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書くことは客観視することでもある

発熱した。
保健所や当番医にあちこち電話するが、全くもってつながらない。
やはりこれはコロナ?
ずっと電話して、
ようやくつながったクリニックで抗原検査をしてもらえた。


車で待機して、車のまま検査。
さすがにドクターの検査方法はうまい。
鼻の奥までグリグリ突っ込まれる。
痛い、、、。

検査して、即ドクターが「陽性だね」とおっしゃる。


そうか、やはり陽性か。
解熱剤のみをもらい、帰宅。
姪っ子が姉と買い物をして玄関に置いてくれる。
きれいな花も買ってきてくれた。

こんな時に、家族のありがたさを感じる。
一人じゃないんだなぁと感じる。


私に欠けているものはたくさんあるけれど
すぐに一人になろうとするところがある。


そして、なんでも自分でやろうとするところ。


助けてと
声を出さないと助けてもらえないことを
夫が亡くなって二度目の発熱でまた痛感する。

私がすぐに忘れてしまうから
こんな問題がまた形を変えてやってくるんだなと思う。


すぐに孤独だと思ってしまうことをやめよう。


そもそも、孤独だと決めつけているのは私自身だ。
一人で悲劇のヒロインごっこをしているだけなのだ。
いつまでもつらい、さみしいと
私は一人、不幸の中にいたいだけなのだ。

この書くという行為は
私のデトックス効果も大いにあって、
今もコロナに完全にやられそうになっている気持ちを
なんとか別の方向に切り替えようとして
パソコンに向かったら、好転できた。


書いていると、自分と客観的に向き合うことができる。


そうか、これが足りないから
またおんなじミスをしているのかとか。


孤独も自分で作り上げていることも
書きながらさっきわかった。

本当は
夫の闘病から自宅介護を日々書いておけばよかったが
なにぶんそんな余裕がなかった。
気持ちも時間も。


あの頃の私は、その日1日を過ごすことで精一杯だった。


だけれども、逆に書いていたら、
もっと冷静に介護ができていたのかもしれないな。
今となっては後の祭りだけれども。
今がベストタイミングだ。
これでいいのだ。

コロナは、想像をはるかに超えてつらい。
熱は高い、体は痛い、だるい、喉の痛さは過去最高。
こんなにつらいものだとは、、、。


夫がいたら、絶対に家にコロナは入らせなかっただろう。
気の緩みが招いた結果だと思う。
あとは、体の力を信じて乗り切るしかない。


抗原検査をしていただいたドクターもかなり疲弊されていた。
初めてコロナに感染して世の中の動きが見えてくるようになった。


早く治って
助けてもらった家族にお礼ができるようになりたい。
              (6ヶ月目)

振り返り
世の中が大流行のタイミングでコロナに感染しました。とてもとてもつらかった。けれど、それでもnoteを書いていますね。書くことは浄化になります。ぜひ、自己開示をやられてみてください。めちゃきついけれど、得るものはたくさんですよ。

新堂きりこ

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