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ようやく私の居場所が見つかった

小学校には何度も呼び出され、長男ゲンの先生には叱られてばかり。
次男ショウは褒められることが多く、楽だったけれども
居心地がとにかく悪かった、小学校。

中学校でもなんとなく居心地が悪い。
全ての授業参観には仕事の合間をぬって参加した。
けれども、なんだか中学校が合わない。
行っても楽しくないのだ。

(この上記全ては、私「母親」の感覚の話です。)

その後、ゲンが高校に入り
「あーここは私の居場所だ」と初めて感じる。
それは、ゲンが入学して初めてのPTAだったと記憶している。

広い食堂内で親同士がペチャクチャ好きなように、ワイワイ喋っている。
それもうるさい、うるさい。
みんなが一斉に喋っているのを聞いて、
「ここが私の居場所だ」と感じた。

親がすでに自由。
好き勝手にしゃべっている自由な空間がとても心地よかった。
人のことなんて気にしていない様な雰囲気が心地よかった。

その勘は当たり、先生から呼び出されることも一切なくなり
ゲンは楽しそうに高校生活を送った。
親の私も楽しく学校行事に参加した。
ほぼ全て参加した。
楽しかったから率先して参加した。

高校へは、カバンを持たずに何度も登校したゲン。
玄関にカバンが置かれたままの図、かなりのショックです。
(でも次第に慣れていきます)

カバンを持って行った日は、お弁当を忘れることが何度もあった。
お弁当を都度届けに行く母。
入り口で名前を書き、お弁当を預ける。
もうすっかり常連だ。
しかし、職員さん誰一人「またですか?」とか言われたことは一度もなかった。
普通に、当然のように、すんなり受け取ってくれた。

きっと私のような親はいたんだろう。
いなかったかもしれないが、お弁当を忘れるなんて大したことではなかったんだろう。

あの小学校の先生だったら、
『お母さん、いい加減にしてください!』と、また呼び出されていたはず。

ゲンはちっとも変わっていないけれど、周りの環境がうんと変わっていたと思う。

親が心地よいなら、子どもも同じ事を感じているのではないだろうか。
高校でも好き勝手していたようだが、ゲンは先生に褒められていたのだ。
最後まで信頼して伸ばしてくれていた。

高校でようやく楽になった母。
進路等の難しい話は夫に全て任せ、楽しいことだけをやっていました。
その頃のママ友は、やはり心地よかったなぁ。
ゲンから入らない情報を逐一教えてくれていた。

ゲンは小さい時からプリントを持ち帰るとかしないので
(床にばら撒くタイプ)
次男ショウから学校の情報を得ていました。

ショウが入学して、毎回持ち帰るプリントの多さに初めてびっくりしたくらいです。

ゲンからの情報がほぼ入らないのを見兼ねたママ友が、高校では教えてくれていました。
おかげで、無事に卒業できました。

そんな相性ピッタリの高校を、私は反対していたのです。
親の意見を聞き、別の高校に行っていたら、ゲンはどうなっていたのか想像もできません。
その話はまた書きます。

新堂きりこ










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