「用事」を思い出し、前線を歩いて渡ろうとしたハンガリー人
クロアチア・ザグレブに戻る国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の輸送機に乗るためには当然、サラエヴォ空港に行かなければならないが、サラエヴォ市内から空港に行く手段がない。距離的に歩くのは相当しんどく、それより何より敵であるセルビア勢が一帯を占拠、空港は国連関連のみが使用可能な飛び地となっていて、前線を徒歩で渡れるはずがない。
国連事務所に行っても、市内と空港を結ぶ国連防護軍(UNPROFOR)の装甲車に乗る許可が得られない。ボスニア人らしき担当のオヤジに、野良猫のごとく追い払われた。そもそも、防弾チョッキ着用と身元引受人の確保を条件としたサラエヴォ入りなのに、両方を無視して潜り込んできた輩を相手にするはずがないのだ。
国連事務所の警衛はフランス軍だった。空港までの装甲車もフランス兵の若者が運転している。何度も行き来して顔見知りになったフランス兵に
「こっそり乗せてくれ」
と頼んでみたが、
「無理に決まっているだろ」
と、苦笑いされた。
市内最大のホテルで、空爆でボロボロになったホリデーインに、ロイターだのAPだのCNNだの、という世界を代表するメディアのスタッフが寝泊まりしている。ホテルまで彼らに会いにいき、空港に行く用事があったら同乗させてくれと頼み込むが、誰もが直近で空港に行く用事はないという。CNNの記者いわく、
「国連に頼むが一番手っ取り早い」。
そのとおりなのだ。
そのうち、ザグレブからサラエヴォまでずっと一緒だった自称フォトグラファーの19歳ハンガリー人が、
「家の用事を思い出した。ハンガリーに帰る」
と言い出した。大事な用事なのだという。大事でもそうでなくても、空港にたどり着かないだろうに。
「いや、歩いて渡る」。
彼は何を言っても聞かないので、
「お前は今日、前線に歩いていって撃たれて死ぬ。だからお前の写真を撮って実家のおふくろさんに送ってやるから住所を教えろ」。
そんなことにはならないとニヤニヤしながらも、カメラの前に立った。
彼は夕方、本当に歩いて前線に向かったものの、5~6時間した夜更けにホテルに戻ってきた。ニヤニヤしながら、
「前線の兵士に、『ここは戦場だ』って言われた」。
当たり前なのだ。
結局、国連事務所のオヤジにしつこく泣きつき、
「国連はタクシーじゃない」
と説教をくらいながらも翌日には許可書を得た。
「おーい、許可証をもらってきたぞ」
とフランス兵に見せて、装甲車に乗せてもらう。空港には、サラエヴォに入ってきたときにいた、デンマーク軍の将校。輸送機への登場許可を依頼するが、怒っているのだろう、無表情で一言も喋らなかった。こちらも、当たり前なのだ。
30にも40にも見える、19歳のハンガリー人
国連事務所の警衛にあたっていたフランス兵
通行人が片っ端から狙撃された、スナイパーアレイ
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