何に恐れていたか、なぜ冷や汗をかいていたのか、よく覚えてはいない。オーナーとマスターの顔は覚えていた。もちろん名前も。忙しい日々の中でも、忘れていくことばかりの日々の中でも、彼らのことと、その周辺の思い出はうっすら覚えていて。

思い出。そう、思い出である。完璧には思い出せないけど、僕の人生を形作る、大切な思い出の1つ。パーツの1つだ。

先日、そんな静かな思い出に包まれている中、ふと、見覚えのある顔の人がそこに立っていた。「あ、あのバーのマスターだ」と思った。一旦通り過ぎて、振り返った。話しかけようと決めた。僕は決めたのだ。

「あの、すみません、もしかしてタクさんですか?」

「うん、そうだよ、君はてらけんだよね?」

ぶわっと泣き出しそうになってしまった。お互いがはっきりと覚えていた。なぜ泣きそうになってしまったのか。12年という月日の重さを感じてしまったのだ。二人が全く会わなくなってから12が経つ。

「あの頃と何も変わっていなくてびっくりです。元気そうでよかった」

「てらけんもね。元気そうで安心したよ」

朝5時頃、僕らは道端で抱擁を交わした。人目など気にならなかった。思わず「なんかタクさん、安心感がありますね」と言ってしまった。アハハとあの頃と何も変わらない笑顔を見せてくれた。

もういなくなってしまった人の話をした。その人は僕が東京で初めてできたゲイの友人だ。末期癌で、30代にして亡くなってしまった。それを僕はよく思い出している。あの頃のメンバー。あの頃の空気感。

「彼さ、しんだところなんて見てないし、俺は信じてないんだよ。しんでないかもしれないじゃん」

僕はそれを聞いてまた泣き出しそうになってしまった。たしかにしんだ姿は見ていない。失踪しただけで、実はどこかで幸せに生きているのかもしれない。その可能性はたしかにある。わずかな、ほんのわずかな可能性だが。

彼へのLINEは永遠に既読にならなかった。1年に1回くらい既読になったかどうか確認していたのだが、ついにもう確認すらしなくなった。既読になることは永遠にないからだ。

「彼さ、しんだところなんて見てないし、俺は信じてないんだよ。しんでないかもしれないじゃん」

タクさんも本当は分かってるんじゃないかな。もう、多分、この世にいないかもしれないってこと。それでも奇跡的な可能性を信じて生きていくしかないということを。

最後にもう一回ハグしていいですか?と言い、僕らはまたハグを交わした。

12年前、あのバーで何を話していたか。何を想い、何を感じていたのか。まるでほとんど覚えていない。でもあの不思議な時間のことをずっと覚えている。大切で、手放しくない思い出の1つなのだ。

「やっぱりタクさん、落ち着きます。ずっとこのままでいたいくらいに」

タクさんはまたアハハと笑った。「そろそろ帰りますね」そう言って僕は体の向きをズラした。「人違いじゃなくてよかったですよ」そう言ったものの、絶対にタクさんだろうという確信があった。本当に何もかも変わっていなかったからだ。

帰り道、僕はビルと空を見上げた。もう12年が経ってしまった。本当に一瞬の、一瞬の出来事のようだった。ありがとう、出会ってくれた人。ありがとう、もういなくなってしまった人。さようなら、ありがとう。


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